« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月

2010年2月26日 (金)

因幡ならぬ板の上の皮膚兎(ヒフウサギ)

 何日か前に、高知工科大と東大の研究チームが、通常は、つながった?皮膚の上で起こるとされてきた「皮膚兎(ヒフウサギ)」現象が、手にした板の上でも生じることを発見した、との報道がありました。

 でも、これじゃ何のことがサッパリわからない。

 そもそもヒフウサギってナニ?

 あの「因幡(イナバ)の白兎」同様、ワニ(=サメ)をダマして向こう岸に行こうとして失敗し、皮をむかれた兎のこと?

 あとで大黒様に助けてもらう。

 いえいえ。

 人間の皮膚で、10センチほど離れたA点とB点を「あるタイミング」で刺激すると、ナニもないはずのその間に、まるで兎が走っていくような刺激を感じるという現象です。

 皮膚まるだしの、裸ん坊の兎のことじゃなかったんですね。

 まあ、こういった現象なら何となくわかります。

 皮膚の離れた場所に電気刺激などで刺激を与える、つまりA点を二回刺激(0.8秒間隔)した直後にB点を一回刺激すると、A→Bへ「存在しない」刺激が走る、それは脳が錯覚するからなのでしょう。

 実際、その際の脳内の神経活動は、すでに解明されているそうです。

 でも、それだけじゃあ、ここで紹介する意味がありません。

 だいたい、ヒトの体の感覚器ってのは、ひどく面白いものなんですから。

 爪楊枝で皮膚を軽くついた時、痛く感じる時と、冷たく(熱く)感じる時があるのはご存じでしょう。

 皮膚の上にバラまかれたセンサーのうち、痛点をつけば痛みを感じ、圧点を押せば、圧力を、温点をつけば暖かく、冷点をつけば冷たく感じる。

 これも考えてみれば、当たり前のようですが、不思議なことです。

 今、話題の3D映画も、ヒトの最大の感覚器、目の錯覚を利用して立体感を感じさせるものですし、マネキン頭部の耳の部分にマイクを仕込んで、立体音を録音する「バイノーラル録音技術」も聴覚の錯覚を利用していますしね。

 今回、このヒフウサギを紹介したのは、上でも書いたように「手にしたモノの上を兎が走る」からです。

 具体的にいえば、両手の人差し指を前に突き出し、その上に薄い板をのせて、上と同様の刺激を左右の人差し指に与えると、まるで「板の上を兎が走る」ように感じるというのです。

 なんだかスゴイ話ですね。

 一見、足や腕を切断した時に感じる「幻肢」に似ている気もしますが、今まであったものがなくなった後もその存在を感じているのではなく、もともとないトコロ(しかも無機物)に刺激を感じているのですから、その意味は根本的に違います。

 研究チームの教授は、
「ヒトの脳は道具を体の延長のように認識するという従来の学説の直接的な証拠となる」
といい、仕組みを解明すれば、体になじみやすい義手などの福祉装具や、ロボット遠隔操作の技術に貢献できると期待しているそうです。

 実験結果で、特に面白いのは、左右の人差し指に「板をのせず」刺激だけ与えても兎は走らないということです。

 人間の脳が、「今、ワタシの左右の人差し指は板でつながっているのだ」と認識していないと、ウサちゃんは走ってくれないのですね。

 どことなく、精神分析でいう「拡張自我」に似ているような気がします。

 よく、スポーツ選手が、バットやラケットの先まで神経が通っているような気がする、ということがありますが、それはこういった現象と関係しているのかもしれません。

 個人的には、もともとヒトは、感覚を体の外へのばすことができるイキモノだと思っているので、あまり驚きませんが。

 その事については、後に書かせていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月24日 (水)

単一でない強み トヨタリコールに思う

 先日、PS2本体が手に入ったので、前からやってみろといわれていたゲームを連続でクリアしている間に、あっという間に一週間が経ってしまいました。

 バイオハザード4が、案外面白かったのに驚いています。
 今さらながら、メタルギアソリッド3「スネークイーター」のドラマ性には脱帽しました。

 それはともかく、今回の本題にはいります。

 万古焼きの「炊飯土鍋」を買いました。

069_3

 普段は、圧力鍋に素焼きの内釜をいれて50分加熱した、0分づき玄米を食べているのですが、忙しかったりすると手抜きで白米を食べることがあります。

 数年前に、大枚はたいて買ったガスレンジは、左がエコバーナーで、右がセンサー付き自動炊飯可能なものだったのですが、普段使っているル・クルーゼで、ご飯を炊くと、側についていないと激しく吹きこぼれてしまうのです。

 専用のステンレス製のものが売られているのですが、やたらと値段が高い。

 玄米食にする前は、アウトドア用のコンロ数台を使い回して白飯を炊いていたので、側について、火加減をみたり、蓋を開けたりすること自体は、どうということはないのですが、せっかくの自動ガス炊飯機能がもったいない気がします。

 そこで、安い土鍋製の炊飯釜を買おうと思ったのですが、安いものは、ほとんどが中国製です。

 偏見はないつもりですが、中国製のものには、多少の不安があるので(特に食器関係は)手を出せずにいたのですが、先日、近くのスーパーの閉店セールに出かけた際に、四日市万古焼きの炊飯釜(100%日本製)を見つけけたので買ったのです。

 これで、月に数回の贅沢である白飯日に銀シャリを炊いたところ、もう完璧。

 すばらしくタッテましたよ、米が。

 というわけで、これからが第二の本題です。

 前から、何度か書いていますが、うちには電子レンジがありません。電磁波を出すのは、家で10台近く稼働しているコンピュータだけで十分だと思うからです。

 IH調理器は10年ほど前に興味があって買いましたが、2回ほど使っただけでした。
 一応捨てずに、持っているのは、ライフラインの一つが切れた時の、フェイルセーフ用です。

 オール電化というのは、どうも気に入らない。
「電気が切れたらお手上げ」というのには抵抗があります。

 で、数えてみると、結果として我が家には、

 ガソリンコンロ
 アルコールバーナー
 ケロシン(灯油)コンロ
 カセットガスコンロ
 ガスコンロ、
 IH加熱器
 ついでに書いておくと、小さい薪ストーブとサイフォン・コーヒー用のアルコールランプ、備長炭用折りたたみ台

の、9種類の熱源があることになります。

 たったひとつのエネルギーに頼っていない、という点で安心感がある。

 「ウチは電気!、これだけ」というのは、響きは良いのですが危険です(むかし「これだけ手帳」なんてのもありました)。

 生き物も同様。

 ある生き物が「種として長生き」していくために必要なものは「多様性」です。

 多くの生き物が性別を持ち、遺伝子を混ぜ合わせつつ、子孫を残す。

 あるいは、一個の生命が延々と生き続けるのではなく、限られた寿命を生きつつ、数年~数十年スパンで個体が死ぬことで知識をリセットし、子孫に「遺伝情報のみ」を託すのも、多様性を維持するために行っていることです(文字が発明されてからは、知識も残されるようになりましたが……)。

 なぜ、それほどまでに、つまり、ある程度智恵のある、どんな生き物でも持つであろう、「生きている限りはずっと生き続けたい」という欲望を断ち切ってまで、多様性を持ちたがるのか?

