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2009年5月29日 (金)

ゾンビーノ 〜僕にできた初めてのともだち〜




 ゾンビものは、モノクロの「The night of the living dead」以来、ずっと好きで、機会があれば観るようにしているが、これは何ともふざけた映画である。

 そもそも、原題は「Fide」(ファイド:主人公ゾンビの名前)であるのに、どこからヒネりだしたか邦題は「ゾンビーノ」になってしまった。

 イタリア語のバンビーノ(男の子)の派生であるなら、主人公は子供のゾンビでなければならないが、本作でゾンビは中年のおっちゃんである。

 まあ、音が似ているし面白いから良いけれど。

「来るべき遠い過去」とでもいえばよいのだろうか、科学文明も人々の感覚もファッションもすべて1950年代風であるものの、そこには正史には存在しなかったゾンビが日常的に存在している、いわゆるパラレル・ワールドがゾンビーノの世界だ。

 使われるカラーも50年代を意識した、原色を多用したマクドナルド的幼児向けの、派手で楽しい映像に仕上がっている。

 内容はというと、設定は過去のゾンビものを踏襲(とうしゅう)したものだ。

 地球があるガス帯を通り抜けた時に、ガスの作用で死者がよみがえって生者を襲い始めた。
 人々は、死者対生者に別れて苛烈な戦争をくりひろげている……のが、今までのゾンビ映画だった。

 しかし、ゾンビーノ世界では、ある科学者がゾンビを飼い慣らす首輪を発明し、人々は、死ぬことがなく餌もいらないペットとして、従僕として彼らを家でコキ使うようになっているのだ。

 主人公は内省的、つまりおとなしい少年ティミーで、彼はゾンビを飼い慣らし従属させる世の中に疑問を感じていた。

 彼の家にはゾンビが居らず、そのためにいじめにもあっているからだ。

 隠してはいるが、ティミーの父はゾンビを恐れているのだ。

 この時代の大人は、誰でも、子供の時に突然家族がゾンビ化してその人たちを殺すという経験を持っている。
 ほとんどの男たちは、酒を飲むとゾンビ戦争(50年代における第二次大戦に似せてある)の思い出を語り自慢する。

 しかし、ティミーの父はゾンビ化した自分の父を殺した記憶から逃れらず、ゾンビを恐れて、家で飼うことができない。

 同時に彼は、死んで自分がゾンビになることも恐れており(ガスはまだ地球に残っていて人は死ぬとゾンビになる)、ゾンビ化を防ぐただ一つの方法、死ぬと同時に首を切り落として、首棺桶(Head Coffinと呼ばれてる)と体棺桶に分けて埋葬することに執着している。
 しかし、その埋葬法は、葬式に金がかかるため、彼は、自分と妻と息子の葬式料金のローンを組んで、その支払いにやっきとなっていた。


 ティミーの母(実は彼女が主演なのだ)は、ご近所にはゾンビがいるのに、我が家だけゾンビを飼っていないことに、肩身の狭い思いをしながら毎日をくらしていた。

 この母を、あの「マトリクス」「レッドプラネット」「メメント」のヒロイン、キャリー・アン・モスが好演(怪演?)している。

 ついに彼女は夫を説得し、というか半ば強引に既成事実的に従僕ゾンビ(その名がファイドなのだ)を購入する!


 書き忘れていたが、電子首輪によるゾンビ無力化を推し進め、彼らを飼い慣らし、商品として売り出しているのは、Zomcon社(Zombie Controlの意か?)という巨大企業だ。

 ゾムコンは、穏やかで豊かな居住区の周りに広がるゾンビ無法地帯(おそらく、地球のほとんどがそうなのだろう)を人々の目から隠し、ゾムコン首輪によって、あたかも人類がゾンビに勝利したかのような錯覚を人々に与えて、全世界をコントロールしている。


 家にやって来たファイドは、他の無反応、カクカク歩きのゾンビと、なんだかちょっと様子が違っていた。

 しかし、しょせんはゾンビ、ある日、偶然首輪が壊れた拍子に、ファイドは近所の口うるさい老婆を食べ殺し!てしまう。

 首輪の故障は一時的なもので、すぐにファイドはおとなしくなり、ティミーは事なきを得るのだが、その頃までにファイドと心を通わせていたティミーは、ゾンビを守るため、老婆の死体を埋めにスコップを持って夜中の公園へ走るのだった……


 後半、事故が起こって、ゾンビがうじゃうじゃと現れるようになると、思っていた通り、おとなしい50年代主婦を演じていたキャリー・アン・モスが豹変し、銃を撃ちまくってガソリンに火をつけ大暴れ!


 いやぁ、ゾンビものってホンットに良いですね〜




 以前に書いたこともあるはずだが、近年リメイクもされた「Dawn of the Dead」を多くの人が好み続けるのは、磨き上げられた巨大ショッピングモールを、並べられた魅力的な商品に見向きもせずに徘徊するゾンビと、その隙を狙って好き放題に商品を略奪する(もちろん生き残るため、だが)生存者という図式が、人の心に潜むスイッチを押すからに違いない。

 しかし、それだけではなく、シビアでブラックな内容の中に、どこか滑稽さを感じられるのが、ゾンビ映画の特徴でもある。

 今回観た「ゾンビーノ」は、その滑稽な部分を強調したゾンビ映画であって、決して、ゾンビ映画をパロディ化したものではないのだ。

 その意味で、ふざけてはいるが、正統なゾンビ映画と呼べるかもしれない。



 まあ、時間のある時には、観てもいいと思いますね。
 恐い映画じゃないですから。


 私のおすすめ:
ゾンビーノ デラックス版 [DVD]

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