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2016年1月28日 (木)

江戸ラブ ~百日紅~

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 百日紅 ~Miss Hokusai ~ 公式サイト
 以前、池波正太郎氏を指して、祖母が若き頃を生き、幼かった彼に話し聞かせてくれた「江戸の世相」のカプセル化を、狂おしいまでの情熱でもって行った作家と書きました。
 今回、紹介する「百日紅」もそういった作品のひとつです。
 作者の杉浦日向子は、NHKで放送された「コメディーお江戸でござる」の江戸風俗解説者として知られた漫画家で、死の数ヶ月前に、病を得て番組を降板する時すら、「念願だった豪華客船で世界一周旅行に行ってきます」と洒落っけを示した数寄者です。
 そういった作者の描く原作を「クレヨンしんちゃん モーレツ!大人帝国の逆襲」の原恵一監督が撮ったのが「百日紅」です。
 主人公は葛飾北斎の娘お栄(応為)です。
 百日紅は、東海道五十三次を描く十数年前、まだ五十過ぎの北斎と、その娘の二十三歳のお栄との破天荒な絵師の暮らしぶりを描く作品……ではなく、原監督の狙いは、彼らの目と生活を通じて「生きた」江戸の世界を描くことでした。
 夏から始まり、秋、冬、春、と江戸の四季を経験する。
 暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなり、気候のよいときは、思い切りのびをして。
 江戸の風物を織り込みながら、原監督は、北斎とその娘の生活を描いていきます。
 その合間に、体が弱く、生まれつき盲目の妹、お猶(なお)との交流があり、そして、そこにあることが当然であるかのように、自然に描かれる怪異現象。
 これは、原監督の考えではなく、もともとの作者の考えなのでしょう。
 江戸時代には、日常のすぐとなりに怪異現が共存していたのです。
 わたしもそう思います。
 物が燃え、星が光り、物体が上から下に落下するのは物理現象ですが、幽霊が、見え聞こえるのは認知現象ですから。
 皆が「それが存在する」という共通認識を持った世界なら、人々の間に「それ」は存在するのです。
 たとえば、誰かが部屋の隅を指さし、「ほら、あそこに何かいる」と叫ぶと、その場にいた人々には、なにか茫洋としたものが見えます。
 さらに「赤い着物を着て小さな子供よ」と言葉を継げば、ぼんやりとした固まりは、その言葉通りに、小さな子供の形をとるでしょう。
 いや、これは、昔は、人の感覚を誰かの言葉でミスリードできるということを言ってるのではありません。
 もちろん、意図的にそうすることは可能だったでしょうし、それを使って人心を掌握するものもいたでしょう。新興宗教のように。
 しかし、そういった意図はなくとも、皆の間に共通の「怪異認識」が根強くあれば、何かのきっかけで、それが発動し、用意に怪異現象が実在してしまうのです。
 つまり、現代とは違い(と信じたいですが)、江戸時代には、ごく自然に妖怪が存在した。
 ですから、江戸時代を描写するのに、安易に、現代の科学万能主義者を登場させてはいけないと思うのです。 主人公あるいは登場人物の「先進性」を示して、キャラクターを立てたいがゆえに、まるで現代人がタイムスリップしたような言動をとらせるのは、安易すぎると思うのです。
 その点、「百日紅」では、主人公を含めて、怪異現象は自明のものとして容認されています。
 それが、存在するものとして恐れず共存していくのです。
 「百日紅」は、江戸の風景、風物詩ともに、さまざまに現れる怪奇も楽しめる映画です。
 
 最後に、下の「予告編」でも言っていますが、
「どうってことない暮らしだけど、結構楽しくやってる……」
 昨日を振り返らず、明日を憂えず、今日ある些細なことを楽しむ。
 これこそが、政変、天変地異、流行病、不安だらけの近世を生きた江戸庶民の本音だったのでしょう。
 この作品は、人との死別も含めて、日々を楽しむ「最良の江戸」を示してくれるよい作品だと思います。




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