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2012年7月29日 (日)

豊かさのなかの自殺 ~衣食足りて自殺を考える~

 新聞の書評欄で、養老孟司氏が、C.エスタブレ著の「豊かさのなかの自殺」について書いていました。

 今日は、そのことについて、本の紹介を兼ねて書くことにします。
 
 ひとり、ふたりといった個人の自殺ではなく、数千人単位の数量的な自殺を考えるとき、大まかにわけて、二種類のアプローチがあります。

 ひとつは、精神医学や心理学に基づくもの、もうひとつは社会学に基づくものです。

 「豊かさのなかの自殺」は社会学アプローチの典型で、その先達(せんだつ)であるフランスのエミール・デュルケーム(19世紀)の「自殺論」の延長線上で、自殺の「社会学的」意味を探っています。

 「自殺論」で、デュルケームは、経済的な豊かさが進むと自殺が増加することを統計的に示しました。
 現在でも、横軸にGDP(国内総生産)をとり、縦軸に自殺率をとると、右肩上がりの回帰曲線(正確に点を繋ぐのではなく、だいたいのところを通した線)が描かれます。

 日本はその右端近くに位置し、日本より右にあるのは、一人当たりのGDPが高いスイスだけだといいます。

 なるほど、どうやら「豊かさは自殺を生み出す」らしい、ならば逆を考えて、「貧困は自殺を防ぐ」かというと、実はそんなことはないのです。

 なぜならば、経済的に豊かな(GDPの高い)国で自殺率が最高になるのは、豊かな中心部や都市部ではなくて「もっとも貧困な都市周辺部」であるからです。

 ははぁ、やはり豊かな国の「貧富の格差」感が自殺をもたらしたのだろう、そう思ってデータを見ると、これもあっさりと否定されてしまいます。

 現代の豊かな社会では、むしろ社会内部の貧富の格差は圧縮されて小さくなってしまうからです。

 さらに反例をひとつあげれば、世界的に貧困な(GDPの低い)国では、上記のとおり「自殺率は低い」ものの、「貧富の格差はきわめて大きい」という事実があります。


 デュルケームの生きた19世紀ヨーロッパでは、確かに「豊かさの増大」と「自殺率の増加」には相関関係がありました。

 しかし、20世紀に入った頃から、事情が変わってくるのです。自殺率が横ばいになってしまう。
 都市部の自殺率が下がってしまうのです。

 19世紀において、自殺は大都市特有の現象であり、田舎はそれほどでもなかった。それが逆転してしまう。


 二十世紀になって特徴的なのは、二度の大きな世界大戦を経験したことです。

 おもしろい(不謹慎を承知でいいますが)ことに、戦争は例外なく自殺率を低下させます。

 さらに、出生率が高いと自殺率は下がり、高齢化するほど自殺率は高くなる。


 エスタブレは、高齢化と自殺の例として、1950年と1995年の日本をとりあげています。

 1950年は、若者の自殺が多く、60代以降の自殺は強い右肩上がりとりますが、1995年には軽い右肩上がりだけになります。つまり、年をとったからといって、死ぬ数が増えなくなったのです。

 さらに、95年と2000年を比較すると、男性の自殺率が、ほぼすべての年齢層で高くなり続けています。

 各国別に見ると、旧ソヴィエト圏諸国は、GDPは低いながらも自殺率が異常に高い。
 国別にグラフを描くと、明らかに旧ソビエト圏は、自殺過多ブロックをつくっているのです。

 また、女性より男性の方が、自殺率が高いのが一般的ですが、中国だけは男女の自殺率がほぼ同じです。これは、恐ろしいことに、中国人女性の抗議自殺が多いためらしい。

 はじめに書いたように、自殺という現象を捉えるときに、社会学的な見地と精神医学的な見地の二つの方法があります。

 医学的見地、エスタブレたちのいう「身体パラダイム」からではなく、社会学的見地から見ると、日本は、特に自殺の多い国ではないのだ、ということがわかります。

 むしろ、自殺という点では、国際的にフツーな国であるといえるのです。

 端的にいえば、これくらGDPが高ければ、このくらいの自殺者はでるのだ、ということになるのですね。

 いや、まったく、学者の脳っていうのはたいしたものです。
 個人や家族、友人にとって、ある人の自殺が大事件であっても、彼らにとっては解析すべき対象でしかない、というか、そう捉えていないと研究はできないのでしょう。


 自殺には、まず、健康状態などの一次要因である「個人的要因」があり、つぎに「環境要因」のような二次的な原因がきます。

 だから、年齢や「自殺は月曜日に多い」といった時期の問題は「三次的な要因」だと著者たちは指摘するのです。



 ここ数週間、いじめの問題がクローズアップされていますね。

 「いじめられたから自殺するとは限らない」という主張は、上の一次要因をさしていますが、」マスコミなどで取り上げられるのは、二次的要因である「いじめる側」=環境要因に集中しているようにみえます。

 自殺は複雑な問題であり、上のような「身体的パラダイム」からだけではなく、社会学的見地を通して見ることも必要であるため、ぜひ多くの人に、この「豊かさの中の自殺」を読んでもらいたい、と訳者の山下雅之氏があとがきの中で述べています。

 それについては、養老氏は、「そのためにはもう少し平易でわかりやすい訳にすべきだ」と苦言を呈していますが、それよりも、藤原書店からの販売価格3465円というのがネックになるのではないかと個人的には思っています。

 いまのところ問題だらけの楽天kobo(電子書籍リーダー)あたりで、廉価(れんか)に読むことができるようになればよいのですが………

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