よくわからないなう: Twitter(ツイッター)考
新年になりました。
ことしもよろしくお願いいたします。
ブログが流行りはじめた時、よく人から「ホームページとはどう違うの」と尋ねられました。
もちろん、
「ホームページはウェブサイトのトップページのことだから随分違うね」
などと木で鼻をくくったような返事はせず、
「簡単に更新できるホームページみたいなもんですよ」
とシンシ的に答えていたのですが――
実のところ、こうやって自分でブログを更新するようになっても、いまだに「ブログとは何なのか」が、よく分かっていません。
そりゃあ、通り一遍の知識と今までの経験で、なんとなくブログについて語ることはできます。
しかし、わたしにとってのブログとは、「固定化されたウェブサイトと違い、個人ベースにおいては、CGIやPHP言語を使ってSQLで管理されたデータベースを、都度(一時的に)HTML形式に組み上げて出力するプログラム」に過ぎないのです。
もちろん他人様(ひとさま)のブログを引用する際に、相手に引用した旨を伝える「トラックバック機能」や、掲示板的に読者が感想を書き込める「コメント」、その日の訪問者数表示や人気度を計るファン数表示など、相互つながりを促進するための細かいツールは用意されています。
それらをひっくるめて、容易にウェブサイトを更新できるシステムと、そういったツール群をあわせたものが、わたしにとってのウェブログ実感ですね。
なぜ、こんなことをあらためて書いたかといいますと、今回は、年の初めということで(関係はないかもしれませんが)、 その後、登場した、新しいサービス「ツイッター」について書こうと思うからです。
一般の人にとって敷居の高かった「サイト更新」が、ブログになって簡単にできるようになりました。
その結果、多くの人が、自分の考えや情報を公開することができるようになったのですが、同時にブログ自体が持つ問題も表面化してきました。
いわゆる「炎上」「荒らし」というやつですね。
このブログのように人気のないところはともかく、ある程度訪問者数の多い、著名人のブログで、不用意な発言をすると、いきなりブログが「炎上」してしまうのは、皆さんよくご存じだと思います。
これは、もともと、ブログ自体の設計コンセプトが、利用者の良識を信じた?オープン・マインドに基づいた設計であるためです。
だから、悪意あるコメントによる「荒らし」の被害を受けたりする。
一時期、それを恐れて、mixiなどのSNS(ソーシァル・ネットワーキング・サービス)、いわゆる会員制ブログ的なものも流行しました。
かつて、名刺交換的なビジネス機会の場として、よくSNSが取り上げられていましたが、個人的には「オープンすぎるブログへの恐怖感」がSNSの隆盛を生んだのだと考えています。
ご存じの方もおられるでしょうが、winnyで流出した写真などの個人名を特定するため、SNSが利用されたことが何度かあります。
会員制という安心による緩い情報管理のスキをついて、同僚との写真から高校卒業時の写真まで、プロフィールとともに、公開されてしまったのです。
そこで、「多くの人に意見を見てもらいたい」し、「良い関係を築ける人たち」とは、簡単につながるようになりたい、しかし「『荒らし』などの嫌な行為は拒絶したい」というブロガーの願いに応えるために、ブログの先のネットワーキングシステムが模索されるようになったのです。
そしてツイッターが設計された。
要するに、ブログの不具合を修正することで、後発のツイッターは生まれたのです。
ツイッターは、まるでブログのように、ユーザー登録しなくてもメッセージ(ツイッターでは「つぶやき」といいますね)を読むことも、単語検索もできます。
しかし、相手の「つぶやき」に「つぶやき」返そうとすると、ユーザー登録が必要になる。
登録することを「フォローする」といいますが、フォローすると登録先の相手が「つぶやく」たびに、時間順にリスト表示されるようになります。
つぶやく人は、自分をフォローしてくれている人の数がわかるようになっているので、発信の励みになります。
内容が面白ければフォローする人も増えるわけです。
お互いフォローしあうようになると、相手のつぶやきに対してつぶやき返した言葉も表示されるようになりますが、それをフォローしていない第三者が見ると、今現在、見ている人のリストのみが表示されて、それに対するコメントは表示されません。
もし、第三者が、つぶやきあっている二人ともフォローしていれば、二人のやりとりが見えるというわけです。
「来る者は拒まず」で、フォロー要求があった人を、すべて受け入れていても、そいつが嫌な奴だとわかれば、簡単にフォローをブロックできます。
それ以降は、その人のコメントは、リストから消え去ってしまうので、自分にとって、楽しい人とだけつながることができる。
簡単なシステムですが、これは、なかなかウマいやり方です。
仲間の連絡にも使えるし、会社の広告にも使える。
政治家の自己アピールにも使える。
また、逆に情報源としても使える。
フォローしていなくて、つぶやき返すことはできなくても、見ることは出来るのですから。
このように、使用法に沿った自動組織化が働くのが、うまいシステムたる所以(ゆえん)です。
よくいわれるように、1回、140字という文字制限も、手軽に「つぶやく」ために良いのでしょう。
スティーブンキングという作家は、短編を書こうとすると中編に、中編を書こうとすると長編になるようです。
わたしも、小説は短い方が書きやすいのですが、こういった雑文は、つい長くなってしまうため、ツイッターでは字数がたりなくなってダメですね。
わたしも、小説は短い方が書きやすいのですが、こういった雑文は、つい長くなってしまうため、ツイッターでは字数がたりなくなってダメですね。
短文であることは、同時に、携帯電話などで投稿するのにむいています。
だから、いつでも「つぶやき」、いつでもリストを読むことができる。
こういった、メールに似た緩いつながりは、地域の結束が緩んだ、現代人の孤独を癒すために必要なものかもしれません。
しかし、「いつでも自分のつぶやきに即時反応あり」のツールは、一度ハマってしまうと危険なように感じます。
かの蓮舫議員が、自身のツイッターで
「DS『イナズマイレブン2』の改造コードの入れ方をどなたかご存知ですか? 私にはさっぱり……」
と、愛息(でしょうね?)の「マジコン」使用を暴露してしまったのは、記憶に新しいところですが、そのあとすぐに、
「そいつは違法だぜ」
と指摘を受けて、
「意味をようやく理解。完璧にダメですね。今、息子に説教ナウ」
といったとかいわなかったとか――
ああ、個人的に、この「ナウ」ってのがツラいですね。
「〜ナウ」いわずもがな、英語のNOWのことで、「今、やっとります」ということでしょうが、なんか「浅薄ハスッパ」に感じられてダメなんです。
こういうのに、素早く乗ることができないと、「時流に取り残され」るんでしょうが、それで残されるなら、それでもエエワ、などと思ってしまいますね。
それでも、携帯端末で、いつでもどこでもユル〜クつながるツイッターは、まさしく「ユビキタス社会」の具現化。
アメリカでは、「泥棒ナウ」とつぶやいて捕まった人物もいるそうな。
今後、どれだけ、この新システムが広がっていくか、不安と期待ともに我にありをりはべりいまそがり、という気分ですね。
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