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2011年6月10日 (金)

コミックであるには過剰過ぎる野心 パンプキン・シザース

 いま、わたしが注目しているコミックは、なんといっても、少年ジャンプ連載の「ニューとんち番長」こと「奇怪噺 花咲一休」です――

 というのは冗談ですが、頓智(とんち)をストーリーのギミックとする、いわゆる「使い古された」「誰もが一度は思いつくものの、形にするのは難しい」手法をどのように料理していくのか興味はあります。

 それほど、並の才能では、頓智(とんち)をテーマにコミックを描くのは難しい。

 頓智ではなく、心理戦なら簡単にドラマにできます。

 しかし、その質を維持するのは難しい。

 デスノートやなんとかゲームのように、わかりやすい心理戦を劇中に取り入れて人気を博したコミックもありましたが、その人気は一過性でした。(デスノートなど、後半部分は明らかに蛇足だったでしょう)

 駆け引き、心理戦だけをドラマにするつもりなら、単なる万引きですらドラマになる。

 人は、そういった分かりやすい緊張感が好きなものです。

 気を抜くと、すぐにただの言葉遊びに堕落する「頓智」をドラマの中心に据えるのは至難の業なのです。

 案の定「花咲一休」は、少年ジャンプ誌上、掲載ページがどんどん後ろになってきています。

 まさかの十週打ち切り……

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 いまわたしが、もっとも「気になっている」コミックは「陸軍情報部第3課 パンプキン・シザーズ」です。

 月刊マガジンに連載中のこの作品ですが、何年か前に、GONZOによってアニメーション化も行われたため、一定の認知度はあると思います。

 けれども、アニメ化の段階では、まだこの作品の「核」とも呼ぶべき部分が顔を出していません。

 今回は、パンプキン・シザーズの特異さ、過剰さについて書いてみようと思います。

 上でも書いたように、パンプキン・シザーズは、現在も月刊マガジンに連載中のコミックです。

 現在、15巻まで出ています。2006年にはアニメ化もされました。

 しかし、今現在、たまたま雑誌を手にとって、パラパラとページをめくったところで、ほとんどの方は見過ごしてしまうことでしょう。

 それほど、(現在の)マガジン誌上での扱いは低い。巻頭カラーもなければ、大きな扉絵もない。電話帳なみに分厚い月刊マガジンの、後ろから数えた方が早いページにひっそりと掲載されているだけです。

 しかし、いったん読み始めると、その作品世界は、特異でなかなかに深い。

 舞台となるのは、我々の世界に似た異世界、第二次大戦直後のヨーロッパあたりを舞台にしたパラレル・ワールド物語です。

 大戦後の荒廃した帝国内を復興させる(という名目で)設立された陸軍情報部第3課・通称「パンプキン・シザーズ」の活躍がメインのストーリーとなります。

 停戦後、3年を経ても戦火の傷は癒えず、元軍人が夜盗化し、難民は街にあふれ、貧困と危険が日常化しています。

 国中にたまった不満を解消するための「ガス抜き」として(あるいは、復興を名目に、他方面で使う予算をぶんどるために)、名ばかりの組織として編成されたのが、戦災復興の専門部隊、陸軍情報部第3課です。

 ボスである3課長、ハンクス大尉は「お茶の水ハゲ」のしょぼくれたオヤジですが、戦時中はなかなかのキレ者で、非情な行為も多く行ったことが、1課長などの口から語られたりします。

「おまえは、戦時中の行いを償いたいのだろうが、それは無理だ」と。

 わたしの見るところ、ハンクスの役回りは、パトレイバーの後藤隊長ですね。

 カミソリ後藤。

 個人的には、こういったパトレイバーで確立された、「組織内で、上下のマサツに苦しみながら行う正義の味方バナシ」は好きではないのですが、「パンプキン・シザーズ」には、それだけでとどまらない魅力がある。

 ハンクス大尉の下にいるのが、実働隊長:アリス・L・マルヴィン少尉で、彼女が事実上のヒロインです。

 アリスは、帝国内に残る貴族の中でもトップクラスに位置する、拝命十三貴族(皇室会議に列席を許された貴族)であるマルヴィン家三姉妹の末妹です。

 かつて「帝国の英雄」と称えられた祖父に憧れて育ち、二人の姉が嫁いだ後は、自分こそが祖父の志をついで帝国を守るのだ、と士官養成所に入学したものの、卒業する前に停戦を迎えて、一時的にガッカリしたものの、すぐに気持ちを切り替えて戦後復興に命をかける、ホットな、いや熱すぎるお嬢さんです。