 それは、1個の生命としてではなく、「種として」より長く生き残りたいからです。

 もし、たった一つの遺伝子「生命の設計図」で、全ての犬が作られていたなら、たった一回のウイルス感染で、その種が全滅することがある。

 何の話をしていると思いますか?

 じつは、近頃問題になっている、トヨタ自動車のリコール問題の話なんです。

 CNNなどを見ていると、今、アメリカを席捲しているのは、アフガン問題でも国民皆保険問題でも、ましてや日本の基地問題ではなく、トヨタのリコール問題です。

 GMやフォードといった(アメリカの)国産会社を後押ししたいという、地元選出議員の思惑もあるでしょうが、マスコミを含めたトヨタバッシングはすさまじいものがあります。実際、トヨタの対応もあまり良くなかった。

 しかし、いま、わたしが問題にしたいのは、トヨタが、外観と値段はそれぞれに違っても、コストダウンを求めるあまり、ほとんどの車に共通部品を使っていたということです。

 そんな事をすれば、ひとつの部品に欠陥が生じれば、ほとんどの車にリコールが発生してしまうということぐらい、見当がつくだろうに。

 それは心配ない。間違いのない「精度の高い製品をつくれば良いのだ」という理想論は、外国工場による外国部品の多用では、望むべくもないことです(たとえ、それが貿易摩擦を減らすためだったとしても)。

「多様性を犠牲にしてコスト削減をはかる」、大トヨタのオエライ人々をして、そういった間違いをおかさせたのは、市場競争の急激な国際化に慌てすぎ、低価格競争に走りすぎたからでしょう。

 そして、大切な信用を失った。

 信用は金では買えないのに。

 まあ、考えてみれば、トヨタという会社自体、そういった間違いを、するべくして発展してきた会社のような気がします。

 個人的にトヨタは好きではないので、トヨタ車を一度も所有したことはありませんが、だいたい在庫を持ないという、倉庫業を圧迫し下請けを泣かせる「トヨタシステム」を考え出した時点で、行き着く先は見えていました。

 あげく、部品の多様性を犠牲にして、低コスト化に走り、結果、大リコールというのはいただけませんね。

 ボンボン社長っぽい、豊田氏の対応の遅さもイタかった。

 持ち主も、自分の高級車と大衆車が「同じ部品」を使っていたなんて知らなかったのでしょうね。

 ともかく、人件費の安いアジア諸国の製品と価格競争するより、より良い製品をつくることで、一刻も早く信用の回復をはかることが、トヨタに課せられた急務でしょう。

 まずは、直近の、トヨタ社長の公聴会発言が、その第一歩となるのでしょうが、大丈夫かなぁ。カレ、失言はしないだろうなぁ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年2月17日 (水)

教科書でならった「信貴山縁起絵巻」って、どんなモノ?2

さて、信貴山縁起(しぎさんえんぎ)絵巻ですが、これは、いわゆる国宝ですね。

 平安時代末期に書かれた絵巻物の代表傑作だといわれています。

 タイトルからすると「どうやってこの寺ができたか」の記録のようですが、実際は聖徳太子は登場せず、信貴山中興の祖とされる僧、命蓮(みょうれん)の説話を、コマ割りのないマンガのように時系列にならべた絵巻物です。

 作者は不詳。

 この絵巻物を鳥獣戯画図同様「日本漫画の祖」と考える人もいるようです。

 巻物は三巻あり、

1.山崎長者の巻(飛倉の巻)

2.延喜加持の巻:

3.尼公(あまぎみ)の巻

 いずれも、命蓮を中心に話が進んでいきます。

 今年は12年に一度の寅年のため、冬、春、秋に、一巻ずつ実物を公開するということです。(毎回三巻とも公開されるが、うち、ひとつが実物で他は複製)

 今回は「山崎長者の巻」でした。

 副題に「飛倉」とあるように、倉が飛ぶはなしです。

067

倉の下に小さな鉢が見えますね。

 梗概(こうがい)を記すと、

 京都の大山崎に、命蓮の教えを守って、長者となった男がいた。

 命蓮は、長者のもとへ神通力を使って托鉢用の鉢を飛ばし、そこに米俵を載せさせると信貴山に飛び戻らせていた。

 やがて長者は慢心し、信心を怠って、だらしない生活を送るようになり、ある日、飛んできた鉢を、そのまま倉になおしたまま忘れてしまう。

 すると、鉢は倉ごと空を飛び信貴山に帰ってしまった(飛倉の所以)。

 あわてて馬に乗り、それを追いかける長者一行。

 やがて、信貴山の命蓮の庵室にたどりついた長者は、おそるおそる命蓮に頼む。

「倉を返してくれませんか?中には米俵が百俵も積んであるのです」

 命蓮も、長者を諫(いさ)めるのはこれくらいでよかろうと、米を返すことにした。

「ただし、倉は置いておくように」

 あれほど大量の米俵を、奈良から大山崎まで、どうやって運べば良いのか?

 途方にくれる長者に命蓮が告げる。

「鉢に米俵を一つ載せなさい」

 いわれた通りにすると、飛び去る鉢に続いて、次から次へと米俵が倉から飛び出て、空を飛んで行った。

 長者は喜んで、

「こんなことなら、少しは信貴山に残しておけば良かった」

と、悔いたのだった。

 屋敷に帰ると、百俵の米俵は、倉の跡にきれいに積み上げられていました。

 めでたし、めでたし
 

と、ストーリー的には、かなり破綻した感じです。

 つまり、命蓮は倉が欲しかっただけ?何かに使うために?

 あるいは、慢心長者を懲らしめるために倉を取り上げて、米だけは全部返した?

 ひょっとして、倉を飛ばすのに、どえらい神通力を使ったから、もう俵の分しか余力が残ってなかった?

 まあ、神話同様、こういった昔話は整合がとれていない話が多いので、それはよいのですが……

 しかし、教科書で有名な「信貴山縁起絵巻」って、こんな話だったんですね。

 他愛ないといえば、他愛ない話です。

 個人的には、仙術の修行中に、裾をからげて洗濯する女性の足に目がくらんで、雲から落ちた久米の仙人の方が人間味があって好きです。

 もちろん、絵は、登場人物のすべてが表情豊かで生き生きと描かれています。
 さすがに遠近法は使われていませんが。

 ざっと、他の二作の話を、簡単に紹介しておくと、

2.延喜加持(えんぎかじ)の巻:
 病気の醍醐天皇に依頼され、命蓮が加持祈祷をすると、しばらくして「剣の護法(ごほう)」(童子)が転輪聖王の金輪を転がしつつ空から現れ、天皇の枕元に立つと病がすっかり良くなったという話。

3.尼公(あまぎみ)の巻
 命蓮の生国(しょうごく)である信濃の国から、姉(尼公と呼ばれる)が奈良にやって来る。
 彼女は、どこにいるかわからない弟の消息を知るために、奈良の大仏にお祈りをして居場所を知り信貴山にたどり着く。

 尼公は、その後修行を積み、徳の高い尼僧として一生を終えるという話。

 ここで描かれる大仏は、火事で焼け落ちる前の大仏で資料価値が高く、さらに「異時同図法」を用いた圧巻として知られるているそうです。

 巻物の終わりに、1で出てきた倉の朽ち果てた姿が描かれていますが、これは命蓮の死を暗示しているといわれるようです……

 今、信貴山で、マスコット「しぎとらくん」のマークの入った封筒便せんを買って、大寅(以前、写真で紹介)に腹部から投函しておくと、12年後に開封するという「簡易タイムカプセル」化が行われています↓。

068

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月16日 (火)

教科書でならった「信貴山縁起絵巻」って、どんなモノ?

