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2011年5月

2011年5月31日 (火)

氷かき器でしょうか?いいえ、オカカ七号です

 伊丹十三が、まだ伊丹一三(いちぞう)であった頃に書いた文章に、

「日本の家庭が毎朝、カツオブシを削るように、ヨーロッパの家庭はコーヒーの豆を挽くのだ」

というのがあった気がします(あやふやな記憶ですが……)。

 現代の我々から見れば、「何をヤミクモに憧れてんだか……実際は、オーベイたって、大したこたぁねぇよ」テキ60年代欧米讃歌オンパレードな内容なのですが、確かに、わたしが子供の頃は、二日に一度は、祖母が削り器を使って、カツオブシを削っていました。

 カツオブシ削り器……

 ご存じの方も少なくなっているのでしょうか?

 形はカンナを逆さまにしたような道具で、下に削ったカツオ節をいれる箱があって、その上に逆カンナをおいて、カツオ節を前後させて削るのです。

 今でいえば――キュウリなどをスライスするアレのような感じですね。

 なかなか調整の難しい装置で、祖母が金槌を使って刃の出し入れをしていたのを、子供心に「スゴク(危ない)マシンだぜ」と感心して見ていた覚えたあります。

 さて、ここからが本題です。

 長らく、我が家の冷凍庫には、以前に築地で購(あがな)った本カツオブシが転がっていました。

 購入した当初こそ、カツオブシ削り器を使って毎日食べようと思ったのですが、昔の削り器はすでに手元にはなく、手入れも大変そうだったので、ホームセンターでアルミダイキャストの替え刃交換式のミニカンナを購入し、代用しました。

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 しかし、これは疲れる、その上危ない。

 いつの間にか使わなくなり、カツオブシも冷凍庫で冬眠に入ることになってしまいました。

 それでも、いつも心の隅にはひっかかっていました。

 あのカツオをなんとかしなければ……

 去年の大掃除で、再びカツオ節を見つけてしまったので、仕方な――いや一念発起、何かよい道具はないかと探したところ、あったのです。

 前に探した時は見つからなかったのに……りっぱな手動式カツオブシ削り器発見。

 その名も「オカカ七号」!

 七号というからには一~六号もあるはず。

 とサイトを見ると↓1970年に一号が発売されています。知らなかったなぁ。

 http://www.aikogyo.co.jp/seihin/page/okaka.html

 さっそく購入し、試してみました。

 まず、外観ですが、氷かき器のような形をしています。

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 構造もほぼ氷かきと同じです。

 カツオブシをナナメに差し込み、軽く手で押さえながら、くるくる(抵抗はほとんどありません)まわすだけ。

 ほら、このとおり、綺麗なカツオ削りができました。

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 原理は、回転板に形状の違う三枚の刃がついていて、一回転で、三度かつおを削るというものです。

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 もっとも。わたしのカツオブシは、冷凍睡眠期間が「エイリアン2のリプリー並に長かった」ためか、乾燥しすぎて割れてしまいました。

 改めて説明書を読むと、「乾燥して割れる場合は濡れフキンでつつんでしばらくおくとよい」とあったので、残りのカツオ節を、濡らしたペーパ-タオル共にタッパーにいれ、一昼夜おくと見事にきれいに削りきることができました。

 実際に食べてみると香りが違う。まったく違う。

 これまでパックに入ってたアレはなんだったのか、という感じです。

 いままでどおり、出汁をとっても、根本的な味がちがいます。

 うちの猫の騒ぎようも尋常ではありません。

 調子にのって、すぐに近くのスーパーでカツオブシを買ってきました。

 これで、気が向いた時に、削りたての花かつおを食べることが出来ます。

 6,000円足らずで手に入るホンモノノ味。

 わたしは気に入りました。

 いくつかのサイトで目にした製品のマイナス評価に「大きすぎる」「力が必要」とありましたが、氷かきと比較すれば、それほど「大きく」も「力が必要」とも感じませんでした。

 だいたい、製品の性質からいって、削り溜めするものではなく、必要な時にさっと出して、削りたてを食べるものですから疲れることもないのです。

おまけ

 最近、ある本を読んでいて、家庭であまっているスルメイカを削るといろいろな料理に使えて便利、とあったので、オカカ七号で削ってみました。

スルメを縦に切って↓

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縦にまとめてカツオ節のようにオカカ七号に差し込み、

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いつも通りにくるくる回すと、

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みごとに、スルメ削りができました。

 これでお好み焼きをつくると美味しいこと。

 ぜひ、おためしください。

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2011年5月17日 (火)

帰去来 観てきました。映画 ~はやぶさ Back to The Earth~

 昼から時間ができたので、14日から公開の始まっている「はやぶさ Back to The Earth」を観てきました。

 前知識がほとんど無いまま、47分500円という手軽さも手伝って、上映開始時間を確かめただけで、バイクで映画館に出かけました。(もともとはプラネタリウム用?の映画だったようです)

http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/hayabusa_movie/

 鑑賞券を買い、受付でちらしを受け取って劇場へ。

 平日昼間ということもあって、指定席なのに全席自由席状態です。

 わたしの他には2人しか観客はいませんでした。しかも高齢の方ばかり。

 始まってすぐに、この映画が、これまで科学番組やバラエティで特集を組まれた「はやぶさ物語」とは一線を画すものであることがわかりました。

 この映画には人が出てこない。

 ただの一人も。

 青く輝く地球から打ち上げられた一筋の光、打ち上げロケットが徐々に分離して、最終的に姿を表すジェイムスン教授、じゃなくて、はやぶさと宇宙空間が美麗なCGで描かれるだけです。

