« 2011年8月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月23日 (日)

音で聴く小説:ラジオドラマ「昨日見た夢 今日流す涙」

いやあ、やりました。

 「昨日見た夢 今日流す涙」ラジオドラマ化です。

 これは、もう、随分以前、自作小説のコーナーに、脚本形式でアップしてあった作品ですが、比較的長いため、ドラマ化は不可能だと思っていました。

 それが、このたび、晴れてラジオドラマになりました。

 自分で書いた原作が、音声のみとはいえ、こういった実体を持つのは嬉しいものですが、個人的に、この作品には思い入れが強いため歓びもひとしおです。

 梗概(こうがい:あらすじ)をもう一度書いておくと、

 中野和季(かずき)は18歳。著名な学者の父とエリートの兄の間で常に劣等感を感じている大学生だ。

 周囲の期待から生き甲斐であった陸上をやめ、猛勉強のあげく名門大学に入学したものの「本当にやりたいこと」ではなかったため、今ではすっかりやる気をなくしている。

 そんな和季の前に、突然、菜摘(なつみ)と名乗る少女が現れる。

 とまどう和季を後目に、彼女は奇妙な言動を繰り返し、やがて自分は五十年先の未来から来たと言い始めるのだった。

 一言でいうと、ちょっと悲しいSFラブストーリーでしょうか。

 ぜひお聞きください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月18日 (火)

夕陽と花

 外出した帰りに寄った、公園の花の写真です。

 背後でボケながら逆光気味に光る紅い木の葉と、紫の花の対比が面白いと思ったので、ここに掲載しました。

P1080216_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月16日 (日)

黄昏の闘い(ちょっと切ないファンタシー?:PDF)

以前に書いた小説のプロットを確かめようと、久しぶりにテキストフォルダを覗いたら、「黄昏の闘い」が見つかりました。

 原稿用紙で60枚たらずの短編ですが、わたしの作品には珍しく?物語の始めから謎が謎を呼ぶ展開になっています。

 ジャンルは……さて、なんでしょう?

 ファンタジック・ホラー・アクション?

 SF?

 ラブ・サスペンス?

 そのあたりは、お読みになって、ご自分で判断してください。

 一読されれば、すぐにお分かりでしょうが、自分で書きながら、わたしは本作のヒロインにゾッコン参ってしまっています。

 それだけに、エンディングの切なさは、書いているわたしにも辛かった……

 どうかお読みください。

PDFダウンロード(265k)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「シャガール」と「かめ女」

一眼レフをデジタルカメラにして以来、カメラを持って街をうろつく機会が増えています。

 そうやって、自分が片手にカメラを持って歩くと、世の女性たち(という表現がもう古い?)の多くが、大きな一眼レフを持って歩いていることに気づきます。

 当たり前のことですが、特に行楽地では、その率は50倍以上にはねあがるようです。

 大手電機量販店、ナンバのヤマダ電機などで、女性用一眼レフコーナーというべきエリアが作られていることには気づいていましたが、これまでは興味もなく、注意してみることもありませんでした。

 しかし、改めてそういった目線でみると、電機店でも、カメラ店でも、書店でも、明らかに女性をターゲットにした販売計画を立てているように思えます。

 個人的に、視覚による刺激については性差があると考えていて(優劣ではありませんよ)、男性の方が、視覚には敏感だと思っていたのですが、それほど単純ではなかったようです。

 むろん、数十年前から多くの女性がカメラマン(ウーマン)となり、カメラに興味を持っていたことは知っていましたが……

 いくつか、このカメラ・ブームの原因を考えてみました。

 あ、一部、ある傾向の女性に対して偏見のある意見も入っていますが、他意はありませんのでご容赦を。

『女性の一眼レフブームの原因』

1.もともと女性は美しいもの、きれいな景色が好きなので、それを自らの手で簡単に作り出せるデジタルカメラを好きになった。

 じっさい、一眼レフの巨大な受光素子でデジタル化した映像は、コンパクト・デジタルカメラで撮ったものとは雲泥の差があります。

 画素のひとつひとつがクリアであるため、少し絞りを絞ってやると、人の目で見るより、はるかに「物体そのもの」と「その周辺」が同時にクリアに見えて、肉眼で見るのと同じ景色であるはずなのに、レンズを通して見る景色が、まったく別世界の美しさを持つのです。

