なにかが道を去っていった ~レイ・ブラッドベリ死す~
比較的大きなニュースとして流れているので、みなさんご存じでしょうが、ファンタシーSF作家のレイモンド・ダグラス・ブラッドベリ(レイ・ブラッドベリ)が亡くなりました。享年91歳。
訃報(ふほう)を聞いた時、最初に頭に浮かんだのは、
「まだ生きてたのかぁ」
などという不敬(ふけい)な、いや罰あたりな考えではなく、
「SF作家って長生きが多いんだなぁ」
でした。
アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォークト(本来の発音はヴァン・ヴォート)87歳、アーサー・チャールズ・クラーク90歳などSF作家、特に超有名な作家は長生きが多い。
わたしも、超有名なSF作家になれば長生きできたかも。
それはともかく、ブラッドベリといえば――
ニュースでは「火星年代記」の作家といっていました。
しかし、SF好きなら、彼の短編は捨てがたいはず。
「太陽の黄金の林檎」や「ウは宇宙船のウ」「スは宇宙(スペース)のス」「10月はたそがれの国」
長編なら年代記より「華氏451」か、本ブログタイトル、-その夜を境にぼくたちは永遠に少年時代と決別した-「何かが道をやってくる」のほうが個人的には好きです。
火星年代記ならば、テレビ映画でロック・ハドソン主演のものが印象的でしたね。
作品としては、「華氏~」あるいは「何かが~」が好きですが、自分の作風、考え方に大きな影響を与えられたのは、子供の時に読んだ年代記中のいち作品「長かりし年月」ですね。
これについては以前にわたしも「僕の彼女はサイボーグ」の項で書いていました。
」
火星の伝染病で家族を失った技術者が、孤独を癒すために、全身全霊をこめてつくりあげた家族のアンドロイド。
『主人』である男が救助隊の到着を知って、歓びのあまり心臓麻痺で死んだ時に、救助隊の隊長が、妻のアンドロイドに尋ねます。
「彼が死んで悲しくないのですか?」
「あの人は、その能力を授けてはくれませんでした」
「それは良いことをされましたね」
「そう思います」
隊長の呟く、「才能ある男が一心不乱に打ち込んだら、どんなことでも可能だったろう」という言葉も悲しく切ない。
このあたり、松本零士が好んで描く「何もないところから徒手空拳で、宇宙船を作り上げるトチロー」的な執念を観じますね。
加えて、ちょっとメランコリックで、センチメンタルでファンタジックな世界が、ブラッドベリのSF世界でした。
華氏451は、未来の独裁社会における焚書(ふんしょ)について書かれた名著です。
映画も名作で、物語のラスト、ファイヤーマン(普通は火を消す消防隊員ですが、映画では火炎放射器を持って本を焚書する男)であった主人公が、国家が消そうとする物語を後世に残すため、暗記暗唱しつつ湖のほとりをゆらゆらと歩く姿が印象的でした。
ところで、皆さんは華氏と摂氏についてどのくらいご存じでしょうか?
わたしは、子供の頃、温度なのになんで氏がついてるの?と不思議でした。
長じて、摂氏の正式名称が「セルシウス度:C」で、考案者アンデルス・セルシウスの名を取ってセ氏あるいは摂氏と呼ぶことを知りました。
それでも、華氏の正式名称が「ファーレンハイト:F」なのかは分かりませんでした。
発氏あたりがふさわしいような気がしていたのです。
のちにファーレンハイト氏の本名が、ガブリエル・ファーレンハイトであると知って、合点(がてん)がいきました。
しかし、ガブリエルの「ガ」が「華」ですか?
そりゃないんじゃないの?
ちなみに摂氏と華氏の関係は下の式となります。
真水の凍る温度0度、沸騰する温度を100度として、それを100等分して一度を決めた摂氏ならわかりやすいのですが、ガブリエルはいったい何を思って、こんなワケのわからない温度を決めたのでしょうか?
一説には、彼が測ることのできた最も低い室外の温度を0度、彼自身の体温を100度とした、なんて話も聞きますが――冗談ですよね。
だって、華氏ってけっこうオウベーでは普及してるんですよ?
まあ、
王様の鼻の頭から指先まで→1ヤード
なんてフザけた単位が生き残っている国ですから、それぐらいはあるでしょうね。
最後に、ワケのわかったような分からない単位というのをもうひとつ。
マウスの移動距離の単位は、ドットでも、ピクセルでもなくて「ミッキー」といいます。
あれ、何の話でしたか……
あ、ブラッドベリ!失礼しました。
ご冥福をお祈りします。
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