« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

2012年5月30日 (水)

うなぎは本当にうまいのか? ~うな丼並780円 すき家~

 すき家のうな丼並盛りが780円で、高すぎると評判になっています。

327_2

 すき家といえば、「安くて腹のふくれるメニュー」が多い、給料前のサラリーマンの味方、のはず、であれば、確かに写真でみる限り少々高いような気もします。

 理由は、うなぎ自体の高騰にあるとのことで、昨年より100円高くなっているのだそうです。

 うなぎに関していえば、かつて、疑惑をもたれた中国の薬漬け(抗生物質の)プール養殖についてなど、書きたいことはいろいろありますが、今はやめておいて……

 ひとつだけ書いておきたいのは――うなぎって、本当にそれほどおいしいものなのでしょうか?

 以下は、わたしの独断と偏見ですので、どうかお腹立ちにならないでください。

 恥ずかしながら、わたしは食事に関しては栄養第一主義なので、もうひとつ細かいおいしさ、味の違いがわからないことが多いのです。

 だから、うなぎや鮨のうまさがもうひとつわからない。

 江戸時代初期の小説を書いていると、知識と感情がミックスされて、当時の生活に感化されることがあります。

 LEDの灯りのともる家にいながらも、貧しい長屋に暮らす話を書いていると、部屋は魚油のサカナくさい臭いでおおわれ、人の顔は妙に黒く(幕末、明治時代の人々の写真などでは、みな黒い顔をしていますね。あんな感じ)見え、家の外は、まっくらで街灯もない、といった気持ちになるのですね。

 江戸時代を舞台にした小説で食べ物を描こうとすると、川や江戸前でとれるシジミやあさりは庶民の生活、船でとる鯛などは金持ちの食べ物、というハラができていないと生活感がでない。

 まあ、中には「自分は、江戸も現代も同じ感覚で書いている」という作家もいますが、そういう人の作品では、平気で町民が武士に啖呵をきってしまったりします。

 殺されるって……

 江戸時代中期までは、うなぎは泥臭く、まずい下魚あつかいでした。

 実際、そのまま食べてすばらしく美味ということはないでしょう。

 ウナギについては、あの有名な平賀源内の「土用の丑の日」という話がありますが、それはおいておいて、個人的には、タレの工夫によって、江戸時代にウナギ人気は上がったのだと思います。

 もちろん、サバキ方、焼き方に独特の工夫がなされているのは知っていますが、やはり人は味に飛びつくものです。

 ポイントはタレですよ、タレ。

 上方、江戸落語ともに、「砂糖をはりこんでおいしく作った料理」という表現がありますが、昔の人にとって、サトウキビから作る砂糖は高級品であり、最高級の調味料だったのですね。

 食即エネルギーの糖分(砂糖)は、多くの動物にとって美味らしい。

 山岳地帯などで荷物を運ぶ馬にしても、重労働に対する褒美は砂糖であるといいます。

 その砂糖をふんだんに「はりこん」で、醤油(アミノ酸のかたまり、これも生物にとっては美味しい)とともに煮込んだ「秘伝のタレ」をかけるのだから、少々ドロくさかろうが、油が多かろうが(蒲焼きすることで油も落としす工夫もされています)、おいしくいただくことができるでしょう。

 ご存じの方もおられるでしょう。

 よいウナギのタレは、ウナギがなくても、ご飯にかけるだけでおいしい……

 もう一度書きます。

 長らく、ウナギはドロ臭く、江戸っ子の口にはあわないものとして、無視されてきました。

 やっと、味と焼き方に工夫をこらしても、長らくしみついた「うなぎ自体の味」への偏見は変わらなかった。

 さきの「土用の丑の日キャンペーン」がなされる前であれば、砂糖と醤油であまからく煮込んだ上に、さまざまな薬味を加えた(その多くは、十年以上使い続けたタレをベースにしてある)「高価なタレ」をかけてすら、

「んな暑い時期に、あんなアブラっこいものたべられっかよ、ちくしょーメー」

と、見向きもされなかったといわれているのです。

 それがいつのまにか、ウナギ自体が美味とされ、ウナギをうまいというのが当たり前で、天然ものが少なくなれば養殖ものへシフトし、国内で育てるのがコスト高になると、中国産を仕入れ……

 なんだか、うな丼が高級食になってしまっているのですね。

 だから、すき家ですら、かなり高い値段設定になってしまう。

 このあたりは、江戸前と呼ばれる「江戸湾でとれた魚」を、新鮮さを生かしてさっとさばき、酢飯にのせて食べさせた「江戸前の鮨」が、いつのまにか高級食扱いされ、スシ職人が客に説教するなどというフザケタ事例すらある、スシ界と同じ、勘違いぶりを感じますね。

 まあ、そういった『高級鮨』に対しては、回転寿司が、高級ウナギ店に対しては、すき家のうな丼が生まれたのでしょう。

 そのすき家にしてからが、値段設定が高すぎるのです。

 今後は、品不足が心配されるトロも含めて、ウナギも、あまり飛びついて食べようとしない方が良いような気がします。

 うなぎの味のおいしさはタレのおいしさなのです。

 上に書いたように、もともと、江戸時代にタレと製法が完成されるまでは、江戸っ子が見向きもしなかった魚類なのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月29日 (火)

死の重さ50グラム ~ニュースになった毒~

「ニュースになった毒」という本があります。

 作者のAnthony T.Tuは、サリン事件の分析にも関わった毒物の専門家です。

 台湾で生まれ、現在は日本の大学で教鞭をとる彼が、サリン事件を始め、和歌山ヒ素カレーを、成分や人体への有害性を科学的な視点から解説してくれる本です。

 しかし、中でも特に興味深いのは、薬物に関する罰則の国際比較です。

 死刑!になるヘロインの最低所持量がすごい。

 ご存じの方も多いでしょうが、世界の多くの国で、麻薬の所持、密輸入にはかなり激烈な罰則が定めてあります。

インド      10キロ
バングラデシュ  2キロ
中国       50グラム

 中国は、50グラムで死刑なんですね。

 こういった他国とは別格の厳しさは、アヘン戦争の為に香港まで英国に取られてしまったという痛恨の歴史があるからだと著者はいいます。

 ひるがえって、我が国における密輸入の罰則はどうなのでしょう?

 ヘロインだとこうです。

 非営利犯 1年以上の有期懲役
 営利犯   無期又は3年以上の懲役 情状により1000 万円以下の罰金を併科

モルヒネ・コカイン・マジックマッシュルームなどの輸入は、

 非営利犯 1年以上10 年以下の懲役
 営利犯 1年以上の有期懲役 
     情状により500 万円以下の罰金を併科(阿片法は300 万円以下)

となっています。

 日本は、まだまだ違法薬物に関する罰則が弱いようです。

 だから、その気分のまま、安易に「どこかの外国」から「外国」への入国の際に、荷物を渡され「いくらか渡すからこれを持ち込んでくれ」といわれて了解し、税関で麻薬が見つかって、無期懲役だの死刑だのという恐ろしい量刑を求刑されて泣く若者があとをたたないような気がします。

 中身を知らないまま、頼まれて鞄を運んだりすると大変なことになるのです。

 「たかが粉を持ち込んだだけじゃん」と、笑ってすましてくれる国は世界にはないのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

太く長い線の人生 ~吉田秀和死す~

 音楽評論家の吉田秀和氏がなくなりました。

 御年98歳。

 氏については、以前に「鎌倉行」で書いたことがあります。

 ピアニストの中村紘子に英才教育をほどこした、などの様々な逸話が彼にはあります。

326


 興味深い話は、そちらを読んでいただくとして、今、書いておきたいのは、彼の晩節が、決して「お余りの人生」ではなかった、ということです。



 以前に、このブログでも書きましたが、吉田秀和氏は、年をとってから美しい女性と結婚しました。

 ドイツ人女性のバルバラ・クロフトです。


 そして、後に彼は、長命である者の「負の面の辛酸」をなめることになります。

 骨盤に転移した癌によって、2004年にバルバラ・クロフトに先立たれるのです(享年76歳)。

 この時秀和90歳。

 彼女の死で「身体の半分がなくなった」ように感じた彼は、筆を折ってしまいます。


 しかし、何年かが経って、彼は、音楽についての執筆を再開します。

 その理由については、以前のブログに書きました。


 そして、それ以降、表だった行動はなかったものの、中断することなく精力的に仕事を続け、去る22日に亡くなったのです。

 おそらく彼は、死後にバルバラ・クロフトに褒めてもらいたかったのでしょう。

 世俗的な要望に応えたり、あるいは自己のプライドのためだけの仕事ならば、一度折った筆を再びとる必要もなかったはずですから。

 前回わたしは、氏の人生について、

 人の人生は、漫画家の描く線に似ている。
 細く入り太く描き細く払う。
 その長さには長短があり、太さにも差がある。
 吉田秀和の人生は、太く入り、太く走って、太く払われる一本の線なのだろう。
 ひとことで言えば、太い人生を歩んできた男だ。

と書きました。

 人の人生は「棺覆って定まる」ものです。

 ならば、吉田氏の人生は、まさしく今、定まったわけです。

 彼の人生は、一度は、さっと払った筆のように細く消えていくところでした。

 しかし、死後、胸をはってバルバラ・クロフトに会うために、彼は最後に太く長い線の人生を取り戻したのだと、わたしは思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月28日 (月)

その方に関する考察 ~股間若衆(こかんわかしゅう)~

 東海林さだお氏の「男の分別学」の中に「アノ方に関する考察」という好文があります。

 要するに中間小説、ざっくりいうとエロ小説における、男性器・女性器の表現方法、描写、いいまわしをまとめた力作なのですが、考えてみると、そういった「エロ」関係のものって、小説だけじゃないのですねぇ。


 あ、今回は、ちょっとシモがかった話なので、女性の方(だけじゃないだろうけど)で、そういった方面の話が苦手な方は読み飛ばしてください。


 なぜ、こんな話を書き始めたかというと、本日の新聞の書評欄で、木下直之著「股間若衆(こかんわかしゅう)」という本の存在を知ったからです。

 この本は、日本の彫刻における男性裸像の「アノ部分」の扱いを、アカデミックかつ興味深く考察した本なのです。

 よく西洋のダビデ像やギリシア彫刻などでは、男性のアノ形そのものが、かなりリアルに表現されていますね。

 わたしたちも、最初は「おっ」と思っても、すぐに、まあこれは芸術作品だしな、と思って、それ以上深追いはしないように思います。

 西洋芸術至上主義がしみこんだ明治の彫刻界でも、海外からやってきた彫像のソノ部分は仕方なしとされていたようです。

 しかし、日本で作られる彫刻では、それはノー!

 今から104年前の文展(今の日展)に提出された当時を代表する彫刻家、白井雨山の男性裸像「箭調(やしら)べ」を前に著者はいいます。

 青年男子をモデルに制作された腹部や手先の表情は、見事なリアリズムといえるのに、男子の身体の核心たる股間の作りは何なのか?

 ソノ部分は、常人では到底隠れようのないサイズの、小さな葉っぱで完全に隠れているのだ。

 それは、(明治時代の)当局の監視が彫刻界にもおよび、摘発を恐れた彫刻家たちが、股間を布や手ぬぐいで隠すことがならいとなっていたからで、もしそのまま表現すればどうなっていたか?

 同じ文展に男子裸像を出した朝倉文夫は、チェックを受けて、泣く泣くその「リアルな闇」(本文ママ)をノコギリで切り落としたらしい。

 朝倉は切り落とし、白井はそれを葉っぱで隠す……


 日本にヨーロッパ芸術が入ってきた明治期の事件では、黒田清輝の「裸体婦人像」の額の下半分に布を巻いた「腰巻き事件」が有名です。

 これはわたしも知っていました。

 しかし、この下半身表現問題は、女性よりも男性裸像の方がより闇が深かったと著者はいうのです。

 「股間若衆」は、
        第一章 股間若衆    ← 古今和歌集のシャレ
        第二章 新股間若衆  ← 新古今和歌集
        第三章 股間漏洩集  ← 古今朗詠集 

からなり、新股間若衆の章で、大正7年、女性のソノ部分については一応の決着がついたとされています。

 どう決着させたかというと、「其(そ)の部分は、人の注視を促すに足る可(べ)き何物の描出せられたるものなき」であるならヨシ。

 ようするに、描写は「谷間」だけにして、それ以外に付属する特徴的な付録を描かなければよい、ということのようです。

 女性はまあ、それで良いでしょう。基本的に重要なパーツは体内にあるわけですから。

 しかし、オトコの場合はそうはいかない。

 のっぺり谷間ではオトコではないし、葉っぱは、あまりにも宗教的すぎる。

 それに、個人的な意見ですが、どうやってあの葉っぱってくっついているんです?

