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2009年12月

2009年12月25日 (金)

孤独で暖かい猫のはなし(犬も出てます): ボルト

 ディズニーの「ボルト」を観ました。

 観終わってすぐに観返しました。

 それを観終わって、また観返しました。

 さすがに三度目は、作業をしながら「ナガラ観」しました。

 そして……つまり、非常に恥ずかしいことに、わたしは、このディズニーのコドモ向け映画を好きになってしまったのです。

 しかし――言い訳するようで嫌なのですが、決して、犬のボルトが気に入ったのではありません。

 これからは内容に突っ込んだ話になりますので、未見の方はお読みにならないでください。

 いいですね?

 映画が始まってすぐに、WALL・Eと同じ濃い画質のCG、同じ人間のキャラクタデザインに、最後まで見続けられるか心配になりました。

 ちらっと予告で観た通り、天才科学者に改造されたスーパードッグが、飼い主である彼の娘ペニーを守って――と思ったら、そうじゃなくて、ボルトは自分がスーパードッグだと思いこまされているだけの役者犬だったのですね。

 そして、ボルトは偶然の事故でハリウッドからニューヨークへ送られてしまいます。

 (役の上で)悪漢に狙われているペニーを心配するボルトは、一刻も早く彼女のもとへ戻ろうとしますが、そこで彼は自分がスーパードッグでもなんでもないことを知り――

 あー書いているだけでツマンナイ話だ。

 つまりは、主役を犬に変えただけの「トゥルーマン・ショー」(ジム・キャリー主演)的ストーリーでしょう。

 自分が映画俳優だと気づかないまま生活をしている――

 と、思ったら、ガツンとやられました。

 始まって30分で、この映画の本当の主人公(わたしにとっての、です)、ヒロインが出てきたからです。

 彼女はニューヨークに住んでいました。

 鳩を使ってエサを集めさせ、稼ぎの悪い鳩に対しては「あたしはイイんだけど、このツメとアタシのお腹が直(ちょく)に話をして、お前たちに悪さをしてしまいそうだよ」と、脅しをかける――痩せっぽちのメス猫ミトンズ。

 公開前から、映画館前のポスターで彼女の姿は知っていました。でも、映画を観るまではオスだと思っていたなぁ。

 彼女のハスッパな態度、ちょっとかすれた声(英語も日本語も)、そして身繕いする態度や、ちっちゃな口元――あぶないなぁ、惹きつけられる、いかんいかん。

 やがて、世間にスレたミトンズは、世間知らずのボルトに脅されて、一緒にハリウッドへ戻る旅、つまり大陸横断旅行をともにすることになります。

 そうです。

 この映画はロード・ムービーなんですね。

 ハリウッド映画で、動物が出ているロード・ムービーと来たら、オモシロクないわけないのですが、もし視点をボルトに固定して、この映画を観ていたら、なんてコトのない駄作になってしまうところでした。

 それほど、ボルトという犬の行動は杓子定規でマジメすぎて面白みがない。

 ところが痩せ猫ミトンズの目線で観ると一転して素晴らしく魅力的な映画に変わってしまうのですね。

 彼女は「孤独な猫」だからです。

 やがて自分に特別な力などないことに気づいたボルト、自分が映画の中のキャラクタに過ぎなかったのだと知ったボルトとミトンズは、心を通わせていきます。

 このあたりウマイなぁ。

 かつて、手ひどい裏切りを受けたこと(後述)で、他者を信じることに臆病になってしまった、まるで猫のようにすましたミトンズ(猫だけど)が、ボンボンだけど性格のまっすぐなボルトを好きになっていく様子が、旅の経過とともに語られてほんとうに良いんです!

 何度も我に返って「子供向け映画なのに!」と思ってみても、やられる!ってわかっていても、結局はやられちゃうんですね。

 もう、わたしは完全にヤラれてしまいました。わしづかみですよ。

 彼女はボルトを好きになった、だから離れたくなくなってしまった。

 好きになったら、あとで別れるのが辛いことがわかっているのに。

 臆病に、ちょっとずつすり寄って、それでも鷹揚なボルトが気にしないことを知って、本当に好きになってしまった。

 何度観ても哀しくなるのは、大陸を横断してラスベガスまでやって来たミトンズが、食料が豊富にあるのを知り(何せベガスですから)、おまけに夜には花火が上がるベガスをすっかり好きになって、ボルトに黙ってこっそり段ボールで二人分の家を作ってそれを彼に見せる場面です。

「すまないミトンズ。それでも俺はペニーのもとへ戻るよ」

 そういうボルトの耳を引っ張って道路沿いへ連れ出したミトンズは、「ボルト」の出演番組の看板を示していうのです。

「あたしを見て。あたしはリアルよ」そして看板のペニーをさして「あれはホンモノなの?違うでしょう」

 まるで、テレビのアイドルに憧れるボーイフレンドの前で、恋を告白する幼なじみみたいな感じですね。

 そして、あくまでペニーのもとへ帰るというボルトに対し、激情に駆られた彼女は、ヒトイキに自分の秘密をしゃべってしまうのです。

「人間を信じちゃダメ、それが人間のやりかたなの。大好きだって顔をする。いつまでも一緒だってフリをする。それで、ある日、荷物を全部まとめて引っ越していくの。本当に大事な人だけを連れてね。いらなくなった猫は置き去りにして」

 ここです!

 ここに、わたしは大いに不満がある。

 英語で聞くか、あるいは日本語字幕で観ていると、上の「いらなくなった猫は置き去りにして」の部分が「leave their declawed cat behind to fend for herself(ツメを抜かれた猫をあとに残し、独りで何とかやっていけって)」になっているのです。

 ご存じの方は知っておられるでしょうが、アメリカの猫、とくに飼い猫は、家や飼い主を傷つけないために「declawed:外科的にツメを抜かれる」のです(この一事をとっても、アメリカという国がペットをどう扱っているかわかるでしょう)。

 そう、そして、ここで最初の鳩を脅しつけていたシーンの謎?がとけます。

 ミトンズは、常々「この悪いツメを出して欲しくなかったらいうことを聞きな」と、鳩を脅かしていたのですが、彼女にはツメがなかった。

 つまり、彼女は、一度たりとも実際に鳩を傷つけたことはなかった――

 殊更にツメを強調していたのは、おそらく、愛していた者によってそれを奪われてしまったからなのかも知れません。

 日本語吹き替えだけで聞いている人には、その辺が分からない。

 でも、ここは、かなり大事な部分です。

 ミトンズという、やせっぽちで孤独な猫の、心の底にある優しさと悲しみが理由が凝縮されたセリフなのですから。

 いったい、なぜ、そんな吹き替えにしてしまったのでしょうか?

 アメリカの事情がわからない人を混乱させたくなかったから?

 あるいは、コドモたちに、猫を飼うときにツメを抜くなどというヤバンな行為をアメリカ人がしていることを教えたくなかった?

 いずれにせよ、個人的にはこの部分は大いに不満です。

 おそらく、飼い主に可愛がられていたミトンズは、猫としてもっとも大切なツメを無くしたまま、突然、路上に放り出され、筆舌に尽くしがたい辛酸をなめたのでしょう。

 ツメのない元家猫が、いったいどうやって野良の生活をやっていけるというのでしょうか?

 だから考えた。小さな頭で必死に。

 鳩を脅してエサにありつくことを。ウソをついてね。

 ボルトに出会ったばかりの頃、陸橋の上からぶら下げられて緑の目の男について尋ねられ、適当に答えて「おまえはウソばかりだ」とボルトに決めつけられた時の彼女の表情とセリフを思い出してください。

「そうね、あたしってサイテー。自分でもウンザリ……」

 家から放り出されても、幸い、彼女は独りで生きていけるほどに強かった。
 でも辛かったのでしょう。楽しかった家の生活など思い出したくもないくらいに。

 始めのうち、彼女は、ボルトに「自由が好きだから家を出た」といっていたのですから。

 そう思って、あらためて彼女を見ると、左耳がギザギザに切れているのに気づきます。

 ホント、苦労したんだなぁ。

 結局、ボルトは、ひとりでハリウッドへ行き……ミトンズは、やっぱり彼の後を追います。

 このあたり、彼女が、幼い頃から可愛がられて育ったのが分かりますね。根が優しく、情が深い。

 おそらく、ミトンズはいっぱい傷ついて、そして同時に少しも傷つかずにボルトと出会ったのです。

 素晴らしい。

 その後、なんかボルトは、うまく立ち回って、お約束のペニーとの再会、そしてハッピーエンドとなるのですが、そんなことは、もうどうでもよろしい。

 ありがちな筋立てだったし――

 ただ、新しい飼い主のもとで、ミトンズが、それまでの半眼ではなくクリクリとした瞳で、のびのびと暮らす姿を見つつエンドロールが流れるのを観るのは、この上もなく幸せでハッピーな気分です。

 好きになったんだから仕方ないなぁ、こりゃ。

 ともかく、映画を観ずにこれを読んでしまった人、ならびに日本語吹き替えだけで映画を観てしまった人は、ぜひ、上のツメの部分を字幕で観てください。

 ミトンズという、痩せたメス猫の目線で観れば「ボルト」は素晴らしい映画なんですから。

 あー、最後に少しだけ蛇足と心配を――

 映画のラストで、ボルトとの生活を守るために、ペニーは子役を辞めてしまいます。

 それまでのシーンから想像するに、売れっ子のペニーは、シングルマザーとの二人暮らしのようです。(日本の場合は知りませんが、ハリウッドの場合は、だいたい、コドモを必死に売り込むのは、ステージママであることが多いですから)

 つまり、ミトンズたちも、シングルマザーとの生活に入るわけですが、問題なのは、彼らの住む家がやたらとデカいことです。

 母親も働いていないようだし、いくらこれまでの蓄えがあるといっても(子役のギャランティはそれほど高くないハズ)、あの生活が維持できるか心配になってきます。

 塩辛いことをいうようですが、せっかく幸せになったミトンズが、ある日再び、独り空き家に残され、ペニーと母は「本当に大切な」ボルトとライノ(ハムスター)だけをつれて去っていった、ということがないように、一刻も早く、ペニーには別の子役でカムバックして欲しいと思います。

 つまり、「働けペニー、ミトンズのために!」ですね。


ボルト
3,360円

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なんだ日本にもあったんだ、誇れるモノ: DAYS JAPAN

 このブログでは、あまり直截(ちょくせつ)的な宣伝行為をしないように心がけているのですが、今回は、あえて、ある雑誌の紹介をさせていただきます。


 ここ数年「ジャーナリズムの危機」が叫ばれ続けていますが、特に、今回の「100年に一度」の(かどうかは知りませんが)未曾有の経済危機と、ネット(特にインターネット)の普及を受けて、出版業界全体が深刻な経済不況に見舞われています。

 ジャーナリズムの持つ良心と矜持(プライド)が危機なのではなく、金銭的な危機ということですね。

 その結果、著名な雑誌や新聞が廃刊、あるいは休刊を余儀なくされていきました。

 20世紀に入って、写実的に風景を切り取ることのできる「写真機」の小型化高性能化を受け、人々を啓蒙し、事柄を直感的に伝えるため、文章より写真をメインに構成した「フォトジャーナリズム」という考え方が発達しました。

 代表的なものは、1936年創刊のLife誌や1888年創刊のナショナル・ジオグラフィック誌でしょうか。

 あのロバート・キャパなどもこういった雑誌から世に出たのですね。

 その後、1970年を境に、テレビの発達(および、その後の素人投稿のネット動画など)によって、これら写真雑誌は徐々に衰退してきました。

 しかし、たまたま現場に居合わせた素人の携帯電話による動画より、真実を伝えたいという使命感(とおそらくは功名心)で、敢えて危険な地域に出向くフォト・ジャーナリストの手による一枚の写真が、多くを語る場合があります。

 残念ながら、ここ数年Lifeをはじめ(2007年に廃刊:その後ネットで細々と存続)こういったフォト・ジャーナリズムの雑誌、とくに良心的な雑誌は次々と姿を消しています。

 だから、報道カメラマンにとって、作品を発表する場がどんどん縮小されているのです。

 話は変わりますが、フリーの報道カメラマン、あるいはどこかの社に所属していながらトビキリの一枚を撮った良識派カメラマンは、その写真をどうすると思いますか?

 本当なら、馴染みのマスコミ、あるいは自分の所属する会社で、その写真を発表したい。

 しかし、それがジャーナリズム的に「重い」写真で、様々な思惑から大手の新聞社などでは掲載が見送られる可能性がある場合……

 そんな時、彼らは(良心的であればあるほど)自らの利益を無視しても信頼できる雑誌にその一枚を送ろうとします。

 その雑誌こそ、今回紹介する「DAYS JAPAN」です。

 おそらく、一般にはほとんど知られてはいないでしょうが、カメラマン広河隆一氏によって五年前に日本で創刊された「DAYS JAPAN」は、世界中の著名なフォトジャーナリストが、口々に「あの雑誌なら信頼して写真を託せる」と名を上げる雑誌です。

 言い換えれば、日本が誇る「最後のジャーナリズムの砦」といっても良い。

 よく、人の命が危険にさらされるのを目撃した時、助けるために駆け寄れば「人間としては合格」だが「ジャーナリストとしては失格」だといわれます。

「ジャーナリストなら、その場面を写真に撮れ」と。

 個人的には「そんなジャーナリズムならいらねぇよ」と思うのですが、一枚の「空腹にうずくまる幼子の横で待つ禿鷲」の写真が、スーダンの深刻な飢饉を救ったことがあるのもまた事実です。

 良い写真には力がある。

 だから、そんな力のある写真をみるために、わたしには、いや、すべての人には良い写真雑誌が、まだ必要だと思うのです。

 それが「DAYS JAPAN」です。

 しかし、その「DAYS JAPAN」も、ご多分にもれず深刻な経営危機に襲われています。

 お分かりでしょうが、ジャーナリズムは、良心的であろうとすればするほど、スポンサーを得ることが難しくなります。

 車の排ガス公害の写真を載せると、大手自動車産業は絶対に金など出してくれません。
 また、真実に迫った厳しい映像、ある意味キツい写真の横に、自社の広告を載せてもらおうという会社もほとんどないのです。

 良質な雑誌を存続させるために、我々にできるのは、雑誌を購入することだけです。

 特に、一年の定期購読が必要です。

 ある番組に出た広河氏が、馴れぬ口調で朴訥(ぼくとつ)と、そう語っておられました。

 綱渡りの会社経営なので、ある程度、資金が底をつけば、年間購読者に返金するための金を残して会社をたたまなければならない。だから、一年間の経営見通しの立てやすい年間購読が良いのだ、と。

 「DAYS JAPAN」を知って、わたしは嬉しくなりました。

 かつて、高度成長期にはエコノミック・アニマルと揶揄(やゆ)され、その後も思想的に世界に誇り、世界をリードするような雑誌媒体を持たなかった日本が、21世紀になって、名だたるカメラマンたちが「あそこならばこの写真を託せる」と思える雑誌を擁するようになったのですから。

 ぜひ、一度「DAYS JAPAN」のサイトをご覧になってください(英語版もあります)。

 今なら「存続キャンペーン」で、12月31日までに年間購読を申込まれたら、年間購読料が1000円引きで、通番入のメンバーズバッヂと広河氏のパレスチナ写真がもらえます。
(本日24日、キャンペーンが2010年3月31日までに延長されたようです)

 上記番組で広河氏が語っておられます。


 サイトにも掲載されている、上記「広河隆一のパレスチナ」の写真は「兵士がこちらに銃口を向けている写真」です。

 注意してご覧になればおわかりと思いますが、紛争地帯の兵士の写真は、どの雑誌や新聞であっても、カメラマンは「必ず」兵士の後ろから、兵士が人々に銃をつきつける後ろ姿を撮っています。銃口の穴が写った写真はない。なぜならそれは危険な状態で、そんな銃前の写真を撮るカメラマンはいないからです。

 ほとんどのカメラマンは、安全な場所、つまり強い側からの写真を撮る。

 正義はひとつではない。十人いれば十の正義、五十カ国あれば五十の正義がある。

 どちらが正しいかは、その者の立つ位置による。

 しかし、「DAYS JAPAN」に載せる写真は、かならず「弱い立場から撮った写真」であるよう心がけています。

 銃を向ける側の後ろからの写真ではなく、銃を向けられる側からの写真を載せるのです。

 サイトに掲載されている「創刊5周年にあたって」から、少し引用します。

 ――雑誌は毎月、印刷代や原稿料、人件費など巨額のお金が出て行きます。今後DAYS JAPANが、存続の危機に陥る可能性は多くあります。これまでの何十倍の努力をしなければ、廃刊に追い込まれるでしょう。それについてはできる限りのことをして、雑誌を存続させるつもりです。私たちにはなじみの薄い言葉である「経営努力」もするつもりです。

 経費削減のためDAYS JAPANは、最小限のスタッフで発行しています。経営努力は、他社に負けないと思っています。それでもこれから、定期購読者の獲得、印刷費節減など、やらなければならないことはいっぱいあります。また出版以外の事業も検討中です。

 しかしDAYS JAPANにとってもっとも大切なことは、この時代の要請にきちんと応えているかどうかということでしょう。それがなければ皆さんに支援をお願いすることもできません。状況の急速な悪化は、誰の目にも明らかですが、どこに行き着こうとしているのか、誰にも分かりません。そして私たちが立ち向かわなければならない障壁は、いまだかつて経験したことがないほど、巨大なものです。この時期だからこそ、DAYS JAPANが果たさなければならない役割があり、それをきちんと果たした上で、ご支援をお願いするべきでしょう。

 DAYS JAPANは、読者に「楽しみ」をもたらす雑誌ではありません。時には見るのもつらい状況を伝える雑誌です。しかし絶対に目をそらしてはいけないことがあり、私たちはそれを伝えることでこの時代と状況を皆さまと共有し、出口をさぐりたいと思います――

 どうでしょう?

 ある雑誌を存続させることで、その国民の「意識の高さ」を世界に示すことができるなら、微力ながら協力したいと、わたしはそう思うのです。
 

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2009年12月13日 (日)

どうして日本は左側通行なのか?

 数日前に、溜まった雑誌やカサバるハードカバー、新聞のスクラップをまとめて処分するために、スキャナを買いました。


 始めは、裁断機で本をカットしてバラバラにし、オートシートフィーダにセットして、自動的に両面を一度にスキャニングできるもの↑(ScanSnap S1500)を買おうと思ったのですが、それだと大切な本(コミックを含む)を取り込むことができないので、とりあえず一般的なフラットベッド・タイプのスキャナEPSONのGT-X820↓に決めました。


 これなら、コピーと同じように、本は見開きで、雑誌や新聞は切り取ったものを並べて読み取ることができます。

 今までも、もう随分前に買ったEPSONのGT-9700F(当時のフラッグシップモデルでした)を使って資料を入力し、透明テキスト付PDF化はしていたのですが、いかんせんスキャン速度がサイテーに遅い。

 前に、わたしが入力しているのを見たオランダ人の友人に、「なんて時間のかかるコトをしているのだ」といわれのない非難を受けたこともあるほどです(同じものを見ているはずの日本の知人は何もいいませんでした。さすが単刀直入が信条の外国人です)。

 しかし、彼の意見にも一理ある。

 「命短し、とっととスキャンして遊びに行こう」です。

 せめて、普通のコピー程度の速さで読み取ってくれないと実用になりません。

 今回購入したGT-X820は、値段の張る業務用ではなく、民生ということもあって値段もそれほど高くなく、フラッグシップ・モデル(最高級機)のGT-X970が写真入力用に特化されているのに対して、光源のLEDを二倍に増やすことで、とにかく読み取り速度を上げたタイプなので、A4サイズのカラーおよびモノクロ書類を、6秒程度で読み取ってくれます。

 これぐらいの速さなら、コピー感覚で使えて便利です。

 サクサクと作業の進むのが面白くて、旅行に行った時の写真も入力することにしました。
 デジタルカメラを使う以前は、ポジ(スライド・フィルム)で写真を撮っていたので、コンピュータに入れておかないと、紙焼きの写真のように、ちょっと見るということができないのです。

 いちいちスライド映写機で見なければならない。

 というわけで、一番端にあったスライドケースから入力し始めると、それは以前、出かけたUSAの写真でした。

 その中で、わたしが車(確かフォードのトーラス)のハンドルを握る写真がありました。

 ダッシュボードにカメラを置いて、自分で自分を映した時のものです。


 ご存じのように、日本と英国本国以外の、ほとんどの国では車両右側通行です。

 国際免許を取って、海外で運転をされたことのある方ならご存じでしょうが、海外での運転は、まっすぐ走る分には問題はありませんが、右折する時が恐ろしい。

 頭で、そっちに行ってはいけないと分かっていても、左側に入ってしまいそうになるのですね。

 わたしも、空港について、すぐに、近くのレンタカーで車を借りて、ちょっと場内で練習をしようと思ってくるくると回ったら、どういうわけか、イキナリ公道に出てしまってアワを喰いました。



 というわけで、相変わらず長い前フリでしたが、今回のタイトルの話です。

 上で書いたように、世界の多くの国では、現在、右側通行というのが一般的です。

 そして、右側通行の国では基本的に車は左ハンドル。

 しかし、歴史をたどってみると、自動車が誕生した当初は、車のハンドルは、中央か、やや右寄りに作られたものがほとんどでした。


 では、なぜ、世界標準、つまり欧州は右側通行だったのでしょう。

 一説には、欧州は、ナポレオン1世が軍事的な戦術のために、右側通行に決めたのだ、といわれます。
 これは、ナポレオンが上陸しなかった英国だけが左側通行であることを考えると、あながちウソともいえない気がしますね。

 そのように、欧米では、ずいぶん昔から右側通行であったわけですが、上記のように、当初は右ハンドルの車が多かったのです。

 これには諸般の事情があったようですが――

 たとえば、自動車黎明期には運転手つきの車がほとんどであったため、主人やお客が乗り降りするためのドアの開閉を楽にするために右ハンドルが多かったのだとか――

 しかし、自動車の性能が向上するにつれて、右ハンドル・右側通行では交通事故が多発し、それに追い打ちをかけるように、アメリカでは左ハンドルのT型フォードが大ヒットするに及んで、ヨーロッパでも、左ハンドルを採用したシトロエンなどの販売台数が伸びていったのだそうです。


 さて、では、なぜ日本は左側通行だったのでしょう?

 それは、サムライがいたから、です。

 右利き主流の日本では、武士は、刀を抜き打ちしやすいように、大刀を左腰に差して通りを闊歩(かっぽ)していました。

 江戸時代になって世の中が落ち着くと、武士同士がすれ違った際に、腰のもの、つまり刀がぶつかりあうことによる争いを防ぐため、日本は歩行者が左側通行をすることになったのです。

 明治になって、それを法令化したのが、かの陸軍大臣、西郷隆盛でした。

 第二次大戦後、進駐軍の統制下、国語の英語化とともに、交通法規も右側通行に変更されそうになりましたが、当時の重要な交通機関であったバスは、乗降口が左側であったため、その全てを右側に直すのは経済的に不可能と判断されて、左側通行のままになったのです。

 それが、良かったのか悪かったのか――

 海外での運転という点で、不便といえば不便ですが、世界の単一化に埋没されない特徴といえば特徴といえそうです。

 個人的には好きです。

 「グローバル化」という名の、一律右にならえが好きな人々は気に入らないかもしれませんが。

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2009年12月12日 (土)

ガン予防は食べ物から2: 血液型によって体に効くヨーグルトは違う

 近年、乳酸菌が、ガンの発生を防ぐことが明らかになってきました。

 つまり、腸内に乳酸菌の多い人は、ガンの発生を抑制する力が強いのです。

 さらに、経験的に乳酸菌がヒトによって合う合わないがあることも知られるようになりました。

 具体的にいえば、体質に合う乳酸菌を飲んでいると体の調子が非常によくなるのですが、合わない場合は、それほど効果が期待できないのです。

 最近になって、それがなぜなのかわかってきました。

 東北大学農学部の斉藤 忠夫教授が「血液型乳酸菌」という考えを発表されたからです。

 一般に、血液型というと、ABO式の血液型をいいますがが、それを特徴づける「血液型物質」は、いわゆる血液(赤血球の表面)だけでなく体中に存在します。

 たとえば、血液型がA型なら、赤血球にはもちろんA型の血液物質がありますが、同時に、体中の細胞のどこにでも血液型物質は存在する。

 特に、血液型物質の多いのが、腸内の粘膜中のムチン(粘液主成分:粘素)です。

 斉藤教授は、乳酸菌も種類によって、AB0の型があることを発見しました。

 そして、同種の「血液型」同士であれば親和性が高いことも。

 つまり、A型の乳酸菌はA型のムチンに容易に付き、B型ならB型のムチンに取り着いて、長く腸内にとどまることができるのです。

 また、同様の考えから、乳酸菌が体に害をなす細菌を排除する理屈も分かってきます。
 胃潰瘍の原因といわれているピロリ菌や、潰瘍性大腸炎を起こすバリウム菌などは、体内の血液型物質に着いて体に害をなすのですが、自分にあう乳酸菌をよく採っていると、バリウム菌より先に、乳酸菌が血液型物質に着いて、菌が弾かれ、体から排出されてしまうのです。

 われわれは、それぞれ大雑把にいってABOの血液型に分類されます(実際にはもっと細かい分類がありますが)。

 また、以前、血液型の項で書いたように、梅毒などの病原菌にも血液型があり、同型のものが親和性が高いのです。

 つまり、自分の血液型を、受けたくない病毒菌とは違う血液型にすれば、その病気にはなりにくいというわけですが、われわれ人類は、そうたびたび血液型を変えるわけにもいきません(白血病の治療などで血液型が変わることはあります)。

 そこで、自らの血液型に合わせた乳酸菌を摂取する、つまりよく食べるようにします。

 すると、乳酸菌が長く腸内にとどまって、悪い菌が、腸内の血液型物質に付着することを抑え、病気になりにくくなるのです。

 同時に、乳酸菌が腸内にとどまることで免疫自体も向上(TH1細胞が活性化)します。
 我々は、乳酸菌を善玉菌、ピロリ菌や大腸菌などを悪玉菌として分類していますが、当然、細菌自体にはそのような自覚はなく、ただイキモノとして生き続けたいと願って行動しているだけです。

 たとえば、上で書いたピロリ菌は、ずっと昔から胃の中に存在している菌です。

 それらは、胃の中の粘液(ムチン)内の血液型物質に付着して子孫をふやし、自己の存続を図っています。
 A型が主流の日本人の胃に存在するピロリ菌はA型が多く、O型が主流の中南米の人の胃のピロリ菌は、O型が多い。

 乳酸菌も、同様に、生き残るために腸内で自分に合った血液型物質を探して、それに付着しようとする。

 善玉菌も悪玉菌も、皆、自分に合った血液型物質に付着しようとするのです。

 だから、体にとって良い物質を先に付着させれば、病気から身を守ることができるのですね。

 最近、発表された斉藤教授の研究結果を知る以前、藤田教授は、被験者に、植物性の乳酸菌と動物性の乳酸菌を与え、免疫に与える影響を調べたことがあります。

 結果は、あまりはっきりとした傾向が示されず失敗だったそうですが、その時、少なくとも分かったのは、モンゴルなどの遊牧民は、動物性乳酸菌に良く反応し、日本人などの農耕民族は、植物性乳酸菌に比較的良く反応したということでした。

 はっきりした傾向を示さなかった一番の原因は、当時はまだ、血液型により乳酸菌の相性というものを、考慮していなかったからだろう、と藤田教授は推測しています。

 今、日本人の腸は弱っています。それに伴って免疫力も下がってきています。

 だからこそ、野菜と乳酸菌で腸を強くしなければなりません。

 腸は、第2の脳とさえ呼ばれています。
 脳を持たない生物は、腸が脳の代わりをして、腸の内部に神経細胞が発達しています。

 さらに腸の内部には、70パーセント以上の免疫細胞も存在するのですから。

 文明社会はストレス社会です。

 人類は、智恵を得て快適で安全な文明社会を作り上げましたが、同時に、他の動物では考えられないほど多くのストレスを抱えるようになりました。

 ストレスは、内臓、特に胃や腸の消化器官を直撃します。

 ゆえに我々は穏やかな精神状態を保って、過度なストレスのない生活を心がけるべきでしょうが、現実的にはそううまくもいかないでしょう。

 なれば、我々のとる方法はひとつ、野菜を採り、腸内細菌を殺す「添加物」「保存料」のなるべく少ない食材を食べ、自分にあった乳酸菌を知り、それを食べ続けて腸を強化すること。

 なかなか難しそうではありますが……

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2009年12月11日 (金)

あれ、子供の頃に読んだのに…… はなさかじい

 先日、姉と話をしていて、何がきっかけだったか「はなさかじい」が話題になりました。

「むかし むかし うらしまは」ではなくて「うーらのはたけーでポチがなく〜」の、あの石原和三郎作詞・田村虎蔵作曲の童謡のもととなった話です。

 有名だから誰でも知ってる、と思っていたら、

 彼女に「どんな話だったか覚えているか?」と問われ、すぐに答えることができませんでした。

「確か、飼い犬ポチが『ここ掘れワンワン』と示した場所を掘ったら、お宝が出て、となりのイジワルじいさんが犬を借りて掘らせたらゴミが出た、だったかな」

と、わたしがいうと、

「ところが、ホンモノはもっと長いのよ。ポチじゃないし……」と教えてくれたのが、以下の話でした。
 (詳細は、ポプラ社の「はなさかじい」文・吉沢和夫、絵・桜井誠に依るものです)



 ワンスアポンナタイム、昔むかし、あるところに、子どものいない、じさまとばさまがおりました。

 ある時、二人は、町へ子どもをもらいに行くことにしました。

 町へ向かう途中、松の木の根元に、白くて可愛い子犬がいて、二人に「どこへ行くのですか」と話しかけてきます。

「子供をもらいに行くのだ」という二人に、「それなら自分を子どもにしてほしい」と頼む子犬。

 じさまは「町に良い子どもがいなければ子どもにしてやろう」と約束しました。

 結局、町では良い子が見つからず、ふたりは、帰りに同じ場所で待っていたいた白い子犬を子どもにしました。

 子犬は、茶碗一杯で一杯分、二杯食べると二杯分と、どんどん大きくなりました。

 ある日のこと、犬はじさまに頼んで自分の背中に鞍をつけさせ、無理矢理じさまを背中に乗せて山道を登って行きました。

 じいさまは、犬が示した所を掘ってみてビックリ!! 大判小判がザックザク出てきたからです。

 じさまは、宝を籠一杯に詰めて、ふたたび犬にまたがって戻って来ました。

 この話を聞いた、隣のじさまとばさま。

 犬を借りて、自分たちも宝物を掘り出そうと考えました。

 欲張りじさまは、うんとでっかい鞍に、大きな籠をつけて、犬の背中にどったりとまたがり山道を登って行きました。

 「ここらでどうだ?」と犬の背中から飛び降りた隣りのじさまは、そこら一面、堀り散らかします。

 すると、蛇やら蛙、カマキリやら、ロクでもないものばかりが這い出てきました。

 怒ったじさまは 犬をクワで叩き殺し、死んだ犬を引きずって、かわやの隅に投げ捨ててしまいました。

 犬を貸した方のじさまとばさまは、死んだ犬を畑の片隅に埋めてやり、その上に松の木を一本植えました。

 ふたりが松の木に毎朝・毎晩水をやると、木はスクスクと伸びて、大きな太い松の木になりました。

 ある日のこと、きれいな鳥が松の木に止まり「じさま じさま、この木を切って臼にしろ」と不思議な声で鳴きました。

 声に従い、じさまは臼を作り、ばさまと米をつき始めました。

 すると、ポンとつくとポン、ポポンのポンとつくとポポンのポンと宝物が出て来ます。

 このことを聞いた、隣りのじさまとばさまも臼を借り、両側から米をつき始めました。

 すると、牛のくそやら馬のくそやらが、べったりどったりと飛び出して、そこら中、くそだらけになってしまいました。

 怒ったじさまとばさまは、臼を叩き割って燃やし、灰をかわやの隅に捨ててしまいました。

 臼を貸した、じさまとばさまは、灰を大事に抱えて帰り、裏の畑に撒きました。

 ある日、じさまが畑に灰を撒いていると風がふき、手のひらから灰を吹き飛ばしてしまいました。

 ところが、不思議なことに風が吹いて、灰が振りかかる度に、枯れ木が芽を出し、つぼみになり、ぱっと花が咲いたのです。

 しばらく後、この村を殿様が通るというので、じさまは灰を抱えて枯れ木に登り 殿様を待ちました。

 じさまは、殿様の前で「枯れ木に花を咲かせる、日本一の灰撒きじじい」と、枯れ木に花を咲かせて見せ、喜んだ殿様からどっさりご褒美を貰って家に帰って来ました。

 この事を聞いた隣りのじさまとばさまは、残った灰をもらって殿様を待ちました。

 そして、同じ様に灰を撒きましたが、花は咲かず、殿様や家来の目に灰が入り、自分の目にも灰が入って、とうとうじさまの目は見えなくなって、木から落ちてしまいました。


 なんだか、長いじゃないですか。

 とても、「まんが日本昔話」の一話分、15分枠には収まらない感じですね。

 だいたい、いくら昔の犬が狼との混血が多く山犬がかっていたとはいえ、鞍をつけておじいさんを乗せ、山を登るってのは無茶苦茶です(もののけヒメかって!)。

 まあ、いきなり犬が話しかける、という点で、すでに寓話なのですから、そのつもりで読まないといけないのでしょうけど。

 脇役たる欲ボケじいさんばあさんたちが、ちょっと気にいらないというだけで、平気で主役級の犬を殺してしまうのも神話的。

 このあたり、古代の、荒ぶる神に似ているなぁ。

「気に入らないから、すぐに殺す」と聞くと、わたしは、日本神話におけるスサノオとオホケツヒメの話を思い出してしまいます。

 神の国を追い出されたスサノオが、英雄としての旅に出る前に「腹が減った」とノタマった時、女神オホケツヒメが、鼻や口やお尻から食べ物を出し、料理ようとするのを見て、「なんと汚いことをするのだッ」と斬り捨てしまうという、あれですね。

 わたしは、こういったアニミズム的ニオイのする神話が結構、好きなのです。

 食べ物の神であったオホケツヒメの亡骸(なきがら)の頭から蚕(かいこ)が生まれ、目からは稲種が、耳からは粟(あわ)が、鼻からは小豆(あずき)が、陰部から麦、お尻から大豆が生えてきて、日本の地に穀物が伝播(でんぱ)したのでした、なんてね。

 プロメテ(ウス)は、神の火をヒトにもたらした咎(とが)で、カウカソスの山頂で、生きながらにして、毎日ハゲタカに肝臓をついばまれる刑を科せられましたが、スサノオは、罪にも問われず(もちろんそれが穀物伝播の擬人化だからですが)、ただ征き行きて、流れた先で、贄(にえ)の少女クシナダヒメと出会うと、無理矢理、彼女を自分のものにして櫛(くし)にかえ、髪に挿し(彼女が逃げないように、だ!)、伝説の怪物ヤマタノオロチを退治する。

 奸計(かんけい)を用い、酒を飲ませて酔っぱらった怪物をメッタヤタラと切り刻むうちに、尻尾から出てきたのが、あの三種の神器(じんぎ)のひとつ草薙の劔でありました――なんて、なんでわたしは日本神話の話をしているのでしょう?

 とまれ、民俗学的にいえば、「はなさかじい」もさまざまな解釈が可能です。

 印象でいわせてもらえば、最後の勧善懲悪的な部分は、あとでつけられた感じがしますしね。

 いや、もっとはっきりいうと、子供の頃には気がつきませんでしたが、今は「ショージキじいさん」の小利口さ、スマートぶりが少々以上に鼻につきます。

「なんだ、隣のじいさんって、真っ正直で愚直で気が回らないだけジャン」ってな気がしてしまいます。挙げ句、カンシャクを起こして、本来、おだてて使えば役に立つかもしれない犬を殺してしまう……

 それにひきかえ、正直じいさんはスマートだなぁ。頭が良い(ホメてないですよ)。

 だって、枯れ木に花を咲かせる灰を手に入れて自分だけで喜んでいるならともかく、それを使って、お殿様に取り入ろうだなんて、ホント、如才なさすぎって感じがしませんか?


「舌切りすずめ」や「おむすびころりん」よりは長い話だからか、わたしの周りで尋ねても「はなさかじい」を正確に記憶している者は、ほとんどいませんでした。

 あるいは、あの童謡が、はしょり過ぎているから正しい話が伝わっていないのでしょうか?

 いずれ、時代にも合わないから、こんな昔話を知っている子供も、少なくなっていくことでしょうね。

 個人的に、子供は「モチモチの木」と「100万回生きたねこ」、「みどりのゆび(モーリス・ドリュオン)」「猫吉親方 またの名 長ぐつをはいた猫(シャルル・ペロー)」を知っていれば充分だと思います。

 あと、もう少し大きくなれば、英国の児童文学、例えば、ジョージ・マクドナルド『北風のうしろの国』フランシス・ホジソン・バーネット『秘密の花園』、P・L・トラヴァース『風に乗ってきたメアリー・ポピンズ』、J・R・R・トールキン『ホビットの冒険』(指輪よりこっちがオススメ)などを読めばいいかな。

 英文学以外なら、リンドグレーンの「名探偵カッレくん」(長靴下のピッピではなく)や、ミヒャエル・エンデのデビュー作「ジムボタンの機関車大冒険」(果てしなき〜でもモモでもなく)かな。

 いや、それより先に少し大きな書店ならまずペイパーバックが置いてあるロバート・A・ハインラインの「夏への扉」を読むべきか。

 うん、そうだ。そっちがいい。

 最後に、石原和三郎作詞・田村虎蔵作曲の童謡「はなさかじじい」を挙げておきます。



うらのはたけで、ぽちがなく、
しょうじきじいさん、ほったれば、
おおばん、こばんが、ザクザクザクザク。

いじわるじいさん、ぽちかりて、
うらのはたけを、ほったれば、
かわらや、かいがら、ガラガラガラガラ。

しょうじきじいさん、うすほって、
それで、もちを、ついたれば、
またぞろこばんが、ザクザクザクザク。

いじわるじいさん、うすかりて、
それで、もちを、ついたれば、
またぞろ、かいがら、ガラガラガラガラ。

しょうじきじいさん、はいまけば、
はなはさいた、かれえだに、
ほうびはたくさん、おくらに一ぱい。

いじわるじいさん、はいまけば、
とのさまのめに、それがいり、
とうとうろうやに、つながれました。


 今、気がつきましたが、「正直じいさん」と対になっているのは、「ウソつきじいさん」じゃなくて「イジワルじいさん」なんですねぇ。

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2009年12月 9日 (水)

すでに死んでいた男ふたたび 〜ハリーポッター Half Blood Prince〜

 先日借りてきた「ハリーポッター Half Blood Prince」を観ました。

 内容自体は、とりたてて語るものもありませんでしたが、あらためて気づいたことがあります。

 それは、殊(こと)ハリーポッターに関していえば、日本語訳の小説より、映像の方が遙かに分かりやすかった、ということです。

「何いってるの?文字ばっかのハナシより、映像になった方が分かりやすいのはアタリマエっしょ」という批判は敢えて受けるとしても、少なくともわたしにとっては、ミタママに内容を限定されてしまう映像より、自分なりにさまざまに想像を広げられる文字媒体の方が楽しめることが多いのです。
 ただし、良い文章で、否少なくとも読みやすい文章で書かれている限りは、ですが。

 その点で、翻訳版の「Half Blood Prince」は、いただけなかった。

 例によって読みにくい文章が多く、特に終盤の、魔法学校校長が「秘宝」を手に入れるために毒をあおり続けるくだりでは、「どのくらいの毒水を飲み干すことで、お宝を手に入れるか」がはっきりしないために、わたしの頭の中では、かなり大きな水たまりを老人が飲み干すイメージが固定化されてしまいました。

正に、

「その女の子が信じてくれたら、大海の水だって飲み干すことができただろうに」的イメージです。

 今回、映像化されたものを観て、主人公が、ほんの小さなくぼみに溜まった毒水を、貝殻コップに五杯ほど校長に飲ませて、中にあった小さな宝物を取り出したことを知りました。

 なんだ、そんなものだったの?

 もちろん、これは原作の特徴である、持ってまわった冗長な表現が原因でもあるのでしょう。

 しかし、もう少しすっきりとした日本語訳にもできたハズです。

 いや、失礼しました。

 今まで何度か繰り返してきた、本シリーズの翻訳者批判をここで蒸し返す気はありません。

 それどころか――

 今回、第六話の映画を観たことで、再び近くの大学図書館で第七話を借り直して来ました。

 貸し出し履歴を観ると、前回わたしが借りてから、一年あまりで三人が借りていました。

 決めつけたくはありませんが、最近の大学生はあまり本を読まないようですね。

 読み返してみて、いくつか新しい発見がありました。

 ↑前回にも書きましたが、小説、および映画の全話を通じて重要な役どころを占めたのは「あの人(あのお方じゃないですよ)」です。

 その「彼」について、訳者が、あとがきでなかなか素晴らしい文章を書いています。
(恥ずかしながら、前回、わたしはあとがきを読んでいませんでした)

 今回は、それを部分引用させていただきましょう。

 私にとっての圧巻は三十三章だ。ここに、いままでの疑問すべてを解決する物語がある。しかし、読んでいて切なさに胸が締めつけられる章だ。読者のみなさんは、この章を読み終えるまで、私のあとがきを読まないでほしい。第七巻を読み終えて、心に残る人物と場面はと聞かれれば、三十三章に描かれたある人物とその死の場面と答えたい。最後の一瞬まで閉心術を解かなかった男。その最後の一言が胸を抉る。
 人間の価値は、その人の死に心から涙する人が何人いるかで決まるというのが、私の持論だ。しかし、誰も涙を流してくれなかった人物の壮絶な死が、もっとも激しく私の心を揺さぶった。どんなに憎まれ、誤解されても、どんなに恐ろしい危険に身を晒しても、たじろぎもしなかった男。ダンブルドアをして、スリザリンの寮に組み分けしたのは間違いだったと言わしめた男。その強さはリリーへの激しく、哀しい愛に支えられていた。愛されることなく、しかも永遠に愛して死んでいった男の最後の言葉の重みを伝えたくて、私はその訳語に数日をかけた。すべての仮面を脱ぎ捨てて、文字通り血を吐く思いで残した言葉だ。報われない純愛を、たった一つの言葉で伝えきれただろうか……

 いま読み返すと、第七巻の下に入ってからは訳がずいぶん読みやすくなっています。
 まるで、訳者の、登場人物に対する愛着が、紡ぎ出す日本語に乗り移ったかのようですね。

 あらためて上記あとがきを読むと、訳者が、翻訳者としてはともかく「良き読者」であるのは確かなようです。

 さて、第六話の映画も終わりました。

 いよいよ次回は最終話の映画化です。

 恥ずかしながら、次回は映画館に足を運ぶつもりです。

 なぜなら――

 前回のブログでも書きましたが、「彼」を演じているのは、ハリーポッターという映画において唯一のビッグネームといえるアラン・リックマンです。

 また、彼は、「ダイハード」「スウィニー・トッド〜フリート街の悪魔の理髪師〜」で印象的な役柄を演じる英国出身のシェークスピア俳優、個人的にはお気に入りの役者でもあります。

 彼が出ているというだけで、わたしは、普段ならあまり関心の無い恋愛映画「ラブ アクチュアリー」まで観てしまいました。

 だからこそ、第一話〜五話と、なぜ彼があんな役を演じているのか、わたしにはわかりませんでした。

 しかし、最終話まで読んだ今ならわかる。

 あの断末魔の瞬間に、「愛する女性の面影を愛憎半ばする小僧の中に見る演技」は彼にしかできない。

 先日、映画「グラン・トリノ」で、映画の冒頭で妻を失った主人公は、死に場所を求めてさまよい、最後にその場所を見つけたのだ、と書きました。

 ハリーポッターを憎み愛した「彼」も、もうずっと前、ハリーの母リリーが死んだ時に死んでしまった男なのですね。

 だから、最後の最後に、伝えなければならないことを、伝えるべき者に渡せたと知った「彼」の死は、唐突であっても不幸せではなかったのでしょう。

 訳者は、彼の死を「誰も涙してくれなかった」と評していますが、わたしは彼にそんなものは必要なかったと思うのです。

 なぜなら彼は、その他大勢の幾百万の人々の涙でおくられるより、あの女性の瞳に見つめられながら旅立つ方が幸せであったろうから。

 19年後のハリーが、息子を、同じ瞳で見つめながら「彼」について話します。

「父さんが知っている人の中でも、おそらく一番勇気のある人」と

 その息子、アルバス・セブルスは、やはりリリーと同じ緑色の瞳をしています。
 

 「彼」は、愛する女性の息子から尊敬され、その血筋に自らの名前を連ねることが出来たのです。

 こういうのをなんというのでしたか……そう、こういうのですね――男子の本懐と。

   

   

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2009年12月 8日 (火)

君子豹変?タイガー・ウッズ  〜時流に棹さすなかれ〜

 政治番組を観ていて、政治評論家と呼ばれる人々が、いかにも川向こうの火事然とした口調で、どうか新政権の閣僚たちには「君子豹変」していただきたい、と発言するのを聞きました。

 彼らの口調、そしてその「為にする」発言意図はともかく、言葉の使用法は正しい。

 もちろん、「君子豹変」とは、易経の「君子豹変、小人革面」のことで、意味は、いわずもがな「立派な人物は、自らが誤っていたと分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、明確に心を入れ替え、行動にもそれが現れるが、ツマラヌ人間は、表面上は変わったように見えても、中身はなにも変わらない」ということですね。

 もっとも、最近では、突然、悪い方に態度を変えたり、「いいひと」だと思われていた人が、悪事を為したりするのも「君子豹変す」といったりしますが、それらは原典からいえば間違いに近い用法というわけです。

 しかし、つらつらと世の中を見渡せば、正しい用法より間違った方に合致する例がはるかに多いように思われます。

 世界的に「君子」だと思われていた某プロゴルファーが、次々と女性問題を暴露されたりしたのも「君子豹変」した結果だと思われるのでしょうか。いや、これは誤用です。

 まあ、どちらかといえば、これは「馬脚を露(あら)わす」のほうでしょうか。

 語源はこちらの方が断然面白い。

 あの「舞台でウマの足役をする役者」が、うっかりと舞台上で姿を見せてしまうことから来ているのですね。本来、隠しておくべきことが露わになってしまった。それが転じて、悪事が露見するという意味になったのです。


 さらに、事実を糊塗(こと)するために、多額の口止め料を相手女性に支払ったという事実が露呈するに及んで、彼の評判は地に落ちてしまいましたね。


 まあ、個人的には可愛そうだと思います。

 噂どおりに、愛人6人であるならば、ちょっと多いような気がしますが……

 本来、彼は、ゴルフがうまいだけの「ただの男」にすぎないのです。
 神格化に近い持ち上げをしたマスコミその他が、突然、彼を地に落として今度は攻撃しているのですから。

 こういう時、わたしの頭には、クイーンのFlash(映画フラッシュゴードン[1980]のテーマ)の一節が流れるのですね。

 Just a man with a man's courage
 He knows nothing but a man
 スゴイ奴に見えるかもしれないが、ただ勇気によってのみ立つ男〜

 そういえば、映画「フラッシュゴードン」には、あのティモシー・ダルトン(後の007)がマヌケな悪役で出ていました。

 さらに世間的には全く人気がなく、存在したことすら忘れられているシルベスター・スタローンの喜劇映画「オスカー」で妻役を演じたオルネラ・ムーティも出ていましたね。(このオスカーは妙に好きで、後にLD!がDVDに押されて廃れ、たたき売りされた時に、手に入れています)

 キャストから考えると妙に大作だったんだなぁ「フラッシュ〜」。
 内容は実際アレでしたけど。


 話が脱線しました。


 今回、書きたかったのは、君子豹変す、ではなくて――

 ダイワハウスを、一代で一兆円企業に押し上げた創業者、石橋信夫氏が、生前「時流に棹(さお)さすなかれ」という哲学の持ち主であったことを先日知りました。

 おわかりと思いますが、昔の川船は、オールではなく、一本の棒=棹で川底を突くことで船を操っていました。

 つまり「時流に棹さす」とは、世の中をキョロキョロ眺めながら、うまく立ち回るように棹で操作するということです。

 社会に出て生活していると、こういった「時流に棹さす」ヤカラの多いことに愕然とします。

 実際に、世の中に棹して立ち回ることはしなくとも、観客として、世に現れた誰かを持ち上げ、時流が変わればソイツを放逐する人々もまた多い。

 いわゆるホリエモンこと堀江貴文や村上ファンドなどは、その最たるものですね。

 普通に考えれば、彼らが、拝金主義に乗って世に出ただけなのは明らかであったのに、時流に棹する人々には、それが見えていなかったようです。

 うまく立ち回る人間が「カチグミ」で、それができなければ「マケグミ」だ、と、多くの人が考えていました。


 石橋氏が、時流に棹ささぬ「動かぬ心」が大切と知ったのは、第二次大戦終結後、ソ連軍によるシベリア抑留の体験からだったそうです。

 捕虜収容所で、中尉であった氏は同じ日本人の仲間から激しく弾劾されることになりました。

 旧日本兵の中から、敗戦と知って、いち早くソ連側に鞍替えした者が多数いたのです。
 ソ連側は、日本の将校、兵隊の中から選出した者をモスクワ大学に送って教育し、アクチブ(共産主義活動家)に変えて、収容所で旧日本兵を洗脳しようとしていました。

 アクチブになると、ソ連側からは厚遇が受けられる。
 それを見越した、おそらく彼らにとってみれば「カシコイ」選択だったのでしょう。

 このあたり、なんだか先日観た、映画「ヒトラーの偽札」における、ユダヤ人捕虜収容所を思い出します(この映画については別項で)。

 アクチブたちの「時流に乗った」激しい弾劾に自殺する将校もいたそうですが、1947年に情勢が変わって、彼らを含む部隊が帰国することになると、あわや、アクチブの「吊し上げ」が始まりそうになり、石橋中尉は、それを必死になだめたのだそうです。

 後に、石橋氏は、その時の『時流に軽薄に乗ろうとするものの姿』に「なんと情けないものだろう」と心が冷え冷えしたと語っています。

 そして、その教訓をもとに、彼は会社の部下にこう教えたのです。

「(大局としての)時流を読むのは大切だが、動かぬ心もまた大事」と。

 個人的には、ある程度気持ちが穏やか(つまり、極端なストレス下あるいは不幸のどん底にいるような状況でない)ならば、自らの良心と直感に従って、世の流れが多少変わろうとも、右往左往せずにしっかりと両足で立って、自分の気持ちに正直に行動した方が、後悔が少ないと思っています。

 棹さす人々からは変人扱いされるけれども。

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2009年12月 6日 (日)

ガン予防は食べ物から

 今回は、東京医科歯科大学名誉教授、藤田紘一郎氏の講演からポイントを抜き出したものを、備忘録として書き残しておきます。

 藤田氏に関しては、以前、「血液型による免疫の違い」から、「それによる性格の違い」の根拠についてまとめたことがあります。
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabulaya/57910716.html

 体の器官として何より腸を大事にする、というスタンスに立つ氏の考えは、世界の免疫学にあってもユニークで目が離せません。


 米国ガン研究所の調べで、ガン予防に効果のある食物が発見されています。

1.ニンニク
2.キャベツ
3.大豆
以下、生姜、セロリ、タマネギ、お茶、オレンジ、レモン、メロン、ジャガイモ……

 つまり、穀類、野菜類、豆類がガン予防食品であるというわけです。

 では、なぜ、上記食品がガン予防に効果があるのでしょうか。

 近年の研究によると、それら植物性食物によって、免疫力を上げることができることがわかってきました。

 免疫には、TH1細胞が深く関わっていることが知られています。
 ガン細胞を見つけると、TH1細胞が「TH1サイトカイン」という特殊タンパク質を作りだし、ガン細胞を消してしまうのです。
 つまり、TH1細胞が元気な人は、免疫力が高いということになる。
 そのTH1細胞を刺激する、というより、TH1細胞のエサ?となるのが、上記、植物性野菜というわけです。

 TH1サイトカインは発生したガン細胞を消滅させますが、植物野菜は、同時にガン細胞の発生自体を抑制します。

 最近「活性酸素」という言葉がよく聞かれますが、これは文明化が進むことによって、問題になってきた物質だといわれています。

 一万年前(生物進化からみたら一瞬の時間です)には、生物の健康に関してほとんど問題にならなかった活性酸素が、今や、寿命を左右する大問題になっているのです。

 活性酸素自体は、体を異物から守るために必要不可欠な物質ですが、偏った食生活、電磁波、ストレス等によって、過度に分泌されるようになると、健康な細胞が攻撃され、ガン化します。

 ガンだけではなく、活性酸素が原因だと思われる病気は、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病など現在200種類程度知られています。

 そういった「過剰な活性酸素」を抑える働きがあるとされるのが、植物性野菜に含まれる、カロテノイド、ポリフェノール、香り、辛み、苦みなのです。

 1985年、米国では、大統領が率先して、国民に「Five a day」つまり一日に五種類以上の野菜を摂取するようよびかけました。

 その結果、95年には、米国民一人あたりの野菜摂取量は日本人を逆転してしまいました。

 現在の日本人は、肉食ばかりしている印象の米国人より野菜を食べていないのです。 
 結果、米国において、文明国では唯一といって良いガン患者の減少が起こりました。


 つまり、緑黄色野菜を食べることで、ガン細胞の発生自体を抑え、生まれてしまったガン細胞を消去することができるのです。


 上で少し書きましたが、ラジオ・テレビ、携帯電話、電子レンジ、電子機器、そしてICカード利用の改札にいたるまで、過去50年で人類のまわりを飛び交う電磁波の量は、幾何級数的に増大しました。

 研究者たちの間では周知のこととされていますが、電磁波は、直接、ガンや白血病との因果関係を確かめられてはいませんが、明らかに人の体にストレスを与えています。

 ストレスは活性酸素を誘発する。つまり、電磁波によって活性酸素が発生するのです。

 今さら、電磁波を取り除くことはできませんから、わたしたちは、活性酸素の方を除去する必要があります。


 フランス人は、同じような食生活のイギリス人に比べて脳梗塞や心筋梗塞になる率が低いといわれていますが、それは、彼らが、ポリフェノールを含んだ赤ワインを多量に飲むからです。

 巷間(こうかん)人々の口の端にのぼる、悪玉コレステロールも、単体では体に害を及ぼしません。活性酸素と結びついて、初めて、血管に悪影響を及ぼします。

 ここで、注意しなければならないのは、口にする緑黄色野菜やワインに、保存料や防腐剤、抗酸化剤が含まれないようにすることです。

 これらが入ると、腸内細菌が繁殖を抑えられ、エサがないためPH1細胞が萎縮し、免疫が下がってしまうからです。


 結論からいうと、あまり難しく考えずに、デキアイの冷凍食品をなるべく食べないで、生の野菜を、防腐剤の入らないドレッシングで食べればよいのですね。

 だから、防腐剤てんこもりのファースト・フードは、墓場へ向かうファースト・フードということになります。

 あと、腸内細菌を殺してしまうため、塩素の入った生水は飲まない方が良いようです。ミネラルウオーターでなくても、浄水器を使うか、湯冷ましの水を使うよう心がけるの腸のためには良いでしょう。


 あと、始めに書いた大豆製品には、もうひとつ重要な役割があります。

 大豆製品はTH1のエサにもなりますが、同時に、イソフラボンという物質を含んでいますが、これは女性ホルモンに非常に似た構造をしているのです。

 乳ガンは、女性ホルモンが乳腺に付着し、過剰刺激することで発生するといわれていますが、イソフラボンは、女性ホルモンに似ているために、先に乳腺に付着して、結果的に、女性ホルモンの過剰刺激をブロックすることで、ガンの発生を抑えるのです。

 こうした理由で、イソフラボンには、ホルモンに関係したガン、乳ガンや子宮ガン、卵巣ガンを抑える働きがあります。

 実際、豆腐や納豆の消費量を調べてみると、それらの消費が多い県ほど、乳ガン等の発生件数が少なくなっているのですね。




 よく、「乳酸菌を腸内に入れると免疫力が高まる」といわれていますが、最近になって、人によって、効果があったり、あまりなかったりするという事実と、その理由が分かってきました。

 これは、ある意味、画期的な発見が為されたということです。

 人によって、自分に合う乳酸菌が違うということが確認されたのですから。



 が、長くなったので、この話については項を改めて書くことにしましょう。

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It is Written.そいつが運命だ 〜スラムドッグ$ミリオネア〜

 それが良いか悪いかは知らないが、わたしは子供の頃「女の子には優しくしろ」と強制的に教えられた。多くの同年代の少年がそう教えられたと思う。

「女の子に手を上げてはいけない」とも。

「人には」ではなく、「女の子には」だ。

 今なら「他の人に」手を上げてはいけない、と教えられるのだろうか。

 近くの広場で、子供同士が集まって遊ぶ時、おそらく誰かの妹だろう、小さな女の子が仲間に入っていることがよくあった。

 そんな時、イタズラをして逃げる際に小さな子は足手まといにはなるが、それが理由で、いじめられたり無視されたりしたことは無かった。

 皆でなんとなく庇いながら遊んでいたように思う。

 もちろん、わたしは男であるし、随分以前のことであるから、自分が知らぬ間にそういった小さい女の子を傷つけるような言動をしていたかも知れないし、事実関係を忘れているだけかもしれないが、少なくとも今に至るまで、そういった自覚や記憶は無い――いや、多分無いはずだ。

 大人になってからは……泣かされる方が多いかも。

 いったい、何の話?

 そうお思いだろうか?

 つまり、わたしがいいたいのは、幼い頃の男女差は、年齢が近ければ「社会的性差」ではなく単に「肉体的な強度の差」として表れる、ということだ。

 だから、子供たち、特に男の子に「女の子には優しくしろ」と躾けることは何ら間違いではない。

 男女平等を標榜するあまり「他者全般に優しくしろ」と教えたなら、却(かえって)って、自分より強いあるいは自分と同じ程度の体力の者(男子)は助ける必要がないと子供に自己判断され、拡大解釈された挙げ句、必ずしも女子を助けなくても良い、という結論になりかねない。

 人は、特に子供は易きに流れるものであるから。

 これは、命令を与える時に「適用範囲を大きくしすぎた」故の間違いだ。

 適用範囲を子供自身に判断させろというのは、そもそも酷なことだ。

 同様に「困っている人を助けよ」という教えは、例えば電車に座っていて、疲れた老人が前に立った時、「自分もすっかり疲れているのだ、だから、この場合困っているのは、わたし自身なのだから、席を譲る必要などない」といった判断にすり替えられる可能性が高い。

 もちろん、たまには、そういった判断もアリだとは思うが、あまりそれが頻繁であるのは明らかに間違っている。


 映画「スラムドッグ$ミリオネア」を観た。

 ご存じのように、第81回アカデミー賞8部門受賞の作品だ。

 この映画に対するわたしの気持ちは複雑で、長らくの間、観たくないという気持ちと観たいという気持ちが6:4で拮抗していた。

 観たくないと考えた理由はいくつかある。

 まず、監督が「トレイン・スポッティング」のダニー・ボイルで、あの作品のような幻覚的な映像を見せられてはたまらない、と思ったのだ。

 次に、舞台が、インド、ムンバイのスラム街であるということも、観ることを躊躇する理由のひとつだった。

 近年、工業国として名を為してきたインドも、ほんの数年前まで(いや、おそらく今も一部地域を除いて)貧富の差が著しい国だった。

 その貧しさの度合いはハンパではなく、貧困層は地面にナナメに藁を立てかけただけの小屋で眠り、工業廃液が混じる緑色の川の水を飲んで暮らしていたのだ。

 ムンバイではなかったが、わたしも数年前に、その事実を目の当たりにしたことがある。

 あの貧しい暮らしを映画で再び観るのはつらい。


 でも、結局、観てしまった。

 確かに名作だった。近頃アテにならないアカデミー賞受賞もダテではない。

 一番印象に残ったのは――

 その前に、作品のアウトラインを。

 ああ、例によってネタバレが入っていますので、未見の方はお読みにならない方が良いと思います。

 ストーリーは単純明快。

 インドで国民的人気のテレビ番組『クイズ$ミリオネア』で、青年ジャマールが次々と難問をクリアし、ついに億万長者になるクイズの挑戦権を得る。

 そこで番組は時間切れとなり、続きは明日ということになって、局を出たジャマールは警察に収監される。

 無学な彼が、一問のミスもなく正解を続けることに、司会者が疑惑を持ち、警察での取り調べを要求したのだ。

 非人道的に過酷な詮議(せんぎ)に耐えて、ジャマールは自らの生い立ちを話しはじめる。

 その生い立ちの中にこそ、彼が全問をクリアしてきた理由があった……

という感じなのだが、上で書いたように、一番印象に残ったのは、幼かったジャマールと兄サリムが、宗教的迫害の犠牲となって母を失った時のエピソードだった。

 母を殴り殺され、暴徒から逃れた二人の後を、同じく両親を亡くした女の子がついてくる。

 だが、サリムは足手まといの彼女を拒絶し、仲間にいれようとはしない。

 やがて、雨が降り出し――

 雨宿りする二人から少し離れた路上で、少女はずぶ濡れになりながら、声をかけてもらうのを待ち続ける。

 インドのスラムに暮らす身よりのない子供、特に兄のサリムに「女の子には優しくする」というような道徳的な考えは全く無い。

 男も女もない。兄弟であるか他人かという区別があるだけだ。

 正に弱肉強食。弱い者は死ぬ赤貧の生活なのだ。

 このあたり、日本の古い道徳観を教えられて育ったわたしなど正視に耐えない。
 先に書いたように、厳しい環境で、野放図に放置すると子供は際限なく利己的かつザンコクになってしまうという良い例だ。

 だが、よくぞ描いて見せたダニー・ボイル。
 さすがはインドが舞台の映画。
 これは、子供をあるいは女性を見かけ上大切に扱う日本や欧州・アメリカでは考えられない展開だ。

 もちろん、少女が、そのまま雨の中で野垂れ死にするわけはない。

 夜も更け、サリムが寝込むとなし崩しにジャマールは女の子を雨宿りさせてしまうのだ。

 女の子は、ラティカーと名乗った。

 ジャマールの、永遠の恋の始まる瞬間だ。

 かつて、イラン映画「運動靴と赤い金魚('97)」がアカデミー外国語賞を受賞し、日本で公開された時、誰かが「なんと子供力のある映画なのだ」と書いていたのを覚えている(当時、日本では、赤瀬川 原平の提唱する「老人力」なる言葉が流行っていた)が、「スラムドッグ$ミリオネア」も激しく強烈な「子供力」のある映画だ。

 子供たちは元気に駆け、飛び、盗む。

 喰っていくためには仕方がないのだ。

 このあたり、野坂昭如の書いた「焼け跡派」の子供たちが戦後暮らした生活と重なる部分もあるだろう。

 一方、子供たちを利用して金儲けをしようとするギャングたちもいる。

 このヤクザものたちの行動が不気味で、かつ不愉快だ。

 詳細は作品を観てもらうこととして――


 少し違う話をしよう。

 この映画の素晴らしい点のひとつは、登場人物のスタンスがブレないことだ。

 映画の冒頭、ジャマールの兄サリムは、弟が必死の努力で手に入れた映画スターのサインをあっさり売って金に換えてしまう。

 それ以来、金と権力に執着し続ける人生を送ったサリムは、最後に、かつて彼が邪険に扱い、挙げ句ギャングのボスに貢ぎ物として差し出し、顔を疵つけたラティカーを、今、正にクイズのファイナル・アンサーに応えつつある弟のもとへと逃がすと、バスタブに金をばらまいてその中に身を沈め、銃を構えたボスがやってくるのを待つのだった――死ぬために。

 金に始まり金に終わる、ある意味ブレのない短い人生を彼は送ったのだ。

 弟が、ただ独りの少女を愛し続けたように。

 なぜ、無学なジャマールが難問を解くことができたのか?
 そこには何も謎は無い。ただジャマールが過ごしてきた18年の人生の折々に、クイズの答えが折り込まれていた、というのが正解だった。

 映画の冒頭、英語で「ジャマール・マリクは、あと一問で20ミリオンルピーを手に入れることができる。いかにして彼はそれを成し遂げたのか?」と表示される。

 その答えは映画の中の『クイズ$ミリオネア』と同様、四択で示され――

A.インチキした。
B.ツイていた
C.天才だった
そして、四つ目が、
D.It is Written(運命だった)

となっていた。

 ラスト近く、駅の構内でジャマールとラティカーが再会し、しっかりと抱擁を交わし、彼女の頬に残る大きな傷跡にジャマールが口づけする中、表示される文字もそれと同じ

D.It is Written(運命だった)

 つまり、この映画は、たったひとりの幼い少女を愛した少年が、運命に導かれ恋を成就する物語なのだ。

 何ともうらやましい話である。

p.s.
 英国の監督によるイギリス映画とはいえ、やはりインドが舞台、映画のラストは登場人物が群舞するダンスでシメとなる。
 このあたりが、日本でも馴染みのあるインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」あるいは日本映画「ナトゥ 踊るニンジャ伝説」を彷彿させて面白い。ちなみに、この映画はアカデミー作曲賞と歌曲賞を受賞している。(他には、作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、録音賞も受賞)



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2009年12月 5日 (土)

お前はもう死んでいる  〜グラン・トリノ〜

 夕食後、散歩がてら近くの本屋とレンタルビデオ店をハシゴして、「スラムドッグ・ミリオネア」と、棚に一つだけ残っていた「ハリーポッター and the Half blood prince」(邦題が何だったか忘れました)を借りて来ました。

 「スラム・ドッグ〜」は、公開当時から観に行きたかった映画ですが、あの麻薬幻覚映画「トレインスポッティング」の監督による、インドのスラム街を舞台にした映画、ということで及び腰になってしまい、これまで観る気になれなかったのです。

 それを、つい先ほど観終わりました。

 その感想は――しばらく時間をおいてから書くことにします。あまり性急に印象を書くと勢いで誤ってしまうことがママありますので。

「ハリーポッターthe Half〜」については、まだ観ていません。
 原作を読んだはずなのに、どんな話だったのかも忘れてしまいました。
 ブログに感想を書いたような記憶もあるのですが、それも思い出せません。

 まあ観たら思い出すでしょう。
 だったら観なきゃいいのに、と思われるかもしれませんが、「乗りかけた船」あるいは「毒喰らや皿まで」の例えの通り、途中でやめるのは気持ちが悪いので最後まで追いかける予定にしているのです。

 さて、「グラン・トリノ」です。

 こっちは、しばらく前に観たので、きっと良い具合に、印象と記憶が整理されていることでしょう、していると良いな。

 ご存じの方も多いでしょうが、「グラン・トリノ」はクリント・イーストウッドの監督・主演作品です。

 始めのうち、彼は、役者としてではなく、監督としてのみ映画に関わろうと考えていたそうですが、頑迷で一本気な元軍人の役柄に惚れ込んでしまったために、主演を演じたのだといわれています。

 タイトルの「グラン・トリノ」は70年代のフォードのヴィンテージ・カーです。
(ここでいうのは日本語のヴィンテージです。英語のvintageに逸品の意味はありません)

 50年代、朝鮮戦争に兵士として赴き、帰国してからは、フォードの(おそらくは)ラインで働いてきた主人公にとって、グラン・トリノは単なる愛車ではなく象徴としての意味を持っています。

「若く、力強かった頃の自分とアメリカ」の。

 だが、今や彼も老い、映画のファースト・シーンは愛妻の葬儀から始まります。

 と、このあと、じっくり映画について語っても良いのですが、それは他のブログや映画レビューで何度も行われているでしょうから、ここでは、少し違った角度からのアプローチを試みましょう。

 ともあれ、映画をご覧になっておられない方のために、ざっくりストーリーを紹介しておきます。

 ネタバレも入っているので、未見の方は読まないでください。

 独りになった彼は、ソリの合わない二人の息子、人の気持ちの読めぬオロカモノにしか見えない孫たちとほぼ絶縁し、愛犬と二人、否、ひとりと一匹の寡黙な生活を始めます。

 彼の住む、ミシガン州デトロイトの住宅地も、決して平穏な地域というわけではなく、ヒスパニック系とアジア系のギャングが、常時小競り合いをくり返しています。

 頑迷で偏屈な主人公コワルスキーは、気分的人種偏見者です。

 当然、隣に住んでいる、英語を話さないアジアの小国出身のモン族という小さな黄色人種が何となく気にくわない。

 だから、その息子タオが、ギャングのイトコに唆(そそのか)されて、愛車グラン・トリノを盗みに来ると、銃で脅して撃退してしまいます。

 しかしながら、その件がもとで、チンピラどもが隣家に暴行を加えようとするのを、家の近くで五月蠅(うるさ)い騒ぎが起こることに腹を立てた(それと少しの正義感もあった)コワルスキーは、やっぱりギャングたちを得意の銃で追い払うのでした。