 昨日、昼間に空き時間があったので、信貴山朝護孫子寺の「信貴山縁起絵巻」公開に出かけてきました。

 前にも紹介した、大和国信貴山は、毘沙門天が最初に出現した霊地で、毘沙門天王の総本山です。

 いくつか写真も紹介します。(スナップ用デジタルカメラでは限界がありますが)

 寅年、しかも「縁起絵巻」公開も、あと二日ということで、混雑を予想していましたが、雨のためか、観光バスは何台か来ていたものの、寺内は空いていました。

060

 入り口近くで、(おそらく)日本一の張り子の虎「大虎」が出迎えてくれます。

 機嫌の良いとき?は首を振っていますが、この日は静止していました。

061

 横には、子虎が二匹。まん丸な口が、なぜか気になります。

062

 こんなふうに、人は少ないのですね。

064_2

 山岳寺は、お参りは大変ですが、起伏があって楽しいですね。

 山小屋みたいというか、秘密基地みたいというか……

063_3

065

 そうそう、聖徳太子↓が、物部氏との戦いに必勝を祈願した際、毘沙門天が「寅の年」「寅の月」「寅の日」「寅の刻」に現れ、そのご加護で敵を倒すことができたため、信ずべき貴ぶべき山として「信貴山」と名づけて朝護孫子寺を建立したのですが、

066_3

 旧日本軍は、さらにそれにあやかって、真珠湾攻撃時の暗号を「トラトラトラ(意味はワレ奇襲ニ成功セリ)」にしたのでしたね。

 縁起絵巻については、次回書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月13日 (土)

男なら惚れろ! こいつがアバターの主役だ

 ある雑誌で、これを見かけた時、衝撃を受けました。

 ああ、その前に、世の中には数多(あまた)のシナモノがあります。

 そして、それは、自分の中の基準によって、4つにわけられる。

 1.金があったら欲しいモノ
 2.金がなくても欲しいモノ
 3.金があってもイライナイモノ
 4.金にかかわらず、すぐに飛んでいって破壊しまくりたくなるモノ

 4が何なのはシークレット事項として(いや、正直に証言すると、わたしにとってそのうちのひとつは女性のキュロットスカートです)、これはあまり多くない。

 でも、3は多いですね。
 ンナものいらねぇよ、なんて妙にヤング言葉になってしまうものが、例は挙げませんが、なかなか多い。

 いや、ほとんど、そういうのばっかりかも。

 でも、本当に心を奪って人を苦しめるのは2でしょうか。

 欲しくても手に入らない。高値の花。

 ツァイスやライカの玉(レンズ)とかね、欲しいモノはたくさんある。おまけに、だいたい、そんなものは高いんですよ。一本40万とかしたら手が出ない。

 しかし、しかし、さらに、しかぁし、真の意味で、人の心をかき乱すのは、1の「金があったら欲しいモノ」ではないでしょうか。

 その最たるものを、先の雑誌で見つけました。

 生きていくためには、なんの必要もない。ティファールの蒸し器やタジン鍋とは違う(って、それも必要ない?)。

 しかし、これはもう魂わしづかみ。家に帰ってこれが部屋にあったら、どれだけ幸せになるのだろう、と思うのが、コレです。↓

055

 どうです!

 あの、アバターに登場した「AMPスーツ マケット」です。

 ぜひ、これは、画像をクリックして巨大化して見てください。

 制作サイドショー2010年6月発売予定、予価18万円、実勢価格13万5千円!
 販売 豆魚雷
 http://www.mamegyorai.co.jp/net/main/item_detail/item_detail.aspx?item=182531

『スタン・ウィンストンの遺志を継ぐ”レガシー・スタジオ”が製作した4.2メートルの実物を3Dスキャンにより縮小しているため、劇中に登場するものを完璧に再現しています』

というコピーもいい。

 全長76センチというデカさ。

 実際に映画で使われたものを3Dスキャンして、ホンモノ(っていう意味が難しいが)と同じというのもすごい。。

 そして……ほら、めざとい貴方なら気がつかれたでしょう。

 彼に!

056

 いみじくも雑誌の記事では「男なら大佐に惚れろ!」とかかれていましたが、まさしく言い得て妙。

 スーツと同縮尺の大佐が、ほんとカッコイイ。

 だってさ、その映画が面白いかどうか、ストーリーが立っているかどうかってのは、いい悪役がいるかどうかがキモなんだから。

 少々、話が破綻していても、それさえ抑えていればドラマツルギーの王道を行くことになる。

 ご存じのように、アバターの大佐は悪かった。

 シツコかった。太かった(いろんな意味で)。

 その大佐が、認識票のチェーンも鮮やかに実体化。
 
 しかも、ランニングの胸の谷間の汗を見なさい。

 

 いや、ジッサイ、こういう戦争馬鹿っているんだよねぇ。

 ホント、遅れて最近になって、MSX版、PS版、PS2版と「メタルギアシリーズ」を連続制覇したわたしには良くわかります。

 若くして戦場に送り込まれ、戦場で鍛えられ、戦場で育って、家族も持たずに来た兵士(戦士ではなくて。戦士はナヴィたち)の慣れの果て。

 戦争の為の戦争を欲する狂人。

 もう少し写真を紹介。

057

 コクピットの作り込みは『立体資料並』ということです。

058

植物と泥の惑星パンドラで稼働するマケットの再現だけに、足元のヨゴシは完璧↓。

059

 いやあ、久しぶりに、「金があったら欲しいモノ」の神髄を見させていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年2月11日 (木)

女性は読まないでね 依存症のはなし

 この話は、あまり書きたくはないのですが、ちょっと気になったので、小さい文字で書いておきます(ウソ)。

 いわゆる依存症のことです。

 アディクション。

 いろいろありますね。

 薬物依存症、アルコール依存症、読書中毒等々。

 しかし、特に最近、話題になっているのは、セックス依存症です。

 かつては、あのクリントン元大統領がそうであり、今も、XFileのモルダー捜査官役のD・ドゥカヴニーが入院加療中ですが、なにより、この病気を一躍有名にしたのは、かの紳士タイガー・ウッズですね。

