« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

暖かさも一代限り……なのか

 以前に書いた、わたせせいぞうの「ハートカクテル」の一篇に、「暖かさも一代かぎりなんて」という秀作があります。

 松岡直也の切ないピアノ曲に乗せて、若い二人が、港ちかくのレストラン、というより明治生まれの老人(作品自体もう二十年以上前なんですよ)とその妻二人でやっている『洋食屋』といった方がふさわしい店で、久しぶりの逢瀬を楽しむ短編です。

 春ながら窓の外は名残の雪。
 煉瓦造りの古い瀟洒(しょうしゃ)な建物の中には、よく磨かれた木の床、その上のアラジンらしき石油ストーブには暖かそうに火が点(とも)されています。

 食事をしながら、男性が彼女に説明します。
 「シェフの剛蔵さんは、むかしに跡継ぎの息子さんを亡くされてね。後継者もいないから、この店も彼一代限りで終わってしまうんだよ」
 墨で書かれた手書きのメニュー。少し傾いた柱時計、よく磨かれたナイフとフォーク。それらすべてが一代で終わってしまうということだ。

 感傷にひたりながら、店を出ようとする二人をウェイトレスの老女が呼び止める。
「お嬢さん。ビールが残っていましたから(瓶ビールなのだ!)栓をしておきました。お持ちください」
「ありがとうございます」
 彼女は、はめていた手袋をとると、両の手で丁寧に瓶を受け取り、優しく抱くようにかかえた。

 そして、男性のモノローグ。
「二十年後も、僕はこの光景を鮮やかに思い出すだろう。モノクロの古い映画の縦長のシーンのように」

 若い人はご存じないでしょうが、昔、シネマスコープ(FOXの商標:テレビと比率の違う形式・今の16:9[ビスタサイズと同等]のようなもの)で撮影された映画が、テレビ放映される時は、最初とラストが横方向に圧縮されて、妙に縦長な映像になってしまったものでした。(わたしなぞ、子供心に、若き日のクリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマの大写しの顔は、縦長の印象しか覚えていない)

 例によって、甘ったるさ過剰の内容ですが、音楽の秀逸さと相まって、なかなか印象的な作品になっています。

 5分足らずの作品としては出色の内容といっても良いでしょう。

 で、どうして、こんなことを書いたかというと、わたしは田舎うまれのために、そのような、「骨の通った」洋食屋というものに入ったことがなかったのです。

 そりゃあ、戦後(っていうほどトシじゃないけど)すぐに店を開けて、以来、喰うためにずっとやってるうどん屋ダゼ、定食屋だ、業務用のコナを使いまくるちょっと気取ったレストランみたいな店、なんてのは、近くにたくさんありましたし、入りもしました。

 でも、どうもそれらは、戦後の復興にともなって徐々に発達した外食産業の域を出ていません。

 言い換えれば、ブラウン・ソースを業務用のコナを使わずに、ずっとタマネギを炒め続けてつくるような、気合いの入った洋食屋ではなかったのです。


 まあ、イマの子供たちにしても、小ぎれいなレストランはたくさん知っているでしょうが、そのほとんどは、チェーン店系の「デキアイ粉つかい」の店ばかりで、ホンモノの洋食屋など知らないでしょう。

 また、それらは化粧レンガを多用した見せかけ瀟洒の小ぎれいな店が多いと思います。

 わたしは、一度、そんな店ではなく、店の造りは平凡でも、シェフがきちんと料理をつくる「洋食屋」で食事をしてみたかったのです。

 なかには、本場フランス帰りのシェフが丁寧につくる「ホンモノのフレンチ・レストラン」なんてものもあるでしょうが、それらは価格と内容の差がありすぎるように思えますね。


 わたしは普段、玄米ごはんと薄味の料理ばかり食べているので、外で食べる料理はすべて美味しく感じてしまうのです。

 だから、味の違いがよくわからない。

 たとえば、世の中にまずいラーメン店が存在するのは分かります。
 わたしにだって、それぐらいは分かる。

 でも、「うまいラーメン」と「最高にうまいラーメン」の違いが、わたしにはよくわからないのです。

 趣味の問題じゃないの?ですね。

 正確にいうと、東海林さだお氏がいうように、マニアックな趣味以外で、うまい料理の優劣をつける必要を感じないのです。

 料理人が腕を競うのはいい。

 でも、シロウトが、美食家きどりでシタバラをつきだして、グルメ・グルマンぶって、ウマイ店を追い求めるのはちょっと本道とは違う気がします。

 タイヤ会社の出している冊子(今は本として売ってましたか?)の、星の数に踊らされる生活は個人的にはしたくないなぁ。

 それに、そういった店には、例外はあっても、ミョーな気取りがあることが多いし。

 そうでなくても「歴史」と「シェフの意気込み」が店内にあふれているような店は、ちょっと入りにくいものですから。


 大阪のミナミにだって、「重亭」や「バラの木」といった良い店はあります。
 でも、それらは多少入りにくい感じがするんですね。
 ちょっと食べに行くか、の洋食ではないような。

 オダサクの「自由軒」は、昔は好きでしたが、最近は「大衆洋食屋」としてのプライドを持ち過ぎ(というかテレビ番組で紹介されすぎ)たのか店の雰囲気が悪くなったため、行かなくなってしまいました。




 ともかく、わたしは、シェフがきちんと料理を作っているけれど、気取ったところがない洋食屋、そんな店に行きたかったのですね。

 でも、そういった店に行くには、「剛蔵じいさんの店」じゃないけど、やっぱり港に近い、つまり昔から「外国」に近かった場所に行かなければならないのだろうなぁ、でも、わざわざ行くのはメンドウだしなぁ(なんて思う時点で行く資格はないようにも思うけど)、と半分あきらめていたのです。



