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2012年7月

2012年7月31日 (火)

判定することのむつかしさ~オリンピック審判~

プロ野球を見ていて、ジャッジのヘボさが嫌になることがあります。

贔屓のチームが不利になるときは、なおさら腹が立ちますが、有利にミスジャッジされても、試合本来の興奮がさまされて興がそがれるのです。

人によっては、不完全な人によるジャッジの偏り、たとえば、外側に広いストライクゾーンや、妙に甘いタッチ判定がなどがあるからこそ、ヒューマンライク(人間臭い)なスポーツとしての味がある。
不完全なジャッジに全権を与えて、その偏りを計算にいれて戦うのがプロだ、という人もいますが、それは間違いです。

なぜなら、選手がプロなら、ジャッジもそれで飯をくっているプロだからです。

プロならば、その仕事に完璧を期さなければならない。
ストライクゾーンに個人差などあってはならないのです。
もし、個人差を発見すれば、血を吐くような研修をして誤差をなくすのがプロです。

その意味で、今のプロ野球の審判は、プロ意識のないド素人集団といってよい。

かつて、北野武がそのエッセイで、
「ガキの頃の野球だって、一番野球の下手なヤツが審判をやらされたもんだ。だから、選手になれなかったヤツがなる審判なんか、野球選手はみなバカにしている」
と、書いていて、一面、真実があると思いました。

よくご覧になってください。審判の体格を。
大男の多い野球選手より、ひとまわり大きい人ばかりですから。

おそらく、彼らのほとんどは、かつてリトルリーグ、中学校、高校で野球をやっていたのでしょう。
  うがってみれば、彼らの存在こそが、体格をだけでは一流の野球選手になはれないという、ある意味証明なのかも知れません。

なれば、彼らの誇りと、存在こそが意義は、なんなのか。何を持って、「選手になれた」者たちから、尊敬し、信頼されるようになるのか?

「俺たちが審判なんだから、白でも黒といえば黒なのだ」という態度では、信頼も尊敬もされるわけがありません。かえってバカにされるだけです。

信頼されるためには、ゲーム上の「真実」を知るために、自らを研修で高めること以外にも、あらゆる方法をとる、という態度を示すことです。

厳しい訓練で、自分のジャッジには自信を持つ。
しかし、いったん、選手にも、自分にも疑いが生じたら、すぐに、他の方法、ビデオやレーザー光によるストライクゾーンや判定を参照する、そういう態度が必要なのではないでしょうか?

野球関係者の中には、そんなことをすれば、審判の権威が下がる、という、無謬(むびゅう)性にこだわる愚か者もいるようですが、そんなことをいう者がいるから、裁判でも冤罪(えんざい)が尽きないのです。

人は間違えるもの、それが大前提です。

権威は、ルールによって与えられるものではなく、自分たち行動で勝ち取るものです。

まあ、近年になって、高解像度の画像が、多くの角度から録画されるようになったのは、審判にとっては不幸なことだと思います。もう、ごまかせなくなったからです。

技術は進歩した、ならば、審判も進化すべきなのに、彼らは、いまだに過去の権威にしがみつこうとしている………愚かなことです。

翻って、今回のオリンピックです。

そもそも、なぜ、こんなことを、名古屋に向かう特急の中で、左右に揺られつつ、iphoneとbluetoothキーボードを使ってチマチマ書いているかというと、今回のオリンピック、体操や柔道で、妙なジャッジメントが多発しているからです。

特に柔道がひどい。

主審と副審ふたりに、ことあるたびに、Juryが難クセ?をつけているように見える。
もちろん、審判のジャッジが妙だからですが、実のところ、いままで旗判定が正しかったことなど、あまりないので、突然、ジュリーがモノもうし出したこと自体が、審判団にとって晴天の霹靂なのでは、と少し気の毒になります。

えーなんで、今まで楽しく好き勝手にやってたのに………個人的に嫌いな日本人には絶対旗をあげなかったし、今まではそれで通ってたのに、なぜ突然ワシに恥かかせるの?

そんなことじゃ、審判の権威が下がってしまうし、好きにできないと、ワシら萎縮してヤル気を失う東電社員やで、勘弁してよ、ジュ~リ~!(by 樹木希林)

まあ、自業自得ではありますが、問題は、審判団の技術向上を徹底しないままに、やり方を突然変えたことです。

審判団はどうでもよいですが、それでは選手に迷惑がかかってしまう。

「アリーナに空きが目立つ」といわれている今回のオリンピックですが、サマランチ会長以来の伝統、銭儲け主義に走るだけでなく、この世界的に有名な国際大会を、スポーツ界全体の審判団の技術向上のきっかけにしてほしいと思います。

どのビデオ画像やレーザー光などの新しい機械を、これまでの人判定にどう組み合わせていくかを含めて。

あー、津を越えたら車内が揺れすぎてうまく打てません。文字が間違っていたら、またあとで修正します。

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2012年7月30日 (月)

一杯の珈琲から……

 一杯の コーヒーから
 夢の花咲く こともある
 街のテラスの 夕暮れに
 二人の胸の ともしびが
 ちらりほらりと つきました

 ご存じのように、昭和14年に発売された、作詞:藤浦洸、作曲:服部良一の「歌謡曲」、一杯のコーヒーから、です。

 作詞の藤浦氏は、酒が飲めない珈琲党、かたや作曲の服部氏は大のビール党であったため、当初、この歌のタイトルは、「一杯のビールから」であったものを、藤浦氏が「一杯のコーヒーから」に変えてしまった、というのは知る人ぞ知るエピソードです。

 昭和14年(1939年)といえば、日本軍がノモンハンを攻撃し、ナチスがポーランドに進行して「第二次世界大戦」が始まった年ですが、一般の市民生活には、まだ戦時色は濃くありません。

 歌詞に「テラス」などが使われていることからわかるように、まだ言論統制も行われていないのです。

 いや、今日書きたいのは、そういった歴史的な話ではありません。それは、また終戦記念日が近づいたころに譲るとして、本日の話は、上の歌詞が21世紀の現代では、

「一杯の珈琲が 生命を伸ばすこともある」

になる、という話です。

 健康に対する珈琲の有用性は、かなり前から知られるようになっていますし、このブログでも、何度かお話したことがあると思いますが、近年、さらにその効能が明らかになってきました。

 一般に、ガンは細胞内遺伝子の劣化、あるいはコピーミスで異常細胞が増殖してしまう病気です。

 その予防には、緑茶がよいとされています。

 たとえば、女性の胃ガンや進行前立ガンのリスク軽減、特に女性にとっては、カテキンの血中濃度が高ければ高いほど、胃ガンを予防する効果が高いとされます。

 しかし、緑茶の効能は限定的です。

 その点、珈琲は、肝臓ガン、膵臓ガン、大腸ガン、子宮体ガンなど、緑茶の効かないガンを予防する可能性があります。

 男性の場合、珈琲を1日3杯以上飲む人は、脾臓ガンにかかるリスクが4割下がるというデータがあるのです。

 肝臓ガンにいたっては、もっと顕著な効果が報告されていて、珈琲をほぼ毎日飲む人は、男女とも肝臓ガンのリスクが半減します。

 一日の摂取量が増えるほど発生率が低下し、1日5杯以上飲む人の肝臓ガン発生率は、4分の1まで低下するのです。

 近年、多くのガンが、遺伝子異常やストレスによるものではなく、ウイルスの作用によって発生することが分かってきました。

 ご存じのように、肝臓ガンの9割以上は、B型あるいはC型のウイルス性肝炎が原因で発症します。

 珈琲は炎症を和らげる作用があるため、肝炎の進行が抑えられ、結果、肝臓ガンを予防しているのではないかと考えられています。

 かつては、ウイルス性肝炎患者の多くが珈琲を飲まないため、結果的に珈琲を飲む人に肝臓ガンが少ないのではないかと思われていましたが、研究の結果、いまでは、珈琲の有用性は定説になっています。


 また、珈琲は、先に述べたように、脾臓ガンや子宮体ガン、大腸ガンなどの、糖尿病、肥満、「運動不足が原因」となるガンを予防する効果も分かってきています。

 珈琲は、「実際の運動のように糖の消費を促す」効果があり、量を飲むことで、血糖値を下げる作用のある「インシュリン」(かつてはドイツ語読みのイン「シュ」リンであったのが、いつのまにやら、アメリカ主導のイン「ス」リンに変わっているのは気味が悪いですね)を、大量分泌する必要がなくなるのです。

 インシュリンは、上記タイプのガンを増殖させることが知られているので、珈琲の摂取は、ガン予防にも糖尿病予防にも有効であると思われます。


 もちろん、珈琲にもリスクがあります。

 飲み過ぎると、不眠症や胃潰瘍、膀胱ガンのリスクを増やす可能性があるのです――が、

 わたしは、珈琲を1日30杯以上飲む生活を40年近く続けていますが、一向にその気配はないですね。



 もちろん、スターバックスなどの「北米っぽい雰囲気系珈琲好き」な女性が、店内で意味不明に書類やベンキョードーグを広げて、「スタバで仕事してるっぽい自分がスキ」とばかりに自己陶酔しつつ、砂糖まみれ&ミルクまみれのジュース珈琲を毎日大量に飲んでいると、糖分と同時に脂肪分を過剰摂取してガンのリスクは高くなるでしょう。パイと見まがう「巨大なスコーン」を同時に食べれば肥満もする。


 え、悪意を感じました?

 そんなつもりはないのですが……


 しかし、ああいった「雰囲気カフェ」が流行ることで、本当に美味い珈琲を飲ませる喫茶店が減っていくのを見続けること十年あまり――

 忸怩(じくじ)たる思いを消すことができないのですね。

 願わくば、あの店と、あの店とあの店だけは、つぶれないでくれよ――と。



 「健康のために飲む」珈琲の飲み方の基本は、何も入れないことです(いれるとしても、胃への刺激をへらすための低脂肪ミルク程度で)。


 やはり、

   1.嗅ぎ
   2.嘗め
   3.シュガー

が本則ですね(わたしは砂糖をいれませんが)。

 もちろん、酸化した珈琲など毒物と同じですから、できれば自家焙煎して飲みたいものです。

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2012年7月29日 (日)

豊かさのなかの自殺 ~衣食足りて自殺を考える~

 新聞の書評欄で、養老孟司氏が、C.エスタブレ著の「豊かさのなかの自殺」について書いていました。

 今日は、そのことについて、本の紹介を兼ねて書くことにします。
 
 ひとり、ふたりといった個人の自殺ではなく、数千人単位の数量的な自殺を考えるとき、大まかにわけて、二種類のアプローチがあります。

 ひとつは、精神医学や心理学に基づくもの、もうひとつは社会学に基づくものです。

 「豊かさのなかの自殺」は社会学アプローチの典型で、その先達(せんだつ)であるフランスのエミール・デュルケーム(19世紀)の「自殺論」の延長線上で、自殺の「社会学的」意味を探っています。

 「自殺論」で、デュルケームは、経済的な豊かさが進むと自殺が増加することを統計的に示しました。
 現在でも、横軸にGDP(国内総生産)をとり、縦軸に自殺率をとると、右肩上がりの回帰曲線(正確に点を繋ぐのではなく、だいたいのところを通した線)が描かれます。

 日本はその右端近くに位置し、日本より右にあるのは、一人当たりのGDPが高いスイスだけだといいます。

 なるほど、どうやら「豊かさは自殺を生み出す」らしい、ならば逆を考えて、「貧困は自殺を防ぐ」かというと、実はそんなことはないのです。

 なぜならば、経済的に豊かな(GDPの高い)国で自殺率が最高になるのは、豊かな中心部や都市部ではなくて「もっとも貧困な都市周辺部」であるからです。

 ははぁ、やはり豊かな国の「貧富の格差」感が自殺をもたらしたのだろう、そう思ってデータを見ると、これもあっさりと否定されてしまいます。

 現代の豊かな社会では、むしろ社会内部の貧富の格差は圧縮されて小さくなってしまうからです。

 さらに反例をひとつあげれば、世界的に貧困な(GDPの低い)国では、上記のとおり「自殺率は低い」ものの、「貧富の格差はきわめて大きい」という事実があります。


 デュルケームの生きた19世紀ヨーロッパでは、確かに「豊かさの増大」と「自殺率の増加」には相関関係がありました。

 しかし、20世紀に入った頃から、事情が変わってくるのです。自殺率が横ばいになってしまう。
 都市部の自殺率が下がってしまうのです。

 19世紀において、自殺は大都市特有の現象であり、田舎はそれほどでもなかった。それが逆転してしまう。


 二十世紀になって特徴的なのは、二度の大きな世界大戦を経験したことです。

 おもしろい(不謹慎を承知でいいますが)ことに、戦争は例外なく自殺率を低下させます。

 さらに、出生率が高いと自殺率は下がり、高齢化するほど自殺率は高くなる。


 エスタブレは、高齢化と自殺の例として、1950年と1995年の日本をとりあげています。

 1950年は、若者の自殺が多く、60代以降の自殺は強い右肩上がりとりますが、1995年には軽い右肩上がりだけになります。つまり、年をとったからといって、死ぬ数が増えなくなったのです。

 さらに、95年と2000年を比較すると、男性の自殺率が、ほぼすべての年齢層で高くなり続けています。

 各国別に見ると、旧ソヴィエト圏諸国は、GDPは低いながらも自殺率が異常に高い。
 国別にグラフを描くと、明らかに旧ソビエト圏は、自殺過多ブロックをつくっているのです。

 また、女性より男性の方が、自殺率が高いのが一般的ですが、中国だけは男女の自殺率がほぼ同じです。これは、恐ろしいことに、中国人女性の抗議自殺が多いためらしい。

 はじめに書いたように、自殺という現象を捉えるときに、社会学的な見地と精神医学的な見地の二つの方法があります。

 医学的見地、エスタブレたちのいう「身体パラダイム」からではなく、社会学的見地から見ると、日本は、特に自殺の多い国ではないのだ、ということがわかります。

 むしろ、自殺という点では、国際的にフツーな国であるといえるのです。

 端的にいえば、これくらGDPが高ければ、このくらいの自殺者はでるのだ、ということになるのですね。

 いや、まったく、学者の脳っていうのはたいしたものです。
 個人や家族、友人にとって、ある人の自殺が大事件であっても、彼らにとっては解析すべき対象でしかない、というか、そう捉えていないと研究はできないのでしょう。


 自殺には、まず、健康状態などの一次要因である「個人的要因」があり、つぎに「環境要因」のような二次的な原因がきます。

 だから、年齢や「自殺は月曜日に多い」といった時期の問題は「三次的な要因」だと著者たちは指摘するのです。



 ここ数週間、いじめの問題がクローズアップされていますね。

 「いじめられたから自殺するとは限らない」という主張は、上の一次要因をさしていますが、」マスコミなどで取り上げられるのは、二次的要因である「いじめる側」=環境要因に集中しているようにみえます。

 自殺は複雑な問題であり、上のような「身体的パラダイム」からだけではなく、社会学的見地を通して見ることも必要であるため、ぜひ多くの人に、この「豊かさの中の自殺」を読んでもらいたい、と訳者の山下雅之氏があとがきの中で述べています。

 それについては、養老氏は、「そのためにはもう少し平易でわかりやすい訳にすべきだ」と苦言を呈していますが、それよりも、藤原書店からの販売価格3465円というのがネックになるのではないかと個人的には思っています。

 いまのところ問題だらけの楽天kobo(電子書籍リーダー)あたりで、廉価(れんか)に読むことができるようになればよいのですが………

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2012年7月28日 (土)

空耳 「ソラミミ」ではなく「カラミミ」

 音楽、特に洋楽などを聞いていると、本来英語なのに、まるで日本語の歌詞のように聞こえることがありますね。

 つまり、本来の意味と違う単語に聞こえる。

 ご存じのかたも多いでしょうが、これを「空耳」、ソラミミと呼びます。



 しかし、わたしが今日、書こうとしているのは、「ソラミミ」ではなく「カラミミ」です。

 漢字は同じですが、読みが違う。

 その意味は――

 なんだか、歌手は、元気に一所懸命(「一生懸命」はわたしにはできません。一所=ココだけ頑張るコトは可能でも、一生なんて長いスパンは、とても頑張れない)、陶酔して歌っているけれど、何をいっているのか歌詞がワカラナイ。

 英語でも日本語でも、今まで分かっていた歌詞が、その部分だけ突然宇宙語のように理解不能になるのですね。

 どんなものかと言いますと

 伊丹十三が伊丹一三と名乗っていた時に書いた「ヨーロッパ退屈日記」の中に、「湯煙の立つや夏原……」というエッセイがあります。


 その中で、彼は、海外の放送局(リュクセンブルグ放送局)で、何気なく歌番組を聞いていたら、「ルイジアナ・ママ」がかかった、それを聞いて、ハタと膝を打つのです。

 積年の疑問が氷解したと。

 かつて、ロカビリーが流行った時に、多くの曲に、日本語歌詞がつけられ、和製ロカビリー歌手によって歌われました(さすがに、わたしもリアルタイムで、その時代は知りませんが)。

 ルイジアナ・ママは、こんな感じです。

 伊丹氏が、歌詞カードではなく、耳で聞き取るままに、こう記述しています。

 (前略)
 ビックリギョーテン ウチョーテン
 コロリトイカレタヨ
 マールイジアナママ
 ロニオリ

 英語らしく聞こえるようにと、苦肉の発音がわかるような歌い方ですが……

 問題は、最後のロニオリです。

 かつて、伊丹氏と友人達は、この「ロニオリ」について、大論争をしたそうです。

 オリオリ、というやつがいた、ロリオリ、フォリオリ、というやつもいた。
 いや、あれはノリオリだ、といってきかないやつもいる。

 その謎を、この日本を遠く離れた地で、彼は解いたのですね。

 フロム・ニュー・オールリンズであったと。

 まあ、これは「カラミミ」としてのレベルは低い方です。

 なんせ、外国語の歌詞を無理矢理日本語と混ぜて作詞したものですから。

 もう少し、レベルを上げてみましょう。

 作家の沢木耕太郎氏が、そのエッセイの中で、子供の頃、童謡、唱歌の浦島太郎に、わからない歌詞があったと語っています。

 浦島太郎といえば、こんなのですね。

 むかしむかし浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ

 乙姫様のごちそうに
鯛やひらめの舞踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち

 遊びにあきて気がついて
おいとまごいも そこそこに
帰る途中の楽しみは
みやげにもらった玉手箱

 カエッテミレバ コワイカニ


 この、最後の行ですね。

 帰ってみれば、怖いカニ

 巨大なカニが、グラサンかけて(イメージ図)、カツアゲでもしてきたのでしょうか?