 著者は、様々な調査を行った結果、こう断言します。

 大正から昭和初期に、男性裸体像を好んだ北村西望が『とろける股間』という境地を開いた。

 ありていにいえば、はっきりとした形状を示すのではなく、「何か物体があることは分かるが形状は曖昧モッコリ状態」を現出させたのです。

 と、これも、あくまでも屋内展示のはなし。

 それら「曖昧モッコリ」男性裸像が、戦前に、野外に建てられることはなかったのですね。

 戦後になると、当然そのような馬鹿げた(心理的)芸術抑圧はなくなり、欧米と同様、リアルに描写することも可能になりはしたものの、著者の調べでは、相変わらず「曖昧モッコリ」を使う彫刻家が多かったのだといいます。

 中にはリアルなものもあって、それは東京千鳥ヶ淵公園にある菊池一雄の「自由の群像」などだそうです。


 しかし、皆さん、胸に当てて、いや、こめかみに人差し指でくるくると丸を書いて、「ポク・ポク・ポク・チーン」(一休さん)してみてください。

 皆さんの近くの公園、公共施設にも、人物彫刻は多数あるでしょう。

 さらに、それが裸体像であることもよくあるはず。

 しかし……それは、オトコですか?

 ほとんどが、裸婦彫像であるはずです。

 つまり「どうも、社会は男の裸を求めてはいないのだ」ということらしい。

 当局の締め付けはなくなったとはいえ、男性裸像の受難はまだまだ続くのであった


 って、別に、わたしは、男性裸像を見たいわけじゃありませんよ。


 そして、三章「股間漏洩集」で、著者は、そういったリアリスティック男性裸像が、いわゆる「ソノほうの趣味の人々」によって、熱く鑑賞されるようになったことを述べています。

 『薔薇族』に先行する雑誌『ADONIS』の読者欄に、以下のような投稿があったことを著者は示すのです。

「千鳥ヶ淵に菊池一雄作の自由の群像があるそうですが、写して誌上に御紹介仕手下さらないでしょうか、こういうのを集めてみたらいかがでしよう、アングル次第でおもしろいアルバムが出来るでしよう」

 著者は、明治時代から、当局によって、いわれのない弾圧をうけた男性裸像を、戦後、その芸術評価ではなく、まさに、その正確さ・リアリズムによってのみ評価されるようになってしまった、という「悲劇」の主人公としてとらえているのです。

 まあ、軽妙洒脱そしてエスプリの効いた本のタイトル・章の名前から、著者が生真面目な芸術論から一歩離れた場所から冷静に「男性裸体像」を見ていることがわかります。

 そして、そのことが、この本の「真面目なおかしみ」(テーマの選び方から対象まで)と相まって、本書を良書にしているのではないかと、わたしは思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

激しい女性を愛した男の恍惚と悲劇 ~ 富本憲吉と妻一枝~

 先日は、今月いっぱいで閉館される富本憲吉記念館について書きました。

 日本で最初の無形文化財(人間国宝)を受けたひとりである富本憲吉は、奈良県の大地主の子供として生まれました。

 子供の頃より絵を学び、東京美術学校では「建築・室内装飾」を専攻して卒業前にロンドンへ私費留学(1908年)……という、絵に描いたような金持ちのボンボン生活で、人生の前半を過ごします。

 1910年、親から催促されて帰国、清水建設に就職するも、すぐに退社、ぶらぶらするうちに来日していたバーナード・リーチ(前回のブログに写真が載っていますね)と出会い、彼が熱中していた陶芸に憲吉も惹かれ故郷に窯を作ります。

 まだまだボンボン生活が抜けませんね。

 そして、1912年、雑誌「白樺」に芸術論を掲載されたのを、後の妻、尾竹一枝に「見つけられた」のです。


 下にあるのが尾竹一枝の写真です。

 化粧っけのない、ちょっと着物さえ着崩れた感じですが、野性味を感じさせる印象的な表情をしていますね。↓

295

 そのあたりの事情については、富本憲吉記念館館長、山本 茂雄氏の素晴らしい講演があるので、その要約を読んでもらうとして、少しそれを引用させてもらいますと……
---------------------------------------------------------
尾竹一枝は、1893年(明治26)富山市で生まれました。著名な日本画家一族の中で育ち、東京女子美術学校で美術を学びました。

 明治44年雑誌『青鞜』が創刊されるや、その活動に参加。身長164センチ、希望に燃える颯爽とした女性だったようです。

 彼女は『青鞜』の活動に寄与するため、芸術について思索を重ねるうち、『白樺』(明治45年1月号)に掲載された富本憲吉・南薫造の往復書簡上に展開された芸術論に、大いに刺激を受けます。そして大和安堵村にある富本の工房を訪ねたのです。

 二人の出会いは、富本の方にとって、より衝撃的だったようです。「お出でになった時、なにを申し上げたか、どういうものをご覧にいれたか、一切只今から考えてもわかりません……」

 その後の一枝宛の葉書に、富本は記しています。しかし当時一枝は、『青鞜』の主宰者・平塚らいてうに夢中でした。二人は同性同士でしたが、深い愛情で結ばれていた時期があり、それは周知のことだったようです。

 が、やがてらいてうに若い青年の恋人ができ、二人の仲は破綻します。失意の中らいてうの元を離れた一枝は、新たな雑誌『番紅花』(さふらん)を発刊することになり、その雑誌の装丁を、富本に依頼しました。

 再びめぐり合った二人は、1914年(大正3)結婚します。

(山本 茂雄氏の講演より抜粋)
---------------------------------------------------------

 思うに、ボンボンとして育った憲吉は、英国に遊学した際、(日本にくらべれば)「自分」を持っている女性たちを少なからず眼にしたのでしょう。

 あるいは、新大陸(アメリカ)からやってきた進歩的な女性を知る機会があったのかもしれない。


 英国から帰国した彼の目に映ったのは、「青白き頬をした」自己を押し殺す日本女性たち、その覇気のなさに、がっかりしたこともあったのでしょう。

 そこへ、長身の(このあたりも英国女性の共通点を感じます)、はっきりとものを言う「自立した」女性が『颯爽と』現れた、憲吉が心惹かれたのも仕方ないように思えます。

 どのぐらい『颯爽と』していたかは、群ようこさんの書かれた「あなたみたいな明治の女(ひと)」の、富本一枝の項に詳しく載っています。


 少しだけ紹介すると……
----------------------------------------------------
富本一枝。

 明治26年(1893)生まれ。尾竹越堂の娘。

 女子美術学校のころから女流天才画家と評判された。

 しかし、一枝は尾竹紅吉としての、また富本憲吉の妻としてのほうが有名である。

 尾竹紅吉はこの変わった雅号が暗示しているように(コーキチではなくベニヨシ)、18歳のとき小林哥津に連れられて『青鞜』に入り、たちまち平塚雷鳥の“恋人”と噂され、女だてらに雷鳥や中野初と吉原に遊んだり、五色のカクテルを飲んだりしたことが評判になるような「新しい女」の時代を象徴した。

 久留米絣に角帯、いつも雪駄履きという粋な男装を好んだのが、いろいろ誤解を生んだようだ。

 福田英子の先駆の風を一枝も受けたのである。

 ともかく早熟で、21歳のときは『番紅花』(サフラン)という雑誌を創り、青山(山川)菊栄が海外の中性論・同性愛の論文を翻訳したりした。

 そのうち奈良の旧家育ちの富本憲吉に会って恋に落ち、結婚。時代の先端を走る陶芸家との結婚は一枝を変えた。

 陽と陶という二人の子供を育てつつ、一枝はあらためて「日本」を意識するようになり、わが子の教育も学校にやらずに英語・理科・音楽にそれぞれ家庭教師をつけた。

 そのうち長谷川時雨の『女人芸術』にかかわるようになると、久々に文章を書くようになる。

 とくに子供のための童話や児童文学に関心をもったようだ。けれども夫との距離はしだいに隔てられたものになっていった。
--------------------------------------------------------------
 
 文中の「五色のカクテル」とは、五色に色をつけたリキュールを、順番にグラスにそっと流し込み、グラスに五層の色を為させたカクテルだそうです。

 一枝は、久留米絣に角帯という男装を好み、平塚平塚雷鳥の“恋人”とされていたものの、雷鳥に若い恋人が出来ると彼女との縁を切ってしまい、最終的に憲吉の妻になるわけです。


 要するに、彼女はバイセクシュアルだったのかな?

 それで思い出しました。

 huluの映画一覧を眺めていて、「6デイス7ナイツ」(1997)があるのを知り、久しぶりに見返したのです。

 老境にさしかかった男(ハリソン・フォード)とキャリア・ウーマン<今思うと空虚なコトバだなぁ>(アン・ヘッシュ)の、七日に及ぶ無人島での冒険と恋を描く、個人的には結構好きな映画です。

 もっとも、一般的には、あまり好評価はされていないようですが……

『スター・ウォーズ』のパロディ映画『ファンボーイズ』では、ハリソン・フォードについての談義が弾む車中で「ハン・ソロとインディアナ・ジョーンズを演じた役者だ! 駄作なんか1本もないぜ!」と豪語する後方に「6デイス7ナイツ」の看板が大写しになる、という皮肉演出がありますから。

 映画の魅力の一つに、ヒロイン、アン・ヘッシュの、つるっとしたちょっと硬質でドライな感じの、中性的な魅力があるのですが、彼女はバイセクシュアルなのですね(自分でカミング・アウトしています)。

 おそらく、自分たち家族を捨てたゲイの父親(のちにエイズで死亡)などの精神的影響もあるのでしょう。

 彼女と違い、尾竹一枝は、リクツからバイセクシュアルに向かった感は否めませんが、一枝にも、そういった中性的で不思議な魅力はあったのかもしれません。

 だから、憲吉は一枝に夢中になったのでしょう。

 とはいえ、富本憲吉も、自分では欧米化された男と思ってはいても、根は明治生まれの日本男児。

 たまにあって芸術論を交わす間柄だけなら、楽しく付き合うことができたのでしょうが、「ともに生活をする」ようになると、一枝の「激しさ」が、徐々につらくなった。

 一枝は、憲吉の作品に対して、情け容赦のない辛辣な批評を加えたといわれていますから。

 ために憲吉は、自身の(当時の)最高傑作だと思った作品でさえ、地面に叩きつけ、粉々にしたと言われています。

 さきの山本氏の言葉を借りれば、

「理想を求めるに急で、妥協を嫌った二人の生活は、常に危機をはらんだものだった」

のです。

 当然のように、二人の生活は破局を迎えます。

 晩年、富本憲吉は、一枝との生活を振り返って、

「あの安堵時代が、貧しくはあったが、もっとも充実し愉しかった」

と回想していたとされますが、これは本心でしょう。


 愛と憎は表裏一体。


 愛する者からなされる辛辣な批評は、胸をかきむしられる痛みをともなったでしょうが、同じ口をもって賞讃された瞬間には、世界を手にした恍惚感を得たはずですから。

 しかしながら、「激しい恋」は若さ故に可能な恋です。

 年を経てまで、それを持続するのは並大抵の精神力ではできない。

 その後、憲吉は弟子の石田壽枝と結婚しました。

 壽枝は、一枝(って一字違い?!)ほど気性が激しくなく、彼女の気遣いで老境の憲吉は穏やかに日々を過ごしたといわれています。

 とはいえ彼女にも、憲吉の死後、全集の依頼に来た写真家の妻の応対が気にいらなかったため撮影を断り、そのためにいまだに憲吉の全集が刊行されていない、という武勇伝が伝わっていますから、(本能的に)憲吉は激しい女性が好きだったのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本最古の厄除け霊場 ~奈良・松尾寺~