 しかぁし、先日、一週間近く滞在した横浜のホテルのすぐそばで、そんな洋食屋を見つけたのです。

 道路に面したガラス窓から中を見て、誘われるように入ってみると、中にあるのは、カウンターとテーブルがいくつかで、そのカウンターには、外国人男性と日本人女性、それに彼らの子供らしき栗色の髪の男の子が座っていました。


 カウンターの中では、老人のシェフがフライパンを懸命に振っています。

 ウェイトレスは、彼の妻らしき女性とアルバイトの女の子だけ。

 注文したポーク・ステーキには、特製の味噌ソースと、丸まま焼かれたベイクド・ポテトが添えられています。

 アニメーションとは違って、床は黒板油引きではなく、アラジンのストーブも燃えておらず、柱時計はなく壁もレンガではありませんでしたが、手書きの優しい文字のメニューと丁寧な料理は、満足のいくものでした。




 翌々日、今度はハンバーグを食べましたが、これも美味しかったなぁ。

 いつ行っても、老シェフだけが調理しているようだけど、この店も「暖かさも一代かぎり」なんだろうか……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

気になります 豚インフルエンザ

 メキシコ発といわれている豚経由インフルエンザで気になることがいくつかあります。

1.これは今回のインフルエンザに限ったことではありませんが、なぜ、省略形が「豚インフル」なのか?
  ご存じのように、インフルエンザは、influenceが語源といわれていて、占星術の用語として、天体から霊液の流出または星の力が人間に「影響」すると考えられた結果の言葉です。だから、どう考えてもインフルで切れるわけがない。どうせ「カンフル剤」などから影響を受けた、(見出しに字数制限のある)新聞特有の省略形なのでしょうが、どうにも気持ち悪いですね。
 記事にオチをつけたがり、未定着の単語をつかい、ルビを捨てひらがなを多用する最近の新聞の愚鈍化には目を覆うものがあるような気がします。
 別項で書きましたが、「がけっ縁」という単語を見た時は目を疑いました。
 そのくせ、サカキバラ事件で定着した薔薇はそのまま使ったりするのもダブルスタンダードっぽく感じてしまいます。常用漢字、当用漢字の制限などの、文部省あらため文部なんとか省の指導もあるのでしょうが酷すぎますね。

 わたしの友人で、オリンピックの新聞省略形「五輪」の嫌いな人物がいます。ロンドン五輪といった表記がありますね。これなども、新聞がオリンピックという長い文字数を嫌った結果のようですが、イツツノワってシンボルマークじゃないの、おかしいなぁ。


2.WHOのケイジ・フクダ事務局長補代理の英語が気になります。
  第一に、発音が良すぎる。エイゴなのに滑舌(というか単語の区切りが)がはっきりしすぎている。話し方がリズミカルでなくゆっくり過ぎる。
  だいたいにおいて、教養ある日本生まれで日本育ちの日本人の英語は、冠詞を省略する傾向があり、それ以外の文法が正確で単語の区切りがはっきりし過ぎる、といわれていますが、その意味でフクダ氏の英語は際だっていますね。
  しかしながら、氏の「非常に重要な発表であるのだから正確を期さねば」という決意が全身にみなぎった発言には、違和感を感じますが好感が持てます。


3.先走った一部外食チェーンなどが、豚肉の使用をとりやめたことに怒りを感じます。
  狂牛病じゃないって。
  今の日本で、豚肉をナマで食べる人は少ないでしょう。
  「精肉処理された豚肉にインフルエンザウイルスが乗っかってくる」と消費者が思うだろうとでも考えたのでしょうか?
  こういった、愚かな先走りで国産豚肉まで風評被害を受けないか心配です。

  先日、九州を訪れ、豚を放牧させて育てている黒豚農場を取材しましたが、ああいった努力をしている国産養豚家にまで、誰のためにやっているのかも分からない(もちろん自分たちのためです)外食チェーンの「豚肉使用自粛」で悪影響が及ぶかも知れないと考えると憤りを覚えます。

  まさか、今回の事件で、本当に豚の消費量は落ちないでしょうね。


4.豚インフルエンザは、英語でswine influenza, swine fluと書きます。
  日本は魚の国ですから、一種類の魚に、成長に応じて複数の名前を与えるほどに魚の名前が豊富ですが、豚は豚です。精肉された豚は豚肉ですね。

 しかし、オーベイはさすがに畜産国だけのことはあります。
 ご存じのように、豚はpig(アメリカではhog)です。豚肉はpork。集団としての豚をswineと呼びます。




 最後に付け加えれば、メキシコだけ死者数が突出している理由は、病状が他国と違う点から、風土病あるいはそれに対する予防薬との複合作用によるものか、南国だけにインフルエンザに対する予防接種を受けたことがない人々が多いから(今回のインフルエンザは、過去の接種では防げないと『センモンカ?』もいっていますが)ではないかと、個人的に考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月28日 (火)

時はうつろひ言葉はかわる 〜問題な日本語〜

 先日、電子辞書を買ったと書きました。

 例の仕事が終わってからは、あまり使わなくなっていたのですが、昨日、何気なくスイッチを入れて、何十種類もある収録辞書を確認していると(今まで何が入っているのかも知りませんでした)、「問題な日本語」(大修館書店)を見つけました。

 これについては、どこかで読んだことがあります。

 例によって、若者とそれに乗じたマスコミ、そして「自分をいつまでも若いと思い」たがり、「若者の気持ちが分かるから、若者コトバを使うことができるのだと錯覚し」たがる愚かな老人たちによって、異様なほど広がってしまった誤読、湯桶(ゆとう)読み、重箱読みオンパレードの変則コトバの羅列辞書なんだろうなぁ、と思いつつ、中身をみると……これが面白いっ!