「おう、兄ちゃん、エエ箱持ってるやんか、ちょっとこっちにちょうだい」

てな具合に。

 もちろん、そんな意味ではなく、

実際は、

 帰って見れば こはいかに
元居た家も村も無く
みちに行きあう人々は
顔も知らない者ばかり

 心細さに蓋取れば
あけて悔しき玉手箱
中からぱっと白けむり
たちまち太郎はおじいさん

 となって、よく我々の知る「浦島太郎」のお話になるのです。

 漢字仮名交じりでかけば、一目瞭然(ですよね)

 帰ってみたら、こは如何に?(これはどうしたことか?)

 でした。

 で、わたしも、昨日、あらたに、カラミミを見つけたのです。

 テレビだったか、ラジオだったかで、何気なく曲を聴いていて、伊丹氏のように、突然分かったのです。

 天啓!と呼べるほどにイキナリ。

 それは、フランク永井氏の「公園の手品師」

 昭和三十年の曲だそうですから、もちろん、リアルタイムでは知りません。

   でも、なんとなく、曲自体は聞いたことがありました。

 しかし、いつも、さびの部分が、どうしても分からなかったのです。

 今ならネットで調べれば、すぐ分かるのでしょうが、絶対に調べてやる、と思うほどでもなかったためか、今まで放置していたのですね。

 

 問題の部分は、サビです。

 「銀杏(いちょう)は手品師 オーイータァフィエロゥ」

 フランク氏の低音ボイスと相まって、なんとなく洒落てて、ラテン語ではないかと思っていたのですね。

 なんというか、外国の手品師が話す、異国のかけ声だと……

 それが、何のことはない、純粋な日本語!

 まさに、カラミミ恐るべし、です。


 みなさんも、何かご存じであれば、カラミミをお教えください。

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2012年7月27日 (金)

星なき夜空 (ラジオドラマ原作:PDF)

 数日前、ラジオドラマの原作を書きあげて、前回分のものをアップするのを忘れていたことに気づきました。

 最新のものは、大正時代の怪奇物ですが、今回は、江戸時代の女牢の話です。

 いわゆる小伝馬町「牢屋敷」の話ですね。

 江戸時代の牢屋については興味があって、以前から調べていたので、今回は、その話も少しいれてみました。

 短い話ですので、お読み下さい。

PDFダウンロード(174k)

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2012年7月26日 (木)

開く窓:運動で免疫が下がる? ~免疫を上げるために~

 今日の新聞を読んでいて、「激しい運動のあとでは、免疫が低下する」との記事があったので、備忘をかねて、ここに書いておきます。


 激しく運動をしたら、あとで風邪をひいてしまった、という経験をする人は多いそうです。

 つまり、激しい運動の後では、感染症にかかりやすくなる→免疫が低下している、ということです。

 実際に、スポーツと免疫の研究をしている早稲田大学の鈴木克彦氏は、「激しい運動を続けると免疫力を低下させる」といわれます。

 たとえば、激しい運動の後に、血液中の物質を調べると、骨格筋などから分泌された「インターロイキン6」という、免疫に関係するタンバク質(生理活性物質)の増加が確認されます。

 最近の研究で、このインターロイキン6が、免疫を抑制する抗炎症性サイトカインを増やすことが分かってきたのです。

 極端な例ですが、42キロのフルマラソンの後で調べると、血中のインターロイキン6は、平常時の100倍になることがあるそうです。

 通常、わたしたちの身体は、体内にウイルスや細菌などの「病原菌体」が進入した場合、ナチュラルキラー細胞や好中球、マクロファージなどの、白血球の一種の「食細胞」が出動して病原体を撃退します。

 これが免疫システムなわけですが、激しい運動の後では、この働きが数時間から数日にわたって低下してしまうことがあるのです。

 この状態を、オープン・ウインドウといいます。
 感染症に対して「窓」を開けはなった状態、という意味ですね。

 スポーツ選手は、この状態に陥りやすいのです。

 一般に、激しく身体を使うスポーツマンは、健康的だというイメージがありますが、近年の研究によって、ハード・スポーツマンとは、過度に無理をして一般人より身体が弱っている人々、というイメージに変わってきているのですね。

 それほど、免疫系を含めた、ヒトの身体は、もろく脆弱なのです。

 よく、知られるように、100メートル走では、ほぼ選手は無酸素状態ですし、フルマラソンも、無酸素状態ではないものの、肉体的にはそれに近い状態になります。

 このような、「息が苦しくなるくらい」の運動は、1時間が限度だと先の鈴木氏はいいます。

 この限度を超えると、免疫力が低下する。

 トライアスロンのような激しい運動では、不整脈や心筋梗塞で、突然死する選手が出るほどです。

 それを避けるためには、よく言われるように、二人で歩きながら、笑顔ではなし続ける程度の運動を、1日60分程度続けることが大切です。

 これなら、逆に免疫を上げることができるのです。

 苦しまず、「楽しく」話をしながら歩くと、快感を生じさせるベータエンドルフィンが脳内に分泌されます。
 上記の癌細胞を攻撃するナチュラル・キラー細胞は、ベータエンドルフィンを引き寄せるレセプター(受容体)を持っているために、結果的にナチュラル・キラー細胞が活性化されることになります。


 また、スポーツを行うと、程度の差こそあれ、酸素消費量が増えるため、「あの」有害な活性酸素の発生も増えます。

 それを抑えるためには、巷間、噂される?ビタミン、ミネラル、ポリフェノールなどの抗酸化物質を含む緑黄色野菜を多く取る必要があります。

 また、免疫を高めるためには、R-1乳酸菌を採るのも有用です。
 R-1乳酸菌を採ると、インフルエンザの罹患する確率が減ったという実験結果もあります。

 これはつまり、免疫の苗床として重要な、腸内免疫を高める、ということです。

 骨が、ただ人のシルエットをつくるためのカルシウムの棒ではなく、内部で血液成分をつくる重要な器官であるように、腸は、ただ栄養や水分を吸収する器官ではありません。

 ガンになったら短く切って、あとは点滴で栄養補給すれば同じ、であるはずがないのです。

 腸が短くなるということは、極端に免疫が下がるということです。

 このほかにも、適度に睡眠をとり、不快な温度や湿度を極端に我慢しないことも重要です。

 節電の夏ですが、ニュースの呼びかけにもあるように、我慢しすぎず、暑さとうまく付き合うのも「免疫を落とさない」テクニックなのです。

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2012年7月24日 (火)

永遠不滅―の地獄 時間が金・映画「タイム」

 丹波哲郎氏の「大霊界」によると、人は死んだら『もっとも素晴らしい』20歳になって、霊界で永遠に生きるとのことでした。

 個人的には、男の二十歳はハナタレ過ぎるし(見た目がね)、女性の二十歳もコドモ過ぎて苦手なので、男は三十代半ば、女はそれ以上ぐらいが良いのですが……


 ああ、思いついたので、ここで書いておきます。

 丹波氏については、昔から「切腹」の名演などで好きな役者でしたが、wikiによると、

「大久保の名家の三男。系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿り着く。祖父は薬学者の丹波敬三。父は日本画家の丹波緑川、実弟の丹波明は音楽学者。元大審院院長の林頼三郎は親戚である」

 さらに、

「哲郎の妻は北一輝のいとこの娘にあたる[6]。また、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ島田事件で被告人の無罪を勝ち取った人物である」

などとまったく、ご大層な一族の出でありながら、本人は、

「車が交通違反で停められた際、彼が警察官に『Gメンの丹波だが』と言ったエピソードは有名」であり、

 とどめの、

「『人間革命』出演後、創価学会の大会に招待された際、創価学会の活動をさかんに顕揚する講演をした後で「南無阿弥陀仏」としめくくり、場内を騒然とさせた」

に、いたっては、なんといってよいやら……とにかく、改めて知ると本当に「大物」な方でしたね。


 映画「タイム」を観ました。

    公式サイト http://www.foxmovies.jp/time/information/about/about.html

1_2

 現代は「IN TIME」。

 近頃の英文法は、前置詞を感覚的にとらえて理解しようとする、わかりやすいものになって来ていて、若い人がうらやましいですね。

 inのイメージ、onのイメージ、toやfromもイメージで捉えれば、応用して使いやすくなる。
 ただ、多く覚えて使って、たくさんの事例から演繹的に「そういうものなんだ」と、思い至らねばならなかった我々旧世代の英語勉強はひどかった。

 いや、また脱線しました。

 IN TIME
 決めた時間の中、その縁ぎりぎり、というイメージから、「間に合って」という意味ですね。

 実際に映画を観ると、うまいタイトルだと感心します。

 ああ、これから後は、盛大にネタバレをしていますので、ご注意を。






 上のイメージにもあるように、この映画はSFで、すべての人類が「25歳で老化がとまる」近未来の話です(大霊界より5歳老けてます)。

 不老不死。

 テロや交通事故など、不慮の破壊的な事故に遭わないかぎり、死ぬことがない世界。

 もちろん、限られた資源しかない地球上では、出産制限をして、
「少ない人口で、今あるパイを皆で分け合わないといけない」
わけですが、この映画では、そんなことはせずに、子供は産み放題のようです。

 当然のように、未来世界でも貧富の差はあり、金持ちは、悠々と不死を楽しみ(とばかりいえないのがミソです。後述します)、貧乏人は、今日を生きるのが精一杯。

 この世界では、お金のかわりに、すべてのものが「時間」で売り買いされています。

 まさしく、Time is money.

 財布などなく、どういう仕掛けになっているのか、腕に緑色の光で「持ち時間(残り時間)」が表示されているのです。

 人々は、腕をつないで時間をやりとりし(機械を使うこともある)、バスに乗り、酒を飲み、食料を買う。
 
 普通の金と違うのは、もし残り時間が0秒になってしまったら、即刻死亡してしまう、という点です。

 金持ち地区に住む富裕層は、それを利用して人口調節をしているのです。

 人口が増えそうになると、金利(時利?)を引き上げて、貧乏人の持ち時間を0にして殺す。
 
 その結果、慢性的な「時間貧乏」によって、スラムの人間の「人生残り時間」は常にあと数時間。



 この「タイム」という映画、造り自体はチープなのですが、なんだかすごく良い感じで、全体の雰囲気は、名作「ガタカ」を彷彿(ほうふつ)させます。

 時間を金にする。まさに、ワン・アイデアの勝利の映画の典型です。

 映像も美しい。これも「ガタカ」に通じるものがあります。


 面白く、魅力的なシチュエーションです。

 主人公の50歳の母が28歳の息子と同じ若さを保っているのも面白い。

 最初観た時は、恋人かと思いましたよ。

 でも、話し方、愛情の示し方は、きっちりと(あたりまえですが)母親の口調、態度なんですね。

 彼女が非業の死を遂げ、「長く生き過ぎて人生に絶望した」富裕層の男から、100年という膨大な時間をもらった主人公は、金持ちの街に向かいます。

 物語の後半、その街で、超リッチな女の子と恋に落ちた主人公は、スラムの未来のために走り出します。

2_2

 そこからは、まるで、未来版「ボニー&クライド(俺たちに明日はない)」です。

 覆面をして、時間銀行・時間ローン屋に押し込んで時間を奪い人々にバラまく!

 いわゆる義賊ですね。

 この暴走した恋の結末がどうなるのか、富裕層に搾取される体制自体を変えることができるのか?

 時間があれば、ぜひご覧になってください。個人的には、最高!とはいえませんが、なんとなく好きになってしまった作品です。


p.s.
 少しでも多く時間を持っていることを、スラムで知られると、時間強盗されてしまうため、ヒロインは片手にだけアームカバーをしています。

 それと(監督のセンスなのか)ダークな色調のミニスカートと相まって、ヒロインのキュートなコケティッシュさが際だちます(って、わたしが個人的にミニスカートが好きなだけかも)。

 坊主アタマの主人公も良い。

 執拗に彼を追い回すスラム出身の「時間管理局員」(この道50年!もう年齢が無茶苦茶)も魅力的.


 同じ、絶望的な近未来を描きながら、前に紹介した「レポメン」とはまるで違います。こちらなら、BGMがわりにかけて作業をする気になりますから。

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2012年7月23日 (月)

最近、自分について発見したこと ~指笛が吹ける~

 宇宙兄弟で、主人公がJAXAの面接で、最後に質問されるのは、

 Did you  find something new about yourself,recently?

「最近、自分自身について、新しい発見がありましたか?」

というものでした。


 確かに、この年になっても、新しい発見というものは案外たくさんあるものです。


 善いこと悪いこと、多くの新しいことを、日々、自分自身の中に発見します。


 そういった発見、ここ1ヶ月で最大のものが、「わたしは、指笛が吹ける」というものでした。


 指笛、ご存じですよね?

Yubuibue


 両手の指を、二本ずつ口にくわえて「ピー」と鳴らすアレです。

 私の場合は、片手の親指と中指で輪を作って、口にくわえて鳴らすのですが。


 西部劇で馬を呼んだり、球場でヤジったり、応援したり、海外ではさまざまに使っていますね。

 子供の頃、アレをやりたくて、随分練習したのですが、なかなかうまく鳴りませんでした。

 口笛は吹けるし、トランペットもボーイスカウトで練習させられたので鳴らすことができる。

 横笛は、学研の付録で練習したので吹けるのですが、指笛は駄目でした。



 しかし、それから数十年、幾星霜……

 先日、ネットで、「指笛の鳴らし方」というのを読んで、試しにやってみると、部屋中に大音声で響き渡ったのです。

 鳴らしたわたし自身が驚くほどに。


 なぜ、こんなことになったのかはわかりません。

 子供の頃に練習した記憶の上に、様々な経験が脳に蓄積され、それが睡眠時に整理、分別されたあげく、数十年をかけて肉体にフィードバックされた――なんてはずはないし、なんか意味も不明ですね。

 まさか……舌が伸びた?


