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2006年12月 9日 (土)

「こまった人」 結婚できない男

 ずっと「じゃりン子チエ」が好きだった。
 登場人物の誰かを好きなのではなく、その世界観が好きだった。
 ちょっとヒネているけど健気な子供、どうしようもない駄目オヤジ、彼らをとりまく人々。その会話の棘のある暖かさが好きだった。

     
 先日も、高畑勲が手がけた、上方お笑い芸人総出演・映画版「じゃりン子チエ」のオープニングを確かめようと観始めたところ、気がつくとエンドロールが流れていた。

 これほど時間のワープ感覚(っていいかたはおかしいのだが)を感じられる作品は他にはない。

 わたしも歳をとり、多少なりとも人生の垢が身について「ただ好き」ではなく、どこが好きなのかを、もう少し正確に言えるようになった。

 じゃりン子チエの魅力の本質は、「駄目でいいのだ」という寛容さにある。

 世界の底辺でうごめくものに対して「がんばれない時もあるさ」という、作者、はるき悦巳の優しさに満ちた悲しみの目が嬉しいのだ。
 
 と、ここまで書いて気づいた。

 これはつまり、井上ひさしがコミックス(一巻だったか?)の後書きに書いている、「はるき悦巳は悲しみの目で世界を見ている」ということと同義だったのだ。

 最初にその文章を目にして以来、長い時間が経つが、わかったつもりでいて、その実、真からの理解はできていなかった。

 どうやら、人の悲しみを理解できるには、人生の有限さを実感できるようになることが必要らしい。つまり歳をとる、ということだ。
 
 この作品、特に、二十巻ぐらいまでは、はるき悦巳の精神的ポテンシャルも高く、関西文化圏の中級以下の喫茶店および食堂では、必ず揃えておかねばならないほどの盛り上がりを見せていた。

 当時、多くの安食堂や喫茶店で、労務者ふうの男たちは、先をあらそってコミックスをむさぼり読んでいたものだった。

 週間ポスト、文春はおいていなくても、「大スポ」と「週間アクション(じゃりン子掲載紙)」「じゃりン子チエ」を置かない店はなかった。

 彼らの多くは、自覚が無いまま、自分の境遇を認めてもらいたくて(または自分自身に認めたくて)「じゃりン子チエ」に耽溺していたのではないか。

 まあ、そんなに深読みしなくても、おそらく「駄目な男を取り巻く優しい環境(人々)」という設定は、つねに人を惹きつけるものなのだろう。



 12月20日、夏に放映され高視聴率を得ていた「結婚できない男」のDVDが発売される。


 普段は、スカパーだけを観ているため、地上波の番組には疎いのだが、今夏、海外に住む知人が観たい番組あるといってきたのでテレビ番組を録画したことがあった。

 翌日、うまく録れたか、チェックしがてら流し観したところ、この番組がめについたのだ。

 最初に観たのは第四回だったのだが、それもよかった。

 この番組は、三人の演出の持ちまわりでやっているのだが、同じ脚本であるとは思えないほど、脚本家によって出来が違う。

 あえて、名前は出さずにおくが、1、4、7、10はおすすめだ。特に第4回は秀逸。


 この阿部 寛演じる「結婚できない男」も、困った男である。

 偏屈、狭量、自己を曲げない身勝手さで、まわりに迷惑をかけまくる。

 「じゃりン子チエ」のテツに似ているようで、ちょっと違うのは、彼が、人に認められる職業を持っている上に、見てくれが良い点(らしい)だ。

 どうも、人は、こういった人物に興味半分にお節介をしてしまうらしい。

 公式サイトはこちら http://www.ktv.co.jp/shinsuke/

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