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2009年5月20日 (水)

ミクロとマクロ

 以下は、今回の豚インルエンザについて「現時点」での覚え書きです。


 まず、今回の弱毒性インフルエンザ(現段階)の意義について。

 そもそも、自然発生的に始まり広がる疫病(と信じたい)に、意義などというものはないのですが、ここでいうのは、この、いわゆる「豚インフルエンザ騒動」で、世界および日本はどのような影響を受けた(ている)かということです。

「影響」というのは正確ではありません。

 具体的にいえば、この「騒動」(と、あえて言い切ってしまいます)によって、今後、起こりえる感染爆発に対して、得ることが多かったのか、失ったものが多かったのか、ということです。


 日本に限定して考えてみます。


 もし、今回のインフルエンザが強毒性のものであったなら、人的被害は大きく、よって人々の動揺(パニック、パニクるなどという言葉は好きではないので使いません)も大きかったことでしょう。

 しかし、その恐怖の思い出は、人々に強烈な印象となって残り、かならず起こるであろう、次なる疫病の来襲に真摯(しんし)な態度で臨むことができたはずです。


 いかんせん、今回のものは弱毒性で、既存のタミフルやリレンザ等で抑えることのできるタイプでした。

 だから、人々、特に子供たちはウイルスをあなどってしまった。

 学級閉鎖をして、接触を極力少なくし感染拡大を防ごう、という、しごくまっとうで、間違いのない施策の意味をくみ取ろうとしない子供たちが、休みを家で過ごそうとせず、カラオケやボウリング場、繁華街に集まってしまいました。

 店側の打ち出した「心苦しいがお客を拒絶せざるを得ない」という反応には、客の健康を考えての行動でなく、自分の店で病気が感染されたらタマランという本音が見え隠れして面白いのだけれど、店が拒絶しても、おそらく子供たちは街をうろつくことでしょう。

 知り合いの大学生(神戸大学)が「先輩が感染した。自分も、感染するのは良いけれど、隔離されるのは嫌だ」というのを聞いて耳を疑ってしまいましたが、多少の強がりが入っているとはいえ、その知能停止ブリには驚くばかりです。


 この後の展開をマクロ的に予測すれば、関西以外にも感染は拡大し、うち数人に、ウイルスが劇症反応を起こさせて死亡、夏前に収束というのが妥当なところでしょう。

 死者が何人でるかは予測不能です。
 タミフル・リレンザで抑えきることができるかもしれない。

 あるいは、ヒトからヒトへうつるうちに、呼吸器だけに感染する「弱毒性」から全身の細胞に感染しうる「強毒性」に変化することもあるかもしれません。

 さらに、常識とは逆に、若くて健康な者が起こしがちな、ウイルスによるサイトカインの過剰産生「サイトカイン・ストーム」によって若年層に被害が多く出ることもあるでしょう。


 感染を収束させるためには、感染者全員の隔離が必要ですが、どうも神戸市は、その手間と経費の多さに隔離策を緩和するようです。


 となれば、中国が2002年末に「SARSコロナウイルス」で行ったように、特にウイルスをまき散らし感染源となりやすい体質の個人=スーパー・スプレッダーを早めに特定し、そういった人物を重点的に隔離する必要があります。


 そこで、タイトルです。

 巨視(マクロ)的にみれば、国はそれ自体、巨大なイキモノのようなものです。

 この巨大な生体は、常に外部からの病原菌・ウイルスに脅かされている。

 外部で病気が流行りだせば、つまり外国で疫病が発生すれば、いずれ体の弱い部分に症状が現れる。遅いか早いか、それは単に時間の問題に過ぎません。

 しかし、世の中にはそう考えない人もいるようです。

 そういう人たちが、成田空港で大阪府立高校の生徒たちの感染が判明したときに「治療費を税金でまかなうのはおかしい」だとか「感染者の氏名を公表しろ」というピンボケな反応をするのですね。

「行かなくてもいいのに、海外に行ったからうつったのだ」というのは、まったく的外れな意見です。

 先に書いたように、マクロ的に国を人にたとえれば、個人の海外への行き来は呼吸のようなものなのです。

 すぐに止めるわけにはいかない。
 行き来する空気には、ウイルスがのっている場合があって当然です。
 いずれ、どこかで、誰かが感染する確率は非常に高い。


 だからこそ、そこだけミクロ的に拡大して「あの生徒たちがマスクもせずに観光地を歩いたから……」と憤るのはまったくの無意味なのです。


 わたしは、このブログでも、折に触れ、予行演習の重要性について書いてきました。

 それが、地震に対してであれ、火事に対してであれ、実際問題として、会社や小学校で非難訓練をするのとしないのとでは、現実の災害にあった時の反応がまるで違うものである、とは、よくいわれることです。