 ともかく、理由は不明ですが、数十年を経て、わたしは、自在に指笛を鳴らせるようになったのです。

 方法は簡単。

 上で書いたように、両手の指を二本ずつ口に差し入れ、舌の裏にあて、舌の先を上あごにあたるような感じで上に押し上げて、思い切り息を、肺から押し出すのです。

 片手がよいなら、親指と中指で輪を作って、上と同様に舌の裏にあて、押し上げて、舌を丸めつつ、舌先が上あごに当たるようにする。

 しかし、本当に不思議です。

 子供の頃、同じように練習して、うまくいかなかったのに――


 近頃は、これ以上長生きしても、馬齢(ばれい)を重ねるだけで、意味などないと思っていましたが、たまには嬉しい発見があるものです。


 そう、生きていると、たまに良いこともある。

 そして、そういった些細な歓びこそ、人が生きる原動力なのかも知れないと、OTLばかりの毎日ながら思うのですね。

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2012年7月22日 (日)

国によって、景色の基調となる色は違う―のか

 アメリカの夜、というのをご存じでしょうか
 いえ、1973年のフランソワーズ・トリュフォー監督、ジャクリーン・ビセット出演の映画のことではありません。
 多少の関係はありますが……
 映画「アメリカの夜」の冒頭でも使われていますが、わたしのいう『アメリカの夜』とは、映画の撮影手法の名です。
 カメラのレンズにフィルターをかけて、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のことですね。
 その方が、撮影コストも安く、役者の時間も確保しやすいからです。
 モノクロ時代に開発されて、米ハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、アメリカの~と呼ばれました(英語では "day for night")。
 おそらく、皆さんもご覧になったことがあるはずです。
 小林旭の渡り鳥シリーズよろしく、岩だらけの工事現場に、深夜に呼び出された主人公たち――ヒッチコック映画のサスペンス冒険モノなんかにあるシチュエーションです。
 画面全体は暗いものの、よく見ると、ヒロインたちの影が黒々と地面に映っていたりする……
 と、ここまで話を進めながら、ナンですが、今回の話は、映画がらみの話ではありません。
 外国に出かけて、比較的長い時間を過ごしたあとで帰国すると、まるで「アメリカの夜」ばりに、目の前にフィルターがかかったように、日本の景色(の色)が変わって見えることがあります。
 英国から帰ったときもそうでしたが、やはり一番強烈に違って見えたのは、暑期のインドから帰国したときでした。
 一番暑い時期を、敢えて選んで出かけたわたしが愚かだったのですが、インドはやはり暑かった。
 デリーもアグラもヴァラナシも、とにかく暑かった。
 なぜ暑いかというと、太陽の光が強烈だからです。
 なんというか、太陽の当たっている場所すべてが「白い」。
 強烈な陽光に照り映えて、白く光っているように見えるのですね。
 アグラの観光局の前でチケットを買い、インド人に混じってひとりバスに乗り、40キロほど離れた遺跡ファテープル・シークリに行った時も、夕方になって傾く太陽に照らされる荒野の中にぼつんと残された遺跡は、一向に、夕焼け色に染まらず、真っ白なまま、だんだん暗くなっていくのです。
 バスの中からよく見かけた、鎖でつながれた熊とともに道ばたに立つ男たち(大道芸人であったのか)すら、白く光って見えました。

 やがて――日本に帰ってくると、見慣れた景色が一変して見えました。
 日本全体が、黄色いフィルターがかかったように、優しい色彩に見えるのです。
 目にするものすべてが、厳しさすら感じる白い光ではなく、やさしい暖色に彩られて見えるのには、本当に驚きました。
 同じようなことは、アフリカに行った人の話で聞いたことがあります。
 エジプトも、暑い時期なら似たような感じらしい。
 このように、国によって、はっきりとその国を照らす「光の基調」に違いがある場合が多いように、わたしは思います。
 オーロラを観に北欧に行った友人の話によると、フィンランドあたりの光は、暑くない白っぽい光のようです。
 まあ、白夜の国ですしね。ツワイライトも長そうですから。
 コナン・ドイルのシャーロック・ホームズでも、異国感を出すためか、当時植民地であったインドの話がよく出てきます。
 「四つのしるし」(かつては「四人の署名」といわれていましたが、研究家たちの抗議によって、最近ではこう記されることが多い)では、アグラの秘宝をめぐる数十年前の争いに多くのページを割かれていますが、ドイルの文面からは、白く光る灼熱のインドの感じが良く出ていました。
 当時のインドは、英国人にとっては庭のようなもので、多くの英国人がインドを知っていたからでしょう。臨場感がある。
 このように、太陽の強烈な国から日本に帰ると、まるでブラッドベリの「10月はたそがれの国」のように、なんとなく黄昏れて見えるのですが、反対に、インドから日本に来ているインド人には日本の景色はどう映るのでしょう。
 わたしが、向こうから帰ってきた時に感じたように、良くいえば優しく、悪くいえば、暗い感じをうけるのでしょうか。
 あるいは、彼らがインドに帰った時に、向こうの白い景色をみてどう思うのでしょう。
 今度、近くのインド料理の店に行った時に聞いてみたいと思っています。
p.s.
 ああ、それと、国によっては、その国独特の匂いというのもありますね。
 飛行機のタラップを降りた途端、すぐ分かるような。

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2012年7月21日 (土)

電子レンジでモノが暖まる不思議

 皆さん、おそらく電子レンジをお持ちでしょう。

 わたしは、いくつかの理由で電子レンジを持っていないのですが、あれば便利な製品です。

 でも、不思議ですね。

 火もないのに、モノが熱くなるなんて。


 友人に、某電機メーカーで、電子レンジの開発(というか改良?)に携わっている者がいます。

 しばらく前に彼と話していて、電子レンジにまつわる面白い話、あるいは知っていると思っていたけれど、実は勘違いしていたこと、などを発見しました。

 というわけで、今回は、久しぶりに理系アタマで、「電子レンジで、モノが加熱できるわけ」を、頼まれてもいないのに説明してみます。

 最初に書いた説明が分かりにくそうなので、よりわかりやすい説明に変えてみました。その結果、少し正確さを欠く表現になったかもしれませんが……
 それもこれも、わたしの力不足のせいです。もうしわけありません。


「電子レンジで、モノが加熱できるわけ」

 ネットで検索しても、「ものの仕組み」の本を読んでも、たいていの説明は、

「レンジ内で発生するマイクロ波が、分子振動させるため、分子摩擦によって加熱される」

あるいは、

「マイクロ波には、水分子を激しく震わせる性質があり、水分を含む食品に当てると食品中の分子同士がぶつかって、摩擦熱を出して熱くなる」

 と書かれています。

 そして、マイクロ波が、水分子を振動させて熱を出している証明?として

「氷だけを入れたビーカーと、水を入れたビーカーを電子レンジにかけてみると、氷をつくる水の分子は振動しにくいことがわかる」

といいます。

 つまり、氷は、水が固まっているから振動できにくく、熱くならず溶けないというわけですね。


 短い文字数で簡潔に説明しようとすると、上のようになってしまうのは仕方がないですが、これは、かなり舌足らずです。

 普通に流し読むだけでは、ふうん、と納得してしまうのですが、ある程度知識のある人が読むと、上の説明では分からなくなってしまう可能性があります。


 というわけで、もう少し掘り下げて考えてみましょう。


 まず、水分子を考えてみます。

 ご存じのように、水分子は、水素原子Hが2個と、酸素原子0が1個からなっています。下図↓(ipad上、手書きで描いたものなので、乱筆ご容赦)

Photo

 ごらんの通り、Hは+に帯電しており、Oは-に帯電していますので、結果的に水分子は「ひとつの分子の中で、+がかった部分と-がかった部分、に分かれる」ことになります。

 このことは、専門用語を使うと、水分子は電気双極子(あるいは、電気双極子モーメント)を持つ、といいます。


 それなら話は簡単、水に電磁波(マイクロウェーブ)を、外から与えたら、時間的に変動する「電場」(一秒間に24億回+-が入れ替わる)と、電気的に+-の偏りのある水分子(電気双極子)が、直接に相互作用してマサツが発生し、発熱するのだ――と考えると、わからなくなることがあるのです。



 水などの、「電気的な偏りのある物質」に、周期的な電気変化(電気振動)を加えた場合を考えてみます。


 ああ、そうだ、その前に――

 電子レンジの加熱周波数は、日本においては2.45GHz(正確にいうと2.4-2.5GHzの帯域)です。

 コンピュータのwifiに詳しい方や、コードレス電話に興味のある方ならご存じのように、それらの無線機器も、電子レンジのマイクロウェーブと同じ2.45GHzです

 ですから、パソコンのwifiは、よく電子レンジによって妨害を受けてしまうと言われるのです。

 なぜ、電子レンジの周波数と家庭用無線通信の周波数が同じかというと、まあ、偶然ではあるのですが、それだけではありません。

 電波の周波数は、国の財産として、かなり厳密に割り当てが決まれています。
 ですから、違法な周波数で通信をしたりすると、かなり厳しく罰せられるのです。
 わたしも、三十年ほど前にアマ無線の資格を取るときに、どの周波数帯が何に割り当てられているかを覚えさせられたものです。

 この2.45GHz(正確には2.4-2.5GHz)という周波数帯は、ISM(Industrial Scientific Medical)バンドと呼び、産業科学医療用に割り当てられた周波数で色々な目的で利用されているのです。
参考サイト↓
http://www.akg.t.u-tokyo.ac.jp/~asami/s-cross/musenlan.html#anchor7...
http://www.hndtc.co.jp/p090/p090_207_rf.html
 


 それでは、分子の電気振動の話にもどります。

 水分子の分子内振動は、OH伸縮振動、逆対象伸縮振動、変角振動などがあります。

 しかし、いずれの振動数も赤外線の周波数に近く、マイクロ波よりは3~4桁ほど高いのです。

 つまり、理系がよくいうところの、「オーダー(桁)が違う」のですね。

 水素結合を介した分子間振動は、THz領域にありますが、それでもマイクロ波より2桁高い周波数です。

 ですから、電子レンジで使われている電磁波が、水分子の「分子内振動」や「分子間振動」に直接エネルギーを与えることはありません。

 「ちょうど適切な周波数」でないと影響を与えられない、ということです。

 周波数に関して言えば、「高ければ高いほど効果がある」ということはないのです。


 液体中では、水分子はお互いに「水素結合」しています。
 (水素結合http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E7%B5%90%E5%90%88

 水素結合は、「10のマイナス12乗秒程度の短い時間」で、つながったり切れたりしていますが、それぞれの水分子は、それなりにゆるく隣とつながっているので、そうそう自由に「回転し」たり「振動」したりはできません。

 ここでいう「回転」は、分子全体がクルリと回る運動で、「振動」は分子全体がある場所を中心にして行ったり来たりするような運動なので、「分子内振動」とは別のものです。

 この場合、分子はお互いに、押しくらまんじゅうをしながら、微妙に場所を移り変わる、というイメージです。
 
 さて、この分子に電場をかけてみます。

 まず、時間的に変化しない「静電場(Eと表記)」をかけると、水分子は、その電場Eを打ち消す方向に動きながらずれます。

 水分子は、片方がプラス、もう一方がマイナスの電荷を持っているので、本来なら、Eを打ち消すように正負の電荷が動けばよいのですが、液体であるために分子自体が動き回って、きれいに整列できません。

 結局、数多くの水分子が、動き回りながら、「Eを打ち消す方向を向く確率が増える」だけなのです。


 その結果、水の中に、電気分極(Pと表記します)があらわれます。

 電気分極Pは、「多数の水分子が共同」して生みだしているものですから、個々の水分子が揺らげば、大きさや方向が変わります。
 


 では、次に「時間的に変化する電場」をかけたらどうなるでしょう。

 電場の変化がゆっくりで、分子群の動きに比べて「ずっと遅」ければ、Pを作っている分子群の動きは、電場の変化に「完全についていく」ことができます。

 このとき、分極Pも「電場の変化に全く遅れずについて」いきます。

 このように、電場の変化に分極が遅れない場合、熱は発生しません。

 
 電場の変化が、分子達の動きに比べて「ずっと速」ければ、分子群は電場の動きに「全くついていくことができません」。

 この場合も、Pは「電場の変化によって変わらない」ので、熱は発生しません。

 

 ほどよい速度で電場が変動する場合(これがマイクロ波に相当します)のみ、電場の変動に「少し遅れ」て分子がついていくことができます。

 このとき、外部の電場Eに対して「Pが遅れる」ことになり、遅れた分だけ「エネルギーの散逸」が起きて、それが最終的には熱になるのです。


 「外から加えた力」に対して、「変化が遅れる」ということは、なにがしかの抵抗力が働いているも考えられます。

 「分子摩擦」というのは、このへんから出てきた考え方なのでしょう。



 マイクロ波の周期程度の時間では、個々の水分子の全体の運動は、「振動ではなく」て、並進運動と回転運動をしているだけで、どちらの運動も拡散的です。



 かたや分子群が作る「分極P」は、マイクロ波では、外部からの電場変化に対して「遅れてついて行きます」。←これが重要!


 要するに、マイクロ波の電場は振動しているので、Pは強制的に振動させられることになるのです。

 ここで注意しなければいけないことは、分極Pが振動しようとすることと、個々の水分子が振動しようとすることは、別物だということです。

 分子の「位置のずれ」や「方向の変化」によって、Pが生まれるので、Pが振動しても分子が振動しているとは限らないのです。

 マイクロ波の電場と相互作用する『直接の相手』は、『水分子が集団で作る分極P』であり、個々の水分子ではないのです。


 あるいは、Pとの相互作用を通して、(結果的に)個々の水分子が影響を受ける、と考えた方が理解しやすいかもしれません。



 これまで、一般になされた説明のように、「分子を揺さぶる」とか、「分子摩擦で熱が発生する」といった書き方をしてしまうと、分子が揺さぶられた時点で、温度が上がってしまうのでは?と考えたくなります。

 確かに、「分子の運動が激しくなった時点で温度が高くなる」と考えるのは正しい事です。

 しかし、さらに細かく時間的変化を追っていくと、与えられたエネルギーが散逸(外部に放出されていく)のにも、ある程度の時間がかかることがわかります。

 例えば、はじめに書いた(分子を直接振動させる周波数の)「赤外線」を使って、個々の水分子の「分子内振動」を与えた(励起した)場合を考えてみます。

 この場合、振動の量子準位が、まず瞬間的に上がります(上がったものの割合が増えるということです)が、そのときは、まだ「分子全体」の動きや回転運動に変化はありません。

 赤外線から、エネルギーを受け取った分子が、もとのエネルギーレベルに戻る時に放出するエネルギーによって、分子が回転したり、振動したりして、それが熱エネルギーとなるわけです。

 これが、赤外線によって、ひとつひとつの分子に、エネルギーを与えた場合の温度上昇メカニズムです。


 しかしながら、実際のマイクロ波の領域では、分極Pを作るような水分子の運動は、上のような分かりやすいエネルギーの移り変わりをしているわけではありません。

 分極Pの「変化の遅れ」を通して、エネルギーのバラマキが起きているとして――

 エネルギーを受け取る(励起状態)
→放出して元に戻る(基底状態)
→そのエネルギーを様々な場所にバラマク(エネルギー散逸)
→分子の振動や回転になる(エネルギーの分配)

というエネルギー伝播(でんぱ)の順番を考えようにも、励起して(受け取って)すぐに散逸(放出)のようなことになっていそうで、各段階を区別して考えるのは難しくなります。

ある程度、物理の知識を知っている人が、巷間伝えられている「分子摩擦説」に違和感を覚えるのは、そういった理由です。

ああ、最後になって走ってしまいましたが、ご理解いただけたでしょうか?



 ああ、そうだ。

  最後に、氷が直接電子レンジで加熱できない理由ですが、

 『氷の結晶構造』をとって動きにくくなった水分子群にとって、2.45 GHzで変化する電場は「速すぎる」のです。


 ですから、もっと低い周波数の電磁波、つまりゆっくりとした電場の変動であれば、氷を加熱することができます。

 ただし、加熱して0℃になり、氷が融けて水になると、今度は、氷用の電磁波は水にとっては遅すぎるので、氷解凍用電磁波でいくらがんばっても0℃以上には加熱できなくなってしまいますが。

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2012年7月20日 (金)

200年後にはあなたもわたしも彼も彼女もアイツもいない

 人はどう生きるべきか?

