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2009年8月

2009年8月18日 (火)

頭をはたらかせ、じゃなくて乾かせ!

 寒い季節生まれのせいか、夏よりも冬の方が好きだ。

 夏の暑さも湿度も苦手だし、日差しのキツさも好きではない。

 冬の、キーンと高周波の音が鳴るような明け方の寒さに比べて、夏の明け方はボンヤリと暖かく、美しさに欠ける。


 夏が、冬に比べてマシだと思うのは、インフルエンザなどが流行らないことだと思っていたら、実際は夏でもかなり罹(かか)る人がいるようなので、そのメリットもなくなった。

 ただ、洗濯物がすぐに乾くことと(所帯じみてるねぇ)、洗った髪の毛がすぐに乾くのが嬉しい。


 幸い、髪の毛は人並み以上に多いので、抜け毛などを心配したことはないし、髪の毛の傷みなどを気に掛けたこともない。

 だから、当然、夏の間は、髪の毛など、ざっとバスタオルで水分をとった後は放ったらかしにしていた。

 しかし、最近、違う方面からふたつ、髪の毛についての知識を仕入れて、それが間違いであったことを知った。

 ひとつは、髪の毛を濡れたままにしておくと、雑菌が繁殖するということだ。

 かつて、わたしは髪の毛を、腰近く、とまではいかないまでも、背中の半ば以上まで伸ばしていた。

 その頃ほどではないにせよ、今もそこそこ長目の髪であるので、夏とはいえ、洗い髪をそのままにしておくと、なかなか乾かない。

 その間に、どこから忍び込んだか、雑菌が繁殖する可能性があるというのだ。

 おそらく、そういった菌の類(たぐい)は、髪の毛自身のみならず、地肌にもダメージを与えるのだろう。

 これは、後々のことを考えても良くない。


 仕入れた知識のうちの、もうひとつ、これはもう女性の皆さんにとっては常識なのだろうが「洗い髪は手早く乾かさないと傷んでしまう」ということだ。

 特に、夏は紫外線でダメージを受けるために、さらに被害は深刻になるのだという。

 濡れたまま放置するダメージより、ドライヤーによるダメージの方がマシだそうだ。

 濡れた状態の髪は刺激に弱く傷みやすい。

 では、髪を守るためにどうすべきか。

1.髪は根本から乾かす
2.ドライヤーは、髪から10センチ以上離す
3.一部分に集中的に熱風をあてずに、ドライヤーを小刻みに振る

 まあ、おそらく皆さん、上記を意識せずともそうしておられるでしょう。

 1を実現するためには、髪の毛を持ち上げて「地肌に温風を当てるつもり」にすると、うまくいくらしい。

 そして、重要なのは「完全にドライにしなくても、濡れた感じがなくなる程度で十分」だそうだ。

 女の髪は象をもつなぐ……らしいが、その強度を維持するためにも、夏の髪は手早く乾燥させねばならないのだ。

 男の髪は、何にもつなげられないだろうから、さらに急いで乾燥させる必要がありそうだ。


 ちなみに、髪の毛というのは面白いもので、体に入った薬物の残滓(ざんし)の多くを留める性質がある。

 ある意味、毛髪は、体が受けた薬品の履歴書なのだ。

 さすがに脱色等を繰り返すと痕跡は少なくなるらしいが、専門家によると毛は頭にだけ存在するのではないため、いわゆる薬物の履歴書から逃れることは難しいらしい。

 全身の毛を抜いたり脱色することは、ほぼ不可能だ。

 だから、麻薬を服用したかどうかは、かなりの確度で判定できるのだという。

 毛髪にはかなり長いあいだ薬物痕が残るため、逆にいうと、一度、麻薬の服用などで逮捕された人物には、毛髪検査は適用できないらしい。何年も前の痕跡が出るからだ。




 思いつきついでに書いておくと、最近「猫の毛フエルト」なるものを知った。

 ブラッシングして出る猫の毛に洗剤をつけてもむと、フエルトになるのだという。

 うちのケツコやロボ太も、ブラッシングをしてやると大量に抜け毛が出る。

 与えた餌のいくばくかでも回収できまいかと、今、猫フエルト制作計画を遂行しているところだ。

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2009年8月16日 (日)