 ソースが新聞ばかりで申し訳ないのですが、新聞の記事で、松尾寺のバラ園が満開だというので、一時間ほど出かけて来ました。

 雨模様の天気だったのですが、雨の薔薇も美しいだろうと考えて……

 松尾寺は、信貴山と並んでわたしには馴染み深いお寺です。

 確か、何かで日本一だとは覚えていたのですが、今回、この話をかくにあたって調べてみると、日本最古の厄除け霊場だったのですね。

 まあ、わたしにとっては、子供の頃から町内会や家族で出かける、ただの遊び場にすぎませんでしたが。

 というわけで行ってきました。

 写真はクリックすると大きくなります。ぜひ、大きくしてごらんになってください。


 さすがに、ちょっと肌寒い雨の日だけあって、駐車場の近くも閑散としています。

001


 松尾寺といえば、子供の頃から、長い階段、これが特徴です。
002_2


                                              こんな感じですね。
003


                               ご老人にはかなり答える階段だと思います。
004



 本堂前に、ネコが……ちょっとやせていますが人間になれていました。

005

        公式サイトでも写っている、松尾寺の全景写真です。
     鉢植えはまだ咲いてはいないものの、全て百合(カサブランカ)です。

006

                       薔薇1

007

                       薔薇2

008

                        薔薇3

009


                 空中から下がっている白薔薇

010

                                                  さらに薔薇です。 011


                       薔薇の塔? 012

                  こういった竹林もあります。
013


 行って帰って一時間ほどでした。



 結局、駐車場も無料、拝観も無料という、すぐ近くのあじさい寺「矢田寺」とは大違いの太っ腹です。

 写真にもあるように、本堂には、数多くのカサブランカ(百合)の鉢が並べてありました。

 これが咲くころに、もう一度出かけようと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月25日 (金)

大和川急雨(やまとがわきゅうう)の終焉 ~冨本憲吉記念館閉館~

 今朝、新聞を読んでいて、今月いっぱい(2012年5月31日)で、冨本憲吉記念館が閉館することを知りました。
 すぐ近くに住んでいて、機会があれば行ってみようと考えていた場所の突然の閉館です。
 そこで、急遽、本日出かけて来ました。
 記念館は、奈良県生駒郡安堵町にあります。
 斑鳩町にある音楽工房からは15分ほどです。
 冨本憲吉については、このあたりを参考にしてもらうとして……
 今回、記念館が閉館することになったのは、個人美術館の宿命ともいうべき、後を継ぐものがいなくなったからだそうです。
 1974年、およそ40年前に、冨本憲吉と親交のあった地元の名士、山本勇氏が「道楽」で始めたものを、氏の死後、義弟の山本茂雄氏が後をつぎ、守ってこられたものですが、氏も高齢になられたため、いよいよ閉館を決意されたのです。
 その前に、地元の安堵町に、
「日本で最初の人間国宝のひとりである、安堵町民、冨本憲吉の記念館を助けてくれないか」
と、打診してみたそうですが、良い返事がえられなかった末での決断であったらしい。
 記念館では、山本氏に会うことができ、少し話すこともできました。
 では、写真とともに紹介をしていきましょう。
 これが入り口です。この美術館が、もうひとつ集客出来なかった理由のひとつは、側に大きな駐車場がなかった点です。

Image000

 もともと、富本憲吉が住んでいた家を使っているために、村の中にあって、駐車場を確保できなかったのですね。
 中に入ると、ひなびた感じが、なんとも心地よく胸に響きます。

Image003

 閉館が報じられたためか、結構な人出でした。これは、もとの富本憲吉の母屋です。

Image004

母屋に入って反対側に出ると、蔵を改造した展示室があります。

004

  中はこんな感じです。

005_2

 写真からもわかるように、商業デザイナーでもあった富本憲吉は、「白樺」の表紙もデザインしています。

006_2

 
 美術館のすぐ側を流れる大和川、わたしにとっても近しい川ですが、その雨の様子を描いた冨本憲吉の代表作のひとつ「大和川急雨(やまとがわきゅうう)」です。

008_4

 
 当時、進行のあった書店、柳屋の暖簾(のれん)、包み紙、店員の袢纏(はんてん)のデザインも手がけています。

009

 日本にやって来た英国人バーナード・リーチ(写真左)とのつきあいの中で、冨本は陶芸に目覚めていきます。
 師を持つことを潔しとしなかった彼は、独学で陶芸の道を進んでいきます。

010

 はじめは、自分が使うような実用品から……
 晩年の、これによって人間国宝になったといわれている、金銀彩の染め付けを、簡素な絵のまわりにあしらった「磁器 赤地金銀彩染付村落遠望図大陶板
」↓にまで行きついてしまいます。

011

 これが中庭から見た、富本憲吉記念館の全景です

012

 富本憲吉が、この家で共に暮らした「進歩的女性」尾竹一枝との確執については、また別項で書くことにします。
 また本日、受付で湯呑みを買おうとしたら、ちょうど品切れで、明日入荷するかもしれない、とのことだったので、今は、それを待っています。
 もし、明日、手に入ったらそれも含めて書くことにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

広州塔を越えブルジュ・ハリーファに及ばず ~東京スカイツリー~

 先日、東京の新名所スカイツリー(正式名称は「東京スカイツリー」)が一般公開(現在は予約者のみですが)されました。

292_2

全高634mは、人口の建造物としては広州塔(こうしゅうとう):中国広東省広州市の600mを越え、ブルジュ・ハリーファ(ハリファ):アラブ首長国連邦ドバイの828mに及ばぬ世界第二位の高さだそうです。
                                                  広州塔294
                                          ブルジュ・ハリーファ293

 しかし、考えてみると、人間という生き物は高い建物が好きですね。
 天空を目指し、見果てぬ夢をみつつ空中楼閣・砂上楼閣を築く。
 バビロンやバベルの塔の昔からヒトは高い建物に惹かれて止まないのです。
 バベルでは、人間の不遜な態度に神の怒りをかい、建造に携わる人々のコトバを違うものに変えられ、そのために、事故が起きて塔は崩壊したともいわれています。
 それでも、こりずに日本でも東京スカイツリーを建ててしまった。
 スカイツリーの634mは、当時世界一だったカナダ、トロント市のCNタワー553mを上回り、さらにシカゴに建設予定だったシカゴ・スパイア(現在凍結中)の609.6mを越えるものとして設計されたとのこと。
 つまり、何がなんでも世界一に(たとえ束の間であったとしても)なりたかったのですね。
 しかし、『ライバルに先を越されぬように』全高を秘密にしたまま建造されていたドバイのブルジュ・ハリーファが、蓋を開けてみたら他者の追随を許さない828mであったため、無念の世界二位。
 もちろん、天下の地震国ニッポンの大東京に建つタワーですから、この実現した634mの高さは、600mの広州塔や828mのブルジュ・ハリーファより値打ちのある数字だとは思います。
 個人的にあまり興味がなかったので、スカイツリーという名がどうして決まったのかも知らなかったのですが、知ってみると、おもしろいことに公募で一番多かったのは「大江戸タワー」だったのですね。
 しかし建設予定地近くにある和菓子屋が、タワーの名称を見越して「大江戸タワー」(を含むいくつか?)の商標を取得してしまったため、却下されたとのこと。
 これこそが、「大いなる先走り」というか、「余計なことをしてしまったぜ、僕ちん」というか……いや、それでも先に、登録していなければ、自分のものにはならないし……
 その和菓子屋はいったいどうしようと考えたのでしょうね?
 マクドナルドco.jpのドメイン名をマクドナルドが有名になるまえに取得しておいて、それを高く売りつけようとした、あの人々と同じ考えだったのかなぁ。
 そんな、先に登録商標されたタワー名を、経営母体の「東武タワースカイツリー株式会社」が採用するはずがないと思うのですがねぇ。
 うまくすれば、ドメイン名のように買い取ってもらえると考えたのかなぁ。
 実際のところはどうなのか分かりませんが、選定基準のわからない『有識者』によって、最終候補は「東京スカイツリー」「東京EDOタワー」「ライジングタワー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」に絞り込まれ、インターネット投票で『スカイツリー』に決まったということですね。
 個人的には「ゆめみやぐら」も良いと思いますが、やぐらというには、タワーのシルエットがスマートすぎるように思いますし、ライジング~ってのは、なんかそそり立ち過ぎて、ちょっと気恥ずかしい響きもあります。
 ま、スカイツリーで良かったんじゃないでしょうか。
 先に「なんてヒトは高い建物が好きなんだ」と書きましたが、告白すると、わたしも高いところは好きなので、いずれはツリーに上るつもりです。
 が、混雑したところへ出かけるのはあまり好きではないので、おそらくわたしがスカイツリーからの景色を眺めるのは、数年後のことだとは思いますね。
 スカイツリー人気にあやかって?か、ここ数ヶ月、東京タワーもずいぶんな人気だとか。
 そういえば、あの蝋人形館もしばらく行ってないなぁ……って、まだありましたよね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

音で聴く小説:ラジオドラマ「アース・ノッカーズ」

 SFラジオ・ドラマ「アース・ノッカーズ」です。
 以前に、自作小説のコーナーで紹介した小説のラジオドラマ化です。
 
 とある惑星上、女性だけのチームで編成された採掘部隊「アースノッカーズ」
 彼女たちを指揮する博士は、砂漠の惑星で、あるものを探していた……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いつの間にか変わってしまった ~金環食から金環日食へ~

 かつて、「金環蝕」という言葉がありました。

 久米正雄の小説(昭和10年)のタイトルでもあります。

 「金環蝕」は「金環食」の代用表記でした。

 「金環食」は天文用語で、おそらく今なら皆さんご存じの、今朝あったばかりの「あの現象」のことですね。

 それが、いつのまにか、ほとんどのマスコミが「金環日食」という言葉に変えて表現するようになりました。

 よくわからないのですが、天文関係の方から、そう呼ぶべきだ、というような指示があったのでしょうか?


 あるいは例によって、NHKが「我々こそが日本のコトバを是正する」と考えて、その言い方を広めようとした結果でしょうか?

 前にも書いたことがありますが、かつてNHKがスペイン「アルハンブラ」宮殿についての特集をした時のことです。

 生放送の番組の冒頭で、アナウンサーが「これまではアルハンブラ宮殿と呼ばれていましたが、NHKでは今後、正確な発音に則して『アランブラ』と呼ぶことにします」と高らかに宣言したものの、直後に登場したアランブラの専門家教授が、常に『アルハンブラ』を連呼する上に、宣言したアナウンサーまでが、それにつられて『アルハンブラ』と呼んでいて、大爆笑をした覚えがあります。

 最近では、ほぼNHKだけが頑固に言い続けている奈良県の「堰止め湖」があります。

 専門家ですら「土砂ダム」と呼ぶことが多いのに、NHKは、断固「堰止め」派。

 近頃は、それに洗脳?されて、多くの人が「堰き止め湖」を使うようになっています。

 これで誰かが「洗脳終了」とほくそえんでいるのでしょうか?わからないなぁ。



 それより、アナウンサーが使う、元工学関係者用発音:イントネーションを前、カタカナ単語の最後の長音記号を取る「データー」→「データ」といった気持ちの悪い発音をやめて、(せめてアクセントだけは)ネイティブに近いものにした方が良いと思うのですが……



 まあ、ともかく今回の「金環蝕」

 自営業の役得、早起きしてじっくり観察することができました。

 写真にも撮りました。

 数年前に買っていた「遮光度番号13番使用」の太陽遮光グラスを一眼レンズの前に当てて撮ったのですが、あまりうまく撮れません。

 こんな感じでした。

Kinkan01_2


 

 金環状態になって、太陽光が少なくなった時に、思い切って遮光板を外して撮影したのがこれ↓です。

Kinkan02_2



 これは、なかなか美しかった。


 しかし、わたしが感動したのは、金環状態になった時の周囲の風景でした。
 自宅のベランダで観測していたのですが、振り返って撮った景色がこれ↓です。

 日食状態になる前後から、なんだか肌寒く感じ初め、この写真と撮った時は、鳥肌がたつほどひんやりしていました。

Kinkan3_2




 不思議な色合いです。


 かつて、星新一氏のUSAヒトコマ漫画紹介本「進化した猿たち」 においては、「無人島に漂流した男」「精神科医にかかる男」と並んで、「人食い族に食べられる瞬間、日食になった!」が1大ジャンルを形成していましたが、その気持ちが、なんとなく分かる映像です。