 古くから繰り返されてきた問いです。

 これには、明確な答えはありません。

 善く生きる。
 自分に正直に生きる。
 他人に迷惑をかけないように生きる。

 どれも正解でしょう。


 なぜ、こんなことを書いているかというと、今日、たまった新聞をまとめ読みしたところ、新聞の下半分の広告欄に、

「100歳まで生きる」
「長生きの秘訣」
「~を採って元気に長生き」
「生きてやろうじゃないの」
「これを食べて100歳まで生きる」

 などと、やみくもに、「ただ」(元気に)生きることだけを目標とするかのような「本の広告」が目についたからです。


 ハスに構えていってしまえば、もし、執拗に嫁いびりをする人物が、こういった本を読んで「元気に」「100歳まで」生きたとすれば、いわゆる「老害」以外のなにものでもないように思うのですね。


 あるいは、テレビ放送。

 わたしは、録画せずに、直接番組を観ることはほとんどないのですが、たまに生放送を観ると、番組のほとんどは「健康に」「長生きする」ための商品の紹介ばかりです。


 もちろん、それは……

 放送すべきコンテンツを作れないのがわかっていながら「デジタル化」を急ぎ、チャンネル数を増やし過ぎたあげく、ろくな番組を提供できずに、視聴者にそっぽを向かれたためです。


 面白い番組を作ることができないから、放送が利益に直結する、栄養サプリメントの広告放送ばかりになってしまう。



 付け加えれば、衛星放送の質の悪さのあまり、視聴率が上がらなかったため、あわてて「衛星有料放送のみに適用」するはずだった「ダビング10」やコピーガードの機能を、地上波にまで広げた「地デジ用BCASカード」(これも実体はかなりあやしい)を採用することで、録画した「番組を個人で楽しむ」ために観ることが難しくなってしまいました。

 たとえば、アナログ時代、DVDに録画した番組は、パソコンの上で、安いプレイヤーソフトによって観ることができました。

 今、CPRM対応のDVDに録画した地デジ番組は、1万円近くするソフトを使わないとコンピュータで観ることができません。

 それは、ソフトメーカーが、高額な「暗号解読キー」を購入しなければならないためだそうですが、そういったことが一般視聴者の利益につながっているのでしょうか?

 何のための多チャンネル化、地デジ化であったのか。

 意味のない、国主導の薄型テレビ化に踊らされて、なれぬダンスを踊り過ぎた電機メーカーは、とんでもないシッペ返しをくらって「腰を痛め」、起業以来の大赤字をだすところが続出してしまいました……


 いや、今は、そちらが主題ではありません。その話はまた別な機会にするとして――

 要は、新聞の広告や衛星テレビのCFが「長生きと健康ばかりに偏りすぎている」ように思えるということです。

 一説によると、あとしばらくで、150歳まで(ヒトの細胞分裂可能回数から単純に計算した年齢)生きられるようになるとも言われています。

 しかし、それは不老不死の実現ではありません。



 確かなことなど、この世の中にそれほどありませんが、ただ一つ確かなのは、今から200年後に、あなたもわたしも生きてはいない、という事です。

 であれば、死から目を背けず、「いかにして死んでいくか」を考えた方が、より善く生きることができるように思うのです。

 死という「暗い面」を見ないようにし、「元気に生きる」という明るい面のみを直視して生きていくほうが楽しくやる気が出る、それも事実でしょう。

 しかし、誰だって、いずれは死ぬのですから、「どう死ぬか」を腹の中に持っておくのは非常に大切なことだと思うのです。

 たとえれば、あるモノの形を描くのに、その形を「直接」線で描くよりも、「そのもの以外」の部分を描くことによって、逆に、そのもの自体をはっきり浮かび上がらせることができるように――

 死を明確に考えることで、逆に生きることを、よく考えることになるのではないか。


「元気に生きる」「とにかく生きる」「笑って生きる」「健康にいきる」「100歳まで生きる」

 どれも、良い目標ではあると思いますが、なんだかそれは、綺麗に整備され、揺れない線路の上を走りながらも、その果てにある、崖の上で、突然途切れた終着点を見ないようにしている豪華列車の乗客のように感じてしまうのですね。


 先を見ないようにしても、結局は同じことなのに。


 いや、もちろん、わたしも含めて一般人が、常住坐臥(じょうじゅうざが)、常に死を意識し、死とともに生きるべきだ、などというつもりはありません。

 そんなことは、できないですしね。

 ただ、ヒトは、知らないうちに、新聞雑誌、テレビ、ネットによって、イメージと情報をすり込まれるものです。

 だからこそ、いまの、生きることに重きを置きすぎた(まあ、サプリメントは広告だから仕方ないかもしれませんが)広告報道は、良くないのではないかと思うのです。


 そういったことが、自分の死から目を背け、愛する家族の死からも目を背け、ただ、生かす方法があるという理由だけで、重度の脳障害(脳幹梗塞など)を負った老人たちに胃瘻(いろう)を施すことになるのではないでしょうか。

 福祉先進国の北欧(紋切り型過ぎて恥ずかしいイイカタですが)では、寝たきり老人の数が数えるほどだそうです。

 それは、彼らが、「生きる」とは、単に「死んでいない」ということではなく、「ヒトして生きる営み」を続けていてこその生であることをよく分かっているからなのでしょう。

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2012年7月19日 (木)

風を起こせ! ~赤胴真空切り~

 日ごとに熱くなってきました。

 外出して家に帰ると、部屋に熱気が籠もっていることがありますね。

 その時、みなさんは、どうしますか?

 すぐにエアコンを全開で回す、のでしょうか?

 東京大生産技術研究所とメーカーの研究によると、

「外気より室温が高ければ、屋外が無風でも窓の開け方で室内に風が生まれて、室温を下げる効果がある」

ことが確認されたそうです。

 コツは高低差のある窓を、二カ所以上開けること。

2

 つまり、帰宅直後、エアコンの使用前に窓を開け、風を通すことで、大幅な節電効果がある、のです。

 同研究所は、東大キャンパス内に、二階建ての実験住宅を設置し、さまざまな研究を行っています。

 建物の特徴は、68カ所に及ぶ窓です。

 これらの窓を、どのように「開け閉め」すれば、建物内に空気の流れを起こすことができるのか?

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 例)
 屋外:無風、気温17度
 屋内:30度
 
 約60センチ四方の小窓を、1Fで5カ所、2Fで三カ所開ける。

 窓の高低差は、6メートル。
 
 開けると同時に風が発生し、10分で、30度の室温が、25.9度まで低下した。

 日を変えた実験でも、同様の効果が得られることがわかった。

 暖かい空気が、上の窓から出て行き、気圧の下がった下の部屋に、外気が流れ込む、というのがその理由らしい。

 風船を使って風の流れを見ると、窓を開けた直後から、階段に沿って上昇気流が発生しているのがわかる。

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 これにより、一般的な2階建て住宅の場合、高低差のある小窓を数カ所開けば、「10分程度で、室内の温度は全て入れ替わる」のだそうです。


 雨の日でも、基本的に室内の方が湿度も温度も高く、換気の効果はあるらしいのですが――
 室内温度と外気温の温度差が、5度未満だと、体感できるほどの風は発生しないとのことです。

 マンションなどの「二階がない住居」では、台所や風呂場の換気扇を利用すると効果的です。

 換気扇は高い位置にあるため、それより低い窓を開けることで、気温を下げることができます。

 さらに、窓際で、扇風機を「室内にむけて」置けば、空気の流れは早まるのです。

 立地や建物の向きに関係なく、室内で風を起こす工夫は、どんな家でもできる。

 エアコンは起動直後がもっとも消費電力が大きいため、室内と外気に温度差がある限り、10分の通風後にエアコンを使った方が省エネのためには良い、のだそうです。

 今後はわたしも、心して窓を開けるようにするつもりです。

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2012年7月18日 (水)

地熱発電のキャラクターは「マグマ大使」でキマリ

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 昨今の電力事情を考えて、原子力発電以外のさまざまな自然エネルギー(再利用可能エネルギー)を使った発電が脚光を浴びています。

 その中には、海に囲まれた日本が、ほんの数年前まで世界トップレベルであった、波力・潮力発電の技術もあります。

 いかなる政治力学が働いたのか、研究開発の補助金は打ち切られ、それ以来、真面目に研究する開発者は減り続け、今では、かつて技術的には後輩とみなしていた韓国から技術供与をうけるほどになってしまいました。

 もちろん、いわゆる自然エネルギー利用の発電には、未知の危険が伴います。

 たとえば、波力や潮力発電ならば、小規模の発電施設ならばともかく、欲をかいて(とは不適切な表現かもしれませんが)、海峡を覆うほど多数のマシンを配置したり、入江の近くに、巨大な波力発電島を建設したりしすぎると、海の水質や生態系に悪影響を及ぼすことがあるかもしれない。

 それらの影響調査を含めての研究開発であるわけです。

 同じように、近頃ではブーム化している感のある、太陽光パネルによる発電も、屋根の上に小さく設置する程度なら環境に影響はないでしょうが、何事も、極端に突っ走りがちな日本人の特性からして、やがては、「どこかの半島すべてを太陽光パネルで覆ったソーラーパネル・ペニンシュラを作りました」などということになりかねません。

 それほど大規模なパネルで大地を覆ってしまえば、気象にも何らかの影響をあたえることになるでしょう。

 地球上の自然現象は、それほど微妙なバランスの上になりたっているのです。

 わたしは、よく地球の自然系、生態系のバランスを、よく尖った針の上に精妙にバランスをとりながら乗せた「正方形のガラス板」のようにイメージします。

そのガラスの縁(へり)には、まわりの壁から伸びた無数の細いゴムがつけられ、針から滑り落ちないように、微妙にバランスを保たれている、そんなイメージです。

 少々、指でつついても、ガラス板の上で踊っても、これらのゴムが伸び縮みして、もとのバランスに戻してくれるものの――

 あまりに衝撃が大きすぎると、ガラスは下に落ちて粉々に砕けてしまう。


 我々は、産業革命以後の200年で、
「地球は我々が少々ヤンチャをしても、許し、受け入れてビクともしない」
なんてことはなく、すぐに、おかしな方向へ走ってしまう、精妙・脆弱なシロモノであることを知ってしまいました。

 では、エネルギー的にみて、地球『上』に影響を与えず、ヒトが使う程度のエネルギーを取り出す方法はないのか――

 それが、どうやらあるようなのですね。

 みなさんご存じのとおり、日本は地震大国、火山大国(多くは休火山)です。

 地熱研究の第一人者である、江原幸雄氏が「地熱エネルギー」(オーム社)で書いています。

 1.地球の中心温度は、6000度Cで、太陽の表面温度と同じである。

 2.地球の体積の99%は、1000度C以上だ。


 1はともかく、2は、「えっ」と驚かれる方も多いのではないでしょうか。

 99%って、ほとんど全部、それが1000度C以上――って、地面は別に熱くないじゃないの?

 それは、地球の巨大さを理解しておられないからです。

 ジェット機を使えば、一日もかからず地球の裏側に行ける世の中になり、「イッツ・ア・スモール・ワールド」、世界は小さくなったと感覚的には思うものの、実は地球は、太陽系でみても、かなり巨大な惑星なのです(太陽になれなかった惑星、木星と土星は別格として)。

 たとえば、あなたが、大富豪トレーシー一家(サンダーバード)の「ジェットモグラ」に乗って、6000メートル真下へ掘り進んだとして――

 中心までのたった0.1%に満たない距離しか進んでいないのです。

 それほど地中は深い。

 だから、われわれの地表の温度は10度C程度しかないのです。

 しかし、地面の隙間、裂け目を縫って、地下深くから、マグマ大使がやってくることがあります。

 これが地上に吹き出ると、火山の噴火ということになりますが、多くは、比較的地下深くに、「マグマ溜まり」となっています。

 そこへ、地下水が流れ込むと……高温の水と蒸気になり、「地熱貯留槽(ちねつちょりゅうそう)」が生みだされるのです。

 これを探し、蒸気と水を分離し、蒸気によってタービンを回し発電するのが、地熱発電です。

 風力発電と違って、持続・安定的に発電できる上、日本は火山国で、世界第三位の地熱資源国でもあるため、発電方法としては、かなり期待ができるのですが――


 温泉業者の人々の反対と、火山帯の多くが国立公園にあるために政府が乗り気でないという理由で、その利用は遅々として進んでいません。

 気持ちは分かります。

 政府の方は、ただの怠慢であると思いますが。

 地熱を利用することによって、保護しなければならない生態系や自然がダメージを受ける「かもしれない」というのなら、どこかで実験して、実際にどの程度のダメージを受けるかを調査するのが国の責任であり義務だからです。

 残念ながら、国の対応からは「面倒を避けたい」という印象しか受けません。


 一方、温泉業の人々の恐怖感は分かります。

 下手に、同じ源泉から発電所に蒸気を抜かれて温泉が出なくなったり、白かった湯が透明になってしまうと、数百年、それによって暮らしてきた生計(たつき)の道を閉ざされることになるのですから。

 原子力発電所立地村の人々同様、国全体のことや日本の未来より、現在の自分たちの生活を守りたくなるのは分かります。

 それが人間でしょう。

 ならば、彼らに迷惑をかけないような技術を開発すればよい、と技術者は考えます。

 地表近くの蒸気溜まりを取り合うから問題になるのです。

 もっと深くボーリングし、火山の近くでなくても地下の高熱の岩盤に水をそそぎ、地熱発電を可能にする。

 いまはまだ夢物語ですが、適切な国の補助があれば、必ず実現は可能でしょう。

 そして、それこそが、もっとも日本にふさわしいエネルギー計画であるはずです。

 早く、国がそれに気づいて、蓄電池に重点的に資本を投下する愚をやめ、地熱発電にも高額の補助を出してほしいものです。

 巨大な地球相手に、水をかけても、おそらくほとんど影響はないでしょうから。

 まさしく、アースが生んだ「正義」はマグマ~です。

p.s.
 もちろん、地中で温めた水蒸気は、タービンを回した後に、再び地中へ送られるのが絶対条件です。そのまま空中に逃がすと環境に影響がでそうですから。

 結局、あまりに大規模にやってしまえば、マントルやコア自体が冷えるという恐ろしい結果を招くでしょう――そこまではしませんよね。ヒトは。

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2012年7月17日 (火)

犬も歩けば弾にあたる シャーロック

 タイトルの「犬も歩けば弾に当たる」は、シャーロック・ホームズ雑学百科(1983年)に収録されている、ファンによるファンのためのカルタの一説です(もちろん、バスカヴィル家の犬のことですね)。

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 この本は、日本シャーロックホームズ協会(JSHC)会員が「分担執筆」したホームズ百科事典の力作で、物語中に出てくる小道具、人物やヴィクトリア朝文化にかかわる事物などを取り上げて、項目ごとに、ある時は専門的にまたある時は軽いジョークで解説しています。

 数あるシャーロックホームズ(以下SH)の研究本の中でも、わたしが一番好きな本で、当時、JSHCの会員であったわたしは、京都下鴨神社裏の下宿で、安い丸パンにタマネギの薄切りを挟んだだけのブローチェ(オランダのサンドイッチのことです)をほおばりながら、何度も読み返したものでした。

 SHのファンを、一般にシャーロッキアンと呼びますが、彼らのいう、コナン・ドイル自身によって書かれた長短60のSHの物語、いわゆる「聖典(キャノン)」を底本に、「自分自身の専門分野」を切り口にして、さまざまな論文(と呼んで良いほどの出来です)が、それこそ世界中のシャーロッキアンに書かれています。

 ベアリング・グールドしかり、エイドリアン・ドイルしかり、長沼博士しかり。

 この「SH雑学百科」では、イラスト付きの見開き2ページで、「鉄道」「拳銃」「犬」など、様々な「自分の得意分野」によって、SHを、ロンドンを、そして絢爛(けんらん)豪華であったビクトリア朝大英帝国を解説することで、その時代そのものを浮き彫りにしています。


 話は変わって――

 聖典(キャノン)以外に、ファンがそれぞれのセンスで描いたSH物語をパスティーシュと呼びます。

 古今、様々な人々によってSHのパスティーシュは作られました。



 昨日より、NHK-BSプレミアムで、英国のドラマ「シャーロック」が三夜連続の集中放送されています。

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 作品自体は2010年制作らしいですが、寡聞にしてわたしは知りませんでした。

