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2010年4月

2010年4月27日 (火)

あまったー(レンタルビデオ) 映画「アバター」と3D普及考

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 「アバター」余ってますね。

 貸し出し初日にレンタル店に行っても10本近く残っています。

 というわけで、早速借りて帰って観ました。

 3Dで観た記憶がよみがえりますねぇ。

 今、観返してみても、大きな欠点は見あたらない、娯楽作品としてはなかなかよくできた作品だと思います。

 もちろん、完全な作品ではありません。

 映画館で観た時にも思ったことですが、なんだかバカっぽい、「ID4」に似た、主人公サリーの安っぽいアジテーションと、それにノセられて突然コブシを突き上げるナヴィたちのペラペラさには辟易(へきえき)しますが、おそらくそれがアメリカ的高揚感なのでしょう。

 また、ナヴィたちの踊りが、体を円形に揺するイカニモ類型的なものだったのも気になります。

 かつて故伊丹十三氏が「マルサの女2」を撮る時に「新興宗教の踊りは難しい。既存の宗教に似ていてはいけないから」といっていたのを思い出しますね。

「ありそうだけどどこにもない、人をトランス状態に誘う踊り」なんて、よほどの異能がない限り思いつかないので、無理もないとは思いますが、異星人ナヴィたちが、どこかで見たような、幼児的に陳腐な動きをするのを観ると、少しだけ現実に引き戻されていまいます。

 我が家のテレビは、未だハイビジョン化もブルーレイ化もされていないため、ブラウン管によるDVD鑑賞でしたが、31インチのテレビの前に座って、これだけはちょっとだけ金をかけた、デノンのサラウンド・システムのボリュームを上げると、画面は飛びださずとも、なかなかの迫力で楽しめました。

 ああ、それで思い出しました。

 先日、某メーカーに務める学生時代の友人がやってきて、

「あの映画は、我が社が開発したシステムをキャメロンに与えて、3Dテレビの発売に先駆けて、3Dブームを作るべく撮らせたものだ」

と、ふんぞり返っていっていました。

 真偽のほどはわかりませんが、数日前に、いよいよ、そのメーカーの3D商品が発売され始めたのは確かです。

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 左上の、被写界深度を変えられる3Dカメラは今秋発売だそうですね。

 あー心配。

 以前に書いたように、わたしは、急速なテレビの3D化には危惧を持っています。

 デジタル化、そしてハイビジョンテレビの次に、なんとか新しい製品を売り込もうとしているメーカーにとっては、この3Dブームは願ってもない「第三の波」でしょう。

 どんどん、情報処理部分をモノチップ化してコストを下げ、安い製品を投入するに違いありません。

 わたしがそういうと、友人は、

「個人的には、会社の収益が上がってボーナスが出る方が嬉しいが、おそらくこんなもの流行らないだろう」

といいます。

「メガネをかけなければ飛び出さないテレビなど、売れるわけがない」と。

 私見では、そうあって欲しいと思います。

 たしかに、その会社の3D化方式は、画面変化の反応が、液晶より速いプラズマテレビを使って、右目と左目の映像を(確か60分の一秒ごとに)交互に映し、それにタイミングを合わせた液晶シャッター付きのメガネを使って、立体視させています。

 これは、メガネの値段が高いという反面、放送局ではなく、テレビ側で右目と左目のどちらか一方の画面だけを表示するようにすれば、容易に2Dと3Dを切り替えられる、という利点があります。

 これなら、コストさえ下がれば、一般家庭に普及しそうです。

 くだんの友人は、「開発にかかった費用を考えれば、値段はすぐには下がらないから、普及は難しいはず」といいます。

「コンテンツを作る機材も高すぎて、普通の制作会社は買うことができない」とも。

 しかし、スケール・メリットを考えれば、少々赤字を出しても、メーカーは普及に努めるはずです。

 先に書いた、モノチップ化による大幅なコストダウンも可能でしょうし。

 問題は、3D化の基礎理論が、外国のハゲタカ特許会社の所有である場合ですが、これはたぶん大丈夫でしょう。

 というわけで、電機メーカーのための、さらなる市場オープンは目前という気がします。

 中国というお客さんもいますし。

 個人的には、安易な3D化はやめた方が良いと思いますがねぇ。

 最近の子供の、半数近くが何らかのアレルギーを持っているという調査結果が先日発表されました。

 ギョウ虫・回虫のいない清潔過ぎる生活、そして親の生活サイクルにつきあわされて、幼児のくせに夜型の生活を強いられる毎日、もちろん細菌を発生させない(つまり殺す)成分=保存料たっぷりの食物を連日食べ続けるのもその原因でしょう。

 これも、生活環境、サイクルと食生活変化が子供に与える影響を、ゆっくり検証しないまま安易に取り入れた結果です。

 もひとついえば、乳幼児から飛び交う電磁波の影響も無視できないハズ。
(仕事上、ウチは常時稼働するコンピュータが一般家庭の数倍あるため、せめてもの対抗策として電子レンジは使っていません……ムダか?ま、乳幼児どころか子供もいないけど)

 その上、さらに、ホンモノでない「疑似3D」を急速に普及させるのは、いかがなものか。

 大人はもちろん、成長段階にある子供の脳に、どのような悪影響を与えるか、知れたものではありません。

 不自然な3Dが脳に与える影響の学術研究は、まだ緒についたところなのです。

 突然、口からアワを吹いて全身をケイレンさせ、倒れるような病気(固有名詞は避けます)が子供たちに蔓延してからでは遅いと思うのですがねぇ。

 一応付け加えておくと、すでにメーカーと放送局で「3Dコンソーシアム」という団体が作られ、3D視聴に関する安全ガイドラインを作成しています。

 いくつか引用すると、

 ・立体を強調する効果を多用したり、長く続けたりしない
 ・大人と子供では見え方が違う。
 ・テレビと目を平行にして観る。

って、このガイドラインは何のためにあるのかわかりませんねぇ。常識論を漠然といっているだけです。

 現段階で、民法地上波では3D機材の普及が未知数のため反応は鈍いそうですが、某幹部によると、

「家電メーカーなどのスポンサーが開発に力を入れている以上、コンテンツ制作に取り組まざるを得ない」そうです。

 個人的に、技術的に少し展望があるかな、と思えるのは、NHKが2025年放送開始するスーパーハイビジョン技術を応用した裸眼3Dテレビでしょうか。

 撮影時、カメラの前に、微小レンズでできた版を置いて様々な角度から対象物を撮影し、上映時もディスプレイの前にレンズ版を置いてみる方式です。

 試作品を実際に見ると、簡易ホログラムといった感じで、観る角度によってものの見え方が変わるそうです。

 これなどは、いまだ奇術程度の扱いで、実際にドラマを観る際に使えるかどうかは疑問ではありますが。

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実写版クレヨンしんちゃん バラッド BALLAD ~名もなき恋の歌~

