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2008年11月28日 (金)

**は何でも知っている〜 東野圭吾、超・殺人事件

 今、わたしの机の上には、東野圭吾著「超・殺人事件」と同志社大学教授・左巻建男著「水はなんにも知らないよ」が並べて置かれている。




「超・〜」は「名探偵の掟」と並んで、東野作品では、数少ないわたしの好きな作品だ。

 この作品が書ける同じアタマで「白夜行」だの「手紙」だのを書いてしまうのが作家の不思議なところだなぁ。

 いかんいかん、自分の好悪、特に悪の部分は押しつけてはいけない。

 とにかく、「超・殺人事件」は面白い

 書庫を圧迫するので、なるべく買わないようにしているハードカバーで買ってしまったほどだ。

 この作品は、いままで売れなかった作家が、たまたまスマッシュヒットをとばして、稼いだ金を使いまくった挙げ句税金対策に追われる「超税金対策殺人事件」に始まって、コンピュータによる全自動書評マシン、ショヒョックスを全ての評論家が使うようになる「超読書機械殺人事件」までの8作を収録した、最高に面白い作品集なのだ。

 個人的にいえば、東野氏は陰気でマジメな作品より、こういったホタエタ作品の方に真価があるようなきがする。


 なかでもわたしが好きなのは「超理系殺人事件」だ。

 これは、ブンケイ頭脳しか持たない男が、それゆえに科学的な考えに憧れ理科系ぶったあげくテロ犯人にされてしまうという、まことにブンカケイ魂をコケにした快作だ。

 作者自身、電気工学科を卒業した工学士でありながら作家であるという、アンヴィヴァレンツ、二律背反を持っているために、こういった作品を思いついたに違いない。

 科学に対する好奇心を持ち、自分は理科系だと思いこんでいるものの、実際には半可通(はんかつう)の知識しか持たない文化系ビト、東野氏は中学校の理科教師をその代表にしているが、わたしも含めて世の多くの自称理科系ビトはそんなものだろう。

 作品の扉には、ご丁寧にも「この小説が肌に合わない方は飛ばし読みしてください。」と表記されているが、もちろん読み飛ばす人などいないし、内容を本気にとって怒る人もいないという、編集者側の判断が働いているわけだ。

 うがって考えれば、自称理科系ビトは、そういったカラカイを受けても、よもや自分のことだとは思わない思わない人種がエセ理系人(あ、書いてしまった)なのだという、作者の二重のカラカイがそこにあるのだ。



 というわけで、次の「水はなんにも知らないよ」である。


 多くの方はご存じだろう、これは「水は答えを知っている」「水からの伝言」に代表される、波動研究の第一人者、江本勝氏の一連の著作を皮肉ったタイトルだ。

 帯には「蔓延するニセ科学にダマされるな!」 (ほんとうは「まん延」と書かれてたけど、気持ち悪いから漢字にしました。がけっ縁とかね。ひらがな−>漢字という妙な簡易熟語作成はもう辞めて欲しい)とある。

 科学的根拠がないのに、いかにも科学的であるかのような顔をして世にはびこる「怪しい水ビジネス」を、検定外教科書のベストセラーで知られる科学教育の第一人者が徹底検証するのが「水はなんにも知らないよ」だ。


 まず、俎上(そじょう)にあがったのが、江本勝氏の「水からの伝言」だ。
 この本は、以前にわたしも大学図書館で借りたことがある。

 ご存じない方のために簡単に説明すると、水は「言葉」を理解するので、容器に入った水に向けて「ありがとう」「ばかやろう」と書いた紙を貼って凍らせると、「ありがとう」には対象形の美しい結晶が、「ばかやろう」は、汚い結晶になったり、結晶にならないという、主張というか研究発表なのです。

 この時点で、少しでも科学をカジった者(科学リテラシーを持っている、といいますが)なら、言下(げんか)に否定しないまでも、ヤミクモに信じはしないでしょう。


 「リテラシー」とは本来「読み書き能力」を意味します、故に科学リテラシーとは、最低限身につけなければならない科学的知識、という意味です。


 人文の世界とは違い(御異論はおありでしょうが)、科学とは厳密なものです。

 少なくとも研究の評価においては。


 科学に「新説日本ミステリー」はありません。30年(ワンジェネレーション)過ぎれば事実がうやむやになって検証も難しい歴史の世界とは違うのです。

 野に下った民間研究家の実験も、高名な研究所でも、同じ結果になる実験でないと、つまり厳密な条件下の下での再現性のある実験でないと、否定はせずとも信じてはいけない。

 このあたりを、オカルト好きな人々のみならず、非理科系の人々は認識が甘いようです。


 否定はともかく、きちんと検証されないかぎり、そういったニセ科学、疑似科学、似而非(エセ)科学を鵜呑みにしてはなりません

 知識として信じる、信じないだけでなく、そういったマユツバ科学は、たいてい商売に利用されているからです。

 科学用語を使い、科学っぽい雰囲気で信じ込ませようとしますが、断じてそれらは本当の科学ではありません。


「水はなんにも知らないよ」で、著者は「波動」「クラスター」「磁化水」「π(パイ)ウオーター」「トルマリン」などといった、わたしたちがどこかで聞いたことをのある単語を使った商法をメッタ斬りにしています。


 個人的にいえば、われわれの科学はまだ緒についたばかり、手探りで暗闇を歩くにひとしい状況です。ほとんど何も分かっていないといってもよいでしょう。

 今、否定されていることも、後に正しいと証明されるかもしれない。

 だからこそ、わたしは、今、証明できないことすべてを否定したくはありません。

 でも、だからといって、アヤシゲな仮説を頭ごなしに信じるのは絶対イヤです。

 そういった検証のあやふやな理論を商品化して売る、というのは明らかに間違っているからです。

 おそらく、先に述べた、自称理科系ビトなら、こういった似而非(エセ)科学にとびつきはしないでしょう。

 わたしは、そう信じたい。


 こういった雰囲気科学っぽい理論、商品に飛びつくのは、人文イノチ科学リテラシー欠如の、言い換えれば科学という名のファンタシーが好きな人々が多いのでしょうか。


 あまりお薦めしませんが、わたしは、個人が個人の権利でそういった似而非(エセ)科学に飛びつくのは自由だと思います。

 でも、人に影響を与える立場にある人間がそれではいけません。

 「水はなんにも知らないよ」の著者も、憂えているのは子供を指導すべき教師に、そういったニセモノにとびつきやすい人が多いことです。


 ああ、学校教育の話はやめておきましょう。


 続けると、とても自分の頭から出てくるとは思えないほど、悪意ある言葉がどんどん出てきそうでオソロシイ。


 とにかく、われわれ一般人にできるのは、突飛でスバラシ過ぎる、世界を単純化するような原理、理論、科学が突如として現れたら、そして、それらが何らかの商品を伴っていたら、頭ごなしに否定はしなくとも、決して信じてはいけないということです。

 ゆっくりと、評価が定まるのを待ってから使っても遅くはない。

 時として、科学の検証は時間がかかるものですから。


 私のおすすめ:
超・殺人事件―推理作家の苦悩 (新潮エンターテインメント倶楽部SS)

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