 たとえ、笑いながら、嫌々ながら、友人と話をしながらであっても、緊急時の避難経路を確認しておけば、まったく何もしていない時とは、まるで違う冷静な行動をとることができる。

 もちろん冷静さには個人差があって、動揺して理性的に行動できなくなる子供も何人かはいるでしょう。

 しかし、マクロとして、つまり団体として見た場合、たとえ擬似的であっても経験をするのとしないのとでは、雲泥(うんでい)の差があるのですね。


 ですが、先に書いたように、今回のこの「ウイルス騒動」は、来るべき強毒ウイルスの予行演習となり得るのでしょうか?

 確かに、まったく経験しないよりはマシかもしれない。

 政府、行政機関の機動性チェックと、対応の有効性の検証もできる。

 しかし、それより、わたしが問題だと思うのは、この弱毒(現段階で)ウイルスによって、人々がウイルスを侮るのではないかということです。

 今回、日本は、まだ諸外国に比べてマスク装着率も高いとは思います。
(そのわりに、ヒト−ヒト感染が先進国ナンバーワンというのが解せません。まあ、外国人はO型が最多で基礎免疫の高い人たちが多く、日本人はA型が多いからなのかも知れませんが……血液型の項参照)

 しかし、次回も人々がそうするとは限りません。

 これで慣れてしまって、次回はマスクをつけない人も多いかもしれない。

 感染地域への旅行なども平気で行ったりね。


 さらに、侮るより問題なのは、過剰反応することです。


 このたび、北九州教育委員会は関西方面から戻った中学生と教職員(14校1600人以上)を一週間出席・出勤停止にしました。

 兵庫県知事の井戸氏が「風評被害を助長しかねない」と不快感を示すと北九州側は「批判は承知しているが、万が一感染が広がれば大変だ。対応は適切だ」と強硬な態度を取っているそうです。

 この言葉をホンヤクすれば「学校主導で出かけた旅行でウイルスを持ち帰ったと思われたら、どう非難されるかわからない。だから広がるのだけはカンベンして」とでもなるのでしょうか。

 相変わらず、教育に携わる方々の「保身に汲々としている姿」が見えて面白くはあるのですが、さらに恐ろしいのは、市民から「生徒だけでは甘い。家族にも外出を自粛させろ」との声が出ているということです。

 自己保身のあまり「ウイルス封じ込め」はさながら「魔女狩り」の様相を呈してきたのですね。

 今回、こういったことが、既成事実としてセケンに認知されてしまったら、次回、より危険なインフルエンザが広がった時に、同様のことや、もっと過激なことが行われるかもしれません。

 そうなれば、「こんなことなら2009年の豚インフルエンザ禍など無かった方がよかった……」ということになるのでしょうね。

 と、ここまで書いて気づきました。

 先例があろうとなかろうと、県民・地域住民のタメと称してオタメゴカシする自己保身者は、常にいつも同じ行動をとるだろうから変わりはないのでしょう。

 さらに良くないのは、彼らが、それを自己保身だと気づいていないことにあるのですから。


 前にどこかで書きましたが、わたしは、子供のころから落語が大好きでした。
(LPレコードやカセットテープの頃から全集を聞き続けてきたので、フリ・シグサはともかく、話だけなら、いくつか通して演じることができます。また、ふたつほど落語原作も書いたことがあります)

 古典落語に、江戸末期、冬になれば嵐のように襲ってきて大切な人の命を奪っていく「流行り風邪」今でいうインフルエンザを、抜群のバイタリティで吹き飛ばそうとする人々を描く「風の神送り」という噺(はなし)があります。

 現在とは比べものにならないほど、ウイルスに対して弱かった(有効な薬をもっていなかった、という意味で)過去の人々の諦観とそれに相反する陽気さ。

 今こそ、こういった前向きな明るい気持ちと、それでも病気にかかることもあるのだ、という達観が必要なのかもしれません。

 それは勇気といってもいいでしょう。

 勇気とは、突き詰めれば、恐いものをそのまま恐いと口に出さず、ヤセガマンする行為の言い換えなのですから。

 今回のミニ感染爆発(現時点)で得られるのは、情報の連携や封じ込めの手順の確認といった「実際的な」データではなく、こういった時こそ、冷静に勇気を示すべきなのだ、という精神的な教訓なのかもしれません。

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