 その、篠田三郎氏の抑えた語りがいい。

 スイングバイの分かりやすい説明にうなずき、地上では決してシミュレーションできない状況を、自立判断(と、数十分遅れた微弱電波による指示)する姿に感動するうちに、物語は進みます。

 これまでに作られたテレビ版「はやぶさストーリー」と違い、プロジェクトチームを一切表に出さない演出は好悪のわかれるところだと思いますが、わたしは好感が持てました。

 そしてラスト、ボロボロの機体で地球に近づくハヤブサの姿に、「トップをねらえ」の一万年後の地球に帰ってきた満身創痍のバスターマシンの姿が重なって泣けて来ます。

 やがて、カプセルを射出した後、大気との摩擦熱に身を焼かれながら、地球の姿を撮影して燃え尽きていくはやぶさ。

 上映後、あらためて受付でもらったポストカードに目をやると、裏には、はやぶさが最後に撮影した地球の写真が貼り付けられていました。

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 長旅を終えて帰還したはやぶさの姿は、どうしてもバスターマシンに重なってしまうようで、はやぶさを紹介する多くのサイトで「オカエリナサイ」という文字が書かれています。

 関連動画
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm8858782

 最後に……言っても詮無いことですが、これほどフェイル・セーフに秀でた技術を作り出せた日本が、どうしてあんなお粗末なゲンパツを作ってしまったのか……

 そして、使えないロボットも……
 http://www.asahi.com/national/update/0514/TKY201105140193.html

 まこと、無敵の自己修復ターミネーター的安全性?を目指す技術者の敵は、その無知蒙昧さにではなく、彼らを取り囲む度過ぎた官僚主義と意味不明の無謬(むびゅう)性にあるということなのでしょう。

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2011年5月15日 (日)

完璧な解答 GANTZ PERFECT ANSWER

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 そろそろ頃は良し、ということで、映画「GANTZ Perfect Answer」を観てきた話をしようと思います。

 個人的には、「日本のSFだし、ショボいの分かってるし、主役級のダブルキャスト人気(二宮和也+松山ケンイチ)だけの映画だし……」と、観にいくべきかどうか迷っていたのですが、結局、誘われて公開直後に出かけてしまいました。

 原作のほうは、新連載の頃から読んでいます。

 しかし、まさか、「あの」内容をそのまま実写化できるとは思わなかったので、映画の第一弾は観ていませんでした。

 実写化に際して、変なデフォルメがかかるぐらいなら観ない方がましです。

 しかし、映画公開の前日、つい興行者の思惑にのってテレビ放映された前編を地デジ録画用のトルネで録画してしまったのです。

 早送りしつつナナメ観(み)すると、原作にはない(おそらくテレビオリジナルの)妙な編集は入っているものの(だからタイトルは「Another Gantz」)、田中星人のデキ具合に感心してしまいました。

 動きの方も、ちょっとワイヤー・アクションにしつこさは感じたものの、内容自体は悪くない。

 なにより、ガンツ・スーツを実写で観ることができたのが収穫でした。

 そして観てきた後編「Perfect Answer」。

 当然ですが、原作とはまったく別物の作品になっていました。

 前編では、まだ、ネギ星人や田中星人など、原作とゆかりのある「異形の宇宙人」が出ていましたが、後編は完全な「ヒトガタ宇宙人」ばかりです。

 ああ、そうだ、細部にこだわる前に総評を書いておきます。

 全体としては、まあ良かったです。

 ここで盛り上げるゾ、という山がいくつかあって、それに乗っかれる人は楽しめると思います。

 わたしは楽しめました。

 残念なのは、脚本、というか筋立てに「無意味な部分」というか「必然でない」ものがかなりあったことです。

 以下、ネタバレちゅうい

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まず、

・加藤のニセモノ(カトー星人?)が出てくる理由がわからない。

 千手観音型星人、通称「千手(せんじゅ)」が、ミッション終了後の転送待ちであった死にかけの加藤を殺したのは良い。

 だが、その姿を借りて何がしたかったのか最後までわからない。

 あえていえば、営業上の理由で、松山ケンイチx2ならば、人気もニバーイということなのでしょうか?

 だったら二宮和也のコピーも作って(原作には二人のクロノがいるのだから)、

(松山ケンイチx2)+(二宮和也x2)=(女性に大人気)

という方程式を組んだということでしょうか……

 余談ですが、よく野球で「勝利の方程式」っていいますよね。
 わたしは、それがどういう意味かわからなかった。

 だって、

 先発→中継ぎ→セットアッパー→ストッパー

 の流れだったら、これは数学でいう「式の変形」に過ぎないじゃないですか?

