また逢う日まで ~尾崎紀世彦死す~
歌手の尾崎紀世彦氏が亡くなりました。
69歳という年齢は、男性の平均余命からすると、短いかもしれませんが、あれだけの大ヒットを飛ばした人物にしては長生きなのではないかという気もします。
なんとしても売れたいと思っている歌手が、大ヒットを手に入れるという功名を手に入れるためには、何かかわりに失うものがあるように思うからです。
いや、これは何も、一時、子供たちがコミックやアニメから学習して連発しまくっていた「等価交換」という安易な考え方ではありません。
尾崎氏については、他の方が書かれるでしょうから、わたしは少し違う視点から話をしてみようと思います。
それは歌唱法、つまり歌い方の変遷というものについてです。
いかなる人生の苦痛からか、あるいはもともとからか、尾崎氏がかなり変わった人だとのうわさは聞いていましたが、それとは別に、彼の「歌い方」が年とともにひどく変わってしまったことが気になるのです。
とくに、この15年ほどは、たまに歌謡番組に出てくるたびに、尾崎氏の「また逢う日まで」の発声タイミングが、まるでベーヤン(堀内孝雄)なみに3小節は(ウソ)ズレているように聞こえて心配でした。
しかし、これは特に彼に限ったことではなく、山本リンダ氏なども、そんなにタメた歌い方して……どこで覚えてきたの?ってくらいに、ウラウラを引っ張りまくって歌っていますからね。
これはいったいどうしたことでしょう。
年をとって、コブシをいれて歌いたくなったということでもないでしょうに。
それに、みんながみんな変ってしまうということもない。
欧陽菲菲氏の「雨の御堂筋」などは、いま聞いても違和感がほとんどありません。
あるいは経てきた年輪を、かつてのヒット曲を歌う際にも示したいという気持ちがあるのかもしれない。
今も、ニュースでは尾崎氏の「また逢う日まで」を、昭和46年、平成5年、平成15年と、続けて流していますが、記憶どおりに時代を経るにしたがってタメが大きくなるのがわかります。
彼の代表曲なのだから、本人がどう歌おうと勝手なのですが、最初のヒットから知っている身としては、オリジナルの歌い方を通してほしかったと思うのです。
しかしながら、歌い方はともかく、晩年は病をえて、その中での歌唱であったと聞いていますが、豊かな声量とパンチある歌声に変わりがなかったのはさすがです。
歌のうまい人でした(これは馬鹿にしてるんじゃありません。歌手で歌の下手な人間はたくさんいますから)。
ご冥福をお祈りします。
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