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2012年5月25日 (金)

大和川急雨(やまとがわきゅうう)の終焉 ~冨本憲吉記念館閉館~

 今朝、新聞を読んでいて、今月いっぱい(2012年5月31日)で、冨本憲吉記念館が閉館することを知りました。
 すぐ近くに住んでいて、機会があれば行ってみようと考えていた場所の突然の閉館です。
 そこで、急遽、本日出かけて来ました。
 記念館は、奈良県生駒郡安堵町にあります。
 斑鳩町にある音楽工房からは15分ほどです。
 冨本憲吉については、このあたりを参考にしてもらうとして……
 今回、記念館が閉館することになったのは、個人美術館の宿命ともいうべき、後を継ぐものがいなくなったからだそうです。
 1974年、およそ40年前に、冨本憲吉と親交のあった地元の名士、山本勇氏が「道楽」で始めたものを、氏の死後、義弟の山本茂雄氏が後をつぎ、守ってこられたものですが、氏も高齢になられたため、いよいよ閉館を決意されたのです。
 その前に、地元の安堵町に、
「日本で最初の人間国宝のひとりである、安堵町民、冨本憲吉の記念館を助けてくれないか」
と、打診してみたそうですが、良い返事がえられなかった末での決断であったらしい。
 記念館では、山本氏に会うことができ、少し話すこともできました。
 では、写真とともに紹介をしていきましょう。
 これが入り口です。この美術館が、もうひとつ集客出来なかった理由のひとつは、側に大きな駐車場がなかった点です。

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 もともと、富本憲吉が住んでいた家を使っているために、村の中にあって、駐車場を確保できなかったのですね。
 中に入ると、ひなびた感じが、なんとも心地よく胸に響きます。

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 閉館が報じられたためか、結構な人出でした。これは、もとの富本憲吉の母屋です。

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母屋に入って反対側に出ると、蔵を改造した展示室があります。

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  中はこんな感じです。

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 写真からもわかるように、商業デザイナーでもあった富本憲吉は、「白樺」の表紙もデザインしています。

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 美術館のすぐ側を流れる大和川、わたしにとっても近しい川ですが、その雨の様子を描いた冨本憲吉の代表作のひとつ「大和川急雨(やまとがわきゅうう)」です。

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 当時、進行のあった書店、柳屋の暖簾(のれん)、包み紙、店員の袢纏(はんてん)のデザインも手がけています。

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 日本にやって来た英国人バーナード・リーチ(写真左)とのつきあいの中で、冨本は陶芸に目覚めていきます。
 師を持つことを潔しとしなかった彼は、独学で陶芸の道を進んでいきます。

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 はじめは、自分が使うような実用品から……
 晩年の、これによって人間国宝になったといわれている、金銀彩の染め付けを、簡素な絵のまわりにあしらった「磁器 赤地金銀彩染付村落遠望図大陶板
」↓にまで行きついてしまいます。

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 これが中庭から見た、富本憲吉記念館の全景です

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 富本憲吉が、この家で共に暮らした「進歩的女性」尾竹一枝との確執については、また別項で書くことにします。
 また本日、受付で湯呑みを買おうとしたら、ちょうど品切れで、明日入荷するかもしれない、とのことだったので、今は、それを待っています。
 もし、明日、手に入ったらそれも含めて書くことにします。

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