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2009年7月 9日 (木)

脳という臓器

 なるべく毎日書こうとおもっているのですが、このところ、日があいてしまっています。

 書きたいことはたくさんあるのですが……

 珍しく新刊で買って読んだ『告白』の「また出てきたぞ脚本の小説化本」あるいは「脚本で考えて文章に落として出版小説」についても書きたいし(いや、なに、わたしが最終選考で落とされた小説推理新人賞の受賞作っていうから読んでみただけなんです)、死後、数日を経て少し落ち着いてきたマイケルジャクソン論(というほどのものではありませんが)についても書きたい……グーグルブック検索問題も大きな問題です。


 しかし、ここはやはり、最近、あまり書いていない、ヒトと脳・脳科学について思うトコロを少し書いてみようと思います。

 ただ、まだ、わたしの中でも、きっちりとまとまっはいませんので、脈絡のないハナシになるかも知れませんが、お許し下さい。




 おそらく、皆さんご存じでしょう、去る6月18日に衆院本会議で、脳死を「人の死」とすることを前提に、本人の意思表示がなくても、家族の同意だけで臓器提供を認める法案が可決されました(特に大きい意味として、15歳以下の子供の国内臓器移植が可能になったことがあげられます)。

 よほど近々(きんきん)に解散総選挙がないかぎり、参院で、さらに少しの修正を加えたA案やE案が審議されるようです。


 ごく個人的に、しかも小さい声でいえば、わたしは臓器移植には乗り気ではありません。

 宗教的、倫理的な意味ではなく、現行の技術で臓器移植は「無理」偏に「無謀」と書くような延命措置だからです。

 肉体にとって「明らかな異物」である他者の臓器を外科的につなぎ合わせ、あとは拒絶反応を抑えるために、正常な免疫機能を下げてまで、命の続く限り大量の薬を飲み続けなければならない。

 しかも、移植後の生存期間は、一般的に決して長いものとはいえません。

 そいうった、移植手術を受けた人々のQL(Quality of Life)を考えると、現在の技術水準では、両手(もろて)をあげて賛成しにくいのです。

 もちろん、誰しも死にたくはありませんから、そこに生き残る技術が存在するのであれば、後の不便を覚悟しても、それを使う決断はあってしかるべきです。

 上で、生存期間が長くないと書きましたが、それは傍観者の考える勝手な判断で、死期を知らされた人々にとっては、一分一秒でも、術後に生き延びられる時間は、かけがえのないものとなることでしょう。

 苦しい闘いを覚悟の上で移植を選ぶなら、その気持ちは尊重されるべきです。


 移植を受ける側はそれでいい。

 ただ、問題は、法案でも審議されているように、臓器を提供する側にあります。

 すでに端緒(たんしょ)についたとはいえ、いまだ人工細胞による臓器製造は実現されていませんから、臓器は生きた人間から受け取ることになります。

 腎臓や肺など、二つある臓器ならともかく、一般的に、一つしかない臓器を提供するのは、つまり命を差し出すということです。

 ヒトは多細胞生物です。

 体内に、様々な臓器をもち、皮膚や髪の毛などの個々の細胞は、日々、死にまた生まれています(体内およそ60兆個の細胞の1%程度が毎日死に続けている)。

 かつて、医学がそれほど進んでいなかった頃、といっても、せいぜい100年ほど前ですが、ある重要な臓器の死は、すなわちヒトの死でした。

 しかし、今は、人工心肺、透析装置、その他の医療機械につながれていると、特定の機能を失ってもヒトは生き続けます。



 長らく、ヒトの生死は「心臓の拍動の有無」で決められていました。

 そして、実際のところ、それは正しかった。

 心臓は血液を循環させます。血液内でもっとも重要な内容物は酸素です。

 心臓が止まると、各臓器、その細胞に送り届けられるべき酸素がなくなります。

 まず、もっとも酸素を必要とする脳細胞が死にます(脳は体重の2%の質量で、酸素の全消費量の20%を使う)。

 肺、小腸、肝臓、そしてもちろん心臓の細胞もすぐに死にます。

 だから、上の臓器は、心臓が動いて酸素が行き届いている状態で取り出さねばなりません。

 それに反して腎臓(心停止後1時間)や角膜(心停止後10時間)は、比較的、酸素不足に強い臓器なので保存がききます。


 何がいいたいかというと、移植臓器の提供者(ドナー)となるためには、心臓が動いている状態で臓器を取り出さなければならないということです(もちろん、実際には、心停止してすぐに開腹するということになりますが)。

 そのために、ヒトの死を「心臓が止まって各細胞も壊死し始めた」頃ではなく、「脳(脳幹でなく新皮質)が無反応になった」時にしなければならなくなった。


 これも、おそろしく小さい字で書きたいのですが、個人的には、それで良いと思います。

 理想はともかく、現実社会においては、すべては、「今、生きている者のため」を考えねばならないと思うからです。

 さきに書いたように、今現在生きていて病にかかり、移植という手段で延命を図ることができるのであれば、後の危険と困難を覚悟するなら移植も良いでしょう。


 ただ、問題なのは、上の「生きている者」が、様々な内容を含んでいるということです。

 今、生きているヒトは、自分の死後を考えます。

 自分の体が、遺族の意思で、(この表現は嫌いですが)切り刻まれることを恐れる者もいるでしょう。生前に意思表示しておけば良いのでしょうが、元気に生きている者にとって「死」は意識しにくいものですから、そういったヒトは漠然とした不安をもって日々過ごすことになりかねません。


 あるいは、脳死と診断された子供を介護する親にとっては、法的に脳死を人の死とすることで、我が子が「法的に死んだ人間」と判断され、世間から、法的・経済的あるいは心理的妨害を受けることがあるかもしれないと考えるのは当然です。




 さて……しかしながら、困ったことに、さきに(気持ちの上で小さい字で書いた)意見と相反する気持ちが、常にわたしの中にはあります。

 それは、わたしの判断が、歴史の中で長らく議論されてきた「一元論」と「二元論」の間で揺れているからです。

 つまり「肉体と精神は一のものか否か」(歴史的には「肉体」と「魂」をさします)


 その考えを臓器移植に置き換えると、人の体を「脳」と「それ以外」に分ける是非です。

 これは、何度もこのブログで書いていることですが、臓器としての脳は、それほどにエライものなのでしょうか?


 個人的に、内蔵として見た場合、肝臓は決して脳にひけをとらない臓器だと思っています。


 しかし、近頃の人々は、どうも脳が大好きなようです。「Mr.BRAIN」のように笑止な番組すらできてしまうほどに。

 脳を語る茂木氏の本がベストセラーになる世の中です、脳こそが、人の人格・行動・個性のすべてを決めていると思うのは仕方がないのでしょうが、あえて、そこに疑問をもつべきではないでしょうか。

 本当に、体内の臓器によって、逆に人の行動が誘導されることはないのでしょうか?

 脳のワガママで浴びるように酒を飲み、同格の臓器である肝臓をいためつけてよいのでしょうか?

 脳が死んだから、あとの臓器は好きにして良い、というのが二元論的な考え方です。

 それに則って、臓器移植は行われているのです。



 「脳死」イコール「人の死」として脳を特別視する考えは、ヒトの近代化・都市化と密接に関係するそうです。

 つまり、一個のイキモノとして、自然の中で生き(生かされ)ている時は、生と死は、「自然の中の様相の違い」にしか過ぎず、人をわざわざ「脳」と「それ以外」に分ける必要などなかった。

 しかし、日々、都市で過ごし、太陽を浴びず雨を気にせず、狩りも料理もせず、食事をレストランや食堂でとり、仕事に頭を悩ますうちに、人は、極端な頭デッカチになって、「すべての臓器とともに、体全部で自分である」という考えを忘れてしまった……



 金、経済そして権力をテーマに突っ走る青年コミックにも、そういった考えの影響は現れます。

 先日、コミック喫茶で、何気なく手にした「エンゼルバンク」を読んだ時にもそんな感想を持ちました。

「エンゼルバンク」は、「ドラゴン桜」の三田紀房が描く転職マンガです。

 相変わらず、狭量な価値観の押しつけには閉口しますが、「すべてモノゴトを、奇をてらって逆サイドから見る」という方法論が、おそらく大学生や若年層には受けるのでしょう。


 それはともかく、その中で、日本を支配する(と、簡単に口にする浅薄さが苦手なのですが)という組織に入れられたヒロインが、日々、不規則な生活を、薄汚れた部屋で繰り返し、大量の煙草を吸い続ける姿は、現実的ではあるのでしょうが、違和感を感じます。

「おいおい、経済的、社会的にビッグを目指すのはいいが、病気になったら完全なマケグミだぜ」と思ってしまうのですね。

 これなんか、典型的な、脳と肉体を分離したハナシです。


 わたし個人としては、できれば、自分の体、思想、財力、ネコ、周囲の人の感情、そういったまわりのものすべてで「自分の人生」を形作っているのだと自覚して生きていきたい、現段階ではそう考えています。

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