「天元突破グレンラガン」

2007年最大の収穫がこれだった。
いや、過去5年で最大といってもいい。
数ヶ月前に最終回を迎えたものの、長らくこの作品について書くことができなかったのは、あまりに「イイタイコト」「書かネバならぬコト」が多すぎて、書き始めると収集がつかなくなると思ったからだ。
それに、作品の刺激で、気持ちが大ヤケドしてしまったために、冷静な評価ができないと考えたこともある。
「天元突破グレンラガン」
これこそが、先達が作り出した様々なアニメの集大成ともいえる作品だ。
数多くのアニメ、劇、SFから最良部分の抽出を行い、きれいに並べてくれていて、それがどれも心地よい。
ここだ、というツボをピンポイントで強烈に押してくれる。
というか、自分の中に、どれほどたくさんの鳥肌ツボがあるかということを教えてくれるのがこのアニメだ。
かつて、シェクスピアの「ロミオとジュリエット」を読んで、登場人物の唇から流れ出る台詞のすべてが詩の響きをもっていることに驚いたことがある。
語られる言葉すべてが詩だ。
あるいは映画「シェルブールの雨傘」で、ドヌーブをはじめとする登場人物たちの台詞が、すべて歌になっていることにも衝撃を受けた。
一般のミュージカルのように歌いながら踊るのではなく、もし音を消して観ていれば、まったく通常の映画と代わりがないのに、ただ台詞だけが歌になっているのだ。
むろん、グレンラガンの台詞は詩ではない。歌でもない。
商業ベースを考えれば、そんなことは不可能だ。
ただ、誤解を恐れずに言えば、中で行われる行動および使われる台詞が、すべて漢(オトコ)モードに特化されているのだ。
セリフの一言ひとことが突き抜けている。頭抜けている。
言って欲しい台詞を、最高のタイミングで全員が話す。
オープニングのナレーション、予告のナレーションも立ちまくっている。
語られる言葉すべてが、自分の中の男児かくあるべし、というツボを押しまくってくれる。
寡黙な自己犠牲、無謀な特攻など、現在の平和好きな母親たちが観ればおそらくは眉をひそめることだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
グレンラガンの態度・言動の正反対(マギャクとはいわんよ。ヨシモト芸人が誤って使って広まった、おそらくは一過性のコトバだから)を、一つずつひろって物語を作れば、今、地上波のテレビで放映されているドラマやバラエティが出来上がる。
つまり、そういった善良な人々の眉をひそめさせることこそ、グレンラガンの本望なのだ。
「とにかく観てください」と声を大にして言いたい。
そろそろ、DVDも出そろい始めているので、観るならこの年末年始がお勧めだ。
鑑賞する上での注意点をひとつだけ。
第一部に分類される1〜8話までは、少し自分に合わないカモ、と思っても、とにかく我慢して観ること。
テーマ(ドリル・螺旋、それから派生して二重螺旋・遺伝子・島宇宙の渦まき)は一貫しているし、先に述べた先達の作品「あしたのジョー」「トップをねらえ」「宇宙戦艦ヤマト」などから数多くのインスパイアされた珠玉の一品なのだから。
ただ、特に第一部では、押井守いうところの、かつてよくあった思考停止型絶叫ヒーロー(カブトコージに代表される)のような描写がいたるところにある上、いわゆる巨乳タイプのヒロインがでてくるので、それらが苦手な人が見続けられるか心配だ。
そんなものに惑わされてはいけない。それはただのスパイスだ。トッピングだ。
とにかく見続けて、ぜひとも彼らの言動からストーリィの真意をくみとってほしい。
正直にいうと、8話までは、かなり見続けるのが辛くなるクドさのある回もある。
だが、とにかく16話までは頑張ってみてほしい。決して後悔はしないはずだ。
ヒーローモノにおけるヒーローの資質は、闘いに負けないことでは無く、絶対の恐怖と絶望にあっても、決して下がらない意思の強さにある。グレンラガンにはそれがある。
もちろんそれだけではないけれど。
第二部9話〜15話で、ストーリィは二段ロケットに点火して加速し、16話が総集編、17話〜最終話27話で、美しい大団円を迎える。
際限なく続く「戦闘規模のインフレ現象」(最後は、ロボットが銀河をつかみ投げ攻撃する!)も、破綻させず最後まで持ちこたえさせた力量は賞賛に値する。

また、これはぜひ書いておきたいが、出てくる女性たち全員が、観たことないほどカッコいいのだ。
昨今のテレビドラマやCFに溢れている、自己主張の激しい自分中心の行動ができることがオンナのカッコヨサだと勘違いし、その実、男にとって都合の良いオンナに成り下がっているヒロインたちとは大違いだ。
本来、男のカッコ良さ、オンナのカッコ良さなんていうのは存在しない。
ヒトとしてカッコいいことが先にあり、その先に性別による表現分岐があるだけだ。
ともかく、グレンラガンにおける、そういった男や女の行動を観ていると、自分の中にある子供っぽい漢(オトコ)の部分が異常に熱を持って疼いてくる。
音を聞いているだけで、血がたぎってくる。
この間、車で長野-東京まわりをした時、夜になって何となく眠気に襲われた時、PSPから(全話をMP4動画変換していれてあるのだ)音だけを聴くようにして走行すると、眠気はどこかに吹っ飛び、とうとう明け方まで休みなく走り続けることができた。
ああ、こうして書いているだけで、また血液温度が上がってしまいそうだ。
はやくみてくたされ。
はやくみてくたされ
はやくみてくたされ。
はやくみてくたされ。
いしよの(一生の)たのみて。ありまする
と、野口シカが息子英世にあてた、あの名文すら引用してお勧めします(あ、だめだこの手紙読むと泣けてくる)。
最後に、最近気づいたことをひとつ。
思考停止型絶叫ヒーロー(「ロケットパーーーーーンチ」とかね)が、なぜ叫ぶか。
そして、我々が、それをさして奇異に思わないのはなぜか?
グレンラガンでも「俺を誰だと思ってやがる!」を連発している。
これはつまり、歌舞伎や能、狂言に於ける「見得を切る」ということの変型なのだ。
弁天小僧菊之助 の「知らざあ云ってきかせやしょう」に代表される見得。
裾をまくり、腕をまくり、顔をこわばらせて叫ぶ。ここぞという時のキメ台詞
これこそが、アニメのヒーローが必殺技の名前を叫ぶ由来なのだ。
だいたい、普通に考えたら闘いの最中に技の名を叫ぶのはおかしいでしょう?
海外のコミック、アニメでそんなことをしているのはあまり観たとことがない。
アニメという、一見もっとも伝統芸能から遠く見える新文化に古典が息づいているというのはなかなかに興味深い。