アール・デコは悪趣味か? ~タマラ・ド・レンピッカ~
前回の「機械遺産」のデザインで、特にリコピーのデザインが素晴らしいと書きました。
しかし、掲載した写真が、イマイチその良さを伝えていないようなので、違う写真を再掲載します。
日本機械学会より
こういった、優美な曲線のデザインをみているうちに、頭にアール・デコという文字が浮かびました。
アール・デコとは、1925年のパリ万国装飾美術博覧会(アールデコ博)でブレイクしたデザインのことです。
建築では、ニューヨークのクライスラービルディングが有名ですね。
アール・デコは、一般には、キュビズムやバウハウス、日本を初めとする東洋の影響をうけて生まれたといわれています。
そして、その分野は、建築のみならず、ポスターなどの美術や花瓶などの工芸と、多岐にわたります。
わたしが、もっともアール・デコを身近に感じたのは、高校一年の時に訪れた、心斎橋パルコで行われていた「タマラ・ド・レンピッカ展」においてでした。
その時に買った巨大なポスターは、当時シマノの自転車レーサーであったジョン・ニコルソンのポスターと共に、長らく私の部屋の壁を占領していました。
特に、彼女を美しいと思って、いわゆるアイドル的に飾っていたわけではありません。
「ただ、なんとなく」気にいっていたのです。
日本人の美的センスにどっぷりつかっているわたしには、ロシア系の特徴が顕著すぎる女性を美しいとは思えなかった――
しかし、今だったら、なぜ若き日の、彼女の自画像を好きだったかわかります。
おそらく、彼女の「退廃的でアンニュイな光をたたえた眼」に惹かれていたのです。
さらに、柔らかくあるべきマフラーが、まるで分厚い岩石めいた質感をもって、首にまきついているのも、そして、パースやプロポーションが微妙に歪んでいるのも魅力的に思えたのでしょう。
つまり、「それ」がアール・デコの絵画だったというわけです。
やがて、熱狂的な流行が去り、アール・デコが「終わってしまった悪趣味な装飾と」とらえられるようになると、タマラもその輝きを失い、かつて、あれほど「時代に自分自身を追いかけさせた」彼女が、自分を追い越してしまった時代を「追いかけようとして」追いつけず、変節を繰り返し、精神病を発症してしまいます。
以前に、美輪明宏氏がタマラを指して「変節したから駄目になった」という発言をしていましたが、そうせざるをえない事情が彼女にあったことを考えても、その通りだと思ってしまうのです。
若い頃に、時代の波に乗って世に出てしまった者は、得てして「時代の波に力があった」ことを忘れ、自分の力が時代を作ったと思いこみ、失敗をしてしまいます。
アール・デコは、世界恐慌の始まる直前の、急速に熟れてしまった文化に咲いた徒花(あだばな)であったかも知れませんが、その、スマートでない「クドさ」も含めて、今も、わたしの気持ちを惹きつけ続ける芸術様式であるのです(下の、娘を描いたといわれているポスターも素晴らしいですね)↓。
手袋をした娘 1929年(緑の服の女)
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