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2016年1月29日 (金)

やせ我慢は美徳それとも悪? ~母と暮らせば~

 わたしは、映画とは、日常と違うものを見聞きし、2時間ばかりの時間だけでも、辛き浮き世の憂さ晴らしをするためのものだと考えています。
 ですから、気分が暗くなるような、精神を病んだ人物ばかりが登場するような映画はなるべく避け、そういった小説も極力読まないようにしています。
 戦争映画は基本的に観ません。
 かつての景気の良い(一方的な見方による)勧善懲悪戦争映画なら娯楽作品として観ることもありますが、最近の、小難しく悲惨な戦争映画(一時流行ったベトナム戦争ものや、ユダヤ人迫害に関するもの)、とりわけ負け戦の映画はいけません。
 日本の戦後は敗戦で始まったのですから、当然、邦画の戦争映画は負け戦ばかりです。(1945年、日本は「敗戦」したのに、いまは「終戦」と表されることが多いですね。敗と終ではまるで意味合いが違うのですが)
 とまれ、負け戦を観て楽しい気分になどなるはずはありませんから、わたしは邦画の戦争映画はほとんど観ないのです。
 終戦がまだ昔話でない1950,60年代には、「兵隊やくざシリーズ」や「愚連隊西へ」などのパワーのある破天荒な戦争映画もありましたが、戦後が遠のく(という表現は、妙な気がします。いまも戦後なのだから)につれて、あの苦しさ辛さ忘れまじ、の気持ちが強くなりすぎたためか、1950年代より悲惨な戦中・戦後映画が多くなったような気がします。
 これは奇妙なことです。戦後すぐの頃は、実際に家族を亡くし戦闘に加わっていた人々が大勢いたはずなのに。
 戦争の現実を知っているからこそ、戦後の苦しさも含めて、それを吹き飛ばすパワーが必要であったのでしょうか。
 あるいは、そのころの高度経済成長期の高揚感と相まって、「景気の良い」戦争映画が作られたのかもしれません。
 ともかく、わたしは戦争がらみの邦画は好んでは観ないのです。
 近年は、戦後70年の節目前後ということで、邦画では戦中戦後映画が多くつくられていますが、それらも観るつもりはまったくありませんでした……が、
 今回、付き添いで、「母と暮らせば」を観にいくことになってしまいました。

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 事前の情報として知っていたのは、戦争で死んだ息子が亡霊(幽霊?)となって母の元に帰ってくる話、ということだけだったので、ハムレットよろしく青白い顔をした息子が母親と陰気な会話を交わすのか、いや、「男はつらいよ」の山田洋次監督だから、もっとコメディタッチに仕上げ、「異人たちとの夏」風にするのかも、とりあえず我慢して観るしかあるまい、と思いつつ、椅子に座りました。
 そして2時間後……
 泣きました。
 泣いてしまいました。
 しかし、その涙は戦争の悲惨さ(おもに長崎原爆投下の)によるものではありません。
 胸に重く響いたのは、ひとりの女性の「やせ我慢の生き様」でした。
 山田洋次監督の 「母と暮らせば」は、幽霊とその母との交流を描くスーパーナチュラルな話ではなく、ひとり残されて、辛くて苦しくて寂しい女性が、それでも人に頼らず「やせ我慢」して、醜く生きることを拒み、身を潔く処する映画でした。
 さらに誤解を恐れずいってしまうと、この映画は、戦争によって愛する者すべてを失った女性が、最後に残った「身内」、息子の婚約者を自分から解放し、自身をも孤独から解放するために、息子の幽霊を「作り出す」話なのです。
 わたしは、やせ我慢を描く話が大好きです。
 小松左京氏の作品で一番好きなのは「やせ我慢の系譜」だし、なにより「ハードボイルド」とは、やせ我慢の二つ名であるのですから。
 上で、母が息子の幽霊を作り出した、と書きました。
 この映画は、幽霊の息子と母との交流を描く話ではありますが、幽霊は実在しません。
 息子が蓄音機を聴くところや、ラストの描写(子供が幽霊に気づくところ)など、幽霊を肯定するような描写はありますが、「母と暮らせば」において、幽霊は母親の内部にのみ存在するのです。
 それは、死後三年を経て、息子生存の希望をなくし、自分を犠牲にして義母に尽くそうとする息子の許嫁を解放した女性が、「モウコレデヨイダロウ」と自分の生に区切りをつけるために、脳内に生み出した影なのでしょう。
 もうすこし踏み込んで書けば、主人公の母親はキリスト者であり、自殺することはできないため、死を自分のもとへ引き寄せる一助として息子の幽霊を生み出した、とみることもできます。
 さらに、後ろめたさを感じながら、つい弱さから手を出していた闇物資をあきらめるためにも、幻の息子の叱責が必要だったのでしょう。
 この映画は、現代日本では禁じられていることを、ふたつ破っています。
 「過度に我慢すること」と「自裁すること」
 今の時代、「我慢はしちゃだめだよ。自分をさらけ出しなさい」「決して自分で死を選んではいけない」は、定番フレーズです。
 しかし、夫を亡くし、長男を南方で亡くし、最後に残った次男を長崎の原爆投下で亡くし、唯一自分が頼れる許嫁を手放さなければならなかった女性。
 周囲の人々は優しくはあるけれど、皆、生きることに精一杯で、彼女にまで気を配ることはできないが故の孤独。
 それでも、彼女は泣き言をいわず、ひとり赤ん坊をとりあげ(彼女は産婆なのです)、部屋を片付け生活を続けます。
 しかし、日々絶望は深まっていきます。
 その身は潔く行きたいけれど、このまま生きれば、世間に泣き言を言い、生活に負けてしまうこともあるだろう。
 優しくしてくれる、生活力のある闇屋の男に身を任せることもあるかもしれない。
 放射能の影響か、体調も悪い。
 そんな彼女が自分の生に区切りをつけるため、あるいは体調不良による死の予感を感じたからこそ、人生の最後に笑顔を取り戻すために息子の幽霊を生み出した……
 それが「母と暮らせば」という映画ではないでしょうか。
 ラストの展開と演出は、少し宗教色が強すぎるとも思いましたが、わたしは、人が死ぬ間際に見る極楽浄土は、脳において最後まで機能する部分が見せる幻覚だと信じる者なので、ああいったこともあるだろうと納得できます。
 しかしながら……
 もし、手塚治虫の「ブラックジャック」のエピソードのように、彼女が、その身体に、同時に爆発にあった家族の手足を移植されていたなら、一人で暮らしながらも、手に話しかけ、足に話しかけ、内臓に話しかけながら、ひっそりと暮らしていけたかもしれないと思うと、つくづく人は孤独では生きていけないのだという思いを強くしました。
 基本的に、お茶の間で、母と息子の二人に昔話を語らせるものがたりなので、二人劇としての舞台化に向いていると思います。

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