しかし、ある時、気がついたのです。

 勝利の「方程式」の意味に。

 ご存じのように、方程式とは、

 XYZA=0
   ↓
 HJGF=0
   ↓
 HOKS=0

のように、等式を変形させて解を導くものです。

 つまり、「勝利の方程式」とは、

 (バッター:打率3割)  X 中継ぎ     =0点
 (バッター:打率2割5分)X セットアッパー =0点
 (バッター:打率2割)  X ストッパー   =0点

 と、バッターがどれほどのポイント(打率)を持っていても、得点を0にするピッチャー起用パターンと考えれば良いのですね。
 いやあ、もう皆さんご存じだったのでしょうが、誰も教えてくれなかったので、気づくのが遅れてしまいました。

 話を元に戻します。

 気になった点です。

・通称「黒服星人」たちの最初のリーダーと千手の関係が不明。

・カトー星人がGANTZにかけた水の意味と効果が不明(どこかに説明があるのだろうか?わたしが見逃しただけ?)。

・ラスト近く、タランティーノばりの膠着(こうちゃく)状態から、大人数が至近距離で銃を撃ち合っているのに、カトー星人には当たっていない、あるいはそれほどダメージを受けていないのはなぜか?

・それなのに、最後にクロノが撃った、たった一発の銃弾?によってカトー星人が吹っ飛ぶのはなぜか?

・同様に、GANTZチームではクロノと加藤だけがそれほど被弾していない(クロノは撃たれていたけれど)。

・ガンツのエネルギー源を「中に納まっている人型生物(裸の男)の生命エネルギーである」とするのは良いが、問題は「ガンツを地球に寄越した者の存在も目的も」あやふなやままでいることだ。
 ガンツ自体は、戦いを望んでいるのではなく、どこからかの指令によって、地球人を戦わせているのだから。

 だから、(おそらくはたくさんある中の)いちGANTZに過ぎないクロノが、最後にすべての人間を生き返らせ(これも、GANTZによって転送されたことのない者まで生き返るのはおかしい。DNAデータがないはずなのに)、今後の戦いをやめてしまう、ことなどできないはずなのだ。

 と、それらの破綻(はたん)を差し引いても、クロノが最後に見せた、誰からも知られない自己犠牲の精神には感動させられる。

 あるいは、それが、少し前まで激しかった「拝金主義」から日本が脱却しつつある証明なのかもしれない。

 最後に、GANTZに関して思うところを書いておきます。

 GANTZは、原作者の奥浩哉が高校時代に書き殴ったものがプロトタイプだといわれています。

 まあ、ロボコンのガンツ先生からのインスパイアだったのでしょう。

 普通の人間が、日常から突然、非日常へ放りこまれた時に見せる、その人の本質を描きたかったのだと思います。

 わたし個人にとって、GANTZが気になる理由はひとつです。

 GANTZを知る前の、原作の玄野計は日常をつまらなく思っている高校生でした。

 子供の頃は、野原を飛び、跳ね、何でもできた特別の「小さな王国の万能の王」であったはずの自分が、いまや大勢の高校生の中に埋没し、特別でもなんでもない凡夫であることに気づいています。

 身長もさほど伸びず、よって、体格が物を言う学校の部活のエースではなく、勉強も飛び抜けてできるわけではない。

 そして、それが当たり前だと思っている。

 すべてを自由に決定できた、子供の頃の玄野の才能は、大人が欲しがる答えを要求する学校のシステムには適応しなかっただけなのに。

 しかし、久しぶりに会った加藤にとって、玄野は英雄であり、何でもできるスーパーマンのままだった。

「すげえ!」「さすが計ちゃん」

 そういった加藤の言葉が、学校という画一主義、社会が作ったシステムの中で『死んでいた』玄野の『英雄』を目覚めさせていく……答えの見えない星人との戦いにおいては、玄野が眠らせていた才能こそが重要であったことに、彼は気づいていく。

つまり、システムによって圧殺された個人の才能の復活と覚醒、それが、わたしにとってのGANTZの魅力なのです。

 しかし、まあ、GANTZには、わたしが手放しで好きになれない理由があります。

 かつて友人が、ドラゴンボールについて、わたしにいった言葉を引用させてその理由とさせていただきましょう。

「俺がドラゴンボールを許せないのは、努力するクリリンより、サイヤ人という『遺伝:血筋』で強さが決まってしまうことと、ドラゴンボールという存在自体が、子供たちに、『何が起こってもリセット可能』という考えを教えてしまったからだ」

 まさしくその通りです。

 GANTZにも、そういった点がある。

 たとえ死んでも、100点満点で再生できるという点でリセット感がある。

 物語をつくる上で、わたしが避けようとしているのは、ハナシを夢オチで終わらせないことです。

 それはドラマツルギーの最終兵器であって、軽々しく使ってはならないものですから。

 しかし、いよいよ現在連載中の原作では、GANTZの機能が縮小されて人間の再生ができなくなりました。

 つまり命のリセット不能。

 そして、地球にやってきた巨大星人の巨大宇宙船に決死の突撃をかけるGANTZチーム。

 あれ、映画の話をしていたのに、いつのまにか原作コミックの話になってしまいました。

 ともあれ、前後編がDVD化されたら、二つ同時に借りて、続けて観てみようと思っています。

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浮世絵百面相 歌川国芳展にいってきました

 さきほど、録画しておいた今朝の新日曜美術館を視ると「歌川国芳傑作選」をやっていました。

 しまった、先を越された!

 知らなかったなぁ、今日、国芳を放送するなんて。

 先週は「超写実画家 野田弘志」で、野田氏のスゴさに感動するうちに、次週予告を見なかったのです(野田氏については、検索してみてください)。

 え? 先を越されるって?なに?