 先日、何気なくCNNニュースをみていたら、この特集をやっていました。

 もちろん、決して興味本位のイヤラシイ切り口ではなく、そういう病気になってしまった人々の悲劇と苦悩、治療への取り組みを、分かりやすく報道していました。

 驚いたのは、アメリカでも、そういった病気の存在に懐疑的な人々いるということですね。

 もともと、そんな病気は存在しない。

 その人間の意思が弱いだけなのだ、と。

 もちろん、そんなことはありません。

 なぜなら、生殖は、本能のかなり根っこに位置する行為だからです。

 その行為の大部分を、特定の器官ではなく、脳幹ちかくに依存する。

 当然、個体差もあるし、その機能が、なんらかのホルモン・バランスの異常でおかしくなることもある。

 だいたい、何が正常かという判断も難しい。

 一般に我々が正常だと見なしているほとんどのことは、思いこみと風習、社会通念上の便宜に寄るところが大きいのですから。

 おそらく、そういった「精神論」でモノゴトを語ろうとする人々は、鬱病患者も認めようとはしないのでしょうね。

 オソロシイことです。

 いやいや、ここで、書きたいのは、実は、そんなまじめな話ではありません。

 その特集の中で、専門医が苦笑混じりに話していたことを、ぜひお伝えしたかったのです。

 専門医としての立場から、彼は、日々、様々な患者を診察します。

 そして、数十種類の特殊なテストを使って、本当に依存症なのかどうかを診断する。

 すると、どうなのか?

 彼はいいます。

『ほとんどの男性は、依存症ではありません。ちょっとHなだけの、普通の男性なのです』

 面白いのは、次の言葉です。

『そう告げると、ほとんどの男性は、ガッカリして帰っていくのです』

 どうです!

 余人は知らず、わたしは、こういうトコロに人生の深みを感じてしまうのですね。

 不幸にも、いや幸いにして、わたしは男なので彼らの気持ちがよく分かる。

 本当の自分は、こんなにイヤラシクはないのだ。

 どんなにスッキリときれいなミニスカートの足でも見たくなんかないし、女性の胸などに視線を動かしたくない。

 大衆雑誌のグラビアなんて、おぞましく汚らわしいし、芸能人水泳大会なんて、その存在すら知りたくないのだ(残念ながら、噂に聞くだけで、わたしはその番組を見たことがないのですが)。

 ああ、なのに、なぜか、そんなものが気になる。これはきっとわたしに悪魔が取り憑いているにちがいない。

 いや、そうじゃなくても、わたしはきっと病気なのだ。

 さあ、はやく診断してくれ。そして、病気だといってくれ。

 治療をしてくれ!

 などと、思いつめて病院にやってきたものの、

『あなたは、ちょっとHなだけの普通の男性ですよ』

 などといわれたら、二重の意味でガッカリしてしまいますね。

「ええッ、俺のレベルで普通!」

というのと、

「治療で治すことはできないのか。ということは、自分の理想とする清廉な男には、死ぬまでなれないッ(荒木飛呂彦風)」

ですね。

 いや、ジッサイ、世の女性がたは、お分かりにならないでしょうが、日々、男ドモは、そういった内なる闘争に身を焦がしているものですよ。

 そうでなければ、どうして身分も地位もある立派な紳士、大学教授、警察官、裁判官、政治家が、靴の上に鏡をつけてスカートの中をのぞいたり、街宣車で女性の体に触ったりするというのでしょう。

 まったくしようがネェイキモノですよ、男は。

 男に生まれたる、喜びと不安、共に我にあり~

ですかぁ……トホホ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 9日 (火)

re_born(ラジオドラマ原作:PDF)

 「胎内巡り」ってご存じでしょうか?

 一般的には「戒壇(かいだん)巡り」と呼ばれることも多いようですが、結構、多くのお寺でおこなわれていますね。

 有名なのは、長野の善光寺ですが、奈良県にもあります。

 「信貴山縁起絵巻」の信貴山朝護孫子寺ですね。

 お寺自体は有名なのですが、胎内巡りがあることは、案外、知られていません。

 これも、劇の原作です。

 虎に絡めた話で、小説の体裁で書きました。

 小編成の寸劇、あるいはラジオドラマでも15分程度の短いものです。

     re_born PDF(198k)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女か虎か2010(ラジオドラマ原作:PDF)

 寅年生まれの女優さんの、「今年は年女だし、それにちなんだ話を」という希望で、以前、本ブログでも紹介した「女か虎か」を使ったハナシを書いてみました。

 書いてから気がつきましたが、どことなく、キャット・ピープルのニオイがしますね。

 個人的には「山月記」のイメージだったのですが。

 脚本形式で書こうかと思いましたが、それは劇団に任せることにして、今回は、小説の体裁で書きました。

 小編成の寸劇、あるいはラジオドラマでも15分程度の短いものです。

     女か虎か2010 PDF(210k)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 7日 (日)

twitterの可能性(と危険性)

054

 以前に書いたように、わたしは、このブログ以外にtwitterを緩く続けています。

 発言を追いかけるfollowも何人かしていますが、その中で、一番気になっているのは、笑光、もとい嘉門達夫氏です。

 彼の使い方は面白い。

 仕切りのないtwitterで掲示板の「板名」代わりとなる#(ハッシュタグ)で、テーマを分けて、自分のフォロワーからネタを投稿してもらっているのです。

 たとえば、#atakowaなら「あったら怖い」シリーズのネタとかね。

 要するに、twitterをミニ(参加規模でいうと決してミニでありませんが)放送局として、ディスクジョッキー的に利用している。

 ラジオと違うのは、常にチャンネルが開いていて、いつでも思いついた時に投稿でき、ほぼリアルタイムに、嘉門氏が「これはアリ」と思ったら、コメントをもらうことができること――

 そして、やはりラジオ番組同様、シロウトの投稿には、時にトンデモなく光るモノがあるのですね。

 世の中には才能のある人が多いものです。

 ただ、世に出る機会がなく、自信がなく、野心を持てない人が、その才能を埋もれさせているだけ。

 そういうものを、軽く世に問うのがネットの効能だ、というのが現段階のわたしのネット観です。

 しかし、中には、twitterを、打出(うちで)の小槌のように考えている人もいる。

 困ったことがあれば、すぐに質問する。

 そうすれば、自分をフォロウしてくれている数万の人から、たちまち解答を得ることができるのだ、と。

 それで、15年ほど前の立花隆氏と某大学教授のやりとりを思い出しました。

 立花氏がモノスゴク興奮して、「インターネットはスゴイ、世界中の情報をたちまち手に入れることができるのだ。これで世の中が変わる」と話し続けるのを制して、学者さんが、「そりゃ、あなたはジャーナリストで、情報の早さが命だから、そういうけれど、本当のところ、情報は正確さが命なんですよ」と反論されていたのを思い出します。

