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2009年3月13日 (金)

男のルージュ 〜ジェネラル・ルージュの凱旋〜


 最近、ルージュ・テストについて書いたばかりですが、今回も、またルージュに関する話をひとつ。

 今回、とりあげるのは、前に少し書いたことのある海堂尊著「ジェネラル・ルージュの凱旋」です。

 いわずと知れた「チームバチスタの栄光」の(一つおいた)続編で、映画化もされています。

 「ジェネラル・ルージュの凱旋」(以下「凱旋」と表記)は、バチスタ・シリーズ(と呼ぶのは正確ではありません。ファンの間では、病院の建つ地方都市から命名して、「桜宮サガ」と呼ぶムキもあるのですが、ここでは便宜上バチスタと呼びます)では、第三作目にあたりますが、時間系列としては、第二作目の「ナイチンゲールの沈黙」(以下「沈黙と表記」)と、まったく同じ日時を描いています。

 つまり、第二作の「沈黙」と三作目の「凱旋」は、同時進行の話なのです。

 これは、とくに意識したものではなく、作者が、混ぜ合わせたひとつの話を作ろうとしたところ、それでは、ややこしくなるから、別冊にするように編集者からアドバイスを受けての変更だそうです。

 ファンの方には申し訳ありませんが、あいかわらず、海堂氏の(小説)文章は下手です。

 読んでいて、奇妙な表記、ずれた反応に首筋がゾクゾクするのは「ハリーポッター」の訳と同じですが、頭は痛くなりません。

 これは、海堂氏が、小説技法としての文章が下手なだけで、本来文を書ける人だからです。

 整合の取れた文章ですから、このまま、彼が大量に文章を書き続ければ、あるいは、これが彼の書き方のクセなのだ、と評価されるかもしれませんね。

 彼のクセについて、少し書いておきます。

 第一は、人の言動をあらかじめ説明してしまうこと。

 具体的に書くとこうです。


「勝手をして申し訳ありませんでした」
 素直に謝罪し、唇をかむ。

 あるいは、こんなものもありますね。

「……とんだとばっちりよ」
 翔子はため息をつく。小夜は慰める
「きっと大丈夫だよ……」

 つまり、「登場人物の表情や言葉で読者に伝えるべき事を、作者が説明してしまっている」のですね。

 これが繰り返されると、物語は甚(はなは)だ煩雑(はんざつ)な印象になってしまうのです。

 これは小説を書き始めたばかりの人に多い欠点ですね。

 「……申し訳ありませんでした」
という言葉は謝罪なので、その後の「素直に謝罪し……」は不要です。冗長になる。



 また、「慰める」と神である作者が書けば、後の『大丈夫だよ』は不要なのです。

 反対に、『大丈夫だよ』と書くなら、直前の「慰める」は邪魔です。


 二つめを、あえて書き直せばこうでしょうか?

「……とんだとばっちりよ」
 翔子はため息をつく。
「きっと大丈夫だよ……」
 小夜が言い、翔子は微笑んだ。この子の言葉は、いつもわたしを慰めてくれる……



 第二は、上の書き直しにも関係しているのですが、論文ではなく、物語を書くことになれていない人が陥りやすい間違いは、視点の固定化ができないことです。

「誰の目によって、読者にデキゴトが伝えられているのか」ということを、作者は完全にいつも把握しておかなければなりません。

 さっきまで翔子の視点から見ていた同じ現場が、次の瞬間小夜の視点で語られると、それが意図的に効果を狙ったものでないかぎり、読者は混乱し疲れてしまうのです。

 中学生や高校生の同人によくある文章ですね。


 第三は、雰囲気・イメージ先行の単語、それと同時使用の「体言止め」の多用です。
 ある意味女性っぽい文章と言えるのでしょうか。

 あと、これは、編集者が校正の時に見落としたのかもしれませんが、森野弥生という登場人物が、二度にわたって初登場然に紹介されています。
 わたしは、その部分を読んで、あれ、これってさっき出てきた人じゃなかったっけ?と前を読み返してしまいました。

 わたしのように、個人で執筆校正から印刷(PDFへ)までしていると、どうしても誤字脱字、構成ミスは生じてしまいます(わあ、こんなところで自己弁護してる!)。
 しかし、大手出版社では、なるべくこういったミスは、取り除いたほうが良いと思いますね。


 最後に、これはまあ、どうでも良いことといえばそうなのですが、「政治的に大物」つまり、何を考えているかよくわからない人物が何か言葉を口にすると、そのあとはだいたい「うっすら笑う」「うっすら微笑む」なのですね。

 もと日本シャーロックホームズ会員の身としては、甚だ気になるところです。(世に言うシャーロッキアンという人種は、ドイルのキャノン「聖典」をすり切れるほど読み返して、この作品でホームズは3回笑った、皮肉な笑いを浮かべた、などとカウントアップするサガがあるのですよ)



 とはいえ、海堂氏の文章が、一作ごとにうまくなっているのは確かです。


 それに、エンターティンメント小説家にとって大切なのは、うまい文章を書くことではなく(もちろんそれも大切ですが)、面白い話を書くことです。


 その点で、「ジェネラル・ルージュの凱旋」は、申し分ありません。

 作者の(現時点における)最高傑作と言われるの宜(むべ)なるかな、という感じです。

 映画は未見ですが、小説に関していえば、手に入れて読んで損はないと思います。

 先に書いたように、第二作の「沈黙」とは同時期の話なので、「バチスタ」だけを知っている人が、「凱旋」を読んでも大丈夫です。


 前に書いたように、この次の「イノセント・ゲリラの祝祭」は、ハズシ気味ですが、その次の作品は、面白くなるかも知れない、そういった、期待を持たせてくるのは良い作家の証です。

 どんどん書いて、どんどん文章がうまくなってもらいたいものです。


 あ、ひとつ書き忘れが……

 前に書きましたが、海堂氏の作品は全て桜宮という地方都市を中心に展開されているため(子供向けの「医学のたまご」ですらそうです)、彼の作品世界をサガと呼ぶ人もいるのですが、これは、後になって、後づけで自らの作品世界を統合したがる(別項、鬼公子閻魔でも書きました)大物マンガ家よりは、結果的にバランスがとれて良いかもしれません。

 個人的には、一作ごとに作風もプロットも変わる方が好きなのですが。


追記:

 本稿のタイトル「男のルージュ」ですが、それは読んでそのままの意味です。

 「凱旋」を読まれた方ならおわかりでしょう。

 恥ずかしながら、この年になるまで、わたしは「ルージュを引いた」ことはありません。
 (もちろん「ルージュ」が「どんな味」なのかは知っていますが……)

 だから、若者ならともかく、イイトシした男が、どういう状況下であろうと自らルージュを引くという設定が理解できなかった、というか、今も理解できていません。

 穿(うが)った考え方をすれば、それは海堂氏の密かな願望なのかもしれませんね。

 作家が、深層心理の願望を作中に投影するのは、ありがちなことですから。


 私のおすすめ:
ジェネラル・ルージュの凱旋 /海堂尊/著 [本]

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