 実は、先日、大阪市立美術館の「没後150年 歌川国芳展 」を観に行ってきたのです。

 http://kuniyoshi.exhn.jp/

 それについて書こうと思っているうちに、先にテレビ放映されてしまいました。

 まあ、大NHKと争っても仕方がないのですが。

 喜多川歌麿、安藤広重は有名ですから、わたしも何度かその作品を目にしたことがありますが、歌川国芳というと、鯉と戦う金太郎「坂田怪童丸」↓と、巨大な骸骨(個人的に、和田慎二氏が超少女明日香シリーズで描いた巨大骸骨の元ネタだと考えています)が宮中を襲う絵「相馬の古内裏」↓、あとは人で出来た顔「みかけハこハいがとんだいゝ人だ」ぐらいしか知りません。

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                      「坂田怪童丸」

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 国芳の人となりについては、おそらくデフォルメされているであろう、高橋克彦氏の小説で知るだけです。

 今回、その作品の概要を知って、彼が、ユーモアとウイットと反骨心と、進取の気性に富んだ人物であったことがわかりました。

 メジャーになったのが三十歳を過ぎてから、という、浮世絵師としては少々遅咲きながら、日中の故事に因んだ英雄物語の挿絵、美人画、手に入れた蘭画の構図を貪欲に取り入れた作品を残しています。

 まあ、面白くて粋だったら何でもいいじゃないか、という精神ですね。

 この心持ちは清々しくていい。

 挿絵としての「八犬伝之内芳流閣」は、屋根の頂上にいる犬塚信乃(しの)に、大勢の捕り手が襲いかかる図ですが、信乃に弾き飛ばされて、屋根の下まで流れ墜ちる(流閣)捕り方たちの様子が、躍動感あふれる筆致と構図で描かれています。↓

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 猫を使って文字を描く、なんてこともやっています。↓
 なんと書いてあるか分かりますね。

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 英雄譚の酒呑童子モノでは、いま、まさに人から鬼に変わろうとしている童子が、パース無視の「魁男塾」大豪院邪鬼ふうの巨人として描かれています。↓
(あるいは、宮下あきら氏は、この絵にインスパイアされたのか?)

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 だまし絵もあります。

 その名も「欠留人物更紗 十四人のからだにて三十五人にミゆる」↓
 よく見てください(小さい画像ですが)。見ようによっては、15人にも35人にも見えます。
 

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 あるいは、古来より英雄として有名だった朝比奈三郎を巨人として描いて、あたかもガリバー旅行記のような構図の絵を描いたこともあります↓。

 日曜美術館では「天保の改革で娯楽を抑えられた腹いせに、娯楽の世界の英雄朝比奈に武士を見下ろさせた」のだと説明していました。

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 さらに、その巨大朝比奈の体を使い、人の体で顔面をつくったのが、冒頭で述べた「みかけハこハいがとんだいゝ人だ」なのです↓。

 下の画で、赤く囲ったのが、もともとの朝比奈の頭だそうです。

 つまり、肩から下が朝比奈。

 この遊び心は面白い。

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 あるいは、だまし絵に近い、影絵も描いています↓。

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 ちょっと意外だったのが、彼が大のネコ好きであったということです。

 たくさんの猫関連作品を描いています。

 なかでも、東海道五十三次を、猫五十三態で表した「其まゝ地口猫飼好五十三疋」↓がいい。

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 大阪美術館の展示では彼の猫の画をうまく使って、各展示室入り口で、国芳の画から切り抜き拡大した「巨大ネコカンバン」が出迎えてくれるようになっていました。

 さらに、順路にそって、ネコの足跡が「こちらですよ」と案内する趣向にもなっています。

 大きく四つに分かれた会場内の分類もわかりやすく、展示の最後が、国芳65歳死去の折り、弟子歌川芳富によって描かれたとされる「国芳死絵」で締めているのも、余韻が残る良い演出でした。

「国芳死絵」は、粋な旅装に身をつつんだ、実際より少し若く二枚目に描かれ(イメージ的には大石内蔵助ふう)左手には「猫の根付」のついた煙草入れを持った国芳に、前年二十四歳で亡くなった弟子の一宝齋芳房が、荷物をもって寄り添って、さあ、次の旅にでかけようとしている絵です。

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 大阪の後、関東でも展示される予定ですが、関西にお住まいの方は、ぜひ、この機会にホンモノ(刷り物ですが)をご覧になってください。

 平日なら、まだ空いていますよ。

 また、本日、夜から、再放送の教育テレビ:新日曜美術館もご覧になってください。

 大阪展 2011.4.11-6.5
 静岡展 2011.7.9-8.21
 東京展 2011.12.17-2012.2.12

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2011年5月12日 (木)

変幻自在 シリコン製洗い桶

 昔から、食器を洗うのが好きです。

 理由は……わかりません。

 親から命じられて洗ったことがないので、教育のタマモノというわけでもなさそうです。
 考えてみると、ボーイスカウトで入団当初、班長から指名されて、遠い水場、少ない水量で洗わされたことがその原点かもしれません。