 全体の形式はQ&Aタイプで、「最近、〜という言葉を耳にしますが、耳障りです。これは正しいのでしょうか?」や「〜といういいかたをよくしますが、間違いではないでしょうか?」という、学校文法をしっかり勉強し(かつ、ちょっと頭のカタい)人が憤りを覚える「現代コトバ」がズラズラと並んでいて、半分はあきれ、もう半分は我が意を得たりの気持ちで、まったくもってコソバゆくなる内容です。

 たとえば……

「全然いい」「全然平気だ」などの言い方をよく聞きますが、「全然」を肯定表現に使うのは間違いではないでしょうか?

や、

 何かというと、「……じゃないですか」と言ってくるのが耳障りです。失礼な表現ではないでしょうか?

などの、いかにもその通りといった質問などです。


 前者は、たしかに副詞の呼応で、「全然」は「ない」という否定をともなうと習った記憶がありますし、じゃないですか(尻上がり)は、「ンなもん知らねェよ」と言い返したくなる不快な表現ですね。


 こういった疑問に対して、文法と言葉の専門家たちが、マジメに真摯に(同じだけど)答えているのが素晴らしい。

 以前に、「間違った日本語」(だったかな)といったタイトルの本を読んだことがあります。

 比較的人気があったようで、続編も何冊かでていたようです。

 略歴を見ると、作者は戦前生まれの人で、特にコトバの専門家ということではなく、最近乱れている日本のコトバに義憤を感じての著作だったようです。

 しかしながら、その内容はというと、なんともスカスカで、面映ゆく、こそばゆく感じられるものでした。

 さきの「じゃないですか」あるいは敬語の間違いなど、取り上げている題材は「問題な〜」と似ているのですが、それに答える筆者のスタンスが、「これは間違っている」「正しくはこうだ」「こんな使い方はすぐにやめなければならない」といった、自分が教わった話し方以外は絶対に認めない、といった、老人性頑迷癖を前面に押し出したものだったからです。

 どうも、彼は、自分が(おそらく昭和十年代に)教わった言葉の大半が明治以降に確定したものだという事実を理解していなかったのでしょう。

 我々がいま使っている言葉の多くが、江戸時代以前の非言文一致体、ソレガシ・ゴザルから、夏目漱石や森鴎外といった先人たちが懸命に模索しつつ発展させてきた、100年に足りない歴史しか持たぬ新しい言葉だという認識がない。



 極限すれば「正しい言葉」などは存在しないのです。


 言語に興味のある人なら誰でもご存じのように、コトバはイキモノです。

 日々変化し、差し替えられ生み出されていく。


 だから、即断はいけません。


 今は耳障りでも、時の流れに耐え、立派な言葉になるバカ言葉もあるでしょうから。


 わたしにとって、マギャク(真逆)などは、その最たるもので、早く消え去って欲しいと願ってはいますが、やがては、これも日本語として定着するかもしれません。


 現在、我々が「由緒正しい日本語」と思って使っている言葉も、江戸時代のシャレ言葉や言葉遊びから生まれたものが、数多くあるのです。


「問題な日本語」の回答者たちが素晴らしいのは、そういった「言語に対する感覚」を、正しく持っていることです。

 彼らは決して即断、断罪をしません。


 文法的、歴史的に分析して最後にこう付け加えるのです。

「こういった表現が定着するかどうか、いましばらく見守っていく必要があります」

 ただ、敬語の誤りについては、明確に否定をしています。

 これも正しい。

 敬語は一定のルールにのっとって、誰の、誰に対しての謙譲、敬語なのかが決まるものなので、例外を増やすとルール自体が不安定になってしまうからです。


 「問題な〜」については、また改めて書きたいと思っていますが、その中で、ひとつ気に入ったものをご紹介しておきます。



Q:雰囲気(ふんいき)を「ふいんき」という人が増えている気がします。このまま「ふいんき」が定着の方向へ向かうのでしょうか?

A:(前略)「雰囲気」という漢字がありながら、それを「ふいんき」と読んでしまうということは、「雰」を「ふ」と誤読し「囲」を「因」と混同した結果かもしれません。

 「ふいんき」の漢字表記「雰因気」に「因」が多く使われていることが、この推測を支えてくれるようです。

(中略)

「ふいんき」「フインキ」のように、それが漢字に還元されることなく使われている場合もあるということは、それが口頭語として使われ、耳を通してすんなりと理解されていることを物語っているようです。

「不陰気」という漢字表記からは、無教養な単なる当て字といった印象しかうかがえませんが、その一方で「ふいんき」という語形の進出ぶりがうかがえます。

 ひるがえって考えますと、「ふんいき」→「ふいんき」は、「ん」と「い」が入れ替わっただけですから、これと同じような現象は、

  あらた(新)→あたら→あたらしい
  さんざか(山茶花)→さざんか
  ちゃがま(茶釜)→ちゃまが

などにも見られます。前二者は定着した例です。

 最近では「おさわがせ(お騒がせ)」を「おさがわせ」という人も少なからずあるようです。

 「ふいんき」が、今後とも成長増殖し、新しい形で定着するかどうかは予断を許しませんが、我々としては、語形や意味の変化は、人の想像を絶したところで、意外な形で起こるものだということも考慮にいれて、注意深く見守っていくしかないのではないでしょうか。(鳥飼浩二氏による)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月27日 (月)

あーあー男なら〜 裸一貫だぜ

 この話は、できれば書きたくなかったのですが、どうしても気になるので書いてしまいます。

 あの、酔っぱらい全裸事件についてです。

 別項でも書きましたが、事件を知って、まず考えたのは「これで、あのB−CASが廃れるカモ……」でしたが、実のところ、それは最初に頭に浮かんだことではありませんでした。

