遺伝子にルージュ・テストを……「寿命の起源」
「ルージュ」と聞くと何を思い浮かべますか?
フランス映画っぽく、フィルム・ノワールっぽい、ちょっと艶(なま)めかしい感じがしますか?
あるいは荒井由美の「ルージュの伝言」(古ッ、てか松任谷由実だって)?
いえいえ、そうじゃなくて……
わたしが、今、書こうと思っているのは「テスト」についてです。
そう、いわゆる「ルージュ・テスト」
ご存じ方のもおられるでしょうが、「鏡に映る自らの姿を自分とわかって」いるかどうかを試す方法が「ルージュ・テスト」と呼ばれるものです。
ルージュ=口紅。
1.被験者、たとえば子供におもちゃを与えて遊ばせ、夢中になっているスキに、頬にルージュを塗りつける。
2.しばらくして鏡を見せる。
以上が、ルージュ・テストです。
もし、被験者(この場合は子供)が、鏡に映る物体を「自分」だと『認識』すれば、手で汚れをこすろうとします。
人間の場合、二歳頃から判断できるようになるそうです。
同様のテストを動物にすると、チンパンジーは自分を認識できるようになるけれども、ニホンザルは、目をそらせたり威嚇したりし続けるそうです。
つまり、ニホンザルは、鏡に映る自分自身を他者だと思うのですね。
言い換えれば、ルージュ・テストとは、「鏡」という存在を認めることのできる能力であるといえます。
チンパンジーたちは、鏡の原理を知りませんが、「とにかく、ここに見えているのは自分自身なのだ」と理解できるのです。
鏡に映っているのは自分自身、つまり、アイデンティティ(自己同一性)を自覚していることを試すテストが「ルージュ・テスト」です。
先日、NHKブックスの「寿命論」(高木由臣著)を読みました。
生と死、哲学的に考えなければ、誕生し寿命があるうちが「生」で、寿命が切れれば?「死」ということになります。
ここに、簡単で、しかも、答えられない質問があります。
「生物は、なぜ死なねばならないか?」
「そういうものだから」では答えになりません。
また、これも不思議なことに、「生物によって寿命の長さはほぼ決まって」います。
犬の平均余命が人より長いことは、まあ、あり得ないでしょうし、大型のオウムは平均50年以上、種類によっては100年以上生きるものも存在します。ある程度年をとってからオウムを飼うと、自分の死後の、ペットの行く末を案じなければならなくなるのです。
種子のままであれば、1000年生き続ける蓮と、いかに科学力を使っても、たかだか100年前後のヒトの寿命の差はどこにあるのでしょう?
ヒトは、一個の独立した生命体ではあるけれど、その各部には莫大な細胞が生き、個別の寿命にしたがって死んでいきます。
体細胞の分裂回数には限界があって、ヒトの皮膚細胞の分裂は50回までです。
個々の細胞の寿命はどうして決まるのでしょう。
そして、細胞の寿命と、それからなる生命体の寿命には関係があるのでしょうか?
そして、細胞の寿命と、それからなる生命体の寿命には関係があるのでしょうか?
長らく「寿命」の研究をしてきた著者は宣言します。
『自己同一性』が継続される期間を『寿命』と呼ぼう。
これは分かります。たとえば、死ぬ間際に、遺伝子的に同じクローンを生み出して後を引き継がせても、寿命が延びたとはいえません。
筆者は、寿命を考えるに、まず、その定義から始めたのですね。
彼は動物実験を繰り返し、寿命が環境に左右され、長寿の系統を作り出すことも可能だということに気づきます。
そして、やがて「大事なのは寿命の長短ではなく、寿命のありかただ」という結論に到達したのです。
なんだそりゃ?よく、坊さんあたりが説教で説くコトバじゃないですか。相田みつおか?
などと早合点してはいけません。
筆者は、「人生について」ではなく、「個別の細胞レベル」についていっているのです。
面白いと思いませんか?
