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2009年9月26日 (土)

トシとっててガンコでカッコイイ 〜世界最速のインディアン〜

「世界最速のインディアン」を観ました。

 以前より、この映画が、素晴らしい内容であるということは聞いていました。

「ハリーとトント」「ストレイト・ストーリー」「真夜中のカーボーイ」など、ロード・ムービーにハズレはありません。

 この「世界最速〜」もロードムービーです。

 だから、もちろんハズレじゃない。

 あと「イル・ポスティーノ」「山の郵便配達」「ポストマン(ケビン・コスナー版:異論はありましょうが、わたしは好きなんです)」など、郵便配達をテーマにした作品にも外れなし、ということもあったのですが、これは長嶋一茂 主演の「ポストマン」のおかげで例外ができてしまいました……

 それはさておき

 最初、この映画のタイトルを聞いた時、足の速いネイティブ・アメリカンの話だと思いました。

 でも、この映画におけるインディアンは人ではありません。

 またフィクションでもありません。実話です。




 1960年代、ニュージーランド。

 早朝、一人の男が倉庫で目を覚まします。

 いや、実のところ彼は貧乏で、倉庫に毛の生えたような家で寝起きしているのです。

 愛車、20年型(1920年製!)Vツイン・インディアンを倉庫から引き出し、エンジンを空ぶかしして、近隣の住人から怒鳴られます。

 それでも、男は、どんな夢を見たのか、軽い焦燥感に襲われてエンジンを空ぶかしし続ける。

 男はもう若くない。

 彼には夢があり、そのためになけなしの年金を貯めています。

 その夢とは、自分の改造マシンを駆って、アメリカ・ユタ州ソルト・フラッツで行われるスピード大会で世界最高速を出すこと。






 しかし、彼はアメリカに行ったこともなれば、そのための金すら持っていません。


 普段の彼は、貧乏ながら、近所の子供に好かれ、子供以上に少年らしい言動で夢を語り過去を伝えながら、良い兄貴分として日々を過ごしています。


 男の名はバート・マンロー。年齢63歳。

 あの、アンソニー・ホプキンスが、ガンコでマッスグながら、年の功故の柔軟な語り口を持つ老人を楽しそうに演じています。


 レーサーとして、彼に残された時間はもう長くありません。いや、本当なら、もう終わっているといった方がよい年齢でしょう。

 だからこそ、ふと目が覚めた朝など、彼の身は焦燥で焼かれたようになるのです。


 やがて、バートは一念発起しアメリカに向けて旅立ちます。

 ほとんど金を持たない彼の旅は、泣き笑いの連続です。

 しかし……

 この映画は一種の寓話です。

 その証拠に、悪人がひとりもでてきません。

 彼のカンパ・パーティに現れ、スピードの挑戦をいどんだワルガキたちでさえ、彼の旅立ちに際して、仕事で見送りに来られないバイク仲間のかわりに、彼を港までエスコートし、「あんたは速い、必ず優勝する」と激励して去っていくのです。

 彼が困ると誰かが現れ彼を助けます。


 他者の振る舞いは、ある意味自分を映す鏡です。


 船代がないために、バートはコックとして船に乗り込みますが、そこでも、阿(おもね)らず、若い船員たちと友情を育みます。

 この「阿らず」というのが重要です。

 よほどの精神力と心の中心に硬いコアがない限り、見知らぬ場所でやっていく時、人は他者に阿るものです。

 しかし、彼は自分を曲げず折らず、偽らない。

 だから人々は、彼のことが好きになり、彼が困っていることを知ると何とか助けたくなってしまう。

 バートが、毅然として金のないことを恥じず、フランクに自分をさらけ出す魅力的な人物であるからこそ人々は彼を助けるのです。


 ある程度、長く生きて洞察力のある人なら、人の運の量に特別の差異はないことに気づくでしょう。

 交通事故に巻き込まれる、飛行機事故に遭う、偶然世に出て時代の寵児に「なってしまう」。

 そういった「色のない運不運」は万人に公平です。

 しかしながら、努力なしに大きな運を手にすれば、それに見合うマイナスを、自分だけでなく、自分の愛するものすら巻き込んで、支払わなければなりません。


 見かけ上、ひどく幸運な人と、かなり不運な人がいるのは、その人の振る舞いが、プラスマイナスの誤差を呼び込んでいるからです。


 つまり、主人公バートの生き様が、この「世紀のレースへの旅」を幸運なものに変えているのです。


 何かに導かれるように、塩平原(本当に真っ白で、真っ平らで美しい!)に辿りついた彼に、またも難題が降りかかります。

 レースは、あらかじめ申し込まないと参加出来ないのです。

 さて、バートは、レースに参加することができるのでしょうか?



 このブログでも、何回か書いていることですが、かつて流行作家であった故大藪春彦氏の作品をさして、彼の作品からガン(銃)とカー(車)と女をとったら何が残るのだ、という非難がありました。

 わたしは、それに対して、ある評論家(有名作家も同調)が答えた「男の人生、それ以外に何が必要なのだ」という言葉が大好きなのです。

 わたし自身、本当にそう信じているかは自分でも疑問ですが、少なくとも、男のドラマティック(劇的)な人生には、それらは不可欠だとは思います。

「世界最速のインディアン」には、銃こそ出てきませんが、それ以外、スリルもサスペンスも、スピードも重要な要素となって作品世界を作っています。

 もちろん、女性も出てきます。

 魅力的な主人公を、たとえ彼がどんなに歳をとっていたとしても、女性が放っておくわけがないじゃありませんか。

 それについて、ひとこと。

 ある若者が、この映画についての個人の感想で、良い映画だとは思うが、主人公が妙齢の老婦人と一夜を共にするシーンをみて、ショックのあまり映画の良さがわからなくなってしまった、と書いていました。

 わたしも、もっと若ければ、おそらく同様に感じたかもしれません。

 しかし、今やわたしもトシをとり、嵐のように互いを求め合う恋以外に、静かに肌を触れあう愛があることがわかるようになってきました。

 老人たちにこそ、直接的な愛は必要です。
 健康で生きているからこそ、肌を合わせることができる。
 そして、そういった「生きている証」は、老人たちにこそ必要だと思うのです。


「世界最速のインディアン」

 静かで美しい作品ですが、映画を面白くする要素がすべて入っている佳作です。

 何度でも観返したくなる。

 以前にも書きましたが、わたしは、もし自分が何かの肩書きで呼ばれるなら、ほかのどんな大層なものより「ライダー」と呼ばれたい。

 その意味で、生涯をライダーとして過ごしたバート・マンローは、わたしの理想でもあります。


 もしわたしが死んで、体が残っているなら、それと一緒に棺桶に入れてほしいものがいくつかありますが、間違いなくこの映画はそのひとつになるでしょう。

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