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2010年5月14日 (金)

東アジアに顕著な少子高齢化の原因に対する一考察

 先に「老いてゆくアジア」と称した話の時に、「なぜ東アジアがヨーロッパ各国に比べて急激に高齢化したのかについての私見を書く」と記したのですが、なかなかその機会がありませんでした。

 今回、上海万博に絡めて、中国の未来と問題点を書くついでに、そのへんもまとめることにします。

 以下はすべて、わたしの狭い了見内で考えた私見ですので、こんな考え方もあるのだなぁという程度にお読み下さい(偏った断定も多いはずですので)。

 まず、幸せとはなんでしょうか?

 イキナリ大上段に振りかざした命題ですが、まあ、こんな(深淵ではあるけれど)基本的な質問に対する答えは、高校生じゃないんですから幾通りかの答えを即答できます。

 その中で、一番わたしが気に入っているのは、現在の科学状況に限定すれば、

「元気に生まれ、元気に生き、元気に死ぬこと」ですね。

 そりゃ、一生の間に、人から認められ、ちょっと気になるものを手に入れるだけの金を持ち、時には肉体的快楽を楽しみ(アレだけじゃなく、ダイビングやマラソンなどの苦痛的快楽も含めてですよ)、季節の旨いものに舌鼓をうつことも必要ですし、逆に、欲しいモノがなかなか手に入らない苦しみも、あとでそれを手に入れた喜びを増加させるために必要でしょう。

 また、ヒトには、どうしても手に入らないものがある事を知るのも、人生の大切な学校的側面の効能のひとつです。

 逆に、恋人を含め、本当に欲しかったものは、実際に手に入れてみると、それほどでもないことが多い、なんてことを知るのも良い経験です。

 まあ、そんなものは元気に生きていれば自然と味わうものですけれど。

 では、「元気に生きる」とはどういうことか?

 体が健康であるのはもちろんですが、なかんずく精神が健康であることですね。

 最近は、日本でも、鬱病が急増しているようですが、ああいった「心の風邪」は、現代社会では起こりがちでしょう。

 個人的には、添加物の多い食物、生物サイクルを無視した人工照明による交換・副交感神経への過度の刺激、幼少時から、嫌なもの・嫌なことを避けさせる(紙オムツ含)クセをつけ、物心がついたら、心の成長には不可欠(なハズ)の「青春時代の絶対孤独感」を安易に携帯電話とメールの「ユル繋がり」で、安易に避けられることも要因のひとつだと考えています。

 あとは、子守歌代わりに子供の頃からテレビをみせているのも問題かな。
 成長過程の脳に、あんな毒物を食べさせてはいけません。

 これからは、3Dで脳への不自然な刺激が増えるでしょうから、さらに病気は増えることでしょう。

 あれ、いつのまにか、鬱を含む精神疾患の要因についての話になってる。

 そういったこともあって、一時的に精神に風邪をひく人も多いとは思いますが、全員ではありませんね。

 これから、わたしが書こうと思うのは、一時的でなく、継続的にある国民を圧迫し続ける「時代の閉塞感(へいそくかん)」についてです。

 結局、国全体に蔓延(まんえん)する「閉塞感」が、人々からエネルギーを奪い、少子化を招き、その国を(その精神を含めて)高齢化させるのですから。

 では、閉塞感はなぜ生まれるのでしょうか?

 わたしは、それは「無用な知識の過剰摂取」にあるのではないかと考えています。

 とくに、テレビ、近年ではネットによる情報が原因ですね。

 観たくない、知りたくもねぇ情報が、ほとんど選択できないまま、連日連夜、次々と我々に押しつけられるのですね。

 女囚刑務所の生活なんて観たかねぇよ、って感じです。

 しかし、観やすく料理され、扇情的に制作された番組をヒトは観てしまう。

 そして、世界を知った気になる。

 テレビとネットを通じて、ヒトは世界を「観た気になる」「知った気になる」「分かった気になる」のです。

 実際は違います。

 「真実は細部に宿る」

 テレビで、その国の歴史背景も知らずに、多数のスタッフと共に、ただ連れて行かれるだけのバカタレントが紹介する外国は真実の姿を見せていない。

 確かに、ツアーで行けば、その国は同じ顔をみせるかもしれない。

 だから、旅行なんか行くのはムダだ、という気持ちになるのは理解できる。

 なぜ、「もう知っている」のに、わざわざ金と労力を使って、テレビと同じことを確認しなければならないのだ、と。

 でも、テレビの景色は、真実を見せていない。
 景色ではなく、そこに生きる人々の、笑顔と、時には犯罪の顔にこそ、真実に近いものがあるのです。

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 ヴァラナシで、泣きながら一日中、安ホテルの前で陳腐な絵はがきを売っていた少年(わたしは彼を拒絶してしまった)、デリーでわたしの靴に牛のフンをなすりつけ、汚れているから拭かせてくれ、と笑ったコドモたち(Get Awayと叫んでわたしは自分で靴を拭いてしまった)との関わりは、今でも、わたしの胸をチクチクと嘖(さいな)んで、彼らの国に再び行きたいという気持ちを誘い、あの国の話題が出るたびに、わたしの目を釘付けにしてしまう。

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 あるいは、お笑い芸人が、政治家をスタジオに呼んで、馬鹿な会話と(誰かによって)方向づけされた「ためにする」お笑い議論を観ることで、政治と経済を分かった気持ちになる。