 山崎貴監督「BALLAD バラッド 名もなき恋の歌」を観ました。

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 何せ、原作が原恵一監督の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦」なのですから、大きな破綻(はたん)はなく、綺麗な映画に仕上がっています。

 ヒロインも、昨今ハヤリの体がデカい(いや、スタイルが良いというのですな)声の野太い男性化女性ではなく(地上波テレビは頼まれて録るだけでほとんど観ないドラマオンチなので「荒垣結衣」という女性が誰かわかりません)、草薙 剛も全裸事件後の反省もあってか、キチンと演技をしているため観ていて気持ちがよいのです。

 また、時代考証、というほどではないにしても、草薙演じる井尻又兵衛が、大沢たかお演じる敵役(かたきやく)大倉井高虎(おおくらいたかとら)の「本陣」に乗り込んだ際に大倉井側の近臣が叫ぶ、

「下郎(げろう)推参(すいさん)ナリ!(*)」

は、まことに時代モノらしいモノイイで嬉しかった。

 何でもないことですが、近頃は、このへんを現代語で済まして平然としている脚本(テレビドラマは言うに及ばず、著名な脚本家の有名な時代モノ映画でさえ)がほとんどなのです。

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(*)ご存じのように、「見参」は目上の人に会う言葉(あるいは目上の人がわざわざ会ってくれるの意)、「推参」は、呼ばれていないのに、勝手に押しかけてやってくる場合に使います。

 だから、かつて、町でよく見かけた獅子舞(ししまい)などは「推参」でした。
 突然、家の軒にやって来て勝手に踊り、幾ばくかの報酬を要求したのですから。
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 シンちゃんの両親を演じる筒井道隆、夏川結衣の「宮藤官九郎風テンパー」ではない「抑えた演技」も好感が持てます。

 まあ、個人的には、侍たちに襲われ、咄嗟(とっさ)に武器として車から取り出した棒らしきものが「ボディーブレード」(覚えてますか?)で、ぷるぷるしなるだけで役に立たなかった、なんて原作アニメであったギャグを筒井道隆にやってほしかったのですが。

 しかし、こと感動という点から観ると、残念ながら今回のシンちゃんは、キャラクタがマジメ過ぎて、彼が又兵衛にぶつける「現代の似而非(えせ)平等・自由で培われた叫び」が、アニメのしんちゃんほど我々の胸をえぐらないのです。

「死んでしまうかも知れないんだから、好きだったら告白するのが当たり前だろ!」

 なーんてのは、フツーのコドモが封建社会を目の当たりにしたらフツーに口にしてしまう、どうってことのない陳腐(ちんぷ)な台詞(せりふ)なんですから。

「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦」が素晴らしい作品たり得たのは、平和が当たり前の時代に生まれ、親をからかい下品ネタを尊ぶ、いわゆる「ワルガキしんちゃん」が、愛しても告白できない常識、今日笑っていた親しい人たちが明日には死んでしまう危険な世界といった、「自分の悪ノリジョークとシャレでは、どうにも変えようのない」戦国という時代と対峙(たいじ)した時に見せる、彼が自分を守るため常に身にまとっている「お笑い武装」を解いたナマの姿と「魂の叫び」が、我々のハートを直撃するからです。

 その点さえクリアしていれば、アニメ同様「どうやって戦国時代に来て、どうやって帰ったのか分からないなぁ」とか「もうー、大沢たかお、あっさりと負けを認め過ぎ!」とか、現代に帰るしんちゃんに「又兵衛と結婚したかった?」と質問されて、最後に姫が口にする「今まで、これほど人を好きになったことはなかった……」という、どこかの水泳金メダリストがいったような台詞も気にならなかっただろうになぁ。

 だって、姫は、幼なじみの又兵衛をずっと好きだったから強大な権力を持つ高虎(大沢たかお)の求婚を蹴ったわけですよ。その時まで、又兵衛を好きなことに気づいていなかったような口ぶりはおかしい。

 いや、というより、この言い方では、これまで姫さんは何度も恋をしてきたように聞こえるじゃないですか。

 現代女性じゃあるまいし!

 いや……それともしてきたのか?

 しかし、本来、映画の冒頭で銃に撃たれて死ぬはずだった又兵衛が、しんちゃんの叫び声でいったんは助かったものの(あるいは一時的に時空が歪んだため?)、彼が現代に戻る時タイムパラドックスを避けるために結局死ななければならなかった、という設定は、アニメの説明不足を補って余りあると思います。

 これは素晴らしい。

 少なくとも、わたしには納得できました。

 映画「バラッド」
 ――アニメではなぜかあまり気にならなかった「戦国という殺伐(さつばつ)とした世でありながら、登場人物がみな良い人過ぎる」という感じが多少ひっかかりますが、ご覧になっても良いかと思います。

 特に「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦」をご覧になっていないなら、まずは感動されることでしょう。

 ALWAYSの山崎貴監督が、アニメ版原作に傾倒するあまり「名作はリメイクしない」というモットーを破ってまで作った作品なのですから。

 BALLADが、わずかながらアニメに劣った原因が何なのかを知るために、両方を観比べるのもひとつの楽しみ方だろうと思います。

 今、気がつきましたが、ALWAYSの流れで、BALLADなんですね。

 じゃ、次回は、TRAGEDY……かな?

 いや、A、Bときたら今度はC……CRAZYか?

 それとも……CONFESSION!

 ああ、「告白」は違う監督によって映画化されていますね。

 もっとも、あれは泣くような作品じゃないですが。

p.s.

