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2010年1月

2010年1月29日 (金)

けつこ近影

なんだか、近頃、写真熱がまた再燃してきました。

ボケ見本みたいな写真でもあります。

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ちっちゃな道具自慢

 今回は、先日手に入れたお気に入りを紹介します。

 まずは、これです。↓

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 何だと思いますか?

 ご存じの方以外は、まず何か分からないと思います。












 これを袋から取り出しすと、中に仕込まれたワイヤーの力で、自動的にポップアップして、こうなります。↓

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 もうお分かりですね。

 そう、日本のアウトドア企業・モンベル社製のO.D.コンパクトドリッパー4(1800円:ドリッパー2 1600円もあります)です。

 重さわずか5gと超軽量。

 モンベル・オンラインショップ http://webshop.montbell.jp/

 ペーパー不要(使いたければ利用可)で、何より軽い。

 以前は、同様の機能で、針金製のバネット式を使っていたのですが、重かった。

 テント一式かついでアルプスに登るのに、とても持っていく気になれなかった。

 山頂で飲む「キチンとした珈琲の味」というのは、山頂での「一服」同様、最高のものなのですが……(煙草は吸ってませんけどね)

 これなら、いくらでも持って行ける。しかも、使用後はさっと洗うだけ。

 さらに、ペーパーフィルターを使わないため、珈琲の脂質・油分が紙に吸収されずコクがある、との前評判どおり、本当に、ペーパードリップより、エスプレッソに近いコクがでていました。

 今後は、ザックのみならず、常用バッグの底に入れておこうと思います。

 さて、次はコレです。↓

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 何だと思いますか?
 












 これもモンベル製で、前に向けるとこうなります。↓

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 コンパクトライトなんですね。

 どれぐらいコンパクトかというと、ワシントンホテル謹製のボールペンと並べたら、こうなるくらいです。↓

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 重量100gのエマージェンシーH.C.ヘッドライトです。

 どこがエマージェンシーなのかというと、↓

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 こうやって、後ろのレバーを引っ張り出してクルクルと回転させると、それによって発電されて、電池いらずで高輝度LED(三連)を点灯することができるのです。
 1分の発電で90分点灯可能です。

 このライトが特徴的なのは、類似品なら普通はついている、単三あるいは単四電池を入れるスペースが省いてあることです。

 つまり、発電することによってしか点灯させることができない。

 予備の電池を積まないことで小型化したのですね。

 さらに、付属のバンドに装着すれば、↓

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 ヘッドライトになる。

 普通の生活で使うことはないかも知れませんが、アウトドアで、夜、食事をする時など、焚き火の明かりやガソリン・ランタンだけでは光量が不足して、手元まで見えないことが多いのです

 そんな時はヘッドライトが非常に便利です。

 わたしは、家でもよく使います。

 省エネのために消しあることが多い、部屋のあかりをつけずに、「自分の明かり」で、どこでも手ぶらで移動できるというのは、案外、快適なのです。

 上述のように、重さも100gと軽く、鞄の隅にいれておいても邪魔になりませんし、値段も1200円と手軽なので、ひとつお持ちになっても良いかもしれません。

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メディアアートとしてのgoogle 日本語入力

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 昨年暮に公開されてから、暇暇(ひまひま)に使っている「google 日本語入力」について、現時点で感じていることについて書きます。

http://www.google.com/intl/ja/ime/

 そういや「恋のマヒマヒ」ってあったなぁ。

 この文章も、「google 日本語入力」で入力しています。

 マシン・パワーのおかげもあってか、このソフトは、一時のATOKのように、タイピングに文字変換が追いつかない、ということはありません。

 全体として、動作は軽い気がします。

 単語登録は、いかにも別ソフトを立ち上げて追加登録している、という感じですが、今のように、登録単語がそれほど多くない間は、問題なく単語管理はできそうです。

 肝心の変換効率ですが……←ちなみに、この三点リーダー二度打ちは、小説でも使うため、使用するすべてのFEP(Front End Processor)で、「て」一文字で変換するように登録しています。

 さすがに、検索エンジンからやってきたFEPだけあって?時事単語には強いですねぇ。

 例えば、「浅田真央」や「夏夕介」は、一発で変換します。

 「勝間和代」にいたっては、かつま、と打てば、予測変換で第一候補に上がってきます。

 じゃあ、懐かしいところで、「藤木悠」。

 あ、こいつもすごい!一発変換。

 藤木悠といえば、わたしはGMEN75より、海底軍艦主役の、ボンこと高島忠夫(←こいつも一発変換)のアシスタントのほうが馴染みがあるな。

 あとは……

 ツイッター、をを、「ついっ」で「ツイッター」と「ツイッターアイコンメーカー」まで出てきました。

 なんだか、すごいテレビっ子と話をしているような気になりますね。

 世間の話題にやたらと詳しい子供って漢字。あれ、この流れで感じを漢字と変換するのはイカンね。

 橋下知事。ああ、はしもとの「もと」を「下」にしたのが第一候補、さすが。

 外来語はどうだろう。

 パラダイムシフト。アトモスフィア。ツチ族。

 をを、あうふだけで、アウフヘーベンが出た。

 あうふヴぃーだーぜーえん、さすがにこれは無理か。

 ロロロー所。イタリア語の時計もちょっと無理?

 スパシーバ、あ、代表的なロシア語なら大丈夫。結構すごいな。

 じゃあ、大阪弁は?

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 すんまへん、金槌歌詞と夫くんな晴れ。

 空間へん。

 何でや。

 瀬谷から言うて、庵さんの言わはることは、無茶苦茶でんがな。釘なんか売ったら金槌の頭が禿びますがな。

 ほたら幸島ヒョ、皆で中用もちまえということで。え、空間へんか?

 あんたの始末も酷すぎますで(ウマイ!)。

 しゃあない、おい、打ちの金槌もってこい。

 う~む。

 京都弁は?

 アンジョウいいな晴れ、舞妓はんどすえ。あ、どすはいけた。
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 まあまあという所ですかね。

 まだベータ版ということで、練られていない点はいくつか感じられますが、無料でこれだけの入力支援がなされるなら、まあヨシとしましょう。

 ただ、個人的に、googleの社是(しゃぜ)というか、コンセプトといわれている、「世の中の、すべての情報を掌握したいという狂気じみた欲望」(あ、今、「きょうきじみた」を、かなりしつこく「今日記事見た」に固執した変換でツッパってくれました)には、危惧を通り越して脅威を感じているので、あまり進んでこのFEPを使いたいとは思いません。

 だから、プロパティの「その他」の項目にある「使用統計データや障害データをGoogleに自動送信してGoogle日本語入力の機能向上に役立てる」にはチェックをいれていません。

 なんだか、ちょっと不気味でね。

 ご存知のかたも多いであろう、おもちゃや自分の好きなオブジェが仕事場に持ち込み可能という「自由気ままを演出した」社風でありながら、犬はOKで猫はダメという、よく分からない線引きも気に入りませんし。

 ああ、「すべての情報を手にしたい」で思い出しましたが、真偽の程はわかりませんが、Googleの語源は、googol(グーゴル)という10(100)つまり10の100乗、1の後ろに0が100個ならぶ途方もない数の言葉(正式に認められていないはず)を登録し間違えたといわれています。

 つまり、最初から人だった……じゃなくて、最初から間違っていたし、デカい数が好きだった、というオチなんですね。

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2010年1月25日 (月)

なぜ、シャッターは「切る」のか?

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 友人から、以下のメールが届きました。

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 会社の若い衆からプレート下から淡く光るLEDの写真を撮る際、
デジカメでは暗くてうまく写らない…という相談を受けました。

 『そんなん三脚固定、シャッター開放で調節すればいけますよ』
…って答えた所、意外な答えが返ってきました。若い衆曰く…『シ
ャッター開放ってどういう意味ですか?』…あっ…そうか…

 今の若い衆は自動焦点、自動露光が普通の世界に生まれてきてる
ので、夜空の星の写真を撮るためにシャッターを開けっぱなしにす
る体験がなくて当たり前…それどころか、一眼レフ機構を見たこと
もないワケですから開放の概念は存在しないのだと気づきました。

 シャッタースピード優先モードの使い方を説明した後、その若者
から出た質問が『シャッタースピードは分かりました。絞り優先と
いうのもあるようですが何に使うのですか?』…あっ…そうか…

 『えっと被写界深度って言葉は聞いたことありますよね?そのた
めに…』と続けようとする私を遮って出てきた言葉は『生まれては
じめて聞きました』でした…う~ん…まぁそうか…焦点対象枠が自
動で表示される自動焦点の時代に生きる人々に、Depth of Fieldの
概念は馴染まないのかもしれません。

 wikiによるとDOFを利用しポートレートで多用されるボケ表現
は、日本発祥の方法で2000年頃からボケ(Bokeh)という言葉
が使われ、斬新な表現手法として注目されてきているのだとか…
昔の若者は今の若者に日本文化を伝える責任があるかも(苦笑)…

 脳の底の方からニューロンの繋がりを辿って次々と蘇ってくるテ
クニカルターム達…『露光計、ガイドナンバー、ソフトシャッター
レリーズ、モータードライブなどなど』…これらを口に出すキリが
なくなるので我慢しましたのは言うまでもありません。

 …とココまでが前振りで…(長い!)

