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2009年5月

2009年5月30日 (土)

たまにはフィルムカメラの画

 仕事の資料を探していて、10年ほど前に撮った写真がでてきました。

 当時、どこに行くにも車のダッシュボードの上にのって、ついてきていたケツ子の勇姿です。

 外は雨模様で、逆光に浮かび上がった彼女と雨粒、そして背景のボケ加減がなかなか気に入ったので、ここに載せることにしました。

 機材は、オリンパスOM−1を使ってモノクロフィルムで撮って、自分で現像、焼き付けしたものです。

 使ったフイルムの感度のせいか、ちょっと粒子が粗く仕上がりましたが結構雰囲気がでているように思います。










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2009年5月29日 (金)

ゾンビーノ 〜僕にできた初めてのともだち〜




 ゾンビものは、モノクロの「The night of the living dead」以来、ずっと好きで、機会があれば観るようにしているが、これは何ともふざけた映画である。

 そもそも、原題は「Fide」(ファイド:主人公ゾンビの名前)であるのに、どこからヒネりだしたか邦題は「ゾンビーノ」になってしまった。

 イタリア語のバンビーノ(男の子)の派生であるなら、主人公は子供のゾンビでなければならないが、本作でゾンビは中年のおっちゃんである。

 まあ、音が似ているし面白いから良いけれど。

「来るべき遠い過去」とでもいえばよいのだろうか、科学文明も人々の感覚もファッションもすべて1950年代風であるものの、そこには正史には存在しなかったゾンビが日常的に存在している、いわゆるパラレル・ワールドがゾンビーノの世界だ。

 使われるカラーも50年代を意識した、原色を多用したマクドナルド的幼児向けの、派手で楽しい映像に仕上がっている。

 内容はというと、設定は過去のゾンビものを踏襲(とうしゅう)したものだ。

 地球があるガス帯を通り抜けた時に、ガスの作用で死者がよみがえって生者を襲い始めた。
 人々は、死者対生者に別れて苛烈な戦争をくりひろげている……のが、今までのゾンビ映画だった。

 しかし、ゾンビーノ世界では、ある科学者がゾンビを飼い慣らす首輪を発明し、人々は、死ぬことがなく餌もいらないペットとして、従僕として彼らを家でコキ使うようになっているのだ。

 主人公は内省的、つまりおとなしい少年ティミーで、彼はゾンビを飼い慣らし従属させる世の中に疑問を感じていた。

 彼の家にはゾンビが居らず、そのためにいじめにもあっているからだ。

 隠してはいるが、ティミーの父はゾンビを恐れているのだ。

 この時代の大人は、誰でも、子供の時に突然家族がゾンビ化してその人たちを殺すという経験を持っている。
 ほとんどの男たちは、酒を飲むとゾンビ戦争(50年代における第二次大戦に似せてある)の思い出を語り自慢する。

 しかし、ティミーの父はゾンビ化した自分の父を殺した記憶から逃れらず、ゾンビを恐れて、家で飼うことができない。

 同時に彼は、死んで自分がゾンビになることも恐れており(ガスはまだ地球に残っていて人は死ぬとゾンビになる)、ゾンビ化を防ぐただ一つの方法、死ぬと同時に首を切り落として、首棺桶(Head Coffinと呼ばれてる)と体棺桶に分けて埋葬することに執着している。
 しかし、その埋葬法は、葬式に金がかかるため、彼は、自分と妻と息子の葬式料金のローンを組んで、その支払いにやっきとなっていた。


 ティミーの母(実は彼女が主演なのだ)は、ご近所にはゾンビがいるのに、我が家だけゾンビを飼っていないことに、肩身の狭い思いをしながら毎日をくらしていた。

 この母を、あの「マトリクス」「レッドプラネット」「メメント」のヒロイン、キャリー・アン・モスが好演(怪演?)している。

 ついに彼女は夫を説得し、というか半ば強引に既成事実的に従僕ゾンビ(その名がファイドなのだ)を購入する!


 書き忘れていたが、電子首輪によるゾンビ無力化を推し進め、彼らを飼い慣らし、商品として売り出しているのは、Zomcon社(Zombie Controlの意か?)という巨大企業だ。

 ゾムコンは、穏やかで豊かな居住区の周りに広がるゾンビ無法地帯(おそらく、地球のほとんどがそうなのだろう)を人々の目から隠し、ゾムコン首輪によって、あたかも人類がゾンビに勝利したかのような錯覚を人々に与えて、全世界をコントロールしている。


 家にやって来たファイドは、他の無反応、カクカク歩きのゾンビと、なんだかちょっと様子が違っていた。

 しかし、しょせんはゾンビ、ある日、偶然首輪が壊れた拍子に、ファイドは近所の口うるさい老婆を食べ殺し!てしまう。

 首輪の故障は一時的なもので、すぐにファイドはおとなしくなり、ティミーは事なきを得るのだが、その頃までにファイドと心を通わせていたティミーは、ゾンビを守るため、老婆の死体を埋めにスコップを持って夜中の公園へ走るのだった……


 後半、事故が起こって、ゾンビがうじゃうじゃと現れるようになると、思っていた通り、おとなしい50年代主婦を演じていたキャリー・アン・モスが豹変し、銃を撃ちまくってガソリンに火をつけ大暴れ!


 いやぁ、ゾンビものってホンットに良いですね〜




 以前に書いたこともあるはずだが、近年リメイクもされた「Dawn of the Dead」を多くの人が好み続けるのは、磨き上げられた巨大ショッピングモールを、並べられた魅力的な商品に見向きもせずに徘徊するゾンビと、その隙を狙って好き放題に商品を略奪する(もちろん生き残るため、だが)生存者という図式が、人の心に潜むスイッチを押すからに違いない。

 しかし、それだけではなく、シビアでブラックな内容の中に、どこか滑稽さを感じられるのが、ゾンビ映画の特徴でもある。

 今回観た「ゾンビーノ」は、その滑稽な部分を強調したゾンビ映画であって、決して、ゾンビ映画をパロディ化したものではないのだ。

 その意味で、ふざけてはいるが、正統なゾンビ映画と呼べるかもしれない。



 まあ、時間のある時には、観てもいいと思いますね。
 恐い映画じゃないですから。


 私のおすすめ:
ゾンビーノ デラックス版 [DVD]

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2009年5月28日 (木)

わたしの好きな風景

 しばらくカタい話が続いたので、ちょっとヨタ話を。

 かなり前から、今回のタイトル「わたしの好きな風景」について書きたいと思っていたのですが、先に書いてしまいたいテーマが次々と現れるので、先延ばしにしていました。

 実は、今も、ふざけたアンデッド映画「ゾンビーノ」や、金曜の夜に二十本近くあるDVDの八割が残っていて、絶対面白くないだろうな、と思って借りた「地球が静止する日」について書きたくて仕方がないのですが、「一回につき一つ」はモノゴトを順序正しく片付けていく鉄則ですから、それらは次回以降にまわします。

 で、「わたしの好きな風景」です。

 誰しも、まあ「これがなんといっても一番好きな景色」と断言できるほどではなくても、何となく好きな風景というものは存在するのではないでしょうか?


 たとえば、朝焼けに輝く草原、夏の日差しに炙(あぶ)られる海の家のトタン屋根、夕暮れの浜辺、星明かりの下うずくまる黒い山々……

 かつて目撃して衝撃を覚えた鮮烈な景色、あるいは子供の頃、毎日のように目にして脳裏に焼き付いた光景などが、そういった風景原体験と呼ぶべきものになるのでしょうか。


 しかし、わたしの好きな風景は、どこの国のなに、と限定できるものではありません。

 どこの国でもいい。

 いや、あらためて考えたら、そもそも風景ですらないような気がしてきた。


 もったいつけずにいえば、わたしが好きなのは「コンクリートを流し込まれて固まりつつある庭」です。

 家々の隙間や畑の細い小径(こみち)でもいい。

 両側や四方を荒板で囲まれて、そこにコンクリートが流し込まれている。

 あたりにはまだ石灰のニオイが残っていて……

 そして、その半乾きのコンクリートには、絶対に猫の足跡がなければならない。

 犬でも良いけれど、できたら猫の肉球あとが、施工者の涙ぐましい努力を台無しにしながら、のんきに、しかも絶対にデザイン的にあってはならない位置に、つまり庭をシンメトリに分断するようなことはなく、でたらめに(しかも少し蛇行しながら)斜めに横切っているような。

 ちょっとザラザラした表面のコンクリートでもいいけれど、キレイにならされた職人芸の表面についた肉球あとがより好ましいな。

 季節は出来れば春、あるいは夏。

 寒い季節じゃない方がいい。


 最近はあまり目にすることもなくなった気がしますが、わたしが子供の頃は、そういった「猫の足跡が残った半乾きのコンクリート」がどこにでもありました。

 人によっては、塗り直しもメンドウだから足跡のついたまま庭や道を使ったりしてね。

 当時は、まだ速乾性セメントが普及していなかったために、そういった「不幸な事故」がよく起こったのでしょうか?


 しかし、なぜ、わたしはそんな光景が好きなのでしょう?

 自問してみると、よくはわかりませんが、きっと、そういった景色が、わたしにとってノンビリとゆるやかな時間の代表例であるからのような気がします。


 作業が終わり、暖かい春の日に放置されたコンクリート。

 そこへ猫がやって来てツルツルの面を目にする。

 すべすべの面をみたら、そりゃあ猫はもう通るしかない。

 そして、コンクリートの上にトボけた足跡が残されることになる。


 人々が汲々と生活し、余裕がなく、利己的で損得勘定ばかりしている時代には、そういった、のんびりした光景がなくなるような気がするのですね。

 コンクリートを流した庭の周りに鉄条網を張ったりしてね。

 というわけで、わたしの好きな風景は「猫の足跡が残ったコンクリート面」です。


 みなさん、最近そんな光景を見たことがありますか?

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2009年5月27日 (水)

雑巾から大海を……

 21日付けの新聞記事で、評論家の山形浩生氏が「少ない情報源での議論に限界」と題する評論を載せていた。

 その中で、氏は、今回のインフルエンザに関するネットの反応に対して、批判的な意見を述べている。

「インターネット(の発達)に伴う自由な言論と民主主義の高まりについては、多くの人が期待と希望を表明している。多くの人がブログで意見をいいあい、独自の分析や情報を加えてマスコミ報道などを検証修正することで、もっと民主的な世論形成が可能ではないか、というわけだ」

 だが、氏のいう「多くの人」とは、どういった層の人なのだろうか。

 少なくとも、日本におけるインターネットの黎明期から、この世界を見てきたわたしには、ネットの発達が、直接的に「民主主義の高まり」(言葉が足りなくてよくわからないが「民主主義の機運の高まり」ということなのだろう)を促すとは、考えられないのだ。
 ブログなどで、人々が、マスコミ報道などを検証修正することで、社会に何か影響を与えうるのだろうか。

 確かに、名もない個が、世界に向けて、いわゆる「意見を発信」することができるようになったのは、民主主義にとってメリットがある。

 近頃では、某大国の攻撃を受けて、街中で息を潜める人々の様子がWEBカメラで発信されるというような、マスコミの息のかからない「生の情報」が現地の人間から出てくることもよくあるからだ。



 因(ちな)みに、わたしは、いつの頃からか当たり前になってしまったWEBカメラの画素数の少ない汚い映像、そしてスループットの出ない回線でカクカク動く「現地取材者の顔を写しながらの報告映像」が、あまり好きではない。
 現地の様子を写した映像なら公共放送で写す価値はあるが、現地取材者の顔を売るための、売名行為然とした顔つき映像を、安易にWEBカメラのようなチープな機材を使って見せるべきではないと思うのだ。



 勘違いしてはいけないのは、生の情報(しかも、その正しさが何も保証されない)が安易に世界に発信されるだけでは民主主義の一助とはならない、どころか「ためにする」作為的なニセ情報、あるいは「世間が騒ぐのをおもしろ」がって作られるチープなニセ情報は、却(かえ)って民主主義に仇(あだ)なすものとなってまうことがある、ということだ。

 テレビ放送が我々に教えてくれた教訓は、緩やかな規制の下で、群衆の好みに迎合して作られる番組は、際限なく堕落する、ということだった。

 ネットにおいては、発信者の身分特定や、その規制すらままならないのが現状であるから、さらに、平均的内容は程度の低いものになる可能性がある。

 誤解して欲しくないのは、わたしは、ただ闇雲にネットの現状を非難し否定しようとしているのではない。

 ネットとは、正しく玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、屑や危険なものさえあるが、それをより分ける目さえあれば、様々なものを掬いだせるメルティング・ポット(坩堝)なのだから。

 元が、たとえ完全にニセの情報であったとしても、それに触発(しょくはつ)されて、新しいものが生み出される可能性がある。


 ネットは、良くも悪くも人の可能性を刺激する場所なのだ。


 と、思っていたのだが、山形氏の先の意見に続く評論を読んで少し意見が変わった。


 氏は、民主的な世論形成の助けとなるはずのネットが、今回のインフルエンザ禍では、そうならなかったことに苦言を呈している。

 既存マスコミとネット論者たちが、数少ない情報源であるWHOや保健当局の発表をもとに、話を誇張して煽(あお)るという同じことを行ったというのだ。

 その原因は、情報の出所がそもそも限られていて、別の視点や情報がなかったからで、結果として、両者は同じネタをもとに、自分の不安や聞きかじり情報を足すしかできなかった。一番恐ろしげなことを言ったやつが目立ち、みんながお互いの不安を参照し合い、それが増殖したのだ、と。

 さらに氏は、こう続ける。

 本当ならマスコミなりネットなりに期待されるのは「さはさりながら、(感染は)多少は入ってくるでしょ」と冷静に指摘することだった。それができないのは、ネット論議の限界を示すものだ。一次情報源が限られている時には、ネットには何の優位性もないのだ。

 そして、こう結論づけている。

 ネット論壇の真価のひとつは、その「視点なり情報源なりの多様性」だ(カッコは筆者)。


 これは重い指摘である。


 わたしは少なくとも、その(悪意ある)揚げ足取りから単なるこき下ろしまで含めて、ネットにあふれる無名な市井(しせい)のアイデアに、僅かばかりでも、オリジナリティの光があるものだと考えていた。

 だから、よくシェイクスピアの評論を揶揄(やゆ)するときに使われる『雑巾を絞って大海を生じさせる』つまり、限りある原作から無限の評論がわき出てくるように、ネット界においては、たとえば「インフルエンザ」というひとつのテーマが放り込まれれば、それにインスパイアされた各人が、自分の知識を加えて何かを導き出すのではないかと、わたしは思っていたのだ。

 しかし、どうやら、まだネット界は、それほどに成熟していなかったらしい。

 たとえ、情報源が限られていても、それを自分の判断で料理してオリジナルな情報を発信することができなかったのだ。

 言い換えれば、これまで「情報の多様性」に胡座(あぐら)をかき、対象を掘り下げて、自分の経験と知識で評価、評論することを厭(いと)ってきたネットの怠慢が、この世界的な情報操作(パニック抑制のために、確かに行われていたはずだ)で、露呈してしまったのだ。

 たとえ冗談まじりのものであっても、「雑巾を絞って大海を生じさせる」ように、百花繚乱の様々な意見が出るべきだった。

 この際、人の生死に関わることだから自粛したのだ、などという綺麗事(キレイゴト)は通用しない。なぜなら、ネットは人の生死すら「ネタ」として平然と使って来た経緯があるのだから。

 多様な情報を飛び移りながらサーフィンしているだけでは、決してオリジナルな視点は身につかない。

 人は、ひとつのことを掘り下げて考えてみた時に初めて、多少なりとも人と違うオリジナルな視点を持つことができる。

 そして、それを発信する者が多くなれば、ネットに多様な視点が構築されるのだ。

 その意味で、制限された情報下で、多用な意見がでるようになった時こそ、ネットに真の存在意義が生じるのかもしれないとおいうのが、現時点でのわたしのネットに対する考えだ。

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2009年5月26日 (火)

勇気あるタイムスリップ 〜750ライダー描き下ろし〜

 先週末に友人が家に遊びに来たおり、気の利いた手みやげをもって来てくれました。

 なにかというと、「週間少年チャンピオン18号」です。

 ただの週間マンガ雑誌じゃないの、というなかれ。

 40周年を迎えた、ここ最近のチャンピオンは、すごいことになっているのです。

 通常の「絞れば汗がしたたる」(でしたか?)といわれた熱い連載陣に加えて、往年(おうねん)の名作が、往時(おうじ)の雰囲気(ふんいき)のままに、新作として描き下ろされているのです。


 「キューティーハニーVSあばしり一家」(永井豪)とか「がきデカ」(山上たつひこ)などが。


 この回は、石井いさみ著「750(ナナハン)ライダー」(1975〜85)でした。




 来るなり友人は、「今とはコマ割りが違う!」といいましたが、実際、当時そのままに、パースもおかしいし、主人公、早川光の乗るマシンがCB750だし、委員長は正しく委員長的性格そのものでした。

 でも、本当にこうやって並べられると、コマ割りが、同じ雑誌内の現在の掲載マンガと全然違うことが、あらためて分かりますね。


 作者の言葉にも、

『「連載当時と同じ絵とムードで描きおろして下さい!!」
「マ、マジ!?」
 当時いつも聴いていたテープをかけたり、コミックスを読み返したり、気分を若返らせて何とか上がったのが、この”春一番の海”の巻です。

とあります。


 その言葉どおり、当時そのままのヌルーい設定にユルーいストーリーが、みごとに再現されています。

 例の「春風さんこんにちは〜」のノリですね。

 いや、これは、バカにしているのでも、けなしているのでもありません。

 このヌルユルさは好きです。

 ただ、これ以前の「高校悪名伝」や「750ロック」のファンとしては、何とも痛し痒しという気持ちを拭(ぬぐ)えませんね。

 だって、知る人ぞ知る、750ライダーも当初はハード路線だったんですから。

 うーん、しかし、ほんっと昔と変わってな……あ、委員長、私服の時、ミニスカートとレギンスのファッションになってる!!

 これって「ぷちなう」?

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2009年5月24日 (日)

モチモチの木

 少し前になりますが、今月16日(2009.0516)に切り絵作家、滝平二郎氏が亡くなりました。

 氏の作品では、なんといっても児童文学作家の故斉藤隆介氏との共作「ベロ出しチョンマ」と「モチモチの木」が有名です。

 特に「モチモチの木」は、大好きな作品で、わたしが「100万回生きたねこ」と並んで三冊だけもっている絵本の一冊でもあります。

 しかし、わたしが、この作品を最初に読んだのは、大人になって随分たってからのことでした。

 小学生の時に、すでに学校推薦図書として、廊下にポスターなどが貼られていたのですが、暗い絵柄となんだか分からないタイトルに、読む気がおこらなかったためです。

 大人になってから読んで、すぐにトリコになりました。

 おそらく皆さんご存じでしょうが、一応紹介しておきます。


 峠の猟師小屋で、じさまとふたりぐらしの気弱な少年豆太。
 小屋の前に立っているデッカイ木は、秋になると餅の材料になる実を降らしてくれるから豆太は「モチモチの木」と名付けている。
 昼間はなんてことのない木だが、夜になると、空いっぱいに広げた枝が、お化けの手に見えて、豆太は、ひとりでションベンにもいけない。
 だから、寝ているじさまを起こして、いっしょに外に行ってもらうのだ。
 ある夜、じさまはいった。
「シモ月二十日のウシミツにゃア、モチモチの木に火がともる」
 勇気のある子供だけがそれを見ることができると聞いて、豆太は自分じゃ無理だとつぶやいて、はじめっからあきらめると、ふとんに潜り込んで、じさまのタバコくさいむねン中にハナをおしつけて、宵の口から寝てしまった……が。

 夜中に具合の悪くなったじさまを助けるために、豆太は夜の山道へ飛び出す。
 季節は冬。
 霜が足にかみついて血が出た。
 いたくて、さむくて、こわかったけれど、少年は走り続けた。
 大好きなじさまの死んじまうほうが、もっと、こわかったから……


 この表紙の画を見てください。↓




 今の世なら、

「じさま、カレーシュウすっからどっかいけ!」

 といわれるのでしょが、昔の、寄る辺ない少年にとって、ただひとり頼りのじさまは、そのたばこ臭い体臭すら安心のもとなのだと、まさしくそれがわかる画です。

 そして、夜のモチモチの木の恐ろしさ↓





 両親が共働きであったため、小学校低学年の頃のわたしは、いつも祖母と一緒でした。
 いわゆる「おばあちゃん子」になるのかも知れませんが、わたしの祖母は、大人にして大人にあらず、花札やすり鉢転がし(巨大なすり鉢の上からコインを転がして下になったコインを取る遊技)といったゲームで、孫と本気でケンカするような人だったので、どちらかというと、ずっと年の離れた姉のような存在でした。

 そして、彼女は常にひとりではなかった。

 昼過ぎに学校から帰ってくると、わたしの家は、さながらサロンと化して、常時4〜5人の老人たちが、男も女もタバコの煙を噴き上げつつ(キセル煙草を吸っている人もいたなぁ)、花札などの遊興に興じていました。

 それがすごく楽しかった。ありていにいって、わたしは彼らが好きだったのです。

 今と違って?ヒネた子供だったわたしは、彼らが言葉の端々で語る経験談が大好きでした。


 明治生まれの老人たちが語る話には、勝った戦争あり負けたイクサあり、華やかな大正時代の記憶あり、夫を息子を失った悲しみもありました。

 その頃のわたしは、生意気にも、彼らこそが自分の知らないスゴい経験と記憶をパッケージされた生きたカプセルなのだと考えていたのです。

 その考えは今も変わっていません。

 わたしが、どうも今の老人たちに深みがたりないように思え、それほど好きでないのは、自分同様戦争を知らず、戦争といえば受験戦争だけで過度の権利意識をふりかざす同類ゆえの近親憎悪なのかも知れません。

 つまり、こどもの頃のわたしは老人が好きだった。

 気に入らなかったのは、老人たちが、わたしが大きくなるにつれて、ひとり、ふたりと家に現れなくなったかと思うと、すぐにあの世へ行ってしまうことでした。

 内容と経験のいっぱいつまった老人たちの余命は短かかった。

 だからこそ、モチモチの木で描かれる、壮年ではない、老人による子供への愛と子供の思慕、そして、「それを失う恐怖による勇気」が分かるような気がするのかもしれません。



 実際に、滝平氏の描く「モチモチの木」がどんな画であったのかは、絵本「モチモチの木」の後書きに作者斉藤氏が添えている文章が言い尽くしていると思いますので、ここで引用させていただきます。


 格調高く、描写は的確で、情熱は沈潜し、しかもそれだからこそなつかしい無限の抒情がうたわれている。
ガシーンと、太い柱を惜しげもなく使った昔の家のようだ。柱々は代々の暮しに磨きぬかれて黒光りしている。その家に天から雪が降る。雪にはみなかげがあって、ボウとふしぎな光りににじんでいる。
 この『モチモチの木』は、そういう絵本だ。


 私のおすすめ:
モチモチの木 /斎藤隆介/作 滝平二郎/絵 [本]

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2009年5月22日 (金)

八つヤッパリ「ハグ」がある〜

 わたしは別に英語学の専門家でもないし、英語に造詣(ぞうけい)が深いわけでもありませんが、ただ単純に耳にする音から、どうしても好きなれない英単語があります。
(おそらく外国人にも、どうにも好きになれない日本語発音というのがあるはず)


 あ、始めに断っておきますが、これはまったくの私見、というか自分でも「言いがかりに近い暴言みたいなもん心得」だと思いますので、読み始めて気にいらなければ、そこから先は読まないようにしてください。




 わたしが好きでない、「はっきりいって嫌い」いや「もう耳にしたくない」というか、その言葉を口にするヒト、特に日本人には寒気がする英単語はhugです。

「はぐ」

 まず発音が我慢ならない。外国人の発音はともかく、日本人が使うHA−GUという音が。

 日本語化して使う場合は「ハグする」となるようですが、どうして「ハグる」じゃないのかな。いっそそっちの方がマシな気がする。

 録画確認用のテレビチェックで、「子供をハグしてアゲル」だの「飼い犬をハグしてアゲテください」などとノタマウのを耳にすると、目下に対するオタメゴカシなアゲル言葉と相まって、不快感に身をよじりたくなります。

 せめて「飼い犬をhugする」と言えや!と叫びたくなりますね。

 まあ、きっと、こういった人たちは「犬に餌をアゲ」ているでしょう。

 申し訳ない話ですが、わたしは、うちの愛猫に彼らが生まれてこの方「餌をやった」ことしかない……


 そも、hugとは何ぞや?

 ちなみに、辞書でhugを引いてみると……

【名】抱擁
【他動-1】抱きしめる
【他動-2】〜に凝っている
【他動-3】〜に沿って進む
【用例・名】 Oh, give your daddy a hug. : パパを抱きしめてくれ / 【用例・他動-3】 The boat hugged the coastline. : そのボートは海岸線沿いに進んだ。 / The road hugs the riverbanks. : その道路は川岸に沿って延びている。

 とあります。

 動詞の第二義、三義は、まあいい。用例も普通です。

 しかし、第一義の「パパを抱きしめてくれ」ってのは何です?

 だいたい、hugという言葉には、人と人のあるいは人と動物の触れあい、いわゆるスキンシップによる「イヤシ」のニオイがプンプンするんですね。


 ちなみに、イヤシは、わたしが日本語で五番目に嫌いな言葉です。イヤシって「卑し」って漢字を当てるんでしたよね?(ウソ!)

 「癒す」という言葉は、精神的・肉体的にもっと重い言葉であるべきだと思うからです。

 だからこそ安易に連発せず、ここぞという時のためにとっておき、もっと大切に使いたい。

 安っぽい露天風呂につかって「あーイヤされる〜」って、カンベンして欲しいなぁ。


 えーと、何でしたか?

 ああ、hugがスキンシップだということでしたね。

 でもね、なんというか、ある時期の子供、あるいは持って生まれた性格的に「他者との肉体的触れあいを拒絶する人々」ってのが存在するんですよね。

 例えば、「夏への扉」の少女リッキィは、大人による安易な肉体的接触が嫌いで、だから主人公のダンは、決して彼女になれなれしく触れようとはしない……

 それを、とにかくお子様を「優しくhugしてアゲてください」って、子供を含む全ての人が、ヤミクモに、スキンシップを望んでいると決めつける思考停止行動は止したほうがいいと思いますがねぇ。

 あ、誤解なきように。

 わたし自身はスキンシップ大好きです。

 ただ、そうでない大人も子供も、多数知っていますから。


 しかし、不思議ですねぇ。

 「ハ」も「グ」もなんてことない音なのに、「ハグ」となると、なんか嫌なんですね。


 これって、やっぱり「アレ」に発音が似てるから?


 もちろん、やさしく抱擁されることで気持ちが落ち着き、ささくれた気持ちが穏やかになっていく、という事実は分かっています。


 でも……なんというか、今の日本で使われるhugには、スキンシップの押しつけがましさが感じられるんですね。

 「おまえ、体に触りたいだけだろうが」といいたくなるような。

 わたしなんぞ、とてもいえた義理じゃないのですが、あえていわせてもらえば、hugという便利な言葉に便乗して「人の体を安易に触ってもいいと考えてはいけない」と思うのです。

 特に、誇り高い生き物は。


 個人的には、hugするくらいならholdしたいですね。

 Hold her tightly……


 ちなみに、今すぐに思いつく、好きな英単語はpretendです。

 tend系は音も意味も好きです。

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2009年5月21日 (木)

コトバノチカラ

 よくいわれる言葉に「音楽で世界を変えることができる」あるは「音楽で世界は変わらない」というものがあります。

 私見では、前の言葉は、音楽を愛しその力を信じる若者が不満に思う現実世界へと理想を発信しようとするものであり、後ろの言葉は、それが思ったほどの成果を上げず挫折感を味わった時の言葉であろうと理解しています。

 個人的には、音楽で世界を変えることはできないと思うからです。
 いや、誤解を覚悟でいわせてもらえば、メッセージソングで軽々に変わるような世の中では、アブナっかしくて仕方がない。

 でも、間接的な影響なら与えることはできると思います。

 つまり、ある個人に対しては、その人生観が変わるような影響を与えることもできるだろうし、彼が世に出て社会を動かせば、その歌は世界に影響を与えたことになる。

 ただ、自分の歌でトランス状態になった聴衆が、その勢いで世の中を変えてくれる、と考えるのは少々浅薄(せんぱく)の感があります。

 数万もの観衆が、自分の歌に酔いしれる姿を見ていれば、そう考えるのは無理もないでしょうが……


 その点、同様に見えて「演説」は時として国を動かす力を持つことがあります。

 第二次大戦前のドイツや、さきのオバマ氏(並べるとマズいかな)などを見ていると、前例があることがわかりますね。

 時として、言葉には鈍い重みが加わって、強烈な影響力をもつことがあるのです。

 だから、使いドコロが難しい。

 千年の昔から吟遊詩人がやっていたように、広めたいメッセージを歌にのせて伝えれば、人の耳には優しく届きます。音楽というオブラートに包まれたメッセージとして。だから多数の人に聞いてもらいやすく広めやすかった。

 しかし、多少のレトリックはあるにせよ、言葉はむき出しの刃(ヤイバ)であり、特に若者に対しては、あたりどころが悪ければ思想を変えてしまうような危険な面さえある。

 先日、BS世界のドキュメンタリー「子どもたちは見た〜パレスチナ・ガザの悲劇〜」を、偶然観ることができました。

 タイトルこそ「家政婦は〜」っぽい感じなのですが、中身は、オトナたちの戦争に巻き込まれて、家族や兄弟を目の前で殺された子供たちの証言集です。

 彼らの言葉のひとつひとつは限りなく重い。

 ひどく泣くわけではなく、激昂するわけでもなく、ただ淡々と無抵抗な父が、兄が、弟が銃弾をうけて死んでいった様子を語り続ける。

 それを観ながら、かつて自転車で回った沖縄で訪れた「ひめゆり記念館」の一室を思い出しました。

 ご存じの方も多いでしょうが、そこでは、生き残った女の子たちの証言が、大きく引き延ばされた本のかたちで残されています。

 子供らしい可愛い文章でつづられるのは、銃声と爆音と血と仲の良い友だちの突然の死がほとんどです。

 引用したいのですが、今はやめておきます。

 その時、わたしは気づいたのです。政治家のウソっぽい、ペラペラな「重い発言」などではなく、世の中には本当に「巨大な質量の言葉」が存在するということを。


 と、ここまで書いて、これからが本題です。

 長らくわたしは、日本には、国として誇らしく高らかに世に向かって放つ「大きな質量の言葉」などないと思っていました。

 アメリカには独立宣言が、フランスには景気のいい戦争国歌(ラ・マルセイエーズ:歌詞を知ってますか?)が、誇らしげに自国をアピールしています。

 しかし、日本にはそんなものは見あたらない。

 さきの戦争で徹底的に叩かれ、萎縮してしまって、言葉を発する気力すら無くしてしまったように思えます。

 しかし、あったのですね。

 警察官や消防署員、看護師や果てはボーイスカウト、ガールスカウトの宣誓といった特殊な人々のための言葉ではなく、日本国民すべてのために存在する宣言文が。


 お分かりの方もおられるでしょうが、それは「日本国憲法 前文」です。

 改憲の是非、あるいはアレはアメリカから押しつけられたモノに過ぎないじゃないか、といった議論はともかく、この前文をすぐに口にできる方がどれぐらいおられるでしょうか?

 実は、わたしは始めの部分だけなら暗唱できるのです。もうずっと前に入学試験のために覚えたからです。

 しかし、当時、この前文については、特に何の感想も持ちませんでした。


「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(ケイタク)を確保し……」


 そりゃあ「国民によって選ばれた代表者」によって自由のもたらす恵沢(ケイタク)を確保し……ってことは大切でしょう。これが発布される直前まで、国家総動員法という人権無視の政治をやっていたのですから。

 でも、ケイタクってなによ。んなムツカシイ言葉を使って、また我ら愚民をケムにまこうとしているのだな、などとハスに構えていたのですね。


 数年前、改憲の是非はともかく、この前文を、日本各地の方言で朗読させる運動をしている方の話を耳にしました。

 その時も、あんなケータク文を地方の言葉で読ませて何になるのだろう、と思っていたのですが……

 何気なく、前文の後半部を読んで驚きました。

 というか、改めて気づいたのです。

 今まで、前文前半の、教師が「ここ大切だからぁ。テストでるからね」といっていた「主権在民」のところだけを読み、アクビをこらえて覚えていたことに。


「日本国憲法 前文」の後半部は、まるで美しい詩のようでした。


 そこでは、現実的であるかどうかはともかくとして、世界が願っている恒久平和を素晴らしく具体的に述べられています。

 アメリカによる理想主義のおしつけ、そして日本の戦争に対する過度の反省などといった成立過程はともかく、ここには日本が高らかに世界に誇りえる宣言があります。


 それの維持と実現には多くの矛盾と限界はあるでしょうが……


 最後にそれを引用しておきます。



日本国憲法 −前文(後半)

日本国民は、恒久(こうきゅう)の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高(すうこう)な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制(せんせい)と隷従(れいじゅう)、圧迫(あっぱく)と偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努(つと)めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに 生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従(したが)ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高(すうこう)な理想と目的を達成することを誓ふ。




……ゼンリョクあげなきゃ。

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2009年5月20日 (水)

ミクロとマクロ

 以下は、今回の豚インルエンザについて「現時点」での覚え書きです。


 まず、今回の弱毒性インフルエンザ(現段階)の意義について。

 そもそも、自然発生的に始まり広がる疫病(と信じたい)に、意義などというものはないのですが、ここでいうのは、この、いわゆる「豚インフルエンザ騒動」で、世界および日本はどのような影響を受けた(ている)かということです。

「影響」というのは正確ではありません。

 具体的にいえば、この「騒動」(と、あえて言い切ってしまいます)によって、今後、起こりえる感染爆発に対して、得ることが多かったのか、失ったものが多かったのか、ということです。


 日本に限定して考えてみます。


 もし、今回のインフルエンザが強毒性のものであったなら、人的被害は大きく、よって人々の動揺(パニック、パニクるなどという言葉は好きではないので使いません)も大きかったことでしょう。

 しかし、その恐怖の思い出は、人々に強烈な印象となって残り、かならず起こるであろう、次なる疫病の来襲に真摯(しんし)な態度で臨むことができたはずです。


 いかんせん、今回のものは弱毒性で、既存のタミフルやリレンザ等で抑えることのできるタイプでした。

 だから、人々、特に子供たちはウイルスをあなどってしまった。

 学級閉鎖をして、接触を極力少なくし感染拡大を防ごう、という、しごくまっとうで、間違いのない施策の意味をくみ取ろうとしない子供たちが、休みを家で過ごそうとせず、カラオケやボウリング場、繁華街に集まってしまいました。

 店側の打ち出した「心苦しいがお客を拒絶せざるを得ない」という反応には、客の健康を考えての行動でなく、自分の店で病気が感染されたらタマランという本音が見え隠れして面白いのだけれど、店が拒絶しても、おそらく子供たちは街をうろつくことでしょう。

 知り合いの大学生(神戸大学)が「先輩が感染した。自分も、感染するのは良いけれど、隔離されるのは嫌だ」というのを聞いて耳を疑ってしまいましたが、多少の強がりが入っているとはいえ、その知能停止ブリには驚くばかりです。


 この後の展開をマクロ的に予測すれば、関西以外にも感染は拡大し、うち数人に、ウイルスが劇症反応を起こさせて死亡、夏前に収束というのが妥当なところでしょう。

 死者が何人でるかは予測不能です。
 タミフル・リレンザで抑えきることができるかもしれない。

 あるいは、ヒトからヒトへうつるうちに、呼吸器だけに感染する「弱毒性」から全身の細胞に感染しうる「強毒性」に変化することもあるかもしれません。

 さらに、常識とは逆に、若くて健康な者が起こしがちな、ウイルスによるサイトカインの過剰産生「サイトカイン・ストーム」によって若年層に被害が多く出ることもあるでしょう。


 感染を収束させるためには、感染者全員の隔離が必要ですが、どうも神戸市は、その手間と経費の多さに隔離策を緩和するようです。


 となれば、中国が2002年末に「SARSコロナウイルス」で行ったように、特にウイルスをまき散らし感染源となりやすい体質の個人=スーパー・スプレッダーを早めに特定し、そういった人物を重点的に隔離する必要があります。


 そこで、タイトルです。

 巨視(マクロ)的にみれば、国はそれ自体、巨大なイキモノのようなものです。

 この巨大な生体は、常に外部からの病原菌・ウイルスに脅かされている。

 外部で病気が流行りだせば、つまり外国で疫病が発生すれば、いずれ体の弱い部分に症状が現れる。遅いか早いか、それは単に時間の問題に過ぎません。

 しかし、世の中にはそう考えない人もいるようです。

 そういう人たちが、成田空港で大阪府立高校の生徒たちの感染が判明したときに「治療費を税金でまかなうのはおかしい」だとか「感染者の氏名を公表しろ」というピンボケな反応をするのですね。

「行かなくてもいいのに、海外に行ったからうつったのだ」というのは、まったく的外れな意見です。

 先に書いたように、マクロ的に国を人にたとえれば、個人の海外への行き来は呼吸のようなものなのです。

 すぐに止めるわけにはいかない。
 行き来する空気には、ウイルスがのっている場合があって当然です。
 いずれ、どこかで、誰かが感染する確率は非常に高い。


 だからこそ、そこだけミクロ的に拡大して「あの生徒たちがマスクもせずに観光地を歩いたから……」と憤るのはまったくの無意味なのです。


 わたしは、このブログでも、折に触れ、予行演習の重要性について書いてきました。

 それが、地震に対してであれ、火事に対してであれ、実際問題として、会社や小学校で非難訓練をするのとしないのとでは、現実の災害にあった時の反応がまるで違うものである、とは、よくいわれることです。

 たとえ、笑いながら、嫌々ながら、友人と話をしながらであっても、緊急時の避難経路を確認しておけば、まったく何もしていない時とは、まるで違う冷静な行動をとることができる。

 もちろん冷静さには個人差があって、動揺して理性的に行動できなくなる子供も何人かはいるでしょう。

 しかし、マクロとして、つまり団体として見た場合、たとえ擬似的であっても経験をするのとしないのとでは、雲泥(うんでい)の差があるのですね。


 ですが、先に書いたように、今回のこの「ウイルス騒動」は、来るべき強毒ウイルスの予行演習となり得るのでしょうか?

 確かに、まったく経験しないよりはマシかもしれない。

 政府、行政機関の機動性チェックと、対応の有効性の検証もできる。

 しかし、それより、わたしが問題だと思うのは、この弱毒(現段階で)ウイルスによって、人々がウイルスを侮るのではないかということです。

 今回、日本は、まだ諸外国に比べてマスク装着率も高いとは思います。
(そのわりに、ヒト−ヒト感染が先進国ナンバーワンというのが解せません。まあ、外国人はO型が最多で基礎免疫の高い人たちが多く、日本人はA型が多いからなのかも知れませんが……血液型の項参照)

 しかし、次回も人々がそうするとは限りません。

 これで慣れてしまって、次回はマスクをつけない人も多いかもしれない。

 感染地域への旅行なども平気で行ったりね。


 さらに、侮るより問題なのは、過剰反応することです。


 このたび、北九州教育委員会は関西方面から戻った中学生と教職員(14校1600人以上)を一週間出席・出勤停止にしました。

 兵庫県知事の井戸氏が「風評被害を助長しかねない」と不快感を示すと北九州側は「批判は承知しているが、万が一感染が広がれば大変だ。対応は適切だ」と強硬な態度を取っているそうです。

 この言葉をホンヤクすれば「学校主導で出かけた旅行でウイルスを持ち帰ったと思われたら、どう非難されるかわからない。だから広がるのだけはカンベンして」とでもなるのでしょうか。

 相変わらず、教育に携わる方々の「保身に汲々としている姿」が見えて面白くはあるのですが、さらに恐ろしいのは、市民から「生徒だけでは甘い。家族にも外出を自粛させろ」との声が出ているということです。

 自己保身のあまり「ウイルス封じ込め」はさながら「魔女狩り」の様相を呈してきたのですね。

 今回、こういったことが、既成事実としてセケンに認知されてしまったら、次回、より危険なインフルエンザが広がった時に、同様のことや、もっと過激なことが行われるかもしれません。

 そうなれば、「こんなことなら2009年の豚インフルエンザ禍など無かった方がよかった……」ということになるのでしょうね。

 と、ここまで書いて気づきました。

 先例があろうとなかろうと、県民・地域住民のタメと称してオタメゴカシする自己保身者は、常にいつも同じ行動をとるだろうから変わりはないのでしょう。

 さらに良くないのは、彼らが、それを自己保身だと気づいていないことにあるのですから。


 前にどこかで書きましたが、わたしは、子供のころから落語が大好きでした。
(LPレコードやカセットテープの頃から全集を聞き続けてきたので、フリ・シグサはともかく、話だけなら、いくつか通して演じることができます。また、ふたつほど落語原作も書いたことがあります)

 古典落語に、江戸末期、冬になれば嵐のように襲ってきて大切な人の命を奪っていく「流行り風邪」今でいうインフルエンザを、抜群のバイタリティで吹き飛ばそうとする人々を描く「風の神送り」という噺(はなし)があります。

 現在とは比べものにならないほど、ウイルスに対して弱かった(有効な薬をもっていなかった、という意味で)過去の人々の諦観とそれに相反する陽気さ。

 今こそ、こういった前向きな明るい気持ちと、それでも病気にかかることもあるのだ、という達観が必要なのかもしれません。

 それは勇気といってもいいでしょう。

 勇気とは、突き詰めれば、恐いものをそのまま恐いと口に出さず、ヤセガマンする行為の言い換えなのですから。

 今回のミニ感染爆発(現時点)で得られるのは、情報の連携や封じ込めの手順の確認といった「実際的な」データではなく、こういった時こそ、冷静に勇気を示すべきなのだ、という精神的な教訓なのかもしれません。

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2009年5月18日 (月)

古代ロマン ←おやつじゃないよ

 友人に考古学者がいる。

 今、助教授(准教授っていうのだったか?)で、大学で教鞭をとっているはずだ。

 彼に限らず、わたしの周りには考古学が好きな者が多い。

 どうやら、子供の頃から、土地を掘れば、まず何かが出てくるというお国柄で育つと、人は二通りに別れるらしい。

 古代に興味を持つ者とそうでない者の。

 わたしは後者だった。

 前にどこかで書いたと思うが、掘れば掘るほど「未知のテクノロジ」がザクザク出てくるSFワールド、ならともかく、なんだかスミの塊みたいな木簡だったり、古代のトイレ跡が出てきても、あまりワクワクしない。

 かつて、松本清張や高木 彬光など、著名な作家たちが激論を闘わせた論争、邪馬台国が、九州にあろうと関西にあろうと、はては徳島周辺にあろうと個人的にはそれほど気にはならない。


 しかし「ラクしてウハウハ金儲け!」ほどに興味はなくとも、かなり多くのひとが「古代のロマン」に興味をもっているのは事実だ。


 今回、書きたいのは「それがなぜなのか」についてだ。


 このことについて、かなり以前に、わたしはひとつの結論に達している。


 これから書くことは、あくまで個人的な感想なので、あまり本気にとらないで欲しいが……



 もったいつけずに結論からいえば、人々が古代史に興味をもつ一番の理由、それは、最近こそ変わってきているようだが、初等・中等教育で「歴史を古代史から習い始める」からなのだろう、とわたしは睨んでいる。


 誰しも「知識のあるものには興味をもつことができる」からだ。

 もちろん「1000年を超えた時間の長さ」に郷愁と憧れを感じていることもあるだろうが、それだけではない。


 逆を考えてみればいい。

 たとえば、あなたの周りに、近代史=とくに昭和史に興味をもつ人が、どれだけいるだろうか。

 もちろん、現在に通じる人権運動やその他の活動を通じて昭和史を研究している人もいるだろう。

 だが、それはあくまでも「ためにする」勉強だ。

 近代史を学んで、だからこそ今変革を!と叫ぶための道具だ。


 昭和史のロマンに惹かれてただ知識を求める……などという事例を、寡聞(かぶん)にしてわたしは知らない。


 しかし、幕末、明治初期の頃となると、多くの人々が関心をもち、野に下って研究を行っている方も多くなる(わたしがここで述べているのは、専門の研究者ではなく、あくまでも個人の趣味において、だ)。



 一般に、「古代から明治期まで」の歴史に興味をもつ人が多いように思う。


 そして、まさしくこれは、今、オトナの人々が学生時代に学校で習った範囲に重なるではないか。


 かつて、多くの学校が基本的に教えず、よって入学試験にもほとんど出題されなかった近代史(戦中戦後)は、人々にとって興味の薄い時代だった。

 まあ、昭和史(戦後含む)に関しては、そもそも全国民にコンセンサスのとれた歴史的総括が行われていないことも学校で教えにくかった理由なのだろう。


 さらに、昭和史は、あまりに現在の自分たちの利害(いろいろな意味での)に直結しているから、生臭すぎて研究対象になりにくい、純粋に研究対象たりえるのは、ある程度、時間が経ってから、という理由もわかる。


 その点、日本の開祖にまつわる古代史は必ず歴史の教科書で習うものであるし、もっといえば、学生たちが、入学・進学直後の、まだ青雲の志をもって学問に取り組むほんの短い一時期に教わるものだから、印象深く記憶に残るものなのだ。

 そう考えれば、想像以上に多くの人が「木簡発見!邪馬台国はなかった」などの見出しに飛びつき、ブルーシートで覆われた作業現場しか見ることができない発掘場所に出かけてしまう理由もわかる。


 付け加えれば、「自分たちがどこから来たのか」という民族としてのアイデンティティを確かめ「どこに行こうとしているのか」を探りたいという、本能的な欲求が後押ししているのも事実だろう。

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2009年5月17日 (日)

意外な事実あぶりだし 〜豚インフルエンザで〜

 先日、新聞に書かれていて「なるほど」と感心したのは『豚インフルエンザ発生で分かったこと』でした。

 それは、意外に、季節外れの「季節性インフルエンザ」、いわゆる普通のインフルエンザにかかる人が多いということです。

 通常、外気温が低く、そのために体温が下がり体内免疫が低下する上ウイルスが低湿度を好むために、インフルエンザは「冬のもの」という意識が、わたしたちにはあると思います。

 しかし、真性豚インフルエンザが見つかるまで、例の「顔の温度高いか低いか判定カメラ」(別名、ハイテクっぽく見えるが判定基準はチョー原始的装置)と問診で病気と判定される人々の多くが「Aソ連型」や「A香港型」だったのは記憶に新しいところです。

 だいたい、年間、少ない年でも1万人前後の人々がインフルエンザ(遠因含めて)で亡くなっているのですから、冬場だけでなく夏でも季節性インフルエンザにかかる人は多いのですね。


 幸い、今のところ豚インフルエンザは弱毒性のもので、季節性インフルエンザと同程度(あるいはちょっと上)ぐらいの危険性らしいですが、油断は禁物です。



 と、ここまで読まれて、みなさんは、わたしが、執拗に豚インフルエンザと書き続けているのに気がつかれたことでしょう。
 個人的に、マスコミに踊らされるのは好きではない(特にコトバの上で)ので、いつのまにやら、「豚インフルエンザ(海外ではまだこの呼び名のはず)」から「新型インフルエンザ」に恣意的に変更された呼び方に迎合したくないため、もとの名を使い続けているわけです(まあ、ただのヘンクツですな)。

 おそらくは養豚業その他に対する配慮、ということなのでしょうが、こういった、地道な、誤った知識の訂正努力でなく、表層的で安易な、あまりにも一般人をバカにした変更は、なんだか気にいりませんね。

「バカどもがカンチガイしないように我々が導いてヤラネバ」といった、オタメゴカシ「ネバ」は不愉快です。

 いろいろな記事を見るとゴールデンウイークあけあたりから、豚インフルエンザから新インフルエンザに変わっているような気がします。



 話をもどして……とにかく、豚であろうが、Aソ連だろうが、一般的に、日本にはどんどんインフルエンザが入り込んできているわけです。

 ニュース映像などで、老人たちが、あわてて薬局にマスクを買いに走る姿が映されています(これもマスコミ側の作為を感じます)が、そんな心配をするよりも、子供の時から、教えられているはずの、手洗い励行を行ったほうが、よほど効果的なようです。


 皆さんご存じのように、風邪という病気は「カゼ」というひとつの病ではありません。

 様々な菌・要因で起こる風邪症候群、つまりシンドロームなのですね。

 だから、空気感染する菌でうつるものもあれば、接触でうつるものもある。

 そして、インフルエンザを含め風邪症候群の多くは手からうつっているのです。


 我々は、目に見えない脅威を恐れるものです。

 だから、空気感染を恐れる。

 しかし、ただ道を歩いたりする時、まわりの空気全部にウイルスが混入しているはずがありません。

 路上、数メートル離れたオジさんが咳とくしゃみをしながら通り過ぎても、ウイルスの濃度はゼロに近いはずです。

 よほど狭い密室の中でゴホゴホする人間と一緒にいないかぎり(飛行機やバス・電車・エレベーターなど、結構そういう状況はあるのですが)、常時マスクをするよりは、まめに手洗いをした方が有効なようです。

 最近は、よくドラマなどでもやっているからご存じ方も多いでしょうが、手術前の医者の手洗いは普通ではありません。ブラシを使い執拗に長時間洗い続けるのです。

 そこまでしなくとも、石鹸を使ってツメの間を洗い、手首まできっちり洗っておけば、感染の確率はかなり下がるはずです。

 あと、帰宅したら、なるべく早く顔も洗っておいたほうが良いようですね。

 女性にとっては、ちょっと面倒なことかもしれませんが。

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2009年5月12日 (火)

もはやWEBしかない!

 しばらく前、『海猿』や『ブラックジャックによろしく』の作者で知られる佐藤秀峰氏が講談社との決別を宣言し、今後、自分の作品をネット上で公開(有料)していくと発言し、物議を醸(かも)しました。

 その多くが十代で世に出て、右も左もわからないまま、大人に命じられるままに作品を書き続ける漫画家は、過酷な労働状況や日常茶飯事のネーム無断改変等に反発を感じ、膨大なストレスをため込んでいるといわれています。


 昨年も、漫画家の雷句誠氏(金色のガッシュ!)が、ブログで業界の体質を暴露したことは記憶に新しいところですが、佐藤氏が新しいのは、作品をネット上で有料公開すると宣言したことです。

 パソコンや携帯電話でコミックを閲覧する世風が徐々に浸透しつつあるとはいえ、まだ、漫画といえば、あの質の悪い紙に印刷されたモノ、という考えが主流ですから、氏の試みがどのように実を結ぶか、期待を持って見守って行きたいと思います。



 しかし……近年、「漫画家の造反」というか「当然の主張」が声高になされるようになった背景には、ブログという場が整ったこともあるでしょうが、出版業界が抱えるホコロビが表に現れたと見る方が自然ではないかと思います。


 きちんとした契約書もなく、漫画家と編集者の人間関係だけで仕事を行うのは、トキワ荘時代なら成立しえたでしょうが、漫画という市場が大きくなり、ゲーム化・アニメ化と裾野も広がってしまった現代に続けて行くには無理があると思います。

 それらの契約(口約束)は著作権法に照らし合わせれば、もちろん不当なものですし、なにより大きな問題は、漫画家は週刊誌や月刊誌では「喰っていけない」という事実です。

 これは、もう随分前からいわれていますが、漫画家は「作品が単行本にならないと満足に食っていけない」のです。

 周知のように、ほとんどの漫画家は共同作業で作品を描いています。

 しかし原稿一枚あたりの値段など無いも同然。

 アシスタントにアルバイト料を払ったら、金などほとんど残らない。

 加えて、ここ数年、顕著になってきた「単行本は売れるが、雑誌は売れない」という現象は、もう雑誌掲載の広告収入による週刊・月刊誌の維持が不可能になっていることを示しているのです。


 ならば、漫画の一時掲載(後にコミックになるという前提で)は、雑誌製作に金がかからず流通コストが不要な「ウェブ雑誌」へ移行するのが必然だと思われますが、これも、先に書いたように社会的認知が低いために、未だ時期尚早の感が否めません。

 まあ、しかし、ここ一年ほどで携帯電話のWEB課金は一般的になってきましたし、YAHOOなどの行うネット上コミック閲覧も徐々に利用が広がっているようです。

 この調子でいくと、二、三年以内で、瞬く間に週刊雑誌のネット化が起こるかもしれません。

 携帯電話のメールが、予想以上に一気に世界展開してしまったように。
(パソコン通信時代の「電子メール」を使っていた者にとって、当時と今では隔世の感があります)


 しかし、週刊誌がネット化すると、きっと困るヒトが出てきますね。

 サンパツ屋での待ち時間が、手持ちブタさんになるとか(ぶうぶう)、週に一度、駅のゴミ箱から雑誌を拾って読むのが楽しみだったヒトが、お金を払って、ネットでマンガを読まなければならなくなってしまう。

「週刊マンガの立ち読み」も出来なくなるなぁ……って、わたしはしていませんよ、わたしは。


 マンガはネットに移行し、いずれは本屋も、いわゆる「リアル書店」から「ネット書店」へ移行してしまうのかも知れません(その件については別項で書くつもりです)。

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2009年5月11日 (月)

さよなら(非)人類

 子供の頃、宇宙からやってきたタコの形をした生物は、ただの「宇宙人」だった。

 (50年代SF映画で、BEM:Bug Eyed Monster:Big Eyed Monsterと呼ばれていたこともあったようだ)


 ついで、彼らは「エイリアン」(79年)になり、「E.T.」(82年)となった。

 それ以前に「未知との遭遇」(77年)で、彼らは、一度、華々しく登場したのだが、当時ちょっとモノモノし過ぎる評判に鼻白んで、わたしは観に行かなかった。



 エイリアンは、確かリバイバル上映で、オールナイト3本立てのうちの一つとして観たはずで、これもロードショーでは観ていないが、エイリアンを造形したギーガーは好きだったので、観に行くつもりはあったように覚えている。




 と、ここまで書いて気づいた。「彼ら」は、「エイリアン」以前「未知」と呼ばれていたのだ。

「未知との遭遇」は、原題を、Close Encounters of the Third Kind、つまり第三種接近遭遇というから、どこにも「未知」という単語は使われていないのだが……


 現在、「彼ら」を表す言葉は「エイリアン」か「E.T.」になっている(もちろん宇宙人も健在)。

 E.T.(The Extra Terrestrial [Life])直訳すると、地球外生命という意味だが、公開当時、スピルバーグが「未知との遭遇」の流れで作った人情映画という評を聞いて、やはり観に行く気にならず、わたしが、E.T.のホンモノ?を観たのは、十数年まえに訪れた、ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオにおいてだった(スピルバーグが妙に思い入れて、当初「E.T.」のビデオ化を許さなかったことも原因のひとつだ)。

 当時、日本には無かった「バック・トゥ・ザ・フューチャーのアトラクション」で興奮し、今も日本にはない、圧倒的な洪水が地下鉄に押し寄せ、巨大なキングコングが頭上で暴れる「トラム」に乗って大興奮したあと、E.T.ADVENTUREに入ったのだ。

 まず、入り口で自分の名を登録し、小さな自転車タイプの乗り物にのって、ふわりふわりと、改悪される前の、ディズニーランドのピーターパンのように空中を漂い、ラスト近くで街の夜空を高く飛んで、例の「月に映る自転車の影」を観て(映画を観ていないので何にことかは分からなかったが)、奇妙な星に行き、最後に、ETがしゃがれた声で名前を呼びかけてくれる。

 アトラクション自体は、それほどたいしたものとは思わなかったが、自転車にのるまでの、森林を再現したウェイティング・エリアの「木のにおい」が、特に印象的だった。

 といっても、初めは、「なんだか変な匂いがするなぁ」と思っただけだったのが、後になって「あれは森の匂いですよ」と指摘されて気づいたのだが……






 その後、関西に出来たUSJで、何度かE.T.アドベンチャーに乗ったが、自転車が本家のものと違い、完全に「大きな乗り物」になっていたので、さらに印象は薄くなっていたが、乗車を待つ間の「木のにおい」は健在だった。

 今、思えば、特に興味もないのに、E.T.アドベンチャーに何度か乗ったのは、あの「森のにおい」を感じたいがためだったように思う。



 その「E.T.アドベンチャー」が10日に幕を下ろした。

 映画自体を知らない若年層が増えたことに加えて(わたしは、スピルバーグが、後にビデオ化を認めて初めて家で観た)、来年7月に導入する、新しいアトラクションのための場所確保のためだという。



 今度できるアトラクションに、目でなく、耳でなく、三半規管でなく、鼻で惹きつけるようなものを期待するのは、無理な相談、なのだろうな。

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2009年5月 9日 (土)

過去の未来


 この間、古本屋で、創元SF文庫の「キャプテン・フューチャー(以下CF) シリーズ」(復刻版)の、「風前の灯火!冥王星ドーム都市」を手に入れました。

 これは、先頃亡くなった野田昌宏氏が、作者エドモンド・ハミルトン亡き後、彼の妻にして自身もSF作家であったリィ・ブラケット女史の承諾を得て、生み出したオリジナルCFです。

 わたしがこの作品を最初に目にしたのは、1982年、前年完結したCFシリーズの全訳を記念して、83年にSFマガジンの別冊として発売された「CFハンドブック」においてでした。

 これは、付録として、「太陽系宇宙レースすごろく」までついた楽しい本だったのですが、引っ越しを繰りかえすうちにどこかにいってしいました。

 いまでは、オークションなどで、高値がつくということなので、ぜひ探し出したいと思っているのですが……思えば、月刊OUT創刊号および「あの」ヤマト特集の創刊2号すらどこかにやってしまったウツケもののこの身がうらめしい。

 どちらも、さがせば、実家の倉庫に眠っているような気はするのです。


 ともかく、この野田大元帥自らの作である作品を手にしたことで、ここ一週間ほどで、古き良きSF(30年代とか50年代のものがとくに好きです)熱がぶりかえし、もう復刻もなされていない、ドック・サヴェッジシリーズやジェイムスン教授シリーズ、「スターキング」全二巻や「20億の針」などを一気に読み返しました。

 特に楽しんだのは、やはりというか「夏への扉」でした。

 これは、たいへん好きな作品なので、普段は「終わりなき戦い」「星を継ぐもの三部作」と共にペイパーバックを読むようにしているのですが、久しぶりに福島正実訳で読んでみると、原書とのちょっとした違いに気づいて、二重に楽しむことができました。

 映画の字幕と同じで、直訳すると冗長になるときは、訳者によっては、内容を丸めたりすることがあるのですね。

 もちろん、訳者としての福島正実については、彼の翻訳で素晴らしい古典SFを楽しんできたわたしに、なんら不満はありません。

 編集者としての彼は、日本におけるSFはこうでなければナラヌ、と多くの日本人SF作家に特定の方向性を押しつけた専制君主的な面もあったやに聞いていますが、なに、日本のSF黎明期(久生十蘭[ひさおじゅうらん]や海野十三[うんのじゅうざ]などの戦前作家はともかく)のことです。

 彼も、日本のSFの将来を真剣に考えた男じゃった。

 そうでもしないと、日本のSFが間違った方向へ行ってしまうと心配したんじゃろうて……(フランケン・フォン・フォーグラー調)


 わたしの持っているハヤカワ文庫SF第七刷版は、表紙のイラストは同じ中西信行氏ながら、現在発売されている文庫より二十数ページ少なく、文字が小さく、第一章で「ティッシュ・ペーパー」でなく「ティシューペーパー」が使われているものです。

 文字の小さい方が文章全体が締まって見えるから不思議です。

 字体も違うのかな。


 さて、ここからが本題です。

 SFの持って生まれた避けられぬ宿命として、「現実の科学技術に追いつかれてしまう悲劇」がよくいわれますが、それよりも、わたしは、長らく「時間に追い越される無情」の方が問題が大きいと思っていました。

 たとえば、CFで使われた、「ある種の力線によって、原子核のまわりを回転する電子の速度を速めてやれば、その物質だけ時間の流れが速くなる」という設定は、現実的にはウソですが、SFとしては問題ないように思うのです。

 ある金属が発見されて、その物質に電気を流せば重力が発生する、という設定を根本原理として、異世界を構築することもまた然り、ストーリィが面白ければそれでいいと思います。


 しかし、過ぎ去りし近未来……じゃなくて、よくあるパラレル・ワールドに逃げることなく、小説世界の未来の年代を、すでに現実が追い越した話は哀れです。

 だって、もうそれ自体がウソなんですから。

 と、思っていました。

 でも、「夏への扉」を読み返して、そうではないと気づきました。

 いや、それまでも、50年代SFを読んで、なんとなくそんな気持ちにはなっていたのですが、今回、確信を持つことができたのです。


 ご存じのように「夏への扉」は1957年、ロバート・A・ハインランの作品で、1970年12月の近未来が舞台となっています。

 つまり「過去における未来」で、現実的にはもう過去になっているんですね。


 その時代、すでにマンハッタンは、「6週間戦争」というものにあって核被害をうけていますし、物語にあって重要な役割を果たす「長期冷凍睡眠」は実現しています。

 しかしながら、野田大元帥が、かつて嘆(たん)じて宣(のたま)ったように、「トランジスタというたったひとつの素子の発明が、かくも素晴らしきSFを滅してしまった」のと同様、ハインラインの描く1970年の未来においては、まだ電子回路の主要部分は真空管が中心でした。


 そんなことはどうでもいい。

 だって、誰がハリー・ポッターに現実の科学を求めますか?

 以前に別項で書きましたが、ファンが求めるのは「魔法世界的に整合のとれた」話なのです。

 魔術にもルールはある。

 それを無視したソーサリィ世界はペラペラなものになってしまいます。

 F・ブラウンの「発狂した宇宙」のように、それを狙っていれば別ですが。

 
 「夏への扉」の世界観は、歴史的に現実とは違いますが、しっかりと硬い地盤の上に立っていることが、読んでいていてわかります。

 それだけで十分。

 三十年のコールドスリープから目覚めた主人公は、2000年の世界(8年も前!)に、風邪がなく、虫歯もなくなっていることに快哉を叫びますが、現実はご存じのとおり、それから8年もたつのに、新たなインフルエンザにおびえる始末……

 まあ、そんなことはいいんですよ。

 小説を読んでいる間だけでも、夢の2000年で暮らすことができるのですから。


 ただ、故福島正実が、30年前に、この作品のあとがきで書いているように、「とにかく、この作品を読み終わって本をおき、ふと周囲をみまわしたら、ぼくの家に、一台の文化女中器(原文のママ)も、窓拭きウィリィも、万能フランクもないことが奇妙に思われ、わずかにあった電気掃除機が、なんともはやぶさいくなものに見えてしかたがなかったものだった。(中略)けだし、SFの傑作とは、虚構の世界に読者をひきずりこんで虚構の世界の空気に慣れ親しませ、牢固としてぬきがたいこの世の常識主義に、一撃をくわえるものだろうからである」の言葉通り、「そうでなかった現実」に向き合うのはツライものがあります。

 なぁに、そんな時は、もう一度、はじめから「夏への扉」を読めばいいんですよ。

 たとえ現実逃避といわれてもね。


 そうすることで、ヒトの心は、現実によって蓄えさせられた圧力を適度に抜いて、また明日に向かうことができるのですから。


 私のおすすめ:
夏への扉 /ロバート・A・ハインライン/著 福島正実/訳 [本]

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2009年5月 8日 (金)

カクシツ?

 今日こそは「わたしの好きな風景」を書こうと思いましたが、新聞の子供相談室Q&Aで、気になる質問を見つけたので、そちらをどうしても書きたくなってしまいました。

 質問はこうです。
「1歳2ヶ月の女児。色があまりに白いのです。髪の毛の量も少なく、色もグレーがかっています。(中略) 京都市、祖母」

 これに対して、小児科医は、その子にアルビニズム(先天性白皮症)の可能性が考えられることと、その典型的な症状、対応を丁寧に説明します。

 ここまでは、何の問題もない。

 ……が、気になったのは、質問の中略部分です。


 実際の質問では、「グレーがかっています」の次に、こう文章が続くのです。

「妊娠中の母親の食事に原因があったのでしょうか」


 わたしは、なんだか、この言葉に、底意というか、悪意というか、イジワルさを感じてしまうのですね。

 どうも、孫の母親と、この「京都市、祖母」さんには、血のつながりがないような気がしてなりません。

 はっきりいうと、嫁と姑(しゅうとめ)の関係を感じるのですね。


 大切な孫が、どうもおかしい。

 原因は、アノ嫁が、妊娠中に偏食をしていたからではないだろうか。

 だいたい、息子が連れてきた時から、あの娘は気に入らなかった。

 キッシュだの、ライスプディングだの、ティラミスだの、脂ぎったカロリーの高い乳製品ばかり食べて……妊娠中も、わたしが口を酸っぱくして注意したのに、やっぱり、体に悪そうなものばかり食べていた。

 孫がおかしいのは、アレが原因じゃなかろうか。



 医師は、その回答文の中で、アルビニズムは遺伝性の疾患で、妊娠中の食生活は特に関連していないでしょう、と明言しているので、ひと安心なのですが、そうなると、次に「遺伝性の疾患」という言葉に、この「京都市、祖母」さんが飛びつきそうな気がしてしまうのですね。

 アタシにも亭主にも、子供たちにも、そんな病気はなかった。

 そうなると、あの嫁の家系に……


 うーむ。嵐を呼ぶ予感がしますね。いや、もちろん嵐はないほうが良いのですが。


 嵐でいいのは変身忍者だけ……ってスベった?


(どうでもよい)追記:

 今、深夜枠アニメで、今川監督による「真マジンガー」が放映されています。

 どうせなら、石森作品で、わたしが一番好きな「ロボット刑事(原作の方)」か、二番目に好きな「変身忍者 嵐(原作)」をリメイクして欲しいところです。

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2009年5月 7日 (木)

ムシノシラセ……か

 本当は、「わたしの好きな風景」というはなしを書こうと思っていたのですが、新聞の記事を読んで、内容を変える事にしました。


 先日、「論理を経ない真理」で紹介した「性悪猫」の作者、やまだ紫氏が5日、脳内出血のために亡くなっておられました。

 6日に、近親者のみで密葬が行われたそうです。

 新聞記事の代表作に「性悪猫」はありませんでしたが、わたしにとっては、紛れもなく彼女の代表作のひとつでした。

 2006年から京都精華大マンガ学部の教授をされていたそうです。

 十年ぶりに手にした「性悪猫」のはなしを書いた10日後に亡くなられたこと自体、特に意味はないのでしょうが、こうして、この場で彼女について書くきっかけにはなりました。



「100万回生きたねこ」は、愛する者に出会うまで生き返り続けました。

 マンガ家や作家や随筆家は生き返ることはありませんが、その作品に込められた感性、思想、個性は、それを読む者の中で租借(そしゃく)、熟成、再生産されて、ひとの一生を超える時間を生き延びていきます。

 黎明期のマンガ界を牽引した、他の多くの女性マンガ家と共に、やまだ紫氏の作品は残っていくことでしょう。

 たとえ100万年たって、人類自体がいなくなったとしても。

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2009年5月 6日 (水)

濁りなきもの

 新聞を読んでいて、GMに「ゼネラルモーターズ」という読みがふられているのを見て、おっと思いました。

 あれ、おかしいじゃないの。

 かの「花形モータース」に代表される?ように、日本における自動車関連会社は、おしなべて「モータース」だったでしょう?

 だから、わたしは、長らくGMのことを、ゼネラル・モータースと誤称していたのでした。

 うーむ、悔しい……

 あ、それで思い出した。

 メジャーリーグのデトロイトTIGERSのことを、テレビ中継で「デトロイト・タイガース」といっているのを聞いて、ニューヨーク在住の知人に尋ねたところ、「デトロイト・タイガーズですよ」との返事をもらいました。

 やっぱり本場じゃ、タイガーズなんだ。

 だから「阪神タイガース」も、本当は「阪神タイガーズ」なんだな。


 少し前に書いた電子辞書搭載の「問題な日本語」に、テトラポッドとテトラポット、どちらが正しい?という質問が載っていました。

 これならわかる。

 だって、英語はTETRAPOD(商標名)でしょう。

 じゃ、ポッドに決まってる。

 っと思ったら、ネットでの使用状況は「〜ト」が「〜ド」に四倍の大差をつけて圧勝するようです。

 もはや、慣用形として「〜ト」も認められるのですねぇ。


 だいたい外来語音の語末は清音化する傾向が強いのだそうです。

 つまり、濁らないものが多い。

 そういや、ブルドック、ハンドバック、カーバイト、ヤンキースなんてのもありますね。

 あと、ガールフレントとか……?

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2009年5月 5日 (火)

街の灯

 むかし、暗くなってから、田舎道(なに、今もわたしが住んでいるこのあたりのことです)を父の自動車に乗って走ると、道路沿いに明かりなどほとんどなく、ただ車のヘッドライトだけが(そのライトも今のハロゲン球の明るさではなく、黄色っぽいタングステン球)、心細げにアスファルト(そして地道)を照らしたものでした。

 たまに、暗闇の中、ひときわ明るい場所が見えてくると、それは決まって不夜城のごとく輝くパチンコ店です。


 町の中も似たようなもので、人通りの多い道ぞいには、薄ら寒い感じの白っぽい蛍光灯が電柱二本おきに心細げに光ってはいたものの、少し脇道にそれると明かりなどまったくなく、さらに少し田舎の村にいくと、街灯は傘のついた白熱灯になって、これも駅前の道だけを、黄色っぽい、丸い光が10メートルおきに道路を照らしていました。


 何がいいたいかというと、むかしは、よほどの都会でない限り、夜は暗く寂しいものだったということです。


 それがいつの頃からか、ほとんどの道には明るい街灯がつくようになり、日本の夜は暗くなくなりました。


 しかし、わたしは、日本の夜の姿を変えたものは、増えた街灯ではなくコンビニエンス・ストアの出現だと思っています。


 暗かった町の中、闇夜の灯台のように、ひときわ「光の洪水」として燦然と輝き始めたのは、突如現れたコンビニエンス・ストアだったからです。

 宵っ張りの人々、それに若者は光に惹かれる蛾のように、コンビニエンス・ストアに群がりました。

 それ以前は、比較的遅くまで店を開けている酒屋の明かりくらいしかなかった。

 コンビニエンス・ストアは、それと同時に、年末年始の「年玉はもらったけど、四日までは、どこにも買い物にいけないなぁ」という正月感をなくした元凶でもあるのですが、ここではその話はおいておいて……

 今や、終夜営業のファミリー・レストランやインターネット・カフェもあり、コンビニエンス・ストアのみが、夜の灯台というわけでもありませんが、ガラス張りの店内からあふれる蛍光灯の白い光の鮮やかさという点から、いまだに「光の洪水の雄」という地位は揺るがないように思えます。

 しかし、先にも書いたように、蛍光灯の光は、白いためか、なんだかうすら寒い感じがします。


 個人的には、黄色い白熱灯(いわゆる裸電球)の明かりの方が好きです。

 母は、戦時下の「灯火管制」あるいは「防空壕の明かり」を思い出すといって、白熱灯の明かりを嫌っているようですが、わたしも、省エネ?のためか(あるいは寿命を延ばすためか)ワット数の低い電球が使われていた、かつての街灯には、(本来)暖かい色の暗く陰気な光、という複雑な印象をもっています。


 暗い白熱灯という言葉で、むかし、インドを訪れた時のことを思い出しました。

 着陸態勢に入った飛行機の窓から見える明かりが(夜11時の到着でした)、一面薄暗い黄色なのを見て、なんだか感動してしまいました。

 まだ、この黄色い光の下で、夜を過ごしている人々がいるのだなぁ、と。



 今、夜の日本を国際宇宙ステーションから見ると、真っ白に輝いているそうです。

 省エネルギーを目指している日本が、これではいけない……



●さて、ここからが本題です(相変わらず前フリが長い!)。


 4月から施行された改正省エネ法のため、いま、「あの」陸の灯台、コンビニエンス・ストアの明かりが変わりつつあります。

 というのも、従来は規制の対象外だった小売りチェーンにも、国へのエネルギー使用量報告が義務づけられたからです。

 24時間年中無休が多いコンビニエンス・ストアにとって、環境対策への対応は消費者イメージに直結するために、急ぎ対応を進めているらしいのですが、その矛先が、ストアの「明かり」へ向いてしまったために、看板や店内照明が、徐々にLEDに変わっているのです。

 電子工作のコーナーでも書いていますが、個人的に「ヒカリモノ」が好きなので、LEDというパーツも大好きなのですが、生み出されるヒカリが好きかと問われると「はい、大好きです」と即答できません。

 LED、なかんずく白色LEDの光は、蛍光灯が発する白い光より白々として薄ら寒く感じてしまうからです。



 さらに、LEDは、発生する光の「波長の狭さ」が問題です。

 一般にLEDの色(光の波長)は、LED内部のpn接合を作る素材の「バンドギャップ」の大きさによって決まります。

 これによって、赤色だの黄色だの紫といった光を発するLEDを作ることができる。

 しかし、その色が持つ光の波長は、ごく狭いもので、本来、白色のダイオードを作ることは不可能だったのです。

 なぜなら、ご存じのように、絵の具は混ぜれば黒くなり、光は混ぜれば白になる。

 つまり、白色光は、多くの色が混ざった光、可視光線の全域に渡って連続したスペクトルによって生み出される光なので、単色しか発生できないLEDでは生み出すことができないのです。


 かつて、LEDといえば赤色や緑色しかなかったのは、こういった理由からです。

 そこで技術者はズルをしました。

 ホンモノの白色光が無理なら、ごまかしちまえ、と。


 偽物ではあるものの、人の目は、R(赤)G(緑)B(青)というたった三つの光の混合や、補色関係にある二つの光の混合でも白だと感じるために、技術者は、それ利用して「疑似白色光」を作りだしました。


 詳細は省略しますが、ここで、わたしがいいたいのは、現在の白色LEDは、さまざまな波長をたっぷり含んだ、「豊かな」「本当の」白ではない、ということです。


 いわば「寂しい」「ニセモノの」白なんですね。

 目は人間にとって重要な受容器です。

 そして、体に入ってくる情報の多くは目を経由しています。

 過去数万年にわたって、ヒトの目(とそれを認識する脳)は太陽光を基準に働いてきました。

 その目に入ってくる光のオオモトが、わずかばかりの波長を「ごまかして白色にした」ものであったなら、目や、なかんずく脳が影響を受けないはずがないと思うのです。


 以下は、ごく個人的な直感的感想なので、論理的ではないのですが、なんというか、LEDの光のもとで長く過ごせば、ヒトの目と脳が、その「単調さを寂し」がって機能不全を起こしてしまいそうな気がするのですね。

 深夜に長時間働く店員や、夜、コンビニエンス・ストアを訪れる若者たち(とは限りませんが)に妙な影響が出てしまいそうに思えてなりません。

 コンビニ強盗が増えたりね。


 省エネルギーは為されなければなりません。

 だからといって、省エネを焦って、安易なLED化は行わない方が良いように思います。


 夜の街を輝かせる「街の灯」は、省エネルギーであっても「豊かなもの」であって欲しい、そのための新しい素子の開発を、一刻も早く実現して欲しいと願っています。

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2009年5月 4日 (月)

さて、何枚まで増えるでしょう?

 わたしは、ファッションに、それほど興味がない方なので(女性が可愛く装うのを見るのは好きですが)、自分では化粧などしないし整髪料なども使わない。


 コロンだけは、苦労して手に入れた「過去の遺物」を使い続けているが、それだけだ。


 しかし、まあ、ヒゲだけは剃るようにしている。


 普段は剃らないことも多いのだが、さすがに、人と会う時は、替え刃式のT字かみそり(と呼ぶらしい)を使ってヒゲをあたる。



 使うクリームにこだわりはない。



 さて、これからが本題だ。

 昔、替え刃式のT字かみそり(以下、T字かみそり)を使い始めた時は一枚刃だった。

 しばらくして、二枚刃になった。

 なんでも、一枚目で、ヒゲを引っ張りだして、その根本を二枚めが斬って、深ゾリが利くのだという。

 体感的な効能はともかく、なんとなくその様子がイメージできたので、少し刃の値段が高くなったのも、かろうじて納得できた。


 その後、三枚刃になった。

 この三枚めが、実際にどう利くのかよく分からなかったので、発売を無視して二枚刃を使い続けていると四枚刃が出た。


 その頃になると、もう二枚刃の替え刃が売られていなかったので、仕方なく四枚刃を買った。


 もう四枚めの刃が、何をしているのかも興味が無くなっていた。


 そして、今、柄の部分に電池を内蔵した五枚刃T字かみそりが発売されている。


 2004年に振動式を売り出したのは、「ジレット」だった。
 なんでも、「柄に仕込まれたモーターによるかすかな振動が刃を通して肌に伝わり、倒れているヒゲを起こし、肌との摩擦も減り、軽い力でよりなめらかに剃ることができる」そうな。

 しかし、実際のところ、わたしは、発売元のP&Gが、電動歯ブラシ製造の子会社を持ち、歯ブラシを微妙に振動させる技術があったので、それを無理矢理使ったのに違いないとにらんでいる。
 

 「シック」は2006年に同様のモーター内蔵を発売した。


 どうも、美容関係では、こういったギミック付きのものが好まれるらしい。

 以前、女性の化粧品(コンパクトやルージュなど)に、バネ仕掛けで飛び出すような、忍者なみに複雑なギミックが施されているものがあることを知って驚いたことがある。


 わたし自身、複数刃カミソリの効能自体に、さほど興味はない。

 二枚刃になった時点で「ヒゲを剃る」という機能は完成されていると考えているからだ。


 ただ、気になるのは、これから先、何枚刃まで増えていくのだろう、ということだ。

 数年後には、「ジレット24枚刃」なんて、壺井栄もびっくりの商品が売られているかも知れない。


 ああ、付け加えておくと、刃の数を増やすことで、圧力を分散し、肌への負担を減らすらしい。
 ジレットは、刃の一枚ごとに、独立サスペンションをつけている。

 シックは、刃をチタンコーティングして、強度を増しているそうな。また、不意の横滑りで肌が切れないように、刃の前面に太さ0.075ミリのワイヤを上下7カ所に張っているのだという。


 ヒゲソリで思い出したが、貧乏暮らしをしていた安部穣二氏が「塀の中の懲りない面々」の大ヒットで大金を儲け、毎日、ヒゲソリの刃を替えられるようになった時に初めて「金持ちになったことを実感した」と書いているのを読んだことがある。

 わたしなど、根っからの貧乏性なので、毎日ヒゲソリの刃を替えるなどとは想像もできないのだが……



 さらに余談ながら、湯布院の高級旅館に泊まった際、自室専用掛け流し檜風呂へ続く洗面所には、あの、なんだか意味不明ながら男子たるもののアコガレ、バーバーに置かれていた「ブラシで泡立てるタイプのシェービングフォームセット」が置かれていたのだった。

 さっそく、パウダーを陶器の泡立て器に入れ、湯をそそぎ、ブラシでシャカシャカすると……ぼくにもできた!

 あの、まさしくバーバーで使われている、あのちょっと暖かくて塗るとスースーするシェービング・フォームを大量に作り出すことに成功したのだった。

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2009年5月 3日 (日)

ちょっとした時間旅行

 この休みを利用して(といっても、自営なので普段の生活と何もかわらないのだけれど)、撮影旅行の間、読むことができなかった新聞をイッキ読みしました。

 ざっと一月ちょっとの新聞を、半日で読むと、世の中の流れ(新聞等、マスコミが作るものもありますが)が、どのように流れていったかが分かって非常に楽しい。


 なんというか、過去一ヶ月を圧縮した時間で体験するというか……


 まず、3月の終わりですが、これはなんといっても、民主党、小沢氏の秘書逮捕事件ですね。

 それから、週刊新潮の「朝日新聞阪神支局襲撃 手記」の誤報問題、森田ケンサク氏の自民党議連ギワク、さらに舞鶴の女子高生殺害事件の犯人逮捕、そして、いよいよ25日に「豚インフルエンザ」の第一報が報じられると、新聞は流感一色に染まっていきます……

 それぞれに大きな事件で重要だと思われる記事が、新しいもので上書きされ、記事の面積がどんどん小さくなっていくのを目の当たりにすると、新聞もテレビと同じで、人々の欲求によって記事が構成されているのだなぁと、あらためて納得してしまいました。

 もちろん、地上波テレビは、CMが主で、番組といわれているものが「客寄せのアメ」にすぎないので、発行に金をとる新聞とは違いますが。

 その大きな流れの合間にも、面白い記事が散見されます。

 たとえば、4/6付の「中国でウルトラマンたたき」
 これは、中国の温家宝首相が、最近孫がテレビで「ウルトラマン」の番組を見過ぎて困るという趣旨の発言をしたことで、ウルトラマン非難の声が上がっているというものでした。

 例によって、これらは反日教育を受けている若いインターネット世代に飛び火して、「ウルトラマンが怪獣を倒すのを見た子供が真似をして同級生をいじめて困る」だとか「ウルトラマンといえば(戦争中の)日本人を思い出す。人を殴ったり、殺したりすることしか能がない」といった意見が、ネット上で活発になったそうです。

 ウルトラマンって、怪獣をいじめるワルイヤツだったのだなぁ。


 また、4/17付の「小4の男児『顔認証たばこ自販機』で購入できた」というのも面白い。
 なんでも、京都府で今年二月に、小学校四年の男児が顔認証でたばこを買っていたことがわかったのだという。

 よっぽどフケた顔をした子供だったのだろうか?

 というより、この話を読んで、どういった基準で子供ガオと、オヤジガオを判断しているのか、調べてみたくなりました。

 あの、一部の人々が好む「アニメ用幼い顔=丸い顔(というより縦に短い顔)、顔の比率にして大きな目(目の大きさは生まれてからあまり変わらないからといわれていますね)」で、大人と子供を判断しているのだろうか?

 まさかヒゲソリあとでチェックしているのでは?などと、改めて考えると興味が尽きない。

 本当に、今度調べてみよう。


 あと「論壇」関係の雑誌が、次々と休刊に追い込まれているようですね。

 いわゆる「シキシャ」たちが、上から目線で、国のありかたから女子高生の化粧まで論じる雑誌です。

 まあ、ああいったものは、わざわざ直截(ちょくせつ)的な反論をうけない、サロン的な月刊誌で発表するより、ネット上に、そういった発表の場を設けたほうが、開かれたものになって良いような気がしますね。



 ともあれ、中で気になった記事は、また別項でとりあげたいと考えています(皆さん、すでにご存じで、今さら何を?と思われるものもあると思いますが)。

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2009年5月 1日 (金)

ワンパクでもいい……インパクよりは

 先ほど、2010年上海万博会場建設の様子をニュースでみました。

 経済的発展国が「オリンピックの顔と顔〜」の次は「コンニチハ〜世界の国から」となるのは必定ですが、不況どこ吹く風とばかりに上海で行われている、すさまじい建設ラッシュに、今はなき大阪万博の面影を見てしまいました。


 そのニュースの中で、気になる言葉を耳にしたのです。


「上海万博は、同時にインターネットでも行われる予定です」


 えっ!それって……インパク?


 あの、天下の万博オトコ、堺屋太一が2000年にブチあげ、途中で竹中ヘーゾーにバトンタッチされた失敗作の……


 個人参加も自由といいながら、国のミョーな審査があったために、法人サイトばかりになってしまった?

 インパク終了後も、様々なサイト(コンテンツという呼び方はキライなので)が利用可能で、日本をデジタル立国のトバクチにするという希有壮大な野心ながら尻ツボミだった?


 光はもちろんADSLすら未整備だった当時のスループットを考えず、内容の良さではなく、やたらと美麗さだけを追い求めた官・法人のサイトは「マクロメディア・フラッシュ」をつかいまくり、結果的に、ド重いサイトばかりになって、ナローバンドしか持たない当時の一般人からソッポを向かれた?


 まあ、これら問題の多くは、その原因が、作り手のインターネット上サイト運営における無知と、インフラの未整備、利用者の理解不足、周知不足にあったわけですから、10年後の上海インパクでは、インフラ整備と人々の知識充実、携帯電話サイトの充実と相まって、日本の「インターネット博覧会―楽網楽座(らくもうらくざ)」(ハズカシイ正式名称だなぁ)とは、まるで違うものとなることでしょう。

 そうかぁ。インパクやるんだ。

 しかし、「インパク」って、ちょうど時期的に「マギーミネンコ」と同じくらいハズカシイ単語化してますねぇ。

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