 誤解を恐れずにいえば、何かについて調査研究し、それについて深く考察するのが学問で、ジャーナリズムは沈思黙考よりリアルタイム性が大切な報道作業です。

 だから、どんどん情報を仕入れ、その海の中で、手に掴む材料から何かを組み立て、あるいはインスパイアされて、人に知らせる。

 本を一冊まるごと読まず、フォトリーディングなどによる速読で「部分読み」し、とにかく大量に情報を仕入れる、というのも、同じ目的で為されているように思います。

 こういった知識の吸収は「思考足らずの物知り王」や「知識の下痢症状人間」を作る可能性が高く、個人的にはあまり好きではありませんが、まあ、それはいい。

 いま、わたしが気にしているのは、当時の立花氏や、今のtwitter単純賛美者が、本来、人と人とのコミュニケーション手段であるネット技術=twitterを、SFにおける電脳化社会のデータベースの先取り、という感じに捉えていることです。

 確かに、彼らのように数万の信者に囲まれていれば、そんな気分にもなるでしょう。

 しかし、わたしには、彼、彼女たちが、忘れていることがあると思えてならないのです。

 この膨大なデータベースを構成するユニットが、感情を持つ個人の集まりだということを。

 このブログでは何度か書いていますが、世間は恐ろしいものです。

 様々な意味で。

 自分が「ナニモノカ」であると自負を持っていても、自分などより遙かに才能のある人に出会い、自慢の鼻をスクワッシュされることもある。

 また、一時期、世間から賞賛され、天下を取ったような気になって、ブイブイいわしながら通りを歩き、言いたいことをいったあとで、「なあ、そう思うだろ」と振り返ったら、だぁれもいなかったりね。

 人、そして人の集まりで構成されている世間は、ある日、突然、掌(てのひら)を返すことがあるのです。

 自分の知らない間に、自分の理解できない理由で。

 だからこそ、わたしは、個の集合体としてのtwitterデータベース利用を単純に賛美することは危険だと思うのです。

 もちろん、恐れてばかりでは駄目です。
 恐れを知らぬ、蛮勇で、突き進まなければならない時もある。
 特に、若者にはそれが必要でしょう。

 ですが、どうしても気にかかるのは、ネット利用に人々を先導し、煽る人たちが、twitterにひそむ、そういった危険性を、正しく伝えていないことです。

 分かっていて、マイナス面をいわないのは良くありませんが、さらに悪い、いや恐ろしいのは、そういった「自称ネット通」の人が、未だ、ネットによる手ひどい痛手を受けたことがなく、熱に浮かれて人々をネット啓蒙している場合です。

 そういった人々の後を、ハメルンの笛吹の後ろを歩く子供のように、無思考についていくと後戻りできない場所に連れて行かれる危険性がある。

 気がつくと、まわりが地雷原であったり、知らずに爆弾を踏んでしまって、孤立したりね。

 あるいは、先の立花氏に対して反論した学者のように、ネットには常にガセネタの可能性もある。

 親切ゴカシに、ウソを教えるモノもいるでしょう。

 まあ、その点においては、最近のマスコミの偏向報道からわかるように、大手マスメディア、出版社といえども、ウソは多いような気がするから、やはり、真贋は自分の知識と直感で決定するべきなのでしょうね。

 もちろん、何があっても、自分の側についてくれる人も存在します。

 そんな人間を何人持てるか、が、その人の人生の良否判断基準になるのかもしれません。

 問題は、ネットで、そういった人間関係を築けるかどうか、ということなのかもしれません。

 twitterを(緩く)「つながる力」と表現する人がいます。

 ゆるやかで、気持ちの良いつながり。

 確かに、twitterは、その構造上、「あらし」にあいにくく、それによって傷つくことは少ないように見えます。

 けれど、ある日、何かが起こり、数万人いたフォロワーが、一人もいなくなってしまったら、それは「あらされる」よりショックなことなのではないのでしょうか。

 死んだ女より、もっと哀れなのは「忘れられた女」といったのは誰でしたか、ローランサンだったかな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年2月 6日 (土)

女か虎か2010

 知り合いの劇団に頼まれて、ショートストーリーを二篇書きました。

 主演の女性が年女で、虎にちなんだ話を、という要望だったので、まず、先日このブログでも書いた「女か虎か」を絡めて短い話にしました。

 タイトルは「女か虎か2010」

 もう一篇は、虎の寺、信貴山を舞台にした話です。

 もう少し手を入れたら、自作小説に上げる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 4日 (木)

サカモトに聞け! 10年前の龍馬伝 「サカモト」

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」が話題になっているようです。

 大河では、北大路錦也主演での「竜馬がゆく」以来42年ぶりの「リョウマ」の話です。
 わたしの母校は、なぜか図書冊数の極端に少ない学校だったのですが、「竜馬がゆく」の司馬遼太郎の出身校だったため、彼の作品だけは豊富にあり、「竜馬がゆく」も、文庫でない四分冊のハードカバーで図書室で読みました。

 その時の感想は、スゴイヒトだったんだなぁ、という感じですね。

 しかし、心酔するところまでいかなかった。

 司馬氏の作品で、わたしが一番好きなのは、「風神の門」の霧隠才蔵なのです。

 氏が、当時の日本の高度経済成長の中、自らの能力を使って広々と世を渡っていくサラリーマン(技術者としての)の理想を、戦乱の世の天才忍者に託して描いた佳作です。

 あ、たった今気づきましたが、司馬氏のリョウマはメスの竜だったんですね。

 以前、このブログでも書きましたが、「龍」は指が五本の雄♂のリュウを表し、中国皇帝のみが使えるモノです。それ以外の者は雌♀の「竜」を使わなければなりませんでした。下手に使うと死刑になる……

 もちろん、坂本龍馬は嫌いではありません。

 学生時代には、通学電車を途中下車して、伏見の寺田屋にもいきましたし、仕事で高知に行った時は、まだ健在だった闘犬ミュージアムに寄った帰りに、龍馬像を見て、龍馬記念館にも行きました。