 ヒロインらしく金髪碧眼の美形で、剣の腕は一流といってよく、まあステレオタイプといえば、そのまんまヒロインっぽいキャラクター。

 しかし、直情径行かつ良くも悪くも世間知らずで大貴族のお嬢様であるアリスが、様々な体験をするうちに形作っていく「復興」「軍の役割」「貴族の生き方」についての考えは、折りにふれて、その真っ直ぐな視線とともに披露され、これがまたなかなか良いのです!

 アリスは、いわゆる貴族らしい貴族、王の王たる王として描かれています。

 このあたりは、作者岩永亮太郎の持つ貴族観が彼女で示されているのでしょう。

 わたしもこういった設定は嫌いではありませんが、ちょっと激しすぎて鼻につくところもあります。

 しかし、甘ちゃんで真っ直ぐであるがゆえに、脆弱でもろいアリスが、悲惨な現実を前にして、精神的貴族(魔少年ビーティーより)らしく、逃げず、臆せず、柔軟な解答を見つけていく過程は、それだけでひとつの作品になるほどの質量がある。

「世の中に立ちはだかる壁は硬い。それはハロウィーンに使われるカボチャの皮のように分厚く手に負えないものだ。ならば、われわれは、その皮に穴を開けて細工するカボチャバサミになろう。パンプキン・シザーズに!」

 エエじゃないですか!

 が、それでもまだ、それはパンプキン・シザーズの特異点ではありません。

 もう少し話を勧めましょう。

 物語は、とある郊外の街の復興作業中に、アリスがひとりの大男と出会うところから始まります。

 彼こそが、この作品の「ほぼ主人公」ランデル・オーランドです。

 戦時中は、その存在すらはっきりと確認されたことのない部隊、不可視の9番(インヴィジブル・ナイン)と恐れられた、改造兵器部隊の生き残りです。

 顔に大きな、いわゆるサンマ傷(ハーロックのような)をもつ大男ながら、普段は温厚で虫も殺せないオーランドは、腰につけた青いランタンを点(とも)したとたん、誰もが恐怖を感じずにはいられない「戦車」に対してですら生身で立ち向かい、爆撃を避けず、戦車によじ登り、一番装甲の弱いハッチに、人間が扱う限界である「13ミリ口径」の対戦車拳銃、通称「ドア・ノッカー」を押し当ててゼロ距離射撃を行う超人(というより異常人)になります。

 一般に、コミック「パンプキン・シザーズ」の大まかな話の流れは、

1.復興指令を受けて第三課が出向く。
2.マルヴィンたちがピンチになる。
3.オーランドがランタンを点して、テキを倒す

というパターンなのですが、もちろん単純な英雄物語ではありません。

 オーランドは、体こそデカイものの超人ではないからです。

 ただ、恐怖を、何らかの方法で一時的に麻痺させて戦うだけの男。

 戦車を一切恐れずに近づいてくるために、通常の射撃方法では捉えることができずに、砲弾の直撃こそは喰らいませんが、薄いコートだけが防御手段であるために、戦闘後は常に満身創痍です。

 こんなのはヒーローじゃない。

 第三課には、女たらしオレルドや生真面目マーチスといった他の個性的なメンバーもいて、それぞれにドラマをつくってはいますが、だいたいの物語のパターンは、上記1-3の繰り返しでした。

 そう、でした、です。

 お待たせしました。

 ここからが、本当に書きたかったことです。

 コミックスの十巻を超えたあたりから、カウプランあるいはカウプラン機関という名前が頻繁(ひんぱん)に出るようになります。

 この「カウプラン」こそが、オーランドに「脳改造」を施した張本人です。

 実際の名前はカウプラン教授。

 帝国における、もはや伝説となった天才発明家です。

 幼少時から、あらゆる学問に精通し、革新的な道具を多数発明した真の天才。

 カウプラン教授は、戦後、突如として行方をくらましたため、いまや、彼の断片的な発明・研究は「宿題」呼ばれ、多くの科学者たちから、到達すべき目標とされ研究されているのです。

