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2009年5月 5日 (火)

街の灯

 むかし、暗くなってから、田舎道(なに、今もわたしが住んでいるこのあたりのことです)を父の自動車に乗って走ると、道路沿いに明かりなどほとんどなく、ただ車のヘッドライトだけが(そのライトも今のハロゲン球の明るさではなく、黄色っぽいタングステン球)、心細げにアスファルト(そして地道)を照らしたものでした。

 たまに、暗闇の中、ひときわ明るい場所が見えてくると、それは決まって不夜城のごとく輝くパチンコ店です。


 町の中も似たようなもので、人通りの多い道ぞいには、薄ら寒い感じの白っぽい蛍光灯が電柱二本おきに心細げに光ってはいたものの、少し脇道にそれると明かりなどまったくなく、さらに少し田舎の村にいくと、街灯は傘のついた白熱灯になって、これも駅前の道だけを、黄色っぽい、丸い光が10メートルおきに道路を照らしていました。


 何がいいたいかというと、むかしは、よほどの都会でない限り、夜は暗く寂しいものだったということです。


 それがいつの頃からか、ほとんどの道には明るい街灯がつくようになり、日本の夜は暗くなくなりました。


 しかし、わたしは、日本の夜の姿を変えたものは、増えた街灯ではなくコンビニエンス・ストアの出現だと思っています。


 暗かった町の中、闇夜の灯台のように、ひときわ「光の洪水」として燦然と輝き始めたのは、突如現れたコンビニエンス・ストアだったからです。

 宵っ張りの人々、それに若者は光に惹かれる蛾のように、コンビニエンス・ストアに群がりました。

 それ以前は、比較的遅くまで店を開けている酒屋の明かりくらいしかなかった。

 コンビニエンス・ストアは、それと同時に、年末年始の「年玉はもらったけど、四日までは、どこにも買い物にいけないなぁ」という正月感をなくした元凶でもあるのですが、ここではその話はおいておいて……

 今や、終夜営業のファミリー・レストランやインターネット・カフェもあり、コンビニエンス・ストアのみが、夜の灯台というわけでもありませんが、ガラス張りの店内からあふれる蛍光灯の白い光の鮮やかさという点から、いまだに「光の洪水の雄」という地位は揺るがないように思えます。

 しかし、先にも書いたように、蛍光灯の光は、白いためか、なんだかうすら寒い感じがします。


 個人的には、黄色い白熱灯(いわゆる裸電球)の明かりの方が好きです。

 母は、戦時下の「灯火管制」あるいは「防空壕の明かり」を思い出すといって、白熱灯の明かりを嫌っているようですが、わたしも、省エネ?のためか(あるいは寿命を延ばすためか)ワット数の低い電球が使われていた、かつての街灯には、(本来)暖かい色の暗く陰気な光、という複雑な印象をもっています。


 暗い白熱灯という言葉で、むかし、インドを訪れた時のことを思い出しました。

 着陸態勢に入った飛行機の窓から見える明かりが(夜11時の到着でした)、一面薄暗い黄色なのを見て、なんだか感動してしまいました。

 まだ、この黄色い光の下で、夜を過ごしている人々がいるのだなぁ、と。



 今、夜の日本を国際宇宙ステーションから見ると、真っ白に輝いているそうです。

 省エネルギーを目指している日本が、これではいけない……



●さて、ここからが本題です(相変わらず前フリが長い!)。


 4月から施行された改正省エネ法のため、いま、「あの」陸の灯台、コンビニエンス・ストアの明かりが変わりつつあります。

 というのも、従来は規制の対象外だった小売りチェーンにも、国へのエネルギー使用量報告が義務づけられたからです。

 24時間年中無休が多いコンビニエンス・ストアにとって、環境対策への対応は消費者イメージに直結するために、急ぎ対応を進めているらしいのですが、その矛先が、ストアの「明かり」へ向いてしまったために、看板や店内照明が、徐々にLEDに変わっているのです。

 電子工作のコーナーでも書いていますが、個人的に「ヒカリモノ」が好きなので、LEDというパーツも大好きなのですが、生み出されるヒカリが好きかと問われると「はい、大好きです」と即答できません。

 LED、なかんずく白色LEDの光は、蛍光灯が発する白い光より白々として薄ら寒く感じてしまうからです。



 さらに、LEDは、発生する光の「波長の狭さ」が問題です。

 一般にLEDの色(光の波長)は、LED内部のpn接合を作る素材の「バンドギャップ」の大きさによって決まります。

 これによって、赤色だの黄色だの紫といった光を発するLEDを作ることができる。

 しかし、その色が持つ光の波長は、ごく狭いもので、本来、白色のダイオードを作ることは不可能だったのです。

 なぜなら、ご存じのように、絵の具は混ぜれば黒くなり、光は混ぜれば白になる。

 つまり、白色光は、多くの色が混ざった光、可視光線の全域に渡って連続したスペクトルによって生み出される光なので、単色しか発生できないLEDでは生み出すことができないのです。


 かつて、LEDといえば赤色や緑色しかなかったのは、こういった理由からです。

 そこで技術者はズルをしました。

 ホンモノの白色光が無理なら、ごまかしちまえ、と。


 偽物ではあるものの、人の目は、R(赤)G(緑)B(青)というたった三つの光の混合や、補色関係にある二つの光の混合でも白だと感じるために、技術者は、それ利用して「疑似白色光」を作りだしました。


 詳細は省略しますが、ここで、わたしがいいたいのは、現在の白色LEDは、さまざまな波長をたっぷり含んだ、「豊かな」「本当の」白ではない、ということです。


 いわば「寂しい」「ニセモノの」白なんですね。

 目は人間にとって重要な受容器です。

 そして、体に入ってくる情報の多くは目を経由しています。

 過去数万年にわたって、ヒトの目(とそれを認識する脳)は太陽光を基準に働いてきました。

 その目に入ってくる光のオオモトが、わずかばかりの波長を「ごまかして白色にした」ものであったなら、目や、なかんずく脳が影響を受けないはずがないと思うのです。


 以下は、ごく個人的な直感的感想なので、論理的ではないのですが、なんというか、LEDの光のもとで長く過ごせば、ヒトの目と脳が、その「単調さを寂し」がって機能不全を起こしてしまいそうな気がするのですね。

 深夜に長時間働く店員や、夜、コンビニエンス・ストアを訪れる若者たち(とは限りませんが)に妙な影響が出てしまいそうに思えてなりません。

 コンビニ強盗が増えたりね。


 省エネルギーは為されなければなりません。

 だからといって、省エネを焦って、安易なLED化は行わない方が良いように思います。


 夜の街を輝かせる「街の灯」は、省エネルギーであっても「豊かなもの」であって欲しい、そのための新しい素子の開発を、一刻も早く実現して欲しいと願っています。

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