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2008年12月

2008年12月31日 (水)

 2008年の終わりに当たって ちょっとマジメな経済のハナシ

 我々は、どこからきて、どこへ行くのか……

 などと、このところ、ちょっと気分が重くなっています。

 あー手帳に、今日あった楽しいことを書き連ねねて気分転換せねば。

 それはさておき、なぜ暗くなるかというと、日本の経済のこと、なかんずく「この国のありかた」に疑問が生じているからです。

 政治や経済については、不特定多数の人の目にとまるブログではなく、メールマガジンで書くようにしているのですが、今日は大晦日だから、まあ、こっちに書いてしまいましょう。

 今、わたしが一番気になっているのは、メールマガジンでも書いているように、人をモノ化して斬り捨てる企業の姿勢です。

 そりゃあ、営利団体である企業が金儲けを考えるのは仕方がない。

 わたしだって、小なりと雖(いへど)も自営をしている身ですからわかります。

 ただ、最近の大手企業のやり方は、目先だけを見て結果的に大損をすることになる悪い方向へ向かっているような気がしてなりません。

 先日観た討論番組で、興味深いことをいっていました。

 今日は、上に書いたことに絡めて、それをまとめてみます。


 えーと、何から書きましょうか。

 まず、マスコミの問題です。

 近頃の新聞などは、一面トップで「来年3月期1500億円の赤字」などと報じていますが、その実際の内容を大きく伝えてはいません。

 この赤字というのは、今年一年の収支、単年度の「見込み」なのです。
 とにかく、今年は赤字になりそうだぜ、ということです。

 おわかりとは思いますが、日本の大手企業は、昨日や今日できたものではありません。 比較的長い歴史を持っています。

 個人の家庭でも、何年か生活をしていれば、その財政は、だいたい二タイプに別れるでしょう。

 「貯金アリ」と「借金アリ」に。

 日本の企業は、ここ数年「超優良企業」でした。
 つまり、個人家庭でいえば、貯金がたっぷりある

 企業の貯金は、内部留保と呼ばれています。



 内部留保[ないぶりゅうほ] ... 内部留保とは、今期の税引利益から、税金、配当金、役員賞与など社外に払い出される分を差し引いた、残りの部分のこと。(野村證券HPより)



 この内部留保の蓄積が企業の資産です。

 たとえば、キャノン、2001年は9000億円でしたが、2008年9月で2兆8000億円
 たとえば、トヨタ、2001年6兆7000億円でしたが、2008年9月で12兆3000億円

 ともに、この数年で倍になっている。

 企業の本当の体力を見るためには、「貸借対照表」を見ます。
 これで、その企業が「どれぐらい儲かっているか」分かるわけです。
 これは一年分だけを見るのではありません。

 しかし、冒頭に書いた、新聞が騒ぎ立てる「来年3月期1500億円の赤字」というのは、今年分が赤字になるかどうかを示す「一年間の損益計算書」を見ているだけなのです。

 ありていにいえば、日本の企業は大金持ちです。

 少々、不況が続いても、ビクともしない

 世界有数の優良状態を保っています。

 なのに、この数年の不況にビビって、無意味な(後に述べます)クビ斬りを行った。



 バブルの時は、単年度(一年間)赤字であっても社員を馘首(クビ)にしませんでした。

 二年間赤字が続けば、初めて社員を斬った。

 いまは、「単年度で、どうやら赤字になりそうだ」ということでクビを斬る。

 その原因は簡単です。

 労働力たる社員の扱いが変わってしまったからです。

 かつて、社員の給料は人件費で計上されていました。

 いま、派遣社員の給料は、経費で記載されます。


 個人業主(特に零細で税理士なんて雇わない)にとって、頭が痛いのは税金の申告です。
 わたしも三月が近づくと、領収書などを整理して、自作のエクセル・マクロを使い、なんとか税務署に駆け込みます。

 もちろん、スタッフに支払うお金は「人件費」で計上しています。
 コピー用紙やプリンタのインクなどは「経費」です。

 小泉・竹中路線の過程で派遣法が大きく変わってしまい、精妙な技術を要する製造業ですら派遣社員を使えるようになり、彼らの扱いは「経費」になってしまった。(これに関しては、法改正に同意した民主党も同罪です)

 上でも書いたように、経費ってトナーやコピー用紙と同じなんですよ。
 消耗品です。
 使い捨て。
 つまり、人間をヒトあつかいしていない

 これは、実業(自動車製造)をやめ、虚業に転じたあげく毒混じりの紙切れを売りまくって大失敗したアメリカをお手本にしているからです。

 どうして、竹中氏は失敗者の真似を懸命にしようとしたのだろうなぁ。
 留学してよっぽど強い影響を受けたのだろうなぁ。

 確固たる自我のない人間が、若いうちに強いエネルギーを受けると、それの正誤もわからないうちに体の深いところに定着させてしまうことがある。

 彼もそういったおかしな洗礼を受けてしまったのだろうか。アメリカの愚かな拝金主義に。

 まあ、そうでないと、自分の妻を社長にして、国の事業で大もうけはできないかな。

 それはさておき……

 日本の大企業について、もう一度書いておきます。

 昨年度、トヨタは26兆円の売り上げがあり、2700億円の儲けがあって、13兆円近い貯金を持っています。

 派遣社員の年収を300万(月収25万)とすれば、3000人斬っても90億円。

 これを単純化して一商店に見立てると、

 26万円の売り上げがあり
 12万円の貯金がある商店が

 1500円の赤字が出そうになって、90円の出費を斬った

ということです。

 大企業にとって、90億円というのは、為替のレートが十数銭上下しただけで変わる金額に過ぎないのです。

 しかし、3000人の派遣社員には生活がかかっている。

 なぜ、こんなことをするかというと、経営者は、消費者も社員も見ずに株主の顔色を見ているからです。

 株主に増配(配当金を増やす)さえできれば、自分の義務は果たしていると考えている。

 あたかも、アメリカビッグ3の経営者が、国に金を出してもらう相談の時に、自家用ジェットで平然とやって来たのと同じ考えです。
 
 彼らには、株主に損はさせてこなかった、という自負があるから、あれほど厚顔な行為ができるのです。

 上で書きました、超優良企業であるキャノンやトヨタが、真っ先に派遣社員をクビにしたら、他の企業すべてが右にならえをします。

 その点でも、彼らの罪は重い

 トヨタやキャノンの社長に、課長島耕作(だったと思うが)で、彼の上司である中沢部長が代表取締役になった時に口にした、「昨日までの自分とはまるで違う、ひとつ上のステージに立って、会社だけでなく、日本という国のことを考えるようになった」という気持ちが少しでもあるのだろうか。

 所詮は、自ら起業せず社員として入社し、同期のつばぜりあいを制したあげく社長になっただけの会社員トップなのだろうか。


 ある人が、クビになった派遣社員をやとって年金の突き合わせをさせれば良い、と言っていましたが慧眼です。

 選挙の票あつめに、無意味なバラマキをするよりは遥かに良い。

 あるいは、トヨタは派遣社員をクビにせずに、揃いのジャンバーを着せて、ボランティアをしてもらう、とかね。

 国内の企業イメージを上げることが、内需の拡大に繋がるということを、彼らは考えていない。

 商売とは金を相手にするのではなく、人を相手にするものだ、という意識がない。

 おそらく、台頭する中国の席捲(せっけん)を恐れるあまり、正常な判断ができなくなっているのだろうな。

 もちろん、中国の隣国である我々は複雑な立場にある。

 歴史的経緯から日本が好かれてはいないことを差し引いても、中国が、強大なライバルと魅力的な市場の両方を兼ね備えているのは事実だからだ。

 だから「世界的な競争に負けてはならない」「国際競争力をつける」を錦の御旗に、派遣法の不整備をついて、このような非道な行いをしてしまう。

 企業は法人、法的に人の扱いをうけるもの。

 ヒトであるならば、見識と良心を持たないと、いつかは破綻すると思うのだが、彼らはそう思わないのだろうなぁ。

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2008年12月30日 (火)

使ってみたい chumby

 みなさんは、Chumbyって知ってますか?

 チャンビーと読みます。




アドテックの通販などで購入できます。

「新しい情報端末」「オープンソース・ハードウェア」などと書かれていますが、要は、無線LANを通じてインターネットに繋がり、単体でyoutubeやニコニコ動画を表示したり、個人が作ったウィジットなどを表示する小型ネット端末です。

 操作自体は、画面のタッチパネルを使って行います。

 インターネット端末としては、ネット上のニュースや写真、音楽、天気、スポーツなど、30カテゴリ600以上のコンテンツが表示できます。
 それら表示データは、自動更新されるため、環境デバイスとしてそういった情報を眺めるのもよし、タッチパネルやモーションセンサーを使ってウィジェットを動かすこともできる。

 さらに、ちょっと変わった目覚まし時計や音楽プレイヤーとしても使えます。

 詳しくは、chumby日本語版公式サイトにて。

 ぜひ、公式サイトにある、膨大な数のChumby用ウィジットを見てください。
 実際にお使いのパソコンで動かしてみることもできます。

 わたしは時計のウィジットDial Clockや、Time Stacks Clock、あるいは、オーソドックスなNHKクロックがいいな。

 ゲームも結構あって、Missile 3Dなんて、実際やってみると面白い。

 タッチパネルと加速度センサーがついているから、Wiiリモコンみたいに振って操作ができるウィジットもあるようだ。

 Flashで作るようだから、加速度センサーを使ったりしない時計なんかだと、簡単に作ることができるような気がする。

 Chumbyを持っていない人も、ウィジット開発ができるように、バーチャルChumbyも用意されているみたいだから、なにか作ってもいいな。

 上の、時計一つとっても、この多機能ぶりなら、29,400円(送料無料)という値段も納得できるかも。

 結構人気があるのか、現在は、どこでも品切れ中ですが。

 チャンビー初起動の動画が以下でご覧になれます。


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2008年12月29日 (月)

読むより書くべし

 曲がりなりにも自分で小説を書くようになると、他人の書いたストーリーが違って見えてきます。

 小説技法については、いずれ新しく場所を作って書いていこうと考えていますので、ここでは一つだけ書きましょう。


 自己満足だけでなく、人に読ませるつもりで書く小説に、もっとも必要なものは何か皆さんご存じですか?


 キレイゴトを言えば、それは人それぞれで、ひとつに決められるものではないから、そんなものは存在しないはずです。



 しかし、読書の専門家に読んでもらう、つまり新人賞などの文学賞を狙うなら、絶対に必要なもの、そしてやってはいけないことが確かにあるのです。


 必要なものは「オリジナリティ」です、

 そして、やってはいけないのは、ひとのプロットの模倣です。二番煎じといってもいい。

 一次選考員に「これはどこかで読んだことがある」と思われたら、あっさりと一次落ちになります。

 向こうは、とにかく「落とす理由」を捜しているのですから。


 だから、名のない作者はとにかく大量に本を読まねばなりません。

 ああ、もちろん、これは一般論で、若い作者が感性で書いた本が(多くは出版社の話題作りという思惑によって)芥川賞をとることはある。(絶対に直木賞は取れませんが)

 いったんそういったルートに乗った作者は、次回作から編集者がサポートして二番煎じを避けることができるので、あまり問題はないのです。

 問題は、フロックで新人賞をとった場合です。これはつらい。

 小さな賞では、編集者のサポートなどはロクに受けられないから、受賞作以降、書くもの書くものが全て二番煎じになる可能性がある。

 もちろん、編集者は、そんなハナシを雑誌には掲載しない。

 さらに、そういった新人は、大量に書く素地ができていないために、ほぼ数年後には消えていきます。
 毎年、数多く排出される新人賞受賞者のほとんどが消えていくのはこのためです。


 話が横にそれましたが、とにかく小説を書こうと志す者は大量に小説を読み続けなければならないのです。

 オリジナリティを出すために。


 少しでも多く読んで、それらと違う話をつくらなければならない。

 昔、どこかで影響を受けた、そのままをストーリーにして書いても絶対に認められません。

 しかし、こういった行為は、実のところ、自分で自分の首を絞める行為でもあります。

 「日の下(もと)に新しきものなし」

 完全オリジナルなものなど、西暦も2000年になった昨今ではほとんど無いからです。


 だから、読めば読むほど書けなくなる。

 そうなると、なにも知らずに、1から10まで影響を受けたコミックや小説を指摘できるようなハナシを書いている高校生たちが、本当に羨ましくなります。


 しかし、それを知った上で、新しいハナシを書けるようにならなければ、いつまでも殻を破ることはできません。


 その意味で、映画「私家版」はイタイ話です。まあ、これについては、また別に書きます。


 それでも、大量に読み、自分で書くと良いことがあります。


 楽器を弾く人は、同じ音楽を聴いても弾けない人と違う反応を示します。

 それは、その人が、その音の出し方の難しさ、楽しさ、肉体的感覚を持っているからです。

 小説もしかり。

 冒頭に書いたように、一度でもオリジナル・ストーリーを書くと、他人の作品を違う角度で読めるようになるのです。

 同時に、今、読んでいる作品が、あえて難しいストーリー展開をとらず、自分自身、何度か陥りそうになった安易な方向に進んでしまうと大変がっかりしてしまいます。

 これは、おそらくマンガを描く人が、他人のコミックを読んで感じることと同じなのでしょう。

 だからこそ、小説の好きな人にわたしは、自分で書いてみることをすすめるようにしています。

 本を100冊読むより、原稿用紙20枚の作品をひとつ書く方が世界が開けてみえるものだから。

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2008年12月28日 (日)

うーん便利だけどジャマかも でも結構良いよ ホットフレックス

 みなさんは、「ホットフレックス」をご存じですか?

 名前からはどんなことが想像できます?

 ホットなフレックス?

 要は、巨大は耐熱フレキシブルパイプです。

 これの片方を、ファンヒーターの温風吹き出し口の前に置いて、もう片方をヤグラコタツに突っ込んでおくと、もうコタツのスイッチをいれる必要がなくなるんですね。


 つまりこんなものなんです。(なんとなく写真が古くさい?)



くわしいことは、ホットフレックスに紹介されています。

 つまり省エネ暖房具。エコなんですよ。1ヵ月で3500円も節約、とあります。

 うちは、知人が二本送ってくれたので、一本をテーブルコタツに、もう一本を長くのばして(最大2.7メートル)隣の仕事部屋に温風を送っています。

 これだけで、猫の部屋(テーブルコタツの中)と二部屋が同時に暖まるという、簡易せんとらるひーちんぐ(というか、なんちゃってセントラルヒーティングというか)とも呼ぶべき優れものなんです。

 実際、使ってみると、本当にコレは便利です。
 かなりエコっぽさを感じますし。

 ただ、二つだけ欠点があります。

 一つは、かさばることです。踏まないように歩くのが難しい。踏むと柔らかいからペチャンコになってしまうのですね。

 二つめは、これはウチだけの問題なのかもしれませんが、温風吹き出し口に巨大なパイプを二本置いていると、本来暖まるべきファンヒーターの部屋があまり暖まらないという本末転倒が起きてしまうのですね。

 まあ、これは欲張るわたしが悪いのですが。

 しかし、全体としては、このホットフレックス、ナカナカ使えますよ。

 オススメします。なんでも、うちの近所じゃ売ってませんが、ホームセンターで売られているそうですから、見かけたら買っても良いのではないか、と思います。

 細かいコスト計算(年にどれぐらい光熱費が浮いて、ホットフレックスがどうやって減価償却されるか)が、、ホットフレックスで、紹介されているので、一度ご覧になってください。

 うーん。本当に結構暖かい。ジャマだけど。

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日陰の虹 (推理時代小説)

「日陰の虹」(縦書きPDFファイル)

 これは時代もので、今まで公開した中で一番新しい、今年の作品です。

 ある事件がもとで自閉症を発症し、普段は座敷牢まがいの離れに隔離される身ながら、サヴァン症候群(「レインマン」で、ダスティン・ホフマン演じるレイモンドのような特殊能力)なみの記憶力と論理力で事件を解決する元同心のはなしです。

 いわば、ガラスのアゴをもつ探偵ですね。

 個人的には、主人公もヒロインも好きなキャラクターです。

 「燃ゆる城」を気に入っていただいた方なら、楽しんでいただけると思います。

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2008年12月27日 (土)

最初の100日が来る

 1933年、フランクリン・ルーズベルトが就任し、3月9日から6月16日までの100日の間に、矢継ぎ早に15本の法律が制定された。

 世に言うニューディール政策の始まりだ。

 大恐慌でアメリカの経済が底を打った時、「怒濤のごとき立法の連続が行政府主導の下に行われた」のだ。

 歴史上、鮮やかな印象を残す行為は、しばしば規範となり、その後の行為の試金石となる

 以後、すべての大統領は、「最初の100日間」の業績を評価されるようになった。

 それは、新大統領にとって重圧となる。

 だから、ケネディは就任演説で「すべてを最初の100日では成し遂げられない」と宣言した。

 ご存じのように、次期大統領のオバマ氏は、すでに最初の100日に向けて着々と準備を進めている。

 それは、「最初の100日」どころか、かつてルーズベルトが行った「怒濤の立法」同様、「就任前の100日」として以後の規範となりかねない勢いの行動だ。


 わたしは、個人的に、米国はそれほど好きではないし、拝金主義の塊であるウォール街の住人も、パワー・ゲームに奔走する政治家も好きではない。

 だから、それをもって、オバマ最高!、ビバ・アメリカ!(って古いよこの言い回し)、などとも思わない。

 彼は、自動車のように形あるものを生み出さず、債権という紙切れを組み合わせて世界中に売り込み、あげく破綻(はたん)を来した亡者たちにすがって経済を回してきた大国のツケを、あわてふためいて支払おうとしているのにすぎないからだ。

 言うまでもなく、日本もだめだ。

 長きにわたって内需の拡大が叫ばれ続けながら、目先の利益、おもに中国や韓国、インドとの競争に負けないため、国際競争力をつけるために(今もそういって、派遣社員のクビを切りまくっていますね)海外への販売に力を注ぎ続けたあげく、世界恐慌のあおりをくって縮小路線へ方向転換、なんて、間違った経営戦略の責任は誰が取るのだろう。

 トヨタの、ソニーの、キャノンの経営総括は行われるのだろうか?

 社員に金を払わなくて、いったいどうして内需が生まれるのだ?

 平然と錯誤(さくご)した意見をノタマウ乗っ取り屋たちもいるが、本来、会社は株主のためのみに存在するのではない

 言い古されているが、資源のない日本にあって、ヒトこそが資源であるという単純な事実に目をつぶり、安価でカンタンに調整可能な使い捨て労働力を多用するのをやめねばならない。

 会社は、社員のためにも存在するのだ。

 ヒトは勝手に生まれて勝手に育つのではない

 親に生んでもらい、親もしくはそれをとりまく社会に育てられて大きくなるのだ。

 会社もしかり。

 日本で生まれ、日本で大きくなったのなら日本に恩返しをしなければならない。

 依って来るところがアイデンティティの根幹なのだ。

 ヒトはもちろん、企業も、それを無視し、国を見捨てて手前勝手に突き進めば、やがては内部のウロが大きくなって自己崩壊することになるだろう。

 安易に海外に拠点を移すなどもってのほか、あまつさえ「そんなにウルサイことを言うなら、拠点を海外に移すぞ」と恫喝(どうかつ)まがいの言動を政府に向かってするなど言語道断(かつてそんなことをした愚物がいました)だ。

 将来的には、地球規模の連帯が行われ、星をひとつの単位として考えられるようになるだろう。

 だが、まだその時期ではない。

 「故郷は地球」と高らかに宣言するのは、地球外生物の存在が確認されるか、さらに宇宙開発が進んで、地球以外の生存場所ができた後のことだ。

 残念ながら、未だわれわれは国単位の規模でしか利益を考えることはできていない。

 とりあえずできるのは、まず自国を守ることだ。

 だからこそ、この、米拝金主義の亡者ドモが生み出したツマラヌ不況を乗り切った時に、日本の産業を底支えする中小企業が壊滅していた、という愚はなんとしても避けねばならない。

 是が非でも、あと少しの間、日本は中小企業をまもらねばならないのだ。

 たとえ金をバラまいても。

 オバマではないが、危急の際、政治ができることはたくさんある。

 だが、あと5日後、1月1日に「最初の100日」を迎える麻生総理大臣は、この期間に何をしてきたのだろう。失言以外に。

 日本には「最初の100日」はないが「明智の三日天下」がある。

 本来、彼は選挙管理内閣として、「三日天下」で終わるはず、終わるべき人物だったのだ。

 それとも、明智より世界的知名度の高い、ナポレオン・ボナパルトにあやかって、「ナポレオンの100日天下」で去っていくつもりだろうか?

 今のままでは、死んだ後もその事実を隠して権力に居座り続けた徳川家康(「影武者徳川家康」より)のように、晩節を汚しかねない


 あ、政治は、メールマガジンで書くつもりなのに、つい、勢いで書いてしまいました。

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2008年12月26日 (金)

学力低下は錯覚である 〜客観的にみる努力〜

 このコーナーでは、よくこういった、ちょいキワモノっぽい本を紹介しますが、多分、それは、わたしが愛用する大学図書館の嗜好のためでしょう。

 新刊コーナーに、このテのものがよく並んでいるのです。

 で、今回も読んでみました。

「学力低下は錯覚である」

 ナカナカ刺激的なタイトルです↓。




 著者は、神永正博氏。

えーと経歴は、と、


東北学院大学工学部電気情報工学科准教授

東京理科大学→京都大学大学院修士→博士課程(数学専攻)→東京電機大学助手→日立製作所中央研究所

勤めながら大阪大学で学位取得。なかなかにガンバリヤさんですね。

2004年より東北学院大学で数学・情報を教え始め、「日本の教育問題」に直面。

本書は、”経験”や”感覚”ではなく、客観的事実を「数学的」に分析する中で、「多くの人がいつのまにか根拠もなく信じていること」に対して見直すきっかけを提示している。



 以上、カバーに書かれたコピーより引用です。

 帯には、あの明治大学教授、「声に出して読みたい〜」の著者、斉藤孝氏の「推薦の言葉」がありました。
「イメージで語られやすい学力低下問題を、客観的データに基づいて、冷静に議論しようという科学的態度が素晴らしい。学力低下の実感が、そのまま学力低下の現実を意味しないことを、少子化などの論点を整理して明らかにしている。イメージや実感だけで学力問題を語ることの不毛さを認識させてくれる本だ」

 あー疲れた。引用は疲れますね。


 で、内容はどうかといいますと、彼(作者)自身も、実際、学生たちを相手にしていて、彼らの程度の低さに辟易していたんですね。

 「簡単なテストをしても、ノートをきちんと取っている生徒ですら白紙答案を出してくる」というのを読んで、冗談でしょう、と思うほど、状況は逼迫(ひっぱく)しているようです。

 彼だけでなく、彼のまわりの教授たちも同様に感じている。

 そして、学生自身も自分たちのことを「ゆとられ世代」と、社会のせいにして自虐的になっているというオソマツさ。

 日本の未来は暗いのか?

