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2010年10月10日 (日)

「棺覆ッテノチ定マル」ものとの戦い 「NARUTO」

 沢木耕太郎氏が、そのエッセイの中で、若き日の山本周五郎が、出版社に務めて働きながらも、毎日のように「小説を書けない」といっては「ワレ仕事セズ」と嘆き、日記を書き忘れたといっては「今日モ仕事セズ」と悲しみ、書いたら書いたで、自分の理想とする高みに「トウテイ到達セヌ出来」であると嘆いていた、と記しています。

 その気持ちは、よく分かります。

 わたしも、口に糊(のり)するために日々働いてはいるのですが、それが本当の仕事であるとは到底思えないからです。

 周五郎的な意味でいえば、このブログも、わたしにとって「仕事」のひとつなのですが、これも周五郎同様「仕事セズ」の状態が続いています。

 さて、久々の書き込みだというのにコミックの話で恐縮ですが、今日はマンガ、しかも、ひどくメジャーな「NARUTO」について書こうと思います。

 本来なら、フランスおけるロマの人々の問題、イジプシャン(エジプト人)がナマッて「ジプシー」と呼ばれた流浪の民を追放しようとする、自身ユダヤ系ハンガリー移民二世の「ニコラ・サルコジ」フランス大統領の心理状態についてや、ハンガリー西部におけるアルミナ(アルミニウムの原料)工場の汚泥池氾濫(はんらん)を、当初は対岸の火事として眺めていたフランス人が、ドナウ川に赤泥が流れ込んだ途端に、流域の作物汚染を案じて大きく報道で取り上げ始めた件、あるいは例の尖閣諸島における民主党の対応のトロさ(代表選の最中であったために他の全てが後回しにされたとされる)や、マスコミ(と一部の人々の思惑)に誘導された平均年齢30歳素人集団によって導き出された小沢強制起訴議決が、果たして公判を維持できるか、という問題について書きたいのですが、とりあえず、今は「NARUTO」です。

 ああ、ちょっとだけ付け加えるなら、もしフランス人が、ロマの人々を排除するなら、かの有名な、フランス語で「ジプシー」を意味するタバコ「ル・ジタン」も廃止すべきでしょうね。

 さらに付け加えると、個人的に、小沢氏が有罪であろうがなかろうが、あまり興味は無いのですが、現在、様々な問題が噴出しつつあるとはいえ、明らかに手柄を立てたがっていた専門家集団の検察が「起訴デキズ」と判断したものを、素人が、マスコミによる風評と顔が嫌いだからという理由で強制起訴しても、裁判を続けることはできないんじゃないかな。

 まあ、それはそれでいい。

 疑問に思えば、権力者であろうと、市井(しせい)の意見で起訴できるのは良い面もあるからです。

 問題は、それが、いったん起訴すれば有罪率99パーセント(正確な数字は忘れました、だいたいこの程度だったはず)を誇る、日本の「大」検察サマが起訴したのと同じ扱いで、起訴=犯人、つまり、即刻小沢氏の議員辞職を叫ぶヤカラがいることでしょう。

「推定無罪」(裁判で有罪が確定するまでは無罪としてアツカウ)は裁判の大原則なのですから。

 まあ、こういった「常識」が通用しないのも、検察と裁判官が自らの無謬(むびゅう)性(マチガイノナイコト)を振りかざして、「当然、尊重されなければならないこと」を踏みにじり続けた結果なのだから仕方がないでしょうが……

 ともかく、今回は「NARUTO」です。

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 ご存じのように、この作品は、少年ジャンプに連載されています。

 基本的に、マンガは、たまにコミック喫茶に出かけてまとめ読みをするのが常なのですが、「NARUTO」のペイン編に関していえば、単行本を買って、揃えてしまいました。

 思えば、ジャンプで目を通すのは、今やNARUTOと銀魂だけになってしまいました……

 アカラサマな群像劇である「ブリーチ」は読むのがちょっと辛いですし(「みーんな主人公」ってセンスはオタメゴカシ臭がして好きではありません)、敵のスゴサの描写が凄すぎて、具体的にどれだけスゴイのか分からないという表現手法にはついていけません。

 「ワンピース」には、深みが感じられず、どこか薄い感じがしてしまい没入できませんし、個人的に胸の大きすぎる女性は苦手なので、胸のオバケ化した女性キャラが跋扈(ばっこ)するコチカメも読まなくなりました。

 わたしが好きな作品は、読んでいて、コツコツと「引っかかる」というか「当たる」ところがある作品なのです。

 その点、NARUTOはいい。

 大筋において、ド根性ズッコケ少年ヒーロー物路線に分類される作品ですが、ところどころ、コツコツと胸に当たるところがある。

 ご存じの方も多いでしょうが、内容について、一応説明しておくと、「NARUTO」は、架空世界(あるいは遠過去、遠未来)における忍者の物語です。

 主人公のうずまきナルトは、尾獣(びじゅう)と称される、精神エネルギー体を体に封印され、人々から忌み嫌われる少年として登場します。

 これまで語られた話から察するに、「NARUTO」の大筋は、少年が持ち前の明るさとド根性で苦境をはね除け、自分の里の長「火影(ほかげ)」になり、忍者世界をひとつにまとめ上げる英雄になる、という話でしょう、たぶん。

 そして、彼のもう一つの目的は、子供の頃からのライバル、うちはサスケを、入り込んでしまった悪の道から救い出すことです。

 サスケは、敬愛していた天才忍者の兄イタチが一族を皆殺しにし、去り際に「俺を殺してみろ」といい残して去ったため、兄を殺すそのためだけに生きています。

 後に、それが里の上層部の命令であり(とされていますが、これもフェイクでしょう)、イタチは弟の命を守って死んでいったことが判明します。

 そのことを知ったサスケは、復讐のために里を全滅させることを誓うのです。

 サスケの、純粋であるが故のガキっぽい反応は、比較的長く人生を見てきたわたしにとっては、浅薄(せんぱく)で愚かで無意味に思えるのですが、まあ、それは仕方がない。

 個人的には、ヒネクレながらも、もう少し、ハスに構えて世の中を見るキャラクターが好きなのですが、純粋で清らかであるが故に、逆の振幅に振れてしまうという設定自体は納得できるからです。

 ナルトの師匠にあたる自来也(じらいや)が、ナルトにおけるサスケ同様、悪に走った友人のオロチマルを救い出そうとしながら果たせなかった、という二重構造もよく出来ています。

 特に、かつて自来也の弟子であったナガトが、世の中の悲劇・苦痛に耐えかねてペインとなり、自来也を殺し、ナルトに「突然愛する者を奪われる苦痛(ペイン)」を与えながらも、ナルトに感化されて、改心し死んでいくという「ペイン編」は、これまでの話の中では白眉(はくび)といって良い出来でした。

 が、わたしにとって、コツンと来るのは、そこではありません。

 ナルトが、修行の途中で、物語世界における精神エネルギー「チャクラ」について教えを受ける場面があります。

 各忍者の性質が、火・風・水・土・雷というカテゴリに属し、それぞれに優劣があることを教わるのですが、ナルトが「風」に属することを知った先輩忍者が、

「サスケは火と雷を使う。火は風に強いが雷は風に弱い、良かったな」

というのに答えて、

「俺たち相性が良かったんだ」

とナルトはいうのです。

 ナルトが、サスケを倒す可能性があることを喜んで、そういったと考えた忍者が、

「その通りだ、もし、お前が『土』の性質なら大変なことになっていたぞ」

というと、ナルトは暗い目をして、

「いや、俺の風と、サスケの火を合わせれば、強い武器になったんだな、と思って……」

 こういった、なんと書いたらよいのか、「気合いの抜き方」が「NARUTO」にはところどころあって、わたしはそれに惹きつけられるのです。

 あと、「棺覆ッテノチ定マル」(ヒツギオオッテノチサダマル)という言葉がありますね。

 人の値打ちは死んで初めて確定する、といった意味ですが、わたしにとって、これは別な意味を持ちます。

 つまり、人の人に対する影響力は、死んでしまった時点で永遠に固定化される、という意味です。

 具体的にいえば「あしたのジョー」における力石徹でしょうか。

 その人の死によって、生き残った人間の生き方が決まってしまうことがある。

 力石が死んだあと、ジョーは、力石のために放浪し、力石のためにカムバックし、力石のために死んでいきます(結果として、ですが)。

 つまり、実のところ、矢吹ジョーは、すでに力石といっしょに死んでしまっていたのです。

 あとは久沓(クグツ)のように、死者に操られて余生を送っていた。

 「NARUTO」にもそういった側面があります。

 特に、それは、サスケにストレートに表れますが、ナルトにも同じ「死者による影響」は発生します。

 師匠の自来也が残した「憎しみのない世界を作れ」という遺言、「お前を信じ、夢を託そう」といって死んでいった兄弟子ペイン、記憶の中で「お前ならやれる」と伝えた父、四代目火影……

 現実の世界にもそういった事柄は当然あり、そういった死者のメッセージ、重圧、影響力を、うまくコントロールしながら、日々を生きていくのが、年の功であり、世知であり、うまい「痛みのいなしかた」なのでしょう。

 そういった「死者のシバリ」のコントロールを含め、今後、ナルトがどのような道を歩むのか、わたしは、しばらく見守りたいと思っているのです。

 あ、そうだ、最後に思い出したことがあるので付け加えておきます。

 今度の、「検察官逮捕劇」で、いくつか笑えることがありましたが、その最たるものが、あれほどかたくなに可視化に反対していた検察官が、自分が捕まって取り調べを受ける側になったとたんに、可視化を要求しだしたということがあります。

 さすがに、長らく不可視でやってきた側にいただけに、不可視取り調べをやられたら、いかに自分が不利になるかをよく知っているということでしょう。

 この一事をとっても、「取り調べの可視化はなされなければならない」ということがよくわかりますね。

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