 第一報を聞いて、最初に頭に思い浮かんだのは「尾崎豊の死に様」でした。

 彼の、「死ぬ間際に、全裸になって座り込んでいたところを職務質問した警察官に向かって、恥ずかしそうに笑った……」という話は、あまりに印象的で忘れることはできません。

 今回は命に別状はなく幸いでしたが、今、言いたいのはそういうことではなく、なぜ、オトコは酔っぱらうと脱いでしまうのだろうか?ということです。


 わたしの周りでも、また見聞きした話でも、酔っぱらって服を脱いでしまうのは必ずオトコで、決して女性は服を脱ぎません。

 いや、別に、酔った女性が服を脱がないことに失望しているわけではありませんが……


 ただ、なぜ、男だけが、酔っぱらったあげく、服を脱ぐことが多いのだろうか?というソボクな疑問を持っているだけなのです。

 ざっと思いつくのは、

 1.男の方が暑がりで、酔っぱらって熱くなった体を冷やしたいと思うから。

 2.酔うことで、羞恥心や抑制心が薄れ、本来、心の中に持っている「自分の肉体を見せたい」という欲望を抑えることができなくなるから。

 3.アルコール持つ「気持ちを開放的にする力」に乗じて、普段演じている「こうありたい、あるべき姿」という対セケン用の見かけの鎧を脱ぎ捨て、常に押さえつけている「本当の自分」をさらけ出そうとするあまり、まず物理的に服を脱いで生身の体をさらそうとしてしまう……


 うーん、今回のKメンバーは、どうも3っぽいような気がしますねぇ。


 でも、抑圧されているのは、女性も同じような気がするので、男だけが(よく)服を脱ぐという理由は、2と3のミックスが原因なのでしょうか?

 みなさんはどう思われますか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

論理を経ない真理




 晴れていたと思っていたら、急に雨が降り出したりして、何かよく定まらない天気に、我が家のネコどもも、お手製ネコ・ポールにしつらえた箱の中で丸まって寝てしまっている。

 おそらく、湿気と温度が、彼らを眠くしているのだろう。

 ネコが相手をしてくれないので、書庫に入って、適当に本を抜き出すと「性悪猫(しょうわるねこ)」(やまだ紫)だった。

 これは、読むたびに年甲斐もなく泣いてしまうので、ページを開きたくないのだが、今日は、しとしとと降り続く雨に背を押されるようにして、読み始めてしまった。

 そして、あらためて思った。

 自分の感じる気持ちを、そのまま表現できる女性の感性(家々、内容はきちんと練っていますよ、という反論は覚悟の上です)には、オトコなどはとても太刀打ちできないと。

 わたしが「性悪猫」を初めて読んだのは比較的新しくて、まだ数年にもならないと思うのだが、その時感じたものとまったく同じ感慨が気持ちを埋めていくのを感じる。

 やまだ紫の描く猫は、猫であって猫でない。

 つまり、猫の姿にたとえた女性を描いているのだ。

 いや、より正確に言えば、野良にあって孤独で、家にあって安らぎつつも孤独を恐れ、そして、すでに親になって独り立ちしなければならないことを十分自覚しながら、さらに誰かに甘えたい気持ちを抑えきれない猫を描くことが、同時に本身の女性の姿を描くことになっている。


 こういった、「論理でなく直感による真理への肉薄」は、とてもオトコごときにはできない業だ。

 幼児期に男(父を含む)によって傷つけられることなく育ち、現在も過度の不安とストレスにさらされず、精神的に安定した生活を営む女性の直感は、恐ろしいほどに鋭い。

 なぜ、人類の黎明期において、女性のシャーマンを長とする文明が多く栄えたのか、今頃になって、わたしは、分るような気がする。

 マスコミ等の妙な先入観に毒されず、悪い友人の影響を受けない安定した女性は、神に近い。

 いや、神=自然と言い換えれば、より正確になろうか。

 時に台風のように荒れ狂い、手の付けられないこともあるが、その指し示す指の先は、常に真理を向いている。


 いつの頃からか、わたしにとって、それと同様の生き物が猫だった。

 かつて、多くの先人たちが猫に神をみた。

 著名な作家、世界的な哲学者ですらそうであった。

 犬は主人の思う方向を向き、猫は内的自然の思う方向を向く。



 誰かが「猫は明日を恐れない。ただ今の一瞬の連続を生きているから」といっていた。

 彼らは過去を忘れない。

 なぜなら、経験した危険を覚えて、それを避けることは、延命につながることだから。

 だが、今日の不運を明日につなげて明日を憂うことはない。
 彼らは、今起きることに備えて、ただ「今」を過ごしているだけだから、と。


 しかし、もし、彼らの思考に「未来」が存在するなら、「性悪猫」で描かれる猫のように、家で飼われるようになってからでさえ、明日、もとの野原へ戻されるかも知れないと恐れ、おびえることがあるかもしれない。

 そして、そのために、暖かいベッドで寝ずに、あえて土間の土の上で寝てしまうのだ。

 安穏(あんのん)な生活に慣れた後、再び野良に放たれるのを恐れて。

 だが、もし彼女(猫)が幸せな記憶をもって生き、現在(いま)に不安がないのなら、彼女は決して未来を恐れないだろう。

 彼女には、未来が分かるはずだから。

 その意味で、やまだ紫の描く「性悪猫」は、「性悪」な猫(女性)ではなく、傷つき、孤独に陥った、哀しいイキモノの話なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

