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2008年12月21日 (日)

ケータイのない恋

 今日、手持ちのDVDを整理していたら、懐かしいDVDを見つけました。

 古いアニメです。

 なんとなくかけてみると、最後まで観てしまいました。

 観終わると、手の中に懐かしい感触が残ります。


 そこには、男がいて、女がいて、音楽があり、恋があり、そして携帯電話は存在していません。


 数百キロ離れて暮らす恋人たちは、電話のカールコードを伸ばしながら、アスパラを炒め、フライドポテトをつくり、ビールで乾杯します。


 別れを切り出す恋人は、メールではなく、手書きの手紙を渡します。


 ダンスの時かけるのは、レコードであってCDではありません。


 全てがアナログで、優しく、そして以前より少し年をとったわたしの目からみれば、ちょっと男の思考がひとりよがりで自分勝手に見える(作者が男だからね)「恋のオトギバナシ」です。


 作品の名は「ハートカクテル」

 あのわたせせいぞう原作のアニメーションです。





 もう二十二年前の作品になるのだなぁ。


 今なら、遠く離れた恋人たちは、スカイプを使ってビデオチャットをするだろうし、インターネットフォンで長電話もすれば、メールで四六時中連絡を取り合うこともできるでしょう。

 のぞみは、旧来の新幹線に比べて随分速くなりました。

 だから、比較的かんたんに東京─大阪、どころか、新潟であろうが東北であろうが、博多であろうが行き来することができるでしょう。

 いま、シンデレラ・エクスプレスなんて言葉はあるのでしょうか?

 みなさん、知ってますか?




 数年前まで、推理小説を書くものにとって、携帯電話は忌むべき発明、デバイスでした(らしい)。

 わたしにとっては、どうってことはないのですが、かつて有線電話で「アリバイ」づくりに汲々(きゅうきゅう)としてきた作家たちにとっては、いつでも、どこでも電話がかけられる時代になったことで、アリバイ作りの重要なアイテムがなくなったと思って困ってしまったのでしょう。


 ある作家など、携帯電話の存在しない昭和時代舞台設定を決めて話をつくると明言していたこともあります。


 推理作家はともかく、普通のストーリーを書く場合でも携帯電話がない方が作りやすいことがあります。



 携帯電話が、そしてメールがなければ、何が起こるか?

 すれ違いが起こるんですね。

 そして、言葉のタイムラグも。

 すれ違いはドラマを生み、伝えられなかった言葉は悲劇を生む。

 さらに、性急でないメッセージのやりとりは深い内省を導く。

 つまり、会えない時間、話せない時間が長いと、より自分の内面と向かい合って、深く自分と相手のことを考える、ということです。

 携帯電話で、緩く軽く常時繋がっていると、すべてがテンポラリかつカレントになって、まあ……趣(おもむき)がなくなるような気がしますね。

 それが新しい人と人との繋がり方、恋のしかたなのでしょうが。


 20年前の恋のパッケージ集であるハートカクテル(かなり無国籍物語っぽいですが)を観て、そんなことを考えました。



 ハートカクテルは、ビデオのVOL.1とVOL.2をまとめたものと、「ハートカクテル アゲイン」(2002)という新作の二枚がDVDで出ていますが、残念なことに、ビデオ版のVOL.3とVOL.4がDVDになっていません。

 あの名作、「いつか母を日曜島へ」や「秋の嫌いな夏男」「'84─夏─」をDVDで観ることができないのは本当に残念です。

 幸いにもわたしは、ビデオ録りしていたのを無理矢理DVD化したものを持っていましたので、さきほどVOL.4まで一気観してしまいました。

 若い頃は、なんかカマっぽいストーリーもあるなぁ、と思っていたのですが、今観ると、ほとんど抵抗がありません。

 かつて、わたしの中にあった、「若さ特有の気取り」が流れて出て行ってしまったからでしょうか。

 不思議と、このシリーズを観ると、続けて「アパートの鍵貸します」あたりを観たくなりますね。というか、今、横のテレビで流しています。

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