 科学に疎い人々が、蝕を恐れる理由がわかります。

 「どうして、そう見えるのか」が分かっていても、この微妙に非現実的な色彩の世界には違和感を感じる。

 いやぁ、良いものを見せていただきました。

 赤道直下(つまり偏見で人食い族がいると思われている地域)ならば、比較的回数の多い皆既日食、金環食ですが、日本の、自宅で見られるというのは希有のことがらです。

 前回は1000年ほど前だったそうですから。

 ともかく、薄雲はありましたが、わたし以外のヒトの善行のおかげで、無事に金環蝕を体験することができました。

 申し訳ないのは、わたしのおかげで、薄雲がかかってしまったことです……



 金環蝕、金環日食、呼び名は勝手に人が作ったものです。

 現象自体に変わりがあるものではありません。

 実際に眼にするまでは、拙文冒頭に書いたような、反抗心もありましたが、いざ眼にしてしまうと、そんな気分は吹っ飛んでしまいました。

 本当に、今日の佳き日に、というか良い天気に感謝しています。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

音が光で光が音で ~スクリャービン・プロメテウス~

 とりためた夕刊を読んでいると、去る4日、「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭(東京国際フォーラム)」で、スクリャービンの「プロメテウス」(op60)が上演されたことを知った(リス指揮ウラル・フィルとコロベイニコフのピアノ)。
 この曲には、個人的に想い出がある。
 十年ほど前に、音楽美術の教授に頼まれて、演奏の手伝いをしたことがあるのだ。
 スクリャービンは、19世紀末~20世紀初頭に生きたロシアの作曲家でピアニストだ。
イメージ 1
 没年は1915年4月27日だから、没後97年ということになる。
 左手に対する猛特訓の結果(とされる、異説もある)、右手に匹敵するほど柔軟な演奏能力を身につけたされることから、左右のどちらかの手をメインにするのではなく、主と従を入れ替え、かつどちらの手の演奏もメインとなるような発想から作曲されたピアノ曲が多い。

 自身も卓越したピアニストであった彼は、上記のような難易度の高い様々なピアノ小品を作曲したが、ピアノに携わる人々以外に、彼の名を広く知らしめたのは、交響曲「プロメテウス― 焔の詩」(Op.60、1910)と交響曲「法悦の詩」(Op.54、1908)であった。
 特に「プロメテウス」は、鍵盤を押すと、それに応じた光が発せられるように指示されていた。
 つまり「音と光の混ざった総合芸術」として作られたため、音楽性以外の「パフォーマンス芸術」としてもよく知られているのだ。
 これについては、スクリャービンが『共感覚』の持ち主であったためとも言われている。
 共感覚(シナスタジア)とは、ある外部刺激に対して、通常の感覚器以外からも刺激を感じる、特殊な知覚現象のことだ。
 簡単にいえば、音が色になって見え、光を臭いによって感じるといった感覚の入れ替え(もちろん同時に両方を感じることもある)が共感覚だ。
 比較的有名なのはフランツ・リストで、交響を指揮する時、「もっと赤を強く」などと指示をだした、という話を子供の頃に読んで、幼心にわたしは少なからぬ衝撃を受けたのだった。
 その時の印象を元に共感覚をモチーフにした小説を書いたこともある。
 共感覚は、一般とは違う認知力である。
 それを持つ人間は、おそらく何らかの孤独感と疎外感を持たざるをえないのではないか。
 だから、スクリャービンは、それを他者と共有したかったのでは?
 あるいはそれを利用して新しい総合芸術の旗手となりたかった?
 と、まあ、寄り道はこのくらいにして、初めの話にもどるが、先の音楽美術の教授の専攻が「スクリャービン」で、自身の研究発表の際に「プロメテ」(と彼女は呼んでいた)を本来の形で上演したいと考えた。
 もちろん、そのためにオーケストラを雇う訳にはいかないので、曲はCDにまかせるとして、曲に応じてスクリャービンの指示した色の光を会議室にあふれさせたい、そのための方法を考えて欲しい、とわたしに頼んだのだ。
 どうするか考えた後に、当時、出回りかけていたプロジェクターとノートパソコンをつないで、色を出すタイミング制御はDELPHI(懐かしいね)でプログラミングすることにして、なんとか要望に応えることができたのだった。
 先の記事によると、「スクリャービンが求めた神秘性は確かに分かるが、ホール天井にうずまく光を見ていると音を忘れ、音を聴いていると色があまり自に入ちない。(梅津時比古氏)」とのことだった。
 どうやら、ホールの天井に光を投影していたらしい。
 それよりも、小規模でもよいから、壁面やスクリーンに光を当てた方が良かったのではないだろうか。
 あるいは、いっそ会場をスモークでみたし、そこにレーザー光を投影して、ホール自体を色で満たすという演出も、今ならできたはずだ。
 頭を上げて、天井の光を見る方式では、疲れが先に立って色と音を同時に感じることが難しかったのではないだろうか?
 あるいは、音楽に造詣の深い人は、音楽は音楽のみで勝負すべきで、奇をてらった他の刺激を使うべきではないと考えたのかもしれない。
 共感覚者の孤独と悲哀は、一般人には伝わりにくいのだろう。
 しかし、共感覚者としてスクリャービンを捉えなおすと、彼の人生が理解しやすいものになる。
 自分の感覚の風変わりさと、生来虚弱体質気味であったとされる肉体。
 彼が、20世紀の初めに、ニーチェの超人思想に傾倒したのも、肉体の弱さと人との違いを知るが故の反動であったように見えるのだ。
 その意味で、自らの虚弱体質を恐れて「極度の健康フェチ」であった彼が、唇の虫さされから炎症を起こし、やがて腫瘍による肺血漿で死んだことは、人生にままある痛烈な皮肉のようだ。
 先に書いたように、今年で没後97年のスクリャービン。
 三年後には、かなり盛況に没後百年イベントが開催されるかもしれない。
 その時は、彼の考え方に沿った光と色のコンサートが開催されることを祈りたい。
 p.s.
 急逝により未完に終わった交響「神秘劇」は、光以外に匂いや触覚など「五感」に訴えかけるマルチメディア芸術を夢想していたのだという。
p.p.s
 マルチメディア芸術について、正直にいえば、わたしも偉そうなことは書けない。
 十数年前に訪れた米グリフィス天文台で行われていたレザリアム(Laserium)
 大枚十数ドル!をはたいてプラネタリウムの椅子に座ったのに、開始後数分で眠ってしまい、目が覚めたのは終了直前のことだった。
 その全てをジェット・ラグ(時差ぼけ)のせいには、さすがにできないのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

砕けて折れた男の復活 ~リアル・スティール その2~

 前回は「リアル・スティール」について書きましたが、少し書き足りなかったことがあるので、追記します。
 この映画は、親子の絆(安易で、イマドキのワカモノが好きな言葉なので、わたしは嫌いですが)の再生劇であると同時に、無言のロボットの存在と息子の期待に応えて、挫折し、プライドも人生も砕けてしまった男が、再び立ち上がる復活劇でもあります。
 というより、その側面があるからこそ、ある意味、本歌どりした「オーバーザトップ」より感銘をうける作品に仕上がっているのです。
 「オーバー~」で、スタローンは、まだ腕相撲のチャレンジャーでした。発展途上の男です。
 かたや「リアル・スティール」のチャーリーは、世界ランキング2位の男に敗れ、そののち敗退を続け、やがては自分の人生の舞台であったヒューマン・ボクシングすらロボット・ボクシングに取って代わられ、それなのに敵であるはずのロボット・ボクシングのオペレーターとして、いまだボクシングに関わり続けようとしているダメな挫折者です。
 おそらく心の底では、自分の人生の舞台すら消し去った、迫力ある残酷なロボットボクシングを、そしてロボットそのものを憎んでいるのでしょう。
 自分自身でも気づかないうちに。
 だから彼はロボットをぞんざいに扱う。
 本来なら、メシのタネであり、自分の二度目の人生の舞台で自分の身代わりとして闘うロボットを大切にせず、意識しないまま憎んでしまっているから、彼はロボットに冷たい。
 ロボットが破壊されると、腹を立てるけれども決して『悲しまない』。
 それが人生の挫折者、チャーリーの悲しさでもあるのですね。
 しかし、人間に近い小型サイズの、タフボディだけが取り柄の旧世代スパーリングロボットATOMに出会って、彼は徐々に変わっていく。
 軽蔑するフリをしながら、期待と尊敬の眼差しを時折おくってくる息子の視線に徐々に応えながら。
 物語のラスト近くで、音声認識装置が壊れたATOMに、チャーリーが「どう闘うか」を、リングサイドでシャドウ・ボクシングをしながら指示するシーンは、その前の、彼の「かたくなな拒絶が息子の懇願によって溶かされたシーン」と相まって、この映画の白眉(はくび)となっています。
 自分の誇りをかけた舞台で全否定され、折れてしまった男。
 かつて、リングで自分を叩きのめし、今はテキサスの牧場で裕福に暮らしながらチャーリーを利用するボクシング仲間に、さらにバカにされ続ける情けない男。
 人間の居場所が無くなったボクシングをスッパリと諦めきれない惨めな男。
 最終ラウンドの終了ゴングが鳴った瞬間は、彼が、人間としてではなく、父としてでもなく、『ボクサー』として世界戦のリング(サイド)で復活を果たし、折れた気持ちを真っ直ぐにし、砕けた心を拾い集めて完全な形に戻した瞬間でした。
 自分の気持ちが折れたままであるためか、わたしは、こういった「魂の復活劇」が好きなのです。
 その意味で、「リアル・スティール」は、わたしの好みの映画のひとつになりました。
 男は、やられっぱなしでは生きてはいけないものですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

復活!オーバーザトップ+ロッキー ~リアル・スティール~

 シルベスター・スタローンの代表的主演作品といえば、やはり「ロッキー」でしょうか。
 しかし、わたし個人としては、ライバル、シュワルツェネッガーが、「ターミネーター」や「6デイズ」「プレデター」などのSF作品で成功しているのを見て、彼本来の傾向にあわないのが分かっているのに、無理矢理出演した感じのあるSF「デモリッションマン」(競演がウエズリー・スナイプス、サンドラ・ブロックと豪華!)や、同様にライバルがコメディで大人気だった「ツインズ」を真似た「オスカー」も、同じくらい好きなのです。
 考えてみると、ロッキーシリーズは、レーザーディスク(時代が知れます!)を一枚も持っていませんが、「デモリッションマン」や「オスカー」そして、冤罪で送り込まれた刑務所で、理不尽に迫害される男の大爆発を描いた「ロックアップ」や、腕相撲だけで映画を一本作ってしまった「オーバーザトップ」などのレーザーも持っています。
 ご存じの通り、スタローンの映画は「絞れば汗が出る」(かつて竹熊健太郎氏が『猿まん』で某週刊誌を評していった言葉です)ほど熱血タイプの映画がほとんどです。
 殻を破ろうと太って出演した「コップランド」はともかくとして。
 観ているうちに、体温が上昇するのがわかるような映画ですね。
 疑似脱獄モノの「ロックアップ」は「ショーシャンクの空に」の設定を借りつつ、主人公が自分のパワーで刑務所長に一撃を喰らわせる快作でしたし、「オーバーザトップ」は、別れた妻の死で、突然引き取ることになった実の息子との確執を越えて、トラック野郎の主人公が全米腕相撲選手権で優勝するという、アメリカではよくある「問題ある父と子の関係修復」映画の佳作でした。
 そう思って振り返ると、最近、そういう『身体が熱くなる』ような映画を観ることは少なくなったような気がします。
 おそらく、わたしと同じような感想を持った人々がいたのでしょう。
 『最近、身体が熱くなるような格闘スポーツモノ少なくネ?いや、「シンデレラマン」や「ザ・ファイター」や「ミリオンダラー・ベイビー」もいいけどさ、それとは違う「ロッキー」のような』
『じゃあ、いっそボクシング映画「ロッキー」に「オーバーザトップ」の父と子の絆復活劇をいれた映画にしたらどうだ』
『それだけじゃインパクトが弱いかも……よし、こんなのはどうだ!ニッポンにはロボット同士を闘わせるコミックがあったぞ。昔、息子が読んでいた。確か「プラレスサンタロー」(本当はプラレス三四郎)とかいうやつ。だったら、いっそSF仕立てで、「ロボット格闘」+「ロッキー」+「オーバーザトップ」という豪華三つ混ぜごはん映画を作ろうぜ』(←エグゼクティブ・プロデューサー:スティーブン・スピルバーグ【想像】)
 というわけで出来たのが、先日よりレンタルが開始されているSF代理ロボットボクシング熱血親子鷹映画「リアル・スティール」なんじゃないかな、とわたしは勝手に想像しています。