 前後の繋がりは忘れたのですが、この一連の話しの最後の方に、
件の若い衆が『シャッターを押す』…と言ったので、『シャッター
ボタンは押すけど、シャッターは切るもんでしょ?』と返しました。

 …が、この時の若い衆からの質問には答えることができませんで
した『さっき教わった機構を考慮してもシャッターを『切る』とい
う言葉の意味が分かりません』…とのこと。

 確かに!…英語でもシャッターは切られません。
  release the shutter; press the shutter release button.

 ぐぐってみましたが明快な回答を書いているページがない!!!

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(質問)シャッターを『切る』という表現を語れる人いません?
############################################################

          ????@シャッターは押さずに切りたい!

P.S.
 どうでもいい話ですがトリガーは引くんじゃなくて絞るモノです。
 (Squeeze the trigger.)

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 立ってる者は親でも使え(死語?)、面白いハナシは他人のネタでもブログに使え、ということで、彼のメールを引用しつつ、その疑問に答えたいと思います。

 というか、やっぱ、写真部部長だった、わたしが答えなきゃならんでしょう。

 銀塩カメラ←(この呼び方気に入らんね。フイルムカメラで良いでしょう。だいたいAgClなんてモノクロフィルムですよ)一筋数十年。

 今も、手軽なデジタルよりOLYMPUS OM-1とContax T2に愛着を感じているわたしとしてはぁ……まあいいでしょう。

 要は、なぜに、シャッターを「切る」かということですね。

 その昔、幕末頃のカメラは、銀にヨウ素蒸気をかけた乾板をフイルム代わりに暗箱の中に治め、レンズの前のキャップを手で取り外し、待つこと数分から数十分、その間、顔を白塗りしてコントラストを高めたモデル(被写体)はじっと動けず、ブッ倒れそうになる寸前に「オッケーでーす」の声とともに解放されるのが常でした。

 フレンチ野郎ダゲールの手になる「ダゲレオタイプ」カメラと呼ばれるものがソレですが、19世紀の科学進歩というのはすさまじく、乾板(いまのフイルム)に光を当てて化学変化を起こす「感光」に要する時間はどんどん短縮され、やがて、数秒から数分の一秒といった短い時間で「感光」が終了するようになりました。

 かつて、小一時間もじっとしていなければならなかったのがウソのようです。

 さすがに、それほど短い時間の感光を、「キャップを手で取り外し、また蓋をする」作業でまかなうことは不可能ということになり、機械的に短い時間だけレンズの蓋を開ける装置が産み出されました。

 これが、シャッターです。

 当初、シャッターは、カメラに外付けの装置でしたが、後にカメラ内に内蔵されます。

 皆さんは、一般的に、カメラのシャッターというと、どういうカタチのものを想像しますか?

 外側からだんだん穴が小さくなって完全に閉じ、ついで徐々に穴が広がって、もう一度元通りの大きさの穴になる……と考えていたらマチガイです。いや、少なくとも、初期のものは違います。

 それは、かなり後期になってからのシャッターです。

 原始的なシャッターは、基本的に二枚の板で、シャッターボタンを押すと、まず、レンズ穴を遮っていた板が、横にズレて光が通ります。

 その後、もう一枚の板が、先の板を後から追いかけて、再びレンズ穴に蓋をするのです。

 つまり、レンズ穴を中心にみれば、シャッター板が、まさしく穴を「切っている」のですね。

 こういった機構が、初期型カメラの場合は、先に書いたように「外付け」で、目に付きやすい構造であったために、特に日本では、シャッターを「切る」と呼んだのだと考えられます。

 一眼レフなどに使われている「フォーカルプレン・シャッター」と同じ機構ですね。

 ああ、そうだ。

 考えてみれば「フォーカルプレン・シャッター」の動きを見ていれば、なぜ、シャッターを「切る」と呼ぶのかは一目瞭然でした。

 しかし、最近は、若い女性を中心に、フィルム式トイ・カメラや、オールドタイプのマニュアル銀塩カメラが人気を集めていると聞いていますが、本当に、若い人の間でフィルムカメラの知識が不足しているのでしょうか?

 いや、逆かな。

 そもそも、これまで日本国で、多くの人が、バルブや被写界深度「前に浅く後ろに深い」といった、カメラについての詳細な知識を持ったことがあったのでしょうか?

 どうも疑わしい気がしますねぇ。

 いったい、何人がフィルムを自分で現像し、イーゼルで焼き付けをしたことがあるのでしょう。

 その意味でいえば、日本人にとって、カメラなんて、原理はともかく、基本は記録用に写りさえすればよいのです。

 だから、携帯電話に付属しているカメラこそが、真に日本人用のカメラなのではないかと、いたるところで携帯電話をつきだして撮影するオバサンたちを見ながら思っている今日この頃でした。

↑なんてエラソーに書きましたが、実はロバート・キャパあたりが、ひとり「シャッターは切るもんだ」なんていったのが、キャパ信奉者の多い日本だけで広まった、なんてオチだったらどうしよう。そんなハナシは聞いたことないから、大丈夫だと思うけど。

 まるで、カネヤン(400勝投手:金田正一)が、解説者の時に、ひとりで「ドロップ」ボールを連呼して、世に流行らせたようなものだったら困るなぁ(彼が解説をやめたら、たちまちドロップは消滅した)。
 まあ、鉄人28号の主人公(金田正太郎)の名前の元となったほどの男だったら許されるかもしれないけれど。

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2010年1月24日 (日)

永遠にエイワと -アバター-

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 さて、アバターですが……

 この映画を、今後3D映画の主流となるであろう『ほら、これだけ飛び出させてみました、スゴイでしょう的あざとさのない、自然な奥行き感のある最初のメジャー・ヒット映画の嚆矢(こうし)』

というスタンスで捉えたり、

『どんだけキャメロン日本のアニメ好きなんや、あそこにラピュタ、ここにモノノケ、これはどう見ても腐海(漢字あってるかな)の描写じゃん、をを、とどめは「そのモノ~青き衣をまといて~」のナウシカだぁ』

的な類似性で捉えたり、

『3メーターのナヴィと1.8メーターのヒトとのサイズ比がチョー微妙。6メーターの大魔神では恐怖感があるし、18メーターのザクはちょっと現実味が薄かった。今回のナヴィ:ヒト比率で、これまでどうやってもデカかったシガニー・ウィーバーが、初めて可憐な少女のように小さく見えて感激!』

的な感情論で捉えたり、

『In the end、とどのつまり、ネット世界にジャックインして戦った「マトリクス」のネオの現実版でしょ』

的シニカルさで、斜(はす)に構えてみたりせず、

『一見ハッピーエンドっぽく見えるけど、後で、数十億単位の石コロをめざして、地球から膨大な科学兵器部隊が送り込まれるんじゃないの』

などとと心配するのはやめて、もうひとつ別な角度から見てみることにします。

 それは、ナヴィとヒトのハイブリットタイプである「スカイピープル」ジェイク・サリーが、クローン牛ドリーのように生まれた時から老化が進んでいて、最後にナヴィに転送されたは良いけれど、たちまち死んでしまうのではないか、という、科学技術的切り口です……ウソ!

 まあ、ご都合主義のハリウッド映画ですから、きっとサリーは、末永く幸せに暮らすのでしょう。

 そいつはいい。

 わたしが気になるのは、ナヴィたちが持つ、宗教観、死生観です。

 多くのリピーターたちが、アバターで描かれる動植物一体となった『スピリチュアルな世界』に耽溺したくて映画館に通うともいわれていますが、実のところ、ナヴィたちの生活は、まったく『スピリチュアル』なものではないからです。

 その様々な解釈はともかく、spiritualを辞書で引くと「精神的な。また、霊的な」とあります。

 ストーリーを考えたのがキャメロンであり、ハリウッド映画であることを考えると、おそらく、ナヴィたちの『スピリチュアル』っぽい生活は、アメリカ人がネイティブ・アメリカンに対してもつモノから類推されたものだと考えられます。

「鳥、コヨーテ、みんな意思持っている。だから、気持ち伝わる。地面に落ちている石、手にしたら力がみなぎる」的な、ステレオタイプのスピリチュアリズムが、大元になっている。