人の一生についてなら、ありきたりで面白みのない言葉、だけど、細胞レベルについての言及だと、突然、深淵な意味になる。
「寿命のあり方」とは、個の生命体の中で、その内在する資源やエネルギーを、次世代につながる生殖に関わる細胞=ジャームと、身体細胞など一代限りの細胞=ソーマへいかに振り分けるか、ということだそうです。
ここからの論の展開が面白い。
筆者は、まず、太古の海で生み出された、原始的形態をとどめる小型の細胞=原核細胞は、100%完全な複製を行い、自己同一性が保たれるために寿命はないと主張します。
しかし、原核細胞から進化して大型になった真核細胞は、分裂増殖でなく、有性生殖(オス、メスによる)を始めてしまった。
オスとメスで子孫を作るということは、自己同一性が保たれなくなるということです。
つまり、自己の連続性が断ち切られる。
これにより、寿命が生まれたのです。
では、なぜ寿命という犠牲を払ってまで、有性生殖を始めたのでしょうか?
ひところ、生命科学者の間で、ヒトの寿命を決定づける寿命遺伝子の発見に躍起となることがはやりました。
しかし、死ぬ、とは、本来無限に分裂できる細胞に抑制がかかることです。
抑制=死のメカニズムは、多様な遺伝子が関係したネットワークとして張り巡らされていることに気づいた筆者は、自戒を込めて、「寿命遺伝子といったものはあり得ず、特定の寿命遺伝子を求め、その機能を解明することが寿命を理解することだというような考えは、もはや成り立たない」と明言します。
寿命は、生物が、進化の過程で自ら作り上げたシステムなのです。
では、なぜ、そんなシステムを作り上げたのでしょうか?
筆者は、真核細胞が大型化したことに原因があるのではないかと考えています。
細胞が大型化すると、遺伝子も大型化するために、転写に時間がかかってミスコピーによる劣化が増え、リセットしないと子孫が残せないのだ、と。
リセットするために、有性生殖が導入されたのだと。
これも面白いのは、筆者の主張が、有性生殖の導入が、「第一に細胞劣化を防ぐためのリセット機能のため」であり、よくいわれる「両性生殖による遺伝子の多様化」は、二次的な副産物だということです。
この主張に、わたしは「やられた」と思いました。
キレの良い左ストレートを食らったように鮮やかな印象を受けたのです。
キレの良い左ストレートを食らったように鮮やかな印象を受けたのです。
多くの生命科学愛好者(ってどんな人種?)同様、わたしも、生命の多様化のためにこそ、二種類の遺伝子混合=有性生殖がハツメイされたのだと思っていました。
ヒトを含めた多細胞生物は、生き残るために必要な機能=身体組織が、細胞の分化で発達しました。
しかし、同時に、いえ、そのために細胞の巨大化が起こり、寿命が発生したというのが、現時点での、筆者の最終的な結論なのです。
高等化するために、リセット機能が必要となり寿命が発生した。
もし、それが真実ならば、ヒトの命の永遠化は、まだまだ先のことになるでしょう。
もうすぐ大団円を迎える「キャシャーンSins」では、ナノテク技術を応用した滅びない体を持つロボットたちが、死を求め死を与えてくれる「月という名の太陽」ルナに群がっていました。
後に、キャシャーンによってルナは殺され(破壊され)、滅びをもたらすモノ(おそらくは、分解ナノロボット)がばらまかれ、世界が滅びに向かって進んでいきました……(という設定のはずです。まだはっきりとはしませんが)
しかし、ヒトは、まだ当分の間、わずか100年(人によっては長い期間しょうが)の寿命に縛られ、少しでも長生きしようとあがくことでしょう。
ホロビを求めて死を望むようになるためには、複雑化しながらも完全なコピー、自己同一性(アイデンティティ)を保存したまま複製し続ける技術を見つけ出すことが必要なようです。
つまり、遺伝子自身が「ルージュ・テスト」を受けた時に、自分の頬についた紅をこすることができるかどうかがポイントということですね(意味不明?)。
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