290

 リアル・スティール公式サイト http://disney-studio.jp/movies/realsteel/
 主演のヒュー・ジャックマン演じるチャーリーは、かつてはボクシングの世界ランカーであったものの、ベルトには手が届かず、今は「人間によるボクシング」を廃れされたほど人気のある「ロボット・ボクシング」のヘボ・トレーナーとして借金まみれの生活を送るダメ人間です。
 例によって場末のリングで、手持ちのロボを叩き壊された彼の元へ、男たちが現れます。
 すわ、借金取りか、とファイティング・ポーズをとる彼に意外な情報が知らされます。
 かつての妻が死に、彼の息子マックスがひとり残されてしまった。
 前妻の姉妹が裕福であるため、その子を引き取りたがっている。
 だから、どうか親権を放棄して欲しい。
 ダメ人間チャーリーは、すぐに親権を放棄しようとして、もっとズルいことを考えつきます。
 裕福な叔母(マックスにとって)の夫から、親権放棄の代償として10万ドルをせしめるのです。
 その際の駆け引きとして、夏休みのあいだだけ、親子水入らずで過ごすことになったチャーリー、彼は、望みの前金5万ドルと望まぬ息子との生活の両方を手に入れてしまうのでした。
 もちろん、どうせダメ人間のチャーリーですから、すぐに新しく手に入れたロボットもツブされます。
 仕方がないので、スクラップ屋に忍び込んで、偶然見つけたのが、ロボット黎明期のスクラップロボ、ボクシングロボのスパーリング用に作られた、タフなだけが取り柄の小柄なロボットでした。
 その名も『アトム』!
 「お茶の水博士~」
 そこから、ギクシャクした親子の快進撃が始まります。
 勝ち続けるチャーリーとマックス。根が善人なチャーリーに心を開いていくマックス。
 立ちはだかる神(ゼウス)という名の絶対的チャンピオン。
 そしてマックスの機転によって組まれることになるゼウスとの最終決戦。
 スピルバーグ、ゼメキス、そしてディズニーが咬んだ映画ですから、嫌なヤツははっきりとそれとわかる、善悪グレーゾーンのないすっきりとした映画で、観終わってすっきり爽快感の残る快作です。
 ただ、もう少し試合後に余韻の残る終わり方にしても良かったと思います。
 せめて、オーバーザトップのようなね。
 もっとも、ロッキー1にインスパイアされた作品ですから、最後はああなってしまって……だからこそ、続編「リアル・スティール2」が必ず作られねばならない映画でもあります。
 それもあって、ああいう、あっさりした終わり方になったのかも知れません。
 って、ご覧になっていない方には意味不明かも知れませんが、とにかく、週末の夜、空いた時間があるならば、ご覧になってもよい作品だと思います。
 書き足りないので、次回に続けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なるか?ドラクマ再び ~ギリシア・ユーロ圏離脱~

 かつて、「世界まるごとHOW MATCH」などという番組がありました。
 あまりきちんと観たことはないのですが、あの番組で一番印象に残っているのは、「世界には、なんとたくさんの通貨があるのだろう」という気持ちでした。
 ご存じのように、1999年にヨーロッパにはユーロが導入され、各国のさまざまな通貨は消えてしまいました。
 覚えていますか?各国の通貨単位を。
 ざっと書き上げてみると、
 イタリア     リラ
 オーストリア  シリング
 フィンランド   マルッカ
 オランダ    ギルダー
 ポルトガル   エスクード
 スロバキア  コルナ
 スペイン   ペセタ
    様々な呼称の貨幣単位があったのですね。
 それが、これから台頭してくるであろう、中国を含むアジア経済圏への対抗措置として、自分たちでも巨大な経済圏をつくりたいという願いで、簡単に(でもないでしょうが)単一通貨にしてしまった。
 おかげで、ついにわたしはエスクードを使わないままじゃないですか。
 英国は、種々の事情でポンドを堅持していますがね。
 ユーロ圏にしたところで、16ヵ国3億2600万人、中国やインド一国にも及ばない人口なのに。
 もちろん、個々の経済状況は、まだインドや中国とは違うでしょうが。
 しかし、しょせんは付け焼き刃。

 無理矢理一つにまとめた弊害が、PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペインの頭文字)と揶揄される国々で、どんどん表面化してきたのはご存じとおりです。
 同じユーロという通貨であっても、その中身というか値打ちの中には、経済的にダメな国の信用も含まれている、いつ、その内に抱えた爆弾が破裂して、ユーロという通貨の値打ちが下がるかもしれないから、安定した円を持っていたほうがいいや、という気持ちはわからないでもありません。
 その図式は、何となく、あのサブプライムローンと似ていますね。
 全体的には質の良い債権であったサブプライムの中に、悪質な債権が混じってしまい、それをいっしょくたにしてしまったために、どこに『毒』混じっているかわからない。
 だから、その毒にあたるのを皆が怖がって買おうとしなかったのが、あの経済騒動の中身でした。
 今回のギリシア(だけではありませんが)の経済危機も、本当にそれと似ています。
 悪い部分をごまかそうと、ひとつにまとめた結果、全体がアブナイもののように見えて全部の信用をなくしてしまった。
 それを是正するために「悪い部分」、この場合はギリシアですが、に訂正を求めたところ、「そんな苦しい生活はイヤだよ」と、今回の選挙でユーロ圏が押しつけてくる緊縮財政に応じないことをスローガンにした党が大躍進、結果的に、なんとかユーロに留めようとする各国のさしのべる手を、ムゲに払いのけつつあるのが今のギリシアの姿です。
 ユーロから離脱すれば、ギリシアはまたドラクマに戻るワケです。
 もちろん、そんな簡単なことではありません。
 けれど、無責任なことを言わせてもらえば、ドルと同じような、人生ゲームの金券に似た紙幣であるユーロより、ドラクマの方が個人的にはスキです。
 まあ、結局は、ギリシアのゴネ得で、なんとかユーロ圏にとどまるということになるのでしょうが、もし万が一、ドラクマに戻るなら、ぜひギリシアを訪れて、それを使ってみたいという気がします。
 あ、しかし、必ずしもドラクマに戻るとは限らないわけですね。
 1ポーンチエ、なんていうワケのわからない単位になる可能性もなくはない……こともないでしょうね。
 失礼しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レザレクション再び ~愛用リグ復活~

 以前、このブログで、コンピュータのレザレクション(復活)についての顛末を書きました。

 キーボードの上に珈琲をこぼして動かなくなったノートパソコンが、真水で洗って乾燥したら復活したという話です。
 そして、今日、もうひとつの復活劇が音楽工房内で、厳(おごそ)かに為(な)されたのでした。
 という書き方ではよく分からないと思うので、もう少し時系列に沿って書くことにします。
 137億年前に、ビッグバンが……って、どこまで遡(さかのぼ)るんや!と、自分で突っ込んでおいて、ことの始まりは十数年前のこと、当時のわたしは、夏は登山、冬はスキー、週末ごとに吉野の山奥にまでキャンプに出かける日々を過ごしていました。
 たしかに、携帯電話は普及しかかっていました。
 しかし、今でもそうですが、山深いキャンプ地までは電波は届かず、基地局に関係なくスタンドアロン(単独)で無線通話のできるトランシーバーが必要だったので、購入を決めました。
 無線従事者免許は学生時代に取得していたので、大阪日本橋の無線ショップで、ハンディ無線機(その方の趣味の人はリグと呼びますね)を数台買い、局免許を申し込みました。
 当時から、特定省電力の免許不要リグはありましたが、mw(ミリワット)程度の出力しかない無線機では、イザという時に役に立つように思えなかったので、アマチュア無線用のFM機5~10ワットのものにしたのです。

イメージ 1

 当時も今も無線機は高価で、そのクラスのものでデュアルバンド(144MHzと430MHz)機5万円程度、シングルバンド(144MHz)機で2万円あまり、もろもろで十万円ほどかかったと思います。
 その後は免許の登録も済み、アウトドアで運用を楽しんでいたのですが、ある日、いつものように無線機を入れてある段ボール箱を取り出したところ、信じられない光景が眼に飛び込んできました。
 無線機とその周辺機器が、びっしょりと濡れていたのです。
 しかも、あたりには刺すような異臭が……
 それは……あきらかに猫がそそうした時の臭いです。
 そう、うちの猫の一匹が、どういう恨みがあるのか、わざわざ物置の扉が開いているスキに中に忍び込んで、事もあろうに電子部品(もちろん、当時は防水製品なんて
ありません)に、オシッコをかけてしまったのですね。
 目の前が真っ暗になりながらも一応、水で洗い、乾燥させてから電源を入れてみましたが、ピクリともしません。
 三台とも……
 仕方がないので、漫画家の東海林さだお氏がロシア製の腕時計をツーハンで買って、届いたのを見ると、まるでズボンのベルトというか、ボクシングのチャンピオンベルのように巨大なものだったのにショックを受けて、よろめきながら押し入れの奥深くにそれをしまった時のように、わたしもよろめきながら、無線機の入った段ボールをもって、倉庫の奥不覚に入り込み、見えないところにそれを放置したのでした。
 捨ててしまうには、あまりにもショックが大きかったのです。
 さて、
 時は移って本日のこと、倉庫で捜し物をしていると、その時の段ボールが出てきました。
 もう、長く時も過ぎているので、さすがに箱を見てもショックは受けません。
 中をみると、昔のままのリグの姿が。
 未練もここまで、さあ捨てようと思ってはみたものの、思いついて、手持ちの安定化電源をつないでスイッチをひねったところ……OH MY GOD!あんびりーばぶる。
 なんと何事もなかったかのように、起動したではありませんか。
 しかも三台とも!
 先日も、本屋で、イケナイ知識を得ようと、ざっとラジオライフを立ち読みしたついでに、広告ページに載っているデュアルバンダー無線機の価格47000円ナリを見て、やっぱり災害に備えているかなぁ、と考えていたところだけに、歓びもひとしおです。
 書庫の隅っこを探すと、ファイルの中に、無線機のマニュアルもしっかりとしまわれていて、これで完全復活です。
 バッテリーは、写真にも写っている付属の乾電池フォルダーにニッカドをいれて使うか、昔のようにカーバッテリー(鉛蓄電池・シールド電池)をコードでつないで使うか、あるいは適当に高出力なバッテリーをみつけてそれを使うか、まだ迷っているところですが、少しぐらい古くなっても、このあたりの(何でも使える)汎用性は、さすがにかつては「趣味の王様」といわれた『ハム』(←死語)だけのことはあります。
 今後は、以前と違って簡単になったといわれている、局免許のネット申請を行って、正式な運用をしようと思いますが……
 驚いたことは、144Mhz帯をしばらくワッチ(周波数を変えながら聴くこと)しても、人の声がほとんど聞こえなくなっていることです。
 かつては、どの周波数を使っても、かならず誰かが使っていたのに。
 今は人の声がしない。
 それほど多くの人が、アマ無線から、無料通話のついた携帯電話へと流れてしまっているのでしょうね。
 トラッカー御用達のCB無線はどうかわかりませんが、かつてはアマチュアのFMバンド帯にも、トラック野郎たちの声があふれていたことを思うと、推して知るべきなのかもしれません。
 さきに、わたしが書いた、災害時のために、なんてことも、阪神淡路大震災の時はアマ無線が有効だったとも聞きましたが、東北地震ではツイッターなどのSNSのほうが役にたったようですし、ますますスタンドアロンの無線機などは無用の長物となりそうです。
 まあ、北や南や中央アルプスの山中では、まだ活躍の場がありそうなので、少しは希望が持てますが。
 というわけで、本日、発動した無線レザレクション(復活劇)、意味があるのか無いのかは、今年の夏の、リグ使用具合にかかっているといっても過言ではありません。
 しかし、一応、真水で洗ったものの、ずっと使用不可だったものが、十年放置するだけで、動くようになるとは……猫のオシッコって完全揮発するものなの?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