道具に背を押され、久しぶりの自転車

 このところ、もっぱら歩き回ること(特に夜に)で運動するようにしています。坂の多い街なので、それで結構運動になるのです。

 その際に、DSの万歩計も持っているのですが、最近は、iphoneのアプリケーションにある「Runnning keeper」も同時に起動させて歩いています。

 これは、GPSを用いて、速度、距離、位置を記録し、後で、高度差とペースを含めて地図上に表示してくれるという、ナカナカ気の利いた無料ソフトなのです。

 同時に、サイトにもそのデータを送信してくれるので、大きな画面で、これまでの記録を確認することもできます。カロリー表示もでます。

 その際、設定で「プライベート」にしておかないと、全世界に自分のトロトロ歩きが公開されることになるので注意が必要ですが。

 これからが本題です。

 昨日、RKの設定で、ウオーキング、ジョギングの横に、サイクリングという文字を見つけたため、久しぶりに二階の物置に放り込んでおいた愛車を取り出してきました。

 屋内にしまってあったためか、多少の整備で走行可能になりました。

 水をボトルキーパーに差し、日除けのキャップを被り、シャツを羽織って走り出しました。

 ヘルメットは、ロッククライミング用のを流用しているのですが、デザインが派手すぎるので、いつも使用を躊躇してしまいます。


 一応、サイクル・コンピュータ、いわゆる速度計は自転車につけてあるので、iphoneは、いつも通り腕にバンドで固定しておきます。

 歩き、あるいは走りながら音楽を聴く趣味はないので(だったらiphone持つなって!)イヤフォンは使いません。

 かつて毎日走っていたのと同じコース、おそらく誰もが知っている史跡の点を線につなぎながら走ると気持ちよい汗が流れました。

 最近は、街の移動に折りたたみ式アシスト・サイクルを使用していたので、さすがに古墳丘陵道を上ると息があがりました。(あとで記録をみると、高低差は200メートルほどでした)

 前に別項で書きましたが、自転車で走るのをやめたのは、わたしの走行コース付近で(おそらく誰もが知る殺人)事件があったためです。

 事件の前日まで、平日の昼間、いかにも不審な人間が、毎日、自転車で走っていたのですから、警察に無駄な冤罪を起こさせないためにも、顔を出さない方が良いと思ったのです。

 事件後、ひと月ほどで犯人は捕まりましたが、その頃には、走り続ける意思が弱ってしまいました。


 今回、当時と同じ道を走ったのですが、短い方のコースで10キロ30分は、今のわたしの体力にぴったりでした。


 こういった何かのマシン購入がきっかけとなって、エクササイズを再始動することもあるのでしょう。


 そういえば、最近の中学生は、自転車を「バイシクル」ではなく「バイク」と習うのですね。
 このあたりの表現の違いで年齢が分かるのかもしれません。


 余談ながら、帰宅後、サイトで自分の記録を確認しようとすると、トップページにある「直近の公開記録」に目がいきました。

 ちょっと髪の毛の薄い顔写真が印象的なオランダのヘルシン氏は、5時間半で100キロ近くの行程を走り終えていました。

 その下が、イタリアのポッピーノ氏で、彼も3時間で50キロ走っています。少し距離が短いのは、その高低差が1800メートルほどあるからでしょう。

 世界にはスゴい人がいるものです。

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2009年8月11日 (火)

iphoneで写真を撮ると

 早く、マイクロソフトのサイトからダウンロードした、WINDOWS7:RC版の使用雑感を書きたいとおもっているのですが、このところ新しいオモチャのiphoneに振り回されて時間がとれません。

 というわけで……


 ちょっと暗いのですが、iphoneのカメラで某店内の(カップの)写真を撮ってみました。






 iphoneに限らず、最近のタッチパネルを利用したカメラに共通した機能に、「ピントを合わせたい場所をタッチする」というものがあります。

 つまり「この部分にピントを合わせたい」という場所にタッチすると、その場所を基準にピントと露出、ホワイトバランスなどを自動設定してくれるわけです。


 具体例でいうと、上の写真は、女性の口の部分にタッチしました。


 下は、カップ真ん中右の黒マスの部分にタッチしたために、露出オーバーになっています。




 そして、カップ真ん中の珈琲の写真にタッチしたものが以下です。少し明るめですね。





 このように、具体的に自分が「対象としたいモノ」を指で指示できる撮影というのは、今では常識なのでしょうが、アナログカメラに慣れたわたしには随分新鮮でした。


 最期に、iphone用無料アプリケーションのED SHOPを使って、上記写真を江戸時代風に加工してみました。






 と、ここまで書いて、以前紹介したtwitterの新しい使い方を思いつきました。

 とりあえず触ってみたiphone用アプリケーションの簡単な感想を、twitterに上げようと思います。

 三日坊主になりそうで恐いのですが……



 おそらく、適当なソフト感想集になると思います。

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2009年8月 7日 (金)