 しかし、ネイティブ・アメリカンいや、日本のアニミズムはじめ、原始宗教の多くは、世界に精霊を求めて、それを精神的に実体化します。

 現実には存在しない精霊たちを、ある時は薬物を用い、ある時は永続するダンスなどによるトランス状態で、肌身に感じ、交信する。

 実際には存在しないが故に、自己洞察は深くなり、やがては哲学に至るほど、深化されるのです。

 しかし、ナヴィの生活にはそういった精神的な深さはない。

 いや、あるのかも知れないが、それが、より深化する素地がないように思えるのですね。

 たとえば、我々地球人は、死を恐れ、他者の死を悲しみます。

 死ねばどうなるかわからないからです。

 だからこそ、様々な哲学、宗教が生み出された。

 しかし、ナヴィたちは、一般に、死をそれほど恐れない。

 なぜなら、物理的に、「自分の精神」がより大きなモノ(エイワ)に吸収され生き続けることを知っているから。

 サリーがナヴィの生活に馴染みつつある時に、一瞬写る、葬礼のシーンでも、そこにはいくばくかの寂しさは感じられても、悲しみはなかったように思います。

 おそらく、彼らが恐れる死は「事故による突然死」なのでしょう。

 あまりに早く肉体が滅んでしまえば、精神をエイワと一体化する時間がない。

 要するに、彼らの宗教観、死生観は、すべて、全惑星精神ネットワーク・エイワによって自己がバックアップされる安心感に裏打ちされているのです。

 だから、ヒロイン、ネイティリは部族長の父の突然死に号泣する。

 彼の精神は、どこにも保存されず無に帰してしまったから。

 ああ、おそらく、皆さんは何を長々と書いているのだ、と思われていることでしょう。

 では、結論からいいます。

 わたしは、この映画を観た人々が、アバターで描かれた、エイワ(永和?)を核とした『惑星レベルのネットワーク』に憧れることに弱冠の危惧を感じるのです。

 より大きいモノに接続して、叡智を共有すれば孤独感もなくなる……

 しかし、人類にある「孤独感」こそが、文明を発達させ、哲学を生み、深化させたことを考えれば、安易に精神を一本に束ね、記憶をそういったメガ(じゃないなヨタ)メモリバンクに保存することは、少なくとも地球人にとっては好ましくないと思うのです。

 おそらくは、そう遠くない未来、全地球レベルでネットワーク化が推進され、ヒトは電脳化されて、あらゆる者が五感ごとネットワークにつながって、死亡する際には、ネットワークにその経験が吸収されるようになるといった出来事もあるのでしょう。

 まさしく、パンドラ星の機械版ですね。

 個人的には、あまり好ましくないとは思いますが、それはそれで仕方ない。

 科学の進歩と歴史の流れは止められないものです。

 現に、メールやブログやツイッターで、他者と緩やかに、常時接続したがる人々も激増しているのですから。

 しかし、問題は、今のところ、そういった、自分自身を受け止めてくれ、叡智を与えてくれる『何か大きなモノ』、パンドラのエイワに成り代わるものが「強烈に尖った教義をもつカルト宗教」なのかもしれないと、わたしは思っているからです。

 パンドラ世界の荒々しい美しさに憧れ、エイワへの帰属を願いつつ、リピート鑑賞を繰り返す人々は、そういった「カルトモノ」に対する耐性が低いのではないか、と、まあ、これは、わたしの歪んで勝手な解釈と判断に過ぎないのですが、映画を観おわって、ふとそんな気がしてしまいました。

 さしさわりがあるようでしたら、いつでも謝罪する用意はあります。

 ごめんなさい。

p.s.
 上でメガ→ヨタとしましたが、
 一応書いておきます。括弧内は乗数。

 10(6)  メガ
 10(9)  ギガ
 10(12) テラ
 10(15) ペタ
 10(18) エクサ
 10(21) ゼタ
 10(24) ヨタ

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「新世界より」ならぬ「新年より」 -3Dは危ない カモ-

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 もう随分前に、噂の「アバター(3D液晶シャッター版)」を観に行ってきたのですが、それについて書く前に、近頃では、映画界や家電業界のみならず放送業界の救世主として、もてはやされている3D映像についての気になる点を書くことにします。

 以下は、今年の年賀状に印刷した文面です。

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 映画「バックトゥザフューチャー」で、悪役ビフの腰巾着のひとりが、片方が青色で、もう一方が赤色のチープな紙製サングラスをかけていました。

 飛び出す映画(立体映画)用のサングラスです。

 50年代半ばのアメリカでは、一時期かなりな数の3D映画が作られたため、その頃を知る人々にとって、あのサングラスを目にするだけで当時が連想されるうまい演出です。

 その後、定期的にブームを繰り返しつつ、例の目を寄せたり離したりする「立体画像」本を経て、昨年秋あたりから本格的に3D映画ブームが始まりました。

 ご存じのように、今回の「立体映画」は赤と青が混ざったような妙な画像ではありません。

 3D映画は、右目と左目の「視差」(目の寄りぐあい)を利用して立体に錯覚させるため、かつては、二重写しにダブった映像を青セロハンと赤セロハンで左右に「仕分け」して観ていたものを、今では無色の偏光フィルターや液晶シャッターを使うように進化を遂げました。

 しかし、わたしは、闇雲な映像の3D化には不安があります。

 ヒトの脳は、数万年以上にわたって、立体感を「視差」と「水晶体のピント調節感」の二つで判断してきたのですが、3D映画は、その原理から「視差」のみによって立体感を感じさせるからです。

 だから、遠くに見えるのにピントは近くに合っている、ということがあり得る。

 そういった「不自然」な立体感覚は、ヒトの脳に多大なストレスを与えるような気がしてなりません。

 「地デジ」によるテレビのデジタル放送も本格化して、今後は映画だけでなく、ゲーム機や家庭用テレビでも「立体化」は進むと思いますが、それまでに、現在の「中途半端な」3Dシステムが体に与える悪影響を調べなければなりません。

 その意味で、いま喜んで「アバター」等、3D映画を観に行っている我々は、壮大な「社会実験」に参加しているわけなのです。

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 以上が、2010年の年賀はがきに、びっしりと書き込まれた文章です。

 しかし、あらためて考えると、こんな長文を年始から読まされるわたしの知人たちも良い迷惑ですねぇ。

 皆が浮かれているかに見える「3D映像」にも、上のような心配事がある、という点を心にとめておいていただいて、次回、アバターについて書こうと思います。

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2010年1月23日 (土)

孤独な英雄は死んだ

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 以前、コミック版「コブラ」の扉に「孤独な英雄コブラの闘い」と書いてあるのをみて違和感を覚えた事があった。

 当時のわたしにとって、コブラは、脳天気なお調子者、出鱈目で行き当りばったりの陽気な男、ヤルこと為すことうまくいく苦労知らず、にしか見えなかったからだ。

 だが、後に、曲がりなりにも自分で「チームワーク・キャプテンではない英雄モノ」を書くようになると、そいつは孤独にならざるを得ないことがわかってきた。

 そも、チームワーク・キャプテンの英雄とは何ぞや?

 つまり、あるグループの大将としての主人公だ。

 代表的なものは、バスケットボールやサッカーなどのスポーツモノ・ヒーローだろう。

 キャプテンなんとかとか、スラムかんたら、というアレですね。

 「魁男塾」なんてのもそれでしょう。

 あるいは「海皇紀」のファン・ガンマ・ビゼンなぞもそれにあたるな。

 彼らは英雄ではあるが、かなりの部分「ミコシにのる英雄」、つまり担がれてあるグループの実質的・精神的リーダーとなり、そのグループがピンチに陥った時、何らかの超人的な力を発揮して集団を助けるキャプテンとしての性質を持っている。

 孤独にはなり得ない。

 仲間がいるから。

 あるいは、それほど顕著にチームが描かれておらず、ローンウルフを気取っているピカレスク(悪漢)ヒーローもいる。

 これなどは枚挙にいとまがないほどだ。

 特に、最近のアニメには、このタイプが多い。

 アニメ版ルパン三世だとかね。

 しかし、実質的に、彼らには仲間がいる。

 一見、反目しているがイザとなれば助けてくれる悪友が。

 要は「背中を預けられる誰かがいる」ヒーローは、チームワークキャプテンなのだ。

 大河ドラマで、また人気再燃の感がある坂本龍馬なども、このタイプだろう。

 個人的には、司馬遼太郎が「龍馬がいく」と同じ時期に連載していた「燃えよ剣」の土方歳三の方が、わたしのヒーロー像なのだが……

 あるいは、個人的には好きでない「群像モノ」も最近は多い。

 みーんなが主人公。

 だから、ファンは、それぞれが誰かのファンになって楽しみが多くなる……のか?

 本当か?

 特に、ライトノベル原作のアニメにそういったタイプが多い。

「戦う司書」とかね。「BBB」もそうかな。

 でも、群像モノって、なんだかシマリがない、ぼんやりとした世界観を作っているだけに思えてしまうのだなぁ。

 これって、やっぱり「優劣なんかない!生徒みんなが主人公」「一着二着なんて『意味がない』から、みんなで横一列、おててつないで徒競走ゴールイン」なんて、機会均等の公平さと強制平等を取り違えた教育で育った子供たちが、ファン層になってきたことが原因だろうか。

 あるいは、ジャーニー北川が産み出した、例のグループたちの活躍によるものだろうか?

 聞くところによると、女性たちのある人々の間には、デビューしたての「子供コドモしたジャニーズのメンバー」から、いち早く自分のお気に入りを見つけて、それを贔屓(ひいき)にし「その子が育つのを喜ぶ」などという、かつて相撲ファンの間でよく行われていた「タニマチ気質(かたぎ)」が、広がっているらしい。

 それも、こういった「群像」タイプのドラマが増える原因となっているのか?