難しい現在のヒロイン像? ~BIONIC WOMAN~

 huluの項で書きましたが、わたしの知らない間に、バイオニック・ジェミーのリメイク;BIONIC WOMANが放映されていました。

 現在、huluでは、そのファースト・シーズンを観ることができます。

イメージ 1

 しかし、その内容自体はあまり面白くありません。

 観ているうちに、次の回へ進むのが苦痛になるのですね。

 簡単にいえば、スーパーパワーを持つ義手義足をつけさせられた一般女性が、望まぬ大事件に立ち向かわせられる、というありがちなハナシなのですが、オリジナルと違い、義手義足が生体素材ともいうべき半生物のものになっていたり(ターミネーター4の感覚でしょうか?金属の骨と生身の肉……)、拒絶反応を抑えるためにナノ・テクノロジーを使っていたり、人工組織に埋め込まれたコンピューターが戦闘の反応を学習して、闘うたびに強くなったり、と、設定そのものはおもしろくなってはいるのですが、大きな問題があって物語にのめり込めないのですね。

 ここからは個人的かつ偏見感想になってしまいます。
 要するにヒロインのキャラクターに魅力がないのですね。

 いかにも現在のアメリカ、いや世界中の現代女性にありがちな(それすら男の目から見たステレオ・タイプの思いこみかもしれませんが)、自己主張の強い、自己犠牲をあまり見せたがらない、謙虚さにかけ乱暴で粗雑な態度をとる「ダメな男を女性にしたような」タイプの女性像ですから。

 なにも、男にとって都合の良い、大人しく従順な女性をみたいといっているのではありません。

 しかし、バイオニック学者の恋人とともに事故にあい、彼女の命と身体を救うためにバイオニック手術をほどこした恋人を突き飛ばして怪我をさせ、彼が殺されると、いきなり他の男をトイレにさそって性行為におよぼうとし、養ってはいるのものの、自分勝手な都合で妹を支配しようとする主人公は、それこそ「どこにでもいる」「一般女性の共感を呼びそうな」女性像かもしれませんが、ヒロインとしてみればまるで魅力がないのです。
 その点で、途中からコンセプトがグダグダになって、シーズン2で事実上の打ち切りとなってしまったターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズのサラの方が、戦闘者と平和主義者、女と母、勇者と臆病者を混在させた、殉教者に似た性格でヒロインとしての魅力がありました。

 サラは、決して男の目線から見た「都合のよい女」ではありません。

 それどころか、我の強い、いわゆる「イヤな女」といってもよい性格です。

 それが息子を守り世界を守る、地球の聖母としての役割ゆえの行動なのだなぁ、と納得がいく設定とエピソードが積み重ねられていることで、一転、魅力的なキャラクターになっているのです。

 新バイオニック・ジェミーは、そういったエピソードもなしに、伏線もなしに、いきなり自分勝手なヤング・レディとして、映画版ララ・クロフトのようにガサツな女として登場し暴れるから魅力的に見えないのですね。

 付け加えておけば、線が細く、か弱そうな初代バイオニックウーマン、リンゼイ・ワグナーとはまったく違う、いかにも肉食系のごっついアゴしたガウガウ女(いわゆるブルネットのヤンキー顔、アゴが割れてる感じ)キャスティングにも問題があるのでしょう。
 だって、弱そうな女性がスーパーパワーを持つ意外感は面白いですが、ゴツイ感じの(まあ、身体的にはやせているのでしょうが)女性が、壁をブチ破ったって意外感もなにも感じませんからね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

huluってなに?huluってどうよ?

十日ほど前から、ネット動画配信サービス「hulu」の二週間無料トライアルを試しています。

イメージ 1
                                  http://www2.hulu.jp/tour#./
 PS3やインターネット対応テレビ、ipadやiphoneで、好きな動画をオンデマンドで観ることのできるサービスです。
 はじめの何日かは、何を観てよいかわからずに放置していたのですが、そのうち米オールド・テレビ番組をやっているのを知り、この週末は、結構観まくることになりました。
 個人的には、スタートレック・オリジナル・シリーズ、スタートレック・エンタープライズ、名探偵モンクがあるのが嬉しい。
 あと、五年前の作品になりますが、BIONIC WOMEN(つまり、あのバイオニックジェミーのリメイク)や、LOST in Space(邦題:宇宙家族ロビンソン)なども、つい見入ってしまいますね。
 刑事コロンボや、バトルスター・ギャラクティカ、スパイ大作戦があるのも素晴らしい。
 子供の頃から、海外ドラマ専門雑誌「テレビジョン・エイジ」を読んでいた身としては、嬉しい限りです。
 あ、かつてWOWOWで、とびとび観た「ツイン・ピークス」もそろっています。
 うーん、hulu恐るべし。
 画質はかなり美しく、デジタル・リマスターとして画質アップを図られた古いテレビ映画作品など(スタートレックなど)は、立体感すら感じるほどの美しさです。
 月額980円のネットサービスとしては、なかなか頑張っているとは思うのです。
 欠点といえば、海外ドラマは日本語字幕のみで、吹き替えも英語字幕さえないことでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

空を飛ぶ夢 ~ヴァイオリニスト穴澤雄介氏~

 わたしの家の近くで、定期的にホーム・コンサートを開いておられる方がいます。
 今まで、音楽工房として何度かお手伝いさせていただいたこともあるのですが、本日、その方の家でヴァイオン・コンサートが開かれました。
 盲目のヴァイオリニスト、穴澤雄介(あなざわゆうすけ)氏を招いてのコンサートです。
             公式ホームページ http://www5b.biglobe.ne.jp/~anazawa/
 氏は、少年から青年になる時期に、徐々に視力を失われたとのことで、それゆえ、「見たことのあるもの」と「見ることのなかったもの」が、はっきりと自分にはあると言われます。
 演奏は素晴らしく、選曲は、クラシックの名曲と、氏の作曲による演奏を交互に行われたのですが、最後に演奏された自作曲は「空を飛び雲の上をゆく」ことをテーマにした曲でした。
 上で書いたように、氏は徐々に視力を失われた方なので、世の中のさまざまなものは、一通り見てこられたそうですが、ついに見ることのできなかったもののひとつが、飛行機から眺める雲の上の世界だそうです。
 それを、氏一流の想像力で作曲し、演奏されたのが、「未知なる世界に旅立とう」という曲だったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金持ちはケチ、なのか?

 わたしなどは、生まれてからずっと大金には縁がない上に、まあ、こんな生活をしていたら金持ちになれなくても仕方ないなぁ、と思っているのですが、世の中には、金持ちになりたくて、金持ちがどういう生活・どういう信条・どういう行為を好むのか、を統計にしたがる人がいるようです。
 まあ、統計というと少し固いのですが、それらをまとめて「金持ちの心構え」などとして本が書かれたり、雑誌の記事になったり、あるいはBLOGのテーマにされることがありますね。
 で、どうでしょう?
 皆さんは、どう思いますか?
 リッチ・ピープルには、どういう性格の人がなると思いますか?
 イメージ的には、脂ぎったオジサンが、札ビラを切るイメージが先行するでしょうか?
 あるいは、すらっとした教養あるビジネスマン、洋館風の家に住んで、人にはエラソぶらずに丁寧な対応するイメージ?
 興味深いことに、本や雑誌の「金持ち像」は、そのどちらにも存在しています。
 まず、こういった意見があります。
 金持ちの条件とは以下である。
(1)親切である
(2)無駄遣いをしない
(3)お金を使う
(4)周りを大切にする
(5)勉強する
(6)語るより聴く
(7)挑戦する
(8)短期的にネガティブ、長期的にポジティブである
 つまり、金持ちであるほど、人に優しく親切であるという意見です。
 その根拠は、余裕があるために、人の事を思いやる余裕があるから、だそうです。
 なるほど、そうかもしれない、と思わされる反面、自分で見聞きする世間では、そんなことはないがなぁ、と思うこともあります。
 そして、最近、
「お金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほど、ルールを守らず反倫理的な振る舞いをする」
という、なんだか、上記の理想像っぽいハナシより頷きやすい研究結果が、米国とカナダの研究チームによって発表されました。
 延べ約1千人を対象にした実験と調査から結論づけたそうです。
 実験は心理学などの専門家らが行い、「ゲーム」と偽って、サイコロの目に応じて賞金を出す心理学的な実験をしました。
 結果、社会的な階層が高い人ほど、自分に有利になるよう実際より高い点数を申告する割合が多かったそうで……つまり嘘つきだったのですね。
 企業の採用面接官の役割を演じてもらう実験では、企業側に不利な条件を隠し通せる人の割合が、社会的階層が高い人ほど統計的に有意に多かったようです。
 要するに、

「金持ちで高学歴、地位も高い『勝ち組』ほど、ルールを守らず反倫理的な振る舞いをする」
というのが、実験結果でした。
 悲しいことに、この結果の方が、わたしたちが感じる、いわゆる金持ちの行動原理にあっているようか気がします。
 ただ、ここで考えにいれておかなければならないのは、金持ちと大金持ちは違う、ということです。
 先日、日本国の某大臣がいったように、「年収1500万円程度では、金持ちとはいえない」のですから。
 我々のショボイ金銭感覚では、年収1500万円程度(わたしからすると充分多いと思いますが)を金持ちと感じ取り、そういった「中途半端なコゼニ持ち」が、上記のセコイ行動をしてしまうのではないでしょうか?
 本当の億万長者、ビリオネアは、気持ちに余裕があり、他者を(ライバルと見なさないがゆえかもしれませんが)助けることに不思議はありませんから。
そうそう、先の実験ですが、こんなのもあったそうです。
『別の実験では、休憩時に「子供用に用意された」キャンディーをたくさんポケットに入れる人の割合も同じ結果が出た』
 これなんかどうでしょう?
 わたしには、億万長者が、子供用のキャンディーをポケットに詰め込んだりするとは思えないのですがねぇ。
 あるいは、どれほど金を掴んでも、手に入るモノは手に入れておく、学生の時に歴史で習った、国司、信濃守藤原陳忠の「受領は倒れるところ土をも掴め」的、強欲・貪欲さがないと金は集まってこないのだ、という意見が正しいのかも……
 そういった心持ちを持てないが故に、わたしなどの所に、お金は集まってこないのかもしれません。
 といいつつ、ぢっとてをみる……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