 上の「推参ナリ」と関連させて少し付け加えると、この映画は、言葉遣いや立ち居振る舞いなど、ところどころ時代考証的にイイカゲンなところもあります(「そなたは賛成するのか」など)が「できるだけ正確に当時を再現したい」という監督の気持ちは痛いほど伝わってきます。

 たとえば、姫が城内を歩くと、彼女の姿を目にした家臣たちは、うち倒れるように地面にひれ伏して彼女の通り過ぎるのを待ちます。

 これを、宮藤官九郎的大げさ芝居だと考えてはいけない。

 彼女は正真正銘のオヒメサマなのですから、下級武士にとっては雲の上の人、ああいう態度は当たり前です。

 極端な話、彼女の気に障ったら処刑もあり得るわけですから。

 さらに、後半部、戦いに撃って出た又兵衛を見守るために姫が櫓(やぐら)に走るシーン。

 彼女の走り方に注目してください。

 明治以前の人々は手を振らずに走ります。

 当時の人々が、身分によって走り方が違っていることはご存じでしょうが、彼女は手を袖に隠して奴凧(やっこだこ)のように走っています。

 これは武家の走り方なんですね。

 本来、武家の女性は走らないものですが、どうしても走らねばならない時は、この格好になるわけです。

 ちなみに、後世、江戸時代に現れる飛脚は、片腕を前に突き出しもう片方をその手に添えて、やはり腕を振らずに走ります。

 こういった、細かい点も楽しみながら、BALLADをご覧になるのも良いかと思います。

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2010年4月21日 (水)

傑作舞台の重厚な映画化 「フロスト X ニクソン」

 お気に入りのケビン・ベーコンが出演するということで、映画「フロスト X ニクソン」(2008年)を観ました。

 公開当時から、印象的なコピーとポスター↓で、観に行きたかったのですが、機会を逸していました。

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 同名の舞台を「アメリカン・グラフィティ」のロン・ハワードが監督した作品です。
 って、それは役者としての出演で、監督としては「バックドラフト」(あるいは「アポロ13」「THE MOON」いや「ダビンチコード」?)の方が有名だったかな。

 内容は、ウォーターゲート事件で失脚(1974年8月)しながら自らの非を認めようとしないリチャード・ニクソン元大統領に、「バラエティ番組の司会者」であるデビッド・フロストが、インタビューを通じてその心情を吐露(とろ)させ、事件の核心部分を告白させるという、いわば「ペラペラのコメディアン司会者が精神的巨星相手に挑む心理戦」を描いた作品です。

 ああ、基本的に実話です。

 実際に、その有名なインタビュー番組は残っている。

 舞台でもニクソンを演じたフランク・ランジェラの、ニクソンの心の襞(ひだ)まで入り込んだかのような迫真の演技に圧倒されます。

 自信家で鬱(うつ)気味、非道徳家で良心の呵責(かしゃく)に苦しむという、矛盾だらけのOnly Humanな世界一強大な権力を持っていた男の末路を、その演技によってのみ(外見的には、わたしの知っているニクソンとはまるで似ていない!)表現するフランク・ランジェラを見るだけでも、この映画を観る価値はあるでしょう。

 悪の側でありながら任務をまっとうし、忠をつくすケビン・ベーコンも良かった。

 ペラペラ司会者のインタビューということで、メジャーなスポンサーがつかないのに、ニクソン側は法外なインタビュー料金を請求するため、デビッド・フロストはインタビューで真実を引き出す作戦を練りながら、同時に金策に走り回らなければならないのです。

 インタビューは全部で四回。

 始めのうちは、海千山千(語源は知ってますか?)の老練政治家に挑むドンキホーテといった体(てい)で、てんで歯が立たないフロストが、インタビュー最終日にしかけた舌罠……

 ウォーターゲートをリアルタイムで知らずとも、いや「なんかアメリカ大統領が不正を働いて史上初めて辞任しなければならなかった事件……かな」程度の知識さえあれば、充分楽しめる映画です。

 週末の夜にでも、ぜひおすすめします。

 ギリギリとした精神的緊張を味わいながら観終わると、達成感と同時になんだかモノ悲しくなってしまう不思議な映画なんですから。

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2010年4月20日 (火)

谷垣氏よ、あなたもか!

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 さきほど、フォローしている上杉隆氏のつぶやきで、自民党総裁谷垣氏が、つぶやき始めたことをしりました。

 以前に、谷垣氏は、ツイットを「ゴマメの歯ぎしり」とバッサリと斬り捨てていたのですが……

 そのことについては、ここで書いたことがあります。

↓以下四行、ツイッターからの引用です。

ようこそ、谷垣さん。勇気ある「豹変」を歓迎してみる。 QT @Tanigaki_S はじめまして。自民党総裁の谷垣禎一です。以前、「つぶやき」はしないと申し上げましたが、多くのみなさんから「なまごえ」をうかがう有効なツールとの熱心な勧めがありツイッタ―を今日から始めます。

君子豹変す、なのでしょうが、個人的には、頑固なオトナとして、珍奇で不確かなアタラシモノは拒絶し続けてほしかった、という気がします。

頑固さは、政治家の重要な資質の一つだと、まぁ、無責任に思うからです。

いくら、取り巻きが、あらさー取り込みの道具として勧めたってね。

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2010年4月13日 (火)

蒼い虎(自作小説PDF)

 これもラジオドラマ原作として書きましたが、ちょっとSF色が強すぎるので、ドラマにするのは、次に書いた時代物にしました。

 それも、また、ここにアップします。

 ラジオを聴く人に名作を紹介したくて、さきの「女か虎か」同様、今回も、アルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」を引用していますが、こういう手法はあまりよくないかも知れませんね。

 閉ざされた世界、その中の男と女、そして確かに存在するデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)というプロットが、どうやらわたしは好きなようです。

 原稿用紙で十枚程度なので、暇つぶしにお読みください。

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バースの行方

 故景山民夫氏の名エッセイ「喰わせろ」(先に書いた井上ひさし氏の「巷談辞典」と同じく夕刊フジに毎夕!連載され、イラストレーター山藤章二との共著ともいうべき「文字と絵の掛け合い」が最高に面白かった)で、わたしはバースの本当の呼び名がバスであったことを知りました。

 バースというのは、もちろん関西人気球団に所属していた、ランディ・バースのことです。

 なぜ、本来「バス」と呼ぶべき男を「バース」と呼称したかについて、氏は「バスじゃ修学旅行や風呂桶みたいになっちまうからだろ」と書いています。

 後年、阪神高速を走っていると、道路沿いにバース氏が紹介する(株)日ポリ加工の風呂桶(言い方が古いね、今はたぶんバスタブと呼称)の巨大な看板があって、ああ、彼も本来のバスに戻ったのだなぁと、感慨深くうなずいた記憶がありました。

 バスといえば、英国を訪れた時、インターシティを途中下車して、ローマ人も通ったといわれるバースに立ち寄ったことがあります。

 現地の観光案内所で、半日観光バスに金を払って名所を回ったのですが、なかなか見応えのある場所でした。

 日本の源泉掛け流しと違い、緑色の生ぬるい湯でしたが↓(わたしにはバスクリン入りのように見えました)、さすがにバスの語源と呼ばれる巨大浴場は、古く大きく、現地の修学旅行(ないって、遠足だろうな)の子供たちもたくさん訪れるほど人気のある場所でした。

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 さて、ここからが本題です。

 今回とりあげようとしているのは、そんな千年を超える遺跡や野球選手のことではありません。

 もっと身近な、日本にあるバースのことです。

 わたしが子供の頃は、風呂といえばタイル製のものがほとんどでした。

 洗い場もそうでしたが、ここで風呂というのは、風呂桶、バスタブのことです。

 風呂屋にいってもそうだったし、家庭でもそうだった。

 田舎にいくと、まだ五右衛門風呂なんかがありましたが、その頃でさえ、そんな昔の風呂は珍しくなっていました。

 しかし、現在、個人で、タイルのバスタブを使っている家は、あまりないでしょう。

 たいていが、ステンレスあるいは日ポリ加工の(とは限らないが)バースタブを使っている。

 ご存じのように、家で一番早く傷むのは、水回りです。

 台所、トイレ、あと外壁、屋根かな?

 当然、風呂も、何年かでリニューアルすることになる。

 その際、巨大なバスタブは撤去され、新しい、おそらくはもっと保温のよいものと取り替えられる。

 余談ですが、ユニットバスでない場合、風呂の窓を大きくしておかないと、壁を壊してバスタブを取り出さなくなるため、リニューアルの費用がかさむそうですね。

 家なぞ建てる予定も金もないから、わたしには関係はありませんが、知識としてはそういうことだそうです。

 取り出されたバースは、産業廃棄物として放棄、あるいは再生プラスティックとして生まれ変わる……こともあるかもしれませんが、田舎では、もっと数奇で違う運命をたどるのです。

 田舎を、車で走ったり散歩すると目につくものがある。

 畑です、って当たり前ですが。

 そして、その畑の端では、ごく当たり前のようにバースが座っている。

 都会の共同菜園などでも、何人?もバースが座っている。

 雨水の貯水タンクとして↓。

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 東京都では、各家庭が樋水をタンクに溜め、天然水として散水や植木の水やりに利用している区があります。

 近くのDIYセンターでも専用のものが売られていますが、結構高いのですね。

 その点、2~400リットルの水を溜めることのできるバース(しつこい?)は、中小規模な菜園では理想的です。タダだし。

 先年亡くなった父も、近くの菜園で使っていました。

 確かに、野菜畑の横に、屋内にあるべきバスタブが、いくつも並んでいる景色には違和感を感じますが、これもある種、異業種交流。

 昔は箱入りムスコでしたが、今は「畑」違いの場所で頑張っています、ということで、これはこれで、りっぱなバースの行方ではないかと、わたしは考えているのです。

 p.s.
 違和感のある風景、といえば、東南アジアやアフリカなどで、現地の人が日本から贈られた洋服を着ていることがあります。

 背広を着て畑仕事をしているその姿は、日本人の目からみると多少奇異に感じてしまいますね。

「日本のセビロは縫製がしっかりしていて丈夫だから野良仕事に向くのだ」と彼らが答えるのをきくと、わたしは、うれしいような、誇らしいような、申し訳ないような不思議な気持ちになってしまうのです。

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2010年4月12日 (月)

目に見える逆転

スポーツなどのように、人々を興奮させるために、あらかじめその内部に組み込まれている「大逆転」はともかく、我々が、大逆転を実体験で目の当たりにする機会はそう多くない。

風の噂や著名人の自伝、テレビの特番で目にする程度だ。

しかし、「大」のつかない、「小」逆転なら、案外あちらこちらで見つかる。

今日、わたしも(小)逆転を目撃した。

今夕、家事用ゴム手袋を求めて出かけたホームセンターでそれは起きた。

日常生活における小逆転は、レジ付近で起こることが多い。
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 平日のことで、いくつかあるレジの一つだけが稼動していた。

 夕方になって、仕事帰りの人々が訪れ始め、レジが混雑しだした。

 すると、店員同士で、なにやら耳打ちが交わされたのち、隣のレジに店員が入って、

「並んでおられるお客さまどうぞー」

と、叫んだのだ。

 さっと隣の列に移る人たち。

 ああ、大、もとい小逆転の一瞬。

 これまで列後方に並んでいた人が、突然、トップに躍り出たのだ。

 だが、ここで留意しなければならないのは、逆転には二面があるという事だ。

 すなわち、逆転する側とされる側と。

 この場合、逆転されたのは、列の中ほどにいた人です。

 それまで、結構並んで、やっと、もうすぐ自分の番と思ったら、自分の後ろの人が、隣のレジで一番になるのを目撃したのだから。

 そして、自分は列の最後尾に……

 その心中いかばかりか。

 ツイてないとしか、いいようがない。

 え、お前は、その一部始終を横で見ていたのかって?

 もちろん、そんなヒマジンじゃないですよ。

 じつは、その、列まん中に並んでいた善意の第三者が、わたしだったのです。

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THE SPIRIT(ザ・スピリット)を観ました。

THE SPIRIT(ザ・スピリット)、原作がコミックの2008年度作品です。

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 シン・シティ同様、大部分モノクロ+ところどころ深紅というスタイリッシュな映像がカッコイイ!

 一度死んで生き返った主人公が、本当は死んでいるのか生きているのかわからない、というカンジの予告も魅力的。

 THE SPIRITというからには、霊的なハナシなのだろうか?

 結構佳作だった「ウオッチメン」と似たダークでレトロなカンジだけど、これも面白いカモ。

 などと考えて、公開当時から観たいと思っていましたが、かなり短い時間で公開終了されてしまたので観に行くことができませんでした。

 だから、さきの週末、レンタルビデオの棚の端に、このタイトルを見かけた時は嬉しかった。

 早速、横にあった、N.ケイジの「ウイッカーマン」と同時に借りて帰ってみました。

 その感想ですが……

 確かに、映像は美しい。

 オープニング直後から、シルエットを多用し、柔らかくシャープな黒(としかいえない)を基調とする映像に文句なく引きつけられます。

 モノクロの映像でありながら、ネクタイだけが鮮やかな深紅というのも美麗です。

 公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/thespirit/main/index.html

 しかし、ストーリーが、大雑把すぎて、どうもいけません。

 やはり公開期間の長さは正直、というか、一般の方の観る目は確かです。レンタルビデオ店の棚の位置も正しい。

 わたしのみるところ、スピリットというハナシには、いくつか欠点があるのです。

 原作を知らないので断言はできませんが、アメリカのどこかの街(セントラル・シティ)を守る「街の守護者(ガーディアン)」というスピリットの立ち位置は、バットマンと80パーセント以上重なってしまいますし、一度殉職した警官が、墓場で生き返った後、どうして前の人生を捨て、スピリットとして生きていこうと決意するのかよくわかりません。

 同じ「生き返ったヒーロー」なら、スポーンの方が魅力がある。

 妻を守るために地獄から蘇ったのは良いけど、愛する妻はもう他の男と再婚していた(しかも親友と)のですから。

 しかも、顔は焼けただれて、マスクを被らずにはいられない……なんてね。

 とにかく、スピリットには、スポーンやバットマンのような苦悩や深みが足らない気がするのです。

 女と見ればまずクドく「歩く生殖器」、女たらし過ぎるのもビミョーにひっかかりますし。

 クドく?

 そう、この映画の欠点は、クドいことです。

 演出がクド過ぎる。

 敵であるオクトパス(シャミュエル・L・ジャクソン)の舞台演出的な身振りも気になります。

 スピリットとオクトパスの肉弾戦?も、スピリットが股間を殴られて目を白黒させてクドい。

 天才科学者であるオクトパスが、ペトリ皿で生み出して部下にしている、太っちょでおバカなクローンたち(全員同じ顔)のリアクションもくどい。クドすぎる。

 太っちょたちの名前(パトスやロゴスといった哲学的なもの)が、すべて彼らが着る黒のTシャツに印刷されているのも、面白さよりクドさを感じてしまいます。

 つまり、映画が、シリアス路線を目指すのかスラップスティック(ドタバタ)を目指すのかがよくわからない。

 中途半端なんですね。

 残酷で身勝手で、ムチャクチャなオクトパスの言動が、S.L.ジャクソンの個人的魅力で、かなり愛嬌に感じられるのは、さすがですが。

 ラストで明かされる、どうしてスピリットが不死身なのか、という種明かしも、「エ、そんなストレートな」という感じですし、オクトパスが探し求める宝が、「アルゴ探検隊が見つけたアレ」だったなんてのも、世界観と合ってないように思えるのですね。

 おまけに、最後に利用されるアイテムが、これも「神話のアレ」だったなんて、ちょっと違和感感じまくり、という感じがします。

 そんなのは、インディアナ・ジョーンズに任せておけば良いのです。

 何度も書きますが、映像は美しいのですがねぇ。

 結論をいいますと、「THE SPIRIT」、スタイリッシュな映像を見たいのなら、それほど尺も長くありませんし、ご覧になられても良いと思います。

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2010年4月11日 (日)

井上ひさし氏死す

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 9日、肺癌だったそうですね。

 わたしは、小説については、あまり熱心な読者ではありせんでしたが、彼の日本語論、文章作法論、そしてエッセイには、大きな影響を受けました。

 別項でも書きましたが、井上氏の筒井康隆評、「他の凡百作家を文壇レースで周回遅れしつつ巫山戯た走りをしている天才」を読んだ時には、思わず膝を打ったものです。

 もう随分まえ、ひと月近く、ひとりでインドを回ったあと、バスで過ごしやすいネパールに移ったその日、泊まったゲストハウスに置いてあった井上氏のエッセイ(タイトルは「巷談辞典」)は、日本語に餓(かつ)えていたわたしの胸に深くしみこみました。

  What a beautiful language…

 そう思いながら、ボロボロだった文庫を、何度も読み返したものです。

 ご冥福をお祈りします。

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2010年4月10日 (土)

ブッ飛ぶほどにパワフル! アドレナリン1・2「ハイ・ボルテージ」

 スカパー!TVガイドに掲載されている、川村ナヲコさんの「映画の楽しみ方」は、わたしが毎月楽しみにしている映画紹介のひとつです。

 一コマに、多くのイラストと気の利いた手書き文字を描き込んで、一つの作品の紹介をする。

 その切り口とセンスの良さは抜群で、わたしは、彼女の紹介する映画はだいたい観るようにしています。

 今月取り上げられたタイトルは「アドレナリン2 ハイ・ボルテージ」でした。

 これがまた、どうしても観たくなる素敵なイラストです。

 と、言葉で書いてもわからないだろうなぁ。

 この際、ゲンブツを載せておきましょう。(クリックしてください)

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 ご存じのように(わたしは知りませんでしたが)、主役のジェイソン・ステイサムといえば、リュック・ベッソンの「トランスポーター」シリーズのヒーローです。

 それが「アドレナリン」では、とんでもなくブッとんだ殺し屋を怪演、というには、スゴすぎるパワフルさで演じているのです。

 この映画については、、シリーズ1の頃から、レンタルビデオの棚に置かれているのは知っていました。

 しかし、なんだか危なそうなタイトルと、ハチャメチャそうな表紙で敬遠していたのです。

 確か、昼間は非常に実直でマジメで、寝る時間も惜しんで働く名外科医だが、夜は大変な量の麻薬を使わずにはいられない重度の麻薬患者。

 半裸の男が体をエビ反らせて叫んでいる表紙で、ともて借りる気には……

 エッ?あれ、それって「ドーパミン」じゃん。

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 まぎらわしい名前つけんなよって。

 これは、断言しますが、もうすぐ「エンドルフィン」や「エンザイム」、「ランゲルハンス島の反乱」なんて映画が絶対できますよ。

 「セサミン」とか……

 それとも、もう出来てるのか?

 さて、「アドレナリン」です。

 もちろん1と2の両方を連続で観ました。

 というか、1を観て「やられたぁ」と思った人なら、2を観ないわけにはいかない。

 ストーリーは単純、映画の冒頭で、中国製の毒を盛られた殺し屋、シェブ・チェリオスが、犯人と解毒薬を求めて街を走り回る。

 いたるところで暴力と性をふりまきながら。

 なんせ、アドレナリンを体内に放出させ続けないと毒が回って死ぬというのですから……

 突然、怒り、興奮し、欲情し、とにかくアドレナリンを出しまくる。

 そして、主人公、シェブ・チェリオスのトンデモない強さ!

 劇中で、カレのことをダイ・ハード・マンと呼ぶことがありますが、チェリオスは、正しく「死なねぇ男」です。

 飛び交う弾丸も、彼を避けて飛んでいく!