汚れちまった悲しみに……

 しばらく家を離れている間に、テレビの地上波の画像が、極端に汚くなってしまいました。

 地上デジタルテレビ放送への移行が本格化するにつれて、おそらくは、その電波干渉によるものでしょうが徐々に画像が乱れて来てはいました。

 とくにUHF放送でそれが激しかったのですが、今回、それがさらにひどくなってしまいました。


 自分では、ほとんど地上波は観ないので問題はないのですが、ある事情で番組録画をしなければならないので、これには参ってしまいました。

 いまや6000円台になった地デジ機器↓をUSBでコンピュータにつないで録画してもよいのですが、それでは従来のDVDプレイヤーで視聴できるDVDが作成できません。


BUFFALO「DT-H30/U2」


 いったい誰のためのデジタル化なのか、本当にハラがたちますね。

 皆さんごぞんじの、あの「全裸事件」を知った時、つい、「これでB−CAS普及に歯止めがかかるカモ」などと、人の不幸に期待をかけるようなフトドキナ気持ちになってしまいました。

 いずれにせよ、「アンテナヨーシ、テレビヨーシ、俺ツヨシ」などという、脳幹部分で考え出したようなCFが放送されなくなったのは朗報ですね。

 まあ、それが無くなったところで、代わりに、どこかのアナウンサー達が、ばかげたスポーツウェアを着、浮いた演技でチデジ化をあおるCF(これも脳幹で考えているような感じ)は、流れ続けるわけですから、あまり変わりはありませんが。


 それはともかく、これほど画質が悪くなってしまうと、早急(さっきゅう)に比較的美しい画質で録画できて、さらに従来通りにDVD化できる方法を考えなければならないのですが、そのための方法は、現段階では、ひとつだけのようです。

 それは、アナログ機器を生かすために、政府のテコ入れで企業が作りつつある、地上デジタルテレビ放送用チューナーを購入することです。

 確か、当初の政府見解では、企業努力で、5000円程度のチューナーを売り出して欲しいとのことでしたが、ご存じのとおり、B−CASによる暗号化がある限り、どうしても構造が複雑になって、それほど急激に値段は下がりません。

 やがては、全てがワンチップになったICが作り出されて廉価になるのでしょうが、それは、まだ先のようです。


 調べてみると、一番安いもので、6500円ほどですね。↓


 ダイナコネクティブ/Dynaconnective DY-STB200

 しかし、こういった廉価なものには、予約機能がついていません。

 予約機能があれば、それとコンピュータを連動させれば、アナログ録画が可能になるはずなのですが。

 ハイビジョン画質にはこだわらないので、こういった録画で十分です。

 それでも、現在の画質の悪さからすれば、随分ましになることでしょう。



 もう少し値段が上がると、視聴予約機能のあるもののあるようです↓。


 アイ・オー・データ/I-O DATA 地上・BSデジタルハイビジョンチューナー HVT-BT200

 これはBS-hiを観ることができるため、価格が二万円ほどします。

 問題なのは、毎週予約ができないことです。

 毎朝、その日の予約をしなおさなくてはならないのです。

 これは致命的ですね。

 おまけに、レビューを読むと、個体の品質差が激しいようです。

 良いロットに当たれば快調に動作するものの、悪いロットに当たれば故障続きで使い物にならないとか。

 安易に低価格を求めて海外生産を続けるとこうなる、という見本のようなものですね。

 安さを求めすぎるユーザーにも問題があるのでしょうが……

 わたし以外にも、チューナーに予約機能を欲している声は、いくつも見かけました。

 アナログチューナー搭載のHD録画器を、いたずらに無駄に廃棄させないためにも、そして、無駄に処分されてしまうブラウン管を少しでも救うために、こういった、レガシィ・デバイスを有効利用できる機器を発売して欲しいと切に願います。

 まあ、メーカーも政府も日本人全てにデジタルテレビを買わせたいのでしょうが……
 (あの愚かで即物的で人を小馬鹿にしたエコポイントを見よ!)


 しばらくは、様子をみて、この悪い画質で我慢するほかは無いような気がします。


 皆さん、「お為ごかし」って言葉を知っていますよね。

 この「テレビ放送のデジタル化」こそ、一国を挙げて行っている、歴史的な「オタメゴカシ」のような気がしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月24日 (金)

うーん、アレって英語でどういうのよ

 このたび、遅ればせながら「電子辞書」を購入しました。
 ドイツ語や中国語の入ったものにしようかとも思いましたが、価格が四万円近くするのでやめました。

 そんなに高いなら紙の辞書を使います。

 ペーパーバックや英語の本を読む時には、辞書をひかずに、前後の文脈で判断しているので、オックスフォード系のドデカい専門英語辞書もいりませんから、結局型落ちのカシオ製一般向け辞書を買うことにしました。

 選んだ理由は、バッテリーが充電式でなく単四式だったのと、値段が一万数千円と新型の半額だったからです。

 で、今さら電子辞書を買った理由ですが、今回の撮影旅行で、自分の「一般的単語力不足」を痛感したからです。

 非常識〜シリーズで著名な神田氏の名言に「英会話でもっとも難しいのは一般会話だ」というものがります。
 つまり、裏を返せば「専門知識なら意思疎通はカンタンである」ということです。

 わたしも、コンピュータやソフトについて、あるいはモノの売買については、会話でもe-mailでも比較的容易に意思疎通ができます。


 しかし、今回の撮影旅行で、味噌や醤油の製造に欠かせない「麹」を説明できなかった。

 皆さん、麹(こうじ)の英語名って知ってます?

 malted rice あるいは aspergillus なんですね。

 モルトですよ、いや、モルツの方が分かりやすいかな。ビールの。


 醤油の製造元では、恥ずかしながら分からなかったので、enzymeを使ってしまいました。

 a kind of enzyme って。

 でも、考えてみると、エンザイムって麹ではなく、酵素なんですね。コエンザイムみたいな。


 こんな時に、紙媒体でなく電子辞書なら、咄嗟(とっさ)に調べることができる。

 そのための購入です。


 あと、奈良市内の有名店「中谷堂」の餅を食べさせた時に、よもぎ餅を説明できなかった。

 まず、ヨモギ(蓬)。

 a kind of Japanese origin herb……じゃおかしいし。

 ちなみに、この a kind of は、知らない単語を他の言葉で言い換える万能薬です。


 答えは mugwort です。

 これをライスケーキに練り込んで、餡を包んだもの……え、餡ってどういうの?

