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2009年2月14日 (土)

己だけが消え去る恐怖 〜キャシャーンSins〜

 以前にキャシャーンSinsについて書きましたが、さらに追記を。

 キャシャーンSinsも二十話近くになって、佳境に近づいてきた。

 この数話ではっきりとしてきたことは、キャシャーンSinsが、加速度的に恋愛物語の様相を呈してきたということだ。

 姉の死の原因を作ったキャシャーンをねらい続ける女性型ロボット・リューズと、キャシャーンの恋物語。





 しかし、かつてすべてのロボットがそうであったように、無限の再生能力を持つキャシャーンとは違い、リューズの体は確実に滅びに向かっている。

 自らを復讐の刃として、キャシャーンに憎しみをぶつける敵として登場したリューズは、記憶を失い、そのために他人から教えられる自らの行いを後悔し、滅びを止めようとあがくキャシャーンの姿に、徐々にココロを開いていく。

 
 下世話な言い方を許してもらえば惚れてしまうのだ。



 第18話「生きた時これからの時間」(脚本:大和屋暁 絵コンテ:山内重保 演出:山内重保 作画監督:丸 加奈子)は、なかなか画期的な回だった。

 まるまる30分を、実写合成を交えながら、リューズの内的葛藤を描くことに使ってしまったのだから。

 よっぽどコアなファンでないかぎり、離れていってしまうんじゃないかなぁ。

 この回の終わりに、リューズは姉の死を乗り越えて、キャシャーンについていく決意をする。

 詳しくは、下のトラックバック↓を観てください。よくまとまってます。


 そして、第19話「心に棲む花を信じて」(脚本:吉田玲子 絵コンテ:中山奈緒美 演出:中山奈緒美 作画監督:奥田佳子 )

 この回は、観ていて痛かった。


 そして、この回を観ながら、わたしは、「滅びを描いたSF作品におけるエポックメイクな作品を、今、リアルタイムで目の当たりにしているのではないか」と思うようになったのだった。

 かつて、地上の生物、あるいは宇宙の生物、そしてロボットを主役にして、それらが滅びに向かいつつある姿を描いたSFは多くつくられてきた。

 しかし、こういった形で「滅び」を描いたSFはなかった。


 19話で、いよいよリューズの体にも滅びが近づいていることが描かれ始めるのだ。

 18話で彼女はキャシャーンへの憎しみに決別した。

 そして19話で彼女はキャシャーンへの愛に気づく。

 同時にそれは、滅びの無い体を持つキャシャーンと、崩れつつある体をもつリューズとの、そう遠くない永遠の別れの痛みをリューズに負わせることになる。

 おわかりだろうか?

 これまでの、「滅び」を描いたSF作品は、ほぼ全てが、皆一様に滅んでいく姿を描いていた。

 ある時はウイルスで、ある時は太陽のバクハツで、またある時は核戦争で。

 しかし、「恋人同士の一人が永遠の命を持って、もう一方が他の全ての生き物とともに滅んでいく」なんて設定は、少なくともわたしは観たことがない。

 単に長命な男と普通の女の恋ではないのだ。

 遠からず、彼はたったひとりで世界に残されるのだから。


 キャシャーンを愛することで、リューズは死に対する恐怖を実感するようになる。

 リューズは戦闘ロボット=戦士だ。死を恐れはしないだろう。

 だが、自分だけが死に、他の者一切が死滅した後に愛する者だけが生き残るという必然に彼女は慄然とするのだ。


 死の恐怖、何もなさずに死ぬ恐ろしさから逃れようとして、また愛するものにすがろうとして、そして同時に、いっそ自分と同じように愛する者を滅ぼそうとして、リューズはキャシャーンに刃(やいば)を向ける。

 だが、結局は殺さない。

 殺せるはずがない。

 ならば、彼女に残るのは、滅び=死への恐怖だけだ。


 おびえる彼女に、キャシャーンはロクな言葉をかけられない。

 そりゃあそうだ。

 自分が原因で「世界」が滅びに向かっているのだ。

 リューズの苦悩は、キャシャーンをさらに後悔に駆り立てることになる。

 もし、自分が滅びの原因を作ったのでなければ、キャシャーンは「自らリューズとともに滅ぶ」という選択が出来ただろう。

 アシモフのBICENTENNIAL MAN(ロビン・ウイリアムズによる映画化あり「アンドリューNDR114」↓クドさを押さえたR・ウイリアムズの演技が秀逸)のように、愛する女性の老化とともに、自分のパーツも老朽化させ、彼女の死とともに、この世を去っていったロボットがごとく……

 だが、キャシャーンには、滅びに身をゆだね、死ぬことすら許されていないのだ。

 それこそが彼のSin。


 さて、皆さん。

 展開はトロいが、このキャシャーンSinsは、そんじょそこらにあるような、ペラペラな作品ではありません。どっしりとした質量のある作品です。

 構成の悪さ、および玉石混淆(ぎょくせきこんこう)なストーリーのせいで、絶対に視聴率は上がらないだろうが、そんなこととは関係なく、この作品は、紛れもなく、SF滅びカテゴリの金字塔になる可能性がある作品です。




 リンゴと称する人間の女の子をキーとして、なんとなく先の展開は読めてしまいますが、そういった大枠はともかく、キャシャーンとリューズ、イモータルな男とモータルな女の恋物語として観れば、この作品は他のアニメ作品を圧してひときわ輝いています。

 今からでもおそくありません。

 まだ観たことのない方はぜひ一度ごらんください。

 そして、最初の頃は観ていたけれど、タイクツで観るのを辞めた人も、我慢してもう一度アタックしてみてください。

 「キャシャーンSins」

 今のところ観る価値のある作品だと、わたしは思います。


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