twitter?tweeter? そう、どちらも小鳥のさえずり

 iphoneのアプリケーションに、twitter用投稿・閲覧ソフトが多くあったので、ためしにわたしも登録して使ってみました。

 ご存じのように、「小鳥のさえずり」を意味するtwitterは、ブログとチャットを足して割ったようなシステムをしています。

 表示される「What are you doing?(いまなにしてる?)」の質問に対し、140文字以内でつぶやきを投稿するのが基本です。

 要するにチャットみたいなものですが、すぐに返事を書かねばならないチャットと違い、リアルタイム・リプライを強制されないことと、(特別な設定をしない限り)誰の目にもコメントが触れ、拒絶されない間は誰でも返事を書くことができます。

 実際に少し使ってみると、140字というのがなかなか良い設定のように思えます。

 ダラダラと脈絡なく、自身の行動を垂れ流す……失敬、投稿するには、最適な文字数ですね。

 人と人がユルクつながるためには、ぴったりの道具だといえます。

 メディアや社会学のセンセイたちの間でも、社会を変えるメディアの本命なのではないかという声が上がっています。

 現実的に、紛争地や情報封鎖された地域(中国は封鎖がきつくてダメですが)からの投稿は、皮膚感覚の当地の実情をしる格好の材料となっているようです。


 しかし、そういった僅かな文字数のものに、社会を変えうるのではないかという期待を持つのは、いかがなものでしょうか?

 これまでに、ブログやYoutubeなど、何度もそういった「世界を変えるカモシレナイツール」はネット内に登場してきました。

 しかし、そのどれもが「世界を変えるほど」のモノになっていないのが実情です。


 twitterが可愛そうなのは「今度こそ」社会を劇的に変えうるのではないかという重すぎる期待感でしょう。

 それは、あたかも、太ってリッチな旅行者の大量な荷物を持たされてよろめく、棒のように細い足をした貧しい国のポーターのような気がしてきます。

 しかし、こうしてみると、みんな自分の情報を公表したがってるんだなぁ。

 わたしなど、そんな個人情報を公開することは恐くて仕方がないのだけれど。

 昨日の昼に、自分が何をしていたかを不特定多数の人間が知っているのですよ。

 恐くないのですかねぇ。

 というわけで、わたしのtwitterは非公開です。




 余談ですが、「twitter」に似た言葉に「tweeter」があります。

 tweeter:トゥイーターは、オーディオ・ファンには馴染みの言葉です。

 ともに小鳥のサエズリを意味する単語ですが、オーディオ・システムにおけるtweeterは「高音部を独立させて鳴らす小型スピーカー」の事です。(低音部は大型スピーカーWoofer(ウーファー)が受け持つ)

 一般に、ひとつのスピーカーで音を鳴らすより「ある程度まで」の音質向上がはかれるために使われることが多いトゥイーターですが、全ての帯域をひとつのスピーカーで鳴らす「フルレンジスピーカー」に比べ、ネットワークを介する分(つまり音を分離する作業をする分)、高音に優れたフルレンジ・スピーカーより音質が劣る場合があるとの指摘もあるようです。

 これは、ネットワークを介しながら「ゆるく」つながった、多くのネットワーカーによる、高音部のみのtwitter = tweeter(=小鳥のさえずり)より、フルレンジに優れた者の洞察力の方が勝るという示唆なのかもしれません。

 さらに、特に意味のない、自分にとって気持ちの良い高音部のサエズリ=twitterを為す場所が存在するなら、低音部のみを受け持つ大型獣のうなり声=wooferという発言場所も生まれてきそうな気がします。

 その際、wooferは「王様の耳はロバの耳」における井戸穴的存在となり、「井戸に吹き込まれた意味不明な、表だって発言できない社会に対する呪詛(じゅそ)コトバ」の集合体になるのでしょうか。

 なれば、本来、そこに書き込まれたコトバは、地獄に入り込んだ魂のように、二度と表に出てくることはない……ハズだけれど、やがて星新一の「おーいでてこい」のように、後にそれらは空中から降り注いで、多くの惨禍を現実社会にもたらす厄災のもとになるのかもしれませんね。

 もうひとつの社会を変えるカモシレナイ・ツール「タンブラー」については別項で書きます。

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2009年8月 6日 (木)

HDの壊れる原因をGoogleが突き止めた!