 年を経て後輩が入団し、役割分担が変わってからも、彼らが洗ってきた食器に、アワがついていたりすると、自分で洗いに行きたくなったものです。

 おそらく、やればやるほど「目に見えて」作業がはかどるのが面白いのでしょう。

 日常の仕事では、そういった「作業対象が減っていく」のを目の当たりにすることがないので、余計にそう思うのかもしれません。

 野営地に比べると、家庭の食器洗いは、ずいぶん楽です。

 だから、つい横にある食洗機を使わずに手洗いしてしまう。

 スクレイパーで、皿に着いた汚れをかきとってゴミ箱に捨て、洗い桶で水につけておく。

 ゴム手袋をはめ、洗剤をスポンジにつけると手洗い開始です。

 皿を大きさ順にまとめ、お椀を重ね、小皿を横に置くと洗い始める……のですが、うちのシンクはそれほど大きくないので、洗い始めると洗い桶がじゃまになるのですね。

 なぜか湯と湯の蛇口が別々にあるので(湯は混合栓だから、ひとつだけでよいはずなのに)、さらにシンク周りは狭い。

 水につけ、ざっと予洗いするまでは良いのですが、それ以降、洗い桶は使わないため、なんとかしたいとものだとずっと思っていました。

 その時点で先に桶を洗ってしまえばよいのでしょうが、それはそれで、洗い桶の置き場に困るのです。

 使うときだけ洗い桶になって、おわると嵩張らない、なんて便利なモノはないだろうなぁ、と思っていたら、ありました。

 これです↓

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 シリコン製、折りたたみ洗い桶。

 以前から、シリコン製品が、各種出ているのは知っていました。

 その耐熱性を利用した(-40度~250度)鍋つかみだとか、鍋敷きなどは、キッチン用品で、よく目にしていましたから。

 しかし、洗い桶まで出ているとは。おまけに折りたたみ式。

 わたしが知らなかっただけで、もう、使っておられる方は多いかも知れません。

 さっそく購入しました。

 片手で縁をもって真ん中を押すと、ぱっと立体になります。↓

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 サイズは、こんな感じです↓(横はサイズ比較のためのCD)

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 実際に使ってみると、なかなか便利です。。

 もちろん、使っている間は、ただの水桶なのですが、使用後、水がはいったまま、縁をもって押し下げると、立体オケが一瞬で平面になって水が流れ去り、その上で、食器を水洗いするのに邪魔になりません。

 食器を洗い終わったら、スポンジで洗ってざっと水を切り、シンクの横にたてかけておきます。

 説明書には、片方だけ押し下げて、そこから水が流れ出るようにし、熱いままの麦茶のケトルなどを置いて、微量の流水で冷やす、という方法も紹介されていました。

 どのみち節電をした方が良さそうな今年の夏には重宝しそうです。

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2011年5月 5日 (木)

彼がアメリカ人を辞めた日 ~スーパーマン、米国籍を捨てる~

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 最初に、クイズです。

「ウルトラマンは宇宙人?」

「はい」

「そう、宇宙人ですね。では、スペクトルマンは?」

「宇宙人のサイボーグ!」

「そうそう、ではスパイダーマンは?

「地球人のニューヨーカー」

「正解!バットマンは?」

「地球人でゴッサム市民」

「では、スーパーマンは?」

「えーと、若い頃からヤングスーパーマンとして地球にいたけど、もともとは……確か惑星クリプトンで生まれて、すぐにロケットで地球にやってきた……宇宙人?」

「そのとおり!」

 そうなんですね。姿こそ地球人に似ていますが、彼は、(黄色)太陽エネルギーによって超人化する、紛れもない宇宙人なんです。

 
 同様に、日本のコミック「バビル二世」も宇宙人です。
 
 横山光輝氏によって描かれたバビル二世は、はるか祖先が宇宙からやって来た超宇宙人で、主人公の光一は、その血を受け継ぐ日本の学生でした。

 日本生まれの日本育ちで、自分が宇宙人の子孫だなんて、まるで知らなかった彼は、精神構造が限りなく地球生まれの日本人に近い宇宙人です。

 しかし、宇宙人は宇宙人。異形、異質の存在です。

 そのため、現在連載されている続バビル二世(ヤングチャンピオン連載:バビル二世 リターナー)は、アメリカが彼を異星人の侵略者として敵視する設定になっています。

 まあ、それには理由があって、ひとつには新たな異星人とのコンタクトによるものであり、またひとつには、かつてバビル二世を騙し、自国軍隊の戦闘力増強の為に、彼の血によって生み出した「アメリカ製疑似超人」を、自分の能力を「悪用」されることを恐れたバビル二世によって殺された恨みであったりするわけですが……