 特定の集団(はっきりいえば記者クラブ)から出てくる、これも方向付けされた情報をもとに安易に作られる昼の奥様番組での、国防を含む政治と経済解説で、世界を分かった気になる女性たち。
 そして、さらに、インタビューなどで安易に洗脳された彼女たちの意見を利用するマスコミ。

 コドモ向けの社会派ピカレスク・ドラマ、コミックなどに感化され、「立派な大人に見えても、人の上に立つ人は、皆、金に汚く女に弱く、ウソばかりつく」もので、社長になっても、大臣になっても、大統領になっても、大したことはないんだよ、などという、チープな世界観を、安易に振りかざすようになってしまう。

 こういった、大量ではあるけれど、安っぽい知識の積み重ねで「世界を知った気になる」ことが、閉塞感を生み、大人になることを含めた、未来への期待、未知なる世界への憧れを、人々から奪ってしまうのではないかと、わたしは思うのです。

 少し頭があればわかるでしょうに。

 世界が、テレビやコミックや浅薄なタレント評論家が描くようなのっぺりしたモノであるはずがないことは。

 また、日々、ニュースに出てくる有名、無名を問わない人々の犯罪は、「一億数千分の」を分母にしていることを忘れてはならないのです。

 真っ直ぐに背中の伸びた立派な人々は、すぐ身近に確実に存在します。

 だから、安易に「すべてのヒトは尊敬に値しない」「世界は、単純な欲望原理で理解できる」と考えてはならないのです。

 これは、愚かなわたしの過去からの、心よりの箴言です。

 以上が「なぜ東アジアが急激に少子高齢化したか」の、わたしなりの答えです。

 上記のように考えると、今は金儲けに浮かれて、まだ確実に精神を蝕みつつある閉塞感に気づかない、あの「大」中国が現在進行形で東アジア諸国と同じ道を歩みつつあることもわかります。

 フランスが、100年以上かけて少子高齢化を歩んだのは、テレビを含む情報網が未発達だったからです。

 それに対して、日本を含む東アジアは、電子立国日本を含むだけに、電子化・情報化の進化が凄まじく速かった。

 マレーシアに代表されるように、自国で電子部品を作っていれば、国は情報化せざるを得ない。

 だいたいにおいて勤勉で、一極集中というか、一つの目標に突っ走ってしまいがちなお国柄(中国もそうだなぁ)も、情報網の緻密化とそれによる情報過多の結果、閉塞感に拍車をかけたように思います。

 この閉塞感を打ち破るには、人々に、新世界、新天地を見せる他はありません。

 一番身近な新世界は「宇宙」です。

 宇宙に出かけて、未知なる場所を見、未知なるモノを発見する。

 そして、そのための新技術開発。

 宇宙開発というキーワードで、世界は閉塞感を打ち破ることができるかもしれません。

 先日、書いた堀江氏が宇宙開発にこだわるのも、そのへんを感じているからなのでしょう。

 と、色々と書きましたが、それでもわたしたちは幸せです。

 はじめに、わたしは「現在の科学状況に限定すれば」と書きました。

 それはまだ、ヒトレベルで不死が実現されていないからです。

 もし、イモータル技術が確立されたら、それこそ人類の存亡に関わる問題となることでしょう。

 遺伝子の解明を続ける限り、不死は不可能ではありません。

 「死は絶対」ではなく、単に、生物が長い進化の歴史の中で、種の生き残りのため、多様性を維持する方法として、種族死ではなく個体死をとったという「選択の問題」に過ぎないのですから。リミッターならやがては外せる。

 それぞれの生命体が、限りある生を生きて、経験と知識を死でリセットされ、同時に、二つの個体から遺伝子を混ぜ合わせて、ひとつの遺伝子を作り、種を残す。

 つまり、生命レベルで見れば、知識は、その種を滅ぼす毒なのですね。だから個体を殺して知識をリセットさせてきた。

 そのルールを、ヒトは文字や記録媒体を生み出して、破ってしまった。

 これこそが、ヒトという種の「死に至る病」の始まりだったのかもしれません。

 なればこそ、不死技術は、種には致命的な毒となる可能性が大きい。

 多くの偉大なSF作家がその作中でシミュレートしていますが、「不死」が実現されたなら、今までにない巨大な閉塞感の波、が人類という種を襲うだろうからです。

 人の一生は、ある意味、死という鬼に追いかけられながら、何かを残したいという欲求に突き動かされて、子供や作品を生み出すものなのですから。

 その鬼が死んでしまったら、一時的にせよ(ずいぶん長い期間でしょうが)、人類のモチベーションは最低レベルまで落ちることでしょう。

 その間に、種として絶滅する危険性すらある。

 その大きな波が我々を襲う前に、人類には、宇宙という新しい挑戦の場が必要なのです。

 あれ、上海万博がらみで、現代中国の抱える諸問題について書くはずだったのに……別項に譲ります。

 ひとつ書き忘れていました。

 フランスを含む、ヨーロッパの国々の少子化に時間がかかった、つまり彼らが閉塞した世界観を持ちにくい理由のひとつに、もともと彼らが人生を斜(はす)に構えて見がちな人種だということもあると思います(文化的成熟度が我々より高いとは思えないので)。

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