 このドラマの特徴はパスティーシュであること、つまりSHを「そのまま現代に生きる探偵」として描いていることです。

 これまでのパスティーシュに多かった、「ワトソンの隠された手記が見つかった」(だいたいは、古びた皮箱などを、ワトソンの子孫が見つけることが多いのですが)や「ホームズの魂が現代に転生した」といった、オカルティックな設定をやめ、


『ストレート』に『完全にビクトリア朝色』を排して、ワトソン、モリアーティ、ハドソン夫人、レストレイド警部など登場人物名はそのままに、現代に生きるSHを描こうとしているのですね。

 これまでは、エイドリアン・ドイル(だったかな)の有名な言葉「わたしたちがSHを愛するのは、彼の生きた時代、大ビクトリア朝を愛するからだ」で表現されるように、


 早朝のロンドン、ガス灯が霧に煙る中、指笛を鳴らしハンサム(二輪馬車)に乗り込み、「チャリングクロス駅!」と御者に告げ――

「いまからなら特別列車が仕立てられる。それなら奴らに追いつけるはずだ」

などとワトソンに語る――といったシチュエーションが、SHだったわけです。


 そういった、些末(さまつ)でありながら重要な小道具をすべて排し、知りたい情報はスマートフォンで調べてしまう若きシャーロック、出会った事件を戦争によるPTSP脱出のためにセラピストから勧められた「ブログに書く」ワトソン、という現代っ子(死語?)カタギな二人の人間関係を軸に、ドラマは描かれます。


 ドルチェ・エ・ガッバーナのタイトなシャツに細身のジャケット、ベルスタッフのコートを粋に着こなし、ロンドンの町で、例の、背の高い黒塗りキャブ(タクシー)に乗り込むホームズ。

 颯爽とはしているものの、世間的には変人扱いされ(まあ、現代では当然でしょう)、あまつさえ(聖典では)大好物だったパイプすら、「いまのロンドンではタバコも吸えない」とグチりながら、巨大なニコチン・パッチを腕に張らねばなりません。

 そのセリフを聞いて、レストレードが、「私もだ」といって袖をまくり、これもまた巨大なニコチン・パッチを見せるのはご愛敬ですが。

 第一話において、戦場で負傷したワトソンが、「傷痍軍人年金だけでロンドンで暮らすのは無理だ」と思った矢先に、ルームシェアの相手としてSHを紹介され、その場で、「アフガニスタン?それともイラク?」と尋ねられるのは原作通りです。

 まあ、原作で、記念すべきSHの第一声とされているのは、

「アフガニスタンに居られたんですね」

だったのですが。


 それにしても、期せずして、というか、堂々巡りというか、100年以上前のビクトリア朝時代と同じ、アフガニスタンという戦場でワトソンが負傷しているのには、制作者も苦笑したことでしょう。

 (大)英帝国何やってんだよ!

 SHが、女性嫌いと、その気取った物腰、男とのルームシェアを言い出したことから、世間からだけでなく、ワトソンからすらもゲイだと思われているのもご愛敬です。

 制作、脚本のスティーブ・モファットとマーク・ガティスは――

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 あの『史上最高のSH役者』(原作挿絵画家のシドニー・パジットの描くSHそっくりという意味で)としてファンの間では有名な、『映画マイフェアレディで、主人公に恋するフレディを演じ、「On The Street Where You Live (君住む街)」を歌った(後に口パクだったとカミング・アウト)』ジェレミー・ブレット演じる、「BBC制作のシャーロック・ホームズ」シリーズを子供の頃から見続け、影響を受け、それをベースに今回の現代版「シャーロック」を作ったといいます。

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 だからなのか、ところどころ、J・ブレット演じるSHに似た雰囲気を感じることがあります。

 同じ、現代英国のドラマでも「トーチウッド」のご都合主義、馬鹿さ加減とは一線を画した「シャーロック」、お時間があれば、ご覧になってください。

 ちなみに、今回の三夜連続放映は、近日放送される「シャーロック2」に先駆けてのものです。

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ちょっと出張してきます、宇宙へ

 コミック(アニメ)「宇宙兄弟」の影響なのか、近頃、よくJAXAがらみの宇宙飛行士の記事が気になります。


 宇宙飛行士と聞くと、その仕事は国家の威信、世界のため、人類のため、などと大きく考えがちですが、彼らもまた、宇宙へ行く訓練を受け、技術を磨くことで給料を受け取るサラリーマンの一種なのです。

 サラリーマンであるなら、仕事の関係で、当然出張もある。

 ある時はフロリダで訓練をうけ、ある時はワシントンに挨拶に行く、といったような。

 アメリカは広いために、ちょっとした移動も飛行機で行うことが多く、その距離も100キロ単位です。

 日本人宇宙飛行士、古川聡氏は400キロの出張を命じられます。


 400キロというと、東京から西への出張ならば名古屋あたり、大阪から西の出張なら広島あたりです。

 でも、真上に400キロなら――


 国際宇宙ステーションになります。

 今回、御紹介するのは、古川聡氏他著の『宇宙へ「出張」してきます』(毎日新聞社)です。

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 古川氏は、12年間の訓練の後、167日間の「宇宙出張」に行きました。

 その内容がつづられた本書は、非常に興味深い内容となっています。

 少し内容を紹介すると、

 国際宇宙ステーションの「床面積」は、ジャンボ・ジェット機の1.5倍程度であるものの、無重力状態により天井も壁も食卓やベッドにすることができるため、想像以上の住居面積となります。

 当然、館内?は禁酒禁煙。

 よく知られているように、長く無重力状態に置かれると、人の体は様々に変化します。

 代表的なものが、骨密度や筋力の低下です。

 肉体と精神が『宇宙仕様』となってしまい、『出張』から帰ると「気分が悪くなる」(地球酔い?!という)のだそうです。

 また、鉛筆を重く感じ、座ると尻が痛くなり、風呂に「湯を張る」l行為つまり「水が下に落ちて溜まる現象」が新鮮に見えるそうです。


 医師である古川氏は、そういった「宇宙化」した自分が、地球に帰って、徐々に「地球化」していく過程を、自身おもしろがりながら克明につづっています。

 もちろん、宇宙は「本来、人間が行ってはいけない場所」と、思えるほどにヒトを拒絶する危険に満ちた場所ですから、「出張」は楽しいことばかりではありません。

 氏も、ステーションを破壊しかねない大きな宇宙ゴミ(古い人工衛星のカケラだとか)が330メートル(つまり、ごくごく近くです)に近づいた時には、帰還船に一時待避したそうです。

 それでも、ハッチを閉めて避難し、「デブリ(宇宙ゴミ)が見えるかな」とジョークを交わす余裕を見せる、そんなタフな精神をもつ宇宙出張者(アストロノーツ)の姿を、彼は描写しています。

 今後、民間も含め、おそらく日本人の「宇宙出張」は増えるでしょう。

 十数年後には、冗談ではなく、

 「出張?行き先は月ですね」

 と、いう時代になるのかもしれません。

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2012年7月15日 (日)

バイエルと地上 ~生前の栄華と死後の栄誉~

 バイエルをご存じですか?

 ああ、あのソーセージの?

 いや、それは、バイエルン、伊藤ハムのアルト・バイエルンでしょう。
 その場合のバイエルンは、ドイツのバイエルン州をさします。

 もちろん、わたしのいったバイエルは「あの」ピアノ教則本の「バイエル」、そして、それを生みだしたフェルディナント・バイエルのことです。

 安田寛著 「バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本」(音楽之友社)によると――

 ピアノを習った人の大半が知っている著名なバイエル。

 しかし、バイエルが人名(フェルディナント・バイエル)で、19世紀に生きた(1806~63)人物であることはあまり知られていないそうです。

 バイエルは、作品の他は生没年しか伝えられておらず、架空説まであった人物なのですね。

 近代音楽史を専攻する著者が、5年がかりで欧米各地を調査し、その経緯と結果が「ルポルタージュ仕立て」でつづられるのが、「バイエルの謎」なのです。


 調査によって徐々に解き明かされる謎。

 著者は、最終的に戸籍原本や洗礼記録を発掘し、経歴および家族構成にいたるまで突き止めます。

 バイエルの通説の生年が間違っており「三歳若かった」ことを突き止めた作者は、その瞬間「世界中で私だけがバイエルの正しい誕生年月日を知っている」と身を震わせるのです。

 多少、大げさではありますが、この感動は確かに真実であったことでしょう。

 バイエルといえば、近年、批判も多くなされる音楽家です。

 彼が生前為したとされる、各国の愛国歌をピアノ・アレンジになおした60曲以上の「愛国歌」は、そのほとんどが失われ、生きている間は経済的に成功を収めた「富める音楽家」であったものの、死して後、彼の音楽家としての評価は決して高いものではなかったようです。

 彼の「ピアノ教則本」は、1881年(明治13年)にアメリカ人「ルーサー・ホワイティング・メーソン」によって日本に紹介され、それ以後、日本での決定的な地位を保ち続けていますが、日本と韓国以外では、世界的に見てあまり普及していないとの見方もあります。

 
 教則本のみが極東で有名である、という不思議な音楽家バイエルは、上記のとおり、その死後、作品が評価されなくなってしまった不運の音楽家です。

 それは、偶然か運命か実力か、彼の作品が時間という無慈悲な批評家の目にかなわなかったということです。


 かつて、一世を風靡(ふうび)しながら今では忘れ去れているものの例として、わたしはいつも島田清次郎の「大地」を思い出します。
 
 もっとも、わたしの知識は、コミック「栄光なき天才たち」によるものなので、正確さに関してはあまり自信はないのですが。



 世の中には様々なオルタナティブ(二者択一)がありますが――

 芸術作品に携わる人々にとっては、どちらの方が幸せなのでしょう。

 モディリアニやゴッホのように生前はまったく顧みられなかったものの、死後に見いだされ、末永くその名を後世にとどろかすのと……

 バイエルのように、生前は成功した音楽家として経済的にも恵まれながら、死後にその作品が散逸し評価されなくなるのと……

 願わくば生前に成功し、死後に至るまで末永く評価され続けんことを――

 まあ、ほとんどの芸術家にとって、それは夢物語なのでしょうが。

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No Idol No Dream! ~アイドル多チャンネル化の先にあるもの~

 よく、「最近は、時代を代表するアイドルがでなくなった」と言われます。

 そして、必ずといってよいほど、その後に、

「現代は、趣味や好みが多様化して、万人の好む、ただ一人のアイドルは存在しなくなってしまったのだ」

と、続くのです。


 前にも書いたように、わたし自身は、不幸にして、アイドルのファンになったことは無いのですが、アイドルとは、つまり個人の女性(あるいは男性)に対する趣味の発露(はつろ)であるような気がします。

 ある人が好きなアイドルを知れば、その人の異性に対する趣味と傾向がわかるはず。



 趣味といえば、現在は、また、趣味の雑誌受難の時代であるともいわれます。

 人の趣味が多様化し、万人が、それぞれの嗜好(しこう)を追求した結果、大きく分類すれば同じ範疇(はんちゅう)に入る趣味でも中身はかなり違う、という結果になってきていますから。


 たとえば、同じ鉄道ファンであっても、ある者は「車内アナウンス」が大好きで、それをICレコーダーで収集していたかと思えば、ある者は、会社ごとに違う制服のファンであったりする、つまりはそういうことです。


 かつては、たとえ、そういったニッチな好みであっても、それら全ては大分類された専門誌が受け皿でありました。

 上記の、アナウンス・ファンも制服ファンも、雑誌「鉄道ファン」を購読して、その中で、自分は鉄道ファンだけど、中でも特に社内アナウンスや制服が好きなのだ、と読者コーナーで発言をし、編集者は、時に「アナウンス特集」を、あるいは「制服特集」を行って、それらのファンのニーズに応えていたわけです。


 逆にいえば、何か趣味を持つにしても、世間一般と同じ傾向のものにしておけば、情報の入手も共有も簡単であったため、あえて自分の好みを押し殺して、一般的な趣味に、自らを合わせておく者が多かったともいえます。


 しかし、毎度のことながら、ネット社会になって、mixiやFacebook、ブログや個人サイトを通じて、そういったニッチ(隙間)な趣味であっても、同好の仲間を探しやすくなり、無理に大分類された趣味にとどまる必要はなくなりました。


 今まで、地方で暮らしていて、三つしかチャンネルのない生活を余儀なくされ、数少ない娯楽番組で我慢してきた人が、スカパーに加入した途端、数百チャンネルの番組から、より自分の好みのチャンネルを選べるようになったようなものです。


 驚異の多チャンネル化!


 インターネットの広がりと、検索エンジンの高性能化は、それらをさらに細分化し、ニッチ化したようなものです。

 その上、ネットは「インタラクティブ(双方向)」であり「リアルタイム性」まである。

 読者投稿欄めがけてハガキを書く必要が無く、自分が投稿した意見の返事を、来月号の誌面を待たなくても知ることができるのですから。


 人々は、多くの人が好む「趣味の王道」のファンのふりをしなくてもよくなり、本当に自分の好きな「人とはチョット違う好み」を、全開で追いかけられるようになりました。



 上で書いたように、アイドルが「異性に対する趣味の発露」であるならば、それもまた細分化され多チャンネル化されてしまった。


 もはや、世間が一斉に「山口百恵が好き」、「ピンクレディーが好き」、などという事態はあり得なくなったのです。


 だって、『一人の人間』が、そんな『多くの人に好まれる多チャンネル(容姿、性癖など)』を持つことができるわけがないわけですから。


 それでも、芸能プロダクションは、世間にアイドルを提供しなければならない。


 困った彼らは、一計を案じました。

 ひとりの人間が、多チャンネルを持つことができないのなら、かつてなら考えられないほどの人数を集め、ひとつのグループ名を与えて擬人化し、ファンそれぞれに、その中の誰かを選ばせればよいのです。

 つまり「情報過多」のネット社会に則した、「アイドルの多チャンネル化」を行ったのですね。


 さあ、ここにカワイコチャンのアソート(メント)=(盛り合わせ)がありますよ。

 Please Help yourself. (自由にお選びください)

 そういえば、アソートには交際するっていう意味もありますね。


 二十一世紀のアイドル、

 A(あなた)K(好みの)B(ベイベー)を四十数人集めました!



 少し前にネットで流行った各国アイドルの比較イラストの通りですね↓。

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 この先にあるのは、初音ミクに代表されるArtificial Idol、つまり人工的に作り出された、二次元(アニメ)でない、歌って踊れる3D-CGアイドル、しかも、個人の好みによって、微妙に容姿や性格を変えることのできるアイドルなのかもしれません。


 さらにその先には、ブルース・ウィリス主演の映画「サロゲート」よろしく、大阪大学の石黒教授(サロゲートにも出ておられました)の研究テーマである、人間そっくりアンドロイドが控えているのかもしれませんね。



P.S.
 上記イラストの日本以外の画の意味は各自お考えください。

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2012年7月13日 (金)

これぞ馬鹿の壁(の勘違い)

 考えてみると、世の中には勘違いされていることがたくさんありますね。

●「情けは人のためならず」の意味、あるいは「役不足」「確信犯」の意味

●「おもむろ」の使い方

●「気のおけない」の使い方

●「斜に構える」(はすにかまえる)と「犬も歩けば棒に当たる」の意味

●いまだに「汚名挽回」する人がいたりする。さすがに「名誉返上」する人は見かけないけれど

●脆弱(ぜいじゃく)=「よわっちいこと」をキジャクと読むことは無いと思いますが……

●日本では、阪神タイガー「ス」だけど、アメリカでは、デトロイト・タイガー「ズ」であること

 等々――


 しかし、学生の頃に真実を知って、一番、やられたぁ、と思ったのは、「東西ドイツを隔てるベルリンの壁」でした。


 わたしが中学生の頃の歴史では、ほとんど第二次大戦後までは学習しなかったのですが、それでも「東西冷戦の象徴」としてのベルリンの壁は、『覚えておくべき言葉として』教えられました。

 で、その時のイメージですが、

「ドイツという国がありまして、その国を真ん中で区切ると、ついでにベルリンという町を東と西でまっぷたつにしてしまった。そこにつくられたのがベルリンの壁なのだ」

と、まあこんな感じでした。

 が、しかし、事実はまるで違いますね。

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 上は、統一前のドイツの地図です。小さい方が東ドイツですね。


 第二次大戦に勝利した国々(アメリカ、フランス、イギリス、ソ連)は、ドイツを分割支配しました。

 大戦を引き起こしたドイツを罰し更正させる、という名目ですね。

 ドイツ各地は四ヵ国によって切り取られ、支配され、首都であったベルリンも四ヵ国に分割支配されました。

 やがて、資本主義(米、英、仏)と共産主義(ソ連)の対立が激しくなると、ドイツ各地の分割地帯がまとめられ、国自体が西ドイツと東ドイツに分かれました。

 その結果、不幸なことに、ベルリンは、東ドイツのど真ん中、周り全部が共産主義の地域に囲まれることになったのです。

 まるで、思想的な「陸の孤島」。

 下図をみてください。

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 四面ミナ楚歌ス!ではなく、四面ミナ一週間ス!

