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2008年11月24日 (月)

暗唱

 昔から、気に入った文章があると、何度も声に出して暗唱する。


 日本のいわゆる純文学は、内向的すぎて好きにはなれないが、詩は好きだった。


 若い頃は、唐代の漢詩あるいは萩原朔太郎の「氷島」などをよく覚えた。

 特に好きだったのは「漂泊者の歌」で、これは今でも暗唱できる。

 最近では、少しトシもとり、好みも丸くなって、もっとカドのとれた文章が好みになった。


 その対象は、先に書いた中川一政の文などが多い。


 ここで、少し引用してみよう。

 以下は、中川一政美術館で「尾道」連作に付記されている文章だ。名文である。



 古今を流れる時間の一点に人間は生まれる。東西古今のただ一点の場所に人間は生まれる。
 そしてその時間と場所がかさなる一点に人間は生まれる。
 それが人間の運命である。
 人間はその運命を足場にして生きてくる。
 わたしはロシアでもフランスでもない、日本に生まれた。そして青森でも鹿児島でもない、東京に生まれた。室町でもない江戸でもない、明治に生まれた。そして明治の十年でもなければ三十年でもない、明治二十六年に生まれた。
 もっと微細に言えば生年月日にも及ぶかもしれない。

 例えば尾道の千光寺山に座紅碑という小さな石が建っている。これは頼山陽や田能村竹田が集まって、花を活け、お茶をたのしんだその時の花をうずめた記念だという。
 その時分の瀬戸内海は白帆が往来し、豪商が甍(いらか)を並べていたろう。眼下の向島(むかいじま)が土を削られ赤膚(あかはだ)になり、造船所が出来るとは誰の想像にもなかったろう。
 浄土寺や西国寺や京都にもってきてもひけをとらない寺がいくつもあるのは、その時代の豊かさを示すものである。
 ここに酒肴をならべ、風流を談じた光景をおもうと、私は二百年三百年前に、生まれたらと羨(うらや)む。

              (日本経済新聞社 私の履歴書より一部抜粋)

 あるいは、こういう文も良い。


 もし私に余分の金があったら、すべて自分の仕事の為に費(つか)いたい。
 画かきになるには月謝がいる。学校に何年間もゆき、洋行して勉強しなければならない。金とひまがなければ、画かきになれなかった。
 私は一文なしで画かきになった。今から月謝をはらって勉強がしたいのである。
 私は、よく生きた者が、よく死ぬことが出来るのだと思っている。
 それはよく働くものが、よく眠ると同じ事で、そこになんの理屈も神秘もない。
 私は昔、アトリエの壁に「ひねもす走りおおせたる者、夜のやすきにつくこそよけれ」と書いていた。賢者セネカの言葉である。
 私は毎日のはげみに書いていたのだが、今は一生のはげみでもある。
 さはいえ、人間には完成というものはないようだ。仕事にも完成というものはないようだ。
 一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。
 力つきるまで。

             (日本経済新聞社 私の履歴書より一部抜粋)


 一政82歳のときの文章である。


 声に出して読んで息継ぎに無駄がなく、奇をてらった言葉がなく陳腐な表現もない。

 下手な文章は、すべてこの逆をいっている。

 願わくば、こういう文章を書きたいものだ。

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