 夏が来〜れば思い出す〜のは、遙かな尾瀬ではなく、二週間ほど旅行に行って帰ってきたら、テレビ録画用のマシンも自家サーバーも、オシャカになっていた事です。

 主たる原因は、異常な暑さによるハードディスクの破損でした。

 ひと一倍、エコロジーに関心の高いわたしは(いや、対象は主に財布の中身についてのエコロジー:要するにケチ)、人もいないのに部屋にエアコンをかけっぱなしにして旅行に行くことを良とできなかったのです。

 しかし、おかしなこともあるものです。

 同じ部屋では、あと3つのマシンが稼働していたのですが、同様の状況下で、壊れていないものもある。

 ブッとんだHDにしても、古いものだから(使用時間が長いものだから)壊れた、ということでもありません。

 いったいにコンピュータの破損は、マザーボード上のコンデンサの劣化以外では、静的(つまり実際に動かない)部分ではあまり起こりません。

 やはり、高速で回転するHDが原因となることが多いようです。

 そういえば、先日も、YAHOOにおける、わたしのサイトが納められているメモリ部分に不具合が出て、5日ほど、SQLとPHPで自動的にスケジュールを表示することと、このサイトのミラーサイトが表示できなくなっていました。

 これも、簡単な謝罪とおおざっぱな説明から推察するに、HDの不具合だったようです。



 先日、夏休みに入った近くの大学図書館で、本を借りてきました。

 タイトルは「Googleを支える技術」です。




 およそ少しでもデータベースについて知識のある人なら、取り扱いデータの数がある数値(閾値:いきち)を超えると、突然プログラムが重くなり、事実上扱えなくなることがあるのをご存じでしょう。

 具体的に書けば、小学校の先生が、生徒の成績を管理する程度ならEXCELとマクロで十分ですが、一つの県でそれらを管理しようとすると、専用のデータベースソフトと専用の高速マシンでないと、扱うのが難しくなります。

 一県ですらそういうことなのですから、世界を対象とするGoogleが取り扱うデータ量の多さは途方もなく大きくなり、さらに扱いが難しくなります。

 一般に、コンピュータの性能を向上させるには、ふたつ方法があります

 一つは、より優れたハードウェアに差し替える「スケールアップ」であり、もうひとつは、ハードウェアの「数」を増やす「スケールアウト」です。

 スケールアップの利点は、システムを単純化できるのと、基本的にソフトウェアを変えなくて良いということです。ソフトを変更せずに機械を変えるだけでよいのだから、簡単です。

 わたしも、時間がなくてメンドウなときは、新しいコンピュータを組んで、前のHDをそのまま組み込み起動させてドライバだけを変更して、しばらく使うことがあります。

 このやり方の欠点は、高性能なハードは(たとえそれがほんの少し高性能なだけでも)、驚くほど高価だということです。


 スケールアウトの長所は、必要に応じて数を増やせることと、比較的(上にくらべて)安く行えることです。
 欠点は、ソフトウェアが複雑になることです。さらに、ソフトの性能が悪いとハードを増やしても性能は向上しないという悲劇がおこります。

 巨大なデータベースを扱う時は、スケールアウトの方がメリットがあります。検索エンジン(つまりソフトウェア)は、その性質からいくらでもコピー可能だからです。

 Googleはこちらを選び、ハードは安く抑え、天才たちを集めて「ソフトで工夫」する方法をとりました。

 いわゆるデータを分けて保存する「分散ストレージ」なわけですが、そういった概念は、昔からあったものでGoogleが生み出したものではありません。

 しかし、学者たちが机上の理論として考えていた(少し極言ですが)ものと、日夜増え続けるデータに追いかけられ、必要に迫られて金儲けの手段として、発展させられた実践向けGFS(GoogleFileSystem)には自ずから違いが生まれます。


 ちなみに、スタンフォード大の二人の学生(Sergey Brin & Lawrence Page)によって1998年にGoogleが作られた時、彼らは、世界中の2400万(当時)のwebサイトから、ロボット検索(ソフトウェアによる自動収集ソフト)によるクローリングで、画像などをのぞいたテキストデータ147GB(ギガバイト)を集め、(今から考えるとわずか)「数台のPC」と「数十台のHD」に納めていました。

