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2010年2月 7日 (日)

twitterの可能性(と危険性)

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 以前に書いたように、わたしは、このブログ以外にtwitterを緩く続けています。

 発言を追いかけるfollowも何人かしていますが、その中で、一番気になっているのは、笑光、もとい嘉門達夫氏です。

 彼の使い方は面白い。

 仕切りのないtwitterで掲示板の「板名」代わりとなる#(ハッシュタグ)で、テーマを分けて、自分のフォロワーからネタを投稿してもらっているのです。

 たとえば、#atakowaなら「あったら怖い」シリーズのネタとかね。

 要するに、twitterをミニ(参加規模でいうと決してミニでありませんが)放送局として、ディスクジョッキー的に利用している。

 ラジオと違うのは、常にチャンネルが開いていて、いつでも思いついた時に投稿でき、ほぼリアルタイムに、嘉門氏が「これはアリ」と思ったら、コメントをもらうことができること――

 そして、やはりラジオ番組同様、シロウトの投稿には、時にトンデモなく光るモノがあるのですね。

 世の中には才能のある人が多いものです。

 ただ、世に出る機会がなく、自信がなく、野心を持てない人が、その才能を埋もれさせているだけ。

 そういうものを、軽く世に問うのがネットの効能だ、というのが現段階のわたしのネット観です。

 しかし、中には、twitterを、打出(うちで)の小槌のように考えている人もいる。

 困ったことがあれば、すぐに質問する。

 そうすれば、自分をフォロウしてくれている数万の人から、たちまち解答を得ることができるのだ、と。

 それで、15年ほど前の立花隆氏と某大学教授のやりとりを思い出しました。

 立花氏がモノスゴク興奮して、「インターネットはスゴイ、世界中の情報をたちまち手に入れることができるのだ。これで世の中が変わる」と話し続けるのを制して、学者さんが、「そりゃ、あなたはジャーナリストで、情報の早さが命だから、そういうけれど、本当のところ、情報は正確さが命なんですよ」と反論されていたのを思い出します。

 誤解を恐れずにいえば、何かについて調査研究し、それについて深く考察するのが学問で、ジャーナリズムは沈思黙考よりリアルタイム性が大切な報道作業です。

 だから、どんどん情報を仕入れ、その海の中で、手に掴む材料から何かを組み立て、あるいはインスパイアされて、人に知らせる。

 本を一冊まるごと読まず、フォトリーディングなどによる速読で「部分読み」し、とにかく大量に情報を仕入れる、というのも、同じ目的で為されているように思います。

 こういった知識の吸収は「思考足らずの物知り王」や「知識の下痢症状人間」を作る可能性が高く、個人的にはあまり好きではありませんが、まあ、それはいい。

 いま、わたしが気にしているのは、当時の立花氏や、今のtwitter単純賛美者が、本来、人と人とのコミュニケーション手段であるネット技術=twitterを、SFにおける電脳化社会のデータベースの先取り、という感じに捉えていることです。

 確かに、彼らのように数万の信者に囲まれていれば、そんな気分にもなるでしょう。

 しかし、わたしには、彼、彼女たちが、忘れていることがあると思えてならないのです。

 この膨大なデータベースを構成するユニットが、感情を持つ個人の集まりだということを。

 このブログでは何度か書いていますが、世間は恐ろしいものです。

 様々な意味で。

 自分が「ナニモノカ」であると自負を持っていても、自分などより遙かに才能のある人に出会い、自慢の鼻をスクワッシュされることもある。

 また、一時期、世間から賞賛され、天下を取ったような気になって、ブイブイいわしながら通りを歩き、言いたいことをいったあとで、「なあ、そう思うだろ」と振り返ったら、だぁれもいなかったりね。

 人、そして人の集まりで構成されている世間は、ある日、突然、掌(てのひら)を返すことがあるのです。

 自分の知らない間に、自分の理解できない理由で。

 だからこそ、わたしは、個の集合体としてのtwitterデータベース利用を単純に賛美することは危険だと思うのです。

 もちろん、恐れてばかりでは駄目です。
 恐れを知らぬ、蛮勇で、突き進まなければならない時もある。
 特に、若者にはそれが必要でしょう。

 ですが、どうしても気にかかるのは、ネット利用に人々を先導し、煽る人たちが、twitterにひそむ、そういった危険性を、正しく伝えていないことです。

 分かっていて、マイナス面をいわないのは良くありませんが、さらに悪い、いや恐ろしいのは、そういった「自称ネット通」の人が、未だ、ネットによる手ひどい痛手を受けたことがなく、熱に浮かれて人々をネット啓蒙している場合です。

 そういった人々の後を、ハメルンの笛吹の後ろを歩く子供のように、無思考についていくと後戻りできない場所に連れて行かれる危険性がある。

 気がつくと、まわりが地雷原であったり、知らずに爆弾を踏んでしまって、孤立したりね。

 あるいは、先の立花氏に対して反論した学者のように、ネットには常にガセネタの可能性もある。

 親切ゴカシに、ウソを教えるモノもいるでしょう。

 まあ、その点においては、最近のマスコミの偏向報道からわかるように、大手マスメディア、出版社といえども、ウソは多いような気がするから、やはり、真贋は自分の知識と直感で決定するべきなのでしょうね。

 もちろん、何があっても、自分の側についてくれる人も存在します。

 そんな人間を何人持てるか、が、その人の人生の良否判断基準になるのかもしれません。

 問題は、ネットで、そういった人間関係を築けるかどうか、ということなのかもしれません。

 twitterを(緩く)「つながる力」と表現する人がいます。

 ゆるやかで、気持ちの良いつながり。

 確かに、twitterは、その構造上、「あらし」にあいにくく、それによって傷つくことは少ないように見えます。

 けれど、ある日、何かが起こり、数万人いたフォロワーが、一人もいなくなってしまったら、それは「あらされる」よりショックなことなのではないのでしょうか。

 死んだ女より、もっと哀れなのは「忘れられた女」といったのは誰でしたか、ローランサンだったかな。

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