  ~日曜日に 市場にでかけ  糸と麻を買ってきた~

 西ベルリンに住んでいる民主主義の人々は、かつては同胞であった者たちが、敵となって周りをとりかこみ、「ローレライ」ではなく「一週間」を歌い出すのを聴くようになったのですね。

 面白いのは、西ベルリンの人々が、

「じゃあ、こんな陸の孤島は逃げ出して他所に行こう」

と思わずに、逆に、東ベルリンの人々(それどころか、まわりの共産主義支配地域の人々)が、労働のキツサと締め付けに嫌気がさして、次々と西ベルリンへ入り込む(亡命する)ようになったことです。

 実害として労働力がなくなり、まわりに示しがつかなくなった西ベルリンを取り囲む共産主義地域(つまり東ドイツ)は、西ベルリンぎりぎりの「自国の領土内?」に壁をつくって、ぐるりと西ベルリンを取り囲んだのです。

 上図にあるとおりですね。

 これが、いわゆるベルリンの壁。

 したがって壁とは、さきに書いたように、

「西ベルリンと東ベルリンの間の境界線上(約60キロ)にあって、東西ベルリンを互いに隔てる南北に真っ直ぐな線」ではないのです。

 実際は、

「西ベルリン全体を東独の中で封鎖し、孤立化させるために周囲を取り囲んだ、『刑務所の壁に似たもの』」

だったのです。

 だから壁の長さは、西ベルリンの外周、約165キロにもなってしまった。

 この「通常とは逆」の事実を知った時には、少なからずショックを受けたものです。

 だって、たいていは、狭い場所に閉じこめられることを嫌がり、取り囲まれた場所から外へを出て行きたく思うはずだからです。

 しかし、現実は、周り全部の人々が、壁に囲まれた西ベルリンを目指し――

 機銃掃射で殺されたりしたのですね。

 まあ、こんな勘違いをしていたのは、わたしだけかも知れないので、こんなことを書いても自らの恥をさらすだけなのかも知れませんが……


 世の中には、勘違いされていることが、本当に多々あるものです。

p.s.
 あとから考えると、「四面ミナ一週間ス」より「四面ミナ『トロイカ』ス」の方が分かりやすかったかもしれません。

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2012年7月11日 (水)

千変万化、伝聞推定 ~ペリーの顔・貌(かお)・カオ 特別展~

 いま、神奈川県立歴史博物館で、
「ペリーの顔・貌(かお)・カオ -「黒船」の使者の虚像と実像-」
が8月26日まで開かれています。

 わたしは、観にいっていないのですが、これがなかなか面白そうです。

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 黒船に搭載された近代兵器の武威(ぶい)におされ、恐怖心で開国してしまった江戸幕府。

 1853年の黒船来航のおり、その代表者である「ペルリ」は、憎しみと恐怖心と伝聞と推定によって、種々雑多、様々に描写されました。


 もちろん、ペリーの写真は残っているのですが、

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それが、

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 こんなふうに描かれてしまうのですね。

 なにせ、幕府に無理矢理、日米和親条約を結ばせた怪人?です。


 人々の関心も高く、皆が彼の人とナリ(おもに顔かたち、姿ですが)を知りたがった。


 皆が知りたがったら、お金になります。

 よって、様々な人が彼を描く。

 実写、想像、模写から模写を重ねたペリー像は、本当に多種多彩です。

 その描く側の心情、恐怖心や憎しみによって、ただのいちアメリカ人であったペリーは様々に「魔神化」していきます。

 鼻が天狗のようなペリーもいれば、役者や力士のように柔和な大男の時もある。



 まったく、昔の人は仕方がないねぇ。

 今からすれば、情報源が瓦版しかなかった幕末の人々などは、情弱(じょうじゃく)=情報弱者の極み。


 しかし、ちょっと待ってください。

 今でも、このような「情報操作」は、よく行われていると思いませんか?

 人を連写すれば、どんな美人でも醜い一瞬があり、どんなに凡庸な人でも美しく見える瞬間がある。


 例えば、マスコミが、評判を貶めたい政治家、例えば黒い噂のある若い実業家――

 彼らの写真は、わざと、アングルも表情も悪いニンゲンにしか見えない瞬間を撮影したものが使われているように思えるときがあります。

 情報を発信する側は、ある人物の印象を、記事に同時掲載する「写真の選び方」で、良くも悪くも変えることができるのです。

 例えば、記事は、ただ事実を伝えるだけのものにして、悪相の写真をつかうことで人々に悪い印象をすり込むことができるのですから。


 そういった、現代にも通じる「幕末の情報操作」として、ペリーの顔を見比べるのも、この特別展の面白さかもしれません。

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2012年7月10日 (火)

自戒か自虐か

 新聞の夕刊コラムで、専門編集委員が、久しぶりにあった友人に叱られる話を書いています。

 自戒か自虐か、おもしろいのでいくつか紹介すると、

 まず、記者会見で、記者が会見する人物の顔を見ないと苦言を呈されます。

「○○が、この間、記者会見をしているの見たよ」

「○○?ウソをつくと小指で鼻をさわるのが癖の?」

「でも、記者さんはごまかされていたよ。パソコンをたたいてメモをとっているから、相手の表情がわからない」

「――パソコンが悪いんだ」

 いや、おそらくは、すぐに入校・校閲できる便利さに目がくらんで、何が記事の本質かを忘れている新聞社が悪いのでしょう。

次に、

「6.29原発反対のデモの参加者、主催者の発表が20万人、警視庁の調べた1万7000人。どっちが正しいの?」

「野鳥の会のようにカウンターで調べるわけではないから……」

「それなら、新聞社が調べれば良い。こんなに違う数字を紙面化するなんて信じられてない」

 自分の頭で考え、足で追い、目で数えることを放棄した新聞社が悪いのでしょう。

 しばらく前に書いた、堀江貴文氏の「記事はネットに落ちているから取材する必要はない」と同じ匂いを感じますね。

 あと、小沢氏妻「離縁状」についても書いていますが、これは、わたしがよく分からないのでパスします。

 ただ、小沢氏に関しては、(携帯電話でなく)固定電話を使ってNHKがアンケートをとると否定的な数字になり、ネット上のアンケートでは、逆の数字が出るのが面白い。

 ネットは、小沢氏が好きなのでしょうか?

 あるいは、来るべき選挙に足を運ぶ確率の高い、(ネットの情報にうとく)固定電話を持つ中高年の家庭では小沢氏の人気が低く、ネットの情報に詳しい青年たちの間では人気が高いのでしょうか?

 もっとも、結局、次回選挙に影響を及ぼすのは、固定電話をもつ世代なのですから、一概に、NHKの選択が間違っているともいえません。

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2012年7月 9日 (月)

夏といえば、アレの夏ですねぇ、やっぱり

 今日、手元に届いた岩波カラー新書、大久保純一著「北斎」の話をしようと思いましたが、新聞に面白い記事が載っていたため、先にそれを紹介して、「北斎」は明日以降にまわします。


 もうすぐ夏が来ますね。

 夏と言えば……



 時代物を書いていると、夏の風物詩として、「蚊遣りの煙(かやりのけむり)」というものを登場させることがあります。

 蚊遣りの煙ごしに、庭の先を見ると、剪定された松の手前に――なんてね。

 ここで、注意が必要なのは、蚊遣りというのは、「蚊取り線香ではない」ということです。

 江戸時代に、「ホンモノ」の蚊取り線香など存在しなかった。


 もともと、蚊遣りとは、よく煙と匂いの出る「蚊遣り木(かやりぎ)」、あるいは比較的匂いの強い香に火を付けて、その煙で蚊を追い払う(殺すのではなく)ものです。

 「蚊遣り火の 悔ゆる心もつきぬべく」などと拾遺(しゅうい)和歌集にも見受けられますね。


 しかし、皆さんご存じのように、現在の蚊取り線香は、「蚊を畳の上に落とす」ものです。

 少し以前まで、インドへ旅行された方なら(特に、それが貧乏旅行なら)、インドで売られている蚊取り線香は、蚊は死なず寄ってこないだけ、なのをご存じなはずです。

 つまり、インドの蚊取り線香は「蚊遣りの煙」なのですね。

 だから、暑気やそれに続く雨期にインドへ行くなら、マラリア予防のためにも「日本の蚊取り線香を持っていけ」と言われます。

 インドのじゃ駄目だ、と。

 わたしも、インドへはザック一個の荷物で出かけましたが、その中には、かなり多めの蚊取り線香をいれていました。


 日本とは、太陽の色も、空気の匂いも、まるで違う異国にあって、蚊取り線香を焚いて目をつぶっている間だけは、石造りの安宿の部屋が日本のように思えて安心できたものです。


 さて、ここで、本題に戻りましょう。


 夏といえば?

 「~金鳥の夏ですね~」

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 若い人はご存じないでしょうが、美空ひばりがウチワをもって、夜空の花火を観ながら呟くCMは、高峰美枝子のフルムーン同様、わたしにとってはトラウマです(こらこら~)。

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 キンチョウを製造・販売する大日本除虫菊(キンチョウ)は大阪の会社です。

 創業者の上山英一郎(1862~1943)は、和歌山の出身で、慶応大学で、あの福沢諭吉の教えを受けました。

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 どうも、諭吉という人は、人の精神に低温火傷をさせる天才のようで、上山氏も「日本を豊かにする」「農家を豊かにする」のだ、と一念発起、諭吉から紹介されたアメリカ人から、ノミ取り粉(って、知ってますよね?いや、わたしも話でしか知りません)の原料として使われていた除虫菊の種子を手に入れました。

 荒れ地でも栽培できる除虫菊は、貧しい農家の救済になる。

 うまく栽培すれば、世界に通用する輸出品にもなる、と考えた上山氏は、全国で
除虫菊の栽培を奨励し――50年後には、なんと除虫菊世界総生産量の9割を日本が占めるようになったのです。

 ノミ取り粉の材料としてだけでは、世界に通用しないと考えた彼は、除虫菊を利用する製品の開発にも取り組み、1890年(明治23年)、除虫菊の粉末を線香に練り込んだ『世界初』の棒状蚊取り線香を発明します。

 さらに1902年には、妻ゆきの助言によって、長時間使える「渦巻き型」の蚊取り線香を発売するのです。

 これぞ、単なる「蚊遣り」ではなく、我々の知っている、ホンモノの蚊取り線香です。

 しかし、蚊取り線香が、もともとノミ殺し用の生薬だったとは驚きです。

 大日本除虫菊の蚊取り線香は、東南アジア、オーストラリア、アフリカ、南米など、世界を席巻(せっけん)します。

 えーと、だいにほん……なに?

 そう、我々の知っているのは、キンチョウですね。

 金色の鶏がトレードマークの。


 渦巻き型蚊取りを発明して10年後、上山栄一郎は、彼の信条であった、

「ムシロ鶏口ト為ルモ牛後ト為コト勿レ」(史記より)

 つまり、いわゆる鶏口牛後(けいこうぎゅうご)、


「強大なもの(牛)の最後尾であるくらいなら、小さく弱い者(鶏)の頭であれ」

「大きな業界の後をいく会社ではなく、小さな業界でもトップとなれ」

という気概をこめて、金色の鶏マークを商標登録し、それがつまり、我々に馴染み深い金鳥になったのです。

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2012年7月 8日 (日)

気質はカタギ、キシツじゃないよ ~ヨーロッパ各国気質~

 書評で、「こんなにちがう ヨーロッパ各国気質」を知り、読んでみました。

 著者は、片野優、須貝典子の両氏で、草思社から出版されている本です。

 二人でヨーロッパ三十二ヵ国について書くとはたいしたものです。

 なかには、面白い話がどっさり入っています。

 ちょっとトリビアルな話から、その地へ旅行するなら知っておいたほうがよいと思われる基礎知識(大げさにいえば身を守るためにも)などが――


 とりあえず、内容について、興味深かったことを書いていきます。




 まずは、フランス。

 フランスは、革命によって、民衆が国王と協会から権力を奪った国家であるから、他の民主主義国家のイギリスやアメリカと違って、公的な場所から一切の宗教色を排している。


 次にイギリス。

 UK( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)である(我々が呼ぶところの)イギリスは、名の通り四つの国の連合体であるから、サッカーのワールドカップには、四つの代表が参加する。
 イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウエールズだ。

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 ゆえに、ユニオンジャックは、イングランド、スコットランド、北アイルランドの三つの旗を重ねた意匠になっている(最後のウエールズの旗が正式採用されたのは1959年であったため、旗のデザインには含まれていないが)。

 また、ウエールズは、早くからイングランドに併合されているが、朝の挨拶は Good Morningではない。


 その名の通り、「連合王国」であるイギリスは、内部に多くの確執を抱えている。

 有名なところではアイルランド問題。

 20世紀になって独立を勝ち取ったアイルランド共和国は、過去に受けた、クロムウェルによる弾圧と飢餓で、深くイングランドを恨んでいる。

 第二次大戦のおり、チャーチルの「対日参戦」の要望を、あっさりと蹴ってしまったのは有名な話である。

 今もアイルランド人には、反イングランドの者が多く、ゆえに親日家であることが多い(敵の敵は味方)。

 歴史的な苦難のためか、早い時期に国外に出るものが多く、またその苦難によって負けん気が培われたためか、世界にアイルランド出身の著名人は多数いる。

 Macはアイルランド系の名で、「~の子」の意味がある。
 つまり、「ドナルド」の子は「マクドナルド」、「アーサー」の子は「マックアーサー(マッカーサー)」だ。

 また、アイルランドの人口は約450万人だが、アメリカには4400万人、世界には8000万人のアイルランド系移民がいる。

 ケネディもレーガンもアイルランド系だ。


 オランダに目を転じれば、この国は、古来より日本と関係が深く、「お転婆」「ポン酢」「ランドセル」など、我々が日常使う言葉で、この国から来ている者は数多い。

 わたしにもオランダ人の知人がいるが、基本的に大男が多く(女性も大きい)、運動好きで食生活は質素だ。

 付け加えれば、彼らの曾祖父は、日本人と同程度の体格しかなかったため、ある理由から数世代で身体が大きくなった彼らは、低い天井、狭い階段、廊下につねに苦労しつつ、昔ながらの家屋をリフォームしながら生活している、という印象がある。


 北欧の三カ国は、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーだ。

 バイキングの血筋?ながら、スウェーデン人は、特に気性が荒いわけではなく、「他人に配慮し」「控えめに話をし」「几帳面で北欧の日本人」のようであるらしい。

 西欧福祉国家の代表格として日本に喧伝(けんでん)される国だが、まあ、実際、それはほぼ正しい。

 ただし、性の自由に関しては巷にいわれるほどでなく、法的に、完全男女平等性であるために「離婚率が高い」といわれているが、それは俗説で必ずしもそうではない。

 人口当たりの離婚件数は、

 アメリカ・ロシア  4.5%
 日本          2%
に対して、
スウェーデン     2.4%
と、日本とほとんど変わらない。

 これは、
 麻薬の横行するアメリカ、アルコール度数の高いウォトカが好まれるロシアと、それらの影響の少ない国々の違いなのでは?
というのは、わたしの勝手な想像だが……


 ヨーロッパ文化発祥の地を夢見てギリシアにいくとガッカリし、イギリスからフランスにくると明るさと開放感を味わい、イタリアに来ると安心感にひたれる。

 スペインの仕事時間は二時まで、それ以降、店は閉まる。いい加減なところと親切心の混在した国だ。

 これは、ヨーロッパだけではなく、アジアの各国にも当てはまることだ。

 仕事時間は、さすがにヨーロッパほど短くなく、アジアの国は、たいてい勤勉(な者は勤勉)だが、気がつけば、靴に牛の糞をぬりつけて靴を磨かせてくれというコドモがいたり、少し気を抜くと貴重品が盗まれる国であると同時に、本当に腹痛で、声も出せずに道に転がっていると、親切に声をかけて病院につれていってくれる――