 本来なら、「大量の下卑たシモネタ」と「スプラッタ一歩手前の殺戮(さつりく)」で後味の悪い映画となるところを、主人公ジェイソンの魅力と監督・演出者のはちきれんばかりのパワーが、見事にそれをハチャメチャで楽しいノンストップ・パワフル・ムービーに昇華させています。

 うーん、これを、どう表現すれば良いのかなぁ。

 たとえば、日本やフランスが、このタイプの映画を作れば、岩井俊二の「スワロウテイル・円都(イェンタウン)」や「ドーベルマン」のように、妙に湿っぽかったり、後味の悪いピカレスク・スプラッタ映画になってしまうのですね。

 しかし、「アドレナリン1・2」には、もっとカラっとしたドライな笑いがある。

 主人公や悪役たちが、マジメであればあるほど、逆にトホホ的な面白さが醸し出されるのです――

 おもろうて、やがてかなしき うかいかな

 じゃなくて、

 おもろうて ときどきこわくて さいごはスッキリ

 という感じですかねぇ。

 昔の映画でいえば、J.P.ベルモントの「おかしなおかしな大冒険」とか、リノ・バンチュラの「女王陛下のダイナマイト」という感じでしょうか。

 どちらも、わたしの人生を変えてしまった、といって良い作品なのですが、それはさておき、それらに共通するのは、

「話のツジツマや通りの良さなんてドーでも良し、俺たちゃパワーで突っ切るゼ!」

といった、途轍(トテツ)もないエネルギーを内包していることですね。

 「アドレナリン2」では、彼の心臓の強さに惚れ込んだギャングの老ボスに心臓を奪われ、代わりに入れられた、すぐに電池切れとなる人工心臓にチャージしつつ、街を駆け回るチェリオスが描かれます。

 これもすごい。

 まあ、こんな感じです↓

 http://bd-dvd.sonypictures.jp/crankhighvoltage/

 でね、本当のところ、わたしは、この映画を観て、なんだかうらやましくなったのです。

 かつて、日本にも「独立愚連隊」や「兵隊やくざ」(ちょっと古い?)のような、パワフルな映画ができる素地があった。

 でも、最近の邦画は、妙に老成して「ゲージュツ」や「泣き」、そして「アイドル頼み」の作品ばかりになっているような気がするから。

 もっとも、こういったパワフルな映画を作るためには、エネルギーを感じさせる役者が不可欠ですが……

 今の日本には、見栄えの良いアイドルは沢山いますが、ちょっと老けてて、頭がハゲ気味のくせに、サイコーにパワフルでカッコえぇというような役者は、いないような気がします。

 あるいは、ゆとり教育からは「ガイバー」(規格外品)は生まれないという証明なのでしょうか?

 あ、あと、「アドレナリン」は、日本の配給会社がつけたタイトルです。

 原題は、「Crank」「Crank High Voltage」といいます。

Crankというと、昔の車を始動させるクランクとかクランク・エンジン、変人とか奇行しか思い浮かばないのですが(カクカク曲がったのが「クランク」だから「ツムジ曲がり!」)、調べてみると、俗的にはいろいろ意味があるようです。

 例えば、crank upで音量などを上げる、crank themで「あたる、怒りをぶつける」、英国では、俗に「ヤクをキメる(麻薬を打つ)」という意味など。

 内容からいうと「八つ当たり」なのかなぁ。

続きを読む "ブッ飛ぶほどにパワフル! アドレナリン1・2「ハイ・ボルテージ」"

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2010年4月 9日 (金)

終末時計再び

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 以前、このブログでも映画「ウオッチメン」で書いたことのある「終末時計」が、8日のオバマ、メドベージェフ大統領会談による核軍縮条約調印によって六分前になりました。

 ふたりは「マンデラとガンジーだ」そうです。

 例によって、イメージ先行•実効性僅少のオバマ戦略の一環に過ぎないのかもしれませんが、北朝鮮の核保有以降、昨年のオバマ演説、今回の調印と「終末時計」という単語が新聞紙面に踊るのをみると、あらためて、地球上にある「多すぎる核兵器の量」に気づかされますね。

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2010年4月 8日 (木)

草食系男子考 劇場版「東のエデン1」

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 映画版「東のエデン1(本当はローマ数字)」をDVDで観ました。

 英語タイトルは、「King of EDEN」、エデンの王です(上記、小説版には「失楽園」とも書かれていますね)。

「2(ローマ数字)」は、今、映画館でやっています。

 テレビシリーズについては、以前に、このブログでも書きましたが、
  http://kabulaya.way-nifty.com/kiseki/2009/06/post-17c5.html

 その直後からの話が、今回の映画ということになります。

 地上波放送版については、上記ブログを読んでもらえればよいので省略しますが、ナカナカナカ良いデキでした。

 今回の映画についても、全体の感想としては、まあまあという感じです。

 最初に、ヒロイン?の考えられない格好と行動(ヒラヒラのミニスカートで、パスポートをチャチなハンドバッグに入れ、NYのタクシーに一人で乗り、パスポートごとバッグを置き忘れる)で、どんだけバカ娘なのだコイツは?と気分が悪くなりかけましたが、まあ、これがイマドキの女子大生の等身大の姿なのカモ、と我慢して観ていると、すぐに主人公が颯爽と現れて彼女を救い、ストーリーがテレビ放映の雰囲気になりました。

 えーと、ということは、もしこのストーリーが、何でも分かっている滝沢朗(アキラ)(シティハンター冴羽あるいは銀魂の銀さんの役ドコロです)が出てこないと、単に何も分からず右往左往するだけのバカ娘の話になるってことかな?

 と書いていて気づきました。

 この映画は、女性の側から観た理想の男の子を描いた話なんだ、と。

 いやぁ、すっきりしました。

「ノブレス・オブリージュ」だとかセレソンだかクレソンだかと、ややこしいことをいっていても、所詮は、イキナリ金と力を12人の人間に与えてそれを見守るゲームが軸となる話です。

 だいたい、「突然100億手に入れた男の話」だとか、「悪魔か神から、悪の力と善の力を手に入れた二人の男の戦い」なんてのは、マンガ青年誌の基本路線です。

 それを、「攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックス」の神山氏がどう扱うのか、と思ったら、結局はオーソドックスな話だったので、不思議に思っていました。

 テレビ版キャッチフレーズの「この国の"空気"に戦いを挑んだひとりの男の子と、彼を見守った女の子の、たった11日間の物語」(今回の映画開始時で、すでに半年が経っているので印象的な「11日間の~」はもう期限切れですが)における「この国の空気」あたりを、ニートと社会を支配する大人(アガリを決め込んだ奴ら)と表現し、ゆがんだ形の世代間闘争として描こうとしたのは、いかにも神山節なのですが、いかんせん映画では、そこのトコロがほとんど描けていません。

 だから、映画を(1だけですが)観終わって感じるのは、すっきりした草食系の男の子に憧れて、何もわからないまま、何もできない無能な女の子が、キャーキャー叫びながら、ただ好きな男のにくっついているだけ、という印象なのですね。

 つまり、裏を返せばこういうことです。

 この映画は、突然100億とそれを使う力(人工知能ジュイス)を与えられた12人の抗争劇ではなく、そんな大きな力を与えられても、それを間違った方向に使わず「正しい方向?」に使う草食系男子に憧れる女の子の話、なんですね。

 メリーゴーラウンドの「ゴールデンリング」がらみの、ラブラブストーリーを観ていると、つくづくそう思いました。

 過度に感情に走った、激した言動をせず、穏やかな話し方を変えない男の子。

 金と権力を与えられても、私的な欲望にそれを使わず、「タダシイコト(女の子から見て)」に使うカレ。

 警察に捕まっても、ブタ箱などにはいるという(女の子の夢を壊す)ことなどなく、記憶を失ってノブレス携帯も手放し、NYにいても、スッキリした服装で豪華な部屋に住んで金に困らない男の子。

 過去もよく分からないけれど、何かデカいことをやっている様な男子。

 でも草食系。

 「King of EDEN」は、凡庸で、ちょっと屈折し、扁平な顔をした女子大生(これは「ハチミツとクローバー」の羽海野チカがキャラクター原案だからしかたがない)が、いかにも憧れておっかけそうな男の子を描いた「ガールミーツボーイ」ストーリーなんですね。

 さて、2はどうなるのでしょう。

 チマタの評判では、大風呂敷広げすぎて、収集がつかなくなって破綻しているとのことですが、まあ、DVD待ちかな。

 しかし、この映画の公式サイトのわかりにくさは、なんとかならんかな。

 http://juiz.jp/special/

 情報を提供することを拒絶した、美麗なだけの変なフラッシュサイトの典型だなぁ。

 このサイトを見た時点で、この映画はマイナー評価を抜けられないって感じがするね。

 そうだ、ここで、ついでに草食系男子についての個人的見解を書いておきましょう。

 基本的に女性は、記憶を感覚に頼るイキモノだといわれています。

 だから、嫌なこと、辛かったことを忘れない。

 気持ちよかったこと、楽しかったことも覚えている。

 逆に、男は言葉でモノゴトを伝えようと伝えようとします。

 子供や女性に、「優しい言葉」を「きつい調子で」投げかけると彼女たちはそれを嫌がり、「きつい内容」を「優しい口調」で諭すと、それほど気にしないという実験結果があります。

 まあ、実験などといわずとも、女性とつきあったことのある男性なら、そんなことは知っているでしょう?

 これまでは、「男なんてそういうものだから、女性はそれに合わせて我慢するのだ」という社会通念があったのですが、戦後を25年ほど過ぎた頃から「それは社会が間違っているのだ」と考える風潮が強くなり、社会的性差是正の動きとともに、女性は嫌なモノを嫌といえるようになってきました。

 ともかく、女性は変わった。

 それはいい。

 おそらくそれが正しい方向なのだから。

 問題は、男性の方が、なかなか現実についていけなかったということです。

 社会通年的、世相的に強くなった女の子に対して、男の子たちは、今までの行動文法が適用できず、過度に女性の好み(上で書いた、怒鳴らない、大声を出さない、いやらしさを表に出さない等の滝沢的行動)に迎合した結果、「一時的に出来上がった」若年男子の行動原理が草食系男子的行動パターンではないか、そうわたしは考えています。

 そんなことメンドーだぜ、という男の子たちは、現実のウルサイ女性たちから目を背け、アニメやゲームなどの、二次元美少女と向き合っているのでしょう。

 ああ、そうだ、もうひとつ。

「良い女」についても書いておきましょう。

 学生の頃、女友だちから「良い女ってどんな人」と尋ねられて、ガキのわたしは答えることができませんでした。

 いまなら、アウトラインは答えられます。

 それは、

「(特に)仕事で男と向き合う時に、男の文法で思考し、判断し、つきあうことのできる女性」

ということです。

そして、

「仕事を離れたら、女性らしさ(女性文法、というか直感的な思考法)を取り戻す」

ことも必要なのかな。

 そのバランスと切り替えが、うまくできる女性が(男から見た)良い女なのではないか、と最近のわたしは考えています。

 もちろん、女性が考えるハンサム・ウーマンは、それとは違うでしょう。

 あくまで、男の目からみて、対等に話しやすく、つきあいやすい、という意味の「良い女」です。

 それを勘違いすると、トゥームレイダー2(映画)のララ・クロフトのように、ガニ股、大股で歩いて、机の上のアシをのせ、人を殴り蹴る、ただのガサツ女をカッコイイと思ってしまうのですね。

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ケツコ素描

iPhoneからの投稿アブリのチェックがてら、愛猫ケツコのスケッチをあげてみました(なに、写真をiphoneのアプリで加工しただけのものです)。

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2010年4月 5日 (月)

龍田川の紅葉、ならぬサクラ2

 写っていませんが、左手に桜でいっぱいの三室山があります。

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2010年4月 4日 (日)

龍田川の紅葉、ならぬサクラ1

昨日、ぶらぶらと歩いて竜田川にいきました。

からくれないに みずくくるとは

ということはありませんが、桜がキレイです。

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繁栄の終焉 「老いてゆくアジア」

 先日、二年前に、中公新書に「老いてゆくアジア」を書いていた日本総研調査部 大泉啓一郎氏の話を聞きました。

 非常に面白く、そして重要な問題提起を含んでいたので、それをまとめて、自分なりの意見も添えておくことにします。

 ちなみに、この項は「夕暮れ時は影が大きく伸びるモノ EU脅威論ってホント?」と対になっています。

 合わせてお読み下さい。

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 一般的にアジア、特に東アジアは成長力があるといわれている。

