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2009年1月12日 (月)

体はイタクナイ、イタイのは……心  〜久坂部羊「無痛」〜

                           「無痛 他の人のレビュー」



 いつだったか、無痛症の少女のビデオを見たことがあります。

 痛みとは体の警告です。それをやったら体に害が及ぶからやめなさいという。

 痛みの感覚のない少女は、信じられないほど腕を曲げ、足をまわし、首を傾けて本をよんでいました。

 はっきりとした自覚のない幼年期には、まわりの大人が注意しないかぎり怪我をしてしまうこともよくあったそうです。


「痛みがない」で、わたしがすぐ思い出すのは、手塚治虫の「どろろ」です。

 最近、映画化されたので、皆さんご存じでしょうが、日本統一を成し遂げるという父の願掛けのために、体の各部と暑さ、寒さ、痛覚すら奪われてしまった百鬼丸が、妖怪を倒して体を取り戻す話です。

 物語の中で、どろろが百鬼丸にボヤきます。

「暑さを感じないなんて、アニキは便利だよな」
「便利なものか。気がつかないまま、いつ寒さで凍え死ぬか、暑さでうだり死ぬがわからないだぜ」

 医師であった手塚氏は、もちろん無痛症についても知っていたでしょう。


 もうひとつ、痛覚のない男の話をしておきます。

 それは、スパイダーマンの「サム・ライミ」が、かつて生み出した「ダークマン」です。

 敵の罠に落ち、受けた全身火傷の痛みを緩和するために脳手術を受けた主人公は、皮膚の感覚を失います

 体に流れ込む情報が極端に少なくなった彼の脳は、「寂しさのあまり」、時折暴走を起こし、爆発的な怪力を発揮するようになるのです。

 「脳が寂しがって」という考えは、わたしも大好きで、何度か自作のギミックとして使ったことがあります。


 おそらく、「痛覚が無い」というのは、特に医者出身の作家にとっては、ひどく魅力的なテーマでしょう。

 体に痛みはない、だが心の痛みは?

 確かに魅力的です。


 さて、実のところ、「無痛」の作者、作家久坂部羊(くさかべよう)について、わたしはよく知りません。

 先日、新聞の広告でドでかく「無痛」の広告があったので気になっていたのです。

 なにより、

「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフも、「ブラックジャック」のドクターキリコも、そして「羊たちの沈黙」のれくたー博士も今、この小説の中にいる……

という巨大な惹句(じゃっく=コピー)が気になりました。

 著者略歴に「大阪大学医学部卒業で医師、小説「廃用身」でデビュー、第二作「破裂」が10万部を超えるベストセラーとなる」とあります。

 やはり、医者なのですね。

 広告の紹介文を、もう少し引用しましょう。


 神戸市内の閑静な住宅地でこれ以上ありえないほど凄惨な一家四人残虐殺害事件が発生した。事件に大きく関わる二人の医師、為頼(ためより)と白神(しらがみ)。
 彼らは顔を見ただけで症状を完璧に当てる驚異の診断能力を持っていた。
 だが、この天才医師たちは、まるでブラックジャックとドクターキリコのように正反対だった!


 さすが幻冬舎、という感じですね。

 小説のコピーに、有名コミックの登場人物を引いてくるとは。しかも、「どろろ
で「無痛」の主人公を生み出した手塚治虫のキャラクターを。

 本屋に行って、手にしてみました。ざっと速読してみます。

 少しだけネタばらしをすると、二人の医師は、特に異能者というわけではありません。
 医師の診たては、まず問診から始まります。「どこが調子悪いんですか?吐き気は?」とかね。

 次に、彼は聴診器を患者にあて、聴診をします。

 そして、最後に患者に触れて触診をする。

 しかし、同時に医師は(本当は)最初から、患者を目視して、視診しているのです。

 現在は、エコーやCTなど、さまざまな機器で検査を行い、病気を発見します。

 では、その検査結果と、目で見た患者の特徴に因果関係はないのか?

 そこに、微細ではあるものの確かな因果関係がある、というのが、見るだけで症状を当てる二人の医師の存在根拠だったのですね。


 
 面白そうなので、書庫が重くなるのを覚悟で買ってみたんですが、よく見ると初版は2006年4月25日でした。


 新聞広告は文庫発売のものだったんです。

 まあ良いですけど、ハードカバーは文庫より重いので心配です。

 さっそく読み始めました。


 そうすると、すぐに分かる事があります。

 久坂部氏は文章がうまい。

 単文を重ねて、次々と複雑な内容を読者に送り込んでくる。

 読みやすいので、どんどんページが進む。


 ですが……最初に気づくべきだったのだなぁ。

 コピーに、レクター博士が出てくるって書いてあったでしょう。

 医学界の権力闘争、なんてものは一切出てこない物語ですが、かわりにスプラッタまがいの人体解剖殺人が出てくるんですね。「粘膜人間」のような(は、いい過ぎかな)。


 もう、そういうのは筒井康隆の「問題外科」だけで充分ですよ。


 おまけに、出てくる登場人物のほとんどが「臑(すね)に傷持つ」どころか、肉体異常と精神病一歩手前の病的人物ばかりで、気持ちが滅入ってしまいます。


●十代で自分を産んだ母親に虐待され、自閉症になる少女。
 
●先天的に尖頭症(せんとうしょう:頭が小さく尖る)で無痛症の青年。

●停留睾丸(ていりゅうこうがん=睾丸が腹腔に留まり、一見睾丸が無いように見える先天異常)で生まれた医師。

●子供の頃、脊椎カリエスにかかって背骨が湾曲している医者。


 殺された主婦も、かなり問題発言&行動の多かった人物のようです。


 唯一、母親に甘やかされて高校を中退し、人生を転落し続けているダメ男だけが、正常(つまり、普通に悪人)にみえるのは皮肉です。


 意外にも、物語の中核を為すのは「無痛」ではなく、「なにを今さら」という感じの「刑法39条(*)」でした。

 作者は、この法律を、かなりな執着心をもって攻撃をします。

 参考文献を見ると日垣隆氏の「そして殺人者は野に放たれる」があり、なるほどと納得しました。日垣氏はこのルポで名を上げたジャーナリストです。



(*)刑法39条については、ご存じでしょうが、一応書いておくと、「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する」というものです。
 近年は、異常殺人が発生するたびに、大体この法律が問題になりますね。

 一部には「刑法39条は、世界に類を見ない温情法である」と非難する声もあります。
 実際、その通りなのですが、精神的な病に冒されている人間に、闇雲に罪を問うことが良いとも思えません。
 たたし、39条の適用を泥酔者と麻薬中毒者にも適用するのはやり過ぎです。



 そういった、病的な物語の傾向をのぞくと、「無痛」は、よくできた話です。
 
 ちょっと問題だったのは、なかなか事件が、つまり物語が収束しないことです。

「一挙891枚」の書き下ろしで、のこり15枚になっても、犯人は野放しに犯罪を繰り返しています。

 そして、あっというまに終劇(フィナーレ)。

 神の声(作者説明)によって、その後の経緯を説明し、了。

 もうすこし、配分を考えて書けば、中身の詰まった小説になったのに残念です。

 あるいは、書き下ろしで900枚を超えたあたりで、ストップがかかり、編集者に削られたのかもしれませんね。

 そう考えれば、たたき込みのラストも頷けます。

 一見、竜頭蛇尾に見えるかも知れませんが、書き残しはありませんから、作者は作家としての務めは果たしています。



  以後は余談です。

 誤解をされる方も多いので断っておくと、作家が、長編小説を書くのは、それほど苦しいことではありません。

 前にどこかで書きましたが、スペックを細かく書き込めば、たちまち枚数は稼げるからです。

 苦しいのは始めだけです。

 書き始めは30枚でも100枚でも苦しい。

 しかし、だいたい150枚を超えたあたりで加速がかかり始めます。

 300枚を超える頃には、小説の運動エネルギーはトップギアに入って、止めようとしてもなかなか止まらないほどになります。

 そう、物語には質量があるのです。

 実際、長編を書くのは簡単です。

 1000枚でも1200枚でも。書けといわれたらいくらでも書くことができる。

 それができないなら、プロフェッショナルの作家ではありません。

 書くのは簡単。

 難しいのは、あたりまえですが長編の面白い話を書くことです。

 これをクリアできる作家は数えるほどでしょう。

 ですから、いいかげん、長編をありがたがる風潮(とくに出版社側の)はやめたほうが良いと思いますね。

 映画化、ドラマ化などの利益を考えれば仕方がないかもしれませんが……

 ともかく、作家のストーリーテリングの能力を見るなら、短編か中編を読めば良いのです。

 そこには、彼が長編で書くべきエッセンスが詰まっているのですから。

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