 皆さん、ご存じですか?

 よし、a kind of……こればっかりもなぁ。

 で、調べてみると 餡 = bean jam

 豆のじゃむぅ!そりゃそうだろうけどさ。

 まあ、本人は、目の前で展開される、例の驚速「マッハつき」(三人の男で目にもとまらない速さでつき、返しを繰り返す)の業に夢中で、わたしの説明など聞いていませんでしたが……


 あと、卓袱(しっぽく)料理に出てきた海の幸の説明も難しかったなぁ。


 まず、ウニってのが出てこなかった。皆さん、知ってますか?

 sea urchin ですぜ。

 あと、タイ、カツオ、マグロは分かりますが、サワラが分からなかった。

 サワラ = 鰆だから、スプリング・フィッシュ?なわけがない。

 spanish mackerel なんですね。

 そうそう「マカレル」=サバですわ。

 「サワラ」って「スペインサバ」なんだなぁ。

 日本の朝食につく「海苔」が、a sheet of laver より、ノリペーパーのほうが通りがよいのは東海林さだお氏のエッセイで知っていましたし、

「かつお節けずり」は dried bonito shavings で、決してshaving dried bonito ではないことは、伊丹一三(後の十三)氏のエッセイで知っていました。

 後者は、ガイジンにとって、床屋の椅子に座ってひげ剃りクリームを塗られているカツオをイメージするらしいですね。

 しかし、結局、これらの努力も辞書もあまり訳にはたちませんでした。

 英語を第三言語にしているようなヨーロッパ人に、そんなムツカシイ英語を言っても通じないのです。


 昔から英語文化圏の人間と話をする時によく感じたことですが、一対一対応の使用頻度の少ない単語でモノを説明するより、それこそ、a kind ofで汎用的に類似説明した方が、一般的教養の外国人には、よく通じる気がします。


 これは、日本における、ちょっとした会話で、世界史の著名人や日本史上のデキゴトを引き合いに出したときに場の空気が止まってしまう、そんな場の空気読めない発言をした後の感じに似ていますね。

 専門分野での会話はまた別です。

 そちらでは、話が弾みこそすれ停滞はありません。

 今回は、専門外のことに手を染めたがユエの苦労だったのかもしれません。

 しかしながら、良い勉強にはなりました。


 ちなみに、「きなこ」って英語で何というか知ってますか?

 きな粉餅の……

 答えは、soybean flour でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月23日 (木)

ツマんねぇのは世の中じゃなくてオマエ自身なんだよ! アフタースクール

 家に帰って気持ちが落ち着いたので、気になっていた映画を観ることにしました。

 久しぶりの映画です。


 実をいうと、ホテルの有料放送で「センターオブジアース」をやっていたので、それと「エスパー」という洋画を観たのですが、どちらも超D級映画でがっかりして知らぬ間に寝込んでしまっていました。

 センターオブジアースといえば、ディズニー・シーのアレですね。
 しかし、こちらは、ブレンダン・フレイザーのホンモノではなく、D級ニセモノの方です。
 だから、まるでダメでした。
 
 どちらかといえば、「エスパー」(原題は「STATIC」)の方が、無名であるものの内容はありました。




 カナダ映画で、携帯電話の機能を脳に埋め込んで、世の中に革命を起こそうとする若者三人の悲劇の話です。
 ビバリーヒルズ青春白書の女性が主役らしいですが、勉強不足でよく分かりませんでした。
 こういったD級映画でよく思うのですが、邦画タイトルの「エスパー」は少々直截すぎますね。
 原題の「STATIC」(空電)の方が、内容をよく表しています。



 それはともかく、自宅に戻って観たのは「ちゃんとした」映画です。

 「運命じゃない人」の内田けんじ監督の「アフタースクール」(2008年)。




 この映画は、公開当時から観にいきたかったのですが、時間がとれず、観ることができませんでした。

 DVD化されてからも、観ようとしつつ、機会を逃していたのですが、このたび晴れて鑑賞することができました。

 期待していた通り、観ながら抱く予想が、映画の進行につれて気持ちよくひっくり返されていきます。

 人それぞれに小説を読んだり、映画を観る楽しみというのはあるでしょうが、わたしの場合は、自分が書いてもこうなるだろうなぁ、といった自分のセンスに近い作品と、まったく正反対の作品を好むようです。

「アフタースクール」は前者です。

 こう話を進めたい、と思う方向に話が進んでいきます。

 そして最後の主人公の台詞。

「おまえみたいなヤツはどの学年にもいるんだよ。何見たってつまんねェってな。でも、つまんねェのは学校でも人生でもなく、オマエ自身なんだよ」


 狭義の放課後という意味でなく広義の放課後、学校以降のおとなの人生=アフタースクールを、見事な構成とストーリーテリングで引っ張っていきます。

 監督の力量というのはこういうところに現れますね。

 役者の演技もイイ。

 佐々木蔵之介なんか、先日の「ギラギラ」「トライアングル」のボケた演技がウソのように、タチまくった表情を連発しています。

 やっぱり適材適所ってあるんだなぁ。

 「アフタースクール」

 ご覧になられた方は頷いてくださるでしょう。

 まだ、ご存じのない方は、ぜひ、いちどご覧になってみてください。

 この映画は、観ていて「おォッ!」ではなく「え?えェーッ!」と驚く映画です。

 ぜひ、驚いてみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒い国から来たフォトグラファー ラスト

 カメラマンを送った後、事後処理のため、数日ホテルに泊まっているうちに、風邪を悪化させてしまいました。

 養生しつつ、前回、書いていたとおり、久しぶりに江戸東京博物館も見学した後、自宅に帰ってきました。

 驚いたのは、毎日、手をいれて様子を見ていた時には、ひどく不安定で、よく停止していた地上波録画用のコンピュータが、まったく異常なく、録画を行い続けていたことです。

 反対に、CS録画用に起動させている、安定したマシンの方が、HDフルのために、いくつか録画を落としていました。

 しかし、地上波はともかく、どうしてスカパーなども4月期に番組の再編成を行うのでしょうか?

 おかげで、4月から放送時間が変わっていた、REX〜ウイーン警察シェパード犬刑事〜をいくつか録りそこねてしまいました。

 これは、内容自体は面白くもないのですが、ドイツ語字幕版放送なので、ドイツ語の耳慣らし用に観ていた作品です。

 毎度思うのですが、日本人にとっては、理解不能な発音の多い米語(英語ではなく)よりは、ドイツ語やイタリア語の方が聞き取るのは楽ですね。

 カメラマンは、オランダ語がメインで、次がドイツ語、英語は第三言語であったために、比較的会話は楽でした。

 また、彼が途中から呼び寄せた恋人は、もともとポーランド人で、英語が話せず、ドイツ語での意思疎通だけだったのですが、意外と楽に話すことができました。

 もちろん、分離動詞や、法の正確さなどは、アタマから無視しての会話ですから、楽なのは当たり前なのですが。

 少々、単語の並びを間違えても、定冠詞などで、意味を固定できるゲルマン系言語は、日本人に向いているような気がします。

 名詞の性による煩雑さを考慮しても……



 嵐のような20日でしたが、終わってみて、つくづく思ったのは、今の世の中は(日本だけではないようですが)喫煙者にとって住みにくい世の中になっている、ということです。

 わたし自身は、今は吸いませんが、もともとヘビィスモーカーでした(パイプと巻きタバコが好き!)し、タバコの煙は気にならないのですが(タマの受動喫煙で寿命が短くなるか、ってなもんです)、とにかく、タバコを吸う場所がない。

 フォトグラファーも、彼の恋人も、かなりのヘヴィ・スモーカーだったので、乗り物から降りるたびに、喫煙場所を探すのにホネがおれました。

 わたしの運転で自動車を走らせている時は、たまに車を停めて、買い与えた(あまりの喜びように、なんだか恥ずかしくなってしまいました)ポケット・アシュトレイで喫煙させることができたのですが、新幹線を利用したり、東京や大阪で地下鉄を利用するときには、本当に困りました。

 驚いたのは、平日の朝に、横浜から満員電車に乗って、東京駅で丸の内線に乗り換えようとした時に、会社員の群衆がガラス張りの小部屋からはみ出ているのを見た時です。

 重大事件でも起こってテレビに群がっているのか、と思ったら、そこは地下喫煙所でした。

 それを見て、これほど多くの喫煙者がいるのに一方的に禁止にして良いのか、と少し疑問に感じました。

 もちろん、喫煙による健康への害、受動喫煙の害、そして、それら健康被害による健康保険への圧迫を考えたら、禁煙化に向かうのは宜(むべ)成るかな、と、わかってはいるのですが……


 面白かったのは、タバコが吸える、と喜んで部屋の中に入っていった二人が、すぐに飛び出てきたことです。

「どうしたのか」とたずねると「煙がひどすぎる」って……


 まあ、喫煙者は自分の煙は気にならず、他人の紫煙は気になるものですが、もうガイジンらしく正直過ぎ!


 疲れからか、撮影旅行の終わりには、かなりワガママになっていた彼ですが、根はまあ良い人物だったので、できれば早く禁煙に成功して、長生きをして欲しいものです。

 最初から、タバコを吸わない人や、とっくに禁煙した人には分からないでしょうが、本当に、今は喫煙者受難の時代ですね。

 タバコ一箱1000円ってな話もありましたしね。

 と、まあ、最後に印象に残ったのは、そんなことでした。


 最後にちょっとだけ写真を。



                       博多の屋台で撮影しているところ



                       姫路城の桜 こうやってみるとデカイですね
                    


 閑話休題。

 旅行の間、まったく更新しない間も、かなり多くの方が訪れて下さっていたのに感激しました。

 これ以降、また通常のブログに戻る予定(ハズ)ですので、心機一転(できれば)マメに書いて以降と思っていますのでよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月18日 (土)

寒い国から来たフォトグラファー その6

 今、横浜のホテルにいます。

 小さなホテルですが、ここの良いところは、ビジネスホテルではないのに、有線LAN経由でネットにつなぐことができる点です。

 首都圏ではあたりまえなのかもしれませんが、九州、四国地方(とくに観光地)をまわっていると、ネット接続できるところは、まだ充分ではありませんでした。

 こちらに来てすぐ、中華街を撮りましたが、カメラマンは相変わらずのムラっ気で、中華街は前に来たことがあるといって、指でシャッターボタンを雄押すのではなく、シャッターボタンで指を押すような撮影をしていました。