 こうやって考えてみると、「孤独な英雄」と呼べるヒーローなど、ほとんどいないことに気づく。

 だいたい、作り手からいえば、そんなヤツのハナシは書きにくいのだ。

 物語に起伏がつけにくい。

 盛り上げにくい。

 おまけに、自分だけで自分の身を守らねばならないから、人を信じないし自分のことしか考えない。

 スゴク嫌なヤツになってしまうのだ。

 そういった、エゴイズムのカタマリ・ヒーローの代表格は「ゴルゴ13」になるのかな。

 前時代的な絵柄と、ステロタイプにコテついたストーリーテリングには、好みが別れるところだろうが、あれは確かに「孤独な英雄」を描いた物語だ。

 コブラも、たまに、ある目的のためにグループを作ることはある。仲間に見える登場人物が出てくることもある。

 だが、それは物語を盛り上げるためにであって、少年誌に出てくる「ユージョー」的に甘ったるい、もたれ合いではない。

 いわば、大人のつながり。

 たとえば、友人が、何かトラブルに巻き込まれたことを第三者から聞かされた時に、すぐソイツに電話して、「ドーシタ、ダイジョーブカ、何カシテホシイコトハ?」と騒ぐのがガキのユージョー。

 しばらく経ってから電話し、軽く世間話だけをして、暗に『オマエニハオレガイル』ことを示唆し、頼ってくるまでは何もせず、ただ、その時のために精神的ウォームアップをし始めるのが大人の関係……いや、ちょっと違うな、うまく表現できない。

 言葉は難儀だ。

 事象を、明確に固定化する代わり、それに伴うアトモスフィアをこそぎ落としてしまう。

 いや、今回は、孤独な英雄の話だった。

 上で書いたような、キャプテンモノや群像モノでない、英雄譚(たん)は、書き続けるほどに主人公は孤独になっていく。

 なぜなら、自分ひとりが傑出した強者であるがゆえに、自分以外のもの、知人、友人、恋人たちは、すべて死んでいくからだ。

 自分は死なない、死ねない、だが愛するものは死んでいく。

 これでは孤独に成らざるを得ない。

 飛び抜けて強靱な英雄を描けば、そいつは孤独になってしまうものなのだ。

 それが嫌であれば、いや、もっと直截にいえば、ハッとさせ、ホッさせ、ニッとさせる、起伏に富んだ泣かせる話が作りたいのであれば、孤独な英雄の話は書いてはいけない。
 つまり、真に孤独な英雄のハナシを書ける作者は、ほんの一握りにすぎないのだ。

 念のため付け加えておくと、孤独な英雄と似て非なるモノに「破滅型主人公モノ」がある。

 ハメツガタも、自分勝手で、無敵(捨て身なのだから当然)だが、これは違う。

「バクネヤング」などはこれにあたるのだろうが、これは英雄モノとは分けて考えなければならない。

 孤独な英雄は自ら死を望まない。

 生きることを厭(いと)って破滅へ突き進むハメツガタとは根本が違うのだ。

 押念。

 以上、世にあふれる作品のほとんどは、チーム・キャプテンモノ、似而非(エセ)ピカレスクモノ、群像モノのどれかに分類されてしまうことになり、いま「孤独な英雄」が書かれることは、ほとんどなくなってしまった。 

 「孤独な英雄」は死に瀕しているのだ。

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2010年1月22日 (金)

CENTRAIR Airport -BABBI-

クリックすると拡大されます。

Babbi

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法起寺遠景

Hokkiji

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法隆寺

Houryuuji

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Herb -Summer Green-

Habu

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御手洗峡 -秋- 2

Akame2

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御手洗峡 -秋- 1

Akame

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槍ヶ岳の肩で甲羅干し

Yari

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豊川稲荷 2

Nobori

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豊川稲荷 1

Kitune

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投入堂付近之地蔵

Nageire

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皆生海岸 鳥取県

Kaike

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倉吉街並

Kurayasi

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鳥取砂丘

Sakyu

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水道橋

Dome

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東京 上野 科学博物館前

Kahaku368

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大阪 難波 OCAT

Ocat

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2010年1月19日 (火)

この「快適な目覚め」はアメリカなら余裕で逮捕されるレベル

 「失われた時を求めて」は、マルセル・プルーストの長編小説だが、現代人は、そんなものより「快適な朝を求めて」いるものらしい。

 では、「快適な朝」とは何か?

 それはおそらく、「どれほど短い睡眠時間」でも、「起きなければならない時間」に「パッチリと目が覚め」て、すぐに活動を開始することができて、「眠りへの揺り戻しが襲って来ない」ような朝のことだろう。

 言い換えれば、「ちょっと横になって眠らずにいたよう」な眠りが理想なのだ。

 が、哀しいかな、余人は知らず、わたしの眠りはそうではない。

 いや、今は自由に寝たり起きたりしているので、それほど起床が苦痛ではないが、かつて、勤め人だった頃は、それは朝が辛かった。

 必ずしも、「早く寝れば気持ちよく起きられる」モノではないことを、皆さんご存じだろう。

 早く寝て、たっぷりと睡眠をとっても、眠くてたまならい時もある。

 これは何故か?

 最近になって、その理由が解明され、その理屈を利用して、「気持ちよく、朝起きることのできるマシン」も開発されるようになった。

 その一つが、このiphoneアプリだ。

 Sleep Cycle alarm clock(115円)

027

 「今ならSale」の文字に飛びついて購入してしまったのだが、これを、

028

 このように枕元において、

029

 明日目覚めたい時刻を設定すると……

030

 こんな画面なって、翌朝、爽やかに目が覚めるのだ。

 そして、さらに翌日、このような↓

031

 眠りのグラフも表示され、自分が何時頃に深く眠っているかもわかるのだった。

 しかし、そんな魔法のようなことがあるのだろうか?

 実は、ある。

 随分前から、いわれていることだが、ヒトの睡眠には、大きく分けてレム睡眠とノンレム睡眠がある。

 レムとは、REM(Rapid eye Movement)、つまり急速眼球運動の略で、眠っているのに、目玉が活発に動いて脳が働きつつも、全身が脱力している状態で、「体を休息させる」眠りとされる。

 だから、夢は、脳が活動している「レム睡眠」と「浅いノンレム睡眠」中にみるといわれるのだ。

 これに反して、ノンレム睡眠は、脳も体も休息する眠りだ。

 研究によって、眠りの深さは「四段階」に分けられるようになった。

 平均90分を1サイクルとして、レム-ノンレム睡眠を、一晩に3~5回繰り返す。

 眠りに入ると、グッと深いノンレム睡眠に落ち、その後、レム-ノンレム睡眠が交互に現れ、朝に向かうにつれて、眠りの波自体が浅くなっていく。(下図参照)

032

 これは、先ほどのソフトのグラフと同様のものだ。

 つまり、朝に向かうにつれて「眠り全体が浅く」なり、その眠り自体も、レム-ノンレム睡眠間で「揺れている」わけだから、設定されたアラームの前後で「レム睡眠になった瞬間」にベルを鳴らしてやれば、眠りの浅い状態から起床するとができるというわけだ。

 先に書いた、ちょっと横になって起きた、ような状態になるわけである。

 そもそも、ノンレム睡眠時は、脳も体も休息し、成長ホルモンを分泌する大切な時間なのだ。

 成長ホルモンは、新陳代謝を促し、細胞を修復・活性化させるホルモンで、不足すると、老化が促進されてしまう。

 つまり、睡眠サイクルを無視し、朝のノンレム睡眠時に、無理矢理アラームで起こすのは、アンチ・アンチエイジングで、体によろしくない。

 先のソフトは、iphoneのセンサーを使ってベッドの揺れを感知、ヒトの寝返りを計測し(つまりノンレム時は寝返りをうたないと判断)、それから数日かけて睡眠サイクルをキャリブレート(微調整)して、サイクルにあった「起こし」をしようとういう野心的なソフトなのだった。

 設定したアラーム時刻より前の、一番眠りの浅いサイクルで起こしてくれる。

 うまく機能している使用者の感想では、「だいたい20分ほど早く起こされるが、気持ちよく起きられる」らしい。

 これからは、このソフトを使って質の良い睡眠をとろう、と、昨晩、枕元に置いて寝てみた。

 その結果は……

 マンマミーア!

 なんタルチア!(もういいって)

 上の設置写真を見てもらえば分かるように、このソフトは、iphoneをベッドの枕元に置いて使うようになっている。

 ベッドだ。

 ベッド!

 健康のためと信じて、わたしは、ひどく薄っぺらな煎餅布団を、和室の畳の上に直に敷いて寝ているため、少々寝返りをうっても、まったく枕元は揺れないのだった。

 今朝になってチェックすると、最初にちょっとだけ上に上がって、そのあとはずっと一番下でフラットな線になっているグラフの姿があった。

 どーしよう?

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2010年1月16日 (土)

白ロム携帯電話購入

 長らくお世話になってきた携帯電話(D902i)がミマカラレました。

 二ヶ月ほど前から、たまに液晶がうつらなくなるなぁ、と思っていたのですが、iphoneをメインで使っていて、こちらは母や姉との家族間専用だったので、放置しておいたところ、先日、ついに液晶が消えてしまったのです。

 着信も、手探りワンタッチボタンによる発信もできるのですが、さすがにこれでは不便なので、マシンを交換することにしました……

 思えば、この電話を手に入れた時も、その記事をブログに書いているんですね。

http://kabulaya.way-nifty.com/kiseki/2006/01/post-4ff6.html

 基本的にわたしは「日記ブログ」を書きませんが、こうしてみると、案外、日記タイプのブログも個人としては役に立つのかもしれません。

 さて、マシン交換です……が、わたしは、Docomoではメールもしませんし、通話もファミリー割引によるほぼ基本料金+アルファしかかからない「最低利用状態」のため、「とにかく何ヶ月かもってくれたエエワ的中古白ロムマシン探し」をすることにしました。

 ご存じのように、最近の携帯電話は、ロックのかかるau以外、SIMカードさえ挿入すれば、すぐに新しいマシンが使えます。

 近頃は、こういった「ROMなし中古携帯電話販売」もいろいろなところで行われていますが、だいたいにおいて、そういった店では、「とにかく古い安いブツ」よりも、「比較的新しめの機械を新品よりも安く提供」といったスタンスで、値段が結構はるものが多いのです。

 いろいろ探したところ、というか、値段と知名度で判断して、結局。ジョーシンのツーハンで購入することにしました。

http://www.rakuten.co.jp/jtus/943449/

 さすが携帯電話天国ニッポン。

 出回っているモノの量が違う。スケールメリットというべきか、数が多いとタマも多いですね。

 2000円台、3000円台といった、とにかく安いブツがゴロゴロと転がっている。

 以前から、上新電機が白ロム中古携帯販売を始めていたことは知っていましたが、まさか自分が買うことになるとはおもいませんでした。

 結局、2000円足らずのP902isにしました。

 考えてみると、Dの前はパナソニックでした。ワンプッシュでオープンするのが、スタートレックの通信装置ライクで結構好きだったのです。

 届いてみると、多少のキズはありますが、液晶もキレイでドットカケもホコリ混入もなさそうです。

 バッテリーは、あとで安いヤツを買うつもりです。たしか500円ほどだったかなぁ。

 カメラもキチンと写るし、もちろん電話もかかる。

 なにより、ボディに埋め込まれたLEDのキラメキが、なかなか面白いじゃないですか。
 

026

(↑光っているのはLEDで、明かりが反射しているのではありません)

 あれ、ついこの間、iphone普及の敵として、世の女性たちが感じている「iphoneは(光らないし)キレイじゃない」というデザイン優先の考えを指摘していたのは誰だったのかなぁ?

 ああ、ここ、ここ↓

http://kabulaya.way-nifty.com/kiseki/2009/07/iphone-e8fc.html

 まあ、どのくらい使えるかは不明ですが、送料を合わせても2千円台ですから、半年ほどもてば、御の字というところではないでしょうか。

 なんか新しいデンワを持つっていう楽しみもあるし……

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2010年1月15日 (金)

PlayStation.com(Japan)|torne(トルネ)™|torne(トルネ)™とは?

 友人から以下のメールがとどきました。

 PS3に接続すると、ゲーム機が地デジ録画マシンに変身するという周辺機器だそうです。

Torune

 その名を、SONY トルネ 9,980円(税込)

 以下メール本文。

---------------------------------------------

 1万円でPS3で地デジ録画可能になるだけでなく、PSPへの変換機能がついているということは、720x480のDVDクオリティへ簡単変換が可能になる…ということ?

 …だとすると地デジ放送→MP4→DVDという変換がめっちゃお手軽にできる…という素晴らしい仕様だと思ってます。

 …が、ゲーマーやコアユーザ以外の人からみると、1万円の録画もできない単体チューナーというつまらないモノに見えるかも…

リンク: PlayStation.com(Japan)|torne(トルネ)™|torne(トルネ)™とは?.

----------------------------------------------

 うーん、たしかに、二万円半ばのPS3と9千円あまりのこのトルネ(録るネ?)、両方足しても四万円に足りない値段で、ブルーレイプレイヤーと、キーワード登録可能なPSP変換機能付き地デジレコーダーが手にはいるというのは良いかもしれませんね。

 USB外付けのHDをつなげば、簡単に録画容量を増やせるのも良い。

 出先で、簡単にPSPによるドラマ鑑賞ができるのも便利。

 問題は、わたしが、現在、そういったゲームを全くしないためにPS3のゲーム機能が無駄になってしまうということですね。

 そもそもPS3はおろかPS2も持ってないし……

 良さそうだけど「道なお険し」です。

 しかし、SONYという会社は、PSXの頃から、こういった「ゲーム機録画マシン化計画」の好きな会社ですね。

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寅トラ虎

 昨日は、考古学研究所付属博物館(奈良県橿原市)に行って来ました。
 
 新聞で、寅年にちなんだ特別陳列「寅トラ虎の巻」が1月17日で終了するのを知って、出かけたのです。

022

 長らく訪ねていませんし、前に行ってから、新たに「藤ノ木古墳」や「箸墓(はしはか)古墳」の発掘もなされたため、常設展示も様変わりしたのではないかと思ったところ、案の定、かなり様子が変わっていました。

 虎特集の特別展示には、下の「寅像の拓本」など、面白いものも結構ありました。

023

 像の拓本っていうのが面白いですね。

 さて、今回のタイトルでもある「寅トラ虎」、これは、もちろん第二次大戦の「ニイタカヤマノボレ」……ではなく、真珠湾攻撃の際、その成功を見て、ハワイ攻撃隊長、淵田美津雄中佐が発した電信「トラトラトラ」から得ています。

 その意味は、ワレ奇襲ニ成功セリ、なのですが、なぜトラx3であったかご存じでしょうか?
 それは、聖徳太子が、信貴山にて物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したという伝説にちなんでいるからだそうです。

 ちなみにもうひとつの有名暗号「ニイタカヤマノボレ」の「ニイタカヤマ」とは新高山、台湾の現「玉山」の当時の日本式呼称で、正式暗号電文は「ニイタカヤマノボレ一二〇八」でした。
 一二〇八=12月8日のことで「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意であったといいます。

 では、寅と虎はどう違うのか?

 パンフレットによると、時間や方位を表すのに使われた「十二支」(じゅうにし)は、それぞれ動物の名前が割り当てられていて、その十二支「寅」に割り当てられた実在の動物が「虎」なのだそうです。

 寅は、方位では東北をあらわし、時間では午前3~5時(寅の刻)で一日の始まりを示しています。

 さらに、旧暦の1月は「寅月」で、年の始まりも表しているなど、十二支の中でも特別なものであったのではないかと書かれています。

 特別展の後で、常設展に行って、思いがけないものを見ました。

 それは、近年、藤ノ木古墳で見つかった、(おそらくは)祭礼用の刀と、鎧です。

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024

 写真ではよく分からないかも知れませんが、上の鎧は、胴回りも胸回りも随分大きいのです。

 そして刀もなんだか大きい。

 刃を柄(ツカ)に固定させるために使うクギ・目釘(めくぎ)を打つための穴のまわりに、ユダヤの六芒星に似た文様が刻まれ、非アジア的な、西洋風の雰囲気すら漂う復刻された刀は、異常に長大・幅広で、ツカの手を守る部分(ハンド・ガード)も異様に大きく、それを扱った人物が相当大きかったことを示しています。

 少なくとも、今の平均的日本人男子より大きい感じです。

 藤ノ木に葬られた人物(二人とされています)が特別大きかったのでしょうか?

