ああ、じゃりン子チエの……え、ちがうの?
今回は、とくに政治がらみの話ではありません。
ま、ちょっとは政治に関係しますが、なぁに、ただのヨタ話なので気楽に読んでください。
(あらかじめ断っておきますが、今回のハナシには、何ら政治上のバイアスはかかっておりません。たんなるヨモヤマ話です)
クローン増殖したのでない限り、ヒトには親が存在します。
事情があって一緒に暮らしていないこともあるでしょうし、早くに亡くしてしまうこともあるでしょうが、昔風にいうところの「木の股から生まれてきたわけじゃない」のが、我々人間のすばらしい点であり、同時に不幸なことだとわたしは思います。
生き物は、生まれた時点で、親の遺伝子を担って生きていくことを義務づけられています。
その上、生物学上の親とひとつ屋根の下で生きて行かねばならないことも多い。
というか、複雑な事情がないかぎり、親と一緒に暮らしながら成長する人がほとんどでしょう。
一概にはいえませんが、だいたい女の子は父親の影響を受け、男の子は母親の感情的束縛を受けて成長するようです。
不幸にも、わたしは男に生まれたので女性についてはよくわかりませんが、男の子については、オイディプス王のハナシなど、父母との関係については、いろいろと寓話もありますね。
わたし自身は、父親と、それほど険悪な関係にはなかったと思いますが、有り体(てい)にいうと、仲良し親子と呼べる状態にはありませんでした。
それは、わたしが父の期待を裏切ったデキの悪い子供であった上に、勝手につとめていた会社を辞めて自営業を始めたりしたのがいけなかったのですが……
さて、ここからが本題です。
世の、父と息子の関係が本当のところどうなのかは、わたしにはわかりません。
しかし、現実問題として父親が自分の名を息子につけることはよくあります。(さすがに、最近は、男の子に「翔」とか「大輔」「翼」をつけるのが一般的でしょうが)
祖父から「亀」をもらい、父から「英」をもらって「亀英(かめひで)」とか(ソンナ奴ぁ居らん?)、父親から「嘉(よし)」母親から「美」をもらって、「嘉美(よしみ)」とかね。
聞くところによると、わたしはウラナイ師に画数でつけてもらったようなので、親とは関係のない名前なのですが、親から名前の一部をもらって名付けられた子供は、いったいどんな気持ちになるのでしょうか?
そういった名前をもつ友人に、メールで尋ねてみたところ、「いやだった」「若い頃はいやだったけど、子供ができたら、それほどでもなくなった」「なんともおもわなかった」という返事を受け取りました。
この中では、「若い頃はいやだったが、子供ができたら、それほどでもなくなった」というのが、面白いですね。
息子は、自分が「世界でただ独りの存在」だと思いたがりますが、親は子供を「自分の分身」だと考えたがる気持ちがあるのです。
親になって、その気持ちが理解できて名前にたいする嫌悪感が薄れたということなのでしょう。
しかし、みなさん、考えてみてください。
日本人はまだ良い。
大部分が、親の名前の一部をもらうだけで済んでいますから。
しかし、西洋には親とまったく同じ名前をつけられる子供たちがたくさんいるのです。
そう「ジュニア」です。
ちなみに、わたしが一番よく知っているジュニアは、アントニオ・ジュニアです(西洋じゃないし人でもないけど)。
しかし、彼は、その名を嫌っていなかった。
その理由は、親子が離れて暮らしていたからだとわたしはニラんでいるのですが……
毎日、ひとつ屋根の下で暮らしていると、どうしても嫌になることはあるでしょう。
その理由は、親子が離れて暮らしていたからだとわたしはニラんでいるのですが……
毎日、ひとつ屋根の下で暮らしていると、どうしても嫌になることはあるでしょう。
千原ジュニアについてはよく知らないので、おいておくとして。
もうひとりの「世界的に有名なジュニア」は、親の名を嫌って自らに名前をつけました。
ヘンリー・ジョーンズ・ジュニア、つまり「インディ・ジョーンズ」です。
彼は「ジュニア」を嫌うあまり、犬の名を自分の名前にしてしまったのですね。
あと、二世、三世っていうのもあります。
これについては、あの有名過ぎる三世の例もありますから、言及しないでおきます。
彼は初代のことも、二世のことも嫌っていませんでしたね。
どちらかというと、尊敬していたようです。
これについては、あの有名過ぎる三世の例もありますから、言及しないでおきます。
彼は初代のことも、二世のことも嫌っていませんでしたね。
どちらかというと、尊敬していたようです。
そして、先日、ついに、ヘンリーより有名なジュニアが誕生しました。
バラク・フセイン・オバマ・ジュニア第44代合衆国大統領です。
恥ずかしながら、ついこの間まで、わたしは、彼がフセインであることも、ジュニアであることも知りませんでした。
だって、ふだんは、バラク・オバマとだけ呼ばれていたじゃないですか。
まあ、確かに、長い名前は省略して呼ばれるのが一般的ですが、どうも、彼が「ジュニア」を前に押し出さなかったことには、名前を売り込む上での政治的作為を感じてしまいますね。
父親がブッシュならば、迷わずジュニアを前に出したでしょう(彼はジョージ・ウオーカー・ブッシュでジュニアではなかった)。
しかしながら、わたしは、どうしても、
『よほどの政治的有名人でないかぎり次期大統領候補が「誰かの分身=ジュニア」であることを表に出すことは得策ではない』
と、オバマ陣営が考えたのではないか、と穿(うが)った見方をしてしまいますね。
それは、おそらくわたしの品性がお上品ではないからでしょう。
なんといっても、合衆国民が世界を代表する合衆国大統領を唯一無二の存在であって欲しいと考えたがることは、ありそうなハナシですから。
ともかく、問題山積(もんだいさんせき)のアメリカ経済を立て直すために、今、世界で一番有名なジュニアは名前などにかまってはいられません。
フセイン・ジュニアは、世界経済のために、力の限りを尽くさねばならないのです。
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