 ともかく、アメリカがどう考えようと、容姿も含め基本的にバビル二世は「日本で生まれた」日本人と考えて間違いありません。

 しかし、スーパーマンは、地球外惑星で生まれて、後にロケットで、アメリカの片田舎スモールビルにやってきた『移民』なんですね。

 アメリカ生まれじゃない。

 だから、いかにスーパーマンが望んでも、彼は『アメリカの大統領にはなれない』のです。

 キッシンジャーのようにね。

 そういえば、つい最近も、オバマ大統領に、『アメリカ生まれではない』疑惑が浮上していましたね。

 どうも、彼の出生証明書がアヤフヤなものだというのです。

 もし彼がアメリカ生まれでないなら大変です。

「アメリカで生まれた者しか合衆国大統領にはなれない」のですから。

 野心家だったキッシンジャーはそれで涙を飲んだのです。
 ニクソンのような男が大統領になれるのに、とね。

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20859520110428

 いや、これは余談でした。

 いいたかったのは、スーパーマンは、移民の国アメリカのヒーローにふさわしく移民のコドモであった、これです。

 では、もうひとつ質問です(これは以前にこのブログでも書いたことがあります)。

「ウルトラマンが守るのは?」
「緑の地球です」

「キャプテン・フューチャーが守るのは?」
「太陽系です」

「スパイダーマンが守るのは?」
「ニューヨークとMJです」

「バットマンが守るのは?」
「ゴッサム・シティです」

「では、スーパーマンが守るのは?」
「アメリカ……かな」

「残念!原語(テレビ版オープニング・ナレーション)にはこうあります。The never ending battle for truth, justice, and the American way.」

「つまり?」

「つまり、真実と正義と『アメリカン・ウェイ』を守るために闘うのです」

 とまあ、これは、スーパーマンが登場した1938年、あるいはジョージ・リーブス演じるテレビシリーズが流行った1950年代後半なら通用したでしょう。

 しかし、いまや21世紀、当時とは価値観も大きく変わって来ています。

 そして、ついに、先月末(2011年4月)に発売されたAction Comicsで、スーパーマンは、アメリカ国籍を捨てる決意をするのです。

 内容はこちらを読んでいいただければわかると思いますが、↓

  『スーパーマン「私は米政府の手先じゃない」 国籍捨てる』
  http://www.asahi.com/international/update/0501/TKY201105010156.html

 要は、「もうアメリカン・ウェイを守りたくない」ということですね。

 わたしは、この「事件」が、ウサマ・ビン・ラディン殺害の少し前に起こっていることに、何か不思議な因縁を感じます。

 あるいは彼も、無関係なヨソの国(パキスタン)にまで、武装した集団で出かけていって、拘束するオプションも考えず(のようにみえます)、軍隊でなく個人を射殺するアメリカン・ウェイに愛想を尽かしたのかも知れません。

 記事にもあるように、このスーパーマンの行為に対して、アメリカでは賛否が別れているようです。

 反対派の意見は面白くありませんが、賛成派の「米国だけに納まる器ではない」という意見には笑ってしまいます。

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2011年5月 2日 (月)

安藤美姫の「ディエス・イレ」は震災への鎮魂として適当なのか?

個人的に、フィギュア・スケートというものに興味が無く、テレビなどでも観たことはないのですが、昨日、知人から以下の情報を受け取り、そういう見方もあるのだなぁ、と感心したので、ここに抜粋して記しておきます。

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今のところ誰も突っ込んでないようなのですが、

 安藤美姫がフィギュア世界選手権エキシビションのアンコールで
使った曲にモーツアルト・レクイエムの『怒りの日』が・・・

 震災に遭った日本のことを思って…というコメントをするならば、
さすがにこの選曲はないように思うのですが…

【怒りの日(いかりのひ、ディエス・イレ、Dies irae)】
 終末思想の一つで、キリスト教終末論において世界の終末、キリ
ストが過去を含めた全ての人間を地上に復活させ、その生前の行い
を審判し、神の主催する天国に住まわせ永遠の命を授ける者と地獄
で永劫の責め苦を加えられる者に選別するとの教義

【歌詞:日本語訳】
怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。

審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。
--------------------------------------------------------------

 確かに、前々から決まっていたとしても、競技者として、いくつか持ちネタ?はあるでしょうから、
それと差し替えても良かったような気がしますね。

 それとも、寡聞にして、よくわからないのですが、Dies iraeには別な鎮魂の意味があるのかな?

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御用学者はいないのか?

先日、ツイッターのタイムラインを見ていて、ある大学の教授の方(機械工学専攻)が、

「御用学者、御用学者と安易に口にする人がいるが、学者として、政府の意向にそって学会の常識と違った発言をすると研究者の世界で地位を失う。だから御用学者などいない」

とツイートされたので、

「それは、あなたが専攻される『機械工学』が、国力に直結するエネルギー部門のように利権まみれではないからです」

とリツイートしました。

 もし、彼が、本気でそのように考えているなら、おそらく幸せな象牙の塔に暮らしている碩学(せきがく)の人なのでしょう。

 しかしながら、311以後、巷間(こうかん)で、喧(かまびす)しく行き交う単語「御用学者」は空想の産物ではありません。

 学生であった時、エネルギー研究の教授が、なにかの折、打ち明け話のように、

「こんなことをいうと、君たちは失望するかもしれないが、大学の枠を越えた政府肝いりの核融合炉研究会が、このところ頻繁に行われているが、私を含め、実際の研究者自身が、その技術の成功を信じていないので、会合を開くたび、政府から潤沢に渡される金をつかって、地方の良いホテルで盛大に飲み食いしているのが現状だ。もらう金は使わないといけないからね」