 これは、わたしの狭い見識の中でいうことだが、
「善意の人だけが住む国もなければ、悪意の人だけが住む国もまたない」
のだ。


 世界各国は多様性に満ちており、だからこそ面白く、訪れる価値がある。


 2005年にパリで開かれたユネスコ総会で、「文化の多様性に関する国際条約」が採択された時、アメリカがこれに反対した。

 アメリカ主導の「グローバリゼーション」、つまりアメリカの消費文化を押しつけ、多数決主義を押しつけ、英語を押しつけて、世界の主導権を維持(というか、一度でも取ったことがあるかは疑問)しようとしたのだ。

 しかし、結果は、イスラエルのみ賛同、というわかりやすい結果になった。



 どうでしょう。

 途中、かなりわたしの意見も入ってしまいましたが、みなさんも、かつて行かれた国について思い出されて、なるほどと思われたことも多かったのではないでしょうか。

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2012年7月 7日 (土)

LINEをうちのFEPで打つとぃねになる

Moku_hanga

 LINEというサービスがありますね。

 おそらく、使っている方も多いことでしょう。

 理由があって、わたし自身は使っていませんが、若者の多くと、おそらく新しく便利そうなサービス好きの大人たちは、すでにスマートフォンやコンピュータにインストールして使っておられると思います。


 ご存じの方も多いと思いますが、LINEは、サービスの利用にあたって、スマートフォンの電話帳データの転送許可を尋ねてきます。

 転送しておいた方が、FACEBOOKのように、かなり確度の高い「友だちかも」が表示され「便利」なのですが、わたしのように、(特にネットサービスに関して)疑り深いニンゲンは、自分のデータがクラウドに転送されるということに抵抗があるのですね。

 わたしは、1年まえにLINEがサービスを始めた時に、そのことを知って導入をやめ、その後はまったく気にもせずに過ごしてきたのですが――

 少し前のWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)で、LINEの特集をやっていたのと、その番組についての以下の記事「LINEがこの先生きのこるには」を読んだので、LINEについて、少し書こうと思います。
 

 WBSでは、昨年6月にサービスを始めて以来、1年で1800万人のユーザー数を獲得し、すき家やLAWSONが「メールマガジンと違って開封率が高い」ことを理由に、割引サービス通知を開始し他ことを伝えていました。

 ちなみにLAWSONの擬人キャラクターは「あきこちゃん」というらしいですね。

 彼女?と友だちになると、LAWSONから割り引きクーポン番号が送られてきて、店頭のLOPPIで入力すると、感熱紙に割引金額が印刷されたチケットが手に入る、そうですが、ちょっと冗長な手続きのような気がします。


 今後の展開として、スマートフォンのGPS利用の位置情報サービスを使って、いまユーザーがいる場所の近くの店から、メッセージを送る、ということも考えているそうですが……

 みなさん、怖くありません?

 この点において、わたしは暗闇を恐れる穴居人と同じです。

 先と安全性の見えないサービスにどっぷりとつかる気にはなれない。


 いかに、ネットの情報管理が脆弱で、クラウドと称する、主に海外におかれたサーバの保守が難しいか知っているからです。


 それに、法的な問題もある。

 以前にも書きましたが、一言でクラウドといっても、物理的ハード、つまりサーバがどこに置かれているかは、ほとんど公表されていません。

 サーバが、ハワイなど米国領土に置かれていれば、あのコドモブッシュが制定した悪法「愛国者法」によって、政府があやしいと思えば、どんな企業秘密であろうと開示させることができるのですから。

 プライバシーもなにもあったものじゃない。

 サーバの安定性にも問題がありますしね。

 世の風潮はクラウドバンザイですが、大切なデータを、どこの国にあるかもわからないハードに置いておく、なんてわたしにはできそうもありません。

 先日も、ファーストサーバが、バックアップ用のデータを含めて全削除してしまうという「大事故」を引き起こしたばかりですし。

 どういう力学が働いたのか、巷ではあまり話題になりませんでしたが……

 バックアップさえなくしたソフトバンクの子会社は、「払ってもらった料金分しか保障できない」といい、あまつさえ「月額1800円の料金で高度な管理と保障などできるわけがない」といい放ったそうですから、恐ろしいことです。

 結局、利用者を救ったのは、データ入力後に残しておいた、紙ベースの一覧だそうですから、まだまだ、安心して『のんちゃん電子「雲」にのる』のは時期尚早のようです。

上記「LINEがこの先生きのこるには」で、問題にしている点のひとつは、

ユーザーに、自分のスマートフォン内の電話帳が転送され、その結果、そのデータを通じて、見知らぬ他人から呼びかけられる可能性のある点を、わかりやすく告知していない点です。

 少し記事を引用させてもらうと――

 Twitterは公開の場であるのが明らかなので、警戒してニックネームを載せたり、アイコンを猫やアニメ絵にしている人が多く、facebookでは実名を載せることが強制されるが、そういうのが嫌な人はfacebookを使わないようにしているだろう。
 そのような人達が、LINEにおいては、電話やメールの代わりだと思って、公開されないことを期待し、実名を載せ、顔写真を載せてしまっているのではないか。このことが危惧される。
 解決策は、図7の画面で、ここで登録する情報は一般公開される旨を、きちんと説明することしかないのかもしれない。 (太字はわたしがつけました)




 もし、わたしに若い友人がいて、友だちみんながLINEを使っているから自分も使いたいがどうしよう、と尋ねてきたら、こう答えるでしょう。

 「開始後一年程度」の「グレーゾーンのある」、しかも「外国資本の入った」SNSサービスに、あわてて飛びつかない方が良いと思うが、もし、利用しないと友だちとのコミュニケーションが円滑に行えないようなら(そんな友だちは切ってしまえ、といいたいケレド)、今度も含めた危険性を覚悟した上で使いなさい。


 もっともいけないのは、あの、沈没しかかった船から日本人を飛び出させる一番のコトバであるとよくジョークにされる

「もう、みなさん飛び込んでおられますよ」

につられて、よく分からないまま、無自覚に、無覚悟に、それどころか無意識に(コレハナイカ)、新サービスの海にとびこんで、あとで元カレから突然メールが来て大騒ぎする、などとというミットモナイ振る舞いに及ぶことだと、わたしは思うのです。  

 人を評価するのに「棺覆ってのち定まる」という言い回しがあるように、ソフトも、本当の評価は、その機能が使われなくなった時に決まると思いますが、さすがに、そんな気の長いことはできないでしょう。

 ある意味、サービス、ソフトの利用は「見切り発車」が本則なのかもしれません。


 であれば、少なくとも、せめて2年程度は、そのサービスの行く先を見定めてから導入の可否を考えた方がよいと思います。


 とにかく、すでにご利用中の方も、これから導入を考えているかたも、

 LINEに質問状を送って、先入観なくその解答を分析している、
 「LINEがこの先生きのこるには
を一度読まれることをおすすめします。



 あ、最後に、LINEはずっと文字で見ていたので、今回の放送で、LINE本社のニンゲンを含めて、その発音が「イン」ではなく、「ラン」であったことに、驚くと同時に気持ち悪さを感じました。

 また例の、カタカナ的技術者発音の発露のようですね。これも……

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2012年7月 6日 (金)

井の中の蛙・天狗の鼻

 大人と子供の違いは?と尋ねられたら――

 以前のわたしは、

「世間の恐ろしさを知っているかどうか」

 を挙げました。


 世の中に広く自分の力を問うて、世間における自分の評価を知り、人は「万能の人」からただの「凡夫」に成り下がって、一生を全うするからです。


 ――かつて、ヒトは母親の体内で万能であった。
 欲したことすべてがすぐに実現し、不平不満など、その存在すら知らなかった。
 この世に生みだされ、まず、自分の思い通りにならなくなったのは飢餓感だった。
 少し前まで「お腹がすいた」という感覚など知りもしなかったのに。
 ついで、このまったく自分の思い通りにならない排泄行為だ。

 うろ覚えですが、岸田秀の「きまぐれ精神分析」には、このような記述があったような気がします。


 生みだされ、幼児教育をへて、初等教育、高等教育へと進むにつれ、我々の可能性は小さくなり、成人するころには普通の大人ができあがります。

 それは、少々有名な大学を出ても、大学院を出ても変わりはない。



 しかし、それまでなら……高校や大学程度までなら、自分の能力にうぬぼれることなどあるかもしれない。

 特に歴然たる結果の残るスポーツ分野ではなく、知能知識の分野では。
 高校野球や陸上競技などでは、「できる」者と「できない」者の間には、どうしようもない壁が存在するといいますからね。
 
 本やマスコミで読み聴く限り、おろかな考えをしている人のなんと多いことか。
 ひょっとしたら、自分の力は、世に問うてみる価値があるかもしれない。

 そう錯覚することも、若さ故の無謀な冒険を後押しするひとつの考えでしょう。
 井の中の蛙(カワズ)パワーとでも呼ぶべき力です。

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 中には運が味方して、それがうまくいくことがあるかもしれない。

 もちろん、絶え間ない努力による広く大きな裾野のない、運だけの成功など長続きはしませんが。 


 とにかく、「世間知らず」であるからこそ、自信をもって世の中に飛び出ていける、そんなこともあったのですね。

 過去においては。

 しかしながら――


 今は不幸にして、ネットがあります。

 集合知としてネットに蓄積された知識・見識は、たとえ玉石混淆(ぎょくせきこんこう)といえども、 それぞれに読み取るべき智恵があり、無視できないものです。

 こういったネットの知識に、幼い頃から接している若者たちは、今、どう考えているのでしょう。

 わたしはそれが心配なのです。

 よく、若者をたしなめるために、年長者がいうセリフに、

「自分の頭が人より優れていると錯覚しない方がいい。お前ごときが思いつくことなど、もうとっくに思いついている者がいるんだよ」

というのがあります。

 これはこれで、ある程度年をとった時には非常に重要な見識ではあると思いますが、個人的には、若いうちにこんな考えを持つべきではないと思っています。

 無知ゆえの「素手で太陽を掴もうとするような」思い上がった行動が、時には必要だからです。

 しかし、疑問に思ったことを、ふと口にした途端に、

「ググれ!カス!」

 とののしられ、すぐにネットで調べる癖のついた現代の子供たちは、早い時期から、

「自分の考えるようなことを、もっと『エクセレントに』『深く』考えている人が、いくらでもいる」

ことを知って、

「どうせ、自分の思いつくことなんか、大したことはないんだよな」

と、諦めてしまうのではないでしょうか。

 それが心配です。


 若者が何かを成し遂げるためには、『オレ様』的な、根拠のない自信が必要な時もあるからです。

 さらに、心配なのは、ネットをさらって多くの知識のみを得て、頭デッカチとなったあげく、若者たちが、手にした知識を組み合わせて自分なりに新しいものを生みだす努力をしなくなることです。

 自分で考えるより、ネットを探って、もっと「正しい」知識を手に入れた方が早い、下手に付け焼き刃の知識を披露しても、恥をかくだけだ、そう思うようになるのが怖いのです。


 以下は、ネットにあった笑いバナシ(ではないのかも知れませんが)です。

 上司が部下に指示しました。

 「**について調べてくれ」

 数分後、部下がやってきて言いました。

 「調べましたが、わかりませんでした」

 「こんなすぐに、調べが終わったのかね」

 「ネットで検索してもわからなかったので、これ以上は調べても無駄です」

 「君ねぇ――」


 冗談であると信じたいのですが、あながちそうとも思えないのが恐ろしいところです。

 この話に対する書き込みの多くが、

「ググって分からなければ仕方なし!」

 という論調であったのも気にかかります。



 かつて、偽悪家ぶって世間にツバしていた、あの堀江貴文(ホリエモン)が、フジテレビを買収しようとしたときに言い放ったとされる、

「マスコミに記者なんていりませんよ。記事なんて取材しなくてもネットに落ちている」

という発言は、この現代の風潮を、何年も前に先取りしていたものであったと、感心するほどですね。


 堀江貴文に関して言えば、彼に関する報道その他を頭ごなしに信じるわけにもいきません。
 既得権で塗り固められたニッポンの老人支配社会に対して、生意気な発言をした若造を、「出る杭をうつ」ために、大手マスコミが一致団結して彼を陥れた、という疑惑がぬぐいきれないからです。


 いわずもがな、ですが、あえて書いておきますと、実のところ、ネットに載っている事柄の多くが真実の表層に過ぎないものです。

 本当に大切なもの、真理は、いまだネットに書かれていない部分にあることが多い。


 であるならば、われわれに必要なのは、ネットに書かれた文言(もんごん)から、書かれていない真実を取り出す、(使い古され過ぎて口にするのも恥ずかしいですが)メディア・リテラシーを自分の中で作り出すことなのです。


 その為には、自分の生の経験、あるいはネットで仕入れた知識を、タダ単にコピー&ペーストして「ダラダラと垂れ流す」のではなく、見識のある人々ほどの考えはないかもしれないが、これこそが自分の考えである、と胸をはって、スッキリとした形でネット上へ再発信する勇気が必要です。

 読むだけでなく発信することでこそ、メディアリテラシーは鍛えられるのですから。

 わたしは、メディア・リテラシー(情報を正しく読み解く能力)を持つことこそが、今後の大人の条件ではないかと思います。


 そう考えると、ツイッターで、とにかく自分の賛否をつけないまま、「人の意見を引用する発信」をおこなったあげく、

「お前はそんな考えなのか」
と突っ込まれた途端に、
「いや、僕はただこんな意見があるよ、と転載しただけだし――皆に紹介しただけで、自分も同意見だと思われるのは迷惑だ」

と、逃げをうった、ミュージシャンR・サカモトなどは、白髪になっても、まだまだ精神面がコドモだといわざるを得ません。


 個人的に、意見を発信する際には、少なくとも自分の賛否をつけておくか、意見を紹介するだけなら、その旨を書くのが最低限のマナーではないかと思います。


 どちらにでも逃げられるような発言の仕方は、いかにも成熟しないコドモの手法です。
 まあ、それが、ある意味字数の少ないツイッターの限界かも知れません。
 前に別項でも書きましたが、深い意見を書くのに適していないツイッターは、いま勢いを失いつつありますから。


 また、話がとりとめなく迷走しそうなので、もとに戻して結論をいいます。

 つまり――

 我々を含めた、これからのネット社会に生きていく若者たちに必要なのは、情報を調べるだけのネット利用ではなく、井の中の蛙となって、天狗の鼻を伸ばし、恥を恐れずに自分なりの意見を発信することなのではないか、ということですね。

 ああ、これってまるで自分自身に言い聞かせているような結論ぢゃないか……

 これはもう、人に意見しているのぢゃないぢゃないか

 かぶらやよ もう止せ こんな事は――

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2012年7月 5日 (木)

自分の名前 ~ヒッグス素粒子発見~

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                      右側がヒックス博士

 科学者いや物理学者にとって、最高の夢は何だと思いますか?

 ノーベル賞をとること?