 当時のGoogleの検索システムは、「役に立つページはあちこちからリンクを張られているはずだ」という考え方に基づいた得点制「ページランク」と、そのリンク先に関係づけられた単語(アンカーテキスト)を特定し収集すること、また、それらを用いて検索結果に順位をつける「ランキング関数」から成り立っていました。

 さて、いったい、なぜこのような退屈な話を長々としているからというと、つまり、Googleは、地下深くに秘密裏に設置されたヘリウムで冷却されているスーパー・コンピュータを使っているのではなく、どこにでもあるHDを使って、世界各地に散らばった50万台(2007年時点)ものマシンを連携させつつ、膨大なデータ処理を行っている、つまり特別なフェイルセーフ部品を使っていないために、極端にいえば、わたしの部屋でブッとんだHDと同じ製品を使っている可能性があったということです。


 先にも書いたように、データはその取扱量が多くなると、極端に制御が難しくなります。

 しかし、同時に、数が多くなると単なるデータに過ぎなかったものが、重要な意味を持つようにもなるのです(統計学的な意味だけでなく)。

 まどろっこしい書き方で申し訳ありません。

 持って回った書き方はやめて本題に入りましょう。

 Googleは企業ですから、システムの停止はあってはならないことです(さきのYahooのように)。

 だから、彼らは、自分たちが今使っている「どこにでもあるHD」がいつ壊れるか、を、真剣に、しかも膨大な数(10万台)を使って調査しました(実際、かれらはスゴイ数のHDを使っているのですから)。

 そこで彼らの得た結論が面白い。

1.長く使うと壊れやすいわけではない。
2.よく使うと壊れやすくなるとも限らない。

 次がちょっと衝撃的!

3.温度が高いほど壊れやすいということもない。

 エッ、マジ?

 巷間(こうかん)流れている噂と違うじゃないの。

 じゃあ、いったいHDが壊れる原因ってなに?

 Googleは、その論文の中でこういっています。

 「HDの寿命は、それが、いつ、どこで作られたかによってきまる」

  つまり、良いときに買ったドライブはどれも故障しにくく、逆にハズレの時は、最初から最後まで故障しやすいということなのです。

 まあ、これって、自分でキカイ類を多く買う人なら、実感でわかる事何じゃないでしょうか。

 同じ工場の同じ製品でも時期によってムラがある。

 良い製品ロットに当たれば長持ちし、悪いロットにあたればもうダメ。

 Googleをして、「HDのもちは運次第」といわしめるとは、部品メーカー恐るべし。



 なんて、別にGoogleがいったから正しいとは思いませんがね。

 個人的な意見をいわせてもらうと、わたしはGoogleが好きではありません。

 検索もほとんどGoogleは使わないし。


 以前に、どこかの番組で、Googleの責任者が「人々のあらゆるデータが欲しい」と発言しているのを聴いて背筋が寒くなったことがあります。

 世にあふれるGoogle信奉者たちは、心して自問すべきでしょう。
 自分は、オノレのすべてを譲りわたしても、ベンリな生活を手に入れたいのか、と。


 かつて誰かが、政治に特化されたGoogleシステムを作ってもらえば、(選ぶ方も立候補する方も)選挙が楽になる、というようなことをいっていましたが、とんでもないことです。
 彼女が「Googleなら、いずれはやってくれるはず」と妙な自信をブログでのぞかせていたのも、なんだかそら恐ろしかったなぁ。

 しかし、そう思うのも無理なからぬことなのかも知れません。

 すでに、Gooleは、「Googleの持つ番号」に電話しさえすれば、彼に関係したあらゆる場所の固定電話、携帯電話を同時に鳴らすサービスを始めています。

 これは、つまり電話番号が意味を持たなくなる、ということです。

 かつて、携帯電話が普及した時、これで「家を示す番号であった電話番号が個人をあらわすものになった」といわれましたが、それでも、自宅の固定電話や複数の携帯電話を持つ人もいたわけで、携帯電話の番号が個人の番号ではなかったのです。

 しかし、今度は、ほんとうに個人が「ただひとつの番号で特定されてしまう」ようになってしまった……

 でも、それって良いことなのでしょうかねぇ。

 そういった、大きな社会変革を、あまりに速いペースで行われようとすることに対する、本能的な恐怖に過ぎないのかも知れませんが……

 どうでしょうね?


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