 文庫八巻(だったね)とハードカバー四巻も持っています。

 ほとんど読み返していませんが……

 突然ですが、基本的にわたしは四コマ漫画が好きです。

 恥ずかしながら、自分でもいくつかタブレットで書いて、音楽工房のサイトに掲載したこともある。

 おそらく、あの「ジョハキュウ」ならぬ「起承転結」のストーリーテリングが好きなのでしょう。

 だから、四コマ漫画作家にも、かなり批判的な目を向けてしまいます。

 数ある四コマ(あるいは二列8コマ)マンガの作者で一番好きなのが、山科けいすけ氏です。

053

 彼の「キントトハウス」は、わたしのマンガ・バイブルでもあります。
 わたし以外でも、この作品の影響を受けた現役作家もかなりいるのではないかな。

 今、一部で評判の「秘密結社鷹の爪」や「天体戦士サンレッド」なども、キントトの「世界服を企むお人好しの総統」の影響を受けているハズ。

 いや、今回はキントトハウスの話ではありません。

049_4

 その山科氏が10年ほど前に描いたのが「サカモト」↑です(現在絶版中)。

 復刊ドットコムでも、かなり多くの復刊希望がよせられているようす。

 内容は、いわずと知れたサカモト、こと坂本龍馬が、幕末の英雄たちとおりなすコントギャグなのですが……

 これが、幕末ファンにとっては、ちょっとつらい。

・アバタ面で肥満、殺人狂の沖田。

・その沖田のもち肌の体を狙っている土方。

・その土方に抱かれたがっている毛むくじゃらの近藤。

・薩摩の世界的な大きさと自分のキン*マの大きさしか気にしない、ゴワゴワばっかり行っているセゴドン(西郷隆盛)。

・目鼻立ちはキリッとしているものの、丸顔で、妙な変装ばかりしている桂小五郎。

・異人から手に入れた空想本の話(ガリバーだのムー大陸だの)を真実だと思いこんで、サカモトや西郷にファンタジーを教える勝海舟など。

具体的にはこんなカンジです↓(当たり障りのないところを)。

051_4

 実をいうと、こういうのは好きです。

 あまり、みんながもてはやすと、他意はないのですが、からかってみたくなるのですね。

 そんなにスゴイヒトだったの?って。

 1000年、2000年前の人物ならわからない。
 だって、残っている資料が少なすぎる。

 おまけに、そのほとんどが「勝者から見たこっちがヒーロー歴史」だし、そうでなければ「敗者から見た呪詛にまみれた歴史」のどちらかだから。

 
 でも、明治維新なら、少しは資料がある。

 当時のひとの多くは字が書けたし、教育もされていた。

 だから、記録は、かなり残っているはずです。

 もちろん、勝者による都合のよい歴史の改竄(かいざん)は行われているでしょう。

 しかし、ある人物を評価するのは、公の記録だけではない。

 ここでもう一つ余談を。

 わたしは個人的に、俵 万智(たわら まち)という歌人が好きです。少なくとも上手い歌詠みだと思う。

 一応、自分でも少しは歌を詠みますし作詞もするので、彼女のコトバのセンスというのがデビュー当時から気になっているのです。

 しかしながら、個人的には驚きなのですが、どうも、アノ世界では、もうひとつ彼女の評価は高くない気がします。

 キワモノ的に扱われているというか……正統でないというか。

 しかし、そんなことは関係ない。

 なぜなら、わたしには、強大かつ不動の指針があるから。
 (ここからは少し極言モードに入ります)

 それは筒井康隆氏です。

 まあ、本当のトコロ、筒井氏の作品の「全作品が最高!」かというと、そうではありません。

 若い頃の短編は面白いし好きですが、あまりにスラップスティック(ドタバタ)な作品(五郎八航空とか)は、読んでいて目が痛くなって、疲れてしまうからです。

 しかし、氏の天才性については疑うところがない。

 かつて、氏を評して、井上ひさし氏が、

「筒井氏は、文壇というトラックを、他の作家と一緒になってクルクルと走っています。時にケンケンをしたり、後ろ向きに走ったり、アカンベェをしたり、必死の形相で走っている他の作家と違って、余裕を持って走っているように見えます、が」

 そう、「が」、なんです。井上氏は続けます。

「実は、筒井氏は、そのトラックを、すでに何周も先に周回して、その上で、凡百の作家に混じって、彼らをからかいながら、変わった走りを見せているだけなのです」

 けだし名言です。筒井氏の天才性を言い得ている。

 その筒井氏が、ほんの数作だけ、はっきりと他作家のパロディと分かる作品を書いています。

「バブリング創世記」
「日本以外全部沈没」
「カラダ記念日」

 「バブリング創世記」は、いわずもがな、聖書のパロディです。

052

 ジャズ・スキャットで使われる、「シュビドゥバ」などを使った創世記。

「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドンドコドンとドンタカタを生む……」

 聖書の作者(複数でしょうが)が、天才であることは言を俟(ま)ちません。

「日本以外~」は、この間映画化されました。作者、小松左京氏の才能も語る必要はないでしょう。

 そして、「カラダ記念日」

 サラダ記念日のパロディであることはいうまでもありませんが、その内容がスゴイ。俵氏のすべての歌をパロディにしながら、読み続けると、詠み手がやくざの親分であることが、じんわり浮かび上がってくるという仕掛けが施されているのですから。

 いや、何がいいたいかというと、凡庸な同人や歌グループたちが、いかに事実を隠そうとしても、天才は天才を知り、そのことを世に知らしめようとする、ということなんです。

 筒井氏がパロディを書いたという時点で、その作者の才能は信じられる。

 同様のことが、明治という近代でも起こったはずではないでしょうか。

 幕末には綺羅星(キラボシ)の如く傑物(ケツブツ)が登場しました。

 死んだ者も多いが、生き残った者もまた多い。

 彼らが、本当にサカモトという人物を認めていたなら、時の政府が、いかに薩長同盟が一介の浪人によって為されたということを隠蔽しようとしても、世の中に広まっていくはずでしょう。

 しかし、実際には、サカモトの名は、一時、あまり世の表に出なくなります。

 早くに(池田屋で)死んだ吉田稔麿や北添佶摩、宮部鼎蔵の名が残り続けていたのに。
 まあ、はっきりと攘夷志士として死んだ勝者の側の人間と、土佐藩という微妙な立ち位置のサカモトを同列に扱うことはできないでしょうが。

 ともあれ、時間の流れで、サカモトは見直され、評価され、歴史上の傑物となりました。

 おそらく、偉人の一人であったことは間違いないのでしょう。

050_4

 山科氏の「サカモト」は、あの「燃えていたアツイ時代」への愛情の発露であると思いますので、わたしは、今こそ、全二巻が復刊されて、日の目をみることを渇望しているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 3日 (水)

キロキロとヘクトデカけたメートルがデシに追われて デシベル!

 このあいだ、友人と話をしていて、

「牛乳の500mlって使い道ないね。中途半端な量で」
「いや、ネコのいないひとり暮らしでは、500ccは結構良いサイズ」
「うーん。5デシリットルは微妙だな」
「え、いまなんていった?」
「微妙だな」
「じゃなくて、その前」
「うーん」
「それじゃなくて!デシリットルって普通だれも使わないでしょう」
「ああ、そういや使わないなぁ。デシは」
「メートル法で決められた、正式な単位なのにな」
「フランス語がいけなかった」
「んなこといったらメートルもそうでしょう」

 と、ひとしきり、あまり使わねぇ単語話をしたあとで、

「あ、でも、まだデシ使ってる分野がある!」
「えー、そぉかぁ?ドコ?」

「オーディオ関係のデシベル」
「ああ、デシベル!」

 ということに気づきました。

 デシベルって、オーディオや騒音なんかでよく使われる、アレですね。

 でも、なんだかよく分からない単位です。

 そもそも、デシベルは、あのベル研究所の、いや電話の発明者として名高いアレグザンダー・グレアム・ベルが「電話の電気が、電線を伝わる時に『元の電力の何倍(何分の一)になったか』を示すため、例によって自分の名前をつけて生み出した単位である、『ベル』の10倍した単位だったのです。

 やっぱり自分の名前を単位にしてるんだ!

 上でも書いたように、本来、ベルは、時間あたりの音(や電気や電波)のエネルギー量Bと、その基準となる音のエネルギー量Aを比較するための単位です。

 つまり、比べたい数値Bを基本となる数値Aで割って、10を底とする対数(常用対数)をとったのが「ベル」です。

047_2 

 要するに(B/A)の対数値。対数ですから、ベルは本来単位のない単位です。

 ちょっとムツカシクいえば無次元の単位(質量、長さなどの物理量を持たない単位)なので、ヒトによっては単位とみなさない向きもある。

 例えば、身長150センチのヒトを基準としたら、185センチのヒトは(1.23の対数値)ベルということになりますね。

 そして、この数値ベルを少し大きくして、直感的な理解をしやすくするために10倍した数値を、単位ベルに、「10倍してます」という印の、デシというSI接頭辞(国際単位系において規定されている、単位の倍量・分量を10進数で表す接頭辞)をつけて、

『デシベル』というのですね。

 基準のパワー、エネルギーとして何を使うかによって、ベルは変わってきますが、音の場合は「ヒトの耳にギリギリ聞こえる最小の音」音圧で2X10(-5)Pa(パスカル)を用いることが多いようです。

 ここで、ちょっと脱線。

 ここに一枚の紙があります。

 この紙は、三回折ったら1ミリになります。

 では、100回折ったらどれぐらいになるでしょうか?

 ちょっと前まで、この問題に即答できるヒトはほとんどいませんでしたが、最近になって、バラエティー・クイズ番組などで使われて、かなり認知度が上がってきてしまいました。

 答えは、2(97)ミリ(=2の97乗)だから、計算すると170億光年になる。

 これはトテツもない大きさだ。
 よくいわれる宇宙の大きさですら、150億光年といわれているのですから。

 乗数というのは、<指数関数的>に増えていくものなのです。

 これをグラフで表すと、始めはゆっくりと増えているのに、次第に急激に増加する。

045_2

 このように、数の増加の仕方が<指数関数的>なものは、ヒトの感覚から、かけ離れたものになってしまうのです。人間の感覚とは対極の変化をしてしまう。

 このタイプの変化は、はじめのうちは、大したことないな、と思っていても、あっというまに、モノスゴイ数になってしまう

 ある程度までは、ヒトの感覚で理解できるのですが、それを超えると、ドーンと大きくなって、人知の及ばぬトコロとなってしまうのです。

 量の増え方には、もう一つ、線形というものがあります。

 今、1で、一分後には2.二分後には3、というふうに、普通に順番に増えていくものですね。

 グラフにすると直線になる、まあ中学校でよくやってアレです。

 これなら、ヒトの感覚にも近い、徐々に増えていくような感じなんだから分かりやすい……と思ったら大間違い。

 これも、ある程度大きくなると、人間は正しく判断できなくなるのです。

 たとえば、1,2,3……なんて数なら、順番に増えてるって感じがするけれど、10001,10002,10003……まで増えてしまうと、同じように変化していてもわかりにくいでしょう?

 そこでいよいよ「対数曲線」の登場です。

 グラフの形でいえば、↓みたいな感じ。

046

 最初は、どんどん大きくなるのに、ある程度までいくとそれ以上は、あまり大きくならないタイプですね。

 実をいうと、人間の感覚は、何でも対数的にしか反応しない特性があるのです。

 光でも音でも、たぶん痛みも快感も、あまり強くなると全部同じにしか感じない。

 だから、対数による量的変化はヒトの感覚に合う。

 というわけで、先のデシベルも、最終的に、対数にするのです。

 すると、騒音などをあらわすのに分かりやすくなる。

 ちなみに、音や光や電波のパワーは、波形の振幅の2乗に比例するので、音のパワー比のかわりに、振幅を使う場合は、対数の値を10倍ではなく20倍します↓。

048

 以上、書いてきたように、デシベルは絶対単位?ではないので、基準となる数値によって無数の種類が存在します。
 
 たとえば、技術者は、基準を1[MW]にした[dBm]や基準を1[v]にした[dBV]といった、自己流のデシベルを使いますが、これらは、もちろん国際的に認められた単位(SI単位)ではありませんし、推奨されてもいません。

 よく耳にするわりに、そして、「デシ」がつけられた唯一「有名なモノ」であるにもかかわらず、デシベルはよくわからない単位なのです。

P.S.
 タイトルの文言「キロキロとヘクトデカけたメートルが、デシにおわれてセンチミリミリ」を書くと、なぜだか、中学になりたてのころ、背伸びして読んだ「出家とその弟子(倉田 百三)」を思い出します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 2日 (火)

20世紀青年は去っていった サリンジャー死す

 サリンジャーが亡くなりましたね。

 サリンジャーといえば、The Catcher in the Ryeの作者ということになるのでしょうが、実をいうと「ライ麦畑でつかまえて」という作品には、とりたてて感想がありません。
 あれは、わたしの中では、ダザイ作品やカミュの「異邦人」あたりと同列に並べられているのですね。

 なんというか、なんだかよく分からないヒトが主人公の話。

 まじめな愛好者にとっては、トンデモない話ですが、まあ、個人的にはそうです。

 おそらく、わたしには、彼らの発するメッセージを受け取るチャンネルが欠けているのでしょう。その能力がない。

 しかし、The Catcher in the Ryeには、特別な思い入れがあります。

 それは、わたしが中学生の頃に読んだある書物にこう書かれていたからです。

 配偶者を求めております。

・ごく贅沢に育てられたひと
・ただし貧乏を恐れないひと
・気品、匂う如くであること
・しかも愛らしい顔だち
・エロチックな肢体をあわせ持ち
・巧みに楽器を奏し(ただしハーモニカ、ウクレレ、マンドリンは除外す)
・バロック音楽を愛し
・明るく、かつ控え目な性格で
・アンマがうまく(これは大事だ!)
・天涯孤独であるか、ないしはごくごく魅力的な家族をもち、(美しい姉や妹たち)
・ルーの下着、エルメスのハンド・バッグ、ジュールダンの靴を愛用し

・サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が一番好きな小説で

↑これです。

・片言まじりの外国語を話し
・当然酒を飲み
・料理に巧みでありながら
・なぜか、カツパン、牛肉の大和煮、などの下賤なものに弱点を持ち
・猫を愛し
・お化粧を必要とせず
・頭がいいけれどばかなところがあり
・ばかではあるが愚かではなく
・まだ自分が美人であることに気づいていなく
・伊丹十三が世界で一番えらいと思っている
・私よりふたまわり年下の少女

 文中にあるように、これは伊丹十三、31歳当時のエッセイ「女たちよ!」に書かれた文章なのですが、この中の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ってのが、当時のわたしには、なんだかよく分からず、でも、かくも魅力的(男が考える自分勝手な魅力ですが)な女性が読むのだから、すてきな小説に違いない、と思ってすぐ手に入れて読んでみたのですが……というトコロです。