英語の話を英語で読む意味と意義

 昔、中学生の頃でしたか、英語を勉強しようとして、対訳の物語や英語のテープなどをよく買っていました。
 そのなかのひとつに、「Sorry wrong Number」があります。
 1943年5月25日に米国で放送されたラジオドラマを収録したテープです。
 「古い作品なので、雑音などで聞き取りにくいことがあります」という英語アナウンスのあと、『SUSPENSE~』という印象的な男性のタイトルコールで始まるこのドラマは、声を演じたアグネス・ムアヘッドの迫真の演技で、ラジオドラマの金字塔とよばれるようになりました。
 なぜ、今更、そんな古い作品の話を持ち出したかというと、先日、知り合いの劇団で、「私は殺される」を演じると伝え聞いたからです。
 個人的に、演劇特有の大げさな身振り手振りは好きではないので、普段はあまり気にもしないのですが、なんとなくストーリーを聞くと、どうも、それが「Sorry wrong Number」らしい、とわかり、調べてみると、やはり「Sorry wrong Number」の邦題は「私は殺される」でした。
 英語のタイトルしか知らなかったので分かりませんでした。
 映画などでも、早めに原題でチェックしておいて、日本での放映を待っていたら、いつのまにか、よく分からない知らない変なタイトルで公開されていた、なんてことも過去にはよくありましたね。
 最近は、英語をそのままカタカナ読みにすることも多いので、そんなことは無くなりましたが……
 ここで、少しストーリーに関して書いておきます。
 オリジナルは、病弱で癇性やみの女性が、夫に電話をかけようとして、交換手に依頼したところ(何度もOperator please!が繰り返されます)、混信して、誰かの殺害計画を聞いてしまうところから、ストーリーは始まります。
 やがて、殺し屋に依頼しているのは夫であり、殺されるのが自分だと気づく頃から、ムアヘッドの声のトーンは絶叫に近くなり、緊張感はいや高まり、最後には……という結末を迎えます。
 交換手が出てくる(初演1943年ですから)ストーリーなので、現代劇には移せないだろうと尋ねると、今回の劇も、当時の時代設定をそのまま使っているようでした。
 いや、何をいいたかというと、こういった古典的名作や、少し前の偉人の名言などは、結構英語の例文で覚えていることが多いのですね。
 旺文社、原仙の英文標準問題精講などでも、バーナード・ショーやキップリングなどの文章(入試問題からの抜粋ですが)が使われ、オウベイ知識人の一般的なものの考えかたを格言を交えて覚えることができました。
 あと、アーム・チェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)の代表作でもある、バロネス・オルツィの『隅の老人』や『シャーロック・ホームズ』『ロビン・フッド』『ミニヨン』なども英文で知りました。
 なかでも「ロビン・フッド」は、大好きでした。
 今、思えば、「ロビン・フッド」こそが、対訳といいながら、最初から最後まで、英語の本を読み通した初めての本だったのです。
 西洋版「梁山泊」の話ですからね。おもしろくないわけがない。
 とりわけ好きだったのは、物語のラスト、年老いたロビンがベッドの上で弓を構え、「弓の落ちたところに自分の墓を作ってくれ」と、リットル・ジョンにいい、窓に向かって矢を放つシーンです。
 かつての力強い腕力はすでになく、ポトリと窓のすぐ向こうに落ちる矢。
 「どうだった?」
 そう尋ねるロビンに、親友にして相棒、片腕のリットル・ジョンは、
「見事な弓勢(ゆんぜい)でした」
と答え、満足げに頷いたロビンはそのまま死んでいく……
 ですから、数年前に制作されたリドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演のものは、まったく認めることはできません。
 ロビンのオヤジが民主化運動のアジテーターで、マリアンが剣をとって闘う女闘士ぃ?
 現代の風潮に迎合するのもよいですが、あまりに改竄するのは、原作、伝承作品ですが、に対して失礼です。
 あれなら、まだケビン・コズナー主演の方が、本物の英国の森の雰囲気である湿っぽさで、シャーウッドの森を表現していて、好感が持てますね。
 わたしのロビンのイメージに、一番近いのは、ロビンの晩年を描いた名作、ショーン・コネリーとオードリー・ヘプバーンによる「ロビンとマリアン」でしょうか。
 英文では、ロビンの墓を前にして、ロビンの手下、MERRY MEN(陽気な野郎ども)が歌う歌で物語の幕を閉じます。
 おれたちゃ陽気な盗賊さ
 ロビン・フッドとメリー・メン
 シャーウッドの森の中
 通る時には 気をつけな
 悪党どもは 気をつけな
 陽気に盗んで 陽気にくらす
 楽しい 森の生活も
 ロビンフッドの亡きいまは
 ロビンフッドのメリーメン
 二度と再び姿は見せぬ
 二度とこの世に現れることなからん
 これまでも、いろいろな解釈によって映画が作られ、これからも新解釈で作られていくでしょうが、わたしにとってのロビン・フッドは、子供の頃に読んだこの物語ただひとつです。
 当時は、一代の英雄物語を、英語で読めたことがうれしく、それも、わたしのこの作品への愛着の要因であると思います。
 残念なことに、引っ越しを繰り返すうちに、わたしの「ロビン・フッド」はどこかにいってしまいました。
 新たに買おうとしても、もう書店では売っていないようです。
 いまは、もっぱら、映画を教材とした英語学習が主となっているようです。
 たしかに映像があって、映画を観たあとで英語を聞けばわかりやすいとは思いますが、個人的な経験からいえば、英語で最初に接する文学や物語があってもよいと思うのです。
 
 「隅の老人」と「シャーロック・ホームズ」シリーズについては、また別に書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイフォンが使えない……パーツ購入

 ゴールデン・ウィークに、久しぶりにサイフォンで珈琲をたてようと考えて、器具を引っ張り出したところ、濾過器が無くなっていることに気づきました。

 この左側の器具に落とし込む、フィルターを抑える道具ですね。↓

001

 個人的に、珈琲は、エスプレッソマシン以外なら、ネルドリップが一番美味しいと思います。

 次いで金属フィルター・ドリップ、紙ドリップ、サイフォン、そしてベトナムの濾過器&パーコレーターの順においしいのではないでしょうか。
 あとの手入れも考えると、なかなかサイフォンは使わないのですが、そのためにパーツをどこかにやってしまったようです。
 とりあえず、手持ちの網を間にいれて、なんとか使ってみましたが、粉が入って、はっきりいってあまり美味しくありません。
 仕方がないので、濾過器を買うことにして、探したところ、AMAZONで800円・送料無料で売っていたので購入しました。
 サイズがはっきり載っていませんでしたが、まあ、同じハリオだし、なんとかなるのではないかと思って適当に購入してしまいました。
 その商品が、先ほど届きました。↓

003_2

 間にはさみこむペーパーが50枚ついています。
 実際はさんでみると、こんな感じです。↓

005

 
 実は、濾過器はペーパー以外にネル式のものもあるのですが、ネルは、使用したあとの手入れも保管も難しいので、今回はペーパー式にしました。

006

 
 管の中にバネを通し、端にひっかけます。
 つけるとこんな感じですね↓

007

 
 ハリオ付属のアルコールバーナーに点火します。
 このサイフォンには、布芯ではなく、バーナータイプが付属しています。
 火力が強くてよいのですが、キャンプ用のもの同様に、空だきすると、すぐに壊れてしまうのが欠点です。

002

 
 すぐに湯が沸き始めるので、粉をいれてセットします。

008_2

 
 湯が上に上がると、個人的には不本意ではありますが、マドラーをつかって、粉をかき混ぜます。
 本当はそんな不細工なマネはしたくないのですが、結果的に、その方がおいしくなるので最低限のミキシングだけ行うのです。
 その後、アルコールバーナーを消して、しばらくすると出来上がります。
 今回、全く粉は混じっていませんでした。
 サイズ的にもこれでよかったようです。
 ペーパー臭さも感じず、なかなか美味しくできあがりました。
 味はともかく、見た目と雰囲気の良さがあるので、時間のある時は、サイフォン式ドリップも良いものです。
 今後は、もう少し頻繁にサイフォンで珈琲をたてることになるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

月も大小変化する ~スーパー・ムーン~

 昨夜(5月5日)は、月が地球にもっとも接近する「スーパームーン」の日だったようです。
 いつもより月が14%大きく、また明るさも30%明るく見えるらしい。
 なぜそうなるかは、わかりやすいNASAの動画があるのでそれを見ていただくとして……
 天体望遠鏡を取り出して、観察しましたが、あまり変化を感じられませんでした。
イメージ 1
 これは当然で、月だけを無理矢理拡大して観たところで、月の大きさが体感できるわけはありません。
 そこで、NASAが教えてくれているように、月が傾くのを待って(夜明けまで!)、比較できる家や木々と重ねて撮ったのですが、やはり、「なんとなく」大きいような気はしますが、月の大きさがよくわかる映像にはなりませんでした。
イメージ 2
 こうなれば、次のビッグな天体ショー5月21日の金環日食に期待をかけるしかないでしょう。
 楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

庭でキャンプ気分

 昨日、久しぶりにキャンプ道具を引っ張り出して、庭でたき火をしました。

 十年ほど前までは、夏の休暇は槍や北穂高、それ以外の休日は、毎週のように、奥吉野の河原にでかけてテント泊を繰り返していましたが、山での事故を契機にしばらく遠ざかっていたのです。

 アルミ製の組み立てテーブルを立ちあげ、三脚椅子に腰をかけて、去年の飽きに切って乾燥(放置?)してあった木をフォールディング・ソウで適当にカットします。

 地面に影響を与えないためと、空気の流れをよくするために、SNOWPEAKのたき火台を組んで、木を起き、着火。

 あっけないほど簡単に炎があがり、ほとんど煙もでません。

Takibi


 思いついて、たき火のとなりで、チーズのスモークも作ることにしました。

 熱で溶けないように、まめに手をいれながら桜チップで30分ほどかけて熱燻すると、すばらしい色に仕上がります。

 前日の夜のうちに作っておいた自家焙煎コーヒー豆を挽いて、チーズをサカナ?に珈琲を飲むと、チープながらもリッチな気分になります。
 ちなみに、コーヒー豆は、ハワイ・コナとモカをブレンドした生豆をオーブントースターで自家焙煎しています。

 夕方から始めたので、しばらくすると陽が翳(かげ)ってきました。

 これも久しぶりに取り出した、シングル・マントルのミニ・ガソリン・ランターンとイワタニのカセットガス使用のガス・ランタン点灯すると、普段見慣れた庭とはまるで別世界に見えてきます。

 その後、天体望遠鏡を取り出して、スーパー・ムーンを観察したのですが、それは次回書くことにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

思考のためのツール アウトライナーとマインドマップ でも、わたしは ~MagicalPad~

 マインドマップという発想法がありますね。

 トニー・ブザンが提唱した、自分の頭の中の現時点の「様子」を表す思考ツールです。

 具体的にいうと、中心となる「コトバ」や「イメージ」を中心において、そこから放射状に、単語やイメージを繋げていきます。


 思考を整理し、発想をうながし、記憶力を高めることができる……らしいのですが、個人的には、出来上がったマップ自体の形があまり好きでないために、積極的に利用してはいません。

 どちらかというと、わたしは、アウトラインを使って「思考をまとめ」「展開する」方が得意なようです。

 もう数十年まえになりますが、当時、主流だったDOS/Vマシンで動く、IBM-PC用のフリーソフトがありました。

 名前を失念しましたが、それは素晴らしいソフトでした。

 マウスの使用を前提につくられていないソフトですから当然なのですが、ショートカットを多用し、キーボードから一切指をはなさずに、項目の追加、ネストの深層化、表示、非表示、移動が、自在にできる素晴らしいツールです。

 その後、MAC用のインスピレーションや、WINDOWS用のさまざまなアウトライン・エディタを試しましたが、時代はすでに、まずマウスありき、に突入していましたので、項目の追加からネストの移動まで、ほとんどが一度キーボードから指を離してマウスで操作する仕様になっており、その度に思考の中断を余儀なくされて、本当の意味でのインスピレーション・ツールとは呼べるものは、ひとつもありませんでした。

 もともとわたしは、文字・コトバの人間であるので、マインドマップのように、イラストを用いて「脳内の様子」を表現することが難しいのでしょう。

 自分のもつイメージに近いコトバを選択し、並べ、階層化し、追加し、さらに並べ替えるうちに、自分が表現したいことが明確になり、小説は姿を現してくるのです。

 イメージをある単語に固定してしまうことで、言い換えればイメージを単語の持つ意味に入れ込んでしまうことで扱いやすい概念のパッケージを作り、それを重ねることで、新しい概念、イメージ、全体図を作っていく方が、マインドマップで、イラストを駆使して脳内マップを作るより、はるかに楽で、実用的なのですね。

 だから、もしわたしがマインドマップを使って思考をまとめようとしても、おそらくは単語をラインで繋げたものになると思います。

 さて、実は、ここからが本題です。

 現在、わたしはAPPLEのiPad2をつかっているのですが、先日、何気なくアウトライン・アプリを見ていて衝撃をうけました。

 iPadのタッチスクリーンを使って、イラストではなく、単語を線でつないでいく、マインドマップ・ライクなソフトをみつけたからです。

 その名は、「MagicalPad」

 マウスでなく、直接画面にタッチする方式ですから、思考のとぎれはあまりありません。

 おまけに、繋げることができるのは、テキストボックスだけでなく、アウトラインボックスすら繋げることができるのです。
 驚くべき事に、このアウトライン型テキストボックスは、上で書いた「テキスト型アウトライナーそのものの機能」を持っています。

 見出しを増やし、深層化し、入れ替え、さらにテキストを増やす。

 この完全なアウトライン機能を持つテキストボックスは、通常の一単語のテキストボックスと同じように、矢印でつなぐことができます。

 これは、わたしにとって、はかなり使いやすいツールです。

 先日、久しぶりに観た「幕末太陽傳」をまとめかけている図を以下に示します。


 適当に作ったので、配色などはなっていませんが、思いつくままに、コトバを並べて、それをもとに、思考をくみ上げていく、というわたしのアウトライン・エディタの使い方には、本当にぴったりとしたソフトです。

 いまのところ、iPadあらゆるアプリのなかからひとつだけ選べといわれたら、このソフトを残したい、それほど惚れ込んでいるソフトです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月24日 (木)

陸海空 これこそが遊園地 ~みさき公演~

 根が子供だからか、わたしは、いまでも遊園地が大好きです。

 だからこそ、関西を含め、全国の遊園地が、この十年の間に次々と閉鎖されているのが悲しくて仕方がありません。
 宝塚ファミリーランド、奈良ドリームランド、琵琶湖タワー、さやま遊園、玉手山遊園地、あやめいけ遊園地、エキスポランド等々。
 大阪府国分にあった玉手山遊園地は、関西最古の遊園地として、有名で手軽な遠足地でした。

285

 わたしも小学校1年の遠足で、初めて連れて行かれたのですが、当時、メインホール(といってもちゃちなものです)で「妖怪人間ベム」(オリジナル版)を、映画のように上映していたのをはっきりと覚えています。
 こういった田舎の遊園地は、山や丘を利用してつくったものが多いので、園内を歩き回るのも大変です。
 遠足シーズンである春の陽気の中、汗をかきかき、丘を上り下りしました。
 そういった点も、USJやディズニーランドのような外資本の「巨大平地型テーマパーク」に破れる要因だったのかもしれません。
 玉手山遊園地は、個人的に印象深い場所でしたが、十年ほど前に閉鎖されました。
 閉園日当日には、単車に乗って名残を惜しみにいきました。
 そして、やはり登り下りで汗を書きました。
 琵琶湖タワーは、ボーイスカウト活動の年中行事である、琵琶湖バレイでのスキー訓練に向かう途中で、かならず休憩場所として立ち寄る場所でした。
 琵琶湖大橋のたもとにあるタワーが目印でしたが、結局、いちどもタワーに乗ることはありませんでした。
 スカウト活動においては、無駄遣いは一切させてもらえませんので。
 2001年に閉園されました。
 (名物であった巨大観覧車イーゴス108は解体されず、いまだに手入れを続けられ復活の時を待っているようです)
 そうした、地方遊園地が閉鎖される中、いまだにしつこく頑張っているところもあります。
 関西でいうと、枚方パーク、生駒山上遊園地、そしてみさき公園です。
 紀伊半島の西の端に位置するみさき公園は、1957年に南海電気鉄道によって作られました。
 以来、五十数年、現在も元気に、関西の子供たちを楽しませてくれています。
 公式サイトをみてもわかるように、今年は、「イルカに乗った少年」の城みちるをメインキャラクターにしているようです。
 みさき公園の特徴は、山があり、海があり、そして美しい空があることです。
 昨今の巨大テーマパークに比べてば小ぶりですが、環境をうまく利用して、水族館、イルカショー、動物園、遊園施設、そしてプールを配置し、この公園に行くだけで、人それぞれにさまざまな楽しみ方ができるようになっています。
 個人的には、わたしの一番好きな遊園地です。
 かつては、入園口のところに南海電車の車両がおかれ、その内部に野球球団・南海ホークスの展示ルームがしつらえてあったのですが、ご存じのように、ホークスは「福岡ソフトバンク」になっているので、現在ではそれらを見ることはできません。
 それだけが残念といえば残念です。
 生駒山上遊園地は、入園料を無料にして、アトラクションの料金だけで楽しめるようになっています。
 つまり、有料道路、信貴生駒スカイラインの料金さえ払えば、恋人たちが、すばらしい景色、夜景を、無料で楽しむことができるわけです。
 わたしは、昔から生駒遊園の「日本一高い(場所にある)観覧車に乗ろう」というキャッチフレーズが好きでした。
 冬の間は、駐車スペースに段差をつけて水を撒き、自然に凍るのを待って、天然アイスリンクを作っていましたが、温暖化の影響か、ここ数年はスケート・リンクは開かれていないようです。
 このように、生き残っている遊園地を見てみると、やはり自分たちの方向性をしっかり打ち出して、生き残りのための努力を惜しんでいません。
 その点で、閉園末期、安易に円谷プロと手を組んで、ウルトラマン王国、ウルトラマン・レストランとウルトラマン人気に乗っかろうとした奈良ドリームランドが閉鎖されたのも仕方がなかったのかもしれません。
 ちなみに、世の中には、「廃墟ファン」と呼ぶべき人々が存在して、すこし検索するだけで、消えていった様々なパークの、人気(ひとけ)のない錆ついた遊園施設の写真をみることができます。
 かつて憧れた女性の、ひどく衰えた晩年を見るようで、あえて見ようとは思いませんが……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 2日 (水)

え!あれでまだこれだけしか…… ~サグラダファミリアと他の迷宮~

 三重県の伊勢地方に、パルケエスパーニャという遊園地施設があります。

282


  公式サイト http://www.parque-net.com/

 その名のとおり、スペインをテーマにした遊園地なのですが、その中に、バルセロナのグエル広場を模した公園があります。

 その、ちょっと懐かしいタイルで作られた壁をみると、なんとなくガウディの建築を思い出してしまうのですね。

 パルケ自体、それほど凝ったアトラクションがあるわけでもないのですが、なぜか心が惹かれます。

 温泉!?つきのホテルも隣にあるし、年末年始に、ノンビリするのには最適なテーマパークだと思います。

 メイン・キャラクターの、ドン・キホーテの造詣には、ちょっと辛いものがありますが……

 と、ここまで書いて、スペインつながりで、サグラダファミリアを思い出しました。

 バルセロナにある、アントニオ・ガウディ設計の大聖堂ですね。

 もちろん、皆さんは、おそらくあの建物が未完成であるのはご存知でしょう。

 では、どの位未完であるかをご存知ですか?

 以前に、ナショナルジオグラフィックのポスターで、それをわかりやすく示したものがあったので、ここに。掲載させていただきます。

 灰色の部分が、未完成の部分です。

283


 どうです?
 まだ、メインの「イエスの塔」ができていないのですね。

 あの様々なメディアに良く登場する有名な塔は、ほんのお飾りの前の部分だけなのです。

 いったい、いつ完成するのでしょうか?

 上のグエル広場でひとつ思い出しました。

 グエル広場のモニュメントに雰囲気の似た城を、33年かけて、ひとりで作り上げた郵便配達人の話です。

 フランスのドローム県オートリーブにある「シュヴァルの理想宮」が彼の城です。

 自転車で郵便配達をしている時、変わった形の石につまづいたフェルディナン・シュヴァルは、それからいかなるインスピレーションを得たのか、様々な場所から石を拾い集め、庭にそれを積み始めます。

 そして、33年かけて、建築の知識もなく、美術の専門教育をうけたわけでもない男が、独力で城を(もちろん、小ぶりなものですが)建ててしまうのです。

 写真などは、lolitaさんのブログにすばらしいものがありますので、ご覧になってください。



 この話を思い出すと、同時にドイツのルートヴィヒ二世の、あの城、ノイシュヴァンシュタイン城も思い出します。

284



 ディズニーランドの「シンデレラ城」のモデルとなった城といえばわかりやすいと思いますが、この城の特色は、その内部に、ワグナーの歌劇(彼は『楽劇』と称していますが)を演じさせるためだけの「人工の洞窟」などが作られたという点です。

 城には当然存在しなければならない、というより、そのためにこそ城は存在しているはずの『玉座』より、楽劇用の人工洞窟造りを優先させるほど、ルートヴィヒ王はワグナーに傾倒してしまったのですね。

 人の住まう城ではなく、趣味のモニュメント。しかも大金のかかる。

 そのために、城の完成後、100日あまりで王は軟禁されてしまいます。

 しかし、実用を排した「趣味の城」であるがゆえに、ノイシュヴァンシュタイン城は美しく世界中の人々を惹きつけ、現在ではヨーロッパ観光の目玉といわれるほど人気の高いスポットになっているのです。

 ノイシュヴァンシュタイン城は、上のシュヴァル宮とは、形は違えど、常人には理解できない奇妙な情熱を全力で傾けた残滓(ざんし)名残であるという点で、同じ範疇のモノであると思います。

 アジアでは、この手の話をあまり聞きませんが、欧州・米国に、こういった偏った情熱の名残が多数残されているのは、彼の地が、すぐに朽ちて消えてしまう木の文化ではなく、永年にわたって残る石の文化、石による建築物の文化であるからかもしれません。

 「だからこそ、生涯をかけて作り上げる値打ちがある」と思わせる、永続性が石の文化にはありますから。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

陸海空 これこそが遊園地 ~みさき公演~

根が子供だからか、わたしは、いまでも遊園地が大好きです。

 だからこそ、関西を含め、全国の遊園地が、この十年の間に次々と閉鎖されているのが悲しくて仕方がありません。

 宝塚ファミリーランド、奈良ドリームランド、琵琶湖タワー、さやま遊園、玉手山遊園地、あやめいけ遊園地、エキスポランド等々。

 大阪府国分にあった玉手山遊園地は、関西最古の遊園地として、有名で手軽な遠足地でした。

285

 わたしも小学校1年の遠足で、初めて連れて行かれたのですが、当時、メインホール(といってもちゃちなものです)で「妖怪人間ベム」(オリジナル版)を、映画のように上映していたのをはっきりと覚えています。

 こういった田舎の遊園地は、山や丘を利用してつくったものが多いので、園内を歩き回るのも大変です。

 遠足シーズンである春の陽気の中、汗をかきかき、丘を上り下りしました。
 そういった点も、USJやディズニーランドのような外資本の「巨大平地型テーマパーク」に破れる要因だったのかもしれません。

 玉手山遊園地は、個人的に印象深い場所でしたが、十年ほど前に閉鎖されました。
 閉園日当日には、単車に乗って名残を惜しみにいきました。
 そして、やはり登り下りで汗を書きました。


 琵琶湖タワーは、ボーイスカウト活動の年中行事である、琵琶湖バレイでのスキー訓練に向かう途中で、かならず休憩場所として立ち寄る場所でした。

 琵琶湖大橋のたもとにあるタワーが目印でしたが、結局、いちどもタワーに乗ることはありませんでした。
 スカウト活動においては、無駄遣いは一切させてもらえませんので。
 2001年に閉園されました。
 (名物であった巨大観覧車イーゴス108は、解体されず、いまだに手入れを続けられ、復活の時を待っているようです)

 そうした、地方遊園地が閉鎖される中、いまだにしつこく頑張っているところもあります。

 関西でいうと、枚方パーク、生駒山上遊園地、そしてみさき公園です。

 紀伊半島の西の端に位置するみさき公園は、1957年に南海電気鉄道によって作られました。
 以来、五十数年、現在も元気に、関西の子供たちを楽しませてくれています。

公式サイトhttp://www.nankai.co.jp/misaki/

 公式サイトをみてもわかるように、今年は、「イルカに乗った少年」の城みちるをメインキャラクターにしているようです。

 みさき公園の特徴は、山があり、海があり、そして美しい空があることです。
 昨今の巨大テーマパークに比べてば小ぶりですが、環境をうまく利用して、水族館、イルカショー、動物園、遊園施設、そしてプールを配置し、この公園に行くだけで、人それぞれにさまざまな楽しみ方ができるようになっています。

 個人的には、わたしの一番好きな遊園地です。

 かつては、入園口のところに南海電車の車両がおかれ、その内部に野球球団・南海ホークスの展示ルームがしつらえてあったのですが、ご存じのように、ホークスは「福岡ソフトバンク」になっているので、現在ではそれらを見ることはできません。
 それだけが残念といえば残念です。



 生駒山上遊園地は、入園料を無料にして、アトラクションの料金だけで楽しめるようになっています。

公式サイトhttp://www1.kcn.ne.jp/~skyikoma/

 つまり、有料道路、信貴生駒スカイラインの料金さえ払えば、恋人たちが、すばらしい景色、夜景を、無料で楽しむことができるわけです。
 わたしは、昔から生駒遊園の「日本一高い(場所にある)観覧車に乗ろう」というキャッチフレーズが好きでした。
 冬の間は、駐車スペースに段差をつけて水を撒き、自然に凍るのを待って、天然アイスリンクを作っていましたが、温暖化の影響か、ここ数年はスケート・リンクは開かれていないようです。

 このように、生き残っている遊園地を見てみると、やはり自分たちの方向性をしっかり打ち出して、生き残りのための努力を惜しんでいません。

 その点で、閉園末期、安易に円谷プロと手を組んで、ウルトラマン王国、ウルトラマン・レストランとウルトラマン人気に乗っかろうとした奈良ドリームランドが閉鎖されたのも仕方がなかったのかもしれません。

 ちなみに、世の中には、「廃墟ファン」と呼ぶべき人々が存在して、すこし検索するだけで、消えていった様々なパークの、人気(ひとけ)のない錆ついた遊園施設の写真をみることができます。
 かつて憧れた女性の、ひどく衰えた晩年を見るようで、あえて見ようとは思いませんが……

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »