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2008年12月26日 (金)

学力低下は錯覚である 〜客観的にみる努力〜

 このコーナーでは、よくこういった、ちょいキワモノっぽい本を紹介しますが、多分、それは、わたしが愛用する大学図書館の嗜好のためでしょう。

 新刊コーナーに、このテのものがよく並んでいるのです。

 で、今回も読んでみました。

「学力低下は錯覚である」

 ナカナカ刺激的なタイトルです↓。




 著者は、神永正博氏。

えーと経歴は、と、


東北学院大学工学部電気情報工学科准教授

東京理科大学→京都大学大学院修士→博士課程(数学専攻)→東京電機大学助手→日立製作所中央研究所

勤めながら大阪大学で学位取得。なかなかにガンバリヤさんですね。

2004年より東北学院大学で数学・情報を教え始め、「日本の教育問題」に直面。

本書は、”経験”や”感覚”ではなく、客観的事実を「数学的」に分析する中で、「多くの人がいつのまにか根拠もなく信じていること」に対して見直すきっかけを提示している。



 以上、カバーに書かれたコピーより引用です。

 帯には、あの明治大学教授、「声に出して読みたい〜」の著者、斉藤孝氏の「推薦の言葉」がありました。
「イメージで語られやすい学力低下問題を、客観的データに基づいて、冷静に議論しようという科学的態度が素晴らしい。学力低下の実感が、そのまま学力低下の現実を意味しないことを、少子化などの論点を整理して明らかにしている。イメージや実感だけで学力問題を語ることの不毛さを認識させてくれる本だ」

 あー疲れた。引用は疲れますね。


 で、内容はどうかといいますと、彼(作者)自身も、実際、学生たちを相手にしていて、彼らの程度の低さに辟易していたんですね。

 「簡単なテストをしても、ノートをきちんと取っている生徒ですら白紙答案を出してくる」というのを読んで、冗談でしょう、と思うほど、状況は逼迫(ひっぱく)しているようです。

 彼だけでなく、彼のまわりの教授たちも同様に感じている。

 そして、学生自身も自分たちのことを「ゆとられ世代」と、社会のせいにして自虐的になっているというオソマツさ。

 日本の未来は暗いのか?

 そこで、彼は、「本当に」「客観的」に最近の学生たちの学力が落ちているのか、を調べようと考えたのです。

 そこで得た結論は……

 学生たちの学力は、確かに低下している。だが、あながち、ゆとり教育のせいだとはいえない。

 そこで見落とされているのは、少子化による、大学全入時代の弊害なのだ。

 つまり、筆者のいっているのは、確かに学力は低下しているようにみえる。だが、優秀な学生は常に優秀なのだ、ということなのです。全体として低下して見えているだけだ、と。

 このことを簡単なモデルにして筆者は説明しています。

 うまく要約できるか、ちょっとやってみましょう。


 日本にA,B,Cの3つの大学しかないとします。

 大学の定員は、
   A大学:3人(高レベル)
   B大学:3人(中レベル)
   C大学:4人
 総学生数は15人。

 全員が受験すると、順位1〜3番がA大学、4〜6番がB大学、7〜10番がC大学に入ることになります。

 パーセントで考えると、

   A大学:20%
   B大学:20〜40%
   C大学:40〜67%

 それ以下の33%は不合格


 少子化が進んで、総学生数が10人になったとします。
 定員が変わらない(なかなかすぐには減らせない)とすると、全入時代に突入です。不合格者ゼロ。

 このとき、
   A大学:30%    (3人)
   B大学:30〜60% (3人)
   C大学:60〜100%(4人)
 が、入学する


 B大学、C大学では、これまで獲得できていた成績上位者が上のレベルの大学に行ってしまうだけでなく、下位の学生が入学してくることになり、大学のレベルは低下する。


 言い換えれば、
「これまでと学力が変わらなかったとしても、大学の定員数を減らさない限り、大学志願者数が減るにしたがって、学生の質は下がる」
ということなのですね。

 もっと、直裁にいえば、
学力が低下して見えるのは、少子化に連動して大学の定員が減っていないからだ
ということだそうです。

 さらに、大学によって、あるいは同一大学でさえも、デキる生徒まったく分かっていない生徒二極化が進んでいる、それが問題だそうです。


 さて、みなさんはどう思いますか?

 確かに、数字のロジックとしては正しいと思います。

 でも、本当なのかなぁ。正しい一面はあると思うけど、全面的には信じられない。

 
 ということは、筆者の考えでは、東大(って、こんなふうにヒキアイに出すのは嫌いですが)の学生のレベルは、変わっていないということですね。

 だって、日本で一番(個人的には全く信じていませんが)アタマの良い学生が集まっているわけですから下がスカスカになっても東大は高密度にリコウな学生で溢れている……?


 実は、これについて、わたしは考えをもっています。

 そもそも、東大に行くような生徒は、ユトリ教育のカリキュラムに従ったヌルい教育システムに入っていないと思うのです。

「文部省の指導なぞどこ吹く風」の東大一直線の私学や、これまでの教育で完全武装した塾講師によって教えられる予備校は、ゆとり以上の教育をしているのではないでしょうか。

 そういった場所で、もまれた学生の多くが東大の門をくぐる。

 そもそも、ユトリを無視した学生たちで溢れているのが東大や有名大学なのではないでしょうか?


 もうひとつ、筆者は、「ゆとり教育」に対して寛容な態度をとる根拠として、ある意味究極のゆとり教育の具現化である「フィンランドの教育法」をヒキアイに出しているですが、それが納得いきません。

 フィンランドと日本の数値(PISAあるいはIEA)を単純比較して、ゆとり中心のフィンランドと日本は変わらない。だから、ゆとりが悪いわけではない、というのが筆者の主張のようです。

 しかし、わたしは、政治でも、経済でも、教育でも、その国の総人口を無視して語ってはいけないと考えています。

 だから、よく選挙のお手本として、あるいは教育の理想として、ヒキアイに出される北欧のパラダイスは、ほとんど信用していません。

 わたしの考える国力は、その国民の平均的知力x人口であるし、真の国力が大きい国と、四国程度の人口しかない国を比較した、政治、経済、教育モデルなど、無意味に近いと思うからです。

 国力が大きければ、国の質量も大きくなり、システムも小国とは異なり、さらに改革したり、動かしたりするのも難しくなる。

 そのかわり、一度動けばなかなか止まらない。

 教育に関しても、単純に考えて、同学年の人口が5000人しかいない国と、50万人いる国とを同じように比較できないと思うのです。

 下世話な言い方をすれば、模試ひとつを考えてみても、フィンランドで一番成績の悪い生徒は5000番ですが、日本では50万番目(数字上でのことですが)となって、モチベーションや絶望感?がまるで違うのではないでしょうか。


 筆者は、少子化による人口変化を見かけ上の学力低下の原因にしておきながら、ゆとり度を比較する時は、人口の非常に少ないフィンランドと日本を単純比較しています。

 こういった、ダブル・スタンダードに近い評価には納得できません。

 だから、決して「これが正しい」と断言せずに、「こういった見方もあるということを示唆した点は評価できる」とオビに書いた斉藤氏はさすがです。アタマがいい

 直感的に斉藤氏は、筆者の考えにアナがあることを感じているのでしょう。


 まあ、理系畑一本で来た研究者が、昨今の学生の学力低下に愕然として、理系目線で原因を探ろうとした試みは評価できると思います。

 彼の考えは、あながち間違っていませんし……

 少子化を知りながら、それに対応できずに大学全入時代を招いた文部科学省の無策は非難されなければならないでしょうし、このまま行くなら、もっと大学生のレベルの底上げを考えなければならないとおもいます。

 難しいでしょうが。

  


 私のおすすめ:
学力低下は錯覚である [本]

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