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2008年2月

2008年2月26日 (火)

遅ればせながら「逆転裁判」123完了

 先日、逆転裁判GBA版、1,2,3を一気に終了しました。

 多少、ひっかかる大げさなリアクション(まあ、ファンはそれが良いといいますが)、穴のある推理、無理な展開、と欠点は多いのですが、どのシリーズも、ラスト付近での盛り上げ方がうまく、終了後に来心地よい達成感を残してくれます。


 これが人気の秘密かな。





 記念すべき第一作。実をいうと、逆転裁判は携帯電話で最初にプレイしました。

 逆転裁判1の第一章でだけ限定でしたが、揺さぶり、突きつけともにバイブレーションが利いて結構たのしめました。

 重要なキャラクターのはずの、先輩弁護士(本人は師匠といっているが)綾里千尋が、いきなり死んでしまうので、少なからず驚きましたが、その後出てきた妹、綾里真宵の特性のおかげで、もう最初に出てから6年以上も経つからネタバレもないでしょう、はっきりいうと霊媒体質のおかげで、彼女はこの世に復活し、幾度となく主人公の危機を救うことになります。

 これって、設定はどっちが先だったんだろう。
 霊媒を物語に織り込むのとヒロイン(セカンド・ヒロイン、かな)を殺すのと。

 新米弁護士が、所長(綾里千尋)の死でいきなり独り立ちせざるを得なくなり……としたかったために、綾里千尋を殺してしまったものの、まだ頼りない成歩堂龍一(なるほどうりゅういち)をサポートさせるため、つまりはプレイヤーをサポートさせるために、妹を依代(よりしろ)として彼女を復活させた、このあたりだろうか。

 しかし、死者が復活できるという事象を事実として世界観に入れてしまった時点で、「逆転裁判」は大きな弱点を持ってしまうことになるのではないか。

 そのゲームの存在すら脅かすほどの弱点を。

 最初はそう思ったのだが、逆転裁判はそれをうまくクリアしていた。


 それは、このゲームの目的が、犯人逮捕ではなく、疑われた人物(無実)の無罪立証だからだ。

 犯人を知るだけなら、被害者を呼び出して犯人を尋ねれば良い。

 だが、主人公が為さねばならないのは、確かな証言物証を用いて被疑者を無罪にすることなのだ。

 霊媒が被害者を呼び出して証言しても、裁判官は証拠として認めない

 その点で、このゲームは、正しく法廷ゲームなのだ。

 後の「逆転裁判3」では、霊媒であるからこそのトリックも使うようになる。

 まあ、しかし、制作者側にとって、こういった「非科学的」な事象の存在は、やはり気持ち悪かったようで、これ以降、綾里真宵は被告になったり誘拐されたりときちんと事件と関わることが少なくなる。

 もっといえば、新章と称する「逆転4」では、その反動か、科学捜査導入化の大見得を切っている。






 真実を告げない人物に、法廷外で秘密を聞き出す「サイコ・ロック」システムが登場。
 また、1で消えた狩魔(カルマ)検事の娘も登場。

 法廷で鞭をふりまわすというありえない行動も、一部の人に備わる(らしい)美人に鞭打たれたいという欲望を、ピンポイントで衝くうまい造り。

 特に、2の最後の彼女の言動で、一気にファンをつかんだのだろうな。
 狩魔 冥というこのキャラクタには、コアなファンが存在する。







 伝説の、いや奇跡の、いやありえない法の番人ゴドー検事登場。
 過去と現在の事件を交互に配置し、「逆転裁判2」で撒かれた犯罪の種が芽を吹き、事件が起こり、悲劇の結末を迎えます。

 3で、逆転裁判は完結ということで、1,2の事件ともに3におけるラストの事件繋がっています。

 逆転裁判は、3で終わりです。

 ですから、この次に制作された4に、1−3の続きを期待するのは酷というものですが……まあ4については何も言いますまい

 完全に別物として考えれば良いのです。

 しかし、プラットフォームがDS(ダブルスクリーン)になったことで、4の売れ行きは凄いようですね。





ファンの多い、ゴドー検事

 ファンサイトで、誰かが「できればゴドー検事に告発されたい」と書いていて笑ってしまいました。

 が、わからないでもないな。

 その剣で俺を突き刺してくれ!みたいな感じでしょうね。

 わたしも、日に20杯以上珈琲を飲むが、彼の場合はもっとすごい。

 法廷でカウンターの上を滑らせたカップを受け取り、喉仏を鳴らしてごくりと一杯

 かつて、タレーランが云ったように、

悪魔のように黒く 地獄のように熱く 天使のように優しく 恋のように甘い」珈琲を、続けざまにあおりながら、意味深かつ意味不明な言動を繰り返す。

 そしてラスト、愛する者を護れなかった悔恨血の涙


 ゴドーの台詞を丁寧に拾っているサイトがあります。


 さらに、

 なぜ 成歩堂を憎むのか?

 なぜ、珈琲を大量に飲むのか?

 など、魅力的なナゾが目白押しです。



 バックで流れる「ゴドーのテーマ」もアダルトな雰囲気で秀逸。

 最初のうちは、妙にアダルト過ぎる音楽で、聞き慣れるまでとりとめがなく感じられる曲だったのだが、最終章にいたる頃には知らぬ間に鼻歌が……。



 ご存じのように、逆転裁判シリーズは、音楽もシンフォニー版ジャズ版が発売されている。

 実際のコンサートも催されていて、チケットは完売だそうな。すごいなぁ。



 いわゆる主題曲としてのヒロイン?綾里真宵のテーマも良いが、やはりゴドーのテーマが際だっている。

 かぶらやのデータ保管庫に、ゲーム画面でのゴドー検事の勇姿テーマオーケストレイションジャズ版のyoutubeリンクを貼っておきますので、見てください。

 特に、フランス語版のプロモーションビデオは必見です。


 最後に、ここには、逆転裁判のキャラクターに異議を叫ばせるフラッシュがあります。

 ひと呼んで「逆転裁判・異議申し立てジェネレーター」

 秀逸です。

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2008年2月22日 (金)

イェアイと ヨゥキだけが トゥーもダチスァー(英国人によるアンパンマン耳コピロック)

 先日、アンパンマンのテーマについて書きましたが、youtubeで『「アンパンマンのマーチ」英国ロックバンド耳コピによる熱唱』を見つけたので、ここに紹介します。

 「英国ロックバンドによる……」一応キャプションには、そう書いてるのですが、本当に英国人によるものなのかもはっきりしません。

 が、実際に聴いていただければわかりますが、おおよそ日本人には発音できそうにない外国なまりの日本語で、おそらくは日本語を解しない外国人が一所懸命に耳コピをしたのでしょう。歌声にハートを感じます。

 ぜひ御一聴を。けっこうイケてますぜ。

 リンクが貼ってあるのはココ(かぶらや保管庫)

 こういうのを聴いて、なんとなく思うのは、かつて若かりし坂本九が米軍のバーで英語の歌を歌って喝采を浴びた、あるいは、これも若き日の山下達郎が、米兵の前で歌って人気が高かったというのは、彼らにとって、ちょっとナマッた英語の歌が、こんな風に聞こえたからなのだろうか、ということです。

 ずっと不思議だったのですよ。いくら歌がうまかったとはいえ、かの二人(江利チエミなど、そんな伝説を持つ人は多いが)そろって、英語の発音カンペキだったとは考えられないから。

 でも、上記「アンパン〜」を含めて、ちょっとナマッた発音が、却ってアジを出すということは充分考えられます。

 もちろん、そのためには、歌にハートが入っているというのが大前提でありますが。

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2008年2月21日 (木)

PSPに時計とカレンダーを

 PSPは、DSと違って、色々と手を加えることができて好きなマシンだ。

 Wifi(いわゆる無線LAN環境)さえあればインターネットにはそのまま繋がるし、録画した動画も観ることがきる。

 ワンセグ・チューナーを買えばテレビ放送を観ることも録画することもできるし(予約録画すらできる)、ポッドキャストを聞くこともできて、ゲーム機というより携帯型コンピュータと呼ぶにふさわしい性能がある。

 まあ、そんなことは以前にも書いた。

 さらに、もう少し手を加えれば、電池を激しく消耗するUMDディスクをやめて、データをメモリスティックに移し、長くマシンを稼働することもできるし、youtubeを直に観ることすらできる。

 自分で作ったプログラムを走らせることもできる。

 だが、そのためには、まずカスタム・ファームウェア(改造PSP−OSと考えてもらえれば良い)を導入し、色々と面倒な手順を踏まねばならない。

 せめて、時計を表示する程度の簡単なプログラムぐらい、余計なことをせずとも動かすことができればと思うが、それもかなわない。


 おそらくは、改造ファーム・ウェアによるUMDの複製(あるいはデータのリッピング)を恐れてのことだろうが、それではせっかくのミニ・コンピュータがもったいない。

 まあ、そういったちょっとグレーがかったハナシは、別なコーナーでやることにして、ここでは、そんなムツカシイことをせずとも、ある程度のことができるということが言いたかったのだ。

 ポイントは、先にも述べたが、PSPが素の状態でインターネットができるということにある。

 しかも、本体設定から「FLASHを使う」に設定すれば、最新のバージョンは無理でも、ほぼ実用性のあるフラッシュが使えるようになるのだ。

 で、さっそく作ってみました。FLASHによるPSPデスクカレンダー時計計画。





のアドレスをPSPに打ち込めば、あなたのPSPがカレンダー時計に早変わり。

 机においておけば便利この上ない?マシンになるのだ。

 画面の拡大写真はこちら。




 ポイントは、制作者側は、ただフラッシュのサイトを作っているだけ、ということにある。

 ややこしいプログラムの知識もほとんど必要とせず、アクション・スクリプトの平易なドット・シンタックスをちょこっと使うだけで、かなり本格的なこともできてしまうのがイイ。

 実際はサイトのサイズをPSPに合わせているだけなのだが、これが結構きれいに見えるんだな。

 もちろん、上のアドレスはパソコンでも見えるから、ちょっとプロポーションは悪いけどみてみてください。

 そして、PSPをお持ちの方は、ぜひ、実際にアドレスを打打ち込んでブックマークしてください。


 これからも、思いついたら、こういった文房具ソフト(といっていいのか?)を作りたいと思います。

 PHPとSQLを使ったスケジューラなんかいいかも知れません。

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ボクは他人(ヒト)とは違う。トクベツだから……

 生まれ落ちた時から「お前は特別なのだ」と言われ続け、たった独りの父親は命に替えても自分を護ってくれる。
 でも、家は赤貧。貧乏は特に苦じゃないが、ものを買ったりする時(たとえばクレヨン)に、密かに蔑んでいるオジさんに(だって自分はトクベツだから)頭を下げなければならないのは屈辱的だ。愛想笑いが嫌になる。

 「お前は世界にたった独りの値打ちある存在だ」と言われて「はいはい」と答えてはいるが、客観的にみて、他人と比べても特に目立った点はなく、腕力も並以下、特殊な能力がある訳でもない

 顔はお世辞にも美しいとはいえず、いや、ぎょろりとした目に出っ歯で短躯とくれば、これは醜男子といっても、否、はっきりいうと、かなりひどく醜い

 その上、生来陰気な性質で、話し方もはっきりとせず、時折、意味もなくヒヒと笑い、人と楽しい話題があるわけでもない。

 と、なれば好きになった女の子からは、恋愛対象外といった扱いは当たり前。
 でも、前思春期の年頃ともなれば、やっぱり綺麗な女の子は気にかかる

 親から譲り受けた服は、先祖代々の大切なものらしいが、売っても金にはならないようだし、自分が持っていてもたいして使いようがない。

 さて、これは何のはなしだろうか?
 もっとはっきりいうと、誰のことだろうか?
 世間によくある、没落貴族、あるいはかつては裕福だった地方の名士の末裔

 いやいや、そんな人、世間ではよく見かけるかもしれないが、この人は違う。おそらく皆さん、全員が知っている有名人

 ただ、ちょっと今まで美化され続けてきたベールがはがれて中身が見えただけ。

 










 彼の名を……「墓場鬼太郎」という。世にゲゲゲの鬼太郎として名高い人物だ。



















 今、深夜枠で放送中の「墓場鬼太郎」は、そんな等身大の鬼太郎が主人公だ。

 彼はヒーローではない
 下駄は飛ばない。
 髪の毛は立たない(アンテナにはならない)。
 髪の毛は飛ばない(髪の毛針は使えない)。
 チャンチャンコは飛ばない(ただ地獄に行く時のプロテクターとなるだけ)。
 腕力は同世代の子供並。

 だが、彼は他人(ヒト)とは違う。正しく、正味の意味で、ヒトとは違うのだ。

 彼は、妖怪ではない。太古に栄えた幽霊族の最後の生き残りだ。

 指こそ五本揃っているが(って、これって今はマズいんだな。リメイクされたベロは五本指だった)中身は我々とは違うイキモノ。

 まったく別の、ヒトより古く生きてきた種、けれどヒトの台頭にしたがって、石もて追われ地下に住むようになった悲劇の一族。その最後のひとり

 だから、彼に人間一般に備わっている倫理観はない。
 また、ヒト種族に対する同情も、いたわりもない

 彼は、太古より来たエトランゼなのだ。

 もう一度繰り返すが、だからといって、彼に、ヒトより優れた身体能力があるわけではない。(後に発現するのかもしれないが、とにかく今は)

 自分はこいつらサルとは違う、という矜恃と、それでもカネを稼いでヒトの世で生きていかねばならないというジレンマが日々彼を苦しめている。

 そういった異端の主人公が、昭和三十年代後半〜四十年代前半の「所得倍増時代」を背景に、日々暮らしている(別に活躍なんかしていないただ生きている)のが「墓場鬼太郎」なのだ。

 主題歌を歌う電気グルーブは、歌詞への尊敬など持たぬと公言する点で、キライな連中だが、この「モノノケダンス」に関しては、ストーリーにあった良い曲に仕上がっている(相変わらず、ピエール瀧の歌詞は意味不明だが)。
 いや、それは曲に合わせた紙芝居風のオープニング・ムービーの手柄かもしれない。

 おそらく、観たことのある方は分かってくれるだろう。

 そして、観たことのない人は是非、一度、録画して観て欲しい


 声優は、所謂、完全オリジナル(まったく新しい、じゃないよ。その逆)。
 野沢雅子(鬼太郎)、田の中勇(目玉オヤジ)、大塚周夫(ネズミ男)。
 他に誰がいるってんだって感じのキャストですね。

 特に大塚周夫がイイ。最近は(目玉オヤジじゃないけど)、息子に押され気味(攻殻のバトーやってるからって、オヤジ越えた気になるなよ)ではあるものの、ネチっこく、油っこく、嫌らしいブラック魔王声(大好きな初代五右衛門(ルパン三世)声でもあるが)は健在で、ネズミ男はこのヒトじゃないと、というか、彼らの年を考えたら、よく「墓場鬼太郎」間に合ってくれたって感じだなぁ。

 かぶらやの本サイトにyoutubeのリンクを貼るかどうかは……ちょっと違法っぽいから微妙です。

 って、舌の根も乾かないというか、キータッチした指の赤みも戻らぬうちに、やってしまいました。

 かぶらや本家のオリジナル・ブログのデータ保管庫に墓場のyoutubeリンクを貼りました。貼ってしまいました。観ることのできるうちに観てください。

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2008年2月17日 (日)

幸せに生き、幸せに逝く 〜なれど残されし者は……〜

 もう、ずっと昔、友人にすすめられるまま、わたしは単車にまたがって、エンジンをかけ、クラッチを握り、ギアを入れ、クラッチをはなし……そしてバイクは走り始めた。

 人生が変わった瞬間だった。

 以来、もう長い間、バイクに乗り続けている。季節にかかわらず、今も週に数回はバイクにのって出かける。

 初めてマシンが走り出した時から、わたしは、ウオーカーである前に、ランナーである前に、ドライバーである前にライダーなのだ(気分的に正確にいうとバイカー、かな)。



 随分前になるが、近くの図書館に出かけた時、その入り口に張ってある時事ニュース(最近は見かけないが、以前はよく公共機関に張ってあったポスターサイズのニュース)をひと目見るなり欲しくなって、図書館員と交渉後、もう掲示期限も過ぎているということでもらって帰ったことがある。

 そのポスターはモノクロで、大きな写真と横に小さな記事が少し。

 写真には、ひとりの男が大型バイクにまたがって気持ちよさそうに走っている。
 型はわからないが、どうもオールド・バイクのようだ(のちにサンビームと判明)。

 だが、その写真の特質は、バイクではなく、タンクに乗り、バイクのハンドルに手を掛けて遙か前方を昂然と睨んでいるネコにあった。

 バンダナを首に巻き、小さなゴッグルを頭にのせ、怯えなど全く見せず、さながら友のための先見(さきみ)としての役割を果たすのだ、といわんばかりにヒゲをなびかせ前方を見つめるネコ。




 それが、バイク猫ラスタスとマックスの写真だった。

 そのひとりと一匹の姿は美しかった。



 1988年、カナダの板金工、マックスはバイク乗りの集まる広場で一匹の黒猫を拾った。
 バイクに物怖じしないそのオスネコは、ラスタスと名付けられ、マックスの愛車サンビームのタンクに乗っかって週末ごとのツーリングに参加し、名物となった。

 後に祖母の面倒をみるためにマックスはニュージーランドへ移住(もちろんラスタスも共に海を渡る)。

 彼の地でも、すぐにファンクラブが結成され、二人のTシャツの販売会社もでき、その売り上げは動物虐待防止協会に寄付された。

 小切手にサインするのも二人同時。マックスのペン字の横に、ラスタスは手形のハンコをつく。


 ニュージーランドでの、ひとりと一匹の幸せな生活は話題になり、その結果時事ニュースのポスターでわたしは彼らを知ったのだ。



 後に、日本でもシンラ(だったかな)などで紹介されている。ああ、あったこれだ(左写真:あとで見つけたらから載せておきます)








 それは、ずっと続いても良いはずの幸せな日々だった。


 しかし、この幸せなふたりの生活は唐突に終わりを告げる。

 1999年、いつものように二人で走るバイクに、対向車が猛スピードで正面衝突してきたのだ。


 3日後、1000人以上の人々に、ひとりと一匹が共に眠る棺は見送られた。

 棺の上には、バイクに乗る時同様、手前にラスタスのヘルメットと赤いバンダナ、その後ろにマックスのヘルメットとバンダナが置かれていたという。




 あの挑むような目で前方を見つめていたラスタスは、おそらく死の瞬間までそうしていたのだ。

 マックスも死の数秒前まで、風を心地よく感じていただろう。

 そして、親友同士は、共に死に、同じ棺で送られた。


 誤解を恐れずあえて言えば、ふたりは幸せだったのだとわたしは思う。


 一番不幸なのは、あの勇姿と思い出のみ残された、極東に住むわたしを含めたバイク乗りの人々だ。

 これも誤解を恐れずに言えば、本当のバイク乗りはつねにバイクで死にたいものだからだ。
 畳の上で、病院のベッドでなんか死にたかねぇよ。

 だが、それは滅多に自分で選べるものではない。
 戦友とも呼ぶべき親友と共に自分の一番好きなサンビームで死んだのは、彼らの生き方が善きものだったからに違いない。

 そう思っては、時折、大事にしまってあるポスターを取り出してながめては、わたしはふたりのバイク乗りに、同じバイク乗りとして、敬意と憧れと羨みをこめて一杯飲むのだ(珈琲だけど)。

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2008年2月16日 (土)

いらっしゃいませ、そして永遠にさようなら スウィニー・トッド〜フリート街の悪魔の理髪師〜

 もともとは、英国で150年以上も前に書かれ、これまで何度も小説、舞台やミュージカル、映画などの題材になっている殺人鬼の物語を映画化した作品だ。


 監督は、ティム・バートン、主演はジョニー・デップ、ヒロインは監督の妻ヘレナ・ボナム=カーター。




 まあ、バートン監督は「スリーピィ・ホロゥ」などの怪奇モノが好きだし、この作品が以前に映画化されたときも(1997年:ベン・キングスレー主演)、ぜひやりたいと言っていたそうだ。(その時は、不幸にもスケジュールが合わなかったらしい)

 喧噪の大都会に潜む殺人鬼、そして殺した者の肉を客に食べさせるカニバリズム
 大衆の下世話な欲望を心地よく刺激する内容だけに、多くのクリエイターが、これを自分なりに表現しようとしてきた。

 演劇、映画、舞台……そして、その度に制作者は新しい解釈を試みる。
 まあ一種のクラシックですね。スジは決まっているけど、ちょっと変えてみる。

 オペラなんぞでも、そういった解釈違いで新作ってのはままある。

 いわば「雑巾を絞って大海を生みだす」というやつです。

(この間、プッチーニの悲劇「ラ・ボエーム」を第二次大戦下のドイツという設定でやっているのを観たが、あれはひどかった。なんか、とにかく新しくしたいから、とりあえずやってみました感がアリアリby takanotume)


 さて、この映画、結論から言いますと……わたしは好きです。

 名作、とは言えないまでも、観て損は……しない多分。

 原作では、ただ意味もなくヒゲを剃るフリをして無差別に首を切り裂く殺人者だったスウィニー・トッドが、この映画では、権力者に妻を奪われ娘をとられた復讐者として殺人を犯す。

 そのため視聴者は殺人者に感情移入することができる。

 最近の舞台等のリメイクでは、時代(産業革命下の英国、人間の労働力化、個人の否定等)に押しつぶされた故の殺人者として扱われることが多いそうだが、この映画ではそんなことはない。

 彼は復讐者なのだ。




 ああ、それより、先に言っておかないと。この映画はミュージカルです。
 わたしは知らずに見て驚いた。
 後で調べてみたら、ブロードウェイの舞台でも人気を博している作品で、日本でも宮本亜門あたりが演出しているらしい。


 冒頭、若き船乗りが、煙にけむる(「霧にけむる」じゃない。19世紀のロンドンは霧でなく暖炉の煙でケムっていたのだ)退廃したロンドンを見て、イキナリ歌を歌い出してびっくり。

 「この街は驚くことばかり〜」

 すぐに背後から、眼に隈をつくり、メッシュに白髪化したデップが歌を重ねる。
 「若い君は知らない。この街の腐敗を〜」

 話す声と歌声が同じに聞こえたから、吹き替えじゃないと思うけど、ジッサイはどうなんだろう。多分歌っているんだろうな、本人が。

 歌詞は不吉なものの、曲は甘く美しい……。まるで、「マイフェアレディ」の「君住む街」のような。


 ロンドンの街に降り立ったデップは、船乗りと別れ、もともとの住まいであったフリート街に行き……、一階の、ゴキブリだらけの店でパイを作るラベット婦人(ヘレナ・ボナム=カーター)に出会う。

 後に人肉でミートパイをつくるラベット婦人をヘレナ・ボナム=カーターが好演している。目に隈をつくって、ナイトメア・ビフォア・クリスマスサリーそっくり




 まあ、この人は、かのフランケンシュタイン(ロバート・デニーロのやつ)で、無理矢理生き返らせられた人造人間の役を熱演した女優だから、いかにもティム・バートン好みなんだろうな。ふたりは結婚もしているし。


 いや、ジッサイ、この冷酷でホットで、冷たくて人情家で、そして非道徳的で情熱家な女性が良い。

 この映画の魅力は、彼女がすべてだと言って良いほどだ。


 床屋の美しい妻に横恋慕した判事(アラン・リックマン!ダイハードマンの最初にして最大の敵:好きです)に無実の罪で投獄され、妻を奪われ(のち服毒自殺)娘をとられ、何もかも失って帰って来た男……彼女はずっと前から、ハンサムな彼のことが大好きだったのだ。


 最初の殺人を犯したデップに「なぜ殺したの」と詰め寄りながら、「俺をゆすったのだ」と彼が答えた途端「じゃ、殺されて当然ね

 こういった、ちょっと舞台くさい演出も、役者の力量もあって気にならない。

「死体をどうしようかしら。肉がもったいないわ〜」
「**婦人の店はミートパイが人気。でも、店の近くのネコがどんどんいなくなっている。ネコは身が少ないから一匹でパイ4,5個。でもこの肉なら〜無駄にするのはもったいないわ〜」

 もちろん歌ってます。しかも、明るく、美しい曲にのせて……


 原作で、通りの向かいにあった肉入りパイの店は、床屋の一階に移された。
 そのおかげで、二階で殺してすぐに、新鮮な肉が秘密の装置を使って地下の厨房に逆さ落としにされる演出が可能になった。
 この装置が、あのバットマン(ティム・バートン監督)の出撃マシンによく似ていて笑わせる。




 この映画の一番の収穫は、中盤、偶然からヒゲをそりにやってきて、特製殺人椅子に腰掛けたアラン・リックマンの喉に鋭い刃物を当てながら、白い喉を掻き斬る瞬間を楽しみつつデップが歌い、リックマンはリックマンで、育ての娘(床屋の娘)と結婚する夢を見つつ歌って、やがてデップとリックマンハモりながら(違う歌詞を)美しく歌う場面だ。

 だって、ジョニー・デップアラン・リックマンが地声で歌ってハモってるんですぜ、ダンナ。

 なんだか涙出そうになりましたわ。

 これほどきっちりと同床異夢を映像化したシーンって、かつて無いのではないかな?


 やがて……

 途中、それとは知らずにデップの娘と恋に落ちた船乗りを巻き込んで、止めようもなく話は進み……唐突におわる。

 そう終わらないと、しようがない終わり方で


 復讐は果たされ、殺人者には死が。


 少し、、ザンコクなシーンはあります。が、観て損はしないような気がちょっとはすると思うと言い切れればいいな、と思うこのごろであります。

 ときたま眼を覆いながら観れば大丈夫。機会があれば、観てください



●もうひとつ、好きなシーンをご紹介。




 人肉入りパイが大評判になって金がどんどん儲かり出すと、ラベット婦人は、デップと下働きの小僧をつれてピクニックに出ます。(不健康で、顔は黒く眼には隈のある二人、これほど日光が似合わないカップルも珍しいのに)

 そこで、彼女は、将来の夢を語り歌を歌います。

 その想像の中の映像がいい

 明るく爽やかで、でもちょっと現実味が薄い。なぜなら明る過ぎ、美し過ぎる映像だから。どこかで見た画だな、と思ったら、同じくバートン監督の男のおとぎ話ビッグフィッシュ」の映像そっくりだった。彼の、イマジナリィ・ワールドはあんな非現実感のある色彩なんだろうなぁ。


 私のおすすめ:
【11月予約】 RAH SWEENEY TODD(スウィーニートッド)

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帰ってきたGO!〜スピードレーサー〜


 いよいよ、あのマッハGO!GO!GO!実写版が劇場版「スピードレーサー」として日本に帰ってくる。


 しかも、三船オヤジ=ジョン・グッドマン、お母さん=ス−ザン・サランドン、ミッチ(向こうではトリクシー)=クリスティーナ・リッチという、ワケの分からない豪華俳優陣で。

 しかしジョン・グッドマンってアニメ顔なのかね。
 ヤバダバドゥーのフリント・ストーンもそっくりだったが、今回の三船オヤジも、もうやめてっていうくらい似てる……、というか、実写であんな顔の人存在するんだなぁ。

 予告で観る限り、クリオ(弟)とサンペイ(サル)が、マッハ号のトランクに隠れているところを見つかるという、お約束のシーンも正確に再現されている。

 愛川欣也が二枚目の声を演じていた覆面レーサー(最近、再放送を観るまで気がつかなかった。覆面レーサーがニャンコ先生だよあんた)も、あのマスクそのままにきっちり出演しているのだ。

 確か、スピードレーサーの主題歌も曲は日本と同じで、歌詞だけ英語に代わっていたはずだが、今回の映画では新しい曲になるようだ。
 あるいは、スパイダーマンやバットマンのように、エンディングの途中でちょっとだけオリジナルが流れるのかもしれない。

 残念ながら、 トレーラーを観てもらえばわかるように、画は、CGっぽく作りすぎた、悪しきコミック実写融合ムービー(たとえばロジャー・ラビットのような)的粗悪なものになっている。

 車の走りもつるつる滑る感じの嘘っぽい映像なので、最初は、ヘルメットを被ってバーチャルレース場でレースをする設定なのかと思ったほどだ。

 ミフネのオヤジが、ニンジャに襲われて、テキを頭上でくるくるまわすところなど、原作に忠実なのは良いが、ジッサイに実写で、それをされるとチトきつい。

 アニメ版は、原作の吉田竜夫や総監督の笹川ひろしといったスタッフが運転免許を持っていなかった(時代だねぇ)ため、自動車やレースについて知識もなく、ために荒唐無稽なハナシを生み出したといわれているが、21世紀になって、それをマンマ映像化するのもいかがなものか……。

 監督が、嘘くさい映像が得意の、ワシャワシャ兄弟(マトリクス三部作の)だから仕方がないような気もするけど。


 まあ、来たら観に行きますけどね。

 ところで、「銃夢」って今どうなってました?
 たしかJ・キャメロンが映画化するんでしたよね。

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2008年2月12日 (火)

スカイプ・アウト

 最近、スカイプから一般電話、携帯電話に電話を掛けることのできるサービス「スカイプアウト」を利用している。


 スカイプのソフトからスカイプアウトのサイトに飛んで、そこでチケットを最低1500円購入(カード決済)するだけで、コンピュータから電話に話ができるようになるサービスだ。

 それの何が良いかと言われたら、ちょっと言葉につまるが、なんかちょっといいのだ。

 おそらく多分に感覚的なものがあると思うが、簡単にいうと、仮想世界、バーチャルな場所であるインターネット間チャットソフトから、現実世界、リアルな一般電話携帯電話へ発信できるという、ちょっとしたブレイクスルー感?が気持ちいいのだろう。


 セグメント表示のワンボードマイコンとはいわないまでも、シャープMZ80Bなどのパーソナルコンピュータ黎明期から「マイコン」に触れてきた感触からすると、パソコンといえばネットに繋がらぬスタンドアロンがあたりまえ、小さなメモリ、小さなデータの非力なマシンにすぎなかった。
 印刷すらままならぬ役に立たぬ知的玩具だったのだ。

 その後、モデムと銅回線を使ったパソコン通信と掲示板が始まった時、パソコンをゲートとして世界に繋がった開放感を感じたものだ。

 やがて、常時接続が当たり前になり、インターネットが発達し、電子メールが一般に普及し、世界はさらに広がったが、それでもパソコンは外部のコンピュータと繋がっているにすぎなかった。

 たしかに、ネット通販など、ネット世界のアクション(ネット購入)が現実世界に影響を与える(ブツが送られてくる)ようにはなったものの、システムとしては、それまでの電話によるショッピングと大差はない。
 「商品を決め電話で申し込む」が「サイトで見て電子メールで申し込む」から「サイトで見て、そのままネット決済する」に変わっただけだ。

 そこに、面倒なインフラ整備はあったとは思うが、個人的には、それはインターネット側のブラックボックス内部の変更にすぎない。

 しかし、スカイプアウトは違う。

 パソコンが、ダイレクトに一般世界に繋がっているのだ。
 これ以前には、ファックスソフトぐらいしか無かったはずだ。(あれは普通の電話回線を使っていたから厳密に言えば違う)


 現在、延期中で、いつPSPにスカイプが搭載されるかは知らないが、もしそうなれば無線スポットにさえいれば、自宅に携帯電話に電話をかけることができるのだ。

 最低購入が1500円、カード決済のみと、まだまだ導入に抵抗はあると思うが、PSPスカイプ・ショックで普及すれば、一気にスカイプ・アウトが広がり、もっと使いやすくなる可能性はある。

 そうそう、付け足しになるが、スカイプアウトは料金もやすい。

 国内(国外もアメリカなどは)1分2.66円足らず(課金が1分単位というのがミソ)、携帯電話は1分17.5円ほどだ。

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2008年2月11日 (月)

誰がための守護神? ケビン・コスナー



 やや落ち目だった、ケビン・コスナーが心持ち復活した作品。

 内容は、われわれ日本人にはたった一言で足りる。

「米国版海猿」


 時の流れは残酷だ。

 特に、その容姿で世をつかんだ者には。

 かつて「ボディーガード」で、世の妙齢のご婦人の魂わしづかみにした二枚目も、すっかり顔に皺がきざまれ髪はうすくなり、中年になった。

 まこと月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也……


 といった感慨は脇に置いて、ちょっと面白かったのは、米国であっても、海軍と海難救助隊には溝があり、レスキューが低く見られているのがわかることだ。


 海猿、その他で、ご存じの方も多いと思うが、日本でも海上自衛隊と海上保安庁は仲がよろしくない

 その大きな理由が、ふたつの海猿集団が、成立母体がまったく異なる別なイキモノといって良い組織だからだ。

 現在の日本海軍である海上自衛隊は、警察予備隊から生まれた警察の姻戚であるのに対し、海上保安庁は日本海軍の血を色濃く引いた組織なのだ。

 一見すると、逆に見えるのが面白い。



 二つの組織のつばぜり合いを示す好例が、両組織に同じ名前の艦が多数存在することだ。


 まあ、ガキっぽいといえばガキっぽい話ではある。

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やっぱり「トレインスポッティング」の監督 サンシャイン2057


最近、映画を観ていなかったので、この連休を使って、ちょっと気になっているDVDを観た。

 順次簡単に感想を書いてみるが、まずは真田広之出演「サンシャイン2057」


 
「近未来」「太陽の異常を食い止める一団」といったコピーなどから、「アルマゲドン」や「コア」といった滅亡阻止モノと思って軽く見始めた。

 舞台となる宇宙船イカロス?は、映画冒頭からすでに宇宙を航行している。
 中盤、真田広之演じるカネダ船長が、あっさり事故死してしまうと、そこからは、イベントホライゾンばりにオカルト色が濃くなり、次々と殺人と事故が重なっていく。

 太陽近くで、七年前に消息を断ったイカロス?からの救難信号を受信するあたり、エイリアンや、ロスト イン スペースを彷彿させるが、乗り込んだ宇宙船で起きる出来事は、その二つの映画とは比べようもなく地味でツマラない

 ちょっとキミ悪いだけだ。

 終盤になっても、イベントホライゾンのように別宇宙からやって来た怪物は出てこず、結局、事故と殺人は人間によるサボタージュ行為であることがわかる。

 幻滅したのは、最後に現れた犯人が、意外でも何でもない人物で、しかも、その姿をはっきりとカメラに写さないためか、上下左右にカメラをゆらしフィルターをかけ、何がなんだかわからなく撮影していることだ。

 まるで、同監督が撮った、かのマヤク映画「トレインスポッティング」ばりにラリっている、というか、こっちが酔ってくる映像だ。

 こういった(思いっきり好意的に考えて)カメラの軽量化による躍動的なカム撮りは、 ブレア・ウイッチ・プロジェクトあたりから顕著になってきたように思うが、はっきりいってこれは撮影側の自己満足でしかないと思う。(ブレア・ウイッチ・プロジェクトは低予算を逆手にとった、学生自身によるドキュメントという設定だったから、分からなくもないが……)

 なぜなら、われわれの眼は、三脚に据え付けられたカメラ同様、頭に据え付けられているが、生まれてからの経験と本能によって、たとえ四つんばいになったり、頭を振って思いっきりアクションしたとしても、同様に頭に据え付け?られている三半規管と、筋肉の伸び具合によるフィードバックで、適度に補正がかかり、キモチ悪さを最大限に防ぐことができるからだ。

 何のフィードバックもないカメラを振り回すのとは訳が違う。
 単に躍動感を出すためにカメラを振り回すのは、愚行以外の何者でもない。
 観客の気分を悪くするだけだ。

 まして、犯人をはっきり見せたくないためにカメラをブラすなんて言語道断だ。

 そういった撮影のキズも問題だが、本質的な問題は、映画のかなり最初のうちに、もう彼らが地球に帰還する可能性がなくなるのがわかることだ。

 イベント・ホライゾンや、ロスト イン スペースのように、残されたクルーに、起死回生の帰還法が残されていれば、彼らが生を願って必死にあらがう気持ちはわかるが、どうしても物理的に生き残れないことが早い時期にわかってしまっては、観ている側のハラハラ感も半減どころか256分の1減してしまう。

 なにがあっても、犯人に追いかけられても、どうせどっちも死ぬんだから、と考えてしまうのだ。

 まったく、自己満足も甚だしい。

 腹立たしい作品だ。

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2008年2月 2日 (土)

心やさしき独裁者〜秘密結社 鷹の爪〜





先日、蛙男商会




   秘密結社鷹の爪
   THE MOVIE 〜総統は二度死ぬ〜






を観た。

 もともとは、短編が2006年にテレビ放映されたもののようだが、わたしは知らなかった。

 内容はというと、蛙男商会社長フロッグマンが、監督、作画、更には声優までも、ほとんど一人で手がけている紙芝居ライクなフラッシュアニメだ。

 短編が好評だったために、この劇場公開版が創られたのだが、フラッシュ紙芝居で劇場公開作品を創った(実際はもっと複雑なCGを使っているが)希有な作品ということになる……


 が、実際、作品を観てもらえればわかるが、劇場版が創られることもうなずける出来なのだ。

 特に短編が良い。

  観てもらえればわかると思うが、「鷹の爪」の主人公(かな?)である「総統」(写真のアドルフ似の男)は、世界征服をたくらむ大悪人……ではなくて、心優しき常識人なのだ。

 だったら、なぜ、彼は世界征服などをたくらむのか、それは第11話「ファイナルアタック」を観てもらえれば分かるし、The Movieでは、世界征服を思い立ったきっかけのエピソードも語られる。

 劇中、悪であるはずの総統が「誇りある善人」なのに対し、正義であるべき超人デラックス・ファイター(この声が七変化のフロッグマンの地声にもっとも近いそうな)は、姑息でワルな俗物に描かれる。

 ぜひ、DVDを観てほしい。笑って欲しい。そして、最後にちょっとだけ胸を熱くしてほしい。

 絵柄にだまされないように。

 これは名作です


 また、Youtubeにもよくアップされている、

「番外1 地球の未来へ贈ろう〜鷹の爪篇〜 」

を、ぜひ観て欲しい。


 わたしは、心優しい独裁者の声で語られる「地球温暖化(グリーンハウス・エフェクト)」への悔恨と決意を聴くたびに、恥ずかしくも胸が熱くなるのだ。


 私のおすすめ:
ザ・フロッグマンショー: 秘密結社鷹の爪 第1巻(DVD) ◆22%OFF!

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