というのを聞きました。

 おそらく、件(くだん)の機械工学の研究者には、このような、国から与えられる「オイシイ」賄金(まいないきん)を受け取ったことが無いのでしょう。

 エネルギー産業、特に原子力関係の研究者にバラまかれる金は、半端な額ではありません。

 察するに、よほど巨額の金が動く利権が絡んでいるのでしょう。

 金をくれるだけならいい。

 金だけ受け取って、主義主張を曲げなければ良いのです。

 しかし、一般人なら、それは不可能でしょう。

 相手は、水心を望んで、魚心で金を渡すわけですから。

 こうして、顕在的あるいは潜在的御用学者が育っていく訳です。

 まあ、それでも、さすがに、あまりにちぐはぐな政府見解を承認しろと言われたら、先日の、小佐古敏荘(こさことしそう)東大大学院教授のように、「この線量を認めたと学会で思われたら、私の学会での地位がなくなる」と反旗を翻す人も出てきますね。

 話はかわりますが、最近の「もと原発推進学者」たちの言動をみていると、ソ連崩壊の時のマルクス経済学者の姿に奇妙にオーバーラップして見えて仕方がありません。

 かつて、ソ連が崩壊する以前、日本の経済学を席捲していたのは、マルクス経済学でした。

 マルキスト(マルクス学派)にあらずば経済学者にあらず、はちょっと言い過ぎですが、まあだいたいはそんな状態であったわけで、ケインジニアン(ケインズ学派)などは、ずいぶんと肩身の狭い思いをしていたと聞いています。

 しかし、ソ連が崩壊し、ロシアが誕生すると、今まで肩で風を切っていた感のあるマルキストが急にナリを潜め、どこかにいってしまいました。

 テレビに登場する経済学者の顔ぶれまで変わってしまい、素人のわたしにすら、その影響が目に見えたほとでした。

 今、これまで原発を推進してきた学者たちは、当時のマルキストさながらに、口をつぐみだしています。

 そりゃあ、それは無理もない。

 現時点で、原発が放射能を撒き散らしているのは事実だし、今、原発の必要性と安全性を説くのは、誰もが分かる愚策ですから。

 もっとも、現段階でもきっぱりと原発推進を公言する人々がいます。

 彼らは、よほど骨の髄まで「魚心の水」がしみこんだ愚か者か、信念をもって日本に原子力が必要と考えている人でしょう。

 個人的には、日本のエネルギー政策を、原子力からその他のものに梶を切って欲しいと考えています。

 あるエライ学者さんが、
「今回の原発事故のおかけで、どれほど(様々なものに対する)日本のブランドに傷がついたか。これが日本に及ぼす影響は計り知れない」
と言っていました。

 確かに、そう考えればその通りでしょう。

 しかし、逆に考えれば、これを機に、様々なエネルギー源に集中的に資金を投下して、劇的なイノベーションを推進させることが可能になったということです。

 かつて世界屈指であったエネルギー関連技術が、この十数年で、各国の後塵を拝する体たらくとなっています。

 国による、開発援助の資金が打ち切られているからです。

 311より二ヶ月前に、関西のテレビ局の放送で、民間の潮流発電研究者が韓国の技術提供を受けて鳴門海峡で潮流発電の実験を始めた、というニュースを見ました。

 かつては、日本が韓国に技術提供をするほどであったのに、国の補助が一切打ち切られてから研究が進まず、今では韓国から技術提供を受けなければならないほど遅れてしまったということでした。

 結局、その実験機器はすぐに故障して、あまり有益なデータはとれなかったそうです。

 それほど、日本の各種エネルギー技術の水準は下がってしまっている……

 こういった、原子力以外の自然エネルギーに対する国の施策は、そうとは思いたくありませんが、あたかも原発を推進するために、他のエネルギー技術を頭打ちさせようとしているかのような印象を与えます。

 まあ、事実がそうであろうとなかろうと、今回の件で「原発ありき」の方針はほぼなくなったわけですから、これを機に方針転換を図るべきです。

 先日、某大手電機メーカーにつとめる友人がやって来て、

「いままで我が社を含め、日本の電機メーカーなどは、原発由来の格安の深夜電力を使って工場を稼働させてきた。深夜電力が安いのは、原発が夜も昼も出力を落とせないから、余った夜の電気を安くしているだけだ。もし原発でなく、昼間しか発電できない太陽光やコストのかかる他の自然エネルギーで電気代が値上がったら、我が社ほどの大企業でも倒産するかもしれない」

と真顔でいうので、つい言い返してしまいました。

「もともと大企業は、何かあれば『海外に出て行く』と、猿芝居のコケオドカシをかけて政府とデキレースをやったあげく、個人の電気代よりはるかに安い料金で電気を使っているではないか。だいたい、おまえたちの会社だって、大企業と威張ってみても、たかだか数十年の歴史しかない会社だし、日本が電機や技術に強いという神話も100年にみたない歴史しかない。だったら、今、リセットをかけて違う分野に枝を伸ばしても良い時期なんじゃないかな」

 確かに、今度の震災+原発事故で日本経済は大打撃を受けるでしょう。

 しかし、日本にはまだ人材がある。

 ロン・バード(別項参照)が予言する、「新たなる世界のリーダーたるべきたくましい日本の再生」には、老人たちのしがみつく既得権に封殺された閉塞感の中でやる気を失い「ゾンビのように家に引きこもる若者(ロン・バードの原文ママ)」が、力を発揮できる新しい場所を、なにも政府が提供しろとはいわない、そんなものは民間に任せた方がいい、見守り、これまでのようにイヤラシイ横やりをいれて邪魔をしないようにすることが必要だと思うのです。

