すべてのオトコの夢、最強! ~ワンパンマン~

たとえ、どれほど平和主義者であろうと、その本能の中に、オトコというものは(そしてある種の女性にも)「強くあれ!」という願望を持つものです。
そのひとつの究極の夢が、いかなる強大な敵であろうとも、たった一発のパンチで打ち倒すことができる、つまり「ノックアウト バイ ワンパンチ」 = ワンパンマンなのです。
ワンパンマン!
Web漫画から登場したヒーロー。
そのネーミング、スキンヘッド、そして「お約束のマント」を見たときに「やられた」と思いました。
そのテがあったのか!
ピンぼけ発言を覚悟して言わせてもらうと、ワンパンマンは、そのネーミングを出発点として、あの国民的ヒーロー(若者の幼年期を含めるとして)アンパンマンの完全なネガいや鏡像、投影なのです。
そりゃあアナタ、アンパンマンは頭を空腹の人に食べさせるし、その頭をとりかえることでパワーをチャージできる、頭は禿げているのではなく、アンパンなのだから毛がないのは当然で、孤独ではなく、ジャムおじさんもバタコさんもクッキーさえいる、と孤独なサイタマとはまるで違うのですが、その根底にある「正義」なるもののとらえ方が似ているのですね。
まずは、オープニング・テーマを。
「Runner」っぽいところもありますが、なに、「もはや、すべての音は出尽くした(言ったのはジョン・レノンでしたか)」のですから、感じが似てるなんて問題ではありません。
なかなかの名曲です。
ワンパンマンオープニング
間違いました。こっちはカヴァーです。しかし、彼の英語のシャウトがすきなんですよ。
もちろん作詞・作曲者の本家、・影山ヒロノブ氏による歌も好きです。こちらです。↓
とにかくワンパンマン=サイタマは強い。
若い頃はともかく、ワンパンマンとなってからは、OPソングにあるように連戦連勝・史上最強、なのですが、強くなるにつれて戦闘中の精神の高揚などを感じられなくなっています。
それはまるで、A.C.クラークの「地球幼年期の終わり」における、次世代の生命に進化「してしまった」子どもたち、感情を失い、ゆらゆらと地上に立っている子どもたちとどこかしら似たところがあるほどです。
確かに、サイタマの押しかけ弟子、サイボーグのジェノスをして「次元が違う」と言わしめた強さは、もう別次元の生き物です。
これが、もともとのワンパンマンです。
100話を超える連載のすべてを読むことができます。
是非、読んでみてください。
決して、うまいとは言えない漫画ですが、そのツボを押さえた迫力とストーリーテリングの巧みさはわかっていただけると思います。
やがて、WEBコミック「ワンパンマン」は「アイシールド21」の漫画家、村田雄介の目にとまり、彼がONE氏にアプローチ、やがて二人のコラボレーション作品として、「となりのヤングジャンプ」での連載(ここで読むことができます)となるのですが、
そのあたりの経緯は、「誕生秘話」を読んでいただくとして……
先ほどの、「強くなりすぎた男」の原作者自身による解釈は「(勝てそうにない相手に)立ち向かう熱さに作者である僕も含めてみんなが夢中になるんじゃないか、本当はサイタマ自身もそういう状況が大好きなのに、最強であるがゆえにその熱さを取り上げられてしまったんです」ということらしいのです。
どんな敵でもワンパンチ一発でやっつける主人公、しかし普段は風采のあがらないスーパーの特売日にキュウキュウとする凡夫、という、青春の一時期に中二病にかかった者ならば(そうでなくても)簡単に思いつける設定ながら、その難しさは、話を持続させるために、つまりワンパンマンの偉大さを示し続けるために、敵がどんどん強大になり続けなければならない、つまり敵の「インフレ化」が止まらないことにあります。
「リングにかけろ!」が、「魁!!男塾」が、連載の終盤で、熱烈なファンすら息苦しくさせてしまったのはソコなのですから。
しかし、上記インタビューで、その点を指摘され、ONE氏は「難しいという意識を持ったことはなく、人から指摘されて初めて、『この設定のまま長く進めていくのって難しいのか?』と気づいた」らしいのですから、わたしなどとは才能が違うのでしょう。
もう数十年前に、石森章太郎氏(当時)が(おそらく、サイボーグ009の取材でベトナムへ行かれ、単行本に、その時耳にした「サソリと蛙の歌」を挿入していた頃)、正義とは何か、立場が変われば正義も変わるのだ、的な、「メンドクサイ」問題提起をされて以来、その問題は、「ゼットマン」や「コンクリート・レボルティオ」果ては、形を変えて「進撃の巨人」へ受け継がれました。
もっと以前の存在だった、月光仮面は「正義の味方」(正義そのものではなく)として、最初からそれらの問題をクリアしていたのですが………
その点、アンパンマンやワンパンマンに、正義に対するブレはありません。
まあ、アンパンマンは、対象年齢が幼児だから当たり前だ、といわれると一言もありませんが、ワンパンマンも、サイタマにブレはないのです。
サイタマはブレませんが、他のヒーローがブレてしまう。
後に、まるで強くなれなかったサイタマのような拳闘家ガロウが現れると、彼はヒーロー狩りをしつつ、「怪人がどれほど努力しても、ヒーローに勝てないのは理不尽だ。だったらオレが最強の怪人になってヒーローをやっつける!」などと、メンドくさいことを言い出すのですね。
まるで、「人々はヒーローが守る、ではヒーローは誰が守るのだ?」という、まるでコンクリート・レボルティオ~超人幻想~のようなメンドくささです(え、全く違う?超人幻想についてはまた別項で)。
やがて、ガロウは、より強いヒーローたちと闘い傷つくうち、るろうに剣心(リメイクではない)の志々雄真(シシオマコト)のように、人間の限界を超えて容姿は悪魔に近づき……
当然のように、サイタマにやっつけられてしまいます。
そして、サイタマによって、ガロウは、「弱者を救うヒーローを目指しながら強くなりきれないが故に怪人になろうとしていた」と、身体のみならず気持ちすら真っ二つにされてしまうのです。
サイタマが、例のノホホンとした顔でブッタ斬ってしまうのですね。
ワンパンマンは、まったくブレません。
そして、それで良いのです。
人は正義にはなれない、せいぜい「正義の味方」程度になるのが関の山なのですから。
そして、ガロウの目指した、そして、おそらくサイタマの正義は「弱者を救うこと」。
ここで、哲学思考に目覚めたコドモなら、「弱者同士の争いだったらどうするの」などといいだすでしょう。いや、考えることを放棄して、YAHOO知恵袋で質問するかもしれない。
考えるまでもない。ヒーローは無視するのです。
ヒーローが関知するのは、「圧倒的力」を持つ怪人その他によって、一方的にいたぶられる弱者を救うことですから。
以前、格闘技漫画について誰かが言っていました。
かつて「グラップラー刃牙」で、作者の板垣恵介氏が、プロレスの英雄としてアントニオ猪木ではなく、ジャイアント馬場を選んだ時、「それが、彼(板垣恵介氏)の格闘技のスタンスなのだとわかった」と。
なるほど、と思いました。
つまり、何かの分野で、誰かを理想として挙げるなら、誰を選ぶかによって、その人の、その分野におけるスタンス、性癖、嗜好、ベクトルがわかってしまうということです。
ちびまるこちゃんの花輪君がハゲたような風采ですが、ワンパンマンがアンパンマンを(冗談めかしたスタイルの拝借だっとしても)ベースにしているというのが、ワンパンマンの本質のような気がしています。
アンパンマンも「弱い者の味方」というスタンスからブレないヒーローですから。
マントを羽織っているものの空は飛べず、バッタのようにハイジャンプをするのも初期のスーパーマンに似て愉快です。
あとは、サイタマが、いったいどのようにして、史上最強の肉体を手に入れたか、ですが、それは原作の中で示唆されていましたね。神らしき存在が。
サイボーグ009でもそうでしたが、強さインフレの行き着く先は神になってしいますから、やがては、無敵のサイタマも「神との闘い」で、一敗汚泥にまみれることになるのかもしれません。
先のオープニング・テーマの日本語歌詞のように。
その時が来るまで(来るかどうかはわかりませんが)、わたしはワンパンマンの熱心な読者でいることでしょう。
願わくば、かつてドラえもんの幻の最終回(タイムパラドックス版ではなく)で囁かれたような「トレーニング中の事故にあって昏睡状態にあるサイタマの脳内劇場」的なオチにはなりませんように。強すぎる主人公だけに、ソコまで心配してしまうのです。
p.s.
そうそう、アニメ版のエンディングテーマについても書いておかねばなりません。あの森口博子の「星より先に見つけてあげる」です。歌っている人もレトロ(褒めてるんです)なら、曲、アレンジも懐かしく大好きです。まるで、70年代後半~80年代前半に帰った気分になりますね。
でも 歌のうまい人だったんですね。わたしの中では「バラドル」の印象しかなかったもので。
p.p.s
それと、最後にもうひとつ。
作者の心のなかにある「本当のヒーロー」像は、無免ライダーなのだと思います。
彼は強くなれなかったサイタマ。でも気持ちの折れないヒーローである。
アニメーション制作者もそれはわかっているようで、opラストのキメシーンで、(顔は写らず立ちコギする後ろ姿のみですが)、ジェノスや音速のソニック!ら重要なキャラとともに描いているのはさすがです。
上で、強くなれなかったサイタマ、と書きましたが、強くなって「しまった」サイタマが、弱いままならどうであったのかを考えるのはあまり意味がないことなのかもしれません。
あるいは、ヒーローをあきらめて、サラリーマンになっているかもしれない。
だから、one氏は、弱いままヒーローであり続けるライダーを描きたかった。
ある意味、彼はサイタマの鏡像であるから。
最近、パワーのインフレ化が進んで、無免ライダーの登場は少なくなっているのが残念です。
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