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2010年1月23日 (土)

孤独な英雄は死んだ

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 以前、コミック版「コブラ」の扉に「孤独な英雄コブラの闘い」と書いてあるのをみて違和感を覚えた事があった。

 当時のわたしにとって、コブラは、脳天気なお調子者、出鱈目で行き当りばったりの陽気な男、ヤルこと為すことうまくいく苦労知らず、にしか見えなかったからだ。

 だが、後に、曲がりなりにも自分で「チームワーク・キャプテンではない英雄モノ」を書くようになると、そいつは孤独にならざるを得ないことがわかってきた。

 そも、チームワーク・キャプテンの英雄とは何ぞや?

 つまり、あるグループの大将としての主人公だ。

 代表的なものは、バスケットボールやサッカーなどのスポーツモノ・ヒーローだろう。

 キャプテンなんとかとか、スラムかんたら、というアレですね。

 「魁男塾」なんてのもそれでしょう。

 あるいは「海皇紀」のファン・ガンマ・ビゼンなぞもそれにあたるな。

 彼らは英雄ではあるが、かなりの部分「ミコシにのる英雄」、つまり担がれてあるグループの実質的・精神的リーダーとなり、そのグループがピンチに陥った時、何らかの超人的な力を発揮して集団を助けるキャプテンとしての性質を持っている。

 孤独にはなり得ない。

 仲間がいるから。

 あるいは、それほど顕著にチームが描かれておらず、ローンウルフを気取っているピカレスク(悪漢)ヒーローもいる。

 これなどは枚挙にいとまがないほどだ。

 特に、最近のアニメには、このタイプが多い。

 アニメ版ルパン三世だとかね。

 しかし、実質的に、彼らには仲間がいる。

 一見、反目しているがイザとなれば助けてくれる悪友が。

 要は「背中を預けられる誰かがいる」ヒーローは、チームワークキャプテンなのだ。

 大河ドラマで、また人気再燃の感がある坂本龍馬なども、このタイプだろう。

 個人的には、司馬遼太郎が「龍馬がいく」と同じ時期に連載していた「燃えよ剣」の土方歳三の方が、わたしのヒーロー像なのだが……

 あるいは、個人的には好きでない「群像モノ」も最近は多い。

 みーんなが主人公。

 だから、ファンは、それぞれが誰かのファンになって楽しみが多くなる……のか?

 本当か?

 特に、ライトノベル原作のアニメにそういったタイプが多い。

「戦う司書」とかね。「BBB」もそうかな。

 でも、群像モノって、なんだかシマリがない、ぼんやりとした世界観を作っているだけに思えてしまうのだなぁ。

 これって、やっぱり「優劣なんかない!生徒みんなが主人公」「一着二着なんて『意味がない』から、みんなで横一列、おててつないで徒競走ゴールイン」なんて、機会均等の公平さと強制平等を取り違えた教育で育った子供たちが、ファン層になってきたことが原因だろうか。

 あるいは、ジャーニー北川が産み出した、例のグループたちの活躍によるものだろうか?

 聞くところによると、女性たちのある人々の間には、デビューしたての「子供コドモしたジャニーズのメンバー」から、いち早く自分のお気に入りを見つけて、それを贔屓(ひいき)にし「その子が育つのを喜ぶ」などという、かつて相撲ファンの間でよく行われていた「タニマチ気質(かたぎ)」が、広がっているらしい。

 それも、こういった「群像」タイプのドラマが増える原因となっているのか?

 こうやって考えてみると、「孤独な英雄」と呼べるヒーローなど、ほとんどいないことに気づく。

 だいたい、作り手からいえば、そんなヤツのハナシは書きにくいのだ。

 物語に起伏がつけにくい。

 盛り上げにくい。

 おまけに、自分だけで自分の身を守らねばならないから、人を信じないし自分のことしか考えない。

 スゴク嫌なヤツになってしまうのだ。

 そういった、エゴイズムのカタマリ・ヒーローの代表格は「ゴルゴ13」になるのかな。

 前時代的な絵柄と、ステロタイプにコテついたストーリーテリングには、好みが別れるところだろうが、あれは確かに「孤独な英雄」を描いた物語だ。

 コブラも、たまに、ある目的のためにグループを作ることはある。仲間に見える登場人物が出てくることもある。

 だが、それは物語を盛り上げるためにであって、少年誌に出てくる「ユージョー」的に甘ったるい、もたれ合いではない。

 いわば、大人のつながり。

 たとえば、友人が、何かトラブルに巻き込まれたことを第三者から聞かされた時に、すぐソイツに電話して、「ドーシタ、ダイジョーブカ、何カシテホシイコトハ?」と騒ぐのがガキのユージョー。

 しばらく経ってから電話し、軽く世間話だけをして、暗に『オマエニハオレガイル』ことを示唆し、頼ってくるまでは何もせず、ただ、その時のために精神的ウォームアップをし始めるのが大人の関係……いや、ちょっと違うな、うまく表現できない。

 言葉は難儀だ。

 事象を、明確に固定化する代わり、それに伴うアトモスフィアをこそぎ落としてしまう。

 いや、今回は、孤独な英雄の話だった。

 上で書いたような、キャプテンモノや群像モノでない、英雄譚(たん)は、書き続けるほどに主人公は孤独になっていく。

 なぜなら、自分ひとりが傑出した強者であるがゆえに、自分以外のもの、知人、友人、恋人たちは、すべて死んでいくからだ。

 自分は死なない、死ねない、だが愛するものは死んでいく。

 これでは孤独に成らざるを得ない。

 飛び抜けて強靱な英雄を描けば、そいつは孤独になってしまうものなのだ。

 それが嫌であれば、いや、もっと直截にいえば、ハッとさせ、ホッさせ、ニッとさせる、起伏に富んだ泣かせる話が作りたいのであれば、孤独な英雄の話は書いてはいけない。
 つまり、真に孤独な英雄のハナシを書ける作者は、ほんの一握りにすぎないのだ。

 念のため付け加えておくと、孤独な英雄と似て非なるモノに「破滅型主人公モノ」がある。

 ハメツガタも、自分勝手で、無敵(捨て身なのだから当然)だが、これは違う。

「バクネヤング」などはこれにあたるのだろうが、これは英雄モノとは分けて考えなければならない。

 孤独な英雄は自ら死を望まない。

 生きることを厭(いと)って破滅へ突き進むハメツガタとは根本が違うのだ。

 押念。

 以上、世にあふれる作品のほとんどは、チーム・キャプテンモノ、似而非(エセ)ピカレスクモノ、群像モノのどれかに分類されてしまうことになり、いま「孤独な英雄」が書かれることは、ほとんどなくなってしまった。 

 「孤独な英雄」は死に瀕しているのだ。

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