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2009年1月29日 (木)

さばら、そして勝利

 芸能人関係のニュースをここで書くことは、あまり多くはありませんが、昨日のニュースでふたつだけ気になったことを。

●ひとつめ。




 フォーリーブスの青山たかし(→現:青山孝史)肝ガンに死す。

 先日、「フォーリーブス再結成」と銘打ち、四人そろって「ブルドッグ」を歌い踊っているのを観たばかりなので驚きました。

 肝ガンだとは聞いていましたが、かなり進行していたんですね。

 わたしにとって、フォーリーブスで、はっきりと思い出すのは米発アニメ「ユーバード」のテーマだけなんですが、とにかく歌はうまかった。

 とても残念です。

 ジャーニー北川氏の「恋人」だったメンバーの一人(名前も一字もらってますね)を売り込むために他の3人が集められたことは「知る人ぞ知る」ところですが、結果的にフォーリーブスは大ブレイクし、現在のジャニーズ事務所の礎を築きました。

 現在、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の感がある「美少年」(酒の名じゃないよ。ちなみに、現在のジャニーズタレントがそうなのか個人的には疑問)ブンカを築いたのは彼らなのですから。


●ふたつめ。

 28日、東京地裁で、楳図かずお氏の自宅(通称「楳図御殿」あるいは、まことちゃん御殿)が景観の調和を乱すとして地域住民二人から外壁撤去を求められていた訴訟で、請求が棄却された。




 つまり、訴えた住民側が負けたということですね。

 こういった民事裁判は良いですね。基本的に当事者の利益の勝ち負けを争うわけですから、第三者としても、どちらか片方に思いっきり肩入れできる。

 わたしは、子供の頃から楳図氏の大ファンなの(同郷だし)で、ここからは全く一般論から外れてしまい感情的になってしまいますが、どうかお許しを。


 だいたい、その訴えたヤカラ二人って、どれほどのお方なのよ。

 近所に楳図先生の家が建っていることを、ありがたく思いこそすれ、訴えるだなんて考えられないな。

 もう楳図先生、故郷に帰って、ウチの近所、世界遺産法隆寺の横に御殿建てて!と言いたくなってしまうよ。


 キドリ京都やお高いヨーロッパではアタリマエ(と思っているんでしょうな。権威が認めるブンカは思考停止的に守らなければならない、と)であるように、街は美しく(って誰の基準よ)保たれなければならない、と思いこんだのでしょうか。

 おふらんすのセーヌ川沿いは、イヌの糞だらけだぜ。
 フランスでは、もうずっと前から街の清掃が大問題になっている。
 ドイツのパ酒場のトイレは、ほとんどが最低の不潔さだ。

 って、わたしがビンボーなとこしか知らないだけか?


 つまり、そういった「美的景観保存主義者」たちがお手本と標榜するヨーロッパも、倫理上、衛生上、景観上、そうたいしたことはないってことですよ。

 わたしの知人の妹が向こうの人間と結婚して暮らしているスイスでは、どんなに晴れていても、洗濯物を外に干せないといって泣いていました。
 ついでに、一日一回だけ作って、冷えたモノしか食べられないスイスブンカは、もうコリゴリとも。

 カリフォルニアに住んでいたイトコも、洗濯物を外の干せなくて嫌だといっていたなぁ。
 そのあたりのレジデンス・ルールだったらしいが愚かだねぇ。

 いわゆる、よくからかいの対象になる「郊外生活者」のミエってやつですかい?

 その点、イタリアじゃ、だいたい洗濯物を外に干すから好きなんだけど。


 もう、ブンメーカイカの時に、ただ科学力が上ってだけでブンカも上'と思ってしまった間違いから脱却してもいいんじゃないかなぁ。

 ヨーロッパなんて、宗教に狂って操られ、愚かしいことをやり続けてきただけの国々の集まりなんだからさ。


 だいたい、本当に酷い建物だったら住民がこぞって反対するよ。

 手を挙げたのが二人だけ?

 それとも、楳図先生が政治的圧力でもかけたのか?

 写真↑で見る限り、それほど酷いモノとは思えないしねぇ。

 あるいは、自分はそれほど気にならないけれど、誰かよそから来た人の「目障りじゃない?」という言葉で急に「基本的人権」などという、普段は忘れている言葉を思い出し、仲間を募ったけど「変わってていいじゃない」「楳図先生が近くに住んでいるなんて、なんかうれしい。グワシ」なんて声も出たりして、集まった同志は結局二人になったものの、いや、集まった人が少ないだけに、奇妙な使命感いや増して「撃ちてし止まん」とばかりにソショウに踏み切った、というところかもしれまない。

 少なくとも、
 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 (雨ニモマケズ)
 という見識はないのでしょうな。



 なんとなく、こういった硬直思考は、どこかの老人が書いていた「近頃の日本語の乱れは許さん」系ピンボケ・ケイモウ本に似たところがありますね。

 中を読むと笑っちゃいますよ。

 我々が現在使っている、著者のいう「正しい」日本語が、たかだか100年あまりの歴史しかもたず、森鴎外や夏目漱石といった、明治期文学者たちの功績で形作られた新しい言葉であることを忘れ、自分が戦時中に習った言葉だけが正しいと錯覚して、生き物として変わり続ける言語を否定しようとしているのですから。

 まあ、気持ちは分からないでもないですけどね。

 先の二人同様、おっちゃんがやらねば、という使命感に燃えてしまうのは……

 でも、しかたないんですよ。言葉が変わっていくのは。

 そりゃあ、わたしも、イヌに餌をアゲルのも、こどもに〜してアゲルのも、早急(サッキュウ)ではなくソウキュウ'''に事を行うのも、胸が悪くなりそうなほど嫌なイイカタですが、皆が使うようになれば、そこに道ができる的な気持ちでないと、もう生きてはいけんのですよ。



 話をもどして……

 だいたい、(その人たちの好きそうな)ヨーロッパなどでは、芸術的に著名な方の邸宅が、近くにあることを誇るものだということを知らないのでしょうか。

 あ、ひょっとして、マンガ家だと思って馬鹿にしているな?

 しょせん、貸本マンガ家が功経(こうへ)たものだと。

 「へびをんな」(えーと「へび少女」だったかな?)作家だと。

 許さーん。

 そんなことは「漂流教室」を読んでからいいなさい。

 「14歳」や「神の左手悪魔の右手」を読んでから。

 それらと同じか、それ以上のモノを生み出してからモンクをいうのだ。


 もちろん、わたしも、才能があれば何をしても許されるとは思っていません。

 ただ、腹立たしく思うのは、おそらく、彼女たちも、これが平*郁*画伯のアズライト・ブルー・シルクロード御殿だとか、梅*龍*郎まっかっか邸宅なんかだと、それがどれほど奇天烈なものでも認めだろうことが(なんとなく)分かるからです。

 平*郁*画伯なら、梅*龍*郎なら、セケンも認めているからモンクは言えない。

 でも、変なマンガ家なら文句いっても大丈夫。

 そんな世知(せち)を感じるのが嫌なんですね。


 個人の権利を主張するときに、そんな右見て左見ての態度はいけない。

 だから、お二人には、ぜひ控訴をしていただきたい。

 そして、美しい武蔵野市の景観を守るために、さらに闘ってほしい。

 おそらく、毎日街を見回して「ああ美しい武蔵野市」と感動するのが趣味なのでしょうから。

 個人的には「楳図御殿のある個性的な武蔵野市」の方が好きですけどね。


 あーまたトガったことを書いてしまった。

 ココロ静かに暮らしたいのに……

「樹静カナラント欲スレドモ 風ヤマズ」(用法が少し違いますが)

 2/武蔵野市民のPAKA。

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