 否。

 そもそも、日本人はそれほど小柄では無かった、というのがわたしの考えです。

 理由は、古代、少なくとも近世近くまで日本人は肉食をしていたからです。

 縄文人の男性は、165センチ程度の身長をしていたといわれています。

 後の戦国時代には、知恵と小兵ゆえの身軽さで成り上がった、秀吉のような武将もいたでしょう。

 しかし、基本的には膂力(りょりょく)の強い大男が将軍になることが多かったはずです。

 「愛」の直江兼嗣は175センチ程度だったらしいですし、2002年の大河ドラマでは、妻が大柄な松嶋菜々子であったため、妙に小柄な印象のあった前田利家も大男だったと言われています。

 それはそうでしょう。

 相手を殺し、生き残らねばならないという、実力主義の戦場でモノをいうのはやはり体力ですから。

 だからこそ、徳川の世に入って戦乱がなくなり、肉を避けた食生活を長期間続けた結果、あの荒俣宏氏がいわれるように、史上もっとも小さくなってしまったのが幕末の日本人だったのです。

 明治になって、諸外国の武人たちは、日本の軍人を率いる将校・貴族たちが、一様に兵士以下の体格をしていることに驚いたそうです。

 外国では、兵士を率いる将校・貴族たちは、どの兵士達より体が大きかった。

 考えてみればアタリマエです。

 後の世で、貴族になったり階級が上にいるということは、祖先が商才を発揮して成り上がったので無い限り、どの世代かで、力を用いて成り上がった人物がいる、ということです。

 もちろん、例外はあるでしょう。

 しかし、彼らのは多くは体格に恵まれていたはずです。

 その子孫である貴族たちも、大柄である可能性が高い。

 しかるに、日本だけは、将校が兵士より小さかったというのですね。

 今、食生活を変え生活様式を変えて、日本人の体格は、やっと縄文から大和時代のサイズに戻ってきているのかもしれません。

 そんなことを考えながら、家に帰ってきました。

続きを読む "寅トラ虎"

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2010年1月13日 (水)

米国無人攻撃機登場

 先ほど放映された、昼の米ABCニュース(日本時間午前八時放送)で、アフガンへの無人機攻撃をとりあげていました。

 日本に数十ある米軍基地のうち(正確にいうと90カ所。全部で134カ所の米軍基地があるが、うち44カ所は自衛隊との共用)の、たった一つの移転問題だけで「両国の関係にヒビが入りかねない」などという、どこの誰の「ためにする」かわからない、フィルタリングされ歪められた日本の報道には嫌気がさしているので、アジアと米国のニュースは、現地放送のニュースを観るようにしているのです。

 同じ「偏向されたニュース」なら、その国の国民が観る、その国のために偏向されたニュースを観る方が、はるかに分かりやすいからです。

 ある国の、御用達(ごようたし)メディアが、例えばその国の大統領のスキャンダルや、対外政策のミスをもみ消すために使われるのは分かる。

 南米の独裁国家や北朝鮮のようにね。

 しかし、世界的に見ても、日本のように、さも自国に利益があるように情報操作しつつ外国(米国)に利するように報道するメディアは珍しいと思うのです。

 今まで、前政権を占領軍的強圧態度で脅しつけ、「思いやり予算」をぶんどって米政府でデカイ顔してきた、「前」次官補や「前」大使を日本に呼んで演説ブたせたら、今の日米外交はダメだ、というに決まってるでしょうに。

 残念ながら、CNNでやABCニュースで、日本の基地問題が話題にべ上ったことはないですねぇ。

 まあ、そりゃいいや。

 今は、無人攻撃機です。

 これですね。名前をドローンといいます。

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 これを、こんなところで、。

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テレビ画面を見ながら操作するわけです

021

 ああ、それで思い出した。 

 かつて、「スターファイター」という映画がありました。

018

 アーケードのシューティング・ゲームが得意なだけの、何の取り柄もない高校生が、田舎のゲーセンで最高得点をたたき出した瞬間に、宇宙船に拉致されるという映画です。

 彼は、蟹のような「どうみても宇宙人顔」をした司令官から、「君のやっていたゲームは、戦闘機のファイターを見つけるために、全銀河に設置されたテストマシンだったのだ」といわれて、銀河軍に参加することを要請されます。

 まるでゲーム漬けの子供達の夢実現映画ですね。

 何の役にも立たないと思われていた、「シューティング・ゲームの技量」が、宇宙を救うスキルであったというのですから。

 もちろん、急旋回、急反転時のGによるブラックアウト(血が頭から下に下がって目の前が暗くなる)、レッドアウト(血が頭に昇って目の前真っ赤)に、ゲームばかりして「ミロ」も飲まない色白の虚弱児が、耐えられるとは思えないので、映画の設定はまったくの虚構なのですが、今回の無人攻撃は違う。

 なんせ、操縦する「ファイター」は、カリフォルニアの基地に座ったまま、カメラを通して観る景色とレーダーを使って、安全なままなのですから。

 いよいよ、日本のゲームヲタク子供たちにも活躍の場が生まれた?

 もう、この飛行機で戦士が死ぬことはない。

 米軍お得意の「誤爆」などが心配ですが、その点についても、

「現地軍にしっかりと情報収集をさせているから、問題はない。この間も、何者かが大きな荷物を運んでいたから攻撃しようとしたが、念のため、現地軍に調べさせると、子供が薪を運んでいたので取りやめた。こういった慎重な運営をしているので誤爆はないのだ」

と、カリフォルニアの責任者は胸を張りますが、現地軍の小隊長は、

「一度でも誤爆をされたら、長い時間をかけて、現地の族長たちと築き上げた信頼関係が吹っ飛んでしまう。それが恐ろしい」

と心配顔です。

 また、同時に、無人攻撃機の責任者は、

「無人機は独特な低音を響かせて飛んでくる。あの音こそが、米軍の威力の象徴であり、彼らに抵抗を諦めさせるものなのです」

と、数十年前から変わらない「思想」を吐露(とろ)してくれました。

 たしか、日本との戦争の時は「B29の爆撃音」と「焼夷弾のヒュルヒュル音」、ベトナムの時は、野を焼き払うナパーム弾を投下する「戦闘ヘリの爆音」が、同じ文脈で使われていたのです。

 問題なのは、それが正しいとは思いたくはありませんが、

「戦争を終結させる時期の『一番の目安』は、それによって流された兵士の血の量である」
ということです。

 近代戦に特徴的な、ゲリラと戦う「ForeverWar:終わり無き戦争」を続ける、攻撃する側の軍にとって、撤退の目安は戦死者の数です。

 それが無人機によって無くなれば、戦争は終わらなくなる。

 さすがに、まだ戦争の最終局面は「ブーツ オン ザ グラウンド」陸軍の兵士がその地に赴いて、治安を回復させなければ訪れませんから、完全無人による戦争などは、まだまだ先のことでしょう。

 しかし、戦争で政治家が一番非難されるのは、兵士として「自国の若者を殺す」ことですから、少々、コストがかかっても「死なない」兵器の開発は、今後も続いていくことでしょう。

 いつのまにか、実用段階に入っていた「無人攻撃機」の米国内向けニュースをみて、そんな心配をしてしまいました。

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2010年1月 8日 (金)

ゴマメの歯ぎしり?: ツイッター

 以前にこのブログでも書きましたが、積極的ではないものの、一応、わたしもツイッターに参加しています。

 オバマ大統領、鳩山首相等、気になる著名人何人かと、自分と好みの合う人を、何人かフォローしているのですが、今朝、その人たちのつぶやきに激震が走りました。

 まあ「激震」はちょっと大げさですが、かなりの人が一斉に「そのこと」について書き始めたのですね。

017_3 

 「そのこと」とは、谷垣総裁(この野党では自民党の代表だけにつける「総裁」っての、もう辞めましょうや、代表でしょう、つまりは)が、七日、鳩山総理がツイッターを始めたことで質問を受け、

「つぶやきは好きな方にしていただければ足ること。わたしはつぶやかない」

と宣言し、

「自分の性格としてつぶやきを言うのはあまり好きではない。ものを言う時は論旨明快に言いたい」

さらに

「ブログはやらないのか」と問われると、「時間的ゆとりがなく、具体的に考えていない」

と答えたというものです。

 まあ、一般の方にとっては、「いっときの流行りに流されない保守層向けの言葉なのかなぁ」という程度の感想かもしれませんが、なにせ「〜ナウ」の人たちのつぶやきですから、一斉に、

「意識が低い」「時代が読めていない」「だから負けた」などという非難がわき起こったのです。

 まあ、「政治家が軽々にそういったハヤリモノに飛びつくのは、いかがなものか」とわたしも思うので、あまりそのことについては感想はなかったのですが、あらためて谷垣氏の発言記事を読み、

「私なら『ごまめの歯ぎしり』のようなことはしない」

と揶揄(やゆ)したのを知って、なるほど、と痛くなるほど強く膝を叩いてしまいました。

 うまいこというなぁ。

 いや、前々から、谷垣氏は、人が良さそうでアクがなく、妙にポップなロードレーサー(自転車)に乗っているから政治家向きじゃないけれど、さすがに頭の良い人だけあって、時折発せられる言葉が、妙にいい得ていて、ハッとさせてくれることがあるんですよ。

 「ごまめの歯ぎしり」を辞書で調べてみると、

 力のない者がいたずらに憤慨し、悔しがることのたとえ

 とある。

 正しくツイッターの一面を突いていますねぇ。

「何か気に入らないモノがあったときに、それを「まっぷたつ」に一刀両断、斬り捨てられる言葉を、つい探してしまう」とは、故伊丹十三氏が伊丹一三(いちぞう)名義で書いた「ヨーロッパ退屈日記」の中のコメントだったと記憶しています。

 日本人が、そのブランドモノ自体の本質的な良さに気づかず、単に高級品に憧れて見当違いの方向に走ってしまう、たとえばフォルクスワーゲンに乗りたいけれど、高くて手が出ないので、代わりにチープなVW模様のネクタイをしめる(いや40年近く前のハナシです)のを伊丹氏が見て、こういうヤカラをまっぷたつにする言葉が欲しいと考え――あった!それは「小市民め!」だ、と叫ぶのですが、今回の「ごまめの歯ぎしり」というのが正しくそれだと思うのですね。

 本当にうまい言い回しです。言い得ている。

 ツイッターの本質は、大多数の力がない一般ピープルが、なんだかんだと政治や芸能ネタや、その時あった良かったこと悪かったことを、リアルタイムに「ただツブヤク」だけなんですから。

 しかし、言い得ているだけに、そのことが却って、谷垣氏が「頭は良いが政治家向きでない」ことを露呈しているように思えます。

 政治家は、理想と現実の両方を、その掌の上に乗せていなければならない。

 少なくとも、選挙民には、そう見せなければならないと思うからです。

 確かに、現段階の日本のツイッター浸透度は、オバマ大統領が大統領選で有効利用した米国とは雲泥の差ががあります。

 だから、谷垣氏が重要視しないのはわかる。

 おそらく、選挙の鬼、小沢氏も、あまり重要視していないでしょう。

 実利からいえばそうです。

 しかし、理想をいえば、そういった「ごまめの歯ぎしり」の中にこそ、市井(しせい)を流れる「人々の真実の姿」が反映されるもので、政治家はそれに耳を傾けなければならない。

 だから、そんなこと言っちゃダメ。

 まあ、おそらく谷垣氏は、ツイッターをよく知らないのでしょう。

 ツイッターは、発信装置として使えば、「ごまめの歯ぎしり」になってしまいますが、情報収集装置としてつかえば、かなり便利な地獄耳となり得るのですから。

 あるいは、政権選挙に惨敗してからも議事堂の部屋を明け渡さず、「総裁」を名乗り続けなければならない、かつての与党代表として、もし自分がツイッターでメッセージを発信などしたら、それこそ正しく真の「ごまめの歯ぎしり」になってしまうからやらない、と、谷垣氏は考えているのかも知れません。

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2010年1月 5日 (火)

おっきいちっさいはなし: プランクとディラックとエッチバー

 物理学にプランク定数hというモノがあります。

 今の指導要領が、どうなっているか知りませんが、昔なら高校で習った定数です。

 理系なら結構馴染みがある。

 h = 636 260 693(11)x10(-34) [m2kgs-1]

 これは小さい。どれぐらい小さいかというと、指数ではなく実際にゼロを並べたら、

h=0.000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 662 606 93(11)[m2kgs-1]

 確かに小さい。

 あらためて書いてみると、こんな小さい数字が、いったいどんな意味を持っているのかと思います。

 だいたい、モンノスゴク小さい世界というのは、われわれが考える物理法則の当てはまらないミョーなことが多くなって、それを説明するのも「物理的」(古典物理的?)ではなくなってしまうのですね。

 プランク定数 hは、光と密接な関係があります。

 光は「光子」(こうし)の集合であるとされます。まあ、光のツブですね。

 そいつはエネルギーを持っていて、それは分子の熱エネルギーと同じで振動数によって決まるそうです。

 そのエネルギー E = h x μ(ミュー:振動数)

 つまり、プランク定数hは光子エネルギーの比例定数なんですが、光のツブひとつが持つエネルギーなんてたかが知れています。

 そしてブルブル震える振動数は、きっとかなり大きいハズ。

 でかい数字を小さくするためには、モンノスゴク小さい数を掛けなかればならない、というわけで、上のように、プランク定数は極端に小さいのですね。

 また、光子は「同時に波の性質も持つ」とされていますので、波の山と山と間の長さ(波長)も持っています。

 それも、このプランク定数hを使って、

 波長λ(ラムダ)=h / p(運動量)

 と書けるのですが、光1個の波の長さなんて大きいわけがない。

 だから、やっぱり、hはものすごく小さいのです。

 なるほど、あってる。

 プランク定数を発見したのは、マックス・カール・エルンスト・ルードヴィヒ・プランク(1858-1947:ドイツ)です。

 なんか、どこかで聞いたような名前の、寄せ集めみたいな名ですね。

 それはともかく、彼が、ちっこいことにこだわる学問「量子力学」の生みの親ということになっています。

 さて、ここからが本題です(って、まだ先があるの?って思いましたか?)

 プランクより遅れること50年、英国にポール・エイドリアン・モーリス・ディラックという男が生まれます。

 物理学者です。

 彼も、ミュージシャンとボクサーの妻とルパン作家を足したような名前ですね。

 まあ、おそらくSF好きなら「ディラックの海」などで彼の名は馴染みでしょう。

 ディラックは「相対論的量子力学」なるものを考えだしました。

 相対論は当時の流行りでしたから、まあ、それはごく普通の流れですが、ディラックがスゴイのは、

・陽電子の存在を予言し
・電磁場や音波に量子力学を適用するために「第2量子化」なる数学的手法を発明し
・ディラック数(10の39乗)、ディラック大数を予言し
・磁気の一粒、モノポール(磁気単極子)の存在を予言する

といったように、湧き出ずる天才的アイデアを吹きまくって、ノーベル賞まで取ってしまったことです。

 ただ、あまりに先進的すぎて、モノポールもまだ見つけられてはいませんし、ディラック数も検証されていません。

 一応、ディラック数について簡単に書いておきます。

 プランク定数と違って、これはデカい。

1000000000000000000000000000000000000000
 当時、ディラックは「宇宙の大きさ」を10億光年(だいたい10の25乗m)と見積もりましたが、これは、電子の大きさを示す「古典的電子半径(2.8x10の-15乗)」の10の39乗倍(ディラック数)になります。

 同時に、電子と陽子の間に働く「電磁気力」と「重力」の比は、やはり10の39乗倍(ディラック数)になるのです。

 この巨大な数の「一致」は偶然ではないに違いない。何か関係があるはずだ、というのがディラックの主張でありました。

 けれど、上記のように、残念ながらこれは未だに検証されてはいません。

 これからが、今回の結論です!

 ディラックは、プランク定数hを2πで割ったものを「ディラック定数」として流行らせました(ディラック数とは違いますよ)。

これは、

と書くのですが、この数字は、流行ったわりに「ディラック定数」という言葉は定着せず、「換算プランク定数」などと呼ばれたりした後、結局、その字面から「エッチバー」と呼ばれることになっています。

 どうです、ダンナ。エッチバーっすよ。

 宇宙の神秘を解きかねない数字が、風営法の規制対象みたいな名前に落ち着くところが、なんだか行雲流水という感じでゲスね(意味不明)。

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迷彩服を脱いだ英雄たち: GIジョー

 「GIジョー」を観ました。

 子供の頃から、GIジョーといえば、軍服あるいは迷彩服を来た兵士、のイメージがあるのですが、今回のGIジョーは、最新鋭のハイテク装備を身にまとったスペシャリスト集団という設定です。

 最近観た「アクションバリバリ」の映画の中では、すっきりと観やすい映画だったと思います。

 アクションは激しいながら、固定カメラによるどっしりとした映像?が、観る側に無用のストレスを与えないのが良いですね。

 近頃は、技術の進歩によって手持ちカメラ撮影ができるようになったため、躍動感を出せると錯覚した撮影監督がカメラを振り回す映像が多くて不愉快ですが、この映画はそんなことはありません。

 オリジナルであるGIジョーの「フィギュアに体型が似た」役者を集めてキャスティングしたといわれているだけあって、知った顔は多くありませんが、スタイルは抜群です。

 GIジョーの関節可動フィギュアの体型って、日本の文楽人形に似たプロポーションですからね。10頭身くらい。

 最近のアクションものに必ず出てくる、ガサツで乱暴な「過度に男性化した女性」も、この映画には出てきません。

 わずかに敵役の女性がそれっぽいですが、まあ、あれはナノテク・ロボットによる洗脳なんだ、ということで納得できます。

 ご覧になっていない方のために、簡単に説明すると、今回のGIジョーは、「ナノテクロボット」が重要な役割を果たしています。

 鉄を分解する「緑の霧」のようなナノ・サイズ(十億分の一[m])の極小ロボットが主要な武器ですし、違うタイプのナノ・ロボットを体に注入されて体の復元力を強化され、意識を支配された兵士が敵役。

 緑の霧のような、鉄分解ナノロボットは、超駄作リメイク版(つまりキアヌ・リーブス版)「地球が静止する日」でも使われていましたね。まあ、あんな感じです。

 対するGIジョーは、予告映像でも流れているように、油圧とモーターによる強化外骨格加速服は着用するものの、中身は生身、つまり天然モノの人間です。

 身体能力にすぐれたメンバーの中にあっても、子供の頃、師匠を兄弟弟子のイ・ビョンホンに殺された武道の達人スネーク・アイズが特にスゴイ(写真右端)。

 師匠の死を機に沈黙の誓いを立てた彼は、ひと言も話さず、シリコンのマスク付き全身黒スーツを身にまとって、生身でスーパーアクションを楽々とこなしていきます。

 エンディングは、明らかに続編を意図して作られているので、まだまだ続きを楽しめそうです。

 いや、楽しめるんでしょうね。

 かつて、わたしが個人的に好きで、米アマゾンで英語版DVDまで買った「ロスト・イン・スペース」は、明らかに続編意識バリバリのエンディングだったのに、人気低迷で打ち切られてしまい、未だ、ロビンソン・ファミリーは「宇宙で迷子」のままですから――

 もっとも、オリジナル・テレビ放映番「宇宙家族ロビンソン」も、最後は人気低迷で、打ち切られ、地球には未帰還ですから、「Lost in Space」という番組は、タイトル通り、地球に戻ることのできないように運命づけられているのかもしれません。

 GIジョーに関しては、もともと「戦地に赴いて再び戻らず」――という設定ではなかったので、おそらく続編を観ることはできるでしょう。

 ただ、こういった「無名(に近い)の役者を使った」映画は、往々にして続編で「ちょっと人気のでた役者」の何人かがギャラでもめてキャスト変更されるのが常なので、続編で、イメージのかけ離れた役者に変わらないことを祈っています。

 どうせ変わるなら、マスクを被っているスネークアイズ、敵ボス・コマンダー、子ボス・デストロの誰かに変わってほしいな。


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2010年1月 2日 (土)

コブラふたたび: 今夜11時30分よりBS11にて放送

 今夜、2010年1月2日23時30分。

 数年前より、生誕?30周年記念と称して、数度にわけてオリジナルビデオとして製作されてきた「コブラ」が、声優も新たに(コブラのみ、アーマロイド・レディは同じ)放送が始まります。

 それに合わせて「サイコガン」「タイムドライブ」も借りて来て観ました。

 同時に「GIジョー」も借りましたが、やはり「コブラ」の方が観やすいですね(ジョーについては別に書きます)。

 寺沢武一の作品は、個人的には、今ではちょっとレトロな「ゴクウ」の方が好みなのですが「コブラ」も好きです。

 内容は、オリジナルではなく、「シバの鍵」だそうですが、今から楽しみにしています。

 OVAを観て気づきました。

 コブラは、若いころは渋い色のコスチュームで、年をとってから赤い服に替わっているのですね、

 この辺、ルパン三世に似たところがあります――若づくり?

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2010年1月 1日 (金)

よくわからないなう: Twitter(ツイッター)考

 新年になりました。

 ことしもよろしくお願いいたします。

 ブログが流行りはじめた時、よく人から「ホームページとはどう違うの」と尋ねられました。

 もちろん、

「ホームページはウェブサイトのトップページのことだから随分違うね」

などと木で鼻をくくったような返事はせず、

「簡単に更新できるホームページみたいなもんですよ」

とシンシ的に答えていたのですが――

 実のところ、こうやって自分でブログを更新するようになっても、いまだに「ブログとは何なのか」が、よく分かっていません。

 そりゃあ、通り一遍の知識と今までの経験で、なんとなくブログについて語ることはできます。

 しかし、わたしにとってのブログとは、「固定化されたウェブサイトと違い、個人ベースにおいては、CGIやPHP言語を使ってSQLで管理されたデータベースを、都度(一時的に)HTML形式に組み上げて出力するプログラム」に過ぎないのです。

 もちろん他人様(ひとさま)のブログを引用する際に、相手に引用した旨を伝える「トラックバック機能」や、掲示板的に読者が感想を書き込める「コメント」、その日の訪問者数表示や人気度を計るファン数表示など、相互つながりを促進するための細かいツールは用意されています。

 それらをひっくるめて、容易にウェブサイトを更新できるシステムと、そういったツール群をあわせたものが、わたしにとってのウェブログ実感ですね。

 なぜ、こんなことをあらためて書いたかといいますと、今回は、年の初めということで(関係はないかもしれませんが)、 その後、登場した、新しいサービス「ツイッター」について書こうと思うからです。

 一般の人にとって敷居の高かった「サイト更新」が、ブログになって簡単にできるようになりました。

 その結果、多くの人が、自分の考えや情報を公開することができるようになったのですが、同時にブログ自体が持つ問題も表面化してきました。

 いわゆる「炎上」「荒らし」というやつですね。

 このブログのように人気のないところはともかく、ある程度訪問者数の多い、著名人のブログで、不用意な発言をすると、いきなりブログが「炎上」してしまうのは、皆さんよくご存じだと思います。

 これは、もともと、ブログ自体の設計コンセプトが、利用者の良識を信じた?オープン・マインドに基づいた設計であるためです。

 だから、悪意あるコメントによる「荒らし」の被害を受けたりする。

 一時期、それを恐れて、mixiなどのSNS(ソーシァル・ネットワーキング・サービス)、いわゆる会員制ブログ的なものも流行しました。

 かつて、名刺交換的なビジネス機会の場として、よくSNSが取り上げられていましたが、個人的には「オープンすぎるブログへの恐怖感」がSNSの隆盛を生んだのだと考えています。

 ご存じの方もおられるでしょうが、winnyで流出した写真などの個人名を特定するため、SNSが利用されたことが何度かあります。

 会員制という安心による緩い情報管理のスキをついて、同僚との写真から高校卒業時の写真まで、プロフィールとともに、公開されてしまったのです。

 そこで、「多くの人に意見を見てもらいたい」し、「良い関係を築ける人たち」とは、簡単につながるようになりたい、しかし「『荒らし』などの嫌な行為は拒絶したい」というブロガーの願いに応えるために、ブログの先のネットワーキングシステムが模索されるようになったのです。

 そしてツイッターが設計された。

 要するに、ブログの不具合を修正することで、後発のツイッターは生まれたのです。

 ツイッターは、まるでブログのように、ユーザー登録しなくてもメッセージ(ツイッターでは「つぶやき」といいますね)を読むことも、単語検索もできます。

 しかし、相手の「つぶやき」に「つぶやき」返そうとすると、ユーザー登録が必要になる。

 登録することを「フォローする」といいますが、フォローすると登録先の相手が「つぶやく」たびに、時間順にリスト表示されるようになります。

 つぶやく人は、自分をフォローしてくれている人の数がわかるようになっているので、発信の励みになります。

 内容が面白ければフォローする人も増えるわけです。

 お互いフォローしあうようになると、相手のつぶやきに対してつぶやき返した言葉も表示されるようになりますが、それをフォローしていない第三者が見ると、今現在、見ている人のリストのみが表示されて、それに対するコメントは表示されません。

 もし、第三者が、つぶやきあっている二人ともフォローしていれば、二人のやりとりが見えるというわけです。

「来る者は拒まず」で、フォロー要求があった人を、すべて受け入れていても、そいつが嫌な奴だとわかれば、簡単にフォローをブロックできます。

 それ以降は、その人のコメントは、リストから消え去ってしまうので、自分にとって、楽しい人とだけつながることができる。

 簡単なシステムですが、これは、なかなかウマいやり方です。

 仲間の連絡にも使えるし、会社の広告にも使える。

 政治家の自己アピールにも使える。

 また、逆に情報源としても使える。

 フォローしていなくて、つぶやき返すことはできなくても、見ることは出来るのですから。

 このように、使用法に沿った自動組織化が働くのが、うまいシステムたる所以(ゆえん)です。

 よくいわれるように、1回、140字という文字制限も、手軽に「つぶやく」ために良いのでしょう。

 スティーブンキングという作家は、短編を書こうとすると中編に、中編を書こうとすると長編になるようです。
 わたしも、小説は短い方が書きやすいのですが、こういった雑文は、つい長くなってしまうため、ツイッターでは字数がたりなくなってダメですね。

 短文であることは、同時に、携帯電話などで投稿するのにむいています。

 だから、いつでも「つぶやき」、いつでもリストを読むことができる。

 こういった、メールに似た緩いつながりは、地域の結束が緩んだ、現代人の孤独を癒すために必要なものかもしれません。

 しかし、「いつでも自分のつぶやきに即時反応あり」のツールは、一度ハマってしまうと危険なように感じます。

 かの蓮舫議員が、自身のツイッターで

「DS『イナズマイレブン2』の改造コードの入れ方をどなたかご存知ですか? 私にはさっぱり……」

と、愛息(でしょうね?)の「マジコン」使用を暴露してしまったのは、記憶に新しいところですが、そのあとすぐに、

「そいつは違法だぜ」

と指摘を受けて、

「意味をようやく理解。完璧にダメですね。今、息子に説教ナウ」

といったとかいわなかったとか――

 ああ、個人的に、この「ナウ」ってのがツラいですね。

「〜ナウ」いわずもがな、英語のNOWのことで、「今、やっとります」ということでしょうが、なんか「浅薄ハスッパ」に感じられてダメなんです。

 こういうのに、素早く乗ることができないと、「時流に取り残され」るんでしょうが、それで残されるなら、それでもエエワ、などと思ってしまいますね。

 それでも、携帯端末で、いつでもどこでもユル〜クつながるツイッターは、まさしく「ユビキタス社会」の具現化。

 アメリカでは、「泥棒ナウ」とつぶやいて捕まった人物もいるそうな。

 今後、どれだけ、この新システムが広がっていくか、不安と期待ともに我にありをりはべりいまそがり、という気分ですね。

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