 曰く、世界経済の牽引車、成長株ナンバーワン。

 よって、経済通の間では、東アジアの成長力をどのように日本に組み込むかが肝要だといわれ続けている。

 確かに、今、アジアには勢いがある。

 だが、近い将来、アジアは、急速に老いていく可能性があるのだ。

 エネルギーにあふれる影で、密かに、そして確実に少子化は進んでいる。

 だから、20,30年後にまだアジアが成長しているとはいえないのだ。

 一般に、経済の成長にはいろんな要素がある。

 たとえば、産業革命のように、高度なイノベーション(技術革新)のおかげで生産性が飛躍的に伸びる、道路などのインフラ整備が整い流通が確立される、など。

 その中でも、かなり大きな要素は人口である。

 人口、つまり労働量と購買層数だ。

 これが多いと国が豊かになる。

 逆に、少子高齢化が起こると人口が先細る。労働力が減る、購買層が少なくなる、よって経済が衰えるのだ。

 それが、いま、日本を筆頭に、アジア全体に起こりつつある。

 簡単な指標として出生率を見てみると、日本は1.3以下だが、韓国、台湾、香港、シンガポールは、日本よりさらに低い。

 タイは1.5
 中国も1.6

 つまり男と女二人のヒトから1.6人しか子供が生まれない。
 これでは人口は減る一方だ。

 アジア地域で、そろって出生率がさがっているには共通の理由がある。

 1.子供を産む前提となる「結婚に対する価値観」が変わってきている。
   バンコク、上海、北京などでも結婚しない若者が増えている。

2.子供の養育に金がかかる。
  学費が収入に対して高額である。
  さらに、中国でもそうだが、高学歴になれば高所得になる。
  つまり、
 
  子供を産んだら学歴をつけなければならない
  →金がかかる
  →子供を産まない。

 の流れができる。

 アジアの農村でも同様のことは起こっている。
 農家の親も現金収入が欲しければ、子供を都会の事務員にするからだ。

 これまでアジアの成長を支えていたのは、人口の多さだった。

 上でも書いたように、それにともなう多くの労働力と購買者数。

 作り手が多く、買い手も多いために、経済がまわっていたのだ。

 ここで、人口の年齢分布の違いを見てみよう。

 第二次大戦後に、数多くの子供が生まれた。

 いわゆる、戦後ベビーブーマーといわれる世代である。

 個人的には、「戦争終結による開放感、安心感、および人口激変による危機感が相まって、人々が多く子供を作ったのだ」と考えているが、これで「縦軸を年齢」「横軸を人口」にした棒グラフを作ると、下が広く上が狭い「ピラミッド形」を描く。

→1.「人口爆発形」(現在のインド、アフリカ諸国)

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 この時、国レベルで見た場合、子供が多く、まだ労働人口が少なく子供が多く、国は貧乏である。

 やがて、出生ブームが去って人々が子供を作らなくなると、この広い部分がそのまま上にスライドしていき、上が狭く真ん中が広く下が狭い「菱形」になる。
→2.「人口ボーナス享受形」

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 経済的に負担のかかる子供の数が減り、労働人口が増え国は豊かになる。
 つまり、あらかじめ、貯蓄しておいた人口分布の恩恵(ボーナス)を受けて国は栄えるのだ。

 最後に、広い部分が上に行き、つまり老人が増え、子供が少なくなると、逆ピラミッド型になる。これが現在の日本の姿だ。
→3.「少子高齢化形」

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 ご存じの通り、老人が増え働き手が少なく、国は貧乏になり、先行きが不安で子供を作らず、さらに少子高齢化になる「少高スパイラル」(わたしが勝手に名付けました)となる。

 ここで、注意しなければならないのは「人口ボーナス」を享受できるのは、

1・労働人口が多く
2.彼らが働く場所が整い
3.そのための教育を受けるインフラが進んでいる

 場合であるということだ。

 アフリカのように、ただ人口が多いだけでは国が爆発的に豊かにはなれない。

 これをうまく享受できた国は、日本、韓国、台湾、シンガポールなどの国であり、中国は、長く「社会主義」を続けていたために、ギリギリボーナスを使えただけと考えられる(中国の人口ボーナスは1970年80年代と考えるため)。

 中国でも他の東アジアと同様に、第二次大戦後にベビーブームがあったのだが、社会主義だったためにベビーブーマーが農村に残ったのだ。

 そのために、中国の経済的立ち上がりは1980年代後半である。

 それゆえ、理屈からいって、中国が、人口ボーナスが終わる前に先進国になっているかどうかは分からないということになる。

「生産年齢人口のピークが老人になる」、つまりグラフの広い部分が上になる時期を人口ボーナス終了時期と考えると、

それは、

日本 1999年~1995年
韓国、台湾、香港、シンガポール 2010年~2015年
中国 2010年~2015年

となって、中国の労働人口は、2015年程度をめどに減り始めることがわかる。

 もちろん、日本は十年以上前から減っている。

 もっとも、人口ボーナス論は理論値であるので、実際には、中国の農村にある過剰労働人口(2億人!)が、まだまだこれから都会に流出するために、人口ボーナス終了時期は、もう少し伸びるだろうと考えられる。

 また、地域の格差によって、人口ボーナスが見かけ上続いているように見える都市もある。

 たとえば、上海は「一人っ子政策の効果?」で、すでに少子化となっている(0.6人)が、周辺地域からの人口流入で、今も繁栄を誇っているのだ。

 とはいえ、ヒトは歳をとると移動したくなくなる。

 冒険もしたくなくなるものなので、都市近郊の農村に住む人々も、30代を越すと今の生活を捨てて都会に出て行かなくなるのだ。

 そのため、いつまでも、地方農村部からの人口流入で、上海が繁栄を続けることはできないだろう。

 どんな国も、やがては頂点を過ぎて高齢化に向かう。

 そのスピードを計るのが、高齢化率(65歳以上の人が占める人口比率)が7%から14%になるのに、何年かかったという指標(倍加年数)だ。

(国連は、高齢化比率が7%を超えた社会を「高齢社会」と定義している)
 

 それによると、日本が7%になった(高齢社会になった)のが1970年、14%になったのが1994年、つまり24年かかっている。

他のアジア諸国と比較すると、

 日本     24年
 韓国     18年
 香港     30年
 シンガポール 16年
 中国   23~25年

 ちなみにヨーロッパの倍加年数は、

 フランス   115年
 スウェーデン 85年
 英国     47年
 ドイツ    40年

であるので、欧州に比べて、アジア、特に東アジアの高齢化が異常に速いことがわかる。

 実際に、アジアの国々では、礼儀を含めた伝統文化の破壊と少子高齢化が激しく、日本以上に危機感を持っている国が少なくないのだ。

 ノンビリとした農村、皆が顔見知りの、しっかりしたコミュニティ、親子三代の大家族など、日本の戦前ノスタルジーを、東アジアの国々に求めるのはもはや幻想といってよい状態だ。

 たとえば、タイでは「家族開発計画」なる施策が行われている。
 内容は、「おじいさん、おばあさんを大切にしよう」「近所の人に会ったら挨拶をしよう」といった、戦前の日本にあった修身(しゅうしん)に近い笑止な内容であるという。

 それほど、アジアにおける近年の「コミュニティ破壊」は深刻だ。

 アジアに、かつての日本の郷愁を求めても、無駄になってしまっている。

 最近では、先を行く日本に、その問題点と対策を相談に来るアジア諸国も多いのだ。

 以上から得られる結論(暫定的)は、EU脅威論同様、東アジア脅威論、なかんずく中国の「極限的経済発展脅威論」もマユにツバをつけながら考えていかなければならない、ということだ。

 しかし、EUと違い、東アジアの経済状況は日本に大きな影響を及ぼす。

「日本を脅かす韓国、中国、台湾の発展が衰えて良かった」などという近視眼的な安堵でこの「去って行きつつある人口ボーナス」を捉えてはならないのだ。

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 では、なぜ、東アジアがヨーロッパ各国に比べて、早く高齢化してしまったのか、次回はそれについて私見を書くことにします。

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