 伊丹氏は、別なエッセイで、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を原書で読む女性が良い、とも書いていますね。

 なんだかよくわからないと書きながら、わたしも原書をもっていますし、それも読みましたが……やはりダメでした。

 訃報に接した日本の文学者は、

「文学的にはもう死んだと思っていた。生物学的な死が追いついた気がする」

と、学者的に突き放したコメントを発しています。

 あるいは、愛憎(もっとたくさん書いてくれよっていう)半ばする気持ちがいわせた言葉なのでしょうか。

 ともあれ、ご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 1日 (月)

さらば少年時代 蠅の王

 ちらかってきた本棚を並べ替えていると、ゴールディングの「蠅の王」が落ちてきました。

 パラパラとめくっているうちに、すっかり引き込まれて最後まで読んでしまい、俄然、映画「蠅の王」を観なおしてみたくなりました。

 「蠅の王」をレンタルして観たのは、もう随分前のことですが、当時はテレビが壊れかけていて、画面は真っ暗、何がなにやら皆目わからないまま音で判断していたような状態だったのです。

 さっそく、ビデオレンタル店に出かけて、以前から気になっていたものも含めて何枚か借りて来ました。

 週末ということもあって、勢いで全部観ました。

 タイトルは、「蠅の王」「ピノキオ」「エンマ」「アビス」「センター・オブ・ジ・アース」「To1・2」です。

 ピノキオはディズニーではなく、2002年のロベルト・ベニーニによる実写版です。
 先日、BSだったかでやっていたのを出先で観て、今回観なおすことにしました。

「エンマ」は、二年ほど前の邦画で、話題にもなっていなかったと思いますが、コピーの雰囲気がソウに似ていたので借りました。

「アビス」は「アバター」つながりですね。キャメロンの作品です。

「センター~」は、今回のラインナップが重そうな作品が多かったので、口直しにカゴにいれました。

 そして「To」……

 星野之宣氏の「2001夜物語」の2エピソードを、「アップルシード」の曽利文彦が監督したOVAです。前から観たかったので、今回借りることにしました。

「エンマ」と「センタ~」以外は後に、本ブログで書くつもりです。

 上記ふたつが、なぜ候補外なのかは聞かないでください。

 さて、「蠅の王」

 まずは、原作についてのアウトラインを。

 作者ウイリアム・ゴールディング(1911-1993)は、英国の作家です。

 彼が「蠅の王」を書いたのは1954年、43歳の時なのですが、処女作「詩集」を含めて、この作品以外は、それほど日本では知られていません。

 まあ、一発屋っぽいというか、少なくとも日本では、そんな感じです。

 タイトルの「蠅の王」とは、聖書に出てくる悪魔ベルゼベブ(あるいはベズゼブル・ベルゼバブ)のことで、これは、ヒトの心に巣くう根源的な悪、悪意、闇の部分の象徴でしょう。

 ストーリーは簡単です。

 第三次か四次の「未来時間の世界大戦中」に、敵の攻撃を受けて墜落した飛行機が、無人島近くに着水するのが発端です。

 未来といっても、別にSF設定は何もありません。いまならパラレルワールドに逃げると思うのですが、当時としては、未来という設定にすることで、現実感を希薄にしたのだと思います。

 事故により、頼りになる大人たちは死んでしまい、無人島に少年たちだけが残されてしまいまいました。

 少年によるサバイバル生活、という点で、蠅の王について語る多くの人たちは、この作品がバランタインの「珊瑚島(さんごとう)」(1858年)の、パロディとはいわないまでも、かの著名作品から多大な影響を受けていることを指摘しています。

 個人的には、ベルヌの「二年間の休暇」(邦題:十五少年漂流記)にも似ているとは思いますが、まあ、要は少年たちによる一定時期(後に救出されるのだから)のサバイバル生活を描いた作品です。

 大人のいない、ジュブナイル・集団サバイバル・ストーリーなのですね。

 その点で、スイスのロビンソン(家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ原作)や、本家ロビンソン・クルーソーとは少し違っています。

 珊瑚島が穏やかに語られるのに対して、「蠅の王」では、先行きに対する不安、食料不足への不満や、狩りの能力差による配分の不平などで、徐々にリーダーシップをとる少年ジャック(というか、ボスザルになりたいという本能に忠実なヒト)が現れ、安全に、公平に常識的にグループを導こうとしていた主人公・少年ラーフを敵視していきます。

 この点で、わたしは「蠅の王は、」珊瑚島というより、二年間の休暇に近いと思うのですね。

 あれも、それほど激しくはないものの、少年たちによる敵対行為がありました。

 始めは無垢にサバイバルしていた子供たちも、徐々に、自分の心の中にある「悪」なる部分に心を浸食されていきます。

 個人的には、「深い夜の闇」とそれによる不安感が少年たちの闇の部分を浮かび上がらせ、表に出したのではないかと考えています。

 白々とした蛍光灯あるいはLED灯といった「人工の灯りのない世界」を初めて知った少年たち。

 調理や獣よけ等、様々な用途に使えるたき火の炎は、暖かく万能ではあるけれども、灯りとしてみた場合は、あまりにも照射範囲が狭く短く、暗すぎます。

 しかも揺らぐ。

 結局、それは闇を強調する手助けにしかならないのです。

 やがて、ジャックは、得意の狩猟能力を生かして捕まえた豚を、皆に配って人望を集め、食べ残した首を「暗黒への贈物」として捧げます。

 暑い南の島のこと、豚の首はたちまち腐り大量の蠅が発生する。

 腐敗臭の中、ブンブンとうなりを上げて跳ぶ蠅。

 それこそが、ベルゼベブ。悪魔たる蠅の王なのです。

 ジャックたちは、蠅だらけの豚の頭を「蠅の王」としてあがめはじめます。

 物語の圧巻は、ベルゼベブの名のもと、ジャックたちが、ラーフたち小グループを追い詰めるラスト近くです。

 ここまで書いて、楳図かずお氏の「漂流教室」を思い出しました。
 あれは「蠅の王」にインスパイアされていたのですね。

 そして、物語は突然終焉(しゅうえん)を迎える。

 
 全てが終わって、都会へ帰って行く少年たちの胸に去来するのは、

 ブラッドベリの「何かが道をやってくる」で語られる

「ある年の万聖節前夜。ジムとウィル、13歳の二人の少年は、一夜のうちに永久に子供ではなくなった」

と同様か、あるいは「地下鉄のザジ」の最後の台詞、

母親 「楽しかった?」

ザジ 「まあね」

母親 「地下鉄は?」

ザジ 「ノン」

母親 「じゃ何を?」

ザジ 「年をとったわ」

と同じ、「もう子供でなくなってしまった自分自身」への惜別の思いだったのではないかと思えてなりません。

 その点が、「子供のまま」都会へ、もとの生活へ戻っていった感のある「二年間の休暇」の少年たちとは決定的に違っているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »