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2008年2月11日 (月)

やっぱり「トレインスポッティング」の監督 サンシャイン2057


最近、映画を観ていなかったので、この連休を使って、ちょっと気になっているDVDを観た。

 順次簡単に感想を書いてみるが、まずは真田広之出演「サンシャイン2057」


 
「近未来」「太陽の異常を食い止める一団」といったコピーなどから、「アルマゲドン」や「コア」といった滅亡阻止モノと思って軽く見始めた。

 舞台となる宇宙船イカロス?は、映画冒頭からすでに宇宙を航行している。
 中盤、真田広之演じるカネダ船長が、あっさり事故死してしまうと、そこからは、イベントホライゾンばりにオカルト色が濃くなり、次々と殺人と事故が重なっていく。

 太陽近くで、七年前に消息を断ったイカロス?からの救難信号を受信するあたり、エイリアンや、ロスト イン スペースを彷彿させるが、乗り込んだ宇宙船で起きる出来事は、その二つの映画とは比べようもなく地味でツマラない

 ちょっとキミ悪いだけだ。

 終盤になっても、イベントホライゾンのように別宇宙からやって来た怪物は出てこず、結局、事故と殺人は人間によるサボタージュ行為であることがわかる。

 幻滅したのは、最後に現れた犯人が、意外でも何でもない人物で、しかも、その姿をはっきりとカメラに写さないためか、上下左右にカメラをゆらしフィルターをかけ、何がなんだかわからなく撮影していることだ。

 まるで、同監督が撮った、かのマヤク映画「トレインスポッティング」ばりにラリっている、というか、こっちが酔ってくる映像だ。

 こういった(思いっきり好意的に考えて)カメラの軽量化による躍動的なカム撮りは、 ブレア・ウイッチ・プロジェクトあたりから顕著になってきたように思うが、はっきりいってこれは撮影側の自己満足でしかないと思う。(ブレア・ウイッチ・プロジェクトは低予算を逆手にとった、学生自身によるドキュメントという設定だったから、分からなくもないが……)

 なぜなら、われわれの眼は、三脚に据え付けられたカメラ同様、頭に据え付けられているが、生まれてからの経験と本能によって、たとえ四つんばいになったり、頭を振って思いっきりアクションしたとしても、同様に頭に据え付け?られている三半規管と、筋肉の伸び具合によるフィードバックで、適度に補正がかかり、キモチ悪さを最大限に防ぐことができるからだ。

 何のフィードバックもないカメラを振り回すのとは訳が違う。
 単に躍動感を出すためにカメラを振り回すのは、愚行以外の何者でもない。
 観客の気分を悪くするだけだ。

 まして、犯人をはっきり見せたくないためにカメラをブラすなんて言語道断だ。

 そういった撮影のキズも問題だが、本質的な問題は、映画のかなり最初のうちに、もう彼らが地球に帰還する可能性がなくなるのがわかることだ。

 イベント・ホライゾンや、ロスト イン スペースのように、残されたクルーに、起死回生の帰還法が残されていれば、彼らが生を願って必死にあらがう気持ちはわかるが、どうしても物理的に生き残れないことが早い時期にわかってしまっては、観ている側のハラハラ感も半減どころか256分の1減してしまう。

 なにがあっても、犯人に追いかけられても、どうせどっちも死ぬんだから、と考えてしまうのだ。

 まったく、自己満足も甚だしい。

 腹立たしい作品だ。

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