 その才能があまりに突出していたために、発表当時は、それが何を意味するかわからなかった発明・着想が、後に技術が追いついた時にサブマリン特許となって、科学の進歩を妨げる原因となることがあるほどです。

 サブマリン特許についてはこちらを参考にしてもらうとして、月刊とはいえ、少年誌のコミックで、「サブマリン特許」を使って、天才科学者の功罪を語る作品を、他にわたしは知りません。

 白眉なのは、先月にマガジンに掲載された、ある科学者がカウプラン教授について語る演説です。

少し長いですが、限りなき敬愛をと尊敬をこめつつ、抜粋しましょう。

第60話 3日目:カウプラン奇譚

カウプランとはなんなのか。

カウプランは人間だ。我々と同じただの人間だ。

そして我々と違い、本当の天才だった。

幼少の頃より異様な速度であらゆる学問を吸収した彼に軍の技術部が接触した。

実際に会って言葉を交わし、軍は思い知った「こいつは今までの技術者と違う」
彼との問答は、おとぎ話に出てくる「何でも答える鏡」「何でも見通す水晶玉」だった。
カウプランに知らぬことはなく、解けぬことはなかった……

軍はその能力を最大限に発揮させるべく、彼個人のために開発研究の場を提供した。

それが、カウプラン機関。国の用意した魔術師の庵(いおり)……

戦に勝つために、たびたび庵を訪ね、助言をもとめる国の使い。

「より早くより遠くより強く敵を討てる」そんな武器はないか、との問いに、魔術師は、魔法の杖の作り方を教えた。

おかしいかね?

それぞれの時代に応じた「ふさわしい技術の水準」というものがある。

木と石の加工がやっとの水準であれば、複雑な金属機構など思いつけない。
思いついたとしても夢見事と嘲笑されるだけだ。

『技術開発』とは手の届く範囲のものを組み合わせ、積み上げて足場を築き、迷走しながら一段上へと上っていく行為だ。

だが、

カウプランは逆だった。

「正解」(上)からその時代の水準に降りてくる!

パーツの一つ一つ……例えば、『銃身』なら、

「我々には「銃身」の制作などできない」

「ではその設備を考案してやろう」

「その設備を作る技術すらない」

「設備を作る道具も設計してやろう」

「その道具を作れるほど金属技術が発達していない」

『銃身』という言葉も……いや『銃』という概念すら不確かな時だ。
実際にはまだ命名されていない『名なしの技術』
その『名なし』が我々の理解できるところまで……

 我々の――技術水準の水面にまで降りてきた時、『それ』は名を得、実在権を得る。

――例えですよね?
 本当に先込め式より前にボルト・アクションを発案していたわけでは……

カウプランはただの人間だ。全知全能の神ではない。

この予の物質・法則全てを知っていたわけではない。

 あくまで自分の中の知識と理論を組み合わせて、自分の思い描く『正解』から降りてくるだけだ。

 あと一歩というところで足がかりが尽きることもある。

 我々の水準と接さず、結実しなかった技術案は ”保留”となる。

 そして次は、一段二段とグレードを下げたところから降りてくる。
 今度は我々の水準に届くように。

 それこそ、先程言った『先込め銃』……「これなら今のキミ達でも作れるだろう?」と。

 一つ――お伺いしてよろしいですか? 
”保留”となった後奏なり設計図なりは――

『カウプランの宿題』と称され――いくつかはカウプラン機関に秘匿され、いくつかは製法諸国特許庁に送られた。

 それが、現在、我々技術者を苦しめているカウプラン特許(パテント)の正体だ。

 つまり……我々個人のアイデアがどうこうではなく……我々全体が技術水準を上げれば上げるほど……”知識や知恵の水面”を上げれば上げるほど……

 カウプランが上から下ろした根に接触し――カウプランの特許(パテント)が発動する――!!

 これは、先に書いた、いわゆる「サブマリン特許」ですね。

 戦争アクションコミックで、サブマリン特許を物語の大きな柱に据えるという、過剰さが、カボチャバサミの魅力なのです。

 長くなったので、項を替えてあと少し引用を続けます。

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