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2010年2月 1日 (月)

さらば少年時代 蠅の王

 ちらかってきた本棚を並べ替えていると、ゴールディングの「蠅の王」が落ちてきました。

 パラパラとめくっているうちに、すっかり引き込まれて最後まで読んでしまい、俄然、映画「蠅の王」を観なおしてみたくなりました。

 「蠅の王」をレンタルして観たのは、もう随分前のことですが、当時はテレビが壊れかけていて、画面は真っ暗、何がなにやら皆目わからないまま音で判断していたような状態だったのです。

 さっそく、ビデオレンタル店に出かけて、以前から気になっていたものも含めて何枚か借りて来ました。

 週末ということもあって、勢いで全部観ました。

 タイトルは、「蠅の王」「ピノキオ」「エンマ」「アビス」「センター・オブ・ジ・アース」「To1・2」です。

 ピノキオはディズニーではなく、2002年のロベルト・ベニーニによる実写版です。
 先日、BSだったかでやっていたのを出先で観て、今回観なおすことにしました。

「エンマ」は、二年ほど前の邦画で、話題にもなっていなかったと思いますが、コピーの雰囲気がソウに似ていたので借りました。

「アビス」は「アバター」つながりですね。キャメロンの作品です。

「センター~」は、今回のラインナップが重そうな作品が多かったので、口直しにカゴにいれました。

 そして「To」……

 星野之宣氏の「2001夜物語」の2エピソードを、「アップルシード」の曽利文彦が監督したOVAです。前から観たかったので、今回借りることにしました。

「エンマ」と「センタ~」以外は後に、本ブログで書くつもりです。

 上記ふたつが、なぜ候補外なのかは聞かないでください。

 さて、「蠅の王」

 まずは、原作についてのアウトラインを。

 作者ウイリアム・ゴールディング(1911-1993)は、英国の作家です。

 彼が「蠅の王」を書いたのは1954年、43歳の時なのですが、処女作「詩集」を含めて、この作品以外は、それほど日本では知られていません。

 まあ、一発屋っぽいというか、少なくとも日本では、そんな感じです。

 タイトルの「蠅の王」とは、聖書に出てくる悪魔ベルゼベブ(あるいはベズゼブル・ベルゼバブ)のことで、これは、ヒトの心に巣くう根源的な悪、悪意、闇の部分の象徴でしょう。

 ストーリーは簡単です。

 第三次か四次の「未来時間の世界大戦中」に、敵の攻撃を受けて墜落した飛行機が、無人島近くに着水するのが発端です。

 未来といっても、別にSF設定は何もありません。いまならパラレルワールドに逃げると思うのですが、当時としては、未来という設定にすることで、現実感を希薄にしたのだと思います。

 事故により、頼りになる大人たちは死んでしまい、無人島に少年たちだけが残されてしまいまいました。

 少年によるサバイバル生活、という点で、蠅の王について語る多くの人たちは、この作品がバランタインの「珊瑚島(さんごとう)」(1858年)の、パロディとはいわないまでも、かの著名作品から多大な影響を受けていることを指摘しています。

 個人的には、ベルヌの「二年間の休暇」(邦題:十五少年漂流記)にも似ているとは思いますが、まあ、要は少年たちによる一定時期(後に救出されるのだから)のサバイバル生活を描いた作品です。

 大人のいない、ジュブナイル・集団サバイバル・ストーリーなのですね。

 その点で、スイスのロビンソン(家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ原作)や、本家ロビンソン・クルーソーとは少し違っています。

 珊瑚島が穏やかに語られるのに対して、「蠅の王」では、先行きに対する不安、食料不足への不満や、狩りの能力差による配分の不平などで、徐々にリーダーシップをとる少年ジャック(というか、ボスザルになりたいという本能に忠実なヒト)が現れ、安全に、公平に常識的にグループを導こうとしていた主人公・少年ラーフを敵視していきます。

 この点で、わたしは「蠅の王は、」珊瑚島というより、二年間の休暇に近いと思うのですね。

 あれも、それほど激しくはないものの、少年たちによる敵対行為がありました。

 始めは無垢にサバイバルしていた子供たちも、徐々に、自分の心の中にある「悪」なる部分に心を浸食されていきます。

 個人的には、「深い夜の闇」とそれによる不安感が少年たちの闇の部分を浮かび上がらせ、表に出したのではないかと考えています。

 白々とした蛍光灯あるいはLED灯といった「人工の灯りのない世界」を初めて知った少年たち。

 調理や獣よけ等、様々な用途に使えるたき火の炎は、暖かく万能ではあるけれども、灯りとしてみた場合は、あまりにも照射範囲が狭く短く、暗すぎます。

 しかも揺らぐ。

 結局、それは闇を強調する手助けにしかならないのです。

 やがて、ジャックは、得意の狩猟能力を生かして捕まえた豚を、皆に配って人望を集め、食べ残した首を「暗黒への贈物」として捧げます。

 暑い南の島のこと、豚の首はたちまち腐り大量の蠅が発生する。

 腐敗臭の中、ブンブンとうなりを上げて跳ぶ蠅。

 それこそが、ベルゼベブ。悪魔たる蠅の王なのです。

 ジャックたちは、蠅だらけの豚の頭を「蠅の王」としてあがめはじめます。

 物語の圧巻は、ベルゼベブの名のもと、ジャックたちが、ラーフたち小グループを追い詰めるラスト近くです。

 ここまで書いて、楳図かずお氏の「漂流教室」を思い出しました。
 あれは「蠅の王」にインスパイアされていたのですね。

 そして、物語は突然終焉(しゅうえん)を迎える。

 
 全てが終わって、都会へ帰って行く少年たちの胸に去来するのは、

 ブラッドベリの「何かが道をやってくる」で語られる

「ある年の万聖節前夜。ジムとウィル、13歳の二人の少年は、一夜のうちに永久に子供ではなくなった」

と同様か、あるいは「地下鉄のザジ」の最後の台詞、

母親 「楽しかった?」

ザジ 「まあね」

母親 「地下鉄は?」

ザジ 「ノン」

母親 「じゃ何を?」

ザジ 「年をとったわ」

と同じ、「もう子供でなくなってしまった自分自身」への惜別の思いだったのではないかと思えてなりません。

 その点が、「子供のまま」都会へ、もとの生活へ戻っていった感のある「二年間の休暇」の少年たちとは決定的に違っているのです。

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