 翌日には、東京で相撲部屋の食事風景を撮りました。

 これは下準備が大変で、いろいろなコネを頼って、やっと撮影の許可を得ることができました。

 はじめに、相撲協会に話を通し、ドイツの出版社の概要などを送って許可をもらってから、親方との直接的な話し合いを経ての撮影です。


 朝、9時に稽古場につくと、すでに稽古は、かなりヒートアップしていました。

 息も絶え絶えの大男二十人ばかりが狭い稽古場のあちらこちらで、それぞれに四股をふみ、真ん中の土俵では、あたり稽古が行われています。

 ボクシングやプロレスなどでもそうですが、肉弾戦の格闘技は、一度、近くで目にすると取り憑かれる可能性があります。

 おそらく、肉と骨が直に当たってこちらに跳ね返ってくる、衝撃波に近い「肉声」の迫力のためでしょう。

 相撲の稽古場風景は、子供の時に叔父に連れて行ってもらって知っていたつもりだったのですが、思った以上の迫力でした。

 が、不思議と彼らがそれほど大きく思えなかったのは、毎日、身長191センチ、体重110キロのオランダ人を間近で見ていたからでしょうか。

 その彼も、今日、デュッセルドルフに帰っていきます。

 彼が去ってしばらくすれば、英語でののしりあったことも楽しい経験になるかもしれません。

 思えば、それほど悪い男では無かったような気がします。

 ただ、少し老人で膝を悪くしていて、電車で移動するのが嫌いで、気に入ったものしか撮影したくなくて、しかも、絶対にストロボを焚かずに陽光下で撮影をしたがるのが欠点でした。


 しかし、助手も連れず異国に来て、様々な土地、場所で「絶対にストロボを使わずに料理を撮る」というのは、撮る方もそうですが、用意するこちらにとっても無理難題だらけの撮影でした。

 レストランによっては、店内に窓がひとつもない店も少なくないからです。

 まあ、いずれにせよ、すぎてしまえば、良い思い出……かも。

 彼を見送ったら、江戸東京博物館でも観にいくつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月15日 (水)

寒い国から来たフォトブラファー その5

 いやぁ、まいりました。

 忙しさのあまり、まったくブログ更新ができませんでした。


 まあ、なにはともあれ、撮影日程も半ばをすぎ、残りあと少しとなりました。


 ざっとこれまでの撮影の道筋を示すと、

 大阪→桜島(鹿児島)→熊本→長崎→熊本→博多(福岡)→別府→道後(愛媛)→西条→道後→広島→姫路→京都→広島→道後→高松→高知→高松→徳島→和歌山


 となります。


 広島から姫路、京都と移動するために新幹線を使いました。


 期せずして、数十年ぶりに桜島や別府温泉、湯布院を訪れることができました。

 が、あまりに忙しく、旅行を楽しむことなど到底できません。

 はじめは睡眠不足だと思っていましたが、どうやら、昼夜逆転の生活を正常に戻すために身体が苦しんでいただけのようです。

 ここ数日は、朝6時起きがすっかり身に付きました。

 連夜の2時就寝はかわりませんが……



 昨日で車での移動を終え、先ほど、新横浜行き「のぞみ」に乗り込みました、社内で無線LAN接続ができるとのことで、試してみたところ、マクドナルド同様、YAHOO BBモバイルで接続することができたため、この空き時間を利用して、ブログを更新しています。
 足下に、電源も確保できるため、すっかり安心してインターネットを楽しむことができます。

 最初につとめた会社で、毎週のように狭い旧式新幹線にのって東京〜大阪を往復していたころとは雲泥の差です。

 今日は、横浜に泊まって中華街を撮影する予定です。

 斜め前のティーンエイジらしい外国人の女の子が、懸命にニンテンドーDSを操作していますが、何のゲームで遊んでいるかまではわかりません。

 なんだか眠くなってきたので、これぐらいにして、続きは、ホテルから書こうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 3日 (金)

寒い国から来たフォトグラファー その4

 今日は、朝九時に志布志港(桜島の反対側)にフェリーでつきました。

 その後、桜島を撮影しながら、桜島ダイコンを探しました。

 すでに収穫シーズンが終わっているために、なかなか場所が見つかりません。

 仕方がないので、市(桜島は鹿児島市です)の農産課に問い合わせると、「すでにダイコンはなくなっているものの、農家によっては、タネをとるために、ダイコンを残しているところがあるはずです。今なら、花が咲いていますよ」とのこと。

 親切にも案内してくれた、市の職員にお礼をいって撮影をしました。

 また後で、その写真もアップします。

 今夜は、鹿児島市内のホテルで泊まる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 2日 (木)

寒い国から来たフォトグラファー その3

 31日は、裏千家の茶の師匠のもとへ行ってきました。

 かなり高い地位の人物で、いろいろとツテをたどって、やっと会ってもらえたのです。

 ドイツから送られたリストに、茶の作法、ステップ・バイ・ステップ、そして茶の道具、とあったので、準備をしたのですが、実際に、写真を撮られながら、師匠の話す言葉をその場で訳すのはホネの折れることです。

 面白いのは、こういった日本文化の具現といった人物でも、結構英語を使いたがることです。

 


 かつて、インドに行った時、アグラで市内観光バスに乗りました。
 日本人は、わたしひとりで、あとは全員がインド人です。

 はじめのうち、ガイドは、まずヒンディ(インド語)で説明し、次にわたしに向かって英語で話していたのですが、いつのまにか、インド人のほとんどが、英語で質問をしたり、英語の説明の時に大きく頷いたりして、結局、ガイドは、ヒンディによる説明をやめてしまいました。

 これは不思議なことです。たとえるなら、浅草を回る観光バスで、ガイドが、日本語で説明したあと、欧米人に向かって英語で説明するうち、皆が英語で質問をして、しまいには、日本人のガイドが、日本人に向かって、英語で説明をするようなものなのですから。

 もちろん、植民地時代の影響もあって、インドでは英語が半公用語であることは知っていますし、自ら知識人をもって任じる人々が英語を使いたがることも知ってはいましたが、それを目の当たりすると非常に奇妙な感じがしました。

 もちろん、お茶の先生を同列に扱うことはできませんが……

 ともかく、大きな波がひとつおわりました。

 1日からは、猫とフォトグラファーとともに、フェリーに乗って、九州へ出発です。

 また、例によって、マクドナルドでアクセスできれば、写真もアップする予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »