« 矛盾を孕んだラジオ・ドラマの小説化 〜「告白」(湊かなえ)〜 | トップページ | 501回目の……〜フィンランドといえば〜 »

2009年10月15日 (木)

500本目の投稿だから 〜アヒルと鴨のコインロッカー〜

 秋も深まる今日このごろ、来し方を振り返ると、最近、悪口ばかり書いていることに気づきました。

 読んでいる人も、悪口なんか面白くないでしょうから、今日はオススメの映画について書きましょう。

 とはいうものの、悪い作品はよく目につくのですが、良い作品には(いや、自分の好みに合うのは、ということですが)なかなか巡りあえません。

 うーん。それでは、少し前の作品になりますが、このブログでは書いたことがないので、紹介させていただきます。

 だって、気づけば、これが500本目のメモリアル・アーチ(って野球か?)なんですからね。

 やっぱり、イイモノを紹介したい!


 邦画です。そして名作。

 原作、映画ともに、間違いなく多くの方におすすめ出来るその名は……

「アヒルと鴨のコインロッカー」(原作:伊坂幸太郎)

「なんだぁ?」と思って観始めて、笑って、泣いて、切なくなって、長く余韻が尾をひくという、わたしにとっての「映画の理想形」です。

 「映画化は不可能なのではないか」と思っていた作者に、「自分の映画化の中で一番好き」といわしめた監督の力量はナカナカのものです。

 すでにご存じの方も多いでしょうか、未見の方は、ぜひこの機会に、ご覧になられた方は、DVDを借りてもう一度観てください、以上。












 では、ちょっと、短かすぎますか?

 しかし、ダメな作品は、これを持ち上げるヒトは、いったいドコが良いと思ってるの?ほら、こんなトコにも、ここにも疵(きず)があるのに……と、指摘したくなるのですが、良い作品の場合は、わたしなどの舌足らずの解説など必要はありませんからね。

 ただ、観て感ぜよ!

 それだけでいい。

 のですが……じゃあ、ちょっとだけ、この映画のお話を。

 それほど多くはありませんが、映画の前半にいくつか伏線が張られてあって、中盤以降にそれらが美しく収束するサマが本当に心地よい作品なんです。

 ストーリーについては説明しません。それこそが、この映画の命ですから。

 ただ、

 主役の濱田岳のトボけた大学生がイイ。
 そして、なにより、キチンと演技をしてる瑛太の表情が最高に良い。

 途中から出てくる松田龍平もイイ。わたしはこの映画で彼のファンになってしまいました。

 さらに、

 ともすれば、若者だけが出てきて軽い映像になるところを、これもキチンとしたオトナの女としての演技で、映画全体のオモシとなっている大塚 寧々が良い。

 前にも書いたように「もうオトコだけが活躍する時代じゃない」といったステロタイプの思いこみで、リメイク映画で無理矢理オトコキャラを女性化して現れたような役どころではありません。

 そんなスカスカなキャスティングじゃない、ここにはこの女性(ひと)が居らねばならないのだ、という必然で登場するキャラクターです。


 不叫不喚唯静落涙 

 叫バズ喚(わめ)カズ、タダ静カニ涙ヲ流ス


 明け方の車の中、静かに流される彼女の涙の意味を知った途端、切ない悲しみが我々の胸に、どっとおしよせてきます。

 そして、効果的に使われる、ボブ・ディランの「風に吹かれて」、

 物語終盤に回想されるシーンで、登場人物が部屋で過去の想い出に浸っている時に、外から聞こえてくる「風に吹かれて」

 扉が開けられ、そして物語の輪は一気につながり、みごとに連環される。


 一見、そのようには見えませんが、この映画は、ある種ひどく寓話的でもあります。

 神話に近い部分もある。神サマが重要な役割を果たしているからです。


 いや、こんな書き方をしたら、これから観ようとする人に誤解を与えてしまいますね。

 この映画に「宗教的なニオイ」はまったくありません。


「アヒルと鴨のコインロッカー」で、笑い、泣き、怒り、走っているのは、全て間違いの多い、心優しき人間です。

 何をいっているかわからない人は、是非、映画をご覧になってください。


 そうすれば分かるはずです。どうしてタイトルに、アヒルと、鴨と、コインロッカーが出てくるのか。


 そして、なぜ、この映画のコピーが「神さま、この話だけは見ないでほしい」だったのかも。


 もう二年前(2007年)の映画ですから、DVD旧作でレンタルできるはずですし、今さら誰かがレンタル中ということもないでしょう。

 オススメします。

 最後にひとこと。

『裏口から、悲劇は起きる』

p.s.
 そうだ、付け加えてもうひとこと。

 この映画についての感想で、

「もともと映像化に無理がある映画だったので、自分にはもうひとつだったが、不思議と若者には人気があるようだ。自分ももう少し若ければもっと高い評価をつけたかもしれない」

と書いている人がいました。

 まさしくその通り。

 おそらく、この映画の登場人物が、独り部屋の中で、かつて録音したボイスレコーダーの音声を聞いている時の表情、穏やかな中に表れる紛れもない孤独感を「肉体的に感じられるかどうか」が、この映画の評価を分ける点だとわたしは思います。

 前にも書きました。

 時代がうつろい、いくら携帯電話のメールやtwitterでゆるやかにつながっていようと「若者は常に孤独」です。

 そして、孤独のただ中にいない限り孤独の本質はわからない。かつては感じていても、忙しさに紛れ、生活にかまけて忘れてしまう。

 だからこそ、かつて若かったヒトが年を取ってからこの映画を観ても、孤独を至近距離に感じることができずに、若者と同様の感動を得られないのではないか、と、わたしは思うのです。

|

« 矛盾を孕んだラジオ・ドラマの小説化 〜「告白」(湊かなえ)〜 | トップページ | 501回目の……〜フィンランドといえば〜 »

銀幕のこと(映画感想)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 500本目の投稿だから 〜アヒルと鴨のコインロッカー〜:

« 矛盾を孕んだラジオ・ドラマの小説化 〜「告白」(湊かなえ)〜 | トップページ | 501回目の……〜フィンランドといえば〜 »