 感謝したモン族の人々のパーティーに招待されたコワルスキーは、そこで彼らの家族の暖かさに触れ、徐々に心を開き始めます。

 映画の冒頭で、すでに自身の血のつながりに絶望していたコワルスキーは、彼らのために、(彼の目から見て)ちょっと弱々しいタオを「男らしく」鍛えようと決心します。

 タオも、一見乱暴でぶっきらぼうな老軍人が、実は優しいハートを持っていることを知って慕い始めます。

 が、このまま、メデタシメデタシで終わってしまったのでは話になりません。

 もちろん事件は起こる。

 タオにちょっかいをだしたチンピラを、コワルスキーが痛めつけたのを根に持ったギャングたちは、タオの家に銃弾を撃ち込んで、タオの姉を暴行します。

 すぐに「男として」ケリをつけに行こうと叫ぶタオ。

 しかし、コワルスキーは、方法を考えるからしばらく待て、とタオを止めます。

 ギャングの暴力に、「男らしい男」として、暴力をもって対していたコワルスキーは、それが、朝鮮半島で自分が冒した過ちをなぞっているだけだ、ということに気がついてしまうのです。

 やがて、彼は、それまで頑なに拒んでいた教会に行き、懺悔し、軍人仲間の理髪店で髭を剃ってもらい、約束どおりの時間にやって来たタオを地下室に閉じこめて、ギャングの巣窟に向かいます。

 そして銃を抜くフリをし――ギャング全員の銃弾を受けて死亡するのです。

 ギャングたちは全員つかまり、丸腰の人間を暴殺した罪で長期刑に服すことになりました。

 死後、彼のグラン・トリノは、血による繋がりではなく、魂によるつながりの息子タオに譲られ、ラストシーン、その車に乗って海辺を走り去って行くタオの姿がエンド・クレジットと重なります。

 あれ、気がつくと全部書いてしまってますね。まあ、いいか。

 という内容なので、映画のコピーである、

「俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。
         少年は知らなかった、人生の始め方を。」

は、正しいでしょうし、ほとんどのレビューや感想は、その立場に立ってのものとなるでしょう。

 では、わたしの考えを書きます。

 わたしは、この話で、もっとも重要なのは、冒頭の「妻の葬儀」であると考えています。

 マスキュリン、つまり「男らしい男」を体現している彼は、感情を表に出しません。

 葬儀の間中、孫娘のヘソピアスに顔をしかめ、若造神父の浅薄な警句に、モゴモゴと口の中で不満を呟き続けています――が、わたしは、この時点、つまり妻が死んでいなくなった時点で彼もまた死んだのだ、と思うのです。

 彼にとって、妻は、多くを語らずとも朝鮮戦争の痛みを分け合い、支えてくれた人生の戦友、精神的支柱であったのでしょう。

 もっといえば、彼の半身そのものであった。

 その妻が死んだ――

 つまり、映画の冒頭から、コワルスキーは、すでに「リビングデッド」生ける屍になっていたのです。

 ただ、彼の矜持、生きてきた人生が、女々しく(最近は使っちゃダメかな)妻を思って泣き暮らす日々を許さない。

 実際、彼自身も意識していないでしょう。

 このあたり、あたかもあの矢吹ジョーが、力石徹が死んだ時点で実質死亡しながら、あとは、ただ死に場所を探してボクシングを続けたのと似ていますね。

 だから、その後の、人生の終末を予感させる喀血や、タオや彼の姉スゥとの交流は、コワルスキーが「死に道」を得るための通過点にしか過ぎません。

 おそらく、わたし以外でこんなことを書いている人は誰もいないでしょうが、わたしにはそう思えるのです。

 予告を観ただけで、分かったように書くのは気が引けますが、ディズニーの「カールじいさんの空飛ぶ家」とは、その点が違っています。

 あの映画では、ともに人生を添い遂げた最愛の妻エリーを失っても、カール爺さんは死を考えません。もちろんそれは、彼には伝説の場所「パラダイス・フォール」を見つけ出すという「目的があった」からですが……

 コワルスキーには目的がない。重荷を共に支えてくれる妻も逝った。
 そして、五十年経とうと彼を解放しない、半島の悪夢の想い出が日々彼を嘖(さいな)み続ける。

「俺は兵士だった。兵士は命令に従うだけだ」
 そう彼はタオにいい、自分にもいいきかせているのでしょう。
 しかし、同時に、コワルスキーの良心が、常に彼を問い詰め続けていることが彼の言葉の端々から伺えます。
 曰く、
「その通り、お前は正しい、だが、お前自身の正義は、心はどうだったのだ?」

 妻を失った今、孤独のうちに悪夢と闘い続けることができないことを知った彼は、彼が彼らしく、「男らしく」生きていられるうちに、自らの手で幕を下ろしたかったのではないかと、わたしは考えるのです。

 だから、彼は、他に様々な解決方法が考えられるにも関わらず、彼自身の命と引き替えに、ギャングを一掃してしまったのですね。

 蛇足ながら――

 ヴィンテージ・カーは、日本語では「年代物の逸品自動車」と訳されると思いますが、ここで、問題なのは「年代物」というところです。

 年代物は、何かにつけメンテナンスやパーツの入手に金がかかります。

 ちょっと走ってはタイヤを交換、遠乗りしたらオイル総入れ替えなどと、貧乏人には到底維持できるものではありません。

 だから、タオに車の維持ができるかどうか、わたしはひどく気がかりなのです。

「命の恩人から譲られたマシンを手放すくらいなら、銀行強盗でもやってヤルゼ」なんて思い詰めはしないか、と。


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2009年12月 4日 (金)

歴史好きな女性が歴女なら――

 気がつくと、一週間以上ウェブログ更新をしていませんでした。

 匙いやサジもとい些事にかまけていると、一ヶ月程度はたちまち経ってしまいますね。

 色々と書きたいことはありますが、今回はコトバの話を。

 先日、今年の流行語が発表されましたが、その中に「歴女」というのがありました。

 歴史好きな女性のことだとか。

 昨年は、鉄道好きの「鉄子」なんてのも流行りました。

 女性の社会進出が進み、あるいは以前にはこっそり隠していて、かつては男特有の趣味や嗜好だと思われていたものを好む女の人が増えているようなので、そういった女性を表すコトバはいくらでも作ることができそうです。


 そうですね、例えば――


 歴史好きな女性が「歴女」ならば、地理好きな女性なら「地女」

 あるいは古生物学好きな「骨女」

 法律好きな「法子」(略してのりピー?)

 パチスロ好きなら「ぱちン子」

 イタリア好きな「イタ子」(潮来)

 ジャニーズが好きな女性「ジャニッ娘」(イケメンずら)

 高ガクレキの「学女」

 エコロジー大好き「エコ娘」(鬼太郎さん好きッ!)

 バス旅行の好きな「バスコンヌ」

 何も言うこときいてくれない女の子「ダメ世」

 何でも頷いてくれる子「ソーダ嬢」

 下ネタの好きな女性なら「シモーヌ」

 ごろ寝ばっかりしている女性は「ゴロン女」

 お菓子大好き「オッカシーナ」

 ごく普通の女性「パンピーナ」(当然男はパンピーノ)

 パン好き女性「パンヌ」

 政治(Politics)好きな「政子」(読み方は「ポリ子」)

 小悪魔アゲハファンが「アゲ嬢」ならば碁好きは「イゴ嬢」、カッパに似た女性は「サゴ嬢」

 サプリメント大好き「サプリーナ」なんてのもありそうかな。

 あるいは「子のたまはく〜」儒教好きな「孔子」(そのまんま?)

 海外ドラマ好きの女性は、アブロード・ドラマ好きで「アブドラマ・ブッチャー」(こりゃ男だって:というか、そもそも皆元ネタ知らないか……)


 そうそう、忘れちゃならないオベンキョ三点セット、

 物理好き「物女」モメンタムを力に変えて
 化学好き「化女」ベンゼン環を浮き輪代わり
 生物好き「生女」Na反転で冬もあったか(ハンテン違い?)

 そしてトドメは、数学大好き=「数女」(スージョって音の響きがイイね)

 他にもあるかなぁ。

 ブンガク好きな「文女」(もんじょ〜)
 病膏肓に入った文女は、ドモンジョ!

 ミステリ好きな「ミス女」!(ミスタージョーナツ?)

 まだまだありそうです。


 おそらく、皆さんも何か思いつかれたことでしょう。



おまけ

 以前に、ちょっと書いたことがありますが、世の中には「恥ずかしい言葉」というのがありますね。

 それがどんなものか、ここでははっきりとは書きませんが、時代にかかわらず、いつの世にあっても恥ずかしい言葉というのは存在します。


 しかし、現実問題として、かなり多くの恥ずかしい言葉は、その恥ずかしさを「時代とのズレ」に依っているように思います。

 ある時期流行して、皆がこぞってその言葉を使ったものの、やがては廃れ、忘れ去られ、すっかり消え去った……と思っていたのが、ハムレットの父の亡霊のように蘇った時に、トホホな笑いになるのですね。

 また、恥ずかしさの度合いは、おおよそ流行の度合いに比例します。


 たとえば……最近、我が国の首相が使った「ウインウインの関係」ってのは恥ずかしかったですねぇ。

 でも、今回のテーマである「女性がらみの言葉」ということで考えれば、個人的には「ハウスマヌカン」なんてのが恥ずかしいなぁ。
(夜霧のハウスマヌカンなんて歌もあったような)

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