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2011年5月 1日 (日)

メンゴメンゴ……歴史は繰り返す国の対応

 以下は、去る24日に、友人が送ってくれたメールです。

 ここ数日の政権与党、というか、官僚指導による応対を見ていて、冗談とは思えなくなってきたので、記録としてここに残しておきます。

 数年後、「勘違いでしたわ。メンゴメンゴ」と言えれば良いのですが……

タイトル:メンゴメンゴ
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2ちゃんねる震災関連スレッドより…

東大病院放射線医療チーム
@team_nakagawa: ホウレンソウの放射能測定方法について、新しいことがわかり
ましたのでご報告します。これまで検出されたホウレンソウの放射能量は、
ホウレンソウを一旦水洗いしてから測定をおこなった結果である、とのことです。

マニュアルでは「水洗いせず」との記載がありますが、厚労省から別の通達で
水洗いしてから測定するように各自治体や測定機関に連絡があったようです。

******

1970年 政府:「有機水銀はただちに健康に問題はない」
   ↓
2004年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

1980年 政府:「アスベストはただちに健康に問題はない」
   ↓
2005年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

1985年 政府:「薬害エイズはただちに健康に問題はない」
   ↓
2002年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

2011年 政府:「放射能はただちに健康に問題はない」←いまここ!!
   ↓
2013年「******、******」

 一応疑ってかかっておいた方がよさげ…

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あなたのカメラがワイヤレスカメラに:Eye-Fiメモリカード

 先日出かけた旅行では、ある理由から、多くの写真(スナップ写真)を撮る必要がありました。

 一日600枚を、小一ヶ月撮り続けたので、都合18000枚足らずの枚数になりました。

 荷物を少なくしたかったのと、あまり高画質は必要ではなかったので、一眼ではなく、小型カメラ二台を持っていきました。

 記録用として高速のメモリを何枚か持っていったのですが、1~2ギガならともかく、16ギガメモリを使うと、撮影後の書きこみに時間がかかってしまいます。

 スナップ撮影という性格から、さっと取り出し、さっと撮ることも多かったので、8ギガや16ギガのメモリは、しだいに使わなくなりました。

 そこで、2ギガのメモリを差し替えながら撮影し、夜、ホテルに帰ってからノートパソコン(ビクター・インターリンク)に吸い出すという作業を繰り返しました。

 1000メガピクセルを越える写真を数百枚撮ると、メモリは、たちまち一杯になってしまいます。

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 余談ながら、インターリンクは、もうかなり以前のマシンですが、その軽さと性能で気に入って、長らく使ってきたものです。

 一部では黒狗(クロイヌ:ビクターの黒いノート)と呼ばれているアレです。

 さすがに搭載メモリ不足が否めず、最近はあまり使わなくなっていたのですが、今回の旅行に際して、撮影データの吸い出し・加工用と、skypeによる日本との会話用サブ・マシン(メインはi-phoneのskaypeアプリで行います)として使うために、ハードディスクをSSDに換装して持っていくことにしました。

 シリコンHDに換えた結果、いわゆるゼロ・スピンドル、回転させてデータ記録する部分がなくなったため、衝撃に強くなると同時に多少の軽量化に成功しました。

 しかし、ビクターという会社の性格によるものか、この「ハードディスクの入替」が大変なのです。

 一般的なノートパソコンなら、「ひっくり返して、HDD用の蓋を開け交換」ですむのに、インターリンクは、全てのネジを外し、マシンを完全分解しなければなりません。

 それについてはこのサイトを参考にさせていただきました↓。

http://www.prolib.com/index.php?option=com_content&task=view&id=43&Itemid=55

http://ameblo.jp/rolive/entry-10168929562.html

http://www31.ocn.ne.jp/~yoshio2/hard_interlink_hdd-1.html

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 毎夜、コンピュータにカード・リーダーをとりつけ、SDメモリカードから撮影データを繰り返す。

 ところがある夜、写真を吸い忘れて、メモリがいっぱいになってしまいました。

 この時は、動作はおそくなるものの、使っていなかった予備の8メガメモリを使って事なきを得ましたが、もし予備メモリを持っていなかったら困ったことになるところでした。

 なんとか、こういった不便を解消することはできないのか?

 帰国してから調べると、あるんですね。

 もうかなり前に発売されていました。

 それが、Eye-Fiメモリカードです。

01

02

04

 サイト↓
   http://www.eyefi.co.jp

 キャッチ・コピーは、「あなたのカメラがワイヤレスに」

 これは、SDメモリカードの中に無線装置が仕込まれていて、普通のカメラに、普通のメモリとして装着するだけで、4ギガあるいは8ギガのメモリとして使えるとともに、近くにWiFiがあれば、それを通じて、自動的に、ネット上のクラウド・エリアに写真をアップロードしてくれるものです。

 最新のファームウェア・アップグレードで、iphoneのアプリケーションを立ち上げると、カメラから直接iphoneに、無線のアドホック・モードで写真を転送することもできるようになりました。

 つまり、iphoneをメモリ・デバイスとして使うことができるのです。

 これは、使いようによっては、便利な装置だと思います。

 まったくの無改造で、あらゆるSDメモリをつかうデジタルカメラがワイヤレスになるのですから。

 問題は、8ギガで17,000円程度するという価格でしょうか。

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