 そこで、彼は、「本当に」「客観的」に最近の学生たちの学力が落ちているのか、を調べようと考えたのです。

 そこで得た結論は……

 学生たちの学力は、確かに低下している。だが、あながち、ゆとり教育のせいだとはいえない。

 そこで見落とされているのは、少子化による、大学全入時代の弊害なのだ。

 つまり、筆者のいっているのは、確かに学力は低下しているようにみえる。だが、優秀な学生は常に優秀なのだ、ということなのです。全体として低下して見えているだけだ、と。

 このことを簡単なモデルにして筆者は説明しています。

 うまく要約できるか、ちょっとやってみましょう。


 日本にA,B,Cの3つの大学しかないとします。

 大学の定員は、
   A大学:3人(高レベル)
   B大学:3人(中レベル)
   C大学:4人
 総学生数は15人。

 全員が受験すると、順位1〜3番がA大学、4〜6番がB大学、7〜10番がC大学に入ることになります。

 パーセントで考えると、

   A大学:20%
   B大学:20〜40%
   C大学:40〜67%

 それ以下の33%は不合格


 少子化が進んで、総学生数が10人になったとします。
 定員が変わらない(なかなかすぐには減らせない)とすると、全入時代に突入です。不合格者ゼロ。

 このとき、
   A大学:30%    (3人)
   B大学:30〜60% (3人)
   C大学:60〜100%(4人)
 が、入学する


 B大学、C大学では、これまで獲得できていた成績上位者が上のレベルの大学に行ってしまうだけでなく、下位の学生が入学してくることになり、大学のレベルは低下する。


 言い換えれば、
「これまでと学力が変わらなかったとしても、大学の定員数を減らさない限り、大学志願者数が減るにしたがって、学生の質は下がる」
ということなのですね。

 もっと、直裁にいえば、
学力が低下して見えるのは、少子化に連動して大学の定員が減っていないからだ
ということだそうです。

 さらに、大学によって、あるいは同一大学でさえも、デキる生徒まったく分かっていない生徒二極化が進んでいる、それが問題だそうです。


 さて、みなさんはどう思いますか?

 確かに、数字のロジックとしては正しいと思います。

 でも、本当なのかなぁ。正しい一面はあると思うけど、全面的には信じられない。

 
 ということは、筆者の考えでは、東大(って、こんなふうにヒキアイに出すのは嫌いですが)の学生のレベルは、変わっていないということですね。

 だって、日本で一番(個人的には全く信じていませんが)アタマの良い学生が集まっているわけですから下がスカスカになっても東大は高密度にリコウな学生で溢れている……?


 実は、これについて、わたしは考えをもっています。

 そもそも、東大に行くような生徒は、ユトリ教育のカリキュラムに従ったヌルい教育システムに入っていないと思うのです。

「文部省の指導なぞどこ吹く風」の東大一直線の私学や、これまでの教育で完全武装した塾講師によって教えられる予備校は、ゆとり以上の教育をしているのではないでしょうか。

 そういった場所で、もまれた学生の多くが東大の門をくぐる。

 そもそも、ユトリを無視した学生たちで溢れているのが東大や有名大学なのではないでしょうか?


 もうひとつ、筆者は、「ゆとり教育」に対して寛容な態度をとる根拠として、ある意味究極のゆとり教育の具現化である「フィンランドの教育法」をヒキアイに出しているですが、それが納得いきません。

 フィンランドと日本の数値(PISAあるいはIEA)を単純比較して、ゆとり中心のフィンランドと日本は変わらない。だから、ゆとりが悪いわけではない、というのが筆者の主張のようです。

 しかし、わたしは、政治でも、経済でも、教育でも、その国の総人口を無視して語ってはいけないと考えています。

 だから、よく選挙のお手本として、あるいは教育の理想として、ヒキアイに出される北欧のパラダイスは、ほとんど信用していません。

 わたしの考える国力は、その国民の平均的知力x人口であるし、真の国力が大きい国と、四国程度の人口しかない国を比較した、政治、経済、教育モデルなど、無意味に近いと思うからです。

 国力が大きければ、国の質量も大きくなり、システムも小国とは異なり、さらに改革したり、動かしたりするのも難しくなる。

 そのかわり、一度動けばなかなか止まらない。

 教育に関しても、単純に考えて、同学年の人口が5000人しかいない国と、50万人いる国とを同じように比較できないと思うのです。

 下世話な言い方をすれば、模試ひとつを考えてみても、フィンランドで一番成績の悪い生徒は5000番ですが、日本では50万番目(数字上でのことですが)となって、モチベーションや絶望感?がまるで違うのではないでしょうか。


 筆者は、少子化による人口変化を見かけ上の学力低下の原因にしておきながら、ゆとり度を比較する時は、人口の非常に少ないフィンランドと日本を単純比較しています。

 こういった、ダブル・スタンダードに近い評価には納得できません。

 だから、決して「これが正しい」と断言せずに、「こういった見方もあるということを示唆した点は評価できる」とオビに書いた斉藤氏はさすがです。アタマがいい

 直感的に斉藤氏は、筆者の考えにアナがあることを感じているのでしょう。


 まあ、理系畑一本で来た研究者が、昨今の学生の学力低下に愕然として、理系目線で原因を探ろうとした試みは評価できると思います。

 彼の考えは、あながち間違っていませんし……

 少子化を知りながら、それに対応できずに大学全入時代を招いた文部科学省の無策は非難されなければならないでしょうし、このまま行くなら、もっと大学生のレベルの底上げを考えなければならないとおもいます。

 難しいでしょうが。

  


 私のおすすめ:
学力低下は錯覚である [本]

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2008年12月25日 (木)

ライフラインを隠すな! でもこの芸術性はイイ!

 おもしろいサイトをみつけました。

 ここです。

 別にあやしいトコロではありません。

 日本地図に配置された、全国の「マンホールの蓋」を見ることができるサイトです。

 ご存じのように、マンホールの蓋のデザインは、その土地によって違っています。




 しかし、皆さん、マンホールって一種類じゃないのをご存じですか?

 いわれて見ればすぐ思い当たるのですが、工事中の看板を立てて作業しているのは、下水工事あり、ガス工事あり、上水道、NTTや電力工事まであります。

 上下水やガスまでは、地下を通すのはわかりますが、最近は電線なども地下を通すようになっているのですね。

 かつて、電信柱を使って、簡単に設置できた電線や電話線は地下に収納され、災害に弱くなった。

 というか、災害時の復旧に時間がかかるようになった。

 目視で切れているのがわかる地上の電線と違い、地下はよくわからないし修理もしにくいからだ。

 地震のあまりないオーベイなら良いのですが、日本では、そういった、ライフラインは外に出しておいたほうがいいんじゃないかな。

 わたしは、地上を走る電線が嫌いではありません。

 ほら、宮沢賢治の、どっどどどっど、どっどどどっど、でしたっけ?
 なんか、電信柱が行進してくるハナシ。あったでしょう?
 あれを思い出すんですね。特に、木の電柱を見ると。


 景観がどうとかいう人もいますが、そんな人は、きっと、洗濯物を目に見えるところで干してはいけない、カリフォルニアやヨーロッパのレジデンスに住みたい人なんでしょうね。


 アジアの多くの地域では、その熱帯、亜熱帯地域という気候風土も関連して、家の外に堂々と洗濯を干します。

 かつての香港でも、竿を建物から突き出すようにして洗濯を干していたものです。

 ヨーロッパでも、イタリアに行くと、昔、日本でもよく見たような、物干し竿というか物干しロープにしっかり洗濯物を干して、下にポタポタと水滴を落としている風景を目にします。

 そういった地域では、やはり電線は外を走ることが多い。

 あれ、マンホールの話でしたね。

 最近はともかく、かつてはマンホールといえば下水の蓋でした。

 国内の総数は2500万個といわれているそうですが、このうち下水は1200万個。

 やはりまだ比率としては高いのですね。

 下水の普及率が低かった(33パーセント)1983年に、下水事業への理解を深めてもらおうと、建設省(当時:なんだかなつかしい!今は国土なんとかですか。わたしは今でも大蔵省といってしまう方です)マンホールの蓋のデザイン化をメーカーに申請したのだそうです。

 1986年には「下水道マンホール蓋20選」も選ばれ、以後、各市町村がこぞってご当地デザインを作って、現在にいたっています。

 マンホールの一般的なスペックは、材料:鋳鉄、直径60センチ、重さ45キロ、価格6万円。

 高いとみるべきなのか、安いと感心すべきなのか。

 とにかく、上記の投稿サイト(イッテミア前線)では全国の投稿されたマンホールの写真を見ることができます。

 2008年8月に登場したこのサイトの特徴は、携帯電話のGPS機能を使って投稿された写真を同時に地図上にマッピングして掲載してくれることです。

 つまり、携帯電話で写真に撮ってアップするだけで、マップに連動したデータベースが充実していくのです。

 マンホール以外にも、さまざまなテーマが設けられ、日夜データベースは増え続けています。

 ソフトを開発したのは、日立製作所ソフトウェア事業部で、彼らは「今回、こういったソフトを使うことで、インターネットには、人の隠れた趣味を強烈に集中させる力があることがわかった」と述べています。

 社会の闇に沈んだ、いやいや、社会の隙間に隠れていた、自身マイナーな趣味だと思っていた人々が、こういったの元に集まって、一派をなすという現象は、小規模ながらSNSや掲示板を中心に既に始まっていたことです。

 それが、こういったサイトに集まりだしたのでしょう。

 今回のご紹介したマンホールの蓋なんていうのは、まさしく、そういったテーマにするのにぴったりの対象ですからね。

 日本人は、江戸時代から、こういった、型にはまって本来面白みのないモノ個性を付加する意匠を生み出すのが得意な国民のような気がします(手ぬぐいや暖簾の意匠ですね)。

 みなさんも、サイトをご覧になって、まだ自分の街のマンホールが登録されていなければ、ぜひ、登録してみてください。

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2008年12月24日 (水)

ネット上のプロパガンダ

 ご自分でブログを書いておられる方はご存じでしょうが、少し前から、Yahooブログの上の方↑に、広告が出るようになっています。

 申し込まないと表示されないのですが、わたしが、なぜ、これに申し込んだかといいますと、ガッポガッポ儲けるため……ではなく、この広告が、Yahooの新しい試みである「興味関心連動型広告」だからです。

 ブログの内容に応じて、ぴったりの広告が表示される!


 その前に……

 Yahooやグーグルなどの検索エンジンを提供する会社は、入力されたキーワードに対して表示する「検索結果」と同時に表示する「検索連動型広告」による収入で莫大な利益を上げています。





 世界的にはグーグル人気が高いようですが、日本の場合は、先鞭(せんべん)をつけたYahooに一日の長があり、Yahoo51.2パーセントに対して、グーグル39.0パーセントです。


 先日のマイクロソフトとの提携騒動でも明らかになったように、他のYahoo海外現地法人が、米Yahooの完全子会社であるのに対して、Yahooジャパンの筆頭株主はソフトバンクで独立性が高いため、かなり日本向けの特殊なサービスを盛り込むことができるのも、世界に逆行してグーグルを抑えて首位を守っている理由の一つのようです。


 おもしろいのは、こういった会社のキモともいうべき検索データベース構築方法が、Yahooとグーグルでは微妙に違うことです。

 グーグルの検索は完全自動化されていて、独自開発のプログラム、かつて検索ロボットと呼ばれたこともあったソフトが、常時、世界中のウェブサイトを駆け回って、データベースを構築しています。

 実際、個人でウェブサイトを立ち上げてみると、すぐに検索結果に反映されるのはグーグルの方です。


 それに対して、Yahooは多少、人の手を介します。
 サーファーと呼ばれる編集担当者を置いて、人の判断による情報収集を一部取り入れているわけです。

 「今、流行(ハヤリ)」の「ぬくもりのある情報」ってヤツです。

 これがグーグルにかかると、自分たちの情報こそ「人為的な介入がなく、正確で客観的」ということになるんですね。

 どっちもどっち、見方次第です。


 ただ、客観的なソフトによる情報収集を謳うグーグルが、そのソフトの詳細を明らかにしていないのは公平でない。

 プログラム上で、どのような「不正」が行われているかわからない。


 ならば、始めから人の手が入り、「先入観があるカモ」と、疑いの目で我々がチェックできるYahooの方が好ましいように思います。

「客観的な判断」ができる「公正なソフト」を隠れ蓑に、情報操作が行われ、やみくもに惹句(じゃっく)を信じて踊らされては、納得がいきませんからね。




 さて、そこで、上で書きましたブログの内容に連動して広告の変わる新システムです。

 皆さん、今、その広告を見てください↑。

 この話の内容にあった広告が載っていますか?

 「アバターが可愛いくなる」だとか、最近では「パルコのオンラインモール」あたりが表示されていませんか?

 つまり、まだまだ発展途上。カイモク、ブログの内容にマッチした広告は表示されていません。

 だからもちろん、皆さんのクリックなんて、まだ一回も無い。

 しばらくはこの広告を表示しておいて、どのくらいデータやノウハウが蓄積されたら、「的確」とはいはないまでも、ピンボケでない広告がでるのか見てみたいと思っています。

 みなさんも、このブログを読んだら、↑上の広告内容がマッチしているか、確認してみてください。

 ピンボケながらも、ちょっとカスったマッチングもあります。

 たとえば、わたしがこのあいだ書いたはらぺこ長寿を見てください。上の広告、笑っちゃうでしょう?


 まあ、あと数ヶ月もすれば、結構うまく働くのではないかと思っているのですが。


 それが確認できたら広告を消してもいいな。


 なぜなら、わたし個人としては、こういった「関心連動」だの、入力されたキーワードに反応する「検索連動型広告」というものには否定的だからです。

 そりゃあ、何でも便利な方がいいように思いますが、便利、楽だからと自動車ばっかり使っていると、体力が衰えますよね。

 わたしは、思考や感覚にもそういったことが起こるのではないかと思っています。

 だから、こういったブログで紹介される「固定化されたオススメ」は、まだしも、ソフトが勝手に判断して表示する「動的なオススメ」は良くないと思うのです。

 少なくとも責任の所在が明らかでないからです(法的な、じゃなくて道徳的な)。


 もちろん、キーワードで検索して表示される結果と、連動広告のどこに違いがあるのだ、といわれれば、沈黙するしかないのですが。

 確かに五十歩百歩です。

 でも、能動的にキーワードを入力して得た出力と、漠然と観に行ったサイトの「キカイ」によって、受動的に与えられる情報とは、少しだけ違いがあるような気が、わたしにはするのです。

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2008年12月23日 (火)

何でもかんでも透明PDF化 その結果は?

 年の瀬で、少しだけ整頓をしようと、仕事場を片付けていたら、昔のデータを納めたDVDが出てきました。

 その中に、かつて大量に行っていた新聞スクラップや、書庫の底が抜けそうになったため処分した本の透明テキストつきのPDFファイルがはいっていました。


 当時、相当な時間をかけてスキャンした記憶があります。

 使っていたのは、その頃、パーソナル版で一番高性能だったエプソンGT−9700だったと思いますが、それでも解像度300-400で本一冊を見開きでスキャニングするのは遅かった。

 今のスキャナのスペックをみてみると、L判カラー写真/300dpi(ってのが基準のようですね。)をスキャンするのに必要な時間が

        CanoScan 8800F 4秒
        GTX-970 7秒

となっています。



 えーと、L版の写真ってハガキよりちょっと小さいサイズですよね。

 A4でPDF化するのに必要な程度だったらどれぐらいの速度でできるのかな?

 こういったメーカーのスペック表って肝心なデータが載ってないなぁ。


 だいたい、L版の写真をフルカラースキャンって、誰がするのよ。

 どっちかというと、雑誌とか書類とかそういうのを取り込むんじゃないかなぁ。

 だいたいA4なら、その3倍程度でしょうから、スキャン時間は、12から21秒というところでしょうか。

 書類を取り込むだけなら、ドキュメントスキャナがあるけど、ドキュメントをスキャンするったって、みんなが、金持ちのジャーナリストみたいに、買った本をバラしてドキュメント・フィーダーでオートスキャン出来るわけないじゃないですか。





 手帳術で、スクラップを手帳に貼って管理、と書きましたが、それは、以前にこういった「電子化」をかなりやりこんだ挙げ句の結論です。

 実際、電子化して索引をつけるほどのことなどない。

 スクラップは貼ればよいし、本は付箋でもはって本棚に置いておけば、いつでも読める。

 要は、ざっとした索引を頭に置いておくだけでよいのです。


 前に、オランダの友人が泊まりに来た時、たまたま行っていたわたしの作業をみて「君はなんて大変な作業をしているのだ」と呆れていました。

 「合理的」な彼らにとっては、私の作業などまったくの無駄に見えたのでしょう。

 実際、今のわたしなら、やはりそう思います。


 ただ、書籍を電子化をせねばならない理由が、今も、ひとつだけあります。

 もう書庫があぶないのです。
 
 気になる本を片っ端から買っていると、目に見えて、書庫の重量が増えていくのがわかる。


 じつは、去年の夏、書庫の棚が崩壊しました。

 雷鳴のような轟音がとどろいて、あわてて見に行くと部屋中に本が散逸していたのです。

 もし、ネコが近くにいたら、と思うとぞっとしました。

 今は、2x4材で作った頑丈な枠組みに3センチ厚の板を渡して、まず壊れない棚を部屋中につくりましたが、そうすると今度は補強していない床があぶない。

 それで、ここ一年ほどは、本、特にハードカバーをなるべく買わないようにして、速読立ち読み(出版社と作者さんごめんなさい)と、図書館通いでなんとか重量を維持しているのです。

 メールマガジンの速読術でも書いていますが、早くさえ読めれば、電子データより本形式の資料の方が便利です。

 複雑に、正規検索するような情報は、専門のデータベースにまかせて、我々は、納めた本を取り出しては、パラパラとめくって頭の索引を補強することにつとめるべきなのでしょう。

 とはいえ、当時、作っていたスクラップ・データの中には、今読んでも魅力的なものがあります。

 たとえば、夕刊に週イチで連載されていた、オーシロカズミさんの「アジアな生活」。

 これは、彼女の豊富なアジア旅行体験が、やさしい人柄でノシをつけられ、可愛い絵と共に紹介されている(彼女はもともと漫画家です)素晴らしい連載でした。

 その内容は、別に紹介するつもりです。


 が、まあ、これも透明テキストにしてPDF化するほどじゃなかったかなぁ。

 A4の裏紙に貼り付けて、綴りヒモで綴じるだけでも実用には耐えていたでしょう。

 ただ、最近のスキャナは安くなりましたね。わたしもひとつ新しいのが欲しくなりました。

 PDF用ではなくブログの画像用に。


 私のおすすめ:
Canon(キヤノン) 【4800dpi】フラットベットスキャナー CanoScan ...

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手書きはないの? ミクシィ年賀状

 諸事情から、今年は出さないのですが、わたしは年賀状が好きです。

 子供の頃から好きでした。

 当時は、もちろん手書きで、イモ版や、版画、水彩ステンシル(ってほどいいものじゃないが)などを駆使して、いろんな年賀状を作ったものです。



 水墨画ふうなんてのもね。

 友人からもらう年賀状も楽しみだったなぁ。

 それぞれに個性があって。

 その後、年賀状制作は、もう生産中止が発表された(んだよね?)理想科学工業のリソグラフ、じゃなくてプリントゴッコに移行しました。

 あ、そのまえは、個人用の小さなガリ版刷りも買ったなぁ。ハガキサイズの小さい印刷機。

 むかしは、学校といえば、ガリ版刷りの先生オリジナル問題ばかりでした。

 あのインクが油臭くてね。

 自分のトシが怖くなるが、みなさんテッピツって知ってますか?

 ペン先のかわりに針がついたやつ。

 これで、原稿にガリガリと手書きで書き込んでいく。

 まちがった部分を埋める修正液なんかもありました。

 そして、先ほど書いた、簡易写植印刷機、プリントゴッコの登場です。

 これは、もう、浮世絵といって良いほど、すばらしい多色刷りが可能で、最終的には、テクニカラーまがいの三原色重ね刷りフルカラーまで実現してしまった究極版も発売されて、わたしも愛用しました。

 このへんは、皆さんも使われたんじゃないかな。

 何人かはご存じでしょうが、数年前から、わたしの年賀状は、文字ぎっしりの見づらいタイプになっていました。

 コンピュータで印刷した文字を版下に、プリントゴッコで印刷をするのですが、字が小さすぎて読めない。

 その頃から、わたしは文章が下手で、イイタイコトを一文で書けず、もってまわったイイマワシばかりしていたため(今と同じです。1タイトルが5000字を超えることがよくある)ですが、最近になって、インクジェット用ハガキが発売され、直接プリンタ出力ができるようになって状況が変わりました。


 手書き文字をスキャンしてそれを年賀状に印刷できるようになったのです。(前よりもっと読みにくくなっただけって声も……)


 若い頃は、自分の下手な字が嫌い(英字すら)で、高校の頃はオリベッティのタイプを打っていましたし、大学時代はワープロとコンピュータ(やっと漢字が使えるようになった)を使い続けていましたが、今になって、手で文字を書くことが好きになってしまったのです。



 ほとんどのデキの悪い子供同様、わたしも親の期待を裏切って、いくつか通わされていたナライゴトを悉(ことごと)くサボっていました。

 なかでも、一番サボったのは習字で、ある時など、姉がまじめに習字を習う横で、通路に転がっていたホッピングマシーンに乗って一時間以上遊び続けていました。

 結局、コンクリートで固められた路地を割って大目玉をくらってしまいましたが……おかげで、ホッピングと竹馬は得意になりました。

 ホッピングなどは、鉄棒の連続前転と同じで、いまでも何回でもやり続ける自信があります。

 って、ハジばっかり書いても仕方がないのですが、ともかく、成人して、長らく経ってから、わたしは文字を書くのが好きになったのです。

 その理由のひとつは、よい万年筆を手に入れたことです。

 よい筆記具は、書き手に、文字を書くように促します。

 いま、わたしは、ヒマがあれば印刷済みの紙の裏(いわゆるウラ紙)に、万年筆で文字を書きます。

 映画を観ながら書き、話をしながら書き、ラジオを聴きながら書く。

 書いているのは、タワイないことばかりです。

 その時、感じた気持ちや、印象的な単語、脈絡のない文字の羅列ばかりです。

 ただ、書きながらも、字列のセンターが出ているかどうか、一字一字の字形がおかしくないか、は気になってチェックしています。


 文字を大量に書くようになって気づいたのは、筆記というのは、演奏と同じで反射神経を要求する、ということです。

 美しい字を書くには、人垣のスキマを塗ってシュートするような、繊細な神経と大胆な筆運びが必要になる。

 なんて、エラソーには言えないんですがね。なんせ、ホッピング一時間、コンクリート割りの前科持ちですから。

 というわけで、タイトルです。


 あのミクシィが仲間同士で、メールではなく年賀状のやりとりをする、というサービスをしていることを、先日、知りました。
(わたし自身はミクシィとは一切関わりありませんし、SNS自体ほとんど興味はありません)

 マイミク同士、実際の名前も住所も知らないことが多いので、ちょっと変わったやりとりで、年賀状を送ることになります。

 ●送りたい相手を選び、デザイン、コメントを指定。
 ↓
 ●ミクシィが受け手にメッセージを送る。
 ↓
 ●受け手が住所や本名を入力。
 ↓
 ●年賀状発送。

 2009年1月15日締め切りのところ、1ヶ月前の時点で、30万通!の申し込みがあったらしい。

 郵送枚数に応じて苗木を植える「mixi Green Project」とも連動しているのが、ちょっとエコな感じがしますね。

 ミクシ人たちのことですから、ネットどっぷりな人が多いでしょう。そういった人たちが、30万通も年賀状を選んだ、というのが面白い点です。

 ただ、残念なのは、手書きの年賀状を送られないことです。

 わたしは知りませんが、若者を中心にeメールだけで年賀状のやりとりをする風潮があるそうですが、個人的には、しっかりとした手に触れられるもので、年始の挨拶を受け取りたいという気がします。

 ちなみに、わたしは、凝った年賀状も好きですが、定型のあいさつのみでも、家族との写真でも、みんな好きです。

 そりゃ紙も使いますしね。エコに反するかもしれません。でも、年始ぐらいいじゃないですか。

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はらぺこ長寿

 昔から、わらしべ長者ってのはあるが、生命科学では、はらぺこ長寿が常識となりつつあるようだ。


断食をくりかえすと寿命が延びることは、すでにマウスの実験で知られていることだが、細胞生物学の京都大学西田栄介教授が、線虫を使った実験で、どの遺伝子が作用しているかを発見した」(2008.12.15付英科学誌「ネイチャー電子版」より)

「餌となる大腸菌を二日おきにしか与えない場合、線虫の25日の平均寿命が1.5倍になり、量を減らしただけでも、1.15倍になる」(同)


 というんだから驚いた。


 線虫って大腸菌を食べてるんだねぇ(ってソコかい)。


 つまり、単純に考えたら、人間も飽食せずに粗食で小食になったほうが、長生きするということなのだろう。



 確かに、そういったことは昔からいわれていて僧侶なども断食をしてきた。

 まあ、僧侶の断食は、自らの意思の強さを示し、なおかつ読経によって精神をハイな状況にもっていく方法でもあったと思うが(さらに護摩と称する精神に影響を与える香を焚くこともあるからね)。



 また、病気の時に、食を断つと免疫が上がるという説もある。


 だから、食を断つ場所も数多く存在するし、ガンの末期患者がワラにもすがる気持ちで、断食道場に籠もるという話も聞く。

 個人的には、病気に対して免疫を高めるために、栄養を断つことが本当に効果的かどうかは分からないのだが……



 しかし、寿命に関しては、実際にDAFー16という長寿遺伝子の存在が知られていて、今回、特定されたのは、断食によって活性化するRheb(レブ)遺伝子が、DAF-16を活性化することなのだという。



 今後の研究課題は、実際に断食をせずとも、飢餓状態だと細胞に錯覚させて、Rhebを活性化させることらしい。


 またまた、そんな楽して得取るようなことを考えているんだねぇ、人類は。

 延命を望むなら、せめて、その代償として飢餓感を感じなければならないんじゃないかな。

 でも、そうすると、人間のように脳が異常発達してしまっていたら、線虫とは違って飢餓によるストレスという負の作用のほうが大きいような気がする。


 いずれにせよ、これについては気になるので、もう少し調べてみようと思っています。

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2008年12月22日 (月)

自作ピアノ曲 アンナプルナ

 前に書いていた、自作曲です。

 以前に、インドに行った時、体をこわして気候のいいネパールに移り、さらに王様の保養地らしきポカラの安ホテルで療養していた時、ホテルの屋根から毎日のようにヒマラヤの山が見えました。

 その中で、ひときわ美しかったのが「アンナプルナ」山です。

 あとで、ちょっと贅沢して観光飛行機に乗って、チョモランマ(エベレスト)のすぐ側まで行きましたが、美しさという点では毎日ひとりで眺めていたアンナプルナに及ばないような気がしました。

 
 日本に帰ってから作ったのがこの曲です。

 いい加減に書いた楽譜をスタッフに渡すと、きれいな曲に仕上げてくれました。

 短い曲です。

 どうかお聴きください。



ホテルの屋根からみる
アンナプルナ山
(遠くにうっすら見える山です)



ポカラ空港:写っているのは見知らぬネパリ(ネパール人)です。この空港は芝地なので、牛が草を食べに入り込んで、しばしば飛行機の離着陸が延期になると聞きました。

 写真はすべて、オリンパスOM-1の50mmレンズ+リバーサルフィルムで撮っています。
 実は、この当時、OM-1の露出計が故障していて、かなりピーキー(露出的に)な
 写真になってしまいました。

 一人旅で、カメラを盗まれたくなかったので、自分の写真は、手こぎボートに乗った時の
 一枚しか残っていません。まあ、そんな旅行もあります。

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2008年12月21日 (日)

みわたす限り視野いっぱい アイマックス

 アイマックスをご存じだろうか?

 もともとは、カナダで開発された映画システムの名称で、要は、巨大フィルムで撮影された映像を、急傾斜の座席に座って巨大スクリーンで観るというものだ。


 わたしは、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館で、初めてアイマックスをみた。

 確か、スタートレックのスポック役のレナード・ニモイがナレーションをつとめる、大気圏浮遊の映像だったが、素晴らしい迫力だった。

 どれほど目を見開き、意識的に視野を広げても(視点を前方に固定しつつ上下左右に意識を集中する)、かぎりなく映像が続き、リアリティがすごい。

 そこではスクリーンの概念はなくなり、まるで目の前に青い地球が浮かんでいるような錯覚に陥るほどだ。


 直前の、受付の女性の態度の悪さに大口論した記憶が吹っ飛んでしまった。


 幸いなことに、日本にたくさんのアイマックスシアターがある。

 と、思っていたのだが、先日、案外少ないことに気づいた。

 博物館に併設されているものもいくつかあるが、きちんとした劇場は、

  ●所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市)
  ●名古屋港水族館(愛知県名古屋市港区)
  ●サントリー・ミュージアム(アイマックスシアター)(大阪府大阪市)
  ●スペースワールド(ギャラクシーシアター)(福岡県北九州市)

 ぐらいしかない。

 わたしは、日本のアイマックス・シアターでは、サントリー・ミュージアム
のものしか観ていないが、スミソニアンで観た時ほど感動しなかった。

 どうも、客観的なスクリーンサイズが小さいというのが原因のようだ。

 一度行って(おそらく初代ファンタジアだったと思うが)、あまり良くなかったので、それ以降、観にいかなかったのだが、先日、上記のように、現存するアイマックスシアターが非常に少なく、東京近郊にはほとんどない、ということを知り、本当に良くないのかを確かめてみたくなって、ふたたび出かけてきた。

 結論からいうと、これがなかなか良かった。




 上映していたのは、海洋3D映像だったのだが、今回は座った位置が良かったのだ。

 普通、映画は、あまり前に座ると、首が疲れたり字幕が見えなかったりするので、真ん中より後ろに座るのだが、アイマックスの場合それでは駄目だ。

 スミソニアンのものは、スクリーンが大きかったので問題はなかったのだが、日本では、スクリーンが小さいために、後ろに座りすぎるとスクリーンの端が目に入ってしまうのだ。

 だから、中列より前の中央がベストポジションとなる。

 ほとんどの観客も、前過ぎると見えにくいと思うのか、真ん中より後ろに座るので、ベストポジション付近はかなり空いている。


 アイマックスは、基本的に(科学館に併設されていることもあるが)学術映画が多いのだが、ハリウッドの娯楽ムービーもたまに上映されることがある。


 そういった機会をとらえて、一度(そして、ポジショニングを間違えていた人は再度)、アイマックスに足を運ぶことをオススメする。




 もちろん、学術3D映画(この間行った時は「海洋映画」と「ミイラの秘密」の交互上映だった)の映像もなかなか面白いし、なにより恋人と行くなら平均50分程度のアイマックス上映時間は、ちょうど手頃な長さだと思うのだが、どうだろうか。

 サントリー・ミュージアムは正月もやっているようだから。

 ただし、女性と行くときには上映時間を選ぶように。

 恋人と一緒に「ミイラの秘密」を観るのはチョットマズいでしょう。

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せんと君ふたたび

 このあいだ、実家に帰ったら、こんなものが届いていました(せんと君シールセット)↓。




 多くは語りますまい。

 いよいよ来年1月1日から、せんと君本格始動のようです。
 着ぐるみの、せんと君とまんと君が和解したりと、パフォーマンスも着々と進んでいるようす。

 意外なことに、せんと君は子供たちにも人気があるようですからね。


 しかし、今みると、せんと君、顔デカーイ。

 大物力がたっぷりありますね。

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ケータイのない恋

 今日、手持ちのDVDを整理していたら、懐かしいDVDを見つけました。

 古いアニメです。

 なんとなくかけてみると、最後まで観てしまいました。

 観終わると、手の中に懐かしい感触が残ります。


 そこには、男がいて、女がいて、音楽があり、恋があり、そして携帯電話は存在していません。


 数百キロ離れて暮らす恋人たちは、電話のカールコードを伸ばしながら、アスパラを炒め、フライドポテトをつくり、ビールで乾杯します。


 別れを切り出す恋人は、メールではなく、手書きの手紙を渡します。


 ダンスの時かけるのは、レコードであってCDではありません。


 全てがアナログで、優しく、そして以前より少し年をとったわたしの目からみれば、ちょっと男の思考がひとりよがりで自分勝手に見える(作者が男だからね)「恋のオトギバナシ」です。


 作品の名は「ハートカクテル」

 あのわたせせいぞう原作のアニメーションです。





 もう二十二年前の作品になるのだなぁ。


 今なら、遠く離れた恋人たちは、スカイプを使ってビデオチャットをするだろうし、インターネットフォンで長電話もすれば、メールで四六時中連絡を取り合うこともできるでしょう。

 のぞみは、旧来の新幹線に比べて随分速くなりました。

 だから、比較的かんたんに東京─大阪、どころか、新潟であろうが東北であろうが、博多であろうが行き来することができるでしょう。

 いま、シンデレラ・エクスプレスなんて言葉はあるのでしょうか?

 みなさん、知ってますか?




 数年前まで、推理小説を書くものにとって、携帯電話は忌むべき発明、デバイスでした(らしい)。

 わたしにとっては、どうってことはないのですが、かつて有線電話で「アリバイ」づくりに汲々(きゅうきゅう)としてきた作家たちにとっては、いつでも、どこでも電話がかけられる時代になったことで、アリバイ作りの重要なアイテムがなくなったと思って困ってしまったのでしょう。


 ある作家など、携帯電話の存在しない昭和時代舞台設定を決めて話をつくると明言していたこともあります。


 推理作家はともかく、普通のストーリーを書く場合でも携帯電話がない方が作りやすいことがあります。



 携帯電話が、そしてメールがなければ、何が起こるか?

 すれ違いが起こるんですね。

 そして、言葉のタイムラグも。

 すれ違いはドラマを生み、伝えられなかった言葉は悲劇を生む。

 さらに、性急でないメッセージのやりとりは深い内省を導く。

 つまり、会えない時間、話せない時間が長いと、より自分の内面と向かい合って、深く自分と相手のことを考える、ということです。

 携帯電話で、緩く軽く常時繋がっていると、すべてがテンポラリかつカレントになって、まあ……趣(おもむき)がなくなるような気がしますね。

 それが新しい人と人との繋がり方、恋のしかたなのでしょうが。


 20年前の恋のパッケージ集であるハートカクテル(かなり無国籍物語っぽいですが)を観て、そんなことを考えました。



 ハートカクテルは、ビデオのVOL.1とVOL.2をまとめたものと、「ハートカクテル アゲイン」(2002)という新作の二枚がDVDで出ていますが、残念なことに、ビデオ版のVOL.3とVOL.4がDVDになっていません。

 あの名作、「いつか母を日曜島へ」や「秋の嫌いな夏男」「'84─夏─」をDVDで観ることができないのは本当に残念です。

 幸いにもわたしは、ビデオ録りしていたのを無理矢理DVD化したものを持っていましたので、さきほどVOL.4まで一気観してしまいました。

 若い頃は、なんかカマっぽいストーリーもあるなぁ、と思っていたのですが、今観ると、ほとんど抵抗がありません。

 かつて、わたしの中にあった、「若さ特有の気取り」が流れて出て行ってしまったからでしょうか。

 不思議と、このシリーズを観ると、続けて「アパートの鍵貸します」あたりを観たくなりますね。というか、今、横のテレビで流しています。

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2008年12月20日 (土)

もの忘れとたたかえ!

 これはもう、断言させてもらってもいいが、わたしは十代の若い頃に比べて、今現在、記憶力が落ちているということはない。

 なぜなら、わたしは、十代の頃から「物忘れの達人」だからだ。

 当時と比べて、今の方が良く忘れる、ということは、絶対にないと、もう一度断言できる。

 というわけで、メモの出番ということになるのだが、人生の様々な局面で、状況によってメモを使えない場面が往々にして発生する。

 だから、かなり前から、わたしはボイスレコーダーを愛用してきた。

 現在はICレコーダーを使ってるが、それ以前は、マイクロテープ(昔留守番電話に入っていたヤツ)を用いたミニレコーダーを持っていた。

 これは、基本的に自分の声を取るものであるから、別項で紹介したペン型のように偽装する必要がない。

 ただ、使いやすければ良い。

 使いやすいとは、すぐに録音できて、聞き直せて、消去できるということだ。


 
 数年前まで、わたしは、健康のために、毎日十キロばかり自転車にのって近所を走り回っていた。

 わたしは、自分でいうのもなんだが、中学のころから、泊まりがけで四国を回ったりした生粋の自転車野郎なのだ。

 もし自分に肩書きをつけるなら、ライダーでなく、ドライバーでなく、サイクリストと呼ばれたい。
 ユースホステルを利用して回った四国や、テントを積んで回った沖縄(やさしい沖縄の人からいっぱいお茶とかごちそうをもらったなぁ)については、また別項で書きます。

 ある事件があってから(おそらくみなさんもご存じの)、わたしは長らく続けていたその習慣を辞めたのだが、それもまた別項で。

 ひとり自転車で走るというのは、かなり孤独な行為だ。

 会話するのは、おのれの肉体のみだから。

 そのへんは、登山に似ているのだが(北穂高山頂で死にかけた話はまたあらためて)、そういった状況になった時、わたしの頭は異常に活発に動き始める。

 そのわけは、以前に紹介した池谷祐二氏の近著「のうだま(幻冬舎)」(近日紹介)でも言及されているが、眉間の奥、脳幹付近にある青いタマ:淡蒼球(たんそうきゅう)が、運動をすることで活発に動くようになるからと言われている。

 すると、家でゴロゴロしながら、いろいろとため込んだ知識が、とんでもない繋がりで、急に立ち上がってきて面白いのだが、これをそのまま放っておくと、最初に書いたように、瞬く間に消えていってしまうのです。

 まず、あとで思い出すことなどできない。

 そこで、ポケットにいれたレコーダーに、要点だけを吹き込むわけです。

 要点さえ入っていれば、あとの細かいところは、イモヅル式に思い出すことができる。


 この体を動かすと発想するのは、別項で書いた「DS生活リズム」によって始めた散歩でも同様で、家に寝ころんでいたのでは、到底あらわれない考えが(って、そんな世の中を変えるようなたいそうなものじゃないけど)浮かんでくるので、ICレコーダーは必需品になる。





 わたしはマイクロ・テープの頃からオリンパスなの党だが、近頃では、生音を圧縮無しで録れる高性能なものも出てきているので、そろそろ買い換えようかと考えている。




 山や海のキャンプで自分で録った虫の音だとか、川のせせらぎ風の音、あるいは都会の雑踏'''なんかをまとめてライブラリにするのは楽しいことだから。

 ラジオドラマの編集などもやっているから、そういった「著作権フリー」な素材は魅力的でもある。

 とくに、最近のマシンは性能も良く、臨場感もかなりなようだ。

 変な話だが、小学生のころから、わたしは「教室できく校庭で遊ぶ子供たちの嬌声」が大好きなのだ。

 遠くから公園の子供の遊び声をきくのもいい。(近くじゃ駄目だよ。うるさいから)

 そういった音が、なんらかのヒーリング効果があるのだね、わたしには。

 だから、そんな音も集めてみたい。

 鉄道ファンではないが、車掌の行き先アナウンスなんかも、深夜の部屋で聴くのにいいだろう。

 ちょっと変かなぁ。


 あれ、最後はテーマとずれてしまいましたね。

 そういえば、歌の録音や、ストリートライブの録音にも使えるかもしれません(ってそれが本業だろうが)。


 私のおすすめ:
オリンパス リニアPCMレコーダーICレコーダー Linear PCM Recorde...

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2008年12月19日 (金)

9.48-10.39 これでおしまい

 タイトルの意味がおわかりだろうか?

 米スタンフォード大のマーク・デニー教授が、このほど学会誌に発表した論文に記した数字だ。

 9秒48──これが人類男子が到達しうる100メートル走の限界タイムで、女子の限界タイムが10秒39らしい。

 
 どの程度、論理的にその数値を導き出したかは、今のところ不明だが、どうやら、細胞におけるヘイフリック限界から導き出された人間の最高寿命ほどには、精密ではなさそうだ。

 ご存じのように、100メートル走や200メートルの短距離、あるいは長距離のマラソンでも温度や風の影響は無視できない。

 こういった複雑なパラメータが絡まっている数値が、安易に予測できるものだろうか?

 単位も小さいし。

 いずれは限界がくるのは分かっているが、今現在、その数値を性急に決めつけることができるのだろうか?


 なんとなく「奇をてらった売名行為」は言い過ぎだろうが、学者によくある目立ちたがり論文発表のような気がするなぁ。



 ともかく、彼によると、1970年代に馬と犬は、すでに「最高速度」がピークに達したが、人間はまだ進化途上にあるらしい。

 例のジャマイカのウサイン・ボルトが出した200メートルの世界記録(19秒30)は18秒63まで短縮可能だそうだ。


 マラソンでは、2008年9月にエチオピアのハイレ・ゲブレシラシエが出した世界記録(2時間3分59秒)が2時間0分47秒まで短縮できるのだという(またまた、ほんとかなぁ)。

 女子マラソンでは、英ポーラ・ラドクリフの持つ世界記録(2時間15分25秒)は種としてのヒト(女子)の限界に近く、どれほどがんばっても、記録は2時間14分台で止まってしまうらしい。



  彼は、最終的に「根本的な男女の違いによって、女子は100メートルとマラソンで、絶対に男子に追いつけない」と結論づけたらしいが、どうなのかなぁ。


 もちろん、普通に考えれば、男子の方が早そうな気がするが、「絶対に」と言い切って良いのだろうか?

 女性が、XX(ダブルエックス)の遺伝子を持ちながら長距離走に最適な肉体になりうることはできないのだろうか?

 この説には、多分に、いまだアメリカに根強い(そっちを認めるぐらいなら、人種偏見を引っ込めたほうがマシというわけで、黒人大統領すら生んでしまった)女性に対する偏見の「ためにする」意見のようなニオイがする。


 まあ、こういった「アナのある論文」は、いろいろと突っ込まれることが多いだろうから、反論をまって、今後の評価を見ていきたいと考えています。

 名前を覚えておきましょう。

 「米スタンフォード大のマーク・デニー教授」

 どういう人物なのか、ちょっと調べてみてもいいな。

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飽きない腕時計 フォッシル

 またまた「しょぼい自分を〜」からの引用で申し訳ないが、その中で、筆者は「時間を携帯電話で知ろうとするな」と明言している。

 本来、人に強い印象を与え、拡張自我を満足させ、自分自身に自信をつけさせる(シャレか?)ためには上質の服を着るべきなのだが、服は毎日同じものを着るわけにはいかないし、若いうちにそうそう高い服を何着も買うことはできないだろう。

 だが腕時計なら、毎日同じものをつけてもおかしくないし、拡張自我を満足させるほど高価格のものもたくさんある。

 だから、「時間を知るなら腕時計」ということになるのだが……


 値段の高い腕時計を持つべきかどうかはともかく、わたしは腕時計が好きです。

 今まで買った時計はだいたい保管しています(小学校の頃に父から貰ったシチズンの23石の時計も、ワインディング・マシン[動巻き上げ機]で巻いて動かし続けています)し、電池が切れて動かなくなった時計も一応は引き出しにしまってある。

 いま使っているのは、もっぱらカシオのウェーブ・セプターです。

 太陽電池で動いているのもおもしろいし、正確なところと、値段の安いところ、10気圧防水であるところが気に入っています。

 10気圧(100メートル)防水モノでないと、温泉に入ったり、プールに泳ぎに行ったときに、身につけて入ることができないのです。

 ロレックスだとか、タキメーター付のものも、デザインがよくて好きなのですが、どんどんアウトドアなどで使う時にはちょっともったいない。

 以前は、タイメックスの「デジタル・アイアンマン」(コンピュータの画面を通じてデータのやりとりができた時計)が気に入って、一度に4つぐらいまとめて買って、何年も使っていました。

 最近の時計は正確です。時間の正確さで選ぶ必要はほとんどありません。

 だから、最近、わたしの時計の選択基準は「おもしろい」こと。

 それに、時間がわかりやすければ申し分ない。

 その二つをみたしてくれるのが、「FOSSIL スクローリングティック」です。↓




 基本は、アナログ時計なのですが、盤面全部が液晶になっていて、そこに大きく秒数がアニメーション表示されるのです。

 まるで数字が生きているように動いていく。




 これ以外にも、漢数字で数字が表示されるものもあり、それなんかもオススメです。

 わたしは、どうも、時間をみるために頻繁に携帯電話を取り出す姿、特に女性がそうするのを、あまり好きではないのです

 アレルギーのある方もおられるでしょうが、最近はチタン性の低アレルギー反応の時計もあります。


 あまりに急に携帯電話が普及しすぎました。便利ですからね。

 でも、個人的には、男も女も、さっと腕時計に目をやって時間を知る、そんなふうに時代に戻って欲しいと思っているのです。

 そこには「スタイル」があるような気がしますから。


 私のおすすめ:
FOSSIL スクローリングティック BG2155 フォッシル メンズ腕時計...

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2008年12月18日 (木)

鏑矢の風鳴り(目次) NO.2




 今週も無事発行することができました。

1.政治・経済トピックス
 ●「拝金主義が、こどもたちの理科系離れを生む」
 
2.ビジネスに役立つ道具(連載2回)
 ●「手帳を劇的に活かす魔法の紙」
 
3.魔法ではない速読術(連載2回)
 ●「目次をちぎれ!」

4.安易なコトバにモノ申す(連載2回)
 ●「もうその言葉は言うな!」 
 ・音楽理論も知らないのに使うな『通奏低音』!

5.後記
 ●インフルエンザ「スーパー・スプレッダー」の恐怖


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エクスリブリスって知ってますか

 「エクスリブリス」って知っていますか?

 エクスリブリス(Exlibris)は、本の見返し部分に貼って、その本の持ち主を記す紙です。

 意味は「〜の蔵書から」というラテン語で、日本では「蔵書票」「書票」などと呼ばれています。(英語ではBookplate)

 それらには、だいたい図版と一緒に「Exlibris」という言葉と持ち主の名前が入れられます。

 役目としては、日本の蔵書印と、ほぼ同じ

 日本や中国では蔵書印が主流ですが、ヨーロッパでは古くから蔵書票(エクスリブリス)が使われてきました。

 わたしも、以前は、自分で篆刻(てんこく)した蔵書印を使っていましたが、数年前に蔵書票をプレゼントされてから、下のようなエクスリブリスを蔵書に貼るようになりました。




 蔵書票の良い点は、「本を汚していない」ように思えることです。

 蔵書印は、どうしても、本に押印して汚しているような気がして少し抵抗がありました。

 さらに、わたしは朱肉を使っていたので、押印したあとは、他の場所が汚れないように紙を挟んだりして結構大変だったのですが、蔵書票はノリをつけてはるだけなので楽です。

 印と違ってはがされる(って誰に?)危険性は残りますが。


 エクスリブリスは、銅版画などで作られ、その多くが芸術的価値をもっています。

 ↓それらを収集したり、実際に銅版画で作ったりする人もいるのです。


 私のおすすめ:
蔵書票の芸術―エクスリブリスの世界

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2008年12月17日 (水)

針を使わないステープラー

 人が文房具を使うということは、モノを消費することだ。

 メモ帳しかり、ノートしかり、万年筆のインクしかり、コピー用紙しかり。

 だが、ステープラーに関しては、針をつかわないものが存在する。
 値段も安い。
 針がないために、重ねた時にじゃまにならない。

 欠点は、綴じられる枚数が少ないことだが、4〜5枚の紙を綴じて持ち歩くことはよくあるので、その時限定で使うようにすればよい。

 わたしはそうしています。

 無針ステープラーには、いくつかのタイプが存在するが、これは、切り取った紙を自動的に紙の隙間に差し込んで固定するすぐれた機構をもった逸品だ。

 わたしもいくつか持っているけど、これが一番しっかりとまる。


 手軽にためすなら、コレ。





900円足らずで結構つかえます。

 ちょっと高めながら、しっかりした品質ならこちら。




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切らずに捨てる 個人情報保護スタンプ「見えない君」

 情報は常に狙われています。

 わたしも、まあ狙われることなどないだろうと考えながら、郵便物の宛名や書類はシュレッダーにかけてから廃棄しています。

 しかし、封筒やハガキなどをいちいち裁断するのは手間がかかりすぎる。

 何かないかと捜したところ、いいものをみつけました。

 宛名の部分に、このスタンプをオスだけで判読不能。

 カンタンに情報を守ることができます。

 実際使ってみると、良さを実感します。

 別売りで補充インクが売られているので経済的でもあります。




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2008年12月16日 (火)

イマドキの子供たちとかけて 2

 以前にどこかで書きましたが、漫画(コミック)は再利用の難しいメディアです。

 コムツカシイ理屈やノウハウ、学術的タンゴとストーリーを吸収するには向いていますが、それを応用して、今の自分のキモチを定義し出力することは難しい

 コミックの主情報である画像の知識では、感情の機微(きび)や綾(あや)の微妙(本来の意味でのビミョウです)さを表現できないのです。

 せいぜい、オノマトペを使う程度でしょう。

 オノマトペでは、感情を固定化することはできない

 コミックは、完全では無いにしても、我々が直接目にする第一次情報に近い形式で我々の中に入ってくるのですね。



 余談ながら……
 これも差し障りがあれば非常に申し訳ないので、本当なら小さい文字で書きたいのですが、このブログではできないのでこのまましか書けない……

 よく、お年寄りたち(だけではありませんが)が、「食べるのだけが楽しみ」とカンタンに口にしますね。

 わたしはあれを耳にするのが辛い。

 それって、人の「第一次欲求」でしょう?本能に根ざした。
 イイトシして、人前でオシッコしたい、っていいますか? 
 あー今日はセックスしたいって。

 最初に述べたように、「食べる」という行為は、非常に大切で、欠かせないものですが、人前で口にするときは、ほんの少しでもいいから、含羞(がんしゅう)をにじませてほしいのです。(いや、これはわたしの、ただの願望ですが)
 食べたい寝たい、を素直に表に出せるのは、愛すべきことでもあるとは思いますが、もう少し、小さい声でいって欲しいなぁ。
 少なくとも、我々ほとんどの食事は、他の生き物を殺した死体を食べている訳ですから。

 そういう言葉を安易に口にする人々は、いかに上品に着飾っていても(あーこれも本当は書きたくないんですよ、わたしの中の嫌味な部分が書かせてるんです)、ケダモノに近いように見えるのです。




 現代の若者の多くは、コミックやアニメ、映画によって得た「理論理屈」は豊富にアタマにしまっていますが、鈴木氏のいうように感情面の表現法(言葉)を持っていないことが多いような気がします。

 もちろん、「昔の若者の多く」も、語彙は少なかったでしょう。過去を美化していはいけない。だけど彼らには刺激や知識もまた少なかった。


 そういった、現代の若者の、豊富な知識と感情表現の無能力(は、ちょっと言い過ぎですが)とのギャップが彼らを苦しめている気がします。

 もちろん、ほとんどの若者は、歌に寄り添い同化することで「渦巻く感情」を自己処理しているのでしょう。語彙の豊富な若者も相当数いると思います。


 しかし……

 あ、書き忘れていましたが、わたしは、スポーツなどによる発散は、方向性が違うため、それほど効果が無いと考えています。スポーツマンでDV(家庭内暴力)を行う人もいますしね。


 それに、心に渦巻く感情量には個人差がある。


 そういった、歌メディアによる感情の発露を上回る、もやもやとした形のない感情を、心にため込んだ時、あるいは、そういった自分たちの感情の代弁である歌ですら、オトナによって作られ売られているという事実に目がいってしまった時、若者は、感情を爆発しやすくなるのではないでしょうか。




 右肩上がりの経済成長になれた世代を祖父母にもち、バブルとジュリアナ世代を両親にもつ、現代の若者たちが、未来の日本に自分の居場所を想像しにくいのはわかります。

 もっと日本が貧しければ、彼らも豊かな生活を目指してがんばれたでしょう。
 今の中国のように。

 やり場のない閉塞感(へいそくかん)が、精神を鬱屈(うっくつ)させ、やがて感情を抑えられなくなる。

 以前に、そう考えたこともあります。

 でも、それが若者の感情爆発の主因だとは、わたしには思えなかったのです。

 もちろん、暴力指向のアニメやコミックも、タブー感を押し下げる効果はあるかもしれないけれど、暴力の根本原因にはなれないような気がしていました。

 もっとプリミティブなものが原因だと思っていたのですが、鈴木氏の考えを知って、仮説をひとつ増やすことができました。

 本稿の結論をいえば、


 「キレたくなければ、家事をして本を読め」ということですね。


 でも、これだけでは、ちょっとキレが悪い感じがするなぁ。

 みなさんは、どう思われますか?

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イマドキの子供たちとかけて「便利なチーズ」とときます。そのココロは「最初からキレてます」

 辰巳 渚という人をご存じだろうか?

 2000年に彼女が書いた「『捨てる』技術」は100万部を超えるベストセラーとなった。
 目にされた方、読まれた方も多いだろう。

 その彼女は、家庭にあって、10才の長男と4才の長女に家事の手伝いをさせているという。
 子供に手伝いをさせるのは、「家事は生きていくための読み書き能力」だと考えているからだそうだ。
 (以前別項で書いた「リテラシー」ですね。「生命リテラシー」とでもいいましょうか) 

「『捨てる』技術」のヒット以降、彼女は「本当に豊かな暮らし」を追求し始めた。

 そしてたどり着いたのが「家事力」だった。11月から「家事塾」も始めたそうだ。

 20代後半に人間関係のストレスからうつ状態になった彼女は、家事をすることで、本来の自分を取り戻したのだ。

 無心に床を磨き、食事を作るうちに「生きている実感」を取り戻した。

 「家事は落ち込んだ人をニュートラルに戻す力がある

 それこそが、彼女のいう「家事力」なのだろう。

 確かに、彼女がいうように、戦後の家事の歴史は、「手抜きとアウトソーシング」の繰り返し。
 「噴出する社会のゆがみの根底には、家事力の低下がある」

 彼女の意見は、ある意味、正鵠(せいこく)を射ていると思う。

 掃除をし、生活環境を整え、自分の食べるものを自分で用意する。

 「食べる」とはつまり「生きる」ことである。

 幼い頃から、食べる作業を人まかせにさせていては、子供の心にゆがみが生じることもあるだろう。

 わたしも、外食はあまりしないし、家には電子レンジもない。
 なにかを暖めるときは、だいたい蒸し器を使うし、そうでなければ、コールマンの折りたたみオーブンを使う。時たまダッチオーブンも。(ダッチオーブンを使った料理についてはまた別項で)

 べつに、何かイズムがあってそうしているのではない(電磁波は好きではないが)。
 アウトドアでの暮らしを日常でしているだけだ。


 ちなみにネイティブ・アメリカン(だったはず)の言葉でわたしが好きなのは「目に見えないものを信じるな」です。


 ブンガクセイネンたちの好きな形而上ではない、生物的な意味の「生きる」ことにダイレクトに接続している「家事」が、いまの世に大切だという氏の言葉には重みがある。



 次に……

 辰巳氏と同年代の教育研究者に鈴木信一氏がいる。彼は、まさしく「鈴木先生」だ(分かる人だけ笑って)


 彼の著作である、祥伝社の「800字を書く力」は、わたしの大好きな本で、まるで自分で書いているかのように「我が意を得たり」の内容が並び続けるのを、少々気味悪く思ったほどだったが、その序章で、氏は「言葉はなぜ必要か」というすばらしい論を展開している。


 そこでは、ずっとわたしが思い続けてきたことが、わかりやすく記述されている。
 鈴木氏はわたしの手帳を盗み見たんじゃないだろうね。

 氏の慧眼(けいがん)を、わたしゴトキの言葉で変形させて紹介しては申し訳ない。

 というわけで、以下、ちょっと長いけど引用します。




 意思や情報を伝達する──。言葉の働きをそう考える人は多いはずです。
 ---------------------
 しかし、コミュニケーションの道具という以外に、言葉にはもうひとつ重要な働きがあります。世界を認識する”窓口”としての働きです。
 ---------------------
 ことばという<窓>を手に入れてはじめて、世界認識が可能になる。人間とはそういう生き物です。言葉を手に入れなければ、視力がよくても世界はいっこうに見えてこないのです。
 国語を勉強し、本を読むわけはここにあります。言葉を身につけ、さまざまな言語表現に触れながら、世界をよりこまやかに見る<認識の目>を養って欲しい。
 ---------------------
今、「世界」と言いましたが、これは外的世界には限りません。内的世界、すなわちココロや生理をも含みます。
 たとえば、幼児にはじめてプリンを食べさせたとします。するとどうなるか。その子は落ち着かなくなります。
 ---------------------
 たとえそれが快感でも、人は未知の感覚には戸惑うものなのです。暴れ出す子だっているかもしれません。
 言葉という<窓>を得てはじめて世界は見えてくると言いました。そうです。プリンを与えたら「おいしいね」あるいは「甘いね」という言葉を同時に与えなくてはなりません。
「おいしいね」や「甘いね」という言葉をもらってはじめて幼児は未知の感覚の正体を知り、ひいては心の安定を取り戻すのです。

 いまの若者は「むかつく」という言葉でしか内面を表現できない、とは昨今よく言われます。これのどこが問題か、もうおわかりでしょう。言葉が不足していれば、渦巻く感情を理解し処理することを、その本人が十分な形でできなくなるのです。本当は「せつない」のに「むかつく」と言ってしまう。本当は「けだるい」のに「むかつく」で済ましてしまう。複雑で繊細な心を、これでは自分の中にうまく組み込むことができません。心は居場所を失い、不安定になります。結果、どうなるのか。その子は暴力に走ります。心の不調や生理の不調を訴えるようにもなるのです。



 以上、鈴木信一著「800字を書く力」序文より抜粋です。-------------は、申し訳ありませんが、わたしの独断で中略させてもらった箇所です。



 上で、氏の言わんとすることはひとつ。

 語彙の不足が気持ちを鬱屈させ、心中に溜まり、暴力を生むこともあるのだ、ということです。



 職人さんっていますね。飾り職人は「仕事人」のヒデですが、下駄職人とか漆塗りの職人とか。

 江戸時代、彼らは日がな一日、仕事場にこもって寡黙(かもく)に仕事をしていました。

 好きな仕事、あるいは得意な作業を、人との煩わしい関わりもなく、自分の能力と向き合っての仕事です。

 これはある種、家事力に通じるところがあるのではないでしょうか。無心に仕事をする、という点で。


 ですが、現在は知らず、江戸時代のそういった居職(いじょく:働きに出ず、家で仕事をする)の職人は、そもそも親や親方から学問を否定され勉強を許されず、ボキャブラリが不足するものが多かったことでしょう。


 やがて彼らが結婚し家庭を持つ。必然的に妻との会話が必要になります。

 だが、彼らは自分の心中を、言葉にする語彙を持たない。

 作業をしている間は、動く指先、滑る刷毛が饒舌に気持ちを表している。

 だが、いったん、妻と向かい合うと、気持ちが言葉にならない。言いたいことは心中に渦巻いている。

 だから、つい手が出てしまう。いわゆるDV状態になる。


 ああ、いや、もちろん、わたしは職人を否定しているわけではありません。
 誤解の無いようにお願いします。
 つい、自分が描く、時代物の職人キャラクタのような気になって話を作ってしまいました。



 ところで、鈴木氏のいう、語彙の不足しがちな現代の若者は、自分たちの気持ちをどう処理しているのでしょう。


 個人的な意見として聞いて欲しいのですが、わたしは彼らの多くが、若者むけの音楽、とくに歌に気持ちを同化させ、感情を発散させているような気がします。

 簡単で、ありがちな歌詞と、気分にあったメロディライン。

 それが、鈴木氏のいう「ボキャブラリの不足している子供たち」の感情表現ではないか、と。


 そう考えると、ずっと音楽を聴き続ける子供たちの姿にも納得がいきます。


 恥ずかしながら、わたしは、自分が音楽でメシを食っているのに、普段、音楽をあまり聴きません。

 昔は四六時中、語学テープを聴いていましたが、いまはイヤフォンは嫌フォン状態って、完全にオヤジギャグだなこりゃ。


 だから、外出すると、皆が一様に耳にイヤフォンをつけているのが少々異常に見えます。

 車に乗るときも、わたしが聴くのはエンジン音と排気音のみです。

 電車の中などで、精神的バリアを音楽によって作るのはわかるのですが、自転車に乗りながらでさえ、音楽を聴く神経がわからない。

 だいたい危ないじゃないの。耳の穴をあけろ!


 しかし、彼らの聴く音楽を、少ない語彙を補完しつつ内在するキモチの代弁者としてのリスニング、と考えれば納得がいきます。

 歌によって、自分の中の形にならない感情を固定化している、とでもいえばよいのでしょうか。

(さっき書き足したら5000字超えました。次回に続けます)


 私のおすすめ:
800字を書く力 (祥伝社新書) (祥伝社新書 102)

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2008年12月15日 (月)

わたしの手帳術1(補足)

 手帳術1回に少し補足します。

 ●「無印文庫手帳」の表紙を背表紙には、「開始年月日」と「通番」を大きく書いておきます。

 ●「週刊誌4コマノート・ミニ」も同様にしますが、それに加えて、ノンブル(通しページ番号)を
   振っています。


 「週刊誌4コマノート・ミニ」の各ページには、記入時の年月日を入れます。
 基本的に、年月日20081215のような8桁の数字によって、相互参照が可能になるわけです。

 もっとも、それはシステム手帳を使っていたリフィル時代には重要だったのですが、最近は、参照番号をあまり重要視していません。

 なぜならば、前項の終わりにもかきましたが、今のわたしの手帳はバラバラにならず、一冊にまとまった「本」形式だからです。

 ああ、「あの情報」と思った時に、何冊かある手帳を手にとってパラパラめくると、すぐに情報にアクセスできます。

 つまり、メールマガジンで書いている、「魔法でない速読術」の「スキミング法」を使っているからです。

 この、リフィルと違って「一冊にまとまっている」というのが、今のわたしの手帳術のポイント、あるいは、わたしがレガシー・メディアである本を好む理由です。

 まとまっていると、融通はきかないように見えますが、逆説的?にアクセスが容易になるのです。

 本などでも、確か、この本の真ん中あたりであの話題があったはずだ、という記憶さえあれば、ページを繰って簡単に知りたい部分を見つけだすことができますね。

 昨今はやりの、耳に心地よい(のか?)「デジタルメディアとの融合」と称する、長い時間をかけての手帳索引入力作業など不要かつ無用です。

 毎回、データを、テキストベース、あるいはエクセルデータ、アクセスデータに入力して、必要な時にコンピュータを立ち上げて検索をかけるより、その方が簡単で早い。

 それに、どうせデジタル技術を使うなら、自分でソフトを組むか、せめてマクロを組むぐらいすればいいと思うのですが、今、デジタル・ハイブリッド手帳術を謳う人たちが使うのは、ほとんどがテキスト・ファイルを検索する程度のデジタル化です。

 それって使いやすいのかなぁ。

 パーソナル・コンピュータ黎明期から、なんとかデータ入力をして資料整理に使えないかと考えて苦労したあげく、わたしがたどり着いた現在の終着点が、自分の目と手で資料を捜すこの方法でした。

 もちろん、会社や国会図書館などの公的機関の情報は、きちんと入力された方がいい。

 しかし、所詮、個人のデータ量などたかがしれている。

 ジャーナリストの立花隆氏のように「限りなく入ってくる情報を全て手にしていたい」という欲望を持たない限り、手動かつウロ覚え検索で分充ではないでしょうか。

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2008年12月14日 (日)

わたしの手帳術1

 さて、いよいよ、わたしが長年、試してみて有効だった、「わたしの手帳術」を公開することにします。

 あ、「こうかい」を変換したら、先に「後悔」が出てきました。なんだか未来を暗示しているような気がしますね。

 が、その前に(いつも前フリが長くてすみません)、皆さんは、手帳を何のために使っていますか?

 世の手帳術の流れを見ると、大きく二つに分けられるような気がします。

 1.夢をかなえる手帳
   年明け、あるいは年度末になれば、もう、こういった手帳術に関する本が、
   本屋の入り口を埋め尽くさんばかりに並びます。
   わたしも、こういった本を数多く買い、読みました。
   内容はというと、まず「手帳の最初のページに自分の願望を書け」
   そして、本の通りにさえすれば、すぐにでも夢がかなえられる、と
   謳うのです。
   しかし、良く考えてください。手帳って、いつから魔法の道具になったの?
   便利ではあるけど、ただの「いつも持ち歩くノート」でしょう。
   いつしか、わたしは、こういった「手帳の魔法」を謳う人々を
   別項で紹介した「怪しげな水ビジネス」と同等ではないか、と思うように
   なったのです。
   否、科学で、はっきりと否定できないだけ悪質なのではないか、と。
   実際、世の中には、魔法手帳長者が存在するようです。
   なぁる。彼らにとっては、まさしく「金を生みだす魔法の手帳」なのですね。


 2.実務的なスケジューラー・備忘録としての手帳
   これは、1.「夢をかなえる手帳」以前に、主流となっていた手帳術です。
   人は忘れる。だから、忘れても良いように記録しておく。
   その記録を少しでも、わかりやすいように腐心するのが「能率手帳」はじめとする
   素直な手帳術ですね。



 で、わたしの手帳術ですが、結論からいうと、上の2タイプです。
 ただし、1より出でて2を過ぎ、まだ見ぬ3に向かう(向かいたい)タイプというべきものです。


 もったいぶらずにいえって?えーと、何から書けばいいのかなあ。

 ちょっと恥ずかしいから躊躇(ちゅうちょ)しますね。


 ご存じの方も多いと思いますが、わたしは自営業をしています。

 自営業には「自由な自営業」と「不自由な自営業」がありますが、わたしのは、まあ不自由な方でしょう。

 働かないと食べていけない自由業という意味です。

 不自由ながら、自分で自分の進む舵取りをせねばなりません。


 その舵取りをするための道具が手帳なのです。

 何度も、このブログで書いていますが、わたしは、基本的に、人の一生は「生まれてから死ぬまで」だと考えています。

 リーインカーネーションだの、浄土だのは、死んでからの楽しみに置いておくとして、今のわたしの人生観はそうです。

 死んでからの評価も、まあどうでもいい。

 なぜなら、わたしは、良く生きれば良く記憶に残ると信じているからです。

 だから、わたしの一生の目的は、「笑うこと多く、楽しく過ごして、元気に死ぬ」ことになります。

 そのために、一番大切なことは「まず健康であること」です。

 日に三度玄米を食べ、酢タマゴを飲み、メガビタミン摂取をしているのは、そのためのプラクティカルな行動でありますが、それ以上に大切なのは、日々、気持ちよく生活する、ということです。

 それは苦労せず生きる、ということではありません。
 生きていく上で、ストレスは必要だと思います。

 しかし、無駄な苦労とストレスは不要だし、したくない。

 だから、受けた仕事は出来る限り早く完了し、顧客とは良かったですね、と笑いあって仕事を終えたいのです。

 まずお客に喜んでもらいたい。その結果として、報酬を得たい。

 キレイゴトに思われるでしょうか。仕事はそんなに簡単なことじゃないよ、と。

 でも、会社でストレスに耐えて働くのも、わたしには簡単ではないように思えます。

 おなじ簡単でないなら、キレイゴトで苦労しようと、わたしは考えているのです。


 どこが手帳の話なんだとお思いでしょうが、ここからが手帳の出番です。


 まず、スバヤク仕事をするためには、優先順位を決めなければなりません。
 そのためには、今、何をするか、しているかを知っていなければならない。
 だから、手帳を見て、手帳に書き込みます。

 一日を元気で過ごして、笑って終えるために、その日あった「良いこと」を思い出して手帳に書きます。

 好きな文章カキで、少しでも他の人を楽しませている(かもしれない)と、感じるために、日々、目にするものの中からブログの材料をすくい上げ、切り取れるものは切り取って手帳に貼り、そうでなければ要点を写します。

 ここまでが「気持ちを楽しくする手帳の使い方」「情報を記録する手帳術」でした。

 以上でおわかりのように、わたしの手帳術は、基本的に一次元です。

 時間軸にそって、時系列に何でもかんでも手帳に書き付けていきます。

 ただ手帳(無印文庫手帳147円↓)の奇数ページ(見開き右)だけに日付を書いて、内容を書き込み、偶数ページ(見開き左)には、資料を100円のテープのり↓で貼り付けます。







 さすがに、月刊予定表がないと不便なので、これは、透明プラスティック板に電子基板作成用のミニルーター・ドリルで穴を開けた、手製「簡単カレンダー画き定規」で、1ページを使って、さっさと書き込みます。

 月の途中で手帳がおわったら、また簡単にカレンダーを書いて、スケジュールを写します。

 この、定規が、わたしの手帳術のワザの一つです。
 なんていっても、ただ文庫サイズ(A6)に切ったプラ板に穴がたくさん開いているだけなんですけどね。

 愛用する0.28ミリのuniSigno(ユニ・シグノ)で、ちょんちょんと印をつけて、線を引けばカレンダーのできあがり。簡単なもんです。

 そうすれば、下のようなカレンダーができる。↓



 さて、つぎに、さらに重要な手帳の目的「生産するための手帳術」に入ります。

 上の作業は、気分昂揚(こうよう)と、情報、材料のストックが目的でした。

 つぎは、材料を使って、なにかを(ゴミかもしれませんが)組み立てて行きます。

 わたしは、詞の添削や作詞もするのですが、ここでは、このブログをメインに話しを進めましょう。
 みなさんの、仕事での応用のヒントになるかもしれません。

 ここで、皆さんに謝らなければならないのですが、実は、わたしは、手帳一冊主義ではありません。

 もう、一冊使っているのです

 そして、この一冊と出会ったことが、わたしの手帳術に劇的な変化を及ぼしました。

 それが、無印良品の「週刊誌4コマノート・ミニ」↓です。




 これは再生紙使用のざらついたA5サイズのノート95円(88枚)なのですが、ポイントは、最初から、1ページに8コマのマス目が切ってあることです。

 カタログには、「絵コンテ、企画書構成、レシピ作成、todoリスト」にとありますが、わたしは、これを簡易マインドマップとして利用し、先の文庫手帳の情報から、何らかの生産物を生み出す器にしています。

 マスの中に、文庫手帳から「単語」を書き写し、その下に、単語からインスパイアされた内容を書きます。

 そのマスの横にも、同様に別な単語と連想された内容を書き、マス同士が並列ならば、「=」で結び、相反なら「対」を書き、流れがあるなら「→」を書いてつないでいきます。

 このブログのネタなら、だいたい1ページ・8コマ、あるいは見開き16コマで、内容をまとめられます。

 そして、詞を書き、ブログにまとめ、小説を書くのです。




 つまり「週刊誌4コマノート・ミニ」を、フィルター、濾し器として使うのですね。

 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)な情報から使えるモノ取り出しブラッシュアップする。
 
 こういった使い方は、ビジネスマンのプレゼン案などにも使えるのではないでしょうか。

 マインド・マップについては、あまり詳しくないのですが、別項で書こうと思っています(それほど効能を信じてはいないのですが:ちょっと使える道具ってことですね)。

 あと、もうひとつだけ、わたしの手帳を(たぶん)他の手帳と違うものにしているモノがあるのですが、それについては、いずれ別項で。


 次回は、インターネットなどの電子情報の発達する中、新聞や本、手帳などのレガシー・メディアの持つ意義と、昨今ハヤリの「手帳とコンピュータを(なんだかムリヤリ)連動させる手帳術」について書きたいと思います。

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昨日見た夢、今日流す涙(SFシナリオ)

昨日見た夢、今日流す涙(SFシナリオ:昨日見た夢[縦書きPDFファイル])
 これは、以前に書いた、ドラマのためのSFシナリオです。

 シナリオといっても、読みやすい小説みたいなものです。

 軽い気持ちでお試し?ください。

 個人的には、大変思い入れのある作品ですが、それは、おそらく、わたし自身がこの作品に恋をしているからなのでしょう。



 短い話ですので、まずはお読みください。



 そして、機会がありましたら、このシナリオをドラマ(映画、劇、アニメ、コミック)のためにお使いください。

 小説と違ってシナリオは、演じられてこそ生きるものですから。




梗概
 中野和季(かずき)は18歳。著名な学者の父とエリートの兄の間で常に劣等感を感じている大学生だ。

 周囲の期待から生き甲斐であった陸上をやめ、猛勉強のあげく名門大学に入学したものの「本当にやりたいこと」ではなかったため、今ではすっかりやる気をなくしている。

 そんな和季の前に、突然、菜摘(なつみ)と名乗る少女が現れる。とまどう和季を後目に、彼女は奇妙な言動を繰り返し、やがて自分は五十年先の未来から来たと言い始めるのだった。




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コレ、欲しいんだけどなぁ 〜コクヨ SYSTEMIC〜

 わたしたちが「手帳術」を極めるためには、手帳のフォーマット、つまりレフィルの内容もさることながら、レフィルを収納するカバー(ガワ)も重要になってくる。

 とくに、システム手帳ではバインダーが重要になるが、通常の手帳では、外の装丁?が問題になることはあまりない。

 せいぜい、色が好みである、というくらいが選定基準になるだけだ。

 しかし、11月に発売されたコレ↓はちがう。




 「手書き記録を一括管理するという考えから生まれたカバーノート」というのがコクヨのSYSTEMIC(システミック)なのだ。

 要は、コクヨのキャンパスノートなどを二冊さすことのできる、ノートカバーなのだが、それだけにとどまらず、とにかく手書きの紙を一括所持しようという考えのノートカバーのようだ。

 わたしが特に気になっているのは、A6タイプ(1092円)だ。

 このサイズなら、普段から激しく使っている無印良品の文庫ノートと同じサイズになる。

 内容を見てみると、表紙にはポケットがついていて、レシートやスクラップなどを一時的に収納できる。

 しおりがついているのもいい。

 内ポケットも、名刺収納用の切り込みも使い勝手よさそうだ。

 ゴムバンドで不用意に手帳が開かないのも大切なことだ。

 なにより、全体の作りがしっかりしているように見えるのが良い点だ、
 
 ただ、コクヨのサイトで確認してもらえればわかるように、キャンパスノートが基準となっているために、どうも、収納できるノートの厚みが薄いようだ。

 となると、わたしが愛用している文庫ノートは入らないかもしれない。

 二種類あるうちの。薄手の文庫ノートを使えばよいのだが、それでも問題はある。

 わたしは、よほど大きな資料でない限り、手帳にどんどん貼っていくので、使ううちに手帳がかなり肥満化してくるのだ。(別項で詳しく書きます)

 始めはよくても、いずれはふくらんでsystemicに収まらなくなるような気がする。

 まあ、「ネコは飼うてみよ、妻には添うてみよ」の格言どおり、実際に使ってみないと、具合不具合は分からないけれど。


 なぜ、先ほどから、伝聞形式の回りくど書き方をしているかというと……

 SYSYTMICは、何か生産上の問題があったようで、今、どこも品薄で手に入らない事態となっているのだった。


 仕方がないので、今は、通販で予約して入荷を待っている状態なのです↓。

 早く出てこないかな。

 まさか、DS方式で計画的に品薄にしているんじゃないだろうね。


 私のおすすめ:
コクヨ ノートカバー システミック ノ-659B

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2008年12月13日 (土)

バッグやウデドケイまで俺自身 〜拡張自我ふたたび〜

 先日、紹介した「しょぼい自分を大物に見せる技術」の中で、「借金してもロレックス」という項目があった。

 人は、その持ち物までを自分自身と考えがちだということだ。

 いわゆる拡張自我(かくちょうじが)

 これについては、わたしのような心理学素人でも納得できる事例が世の中に目白押しだ。

 あまり美しいと思えない、垢抜けない女性が高級ブランドや宝石で身をかためていることも多い。
 これなどは、美しさを、身につけるモノに肩代わりさせるという、拡張自我の典型だろう。


 小柄な男性は巨大な自動車に乗っているし、小さな男性が、巨大な秋田犬に引きずられるように歩いているのもよく見かける。
 体格の劣等感というのは、かなり拡張自我を刺激するのだろう。
 実際、「しょぼい〜」の中でも、大物に見せたければ『とにかく身長を高くしろ!』と書かれている。
 心理学実験でも、そういった結果は出ているそうだが、我々の経験でも、『一般的』に、人は高身長の者のまわりに集まりがちだ。(もちろん「初めは」だよ。付き合ううちに人の評価は変わる)

 だから、小柄な男性は、せめてモチモノで自分自身を肩代わりさせたくなる。

 拡張自我発動だ。
 
 高身長願望については、男性だけではなく女性もそうなんじゃないかな。

 江戸時代のように男性中心の社会、いや、ほんの昭和時代まで、高身長の女性(男性も)は「火の見櫓(ヒノミヤグラ)」だの「エントツ」だの「半鐘台(ハンショウダイ)」だの言われて、からかいの対象であったが、昨今のドラマでは、ヒロイン一人が耳から上の分背が高いという画をよく目にする(えーと、この間までやっていたNHKの連続ドラマのヒロインとか)。

 まあ、芸能人はモデル出身が多いからなんだろうけど。

 ドラマを見ている女性は、男性を見下ろす女性を見て、小柄な自分と同一視して溜飲を下げているのではないかな。あれ、これは同一視だった。間違った。

 ある種の日本人は、外国人への憧れも強そうだし、それもあっての高身長願望かも。

 あと、ヤミクモな外国人への憧れから、髪の毛を金色に染めたりするのだろうな。

 面白いのは、かつて金髪だったスポーツ選手が、外国のチームに移籍したとたん、まっ黒な髪に戻ることだ。金髪、グレイ、赤毛があたりまえの外国人の中にあっては、似合わぬ金髪など自己主張にさえならない、と気がつくからだろう。

 わたしは、拡張自我を否定するのもではない

 ただ、無自覚の劣等感によって爆発する拡張自我(使い方が少しおかしい?)に振り回されずに、うまく利用できたらいいな、と思うだけです。

 ちょっとだけ自分に自信が無くて物怖(ものお)じする人が、お気に入りのとびっきりの指輪や時計を身につけることで拡張自我を発動し、人前に出て、ゆったりと話すことができるのは良いことです。

 男性ならおわかりでしょうが、友人の結婚式などで、ブラック・スーツを着ると、普段曲がりがちな背筋まで伸びてしまいますからね。




 今回の話題はもうひとつ。

 お尋ねしますが、人が何かを判断するときの方法をご存じですね。

 まず、情報を集め、先入観のない客観的な審査ののち決断する。

 すばらしい。人間は、特に人の上に立つ者はそうでなければならない……が、皆さんご存じのように、この国アノ国の経営トップや、政治家たちがそうしているとは、到底思えませんね。

 どうも彼らには、まず思いこみ(決定事項)があって、入ってくる情報や証拠から無意識のうちに、結論に合致する、心地よいものだけを取り入れ、反証的なものはオミットする傾向があります。

 これを心理学の世界で「確証バイアス」というそうですが、これもよく、わたしたちの身近で目にしますね。

 振り込め詐欺なんてのもこれが原因だと思います。
 最初に「ムスコからの電話だ」と思いこんでしまったら、あとで少々犯人がボロを出しても、犯人に有利なようにとってしまう。

 思いこみで男性を好きになる女性(もちろん逆もある)なども、このタイプでしょう。

 もっと大きく言えば、敗戦色の濃い一国の指導者、かつての日本の大本営なども、この「確証バイアス」を発動させていました。


 先頃、愛知県の陥った陥穽(かんせい:オトシアナ)も、原因はこの確証バイアスだったのでしょう。

 明らかに、サブプライムの影響が日本にやってくるのが分かっていながら、下請け業者に設備投資をさせたのは、トヨタ経営陣が「不都合な真実」を見たくなかったからでしょう。

 倉庫費用を節減下請けに負担を強いる、在庫を持たないトヨタ・システム(個人的に、これは間違っていると思いますが)は、本社の減産がだだちに下請けの発注量減少に反映されるから、零細企業はたまったものではありません。

 起業せず、理念なく、理想もないまま新入社員としてスタートし、社内競争を勝ち抜いたあげく、巨大企業のトップになった人々であれば、確証バイアスも発動しやすいのでしょう。

 大金持ちのオヤジの後押しで、メジャー球団のオーナーになったあげく、またもオヤジのネームバリューで、一国のトップになったボンボンにも、激しい確証バイアスの発動があったのでしょうか。

 というか、そんなことを考えるアタマもないように見えますがね。だから、ランドセル型の無線装置を背負わせられることになる……

 あーいかん、またもや暴走を。ブログはおとなし目でいかないと。フンマンは  メールマガジンで。


 それはともかく。

 この項の「隠れ」テーマが分かりますか?

 以前、どこかで書いた「使える言葉」です。


 今回の「使える言葉」は「拡張自我」と「確証バイアス」でした。

 ふたつとも簡単に世の中を斬ることのできる便利な単語ですね。

 どうぞ、みなさん、使用法を間違えずにお使いください。


「部長の飼っているハムスターは拡張自我の現れだぜ、おれには確証バイアスがあるんだ」とかね。

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リコ is back! スターシップトゥルーパーズ3

 以前にも書いたが、「スターシップ・トゥルーパーズ」が好きだ。


 第一作は、いかにも「ロボコップ」「トータル・リコール」の監督らしい、過度のプロパガンダに対するマスコミ不信安っぽいスプラッタ好みのテイストでありながら、B級映画に落ちる一歩手前で踏ん張って名作となった。

 踏ん張れた理由のひとつに訓練所同期の男女の青春モノとして話をつくったことがある。

 ハインラインの原作では、基本的に第二次大戦を意識した男臭い軍隊が描かれていたが、バーホーベン監督は、わたしの大好きな「終わりなき戦い」と同じ、ベトナム戦争を下敷きにさらにそれを進化させた、男女混成の軍隊を描いたのだ。

 「終わりなき戦い」では、作者がベトナム帰りのうえ、60年代という時代の背景もあって、選ばれた男女エリート学生による未来の軍隊(パワードスーツ部隊)は、麻薬の自由摂取パートナーを日夜取り替え交わるフリーセックスによって、過酷な戦闘に対するモチベーションを維持していた。

 さすがに1997年制作の「1」では、そういったあからさまな、死を忘れさせるための小道具を持ち込むことはなかったが、そのかわり、主人公リコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)と彼に思いを寄せるデイジー(ディナ・メイヤー)の片思いの恋を中心に、さわやかな男女混成部隊の青春を描いて見せた。

 このあたり、監督のセンスなのかなぁ。

 もちろん、後にボンドガールになったカルメン(デニース・リチャーズ)や「トータル・リコール」でも、シュワルツェネッガー知事を追い詰めた小隊長役ジーン・ラズチャック(マイケル・アイアンサイド)のタッタ演技もいい

 それに、主人公リコたちを訓練する教官でありながら、地球の惨憺たる戦禍に憤(いきどお)り、彼を守りたい上官から「実戦復帰するなら階級を剥奪(はくだつ)するぞ」といわれでも考えを曲げず、本当に二等兵として実戦に復帰し、最後に敵の中枢ブレイン・バグを捕獲するズィム軍曹(クランシー・ブラウン:ホームアローンの間抜けな泥棒役!)もいい。

 こういった、後に頭角を洗わす役者たちがワキに回っているのも、Bクラスに落ちずに踏ん張れた理由だったろう。


 人によっては、SF考証が甘かったり(いったいどうやって、ムシが何光年もの距離を隔てて、地球を直接攻撃できるのよ?とか)、兵士の非業(ひごう)の死を描いて戦争の無惨さをスルドク突きながら、同時にリコたち青春トリオのスポーツ・ライクなバグ退治で、戦争カッコイイと思わせたり、ハタンしとるじゃないか、と憤ることもあるでしょう。

 しかし、ここではっきりさせておきましょう。

「スターシップ・トゥルーパーズ」は、「西部戦線異状なし」でも「ジョニーは戦場へいった」でもありません。

 文芸作品ではなく、他のバーホーベン作品すべて(氷の微笑なんか)と同様、ギリギリB級映画に落ちずに危ういバランスを保持している娯楽映画なのです。

 いってみれば、これもわたしの好きな「SF好きのSF知らず」のリュック・ベッソン監督「フィフス・エレメント」と似た作品なのです。

 内容より、脚本より、監督の熱で映画を観せてしまうという……



 さすがに、世間の目も確かなようで、のちに「スターシップトゥルーパーズ」は人気を博し、フルCGのTV版「スターシップ・クロニクルズ」も制作されました。
 これは、ガンダムの原型になったといわれている、原作に登場する人型戦闘マシン・モビルスーツを、CGを用いて実現したなかなか面白いシリーズでした。



 そして、2003年、超ガッカリムービーと言われた映画「スターシップトゥルーパーズ2」が公開される。

 前作をはるかに下回る低予算で製作された「2」は、 撮影日数も26日

 これだけで駄作の資格充分というかんじ。

 もちろん、主人公のリコは出ないし、脇役も出ない。バーホーベンは、その前にハリウッドと決別しヨーロッパに帰ってしまっている。

 結果、「2」は「1」とはまったく別物の低予算丸出しの狭い要塞内だけで話が進む劇映画になった。

 さりながら、やっぱり日本での「スターシップトゥルーパーズ」(1)の人気は確かなものだったようで、アメリカでは劇場公開なしで、テレビ・ムービーとして放送されただけなのに、日本では「2」すら劇場公開(R-15指定)されたのだった。

 監督は、映像の魔術師フィル・ティペット(1でも特撮を担当)で長編映画監督デビューだった。

 予算からだけ考えても、彼の才能を否定してはいけないだろう。運が悪かったに違いない。

 しかし、ほんっとーにツマラなかった。B級映画にすらなれなかった。



 そして、2008年。

 ついにリコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)が帰ってきた。

 リコ is back!

 おまけに、ハリウッドを見限っていたバーホーベンも制作総指揮に復帰、予算も「2」の3倍を確保してヤル気充分。

 でも、「2」がショボ過ぎるから、それでも「1」の予算の5分の1だって!いったい「2」の予算っていくらだったの?



 で、やっと、この項の主題である「スターシップトゥルーパーズ3」の話です。

 結論からいうと、これもB級です。

 ストーリーもいい加減だし、破綻してるし、ご都合主義だし、マローダーと称するモビルスーツもチャチっぽい。

 だけど、いわゆる、いたるところブチ切れた「良い」B級映画になってしまっています。


 配役は、リコ以外の役者は、すべて新顔。

 監督は、前二作で脚本をつとめたエド・マイヤー。初監督作品です。


 「1」同様、「市民になれ!」テレビのプロパガンダで愛国心を煽(あお)る連邦。
 今回は、それに反抗する元兵士の穏便テロリストも登場する。

 そして、リコは……
 リコは大佐になっていた。
 大佐といえば、宇宙船の船長になれる階級だ。

 なのに、相変わらず、彼は歩兵として現場での戦いにあけくれている。
 あるいは、デイジーや仲間をを殺された怒りで、自らの手でアラクニド・バグズを殺したいと思い続けているのか……なんて思うわけです、ファンとしては。

 実際には、主人公が、スタートレックのカーク提督みたいに、指揮官の立場でふんぞり返っていたら、何にも面白くないから、という演劇手法のためなんでしょうがね。

 顔に傷のひとつでもあったほうがリアル感が増したと思うが、女性ファンの反感を恐れてか、顔は少し老けたものの以前の通りハンサムだ。

 前作のヒロイン、カルメンもズィム軍曹も出ない。

 そのかわり、歌って踊る感能力総合指令が登場する。
 総司令の歌うCDを買うことが市民のステイタスだ、ってもうすっかりイッテる設定ですよ。 

 現実主義者のヒロインが、バグ星の真っ直中に放り出され、絶体絶命のピンチの時に空から現れたリコたちマローダー部隊を見て宗教に目覚めてしまうとかね。

 でも、登場人物に、信仰の尊さを述べさせた舌の根も乾かぬうち?に、穏便テロリストたちの公開処刑映像を挟んだり……

 つまり、この映画は、神も法律も国も権力もプロパガンダも、バグさえも、すべてが胡散臭(うさんくさ)くニセモノに過ぎないのだ、という態度で話を進めているのですね。

 そこらへんを、マジメにとると映画の評価を間違えてしまいます。


 残念だったのは、鬼才バーホーベンならではの、さじ加減を、脚本家出身のエド・マイヤーができなかったことでしょうか。

 映画の間に流れるプロパガンダ映像の回数が多すぎる。クドい。
 宗教心の篤い、客室乗務員の女の子が叫ぶ「天にまします我らが……」ってのも、聞いててこっちが引いてしまうほどネチッコ過ぎ。

 最後に出てくる、いわゆるラスボスも鈍重なだけで全体像が見えず、結果的にオソロシクなかった。


 「1」とテイストは近いのに、B級を越えた快作たりえなかったのは、そのあたりに問題があるのでしょうか。


 ともかく、往年の「悪魔の毒々モンスター」や「片腕サイボーグ」あるいは、サム・ライミの「死霊のはらわた」シリーズに抵抗がない人なら、おすすめです。

 わたしは、いま、ひさびさにB級の名にふさわしい作品を見た、という気持ちでいっぱいです。


 あ、ヒロインは、知る人ぞ知る、スタートレック・エンタープライズのバルカン女性トゥポルだったんですね。気がつきませんでした。そういや、口もとに面影が……





 私のおすすめ:
スターシップ・トゥルーパーズ3 パワード・スーツBOX 7000セット...

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2008年12月12日 (金)

クリスマスに曲を!

 わたしは、今、クリスマス向けに何か気の利いたプレゼントを捜しているのですが、皆さん、何かみつかりましたか?

 何か「変わっていてありきたりでないもの」と考えていて、そうだ、と思いつきました。

 この際、我田引水(手前味噌が正しい?)で恥ずかしいのですが、音楽工房のアレンジサービスもご紹介しておこう、と。




 まあ、サイトはここ(http://www.ongakukoubou.com/)なんですが、まあ、主にやってることは、単純明快。

 鼻歌でもリコーダーやポータトーンのような楽器でも良いですから、メロディを送っていただければ、アレンジをしてピアノ曲にする(ふつうのカラオケみたいなのもあります)という仕事です。

たとえば、こんな鼻歌が、こんなピアノ曲になるんですね。

 わたしも、以前、ネパールのポカラから見た山の印象を、簡単な楽譜にして、うちの音楽スタッフに渡して「アンナプルナ」というピアノ曲に仕上げてもらったことがあります。

 えーと、今、それがどこにいったか見つかりませんが、また捜しておきます。

 ←ああ、「自作曲」の「涼風一瞬」もうちのアレンジですね。

 とにかく、テープ(MD、メール添付WaveDataも可)を送れば、CD(またはテープ)が送られてくる、という、単純なやりとりのみで、オリジナル曲ができます。

 このブログでは、たまに、この商品がいいよ、と紹介することがありますが、大きな会社といっても、他人任せのサイトは、ほんの少し不安が残るのですが、これは大丈夫。

 なぜなら、自分でやってるんですから不安がない。

 いや、そもそも、それが不安かもしれませんが。

 まあ、15年以上やってきて、つぶれず大きな問題もない、ということはソコソコなんじゃないかな、と自分では思っているのです。

 もし興味をもたれたら、一度音楽工房のサイトを訪ねるか、それとも直接メールのフォームでお尋ねください。

 こっそりいいますと、わたしの夢は「全てのひとにペンネームと個人のオリジナル曲を」なんです。

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歩こう歩け 〜ニンテンドー歩いて分かる生活リズムDS〜

 買っちゃいました。ついに買ってしまいました。

 なんて、何度もいうほどでもないんですが、前から気になっていた「ニンテンドー歩いて分かる生活リズムDS」を買ったんですよ。

 まあ、買ったのは少し前なんですが、最近、どんどん良さが分かり始めてきたので、ぜひ、みなさんに知って欲しくてペンを……とってないけど、キーを打ちます。

まあ、箱は、これ↓ですね。



 わたしは観たことが無いけど、テレビでもCMをやっているようなので、皆さんご存じでしょう。

 前にどこかでも書きましたが、わたしはPSP党なので、DSは持っているだけで、ほとんど使わないのです。

 ソフトは、逆転裁判4と、メトロイド・ピンボール(この二つだけはゲームとしてDSが好きです)、そして、ちょっと恥ずかしいけど「大人のDS顔トレーニング」だけを持っています。



 「動物の森」はもうひとつ熱中できませんでした。

 上のラインナップから考えると、わたしは、単体のゲームというより、なにか小物が付属しているソフトのほうが好きなようです。

 逆転裁判はともかく、メトロイド〜は振動パック付きですし、「顔トレーニング」はカメラ付。
 そして、今回の「ニンテンドー歩いて分かる生活リズムDS」は歩数計付(しかも二個も!)。

 仕様を見てすぐに気がつく欠点としては、歩数計自体に液晶がついておらず、「今」何歩歩いているかわからない、ということですが、実際使ってみると、そんなことはあまり気にならないのですね。


 実をいうと、ほんの最近まで、わたしは歩数計、いわゆる万歩計に偏見をもっていました。

 わたしはアウトドア好き、つまり歩くのも好きなのですが、どのぐらいの距離を歩いたかが知りたくて、昔、万歩計を買ったことがあります。

 しかし、当時の歩数計は、センサー精度が甘く、もうひとつ好きになれませんでした。
 結構歩いたつもりでも、まったくカウントされてなかったりして、役に立たなかったのです。

 ところが、最近、母が歩数計つきの携帯電話に換えたのですね。
 そして、どこへ行っても、すぐに電話を取り出しては歩数を確認している。

 たまに、呼び出されてショッピングに付き合わされているわたし(数少ない親孝行です)は、それを横目でみるわけですが、数字が結構正確なんですね。
 感覚的に、これくらい歩いたかな、という数字に近い。もちろん、母とわたしでは歩幅が違うので、カウント数はかなり違うと思うのですが、それを差し引いてもかなり正確です。

 いつのまにかセンシング技術が上がっていたんだなぁ。

 そう思って、調べてみると、最近の歩数計は、2軸の加速度センサーや、2個のショックセンサーを使って、持っている向きに関係なく歩数をカウントできるようになっていました。

 そこへ、この「生活リズムDS」の発売です。

 さっそく、任天堂の公式サイトに行ってみると、そこの開発苦労話が面白く、これなら買ってもいいかな、と迷いながら買ってしまいました。

 ぜひ、一度、↑の開発秘話(でもないけど)をお読みになってください。

 迷ったのは、ちょっと「顔トレーニング」がハズし気味だったからなんですが、結果的に買って大正解でした。

 というのは、人間は、忙しく街を歩いていると、いちいち歩数のことなんか気にしなくなるんですね。
 DSの歩数器は本当に軽いので、付属のクリップでベルトにとめるか、携帯電話と一緒にポケットにいれておくと、持っていることすら忘れてしまいます。

 液晶はついていませんが、唯一の動作確認である赤色LED(振動すると点滅する)が、あらかじめ設定した歩数を越えていたら、緑になって目標達成を知らせてくれます。

 そして、夜、家に帰ってDSに転送すると、歩数に応じて地上絵を書いたり、インターネットに接続して、世界中の人々(って、まだ日本人だけ?)と一緒に、歩いて地球→月→火→木→……を目指すのです。
 11月1日スタート。現時点で、月を越え、火星を目指しているところです。
 月から地球まで5億4857万0000歩(13日で達成)。月から火星まで1113億6571万0000歩。 
 現在、26億1247万7210歩。

 うーん、途方もない。だけど、ひとりじゃないって〜すてきなこと〜ねーと、ちょっと古いけど、歌でも歌って励みましょう。

 まあ、そんな浮かれた話だけではなく、転送直後は、今日の歩数を振り返りながら、一日の行動自体を振り返ることになるのですね。そして、あ、午前7時に20分歩いたのは通勤で、午後三時から15分歩いたのは、営業に出たからだ、とかが分かるわけです。

 車での移動は、GPSの記録を見ればわかります。
 でも、歩数をみれば、その人の一日の生活がわかるんですね。
 任天堂のスタッフも、良い考えを思いついたなぁ。

 あとは、お金の入出をきちんと記録できれば、その人はもう丸裸ですねぇ、怖いこわい。

 と、ここまでは、その人の行動記録だとか、健康のためにツカエルとか、まあ、個人主義のための生活リズムでしたが、最後のは違う。

 転送したデータの使い道で、「リズムをあわせてライトアップ」というのがあるのですが、これがすごい。

 まあ、内容自体はなんてことはない。

 時間にしたがって時計が回り、登録した家族(最大四人まで)の、その時刻の歩数が表示される。
 それに見合った分だけ、あらかじめ作った自分の分身(アバターみたいなもんですね)が、ローラー台の上を走って発電する。


 ただし、誰かが同時に走ると「シンクロ」と表示されて、発電量が単なる足し算以上に数割多くなるのです。

 日中、バラバラに過ごした家族が、このソフトの上で期せずして協力しあい発電量が増加するのですよ。

 もちろん、日曜など、みんなでお出かけすれば、これもシンクロ・パワーアップ。

 普段逢えない恋人同士が、数日ぶりに逢う時にデータを転送して、この日はあんなことしたこんなことした、なんて会話もできる。

 もちろん、逢ったその日は、一緒に行動するからシンクロ・パワーアップの発電量になる。

 つまり、「生活リズムDS」は、健康管理の道具ではなく、また、単なる行動記録の道具でもなく、離れがちな家族や、恋人をひとつにするスーパーマシンなのですね。


 いやあ、もしわたしに子供がいれば、強制的に持たせますね。

 追加歩数計は2000円足らずですから。


 ちなみに、登録するときに、犬モードにすれば、愛犬の歩数まで記録できる。!

 もう、一家総動員で発電ですよ。


 愛猫ケツコ↑にもつけたいが、ネコじゃ無理かな。寝てばっかりだし。

 でも、本当にこれはオススメです。DSを持っていたら特にね。

↓アマゾンで買えば、送料無料で定価より随分安いからお得です。


 私のおすすめ:
歩いてわかる 生活リズムDS(「生活リズム計」2個同梱)

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2008年12月11日 (木)

ルナティック・ドール(SF小説)

 もうひとつ過去の文反古(ふみほご)を公開します。

 これも随分前に書いたSF小説「ルナティック・ドール」(縦書きPDFファイル)です。

 この小説については、梗概は載せません。

 単純明快、簡単にいえば「スペース・コブラ」のような、宇宙辺境をさすらう英雄モノです。

 イメージ的には、C.L.ムーアの「シャンブロウ」や「銀河盗賊ビリィ・アレグロ」のような、純正スペース・オペラだと思うのですが、どうでしょうか?

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2008年12月10日 (水)

新コーナー・今日のオトボケ(うそ!) サンタが〜

 本日、近くのショッピング・モールに出かけてきましたが、もうクリスマス色真っ盛りですね。

 いたるところで、クリスマスソングが流れています。

 恥を忍んで告白しますが、ほんの子供のころ、わたしは、

サンタがパパにキスをした

だと思っていました。

 なぜか、勘違いして覚えていたんですね(聞いていたのは英語版のほうです。というか、デパートなんかでは英語版しか流れていなかった)。

 なんだかおかしい、というか、絶対おかしいし、今風にいえば「キショッ」ってな感じですが、クリスマスソングとかって、他にもおかしいのがあるでしょう?

 ですから、そんなモノなんだろうな、と。

 たとえば、「赤鼻のトナカイ」だとか。なんで鼻が赤いと夜道が安全なの?

 あれって、ホントは「明(あか)」鼻のトナカイなんじゃないの?


 「サンタがママにキスをした」は、のちに英語の歌詞が理解できたときに、はじめて、そうだったのかと気がつきました(遅すぎ!)。

 もう、大仏次郎(おさらぎじろう)を電車の中で、大声で知ったかぶり「ダイブツジロウ」と連呼していた高校時代と同じくらい赤面のいたりでしたわ。

 まあ、それをいえば、「ミゾウユウ」だの「ソウキュウに」だのと平気でいってる政治家たちも笑止ですがね。(しまった、過激さはメールマガジンにとっておかないと)

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背筋を伸ばせ! ストレッチポール

 先日、久しぶりに友人が訪ねてきて、体調の話になった。

 なんでも、肩胛骨に痛みが走って、手がうまく上がらなくなったらしい。

 整形外科で診てもらったところ、「運動不足」というなんともシマらない診察結果で、以来、物置にしまってあったダンベルを取り出して運動を始めたそうな。

 が、わたしには、そういった痛みはあり得ない(はず)。

 というのも、わたしには、NISHIのストレッチポールEX↓があるからだ。




 数年前に、事故(いずれ別項にてお話しします)で、肩と首を痛めてから、しばらく冬になると肩が張ったりていましたが、これを使い出してから、そんなことはなくなった。

 多くのスポーツ選手が愛用しているし、フィットネスクラブの定番でもあるので、ご存じの方は多いと思いますが、一応、説明しますと……まあ、ただの硬質スポンジの棒です。

 だが、こういった器具は、構造が単純なほど、奇をてらわない確かな効果があるものです。

 使用方法は簡単。ただ、この棒の上に寝るだけでOK。

 体重で背筋はまっすぐに伸び、体のゆがみが矯正される。
 自重を使った運動が安全なのは周知の事実ですから、これでいい、と思うまでいくらでも寝ころんでいればいい。

 わたしは、寝ころびながら本を読みます。

 もちろん、フィットネスなどで指導するような、さまざまなエクササイズ(手を上に伸ばしたり、ぞうきんで床磨きするように動かしたり)をすれば、もっと効果はあるのでしょうが、面倒なら、寝るだけで充分です。

 体調不良は、背骨のゆがみからくることも多い。
 首や肩の凝りも、わたしは、これで改善されました。

 構造が構造だけに、普通に使っていれば、8000円足らずで一生モノです。

 いろいろメーカーはありますが、やはり老舗のNISHIのものが良いようです。
 数多くのフィットネス・クラブで使用されている実績もありますしね。


 これも、騙されたと思って買われても良いと思います。
 おそらく、後悔はしないはず(たぶん)。


 私のおすすめ:
ストレッチポールEX(取扱説明書付き)・送料無料!!

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I SPY 〜ペン型ビデオカメラ〜

 子供の頃、スパイの小道具が欲しかった。
 
だから、サンスターが売っていたスパイ手帳セットなどは迷わず買った。

 あとは、ミノックスに代表される小型カメラが欲しかったが、これはちょっと手が出なかった、というより、撮ったあとの現像に問題があった。

 ツマラナイものを撮って、現像に出したら恥ずかしいじゃないの。
 デジタルカメラになってその問題は無くなったが、そうなると、さらに欲望はエスカレートする。

 こんどは、人知れず動画が撮りたい。
 理由なんかないし、もしあったら、たぶん犯罪がかったものになるだろうけど、なんか撮ってみたいことってない?

 隠れたスパイ魂というか、なんというか。

 理由はないが、そういったコモノを持ちたいのだ。

 もちろん、後付(あとづけ)で理由は考え出せる。

 初対面の人を、胸ポケットでいれたカメラで撮影して、家に帰ってから印象や会話を記録して、人脈開発に使う、とかね。


 でも、理由より、やっぱり気になるんだな。こういうのは。

 そんなとき、こんなものを見つけた。




 そう、ペン型ビデオカメラ(\18,800)。

 あるいは、こんなの。




 世界最小ってのがいいね(\17,800)。

 値段がこの程度なら、二年ほど使えば減価償却できるかも、とおもってしまうが、どうかなぁ。

 ただ、ちょっと誇大広告気味だと思うのは、「おしゃれなボールペン」ってとこかな。

 どうみたって、ちょっと太すぎるような気がする。

 手は疲れなさそうだけど。

 あ、そうか!

「かぶらやさん、そのペン、でかっ!」
「手が疲れやすいから、これくらい太くないと駄目なんだよ。モンブランだっていいやつは太いだろう?」
「なるほど」

なんて会話をすればいいんだな。きっと。

 ボックス型は魅力的だけどね。ボタン類の並びがネコの足っぽいじゃないの。

 こういった、スパイ系小道具というのは、なかなか魅力的なので、今後もちょっとずつ紹介していくつもりです。

 あ、あと、個人的にはこんなのも好きなんだけど……




 MP3ウデドケイ!(\17,800)

 詳細へは、本家かぶらやからどうぞ。

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2008年12月 9日 (火)

埋め込み型疲労マーカー HHV-6

 みなさんは、疲れるとどうなりますか?
 ある人は目の下に隈ができたり、また別な人は口内炎ができたりするでしょう。

 このように、疲れは目に見えることがある。

 しかし、人によっては、疲れが表に出てこないこともあるし、自覚すらしていないこともあって、結果的に、そのために過労死してしまうこともあります。

 発熱なら体温計で、血圧だったら血圧計で、血糖値やコレステロールなどは血液組成を調べて、だいたい分かりますが、疲労となると具体的な数値で表すことができませんでした。

 今、その研究が端緒(たんしょ)につき、やがては花開こうとしている、という話を、今回してみようとおもっています。

 その原動力というかマーカー、つまりキーとなるのがウイルスです。

 ウイルスの名は、HHV−6(ヒトヘルペス6)。
 突発性発疹、いわゆるチエ熱の原因と呼ばれているものです。

 チエ熱は、およそ日本人のほとんどが幼少時にかかる病なので、ほぼ日本人のすべてが、そのウイルスを体に取り込んでいることになります。
 HHV−6は、他のウイルス同様、ひと通り症状が落ち着いても、消滅はせずに人間の脳内に潜伏します。

 脳内に寄生して生き続けるんですね。寄生生物の願いはただひとつ、宿主(しゅくしゅ)の長生きです。
 その意味で、宿主を殺す、致死性ウイルスというのは充分に異常なのですが、まあその話は、また別項で。

 発生過程はよくわかっていないそうですが、人は疲れてくると「疲労伝達物質」を作り出します。
 疲労伝達物質は体内を巡り、体を休ませるために細胞の活動を停止させていきます。
 このあたりでヒトは「疲れ」を感じるようです。

 しかし、ヒトは体の警告を無視して、脳の判断だけで無理をしがちです。つまり、さらに働く。

 すると、細胞が停止を通り越して死んでしまう。もちろん細胞は再生されますが、それを上回るイキオイで細胞が死ぬと……一番影響を受ける心臓が止まってしまうのですね。

 過労死のほとんどが心臓発作によるもの(まあ、ヒトが死ぬというのは、つまりは心臓が止まるということだといえばそれまでですが)という理由は、そういうことです。

 さて、そこで件(くだん)のHHV−6です。
 脳内でおとなしくしているHHV−6は、疲労伝達物質が増えるにしたがって身の危険を感じます。
 宿主の死は自分の死でもあるわけですから。
 そこで、彼?は休眠状態から醒め、再活性化して、宿主からの脱出をはかります。
 血液を通じ、唾液にとけて体外にでようとするのですね。

 だから、疲労度を測りたければ、唾液中に含まれるHHV−6の濃度を調べてやれば良い、ということになります。

 この「疲労の研究」の第一人者というのが、東京慈恵会医科大学 ウイルス学講座 近藤一博教授という方です。

 第一人者、といいますが、こういった「疲労の研究」は、日本以外では、ほとんど行われていないそうです。

 だって、KAROSHIが、FUJIYAMA、YAKUZA同様、国際語として世界で認知されているくらいだから。

 つまり「ガイジンは疲れない」というのはウソですが、「休むのがウマイ」というか、要は「疲れるほどは仕事をしない」のでしょう。

 昨日、BSのフランスニュースを観ていたら、フランスの労働者が「日曜日にスーパーで働くのを強要されるのは権利侵害だ。働かせるなら給料を倍にしろ」と叫んでいましたからね。

 個人的には、アメリカなどでも、働く人間は死ぬまで働いているとは思うのですが、あの国は、もともと心臓病の多い国だから、「過労による心停止」が目立たないだけなんじゃないかな。

 それはさておき、「ウイルス学」の教授が、ウイルス撲滅を目指さず、ウイルスをマーカーにして、疲労度の測定をしようとしている、というのが面白いとは思いませんか?

 思えば、ヒトは、生まれてから、さまざまなウイルス性疾患にかかります。

 それらはほとんど死滅せず、体内に潜伏する。

 脊髄(神経節)に潜伏した水痘ウイルスが、体力が落ちると表に現れ、たいへんな激痛を引き起こす「帯状疱疹」などは、その代表例ですね。

 ウイルスは生き物ですから、さきのHHV−6のように、体の異変に敏感に反応するものもいるはずです。
 たとえば、ガン細胞(初期ガンの小さいヤツ)ができたら、活性化するような。
 これをうまく使えば、予防医療の革命が起こるかもしれませんね。

 これまで、「ヒトはヒトとして単体で生きる」というのが、生物としてのヒト認識でしたが、今後は、「ヒトは、さまざまなウイルスとの共生状態で一生を送る」、というように意識を変えなければならないかもしれません。

 そう考えたら、なんか、ちょっとだけ孤独感が薄れる……

 なんてこともないでしょうが。



 あと、牛などのように、生まれながら、四つあるうちの瘤胃(りゅうい)内に、草の主成分であるセルロース分解の酵素を持っている生き物もいますね。

 だから牛は、草を消化できる。

 しかし、だからこそ、幼牛の時に、母乳(まさしく我々が飲む牛乳です)を瘤胃にいれるわけにはいかない。タンパク質によって酵素がダメージをうけるからです。

 そこで、幼牛には、口から四番目の胃(皺胃しゅうい)に直接ミルクを流し込む「ミルクバイパス」が備わっているのですね。


 蛇足ですが、「ヒトがヒトにキスをする」(のを好む?)理由のひとつが、ウイルスの経口感染を本能的に望んでいるからだ、という説を以前に目にしたことがあります。
 ヒトの進化にウイルスが関わっているというのも定説になってきていますね。


 余談が長くなってしまいましたが、ともかく、我々人類は、「虎よ虎よ!!」のガリィ・フォイルのように、宇宙空間にひとり残されたとしても、We are not alone.であるのは確かなようです。

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りりん (推理時代小説)

りりん (紅蓮改め)縦書きPDFファイル

梗概:あらすじ

 天保年間の江戸、辰蔵は腕利きの岡っ引きで、仲間からも一目置かれている。

 ある日、辰蔵は、浪人矢野新重郎と知り合う。
 彼の家を訪ねた辰蔵は、出迎えた新重郎の妻、美しいゆきに心ひかれるのだった。

 数日後、大工の息子、与一が誘拐され、再び辰蔵は新重郎と会った。

 与一は新重郎の寺子屋で読み書きを教わっていたのだ。

 翌日、与一は死体となって見つかる。

 下手人を捜すうち、辰蔵は新重郎の意外な噂を聞きつけた。

 今は、風呂付きの下駄屋の離れを借りて暮らしているが、かつて長屋住まいの時、ゆきを大切に思うあまり、夏も冬も彼女を湯屋(風呂屋)に行かせず、行水をさせていたというのだ。

 新重郎の怪しげな行動は続き、ついに下手人も見つからないうちに、ゆきと二人で江戸を出ようとするのだった。

 やがて、辰蔵は、美しいゆきの思いもよらない秘密を知る。


 先の二作が比較的好評だったので、調子にのってもう一作アップさせていただきました。
 この作品は、もともと「紅蓮」というタイトルだったのですが、今回は、最初に思いついたタイトル「りりん」に改題してあります。

 お楽しみいただければ幸いです。

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2008年12月 8日 (月)

正確ガリレオ

 今、探偵ガリレオの「容疑者Xの献身」が映画公開されているが、わたしの家にもガリレオがいる。




 見て分かるとおり、ガラスに封入された液体の中に、いくつもカラフルな液体を閉じこめたガラス球が浮かんでいる。

 ガリレオ温度計だ。

 その横には、以前紹介した晴雨計が並んでいる。
 この晴雨計は、ガリレオの弟子トリチェリが考案したものらしいから、こうして並べると、地球を観察する子弟タッグということになろうか。

 晴雨計も正確なのだが、ガリレオ温度計もなかなかに正確だ。

 上に浮かんでいる中で一番下のガラス球についている金属タグの数字が現在温度を示して、この3Lタイプだと、2度刻みで、12度〜34まで計測できる。

 大きさによって、計ることのできる温度の範囲が変わるが、そのどれもが美しく、インテリアとしても存在感がある。

 夏は涼しげで、冬もふわりと浮かんだ球の感覚で、寒さを感じさせない。

 うちの場合は、晴雨計とセットで、未使用時のグランドピアノの上に並んでいます。


 私のおすすめ:
ガリレオ温度計3L

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鏑矢の風鳴り(目次) NO.1



1.始めに
 「このメールマガジンは、ブログでは、うかつに書けない政治や経済についての突っ込んだ話題と、様々なビジネス書から得た知識に、わたしの自営の経験を加えて、より実際的にツカエル(以下略)

2.政治・経済トピックス
 「トヨタに見る殿様商売の末路と愛知県の地盤沈下」
 今、日本国内で、もっとも中小企業が苦しめられているのは、愛知県である。というのは(以下略)

3.ビジネスに役立つ道具(連載)
 「手帳を有効に使うための道具」
  手帳を有効に使うためには、情報の差し替えとアクセスを容易にすることが必要不可欠(以下略)

4.魔法ではない速読術(連載)
 わたしは、ビジネス書なら、だいたい一冊10分ほどで読みます。小説にはばらつきがありますが、原稿用紙600枚程度(ハードカバー一冊)だと、だいたい15分ほどです。別に目をスバタク動かしたり、独特の訓練をしたわけではありません。ただ、早く読む方法は存在します。(以下略)

5.安易なコトバにモノ申す(連載)
 「もうその言葉は言うな」
  ・『ベクトル』
   よく明らかに文化系脳の持ち主が、考え方の「方向性が同じ」というような意味で、
   「ベクトルが同じ」とノタマウことがあるが、あれは「もうヤメロ」といいたい。
   ピンぼけ過ぎて話にならない。(以下略)

6.お知らせ
 「インフルエンザ・パンデミックに備えましょう」


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2008年12月 7日 (日)

メールマガジン始めました (50人限定)

 トップにも書いてありますが、再掲載します。

 お気づきかもしれませんが、このブログでは、経済や政治に関した話題を意識的にしていません。
 たまには、もう少し突っ込んだ内容を書いてみようかと、メールマガジンの登録を始めました。なんとなくまとめつつある、ビジネスの方法論や文章作成法についても書こうかな、と思っています。

 週イチぐらいを目安にしています。


 名称は「鏑矢の風鳴り」


ここから、メールアドレスを登録してください。

 独自CGI使用ですので、名前不要で登録・解除が簡単にできます。

 GIOのCGI制限から、一度に50通しか送信できませんので、50人で登録を終了させていただきます。

まあ、それだけあれば充分でしょう。

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2008年12月 6日 (土)

人には蒸気が必要! クリスマスプレゼントに良いと思うんだけど……

 前にも書きましたが、わたしは冬が好きです。
 だから、秋になると「これから寒くなってくる」とワクワクするんですね。
 夏好きの方には理解できないかもしれませんが。
 ただ、冬になると嫌なこともある。
 風邪をひいてしまうんですね。
 わたしも人並みに、ひと冬に二、三回は風邪をひきます。

 でも、これを使うと、風邪をひく回数は明らかに減ります。

 かかっても、それほどひどくならない。

 その秘密兵器こそが、オムロンの吸入器スチームサワです。




 値段は定価10,500円だけど、通販の安いところだと5000円台で送料無料と手頃なわりに効果は絶大。


 わたしの父は、喉の病気で、昔から吸入器をつかっていたのですが、ボイラータンクみたいなのに水を入れ、ミニ電熱器みたいなのに乗せて待つこと数分、やっと蒸気が出てきたと思ったら、スチーム温度もスチーム量も調節できない不便なものでした。

 その頃、わたしは加湿器をバカにしていたのです。

 ところが、先頃、喉を痛めた祭に、あまり期待せずに使ってみたところ、加湿器の効果に感動してしまいました。


 なんというか、風呂に入っている感じなんですねぇ。

 いつでも、何回でも、入浴の気持ちよさが体感できる。

 これは、ちゃんと使った人にしかわからないんじゃないかな。ホント。


 どうして、もっとメーカーも宣伝しないのかなぁと思います。


 風邪や花粉に不安を持ち、苦しんでいる人のためになるのに。


 特に、最近買いかえたオムロンの吸入器スチーム・サワがいい。

 本体はプラスチック製で軽くコンパクト。
 
 使うのは水のみ。変な薬液は使いません。だから、一日なんどでも気が向いた時に使える。

 水をいれ、スイッチオン後、30秒程度でスチームが吹き出す。

 それも、出てくるのは超音波の冷たいスチームじゃなくて、暖かくて、喉と鼻に良い12ミクロンのスチームなのですね。

 ウイルスやホコリ、花粉で痛んだ喉に潤いを与えて自己免疫を回復させてくれるのです。(リンクから説明を読んでください)

 本当に、人の粘膜には潤いが必要なんですね。

 昔のキカイと違ってスチームの量も温度も簡単に調節できます。

 説明書には、風邪の予防、ひいた後の喉・鼻の痛みの改善、花粉症の症状緩和(スチームで花粉を洗い流すらしい)にも有効、とある。

 幸い、わたしは花粉症ではないのですが、風邪に関しては本当に効果絶大です。

 個人的には、家具や部屋に妙な湿気を与える加湿器を使うより、ピンポイントかつタイムリーに使える吸入器の方がはるかに使えると思います。

 「吸入器」という古くさい名称に対する偏見は捨ててください。

 しかも、使ってみて気づくんですが、これって顔のヒフにもすごくいいんですね。

 わたしは男だから、顔のヒフの手入れなんぞはほとんどしないのですが、一回吸入すると顔が驚くほどツルツルになる。

 パナソニックなどが発売している美顔用スチーマーもいいでしょうが、この吸入器を使うだけで、喉と鼻の粘膜+顔の皮膚まで、同時にケアしてしまえるんです。

 使うのはただの水ですから、これは断言しますが、使用による副作用は無いはずです。

 実際にわたしが使ってみて、冬こそ、のおすすすめは、この吸入器です。

 どこかで、体験できれば、その良さは分かってもらえるはずです。

 欠点といえば、クリスマスプレゼントとしては、ちょっと、もっさりしすぎているということがあげられますが。


 私のおすすめ:
オムロン 吸入器 スチームサワ NE-S18

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2008年12月 5日 (金)

俺はトラック野郎

 この場を借りて宣言しますが、わたしはトラック野郎です。


 いや、別に、すっかりミヤザキ声優になっちまった菅原文太が、かつて演じた「桃次郎」(トラック野郎爆走一番星:1975)、キンキンが演じた「ヤモメのジョナサン」(時代だねぇ、もう本歌もわからないカモ)のように、大型トラックに乗って日本中を走り回る豪快な男ってわけじゃありません。

 だって、わたしのトラックは、机の上に載っていますから。




 正確にいうと、わたしはトラック(ボール)野郎なのです。

 個人的には、トラックボールが、マウスなんかよりずっと好きです。

 むかし、ノートパソコンに搭載されていたミニトラックボールは、すぐにゴミが溜まって使い物になりませんでしたが、最近の外付け?のは違います。

 もちろん光学式ですから、いわゆるメンテナンスフリー。

 サイトを見ながら、手持ち無沙汰にクルクル玉をまわすのも、なんか気持ちイイ。
 テノヒラのツボを刺激してるって感じ。
 ボケ防止にも有効な気がする(たぶん、まだ先だけど)。

 ただ、このトラックボール、わたし以外には、だいたい評判が悪い。

 「便利だから使ってみて」といっても、しばらくすると「使い慣れたマウスで作業がしたい」といい出だされるのです。


 修行が足りん。

 わたしほどになると、トラックボールをテノヒラでサッとはじいて、ポインタがだいたい狙ったところでとまるのですが、マウス使いの人にはそれができないらしい。


 収集がつかないほど散らかった机上、ほんの小さなスペースで自在にポインタを動かすことができるのがトラックボールなのになぁ。

 だいたい、デスクトップマシンを使う時(仕事場)も、ノートを使う時(書庫内)も、机の上に資料を山のように積み上げるからそんなことになるのですが。


 だって、所詮はポインティング・ディバイスでしょう?。操作に場所を取るなんて生意気だ。

 もっと身をかがめて小さくなっとけって。

 なるほど、トラックボールは、マウスに比べて、いくぶん大雑把です。

 でも、精密な操作が必要なら、そのときだけタブレットを使えば良いのです。

 特に、昨今のマウスのように、レーザーだの、コードレスだの、そんなミョーな多機能?機能追加は必要ないと思います。

 コードレスなんて、ヒモがマウス操作に邪魔になるから必要になるでしょう?

 トラックボールならヒモは一切関係ナシ。


 奇をてらわず場所をとらず、オーソドックスな、オミオツケみたない道具がトラックボールなのです。


 そりゃわたしだって、コードレスだの、エルゴだのミクスだの、いろいろ変なマウスに振り回されたこともあります。正直にいいます。


 でも、十代から始めてパーソナルコンピュータ暦数十年の遍歴の果てに、わたしがたどりついたのがトラックボールなんです。

 結構昔からあるんだよね。ジョイスティックとトラックボールって。

 浮気男が「アイツばかりがオンナじゃネェ、世の中にはもっとイイ女がいるはずだ」と、さすらった女性遍歴のあげく糟糠(そうこう)の妻のもとへ帰るように、わたしもトラックボールにかえってしまいました。

 だいたい、マウスって、長く使うと変に力が入って手がツリそうになりませんか?

 トラックボールならそんなことはない。

 ぜひ、みなさんにも、トラックボールをお勧めします。

 ただ、ひとつの欠点は、ヨソのコンピュータを使う時に、そこのマウスを、ヤタラと使いにくく感じてしまうことです。


 私のおすすめ:
ロジクール ST-45UPI Marble Mouse トラックボール

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2008年12月 4日 (木)

ブンピツ失格 よくわからない太宰人気

 来年、生誕100年を迎える太宰治が人気だそうな。

 そういえば、本屋などでも、集英社文庫が「あの」小畑健のイラストに変えて売り出していますね。


 あ、今回は昨今の太宰人気について書こうと思っています。
 文学談話に肌の合わない人は、読み飛ばしてください。



 調べればすぐにわかりますが、太宰について少しおさらいしておくと、


 太宰治(1909−1948)
 本名:津島修治
 青森県の大地主の六男坊に生まれ、坂口安吾や織田作之助らと並び「無頼派」「新戯作派」と呼ばれる。
 48年に玉川上水(当時)に、女生とともに入水(じゅすい)自殺。今年が没後60年。


 そういや、太宰と織田作之助、オダサクはどちらも無頼派だったんだなぁ。
 かつて、わたしは大阪の千日前にいくと、よくオダサク行きつけの、そのテーブルで代表作「夫婦善哉」を執筆したという「自由軒」で、ライスもルゥも卵も最初っから混ざっている「オダサクカレー」を食べていました。






 「自由軒」は、いかにも安っぽい大衆食堂といった体(てい)で、近所のオッチャンらしき客層も、クッションの悪いパイプ椅子も気に入っていたのです。値段も安かった。
 しかし、ある時期から、何を勘違いしたのか店がどんどん値段をつり上げ、オダサクブランドを全面に押し出すようになると、客層も、オッチャン連中から着飾った女の子、そんな子をつれた気取りニイチャンに移り変わって、自然に行かなくなりました。
 最近では、驚くべきことに店の前に行列までできているようです。

 あいかん、いつのまにか「昔は良かった」「あの店もダメになった」モードに入ってしまっている……


 さてさて、太宰治。
 告白すると、わたしは子供の頃から太宰が苦手でした。

「コレクライ読んでおかねばナラヌ」と、一所懸命に「斜陽」や「人間失格」などの代表作は読んでみたものの、冒頭の「お母様がスプーンをトリの羽のようにヒラリヒラリと使われる」なんて書き方でもうダメ。合わないんだなぁ。

 芥川なんかだと、あの、ぱっとしない片田舎で、冬枯れのすすけて抑圧された風景のもと、そろって背の低い冴えない子供たちに向けて、列車にのって奉公に出る凡庸な容姿の娘が、愛情を込めて投げる蜜柑が、きらめくように宙を舞い、その軌跡が灰色の退屈な世界すべての印象を一瞬にして鮮やかな色彩に反転させ、読む者に、めまいに似た感動を喚起させる名作「蜜柑」をはじめとして、いわゆる箱庭的小説技法が自分の気持ちにぴったりハマって結構好きなのですが。

 どうせシンコクぶるなら、政変のあおりを食って、実際に死刑直前までいったドストエフスキーの作品群の方がはるかに好ましい。
 机上でコネコネとジンセイを弄(もてあそ)んで紡いだハナシより、極限状態を経験した作家のストーリーの方が、はるかにきりりとして重みがある。
 「悪霊」なんて、一時期わたしのバイブルでもありました。カラマゾフはダメだったが。

 しかしながら、日本において、太宰は、生前から没後60年にいたるまで、つねに人気のある作家だったと思います。

 わたしは直接には知りませんが、昭和40年くらいまでは、酔えば太宰を暗証したブンガク青年なんかも多かったそうですね。


 そういえば、いまも中学の教科書には、芥川の「蜘蛛の糸」は載ってないけど、太宰の「走れメロス」は載っているなぁ。



 でね、ステロタイプですみませんが、新聞に「なぜいま、太宰なのか?」なんて記事が載るわけです。

 同時に人気の上がっている小林多喜二の「蟹工船」だったら、まあ人気の理由はすぐにわかりますが太宰人気はなぜなんだろう、と?

 すると、大学の近代文学の准教授が答えるんです。

「(太宰の小説が)現代のネット社会の孤独を体現し、周囲の人々とコミュニケーションを取りづらい若者の気持ちを代弁しているのではないか」

 うーむ。おえらい学者サマの意見に口をはさむ気はないが、なんか違う気がしますねぇ。

 皆さんはどう思いますか?

 「ネット社会の孤独」「周囲とのディスコミュニケーション」なんて、手垢のついたソレらしい単語を並べるだけで新聞に載るなんてイイ商売ですねえ。

 まあ、わたしも経験がありますが、マスコミへの発言は、結構記者が勝手に手を入れてしまうので、丸のまま信用はできませんが。
 
 しかし、「ネット社会の孤独」ってなんだろう。わからないなぁ。少なくとも、この文脈で使う理由がわからない。


 わたしは、個人的に、彼が処女作「晩年」の冒頭作品「葉」のエピグラフとして掲げた、ヴェルレーヌの「叡智」からの抜粋である「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり 」に代表される、劣等感の裏返しとしての過度な自尊心、理由無き(まあ、太宰は金持ちの息子でしたが)選民思想、そして、働かず実家からの仕送りで口に糊(のり)しながら、世界を批判する、生活無能力者の太宰の主人公が、今の若者の気分にオーバーラップさせやすいのが、人気の原因ではないかと思っています。

 もちろん、先に書いた没後60年、生誕100年というイベント性、小畑鍵によるイラスト広告や今年3月、三鷹にオープンした「太宰治文学サロン」など、上からの企画が功を奏していることもあるでしょう。

 ともかく来年は生誕100年。

 太宰の生地である五所川原市では6月に記念フォーラムやマラソン大会(って、青ビョウタンのダザイとはまったく相容れない企画じゃないの?)も予定されているようですし、太宰が新婚時代を過ごした甲府市の山梨県立文学館でも企画展が開かれ、映画の制作企画も立ち上がっています。

 太宰人気はまだまだ続くんでしょうねぇ。

最後に。
 お叱りは覚悟で書きますが、わたしは太宰がシンコクな顔で写っている写真を見ると、なぜか笑ってしまいます。
 ああいった、*「小人閑居して不善を為す」(日本で用いられる誤用の方の意)タイプの、部屋にこもって、世の苦悩を一身に受けているような自意識過剰の人間は、客観的にみるといっそ滑稽ですから。



 チナミに、ご存知の方も多いでしょうか、『大学』にある「小人?居して不善を為す」(?の字が上とは違います)の本当の意味は、「中身のくだらない人間は一人でいると(人が見てないと)悪いことをする」というものですね。
 日本では誤用が広まってしまっていますが、本当はそうです。

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鬼面人を驚かす? 〜しょぼい自分を「大物」に見せる技術〜

 この間、イキツケの古本屋をぶらついていると、「課長バカ一代」が一冊80円で売られているのを見つけて、反射的に買ってしまいました。




 個人的に、野中英次は「クロマティ高校」よりこっちの方が好きなのです。



 ご存じない方のために、ちょっと紹介しますと……

 タイトルは、もちろん「課長島耕作」と「空手バカ一代」を足して二で割ったものです。

 内容は、「課長島耕作」と「空手バカ一代」の両辺の対数をとって微分してnを無限大に近づけたような感じで、はっきりいって、ハツシバ電気を真似た企業に勤めている(本当の意味での)バカという点しか要素が残っていません。

 おまけに、主人公の容姿は、クライング・フリーマンというか、オファードというか、まあそんな感じですが、中身は100%純粋なギャグマンガです。
 一巻の扉には「劇画と間違えて買わないように注意してください」との注意書きもある。

 全巻買って楽しく読ませていただきました(書庫の床が抜けそうなのに、また無駄な買い物を……)。
 もう十数年前の作品とは思えないぐらい面白い、というか、わたしのセンスがその頃のまま止まっているのかも知れませんが。



 その後、大学図書館で「課長バカ」が表紙になっている本を発見、またもや反射的に手にとって借りたのですが、そのタイトルが、

しょぼい自分を『大物』に見せる技術」(宝島社)内藤諠人(ないとうよしひと)著

でした。

 これを小説に分類してよいか迷うのですが……




 著者は、以前に「人たらしのブラック心理術」を書いた人物で、専門は「説得学」?だそうな。

 帯を引用してみよう。

「才能も実力もないのに、出世するヤツ、金持ってるヤツ。なぜヤツらが選ばれるのか。運?それとも偶然?いや違う。彼らは、あなたにはない『大物力』を持っているのだ。(中略)才能も実力もいらない。ただ自分を「大物」に見せる。それだけであなたの人生はガラリと変わるのだ。見た目、ハッタリ、会話術……。あなたを大物に偽装する禁断の心理テクニックを伝授します」

 なんとも「宝島社」的に挑発的な文言(モンゴン)が並んでいます

 「はじめに」はもっと刺激的だ。

 ビジネスマンにとって最大の悩み、そして不満は「がんばりが正しく評価されない」ということではないだろうか。(中略)会社を見渡してみると、実力もないヤツが出世していることは多いし、目だった数字を残しているわけでもないのに、なぜか一目置かれているヤツもいる。(中略)筆者に言わせれば、あなたには「大物オーラ」が足りないのだ。(中略)これに対して、実力もないのに評価されるヤツらは、みな「大物オーラ」を漂わせている。(中略)実力なんて関係ない。いま大物である必要もない。ただ「こいつは将来大物になるぞ」と思わせることができれば、それだけで出世していけるのだ。(中略)すべては演技でかまわない。いや、むしろ演技と割り切って徹底的に「偽装」できたものだけが、大物オーラを発することができるのだ。(中略)本書では「デキる人」など、はなっからめざさない。(中略)本書で目標とするのはただひとつ、「なにもしないのに評価される男」だ。

 いやはや、スゴイ鼻息だ。

 目次も面白い。

1章 見た目「大物を偽装しろ!」
   見た感じ「大物」になるコツ
2章 「大物」は毎日が舞台だ!
   「大物」っぽい演技のコツ
3章 大物の友達は「大物」(と思われる)
   「大物」を味方につけるコツ
4章 「大物」に見せれば交渉にも勝てる
   交渉でビビらせるコツ
5章 「大物オーラ」で部下が勝手についてくる
   部下に尊敬されるコツ
6章 あなたを「大物」に見せるステージをつくれ

 いやあ、本当にすごい

 まあ、こんな本です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 え、このまま終わるのかって?
 いや、もういいじゃないですか。
 皆さんの心にも、わたしが感じたのと同じモノが浮かんでいるでしょう。
 ま、あえていえば、慶応大学の博士課程を卒業した筆者の主張は、かなり正しいと思います。
 主に米国の心理学者の行った実験データを駆使して、自身の主張を補強するワザもまずまず。
 筆者のいい方を借りれば、彼もかなり「大物力」を持っている
 あーよかった。面白い読み物でした。
 
 
 
 
 



 ちょっとだけ老婆心を発揮すれば、まさか、この本を借りている学生たちは(といって、裏扉の貸し出し記録を見る、あ、ほかの本はほとんど借りてネェのにこの本は、20人以上借りてる!)、この本を、ジョークネタ以外に使おうとは思わないでしょうね
 
 
 まさか、本の内容を本気にして真似をする、なんてコトは……ないよね。

 あー良かった。ちょっと心配になりました。


●大物に見せたければ外見を変えろ。 まず高身長であれ、デカくなれ
 マッチョな体型になれ、無理なら三つ揃えのスーツを着て体をブ厚く見せろ。
 顔をデカく見せろ。顔のデカさはライオンのタテガミと同じだ。
小顔ブームは大物には無縁だ。

 こうなってくると、笑っちゃうね。

●大物にはブランド物の腕時計が欠かせない。借金してもロレックスだ。

●いい服を着ろ。スーツの値段があなたの値段だ!

●話さなくてもいいから大物に寄り添え

笑顔を安売りするな!ビジネス書には笑顔が大切と書いてある。
だが「大物」には笑顔は無用だ。
 大物はそうそう簡単に笑顔を見せない。どっしりと構え、口を一文字に結んでいるのが大物なのだ。

 こうなると、もう冗談なのかどうかわからなくなる


 しかし、まあ、ピンボケなところもありますが、大筋でいえば筆者の言ことは正しい

 人は高身長の人物の下に集いがちだし、アメリカでは相手の目線を下げるために、スプリングの弱ったソファに腰掛けさせ、自分はそれを見下ろして精神的優位を保とうとする。

 バカげていても、そういった小ワザが通用するのがセケンさまの恐ろしいところだ。

 「アメリカの大物」たちが、この本に書かれている心理作戦上のコワザを身に着ける勉強をしているのも事実ですし、われわれの周りでも、よく、実力もないのになんか目立つ者は存在する。

 知恵も勇気も実力もなさそうなのに、大臣になるマンガ好きな老人もいる。
 しかし、勘違いしてはいけません。

 セケンは案外甘いが、驚くほどカラくもある。

 彼または彼らには、バックに血筋だとか祖父に恩を受けたという人々がついていたりするのです。

 われわれのような裸一貫とはワケが違う。

 もともと何もない人間が、大物ぶっても、あるいは大物になついて勢力を得ても、実力と成果がなければ、やがては消えていきます。

 もちろん、見せ掛けを工夫して、一時的に世の中をウマく渡っていくことはできます。

 実際にそうしている者もいる。

 しかし、人の一生は、生まれてから死ぬまで

 そして、これは断言してもいいが、ある人物のいい加減な行いは、親や子供、係累にまで悪い影響を与え、結果的にひどい晩年を送る場合がほとんどです。


* これは宗教的な意味でいってるんじゃないよ。行動心理学的に、周りの人間が「アイツの子供ダ、アイツのマゴだ」と、うらやみ憎んだあげく、そういった「悪意」が巡りめぐって「成功者の守りたいもっとも弱い部分」に齟齬が生じる、ということです。あるいは年老いて、力が弱った時のまわりの豹変ブリなどを例としてあげても良いでしょう。


 「かつての英雄、末路哀れ」の例は枚挙にイトマがない。

 英雄の定義のひとつは「悲劇的な最期をとげる」ことですから、それは仕方がありませんが。

 でも、誰だって英雄になって、末路哀れに生きたいとは思わないでしょう?


 こういった、安易で「実際的な方法」を、友人との会話でジョークとして使うのはかまいませんが、内容を鵜呑みにして実際に応用するのは危険です。

 ほとんどはハズして恥をかくだけでしょうが、なまじ効果的な場合もあるからタチが悪い

 それでも、将来的に必ずしっぺ返しを食らうはずです。

 それも勉強だ、と突き放せればよいのですが、やはりちょっと心配ですね。


 著者も「頭で理解しただけの心理メソッド」を安易に「アメリカの心理学者の実験結果」で補強しながら、子供たちの耳に流し込むのはやめてほしいなぁ。

 結果的には間違っているんだから

 あくまでも、ジョークとして読むのなら結構おもしろいのでお勧めですけどね。


 タイトルで「しょぼい自分」と購入者である読者蔑(さげす)んでいるのも、ちょっと変わってるし。

 っていうか、借りる時ちょっと恥ずかしかっただろ。どーしてくれるんだ。
 司書のおねえさん、変な目で見てたよきっと。


 私のおすすめ:
しょぼい自分を大物に見せる技術

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2008年12月 3日 (水)

スローターハウス5  SFか現実か?

 ある男が、自分の意思に反して、ひんぱんに自分の生涯を行き来する。

 つまり、彼は、ふと気がつくと青年であり、少年であり、中年であり、うっかりすると老人となって、その時々の人生を経験するのだ。

 何度も何度も。

 ある時は少年期の経験を追体験し、またある時は妻の死に立ち会う。

 あるいは、従軍した戦争のつらい記憶を再体験し、次の瞬間には自分の死を経験する。



 これが、つまりカート・ヴォネガット・ジュニアの小説「スローターハウス5」なのだが、わたしはこの話を、小説ではなくジョージ・ロイ・ヒル監督の映画(1972年)で知った。

 作者自身が、原作より良くできている、と関心したといわれているものだ。(以下、映画版をメインに)

 映画をご存知ない方のために、ごくごく簡単にあらすじを紹介すると、新兵ビリー・ピルグリム(主人公)は、戦争(第二次大戦)でヘマをしでかし捕虜になる。

 そして彼は、ドイツの風光明媚な古都ドレスデンへと送られ、そこで英米の無意味かつ苛烈な大爆撃を経験する。

 世に言う「ドレスデン爆撃」である。

 かろうじて生き残った彼は、戦後、(多少の戦中トラウマは残るものの)ごく普通に社会に復帰し、結婚をし、子供をもうける。


 そして飛行機事故に遭い、ひとりだけ助かる。

 事故を聞いて錯乱した妻は自動車事故で死ぬ。

 ひとりになった彼は、トイレのパッコン(ってわかりますよね。でっかい吸盤のついたやつ)に似たトラルファマドール星人誘拐され、彼らの動物園でポルノ女優モンタナ・ワイルドハックとともにガラス張りの部屋で住むことになる。

 だが、その間も、彼の意思は、さまざまな時間にランダム・ジャンプを繰り返す。

 やがて彼は老い、人々に、自分の「時間ジャンプ」を講演し始め、一部から熱烈な歓迎をうける。人々は、彼がトラルファマドール星人に教わった「死はただのイベントに過ぎない」という考えを好んだのだ。

 そして講演中、ビリーは唐突に暗殺される。

 大戦中、ヘボ新兵だったビリーを目の敵にしていたウェアリーという兵士が、自分の死を彼の責任にして死ぬと(事実は違う)、彼の友人ラザーロが執拗にビリーを狙い始め、数十年後、ラザーロは公演中のビリーを射殺したのだ。


 これを、形而上のたとえ話としてみれば、「死は恐れるものではない」というビリーの、ということは、トラマファドール星人の「死に重きを置かない、諦観(ていかん)ではない楽観主義」の話だし、SFとしてみれば、奇妙な宇宙人に奇妙な時間ジャンプ(しかも彼は未来も過去も変えられない)をからめた不条理SFのようにも見える。


 だが、別な見方をすれば、「これらすべてを現実である」と考えることもできる。

 なぜなら、ビリーが時間ジャンプし始めるのは、中年になって、飛行機事故を経験した後だからだ。

 事故で、彼の脳が何らかの機能不全、高次脳機能障害を起こしたと考えればツジツマがあう。

 ビリーは「未来」へはジャンプできず、「今まで経験した」過去へ意識ジャンプする。

 これはつまり、彼が、突然、現実から離れ、過去の記憶に囚われるという脳障害を起こしているとみることもできる。

 かつて、どこかで観たポルノ女優と一緒に、ガラス張りの部屋で生殖を含む行為の観察を、トイレの掃除道具に似た宇宙人にされているというのも、脳障害による妄想と考えれば納得がいく。

 そう考えれば、彼が、彼の人生のあらゆる時間を移動できる時点は、彼が最大限生きた瞬間、つまり暗殺される直前ということになる。

 つまり、ラザーロの銃弾が銃口を離れてビリーに命中するまでの短い時間だ。

 その短い時間に、「人生が走馬灯のように」なんていうけど、ビリーは自分の人生を、さまざまにランダムに振り返ったのではないだろうか。

 じゃあ、やっぱりトラマファドール星人は幻覚か……

 なんて見方もできるということです。

 人が「ものを感じる」というのは、あくまでも認知論の問題で厳密な科学ではないのだから。



 話は変わるが、ドレスデン空爆の後、事態を収拾しにきたソ連軍によって、ビリーの頼りになる友人(しかもイイやつ)はあっさりと銃殺されてしまう。

 「何も盗むな」と厳命されていたのに、自分の家にあるのと同じちっぽけな置物(だったかな)を、何気なくポケットにいれたのをソ連兵に見つかったからだ。

 ゴミ同然のガラクタだから、何も考えずにポケットにいれたのだが、杓子定規なソ連軍兵士には通じなかった。

 彼の犬死には、立派な人格者でも、あっさり死んでしまうことがある、という無常観を示しているのだろうか。


 これに引き換え、ロベルト・ベニーニの「ライフ イズ ビューティフル」の死に様はひどすぎる。

 必要もなく、チョカチョカ動きまわったあげく銃殺されるのだから。


 私のおすすめ:
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)

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リトル・バスタード (自作小説:PDF SF小説)

リトル・バスタード(縦書きPDFファイル)

梗概:あらすじ
 ストラは、60年代ニューヨーク・マンハッタンに住む探偵だ。
 時ならぬ地震にゆれるマンハッタン(地盤の固いマンハッタンに、本来地震はないはずなのだ)、その彼をイシュカと名のる娘が訪ねてきて、兄バクスターを探して欲しいと頼む。

 金のために仕事を引き受けたストラを友人の警官ワムスが訪ねてくる。
 彼は、息子をなくしてなげやりになっているストラを案じているのだ。

 イシュカを送りがてら、外に出た三人を正体不明の男たちが襲った。
 それは、日本からやってきたサムライとニンジャだった。

 その首領らしきサムライは奇妙な術を使う。
 だが、ストラも同様の力で、その攻撃を跳ね返す。
 驚くワムス。

 だが、娘も似たような技をつかうことができるのだった。
 かろうじて、サムライたちを撃退したストラに向かって、イシュカがついてくるようにいう。
 彼女について古い郵便局の扉をくぐった男たちを待っていたのは、1980年代のロンドンだった。

 イシュカは、江戸時代の日本と1980年代ロンドン、1960年代ニューヨークが同時に奇怪な力の浸食を受けて破滅に向かっているといった。マンハッタンに地震が多発しているのは、その地下数キロを怪物が侵食しているからなのだと。

 やがて、三つの世界を守るため、三人はサムライの国、日本に向かうことになる。

 横書きだと読みにくいので、今回、PDF形式に変更して再アップしました。
 作者名は、作詞とSF関係を書く時のペンネーム晩 蔵仁になっています。 

 この小説は、十数年前に書いた作品です。

 酔いどれ探偵・イン・江戸時代、それにコンピュータを絡めた話にしたかったのです。

 ですから、分類するとSFということになるのでしょうが、部分的には、時代物であったり、ハードボイルド?であったりします。

 よろしかったらお読みください。

 今、読み返すと、この作品は、最近書いた「スカイ・クロラ」で言及しているループ的な内容も持っているようです。

 あと、どこかで書きましたが、所詮プロットは人間の考えること。

 特に科学技術を使ったアイデアは、皆似通ってくるものです。

 今、読み返すと、その後の映画やアニメ、マトリックスやオープン・ユア・アイズ(バニラスカイ)など、似たような発想を使った作品もでてきていますね。

 二つの世界を「作り手」と「作られたもの」にして、それを行き来させるという離れワザを見せた「ループ」もありました。個人的には、大ヒットした「リング」「らせん」よりも、それに続く「ループ」が一番好きで、また残念でもあります。良質のホラーを説明するためにSFにしてしまったから。

 いずれにせよ、時間的にみると「リトル・バスタード」の方が少しだけ先に書かれています。

 随分前のものですので、今とは文体も違っていますが個人的には好きな内容です。

 ミステリという縛りなしで書いた作品なので、伸び伸びと、多少ジュブナイルっぽく楽しんで書いた記憶があります。

 登場人物の名前も少しシャレが入っていますしね。

 このブログでは、漢字を多用する、いわゆる黒っぽい文章、一文が長いセンテンスになるように心がけていますが(その方が書いていて気持ちが良いので)、小説の時は、なるべく平仮名、単文になるように意識しています。

 そういった文体の違いも(あまり分からないかもしれませんが)、楽しんでいただけたら幸いです。

 最後に、「リトル・バスタード」とは、ジェームス・ディーンが死ぬときに乗っていた、ポルシェ・550スパイダーに書かれていた文字のことです。

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燃ゆる城 (自作小説:PDF 推理時代小説)

 これは、リトル・バスタードから十年以上たって、二年ほど前に書いた作品です。

 ミステリの体裁はとっていますが時代物です(タイトルからわかりますね)。

梗概:あらすじ

 将軍家光の時代。

 坂城慎之介は小藩である中山藩の武士だ。禄は少ないが剣の腕は立つ。

 彼には、剣術仲間である野崎瑞賢(のざきずいけん)がいた。

 瑞賢は医者で城主の腹違いの弟だ。

 名君と謳われた城主は、数年前に原因不明の火事で死に、今は、十歳の幼君勝治(かつはる)が藩をおさめている。

 医学の勉強のために国際都市堺(当時は長崎よりもその気風を残していた)に長く滞在し、日本中を旅して回っていた瑞賢が久しぶりに慎之介を訪ねてきた。

 旧交をあたためる二人。

 だが、瑞賢が話し始めたのは藩内に流れる奇怪なうわさ話だった。

 前城主が死ぬ前に、途方もない武器をどこかに隠しているというのだ。

 おりしも、隣国川村藩からは嫌がらせまがいの領土侵犯がくりかえされ、領民や藩士の不満が高まっていた。

 半信半疑ながら、慎之介と瑞賢は「謎の武器」を探し始める。

 だが、やがて真実にたどり着いた二人を待っていたのは恐ろしい事実だった。

 横書きだと読みにくいので、今回、PDF形式に変更して再アップしました。

 貧乏な藩を治める名君が陥った悲劇。

 短い話なので、ぜひお楽しみください。




 今話題のケータイ小説とはまったく違う、ごく普通の文体なので、読みづらいかも知れません。

 ケータイ小説といえば、最近、瀬戸内晴海が「ケータイ小説」を書いて話題になりました。
 86才でたいしたものです(そう言われたいがためだけに書いたのだとしたら愚かですが)。

 彼女の書いた「ケータイ小説」は、一度、彼女が書いたものをスタッフが今ふうの文章になおし、それを作者に見せて、手をいれてから、小説サイトに登録したそうですが、それを聞いて、なんだか、一連のシドニィ・シェルダン『超訳』小説シリーズを思い出しました。

 ケータイ小説のお約束どおり、背景をあまり書かず、会話中心で絵文字を使ってテンポ良く書いたそうです。

 メディアと読み手の資質が変われば、文学もかわり文章もかわります。

 わたし自身は、長らく、文学関係の方がよく口にされる『文体』というものを軽んじてきました。

 書き方ではなく、そこで話される「内容」が大切なのだと。
 だから、同じハナシを同工異曲で作り直した作品は大嫌いでした。
 今も、その考えは変わっていません。

 だから、内容がしっかりしていれば、携帯電話で読む小説も、また良いと思います。
 和歌や俳句が贅肉をそぎおとして深みを増したように、会話に重きを置いたケータイ小説にも、なにがしかの未来はあることでしょう。

 また、情報が多く、読みづらく、読み手に多くの能力を要求する従来型の小説も、限りなく読者を減らしながらも、しばらくは続くことと思います。
 マンガや映画を始め、来るべきVRメディアで実際に読者がものがたりを体験できるようになっても、常に新しいストーリーは求められれるからです。

 いま、ふとおもったのですが、ケータイ小説とは、マンガで育ち、マンガを使って自己を表現してきた子供たちが、マンガで自分が表現できない(つまり一番自分を表現できる道具がつかえない)フィールド(携帯電話など)で、少ないボキャブラリ(言葉は、自分たち本来の道具ではないから)を使って、ストーリーを作ったものではないでしょうか。

 もう少し正確にいうと、ケータイ小説は、マンガから絵を取って(フィルタリングして)ネームだけを並べたものでしょう。だから絶対的に情報量が少ない。

 マンガはすばらしい。ある意味、世界共通の言語ですらあります。

 ですが、マンガの最大の欠点は、読んで、見て、身についた表現を、自らの肉体だけで再現できない(つまり絵にかかないと表現できない)ことです。

 コトバなら、気に入った文章を、口の中で繰り返し、覚え、友人との会話にも使うことができる。
 たくさんの気に入った文章の組み合わせが、その人の個性も作る。

 だが、マンガは一方通行です。
 だから、モノや知識をよく知っていても、その表現方法を持たないコドモたち(大人もね)が多くなるる可能性がある。

 わたしは、個人的は、一文の中に名詞や副詞や形容詞や節が、さまざまに入り乱れて、音読した際に、読み手のバイオリズムを変化させるような、入り組みながらも気持ちよくリズムを刻む長文が好きです。

 だから、わたしには、若い人が好むケータイ小説ふうの文章を書くことができない。

 ただ、ケータイ小説を好む若者たちがいるのもわかる。

 清少納言や紫式部など、かつての宮廷サロンのように、閉鎖された(今なら、ネットなどで知識を共有した)仲間内のハナシのやりとりならば、隠語や省略語を多用して、詳しく書かずとも、阿吽(あうん)の呼吸で状況を理解できただろうから。

 その反面、仲間でなければ、誰が話しているのかさえ分からない意味不明の文章になってしまうのは、我々現代人が「源氏物語」を読む時に、誰がナニをいっているのか分からないのと同じことなのでしょう。

 当時、貴族たちが仲間ウチだけで回し読みしていた「ゲンジ」が、今や古典文学です。

 ケータイ小説も、誰か天才がでてくれば、一流の作品ができあがり、世の中に認知されるかもしれませんね。

 まあ、ごたくはともかく、時代小説「燃ゆる城」

 ぜひ、お読みください。

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2008年12月 2日 (火)

涼風一瞬  〜島左近のテーマ〜

 これは、某地方FM局で放送中の島左近をテーマにしたラジオドラマの主題歌として作詞したものです。

 すずかぜいっしゅん、と読みます。

 お聞きのとおり、ドラマが歴史ものなので演歌調です。

 あと、作詞者が、わたしの作詞の時のペンネームである「晩 蔵仁(ばんくらひと)」名義になっています。

   

 島左近については、隆慶一郎の「影武者徳川家康」や、原哲夫の「SAKON」で、取り上げられていますが、全体的に認知度は低そうなので、歌に生涯を盛り込みました。

 その結果、説明調になってしまいましたね。

 最後に、ペンネームの「晩 蔵仁」は英語のBANKRUPT=破産からつけたものです。
 音楽なんかやっているとやがてはそうなるぞ、と自戒するために。

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2008年12月 1日 (月)

気になりマス 〜バイオマス〜

 つい最近まで、マスといえばシューベルトの五重奏曲 「鱒」しか思い浮かばなかった。





 その前はマスといえばだった。枡といえば「こなからはん」。

 わたしは、恥ずかしながら大学の頃は落語(上方落語)に熱中し、さすがに落研には入らなかったものの、本分(ホンブン)である勉学にはいそしまず、当時、唯一そろった落語資料である「米朝落語全集」を何度も何度も大学図書館で借りて噺を覚えたウツケものだった。

 結構高い本だったので、学生の身分では手にいれにくかったからだが、社会人になってすぐにその全集を買い、レコード(時代が知れるね)やCD、あるいはNHKの「日本の話芸」を録画して、落語ミチの精進に励むうち「こなからはん」という言葉を知ったのだった。



 つまり、「こなからはん」という名の枡があったんですな。今はもう一升枡(いっしょうます)もないようになりましたが、二合五勺(にごうごしゃく)の枡をコナカラと、こう言うたんです。
 これは非常に便利な枡で、一升や五合てなんは大きい。
 一合は小さい、二合五勺ちゅうのは使いよい枡やったんで、コナカラという枡が酒屋さんにでも家庭にでもあったもんで、で、この一升のナカラ(半分という意味)、半ばが五合で、さらにその半分というので、こなから。
 で、二合半(二号はん)ですな、これが。そやさかいお妾はんのことを、こなからとこう言いました
 まあ、実にしゃれた言い方、大正期になって二号さんてなことばがでけてから、こんな言葉が使われるようになったんやろうと思いますが……
  (米朝落語全集 第三巻 「算段の平兵衛(さんだんのへえべえ)」より一部抜粋)


 社会人になって、何度となくサンケイホールで桂米朝の落語を聞いたが、さすがに寄る年波には勝てず、徐々に、力をなくす名人の声に寂しさを覚えたものだった。

 まさか、人間国宝、無形文化財になってしまうとは思わなかったが……

 また脱線してしまった。

 次は、食料としての鱒(マス)

 この場合は、鱒というより「トラウト」といった方が、感覚的に近いような気がする。

 外国の小説で、よくトラウト釣りをする描写が出てくるからだ。

 ヘミングウェイのニックものなんかが、すぐ頭に浮かびますね。

 個人的には、「心が二つある大きな川」は大好きな話で、わたしのアウトドア偏愛の精神的バックボーンのひとつでもあります。


 と、かつてのマスについて書いてきましたが、今、マスは変貌しつつある。

 マス・オーヤマも死んでしまったし。


 これからのマス界主役は、皆様もご存じのバイオマスだ。


 バイオマスとは、オカミによって「再生可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたもの」と定義されているモノだ。

 具体的にいえば、家畜の糞尿などから、メタンを生成、精製してバイオガス化するものや、木質廃材などセルロース系を、酸を使って分解し、発酵させ、エチルアルコールを抽出したものなどだ。



 アルコール系バイオマスについては、バイオエタノールに関する環境省と大阪府が推進するE3経済産業省と歴湯連盟の推進するETBE愚かなつばぜり合いをからめて、別項でイキドオろうと思いますので、ここでは書きません。



 とりあえず、バイオマス。
 性質的には、「カーボンニュートラル」で「再生可能資源」なものだという。

 カーボン・ニュートラルとは、燃やせば二酸化炭素は出るけど、その素材が成長するときに、相応の二酸化炭素を吸収しているから、近視眼的にみれば二酸化炭素はトントンだから許して素材という意味のようだ。


 そりゃ、「超」高濃度の古代二酸化炭素大気内で、たっぷりそれらを吸収して大きく育ったシダ類、あるいはプランクトンの死骸を土中深くから掘り起こし、ガンガン燃やして、ちょっとだけ古生代の大気組成に戻してしまった愚行に比べればましだけど、トントンじゃちょっと甘いんじゃないのかな。



 しかし、カーボン・ニュートラルだの、カーボンオフセットだの、いつのまにやらカーボンはひどく悪者にされてしまいましたね。

 むかしは、カーボンといえば、複写のために紙の間に挟むものって決まっていたのに。
タイガー計算機同様、さすがにわたしも直接知りませんが)

 そういえば、今日のニュースで、グリーン電力証書の発行について話していました。

 会社などで、太陽光発電などへの資金提供をすることで、グリーン電力証書を発行してもらい、それを顧客に見えるところに掲げることで、環境に優しい会社をアピールするシステムだそうです。


 過去100年の、エネルギー大量消費による環境変化は、我々が地球に対して持つ感覚をガラスに封入された「生命球」なみに矮小化(わいしょうか)してしまった。

 以前はもっと地球はデッカイドォ、北海道(古っ)と思っていたのに。


 あるいは、この「地球って案外小さいやんか感覚」は、冷戦終了後に縮小された宇宙開発競争を再燃させる原動力になるかもしれない。中国あたりが牽引役になって……

 逆に、ちんまりと「ちいさい地球」の殻引きコモってしまうかもしれないが。


 私のおすすめ:
東芝EMI 桂米朝/特選!!米朝落語全集(1)

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