 あるいは、望遠レンズで、絞りを開け気味にしてボケを強調すると、これも肉眼でみるのとはまるで別な世界を切り取ることができる。

 ターゲットにした物体の輪郭をボケの光で縁取ったような。

 まるで、世界を万華鏡の材料にして、美しく飾り立てたようにね。

2. 1の前段階として、携帯電話についたカメラで映像を記録する楽しみを知ってしまった。
 

3. 雑誌などで紹介されるトイカメラの、ポップで色調が強調され、レンズの歪みによるピンボケをオリジナリティあるものとして、可愛く感じ、自分でも撮りたくなった。
 しばらく、トイカメラで遊ぶうち、iphoneなどのスマートフォンで、トイカメラ風にとることのできるアプリケーションを見つけ、ついで、オリンパスペンなどのカメラに搭載されている、トイカメラ・フィルターで、もっと本格的な映像をとりたくなり、一眼レフを持つことになった。

4.広告から察せられるように、メーカーもそれを狙っているフシがあるけれど、生まれてきた我が子の撮影を、時間のない、あるいは芸術的センスの皆無の旦那にまかせたくないと思う女性が増えてきた。

 聴くところによると、運動会などでは、男性より女性の方に、カメラ取りの好位置を巡って熾烈な闘いが繰り広げられるとか……

5. もちろん、カメラがオートフォーカスになり、オートAEで露出も機械が決めてくれるようになったから、という理由も大きいでしょう。

6. さして好きでもないコーヒーに、砂糖とミルクを大量にいれて甘味化して食しつつ、「スターバックスで珈琲を飲みながら、書類やノートを広げて目を通す自分がスキ!」的に、ちょっと無骨な一眼レフを手にして「映像を切り取っている」感のある自分がスキ!な女性が多くなった……

 あ、まずい、こんな書き方をすると、一部女性の反感を買ってしまうじゃぁないか!

 まあ、これはなにも女性に限ったことではなく、

「ふぉっふぉっふぉっ、若い人は男も女もデジイチなどと称して、デジタル一眼レフカメラを持って走り回っているようじゃが、わしらは、その時代をフィルム・カメラ(ギンエンカメラなどと間違っても彼らはいわない)で、はるか昔に過ごしてしまいましたわい。いま、わしたちの興味は、いかに大判あるいは中判カメラでよい映像を撮るかという一点にかかっておるのですじゃ。やっぱりハッセルブラッドは良いのう、まあ、お若い人にはちょっと手に入れるのは無理な値段かもしれんが……ふぉっふぉっ」

とノタマウ老人と、同じベクトルとスカラー量があるように感じますね、などと書くと、さらに敵を増やしてしまうじゃないか。

 えーい、毒喰らわば皿まで!

 追加して言ってしまうと、

 カメラ好きな女性を指して「写ガール」という呼び方がありますね。

 同名の女性向けカメラMOOKなどもでています。まあ、これは順序が逆で、雑誌がでてその呼び名ができたのかもしれません。

235_3

 しかし、この呼び名はちょっと問題があるんじゃないかなぁ。

 だって、シャガールってことは、明らかにマルク・シャガールを意識した呼び名でしょう?

 それでもって、シャガールの代表作品ってこんなのですよ↓

236

 つまり、ちょっと変わった抽象画……世の女性たちが、自分を抽象画に例えるというのは考えられないけどなぁ。

 こんなふうに(ピカソだけど)

237

 あるいはこんなふうに?(ミロだけど)

238

 だから、この際、写ガールはやめて、正統的に「カメラ女子」と呼んだ方がよいのではないでしょうか。

 うん、響きもいい「カメラ女子!」

 略して、かめ女!

 あ、いかん、かめ女は、ちょっとまずいかも。

 かめ女さん(ジョージ秋山作、はぐれ雲より)↓

239

 いや、本来は、そういった呼び名すら廃れるほど、カメラを扱う女性が定着するべきなんですよね。

 そして、おそらく、今後、そういった方向に進んでいくでしょう。

 個人的に、しっかりとしたカメラでファインダー越しに被写体を撮る女性の姿は美しいと思うし、大きめの一眼レフを首から提げて、揺れないように、手で押さえながら歩く女性は可愛いと思います。

 すくなくとも、腕を突き出して無粋なシャッター音を響かせながら、携帯電話でなんでも撮りまくるより、はるかに素晴らしいとわたしは思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水玉 on the Leaf

 この作品は、雨の日に、庭に出て木の葉を撮ったものです。

 先日買ったデジタルカメラにマウント・コンバータを装着し、30年来使用しているオリンパスOM-1のズイコーレンズ単焦点50mmで撮りました(もちろんマニュアル・フォーカスで)。

 付属のズーム・レンズでは、さほど美しいボケを作れないのですが、さすがは単焦点レンズ、50mmという短い焦点距離にもかかわらず、かなりきれいにボケてくれました。

 が、今回ここにアップしたのは、水玉のひとつひとつに、撮影するわたしの影が映っているのを面白く思ったからです。

 お分かりになるでしょうか?

 クリック、拡大してご覧になってください。

Hisyakai

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水鳥 ~京都宝ヶ池にて~

去る日曜日、京都の宝ヶ池でボートを漕いできました。
 その時に撮った写真です。
 何ということはない写真ですが、水面(みなも)のモアレがいい感じに思えたので、アップしました。

 クリック、拡大してご覧になってください。

Kamo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 8日 (土)

愛し過ぎたことの罪?そして罰…… ~エンジェル ウオーズ~

20111007_181022_231

 「エンジェル ウォーズ」を観ました。

 監督は「300(スリーハンドレッド)」や、あの名作「ウオッチメン」を撮ったザック・スナイダーです。

 しかし、この作品……どういうんでしょうか。

 あらかじめ書いておくと、世間的な評価は低いようです。

 それというのも、戦闘シーンで使われるCG映像が、いかにもゲームの説明映像っぽいものだからです。

 しかし、この作品が持つ、真の問題点はそこではありません。

 今回はそれについて書こうと思います。

 いや、そもそも、はじめて予告を観た時から、「ヤバいんじゃないかなぁ」とは思っていたんですよ。

 だって、

 金髪のヘソだし『セーラー服』を着た少女が『日本刀』を持って、『仮想空間』らしき場所で、『ガスマスク風の強化服』を着た『ゾンビ』らしき化け物と闘う……

 という映像だったんですから。

 上記、二重カギカッコで書いた部分を読むだけで、分かる人なら、

「なんだこれは……まるで押井守の過去作品の寄せ集めじゃないの」

 と思ってしまう構成です。

 仮想空間映画「アヴァロン」、「アサルト・ガールズ」「攻殻機動隊」の電脳空間
 現実と夢の境のない「迷宮物件」

 セーラー服の少女が日本刀で闘う「BLOOD」

 ガスマスク風の強化服といえば、押井監督の初期の代表作「紅い眼鏡}

 もちろん、偶然の一致、などではありません。

 おそらく、ザック・スナイダーは、押井守監督の信奉者なのでしょう。

 スナイダー自身の弁によると、「この作品は、マシンガンを持った不思議の国のアリスである」とのことですが……

 うそうそ、大ウソ。

 この発言は、彼が、自分自身をも欺く大ウソつきであるか、しょせんはサブカルチャーにすぎない日本のアニメ監督の作品など大部分の欧米人は知らないだろうから、「その作品群から大きなインスパイアを受けたのだ」と説明する必要などないという『大人の判断』から、エエカッコ発言をしたという証明にすぎないでしょう。

 作品自体の内容は、というと、 

 1950年代、母を失った少女ベイビー・ドールは、遺産をねらう義父の策略によって、精神病院に収監され、五日後にロボトミー手術を受けることになる。

 我が身を守るため、彼女は、音楽をキーとして、精神世界に作りあげた仮想空間に潜り込み、5つのアイテムを手に入れ、精神病院から脱出をはかろうとする。

 なぁんて書いたところで、映画を観ていない人は、いったいどういう話なのだろう、と不思議に思われるに違いありません。

 ご心配には及びません。

 実際に映画を観ても、何がなんだか、さっぱりワカラナイんですから。

 この映画は、まったく自分勝手な論理の積み重ねを繰り返し、説明不足のまま、どんどんハナシを進めるという厨二病(ちゅうにびょう)的自己満足に満ち満ちた駄作なのです。

 いったい、どうすれば、ハリウッドの名のある映画監督が、こんな作品を撮るのだろう?

 もちろん、むりやり説明をつければ、なんとか解説することはできます。

 主人公は、精神病院で使用される、鎮静目的の薬物による幻覚・幻視に対抗するために、歌(音楽)を利用し、現実の世界を仮想世界に置き換えて、脱走に必要な道具を手に入れるのです……しかし、こう説明してしまうと実も蓋もないなぁ。

 が、まぁ、つまりはそういうことです。

 おそらくは、ザック・スナイダーは、押井守の作品群が好きなのでしょう。

 ただ好きなだけでなく、強烈に愛してしまった。

 愛し過ぎたあげく、自分自身で、その作品群を再構成して、ひとつの「サイコー」の作品にしたくなった。

 そして、実際にしてしまった。

 アクションシーンを、出来の悪い市販ゲーム風のCGにしてまで……

 たぶん、ザックに罪はないのでしょう。

 もし、彼に非があるとするならば、そういった、愛しすぎた作品の寄せ集め話に、自分好みの「陰鬱で救いようのない」バッド・エンディングをくっつけてしまったことです。

 バッド・エンディング――

 そう、この作品を観た人が口をそろえて言うように、「エンジェル ウォーズ」は、後味の悪い映画なのです。

 ヒラリー・スワンク主演の、ミリオンダラー・ベイビーのような。

 どうしようもない閉塞感と喪失感を伴うエンディング。

 だから、この映画を、精神ポテンシャルの低い(つまり意気消沈した)時に見ることはおすすめできません。

 ザック・スナイダーは、押井作品を愛しすぎるという罪を犯したあげく、最低の駄作をつくってしまうという罰を受けてしまった。

 だいたい原題「Sucker Punch」(びっくらパンチ)がどうすれば、「エンジェルウォーズ」になるんですか?

 ああ、そういえば、女性の一人に天使の羽のようなモノが生えるシーンがあったなぁ。

 
 うーん。

 最後に、ロボトミー手術に関する、わかりやすい説明としては、島田荘司氏の小説「溺れる人魚」が詳しいので、興味があれば、ご一読されることをおすすめします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

確実なBeautiful Computer eraの終焉 ~ジョブズ死す~

 わたしが、最初に、その会社のマシンを知ったのはⅡCという型番でした。

 まだまだ薄っぺらだったコンピュータ雑誌の巻末ページの、胡散(うさん)臭そうな個人輸入業者が出した広告で知ったのです。

 しかし、当時のわたしには高価すぎて手がでなかった。

 パーソナル・コンピュータの黎明期だったのです。

 それ以外の広告は、ほとんどが基盤剥き出しで、ディスプレイと言えば数字を表示するだけのセグメント表示のみ、キーボードはテンキーだけで、扱える言語はアセンブリ言語のみという、信じられないほど原始的な状態でした。

 それにひきかえ、そのマシンは性能だけでなく、白くすっきりした薄さの筐体デザインすら素敵だった。

 そのメーカーの名はApple Computer。

 社名より、その社長の名前の方が有名なコンピュータでした。

 APPLEのマシンは、その後Ⅲが発売され、LISAへと受け継がれてきます。

 しばらくして、自分で会社を作り、コンピュータで音楽を作り始めたとき、初めて手にいれたのはCLASSICでした。

 シーケンサーのVisionとスコア(楽譜)ソフトのencoreを動かすためでした。

 当時はすでに、アタリのマシンもIBMもソードも、クリーン・コンピュータと称するシャープMZ-80Bや、NEC PC-8801、バブルメモリ搭載がウリの富士通FM-8も出ていましたが、なによりアート分野、特に音楽分野ではアップル製品が定番だったのです。

 Visionは、現在発声中の音を黒いボールのバウンスで示すのですが、何せ、要求する作業が、マシンの性能を越えているため、実際の発声タイミングより随分遅く、うまく操作するためには、早めにスタートボタンを押して開始し、終わる時間を見越してストップボタンをクリックする、という、今から考えると冗談のような特殊操作が必要な劣悪環境でありました。

 しかし、それでも他のマシンの他のソフトよりも、はるかに快適に、実用的に音楽を作ることができたのです。

 一太郎Ver.3を使った書類印刷や、ロータス123(「桐」なんてのもありましたね)を使った表計算処理は、NECのPC9801で行っていましたが、まだまだ日本製品のMMI(マン・マシン・インタフェース)としてのマウス操作は、お遊び程度、せいぜい花子(書いているだけで懐かしい)の図形描画で使う程度で実用レベルではなかった。

 やがて、型落ちのSE-30を手に入れ、本格的に音楽制作を始めると、ⅡcX、Ⅱci、Ⅱsi、Lcと買い換え、買い増しし、仕事を続けました。

 その後、Quadraが発売され、Powermac、そして、一時期、Applehがライセンス供与していたパイオニア製のマシンなども購入し、使いました。

 そして、あのボンダイブルーが有名なimacの登場です。

20111006_185643_767

 imac自体は、Usbのmidiインタフェースに信頼がおけなかったので、音楽開発用にはしませんでしたが、そのデザイン(見た目は可愛いけど、目の前でみると結構デカかった)にはイカれました。

 やがてマシンはG3、G4と性能を上げていき、ついにOS-Xの時代になります。

 その合間にも、創業者による「砂糖水を売るより、未来を作ろう」発言(本人がいったかどうかはマユツバものですが)や、そういって雇い入れた人物から、今度は自分が会社を追い出されるという毀誉褒貶(きよほうへん)ぶり、その後に彼が起ちあげ発売したNeXTコンピュータ(これも欲しかったけれど、ワークステーションなみの値段にとても手がでなかった)のスゴさ、そしてアップル社に返り咲き……等々、アップル周辺というより、その人物周辺は、いつも賑やかで、話題にこと書きませんでした。

 やがて、その人物は、あのipodを発表し、ipodを内包した電話iphoneや、それを拡大した(だけではないが)ipadを矢継ぎ早に発表します。

 そして、去る5日……

 おそらく、世界中の人々が、一斉にこの「事件」を話題にするでしょうから、わざわざ、わたしが書くこともないのですが、やはり書かずにはおれません。

 米アップル社の創始者にして、先日までCEOであったジョブズ氏が亡くなりました。

 よく知られるように、彼自身はプログラムを書く天才でもなく、ハード設計の達人でもありませんでした。

 しかし、彼には、向かうべき道を知る嗅覚と直感、決断力がありました。

 優秀なプログラムを書ける人間は、勉強と学習で生み出せます。

 奇抜で、部品数が少なく、よって故障の少ないハードを生み出す人間も。

 しかし、人にCORRECT ORIENTATIONを指し示すことのできる人間は、まずいません。

 ビル・ゲイツが1万人いてもダメなのです。

 彼の死によって、美しく華のあるコンピュータ黎明期は終わりを告げ、コンピュータ文化は停滞を余儀なくされるような気がします。

 後の研究家によって、コンピュータ史の停滞時期、と呼ばれる気が……

 今現在、すでにあるマシンの性能を上げることなら凡百の人間にもできるでしょう。

 しかし、今あるものを組み合わせて、新しい価値を生み出す作業ができる人間は数少ないのです。

 ステーブ・ポール・ジョブズ。

 実際に会って話をしてみれば、欠点の多い、自分勝手でイヤな奴だったのでしょう。

 歴史に名を残す天才というのはそういうものです。

 如才がなければ、世に数多いるゼニ屋(MBA保持で、人の金で相撲を取る経済の専門家)になるでしょうから。

 イヤな奴、傲慢で、そして魅力的な男……

 コンピュータ業界は夜空に燦然と輝く巨星を失ってしまいました。

 しかし、個人的には最後に問題が残ります。

 かつて、誰かが、本田宗一郎氏が最後に褒めたマシンとしての軽四スポーツカー、ホンダ・ビートを苦心して手に入れたと言っていました。

 だから、わたしも、今使用しているiphoneのまま、iphone5が出るまで待とうと思っていましたが、おそらくジョブズが目にしたであろう最後の実機(コンセプト・デザインのモックアップではなく)であるiphone4sを手に入れるかどうか迷っているところです。

 彼が、目にした最後のマシンなのだから、手にいれたい。

 それは、おそらくわたしが、コンピュータ黎明期に、彼のような新しい時代を切り開く天才と同時期に生きられたことを、幸福に思っている証拠に他ならないのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カナル・クルーザー ~ハウステンボス~

園内の運河を往復するクルーザーです。

 舳先(へさき)からシャボン玉を吹き出しながら走る姿は、なかなかに愛らしいものです。

Boat

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドム・トールン ~ハウステンボスのランドマーク・タワー~

これも、その仕事で訪れた九州の写真です。

 タイトル通り、ハウステンボスのタワーです。

 カメラに付属のPOPフィルターを使って撮影しました。

 こういうデキアイのフィルターというのは、ほとんど使わないのですが、
案外面白いものですね。

Hause

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨の熊本城

先週、仕事で九州へ行ってきました。

 そのついでに、新しく手に入れた一眼レフの試し撮りもしてきました。

 カメラについての詳細は別項で書きます。

 とりあえずは、熊本城です。

 初めて見ましたが、すっきりとした美しい城ですね。

 武者返しの石垣も優雅です。

Kumamoto

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年11月 »