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2008年1月20日 (日)

愛と勇気だけが友達さ(カレーパンマンやショクパンマンは友じゃない)

 このところ、知人の子供のために、スカパーでやっているアンパンマンを録画している。

 普段は、とくに観ることもなく、そのまま渡していたのだが、先日、機械に不具合があってうまく録れていたか気になり、初めのほうを少し観ていると主題歌「アンパンマンのマーチ」が流れ始めた。

 ご存じの方も多いと思うが、あれは二番の歌詞で、曲はともかく歌詞はどうということのない歌だ。

 あの歌の本分は一番と三番にある。

 もう十年以上前になるが「アンパンマンのマーチ」の全歌詞を知って感銘を受けたことがあった。


 二番始まりでなく、本当の「アンパンマンのマーチ」の歌詞は、


 そうだ 嬉しいんだ生きるよろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも


で、始まるトガったものだ。

 だが、それでは、おそらくよい子のみんなには激しすぎるという判断から、口当たりのよい二番のみ採用されたのだろう、そしてそれは商業ベースで考えれば正しい判断だ。


 と、まあ、そこまでば前フリ、今回の本題はここからで、全部の歌詞を見直そうとネットで検索すると、

 「愛と勇気だけが友達だちさ」ということはショクパンマンやカレーパンマンは友達ではないのか、という疑問が、いたるところに提示されていて驚いたのだった。


 これに関しては「友達がそばにいても、闘う時、人は常に孤独なものなのだ」という、まさしく正答が多くの人々によってなされているから、ここで繰り返すことはしない。


 だが、それより問題なのは、どうしてそんな滑稽な勘違いをする者が多数存在するのか、ということだ。

 きちんと歌詞を読めば、「アンパンマンは、カレーパンマンたちを友だちと思っていない」などという笑止な間違いなど犯すはずがないからだ。


 いま一度、全部の歌詞を確認してほしい。
   http://members9.tsukaeru.net/alfred/nns/kyuukyoku/kyuukyoku1/anpanman.htm

 これは闘いに赴く者の歌だ。
 銃弾が飛び交う近代戦で(バイキンマンとの闘いもこれだろう)、となりにいる友がいったい何の役に立とうか。

 身を守るのは、己の判断身体能力、そして最大要素としての「運」
 これだけだ。

 やなせ氏は、あの大東亜戦争を知っている。

 だからこそ、闘いを、たとえマンガの歌詞としても、戯画的に(皮肉な表現であるが)スポーツの団体戦のようには描写できなかったに違いない。

 闘いは常に死と隣り合わせ、いわゆる決死の闘いに挑む時だからこそ「ほほえんで」行くのだ。

 闘いは、また日常の場にもある。
 日々こなさねばならぬ仕事、作業、これらは、ある種闘いであり、それらを避けていてはいけない。

なぜなら、

 時は はやくすぎる
 光る 星は消える

だから、

 そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
 たとえ どんな敵が  あいてでも

なのだ

 かつて、やなせ氏が、アンパンマンに友達はいないのか、というまぐまぐ記者の質問に答えて
あまり考えていなかった。たんに語呂が良かったから
と答えているのは、おそらく本心ではあるまい。

 あの歌詞を読んで、その意味すらくみ取れぬ輩に再度説明する愚を避けただけだろう。

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