 いやいや、そんなのは小さいのですよ。

 些事ですよサジ。

 皆さん口には出しませんが、わたしは、この際、独断と偏見ではっきりと言ってしまいます。

科学者にとっての最高の夢は、「自分の名前の単位を世に残すこと」です。

 力のニュートン、磁力のガウス、圧力のパスカルなど、過去の誰もが知っているであろう物理学者は、単位に自分の名前を冠しています。

 しかし、これは狭い、本当に狭き門です。

 ブルドーザーが走り回り、崖が崩され、宅地造成がなされて家が建ち、数十年たった千里ニュータウンから古代の遺跡のカケラを探すようなものです。

 もう、何も残っちゃいない。

 潮干狩りシーズンの最終日夕方の浜辺ですよ。

 単位に自分の名をつけるためには、何か、これまで人の知らない法則、現象を発見し、それを「定性的」(つまり性質分析)にではなく「定量的」(その現象が数式で計算できるように、つまり人間の手で再利用ができ、有用である)に、体系づけなければならないのですから、並大抵の才能と努力と運では不可能です。

 それなら、せめて天文学者の夢、自分で発見した天体に名前をつけるように、新しい物質名に自分の名をつけたい――

 そう思った科学者たちは、ちょっとずるいことを考えました。

 ものすごい圧力、少なくとも太陽内部くらいの圧力と熱があれば、私の理論は証明されるんだけどな、今はだめだけど……

 という感じで、理論上はこんなことになる、こんなものが存在するはず、ただし、今の君の顕微鏡では見つからないけどさ、と、名前だけを先につけて、予言しておくのですね。

 湯川秀樹の中間子といい、実際に、そういうものは結構あるのです。

 そして、さる4日、あの「シュタインズゲート」のファンなら絶対知っている、ジュネーブの欧州合同原子核研究所「CERN(セルン)」が、大型粒子加速器を使った実験で、40年前に、英国のピーター・ヒッグス博士(83歳)がその存在を予言していた「ヒッグス粒子」を見つけた、と発表しました。

 分子、原子、その原子よりも小さい素粒子の話です。

 ヒッグス粒子は、移動する素粒子にまとわりついて、動きにくくする=質量をもたらす粒子だそうですが、それなら、ヒッグス粒子よりは、パピィ(子犬)粒子、なんて名前の方が気が利いていたのにな、なんてことを考えてはならないのです。

 偉大な発見をしたと感じたら、まず自分の名をつけよ。

 これは、科学の神様から、科学者に下された厳命です(ウソ)。

 いずれにせよ、ヒッグス博士83歳、よくぞ長生きされました。

 生きて、自らの研究成果を目の当たりにすることができたのですから、彼は幸せです。

p.s.
 宇宙兄弟では、金子博士は見つけた星に妻シャロンの名前を冠したのでした。

 同様に、研究成果に自分の名前でなく、妻の名を付けた科学者を寡聞にしてわたしは知りません(もちろん、実際にはそういう人もいるのでしょうが)。

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ピンポンダッシュ、ならぬピンポン観察!

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 見知らぬお家のインターフォンあるいは呼び鈴(古い)をピンポンと押して、そのまま逃げる、多くの人が子供の頃にやったことのある遊びではないでしょうか(え、そんなことない?)。

 わたし自身はやったことがなかったのですが、後に、それをピンポンダッシュと呼ぶと知って、うまいこと名付けるなぁ、と感心した覚えがあります。

 このピンポンダッシュ、近頃のインターフォンでは、やりにくくなりましたね。

 何せ、カメラ付きですから。

 機種によっては、押した瞬間の画像を記録して残すものもあるので(我が家のがそうです)、迂闊(うかつ)に「ピンポン」できなくなっています。


 ある自宅待機の青年が、いや彼は、いわゆる「引きこもり生活」をしているのですが、このカメラ付きインターフォンで面白い遊びを発見したそうです。

 家族が外出し自分だけが在宅jしている時、宅配業者の訪問を受けた彼は、他人と話すのがおっくうで居留守を使いました。

 呼び出しのボタンが押した時点で、ほとんどのカメラ付きインターフォンは、訪問者の姿をディスプレイに表示します。

 彼は、そのまま返事をせずに訪問者を観察したのです。

 そして、気づいてしまいました。

 初めは、訪問者もカメラを意識して、きりっとした顔をしているそうですが、しばらく放置すると、だんだんと本性が現れてくる。

 それを観察するのが楽しい、と。

 悪趣味なことです。


 家には、様々なタイプの訪問者がやって来ます。

 一度チャイムを鳴らしたあと、我慢強くずっと待つ人。

 鳴らした後で、その場を離れ、しばらくして戻ってきてまた鳴らす人。

 しつこく鳴らし続ける人(これに関しては、訪問販売の規制が強化されてからはすっかり影を潜めたらしいですが)。

 興味深いのは、留守と判断してからの彼らの行動です。

 油断して「素」をあらわし、悪態をつく、壁やドアをけるマネをする者、あるいは本当に蹴ってしまう者――

 「居留守のプロ」たる彼には、宅配業者による、はっきりとした違いがわかっていて、「この会社はしっかりしているが、あの会社は乱暴だ」と断定できるそうです。

 どうやら、配達人の「素」で会社のカラーが分かるらしい。

 面白いなぁ、この人間観察。


 話を聞いて、さっそくわたしも一度試してみることにしました。

 明らかに届け物があると分かっている、その日、戸外にトラックの音がして、ピンポンの音。

 すわ、これぞ好機!

 と、勢い込んで、液晶画面の前に立ち、観察しようとしましたが、どうしても待たせることができずに、応答のボタンを押してしまいました。

 だって、待たせるなんて失礼じゃないですか。

 悪いし。

 相手の時間をこちらの自由に使って良いという法はないわけですから。

 つくづく人間観察には向かない性格ですねぇ。

 いつかわたしも、この人間的弱さを克服して、「ピンポンダッシュ」ならぬ「ピンポンウォッチ」ができるように……ならないでしょうねぇ。

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2012年7月 3日 (火)

アメリカ、ヘロヘロやんかー ~「世界を救う処方箋」より~

 日本では、 今もなお経済大国としてアメリカを持ち上げる人の多いのが不思議ですが、USAは、2010年の財政赤字が100兆円近く(1兆3000億ドル)あり、それはGDPの9%でした。

なぜ、赤字になるのか?

それは単純な数式でわかります。

税収は、現在のシステムでGDPの18%。

それに対して、社会保障や医療・年金などの義務的経費が13%、軍事予算が4%、借金利息が3%これだけですでに赤字になる。

つまり、

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絶対に必要な経費だけで、すでにマイナスなのに、この上にさらに経費がかかるため、慢性的な赤字体質になっているのです。

世界経済の牽引車たるアメリカがもう立ち行かなくなってきている。

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「 世界を救う処方箋」の著者、ジェフリー・サックスは、その原因を、ひとえに(ひとつに限定する時点でちょっとマユツバなのですが)、

「高額所得を得て、多くの資産を保有し、大卒以上である」ような富裕層が、「少ない税率しか負担しなくなった」からだ、と断定しています。

 このあたりの話は面白いので、もう少し紹介すると、

 ブッシュ以降の新自由主義政策によって、富裕層は、所得も投機収入も資産も課税を減免されてきた。

 同時に、軍事・医療・石油に関わる大企業は、ロビー活動を通じて、民主党へ、共和へと、党を問わずに政治献金を行い、メディアはアメリカの危機は「大きな政府によるものだ」というキャンペーンを張って、サブプライム危機を引き起こした当事者の金融機関幹部は責任を問われるどころか、ボーナスを稼いできた。

 中国からの製品が輸入され、アメリカの国内のインフレ率は低下したが、グリーンスパンは、それをIT革命にもとづく生産性の向上のせいだと強弁して金融緩和しか講じなかった。

 そのために製造業では賃金は下がり雇用も失われた。

 つまるところ、グローバリゼーションを見誤ったのである。

「グローバリゼーションのお手本」として、アメリカバンザイと彼の国を持ち上げることしか知らない日本の識者に教えてやりたいような内容ですね。

  サックスは断罪を続けます。

 リーマン・ショックを経てさえ、政府は金融緩和と減税しか施策を打てないでいる。

その理由は、

「コーポレートクラシー」=「有力企業による圧力団体が政策アジェンダを支配するような政治形態」

が、依然としてアメリカを政府と議会を羽交い締めにしているからだ。

結果として………

 貯蓄率は下がり続け、インフラ・ストラクチャへの投資がままならないために、ニューオリンズは水没し、教育に金がまわらないため、学歴で労働者はヨーロッパどころかアジアにも後れをとりつつあり、地球環境やエネルギーといった将来のための問題への関心も薄く、大きな格差は「郊外と都心」「サンベルト(南部)とスノーベルト(北部)」といった居住地域間に政治的分裂をもたらした。

 「ヨーロッパどころかアジアにすら学歴が」ってところは、なんだかアメ公らしい「上から目線」を感じますが、まあ言っている内容はそれほど間違っていないと思います。

 以上、わたしが今回お伝えしたかったのは、日本の「識者」によるアメリカ経済への視線は、昨今の米国の就業率微増でかなり楽観的になっているように見えます。

 しかし、現実のアメリカの病根は根深く、安易に表層的に、アメリカへ追従しては、かえって日本がアブナクなる、ということです。

日本は、安易なアメリカへのお追蹤(ついしょう)をやめて、日本の風土と文化に根ざした経済立て直し、グローバリゼーションを考えるべきなのですから。

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2012年7月 2日 (月)

俺を越えていけ!いや、ホントはやめて欲しい ~師弟の亀裂~

 今日は、タイトルにあるように、師と弟子の亀裂について話そうと思います。

 師と弟子といえば、有名なのは誰と誰でしょう。

 わたしのような凡夫にとって、すぐに思い浮かぶのは、プラトンとアリストテレスでしょうか。

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 二人の出会いは、アリストテレスが17歳で、プラトンのアカデメイアに入学した時です。

 この時プラトン60歳。

 貴族の子息プラトンは、マケドニア王従医の息子アリストテレスの才能を評価し、アリストテレスは、学生として、後に教師としてプラトンの没するまでアカデメイアにとどまりました。

 しかし、ふたりの考え方は徐々に違っていきます。

 対話によって真実を追究していく「弁証論」を方法論としたプラトンに対して、アリストテレスは、経験的事象を元に「演繹的」に真実を導き出す「分析論」を採り……

 実在観も、プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとしましたが、アリストテレスは、感覚で捉えられ、「形相が質料と不可分に結びついた個物」が実在であるとしました。

 つまり、最後には、相容れないほど違ってしまったのですね。



 あるいは、日本でいえば法然と親鸞。

 彼らの年齢差は40歳。

 親鸞は、法然の専修念仏の教えに触れ入門を決意します。

 「綽空」(しゃっくう)の名を与えられた親鸞は、しだいに法然に評価されるようになり……
 その後、1207年に、後鳥羽上皇の怒りに触れ、師弟ともに、別な場所に配流(はいる)されます。

 1211年に罪をとかれ、翌12年法然が入滅(死亡)。

 法然の浄土宗と、親鸞の浄土真宗の教えの違いについては、ここでは書きませんが、これも師弟が行く道を、大まかな向きは同じでも微妙に違えてしまった例ではないかと思います。


 まあしかし、これまでの例は、古代ギリシアであり、日本のはなしであったため、それほど苛烈ではないように思えます。


 さて、そこで、いよいよハイデガーの登場です。

 人によって違いはあるでしょうが、二十世紀に限定して、すぐに思いつく哲学者をひとりあげなさい、といわれたら、ハイデガーをあげる人が多いのではないかと思います。

 ハイデガーの哲学については、ここでは触れません。

 かつて、そのハイデガーが「誰の本を一番読むか?」と尋ねられ、

 「マルティン・ハイデガー(つまり自分)の本だ」

と答えた逸話が残っています。 

 これを、たとえ自分の考えでも、振り返って復習しないと定義がおろそかになってしまうから、常に温故知新、自分の基本の考えに戻るエライ人、などと短絡的に考えてはいけません。


 それは、どういうことか?


 ハイデガーは、現象学の創始者フッサールのもとで学びました。

 フッサールは彼を高く評価し、自分の定年にあたり、フライブルク大学の後任教授にハイデガーを推すほどでしたが、やがて二人の仲に亀裂が入ります。

 ナチスに接近するハイデガーは、時流に乗って大学の総長に就任しますが、ユダヤ系のフッサールは公職追放の憂き目にあい――

 この時、ハイデガーは、「師の苦境を和らげる行動を一切とらなかった」といわれているのですね。

 フッサールは、この時の裏切りを

「私の存在の根本を突き崩した」

と自著の中で述懐するほどですから、いかに弟子が師を傷つけたかが分かります。

 後に、ハイデガーは、ナチスを思想的に自分の思い通りに動かせそうにないと分かって徐々に距離を置くようになりますが、戦後は、ナチスの協力者として、かなりの批判を受けるのです。

 ここで、さきの「自分の本を一番多く読む」話に戻ります。

 つまり、ハイデガーという人は、過去の自分が「今よりも無知」で、「間違っていた」ことを認めることができなかったコドモであったのではないかということです。

 だから、いつでも昔の自著を読み返し、感動し納得できるのではないでしょうか。
 
  そういったコドモの部分が、完全な自分の、完全であるはずの師フッサールに手をさしのべることをためらわせたのではないでしょうか。


 岩波書店「師弟のまじわり」(ジョージ・スタイナー著)の内容で、わたしはそんなふうに感じたのです。

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2012年7月 1日 (日)

結局きみは何をいいたかったのかね 〜峰不二子という女・最終話〜

 本当なら、今日のテーマは、ハイデガーとフッサールの師弟関係、あるいは、ハイデガーとワグナーのナチスに対する関わりかた、または――

 のをあある とおあある やわあ
 「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
 「いいえ子供
 犬は飢ゑてゐるのです。」(萩原朔太郎「遺伝」)

 ギリシア、スペインのような欧州だけでなく、アメリカ経済がいかに病んでいるかについて、書こうと思っていたのですが、時期というか、旬を逃してはいけないので、不本意ながら、最終回を迎えたアニメ「峰不二子という女」について書こうと思います。


 先週末に最終回を迎えたこのアニメ、観終わって最初に思ったのは、

「なるほど、そういうトコロに落ち着かせましたか、しかし――だとすると、結局、今回の話はいったいなんだったのかね」

でした。

 以後、ネタバレをしてしまいますので、自分で番組を観て楽しもうと思っておられる方は、お読みにならないでください。

 

















 ざっくりいって、ぶっちゃけたはなし、いや結局のところ、今回の峰不二子は、しばらく前に、フロイライン・オイレ教団の「フラフラの秘宝」を盗むため、ルイス・アルメイダの館にメイドとして潜入したところを逆に捉えられ、彼の開発した「高度な洗脳による記憶の改竄(かいざん)」によって、ありもしない記憶をうめこまれただけ、だったのですね。

 視聴者を惑わせるためだけに制作者側が持ち出してきた、思わせぶりな、まるっきりできそこないのイッツ・ア・スモールワールド似のカラクリ人形による「みーねーふーじーこー」の大合唱や……


 あるいは、世界中で誘拐され、不二子に似せた姿に変えられた娘たちは、物語のシノプシスにはなんの関係もない、視聴者をミスリードするためだけに設けられた「あざとい」仕掛けにすぎなかった。


 で、「なぜ、黒幕は、そんな、ヤヤコシイことまでしてしまったのか」といえば、アルメイダによって本当に人体実験された、主任研究者のdaughter(ドーター:娘)「アイーダちゃん」が、記憶を捏造され改造され改竄されて、廃人同様になった頭で、「そうしたい」と考えたからだ、だなんて……


 もう制作者たちは、ストーリーを構成するのを放棄したと考えるほかはないですね。


 だいたい、このアニメは、ドイツ語と英語をゴッチャに使い過ぎて気持ち悪い。

 娘をフロイラインと呼ぶなら、女の子はdaughter(ドーター)ではなく、die Tochter(トホター)と呼ぶべきでしょう。

 麻薬の事故のために消滅した町の名が、ドイツ人なら知らぬもののない道化者「
Till Eulenspiegel(ティル・オイレンシュピーゲル)」からとっているのも、なんだか気持ち悪いしなぁ。

385_3               ティルオイレンシュピーゲル

 で、最後は、この数ヶ月の記憶の改竄なんてどうでもいいの、わたしは、結局、わたしのやりたいように生きてきただけだから――


 が、結論ですか?

 で、ラストに、ファンサービス(になってないけど)として、ルパン三世の「不二子ちゅぁーん」というシャウトでおわりぃ?


 監督や脚本家は、しめしめ、これで、うまく後のルパンシリーズの不二子へ繋(つな)げることができた、なんて悦に入ってるんじゃないだろうなぁ。


 まあ、結果的に、病的な出自の峰不二子、というセンは、なんとか避けることができたのですが、そのかわり、どうしようもないご都合主義だらけの話になってしまいましたね。


 結論からいえば、監督以下は、こういいたかったのでしょう。



 彼女は、生まれて峰不二子になったのではない、

                    峰不二子として生まれてきたのだ




 まさか、彼らは、それでうまく話を「シメ」に持っていったとは思ってないでしょうねぇ。

 いずれにせよ、この作品は、ルパンシリーズの異端、黒歴史系に所属するのは間違いないところでしょう。残念です。

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