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2006年11月

2006年11月19日 (日)

さらば大きなものよ MS IGLOO 〜大蛇はルウムに消えた〜


 昨日、以前から気になっていた「MS IGLOO  〜大蛇はルウムに消えた〜」(2003年:30分)を観た。

 これは、ファイナル・ファンタジー、NEWキャプテン・スカーレットと同様、フル3DCG作品だ。

 「ガンダム」、である。

 だが、モビルスーツの話ではない。

 時は、ガンダム・ファーストシリーズ、初代ガンダム時代である。

 ご存じのように、ガンダム・シリーズは、金になるためか、もう嫌になるほどたくさん作られ過ぎていて、ほとんどスター・ウオーズなみのサガ状態になっている。

 わたし自身は、実のところ、この第一弾しか観ていない。

 しかし、後のガンダム譚の風評から鑑みても、第一弾は、後続シリーズと比べて、何ら遜色はないはずだ。

 その理由の一つは、短いスパンで「兵器」と「人的能力」の劇的な進化が描かれてるからではないかと思う。

 人に関しては、ご存じの通り、いわゆるニュータイプの覚醒がそれであるし、兵器に関しては、モビルスーツの進化が代表的なものだ。

 ニュータイプに関しては、まあ他の項に譲るとして、技術屋崩れとしては、兵器の進化により興味がわく。

 そして、この「MS IGLOO」は、技術開発における『栄光なき天才たち』を描くシリーズなのだ(悲運に終わる点も似ている)。


 戦争においては、

 「戦略(Strategy)の失策は戦術(Tactics)では補えない」

 「戦局の帰趨(きすう)は、兵器の優劣によって決まる」

 という動かせない事実がある。


 もっとも、前者に関する限り、先の日本が行ったイラク派兵は、中央部の愚挙、強制派兵という戦略的失態を、堀を作って閉じこもり、外に出るときには表向きは無防備ながら裏で完全武装、住民にはキコ・スマイル(って覚えてっかぁ?)で手を振る、という戦術レベルでの危機回避を成し遂げた、希有の作戦行動ではあったが。

 それはさておき、後者に関しては誰もが納得することだろう。

 かつてのナチス・ドイツや日本軍もそうであったように、戦争中に優秀な兵器の開発に鎬(しのぎ)を削るのは当然だが、開発ラインは一本ではない。

 安全策をとって、たいていの場合、いくつかの開発を複走させるがゆえに、ライン同士の競争が生じる。

 それがまた、多くのドラマを生むことになる。



 さて、前置きが長くなった。

 「MS IGLOO  〜大蛇はルウムに消えた〜」

 これはモビルスーツ開発ではなく、巨大砲開発ラインに乗った技術屋たちの話である。

 なぜ、この作品を観ようと思ったかというと、ネットで観た予告編で「あれはモビルスーツ!だが首と足があります」という言葉を聞いたからだ。

 負ける(開発レースで、という意味だが)側から観たモビルスーツの進化、なんと蠱惑(こわく)的な発想なのだろう。

 これは観ねば!



 しかし……



 観始めて、三十秒で後悔しました。

 それは、CGの技術レベル(画的なものではなく演出)が、あまりに稚拙だったからだ。

 2003年の作品であるということを考慮しても、これは酷すぎる。

 ヌメヌメとしたCG特有の動き、そして緩急はつけているものの、そのリズム感のなさが致命的だ。

 歩いても走っても、あるいは話しても、画面に映っているのは、人でも、人を模した画像でもなくバケモノじみた何かだ。

 画面を観ながら考えた。

 なんと不思議なことなのだろう。

 かつて観た紙芝居(ってトシがばれるね。わたしたちは、ほんとに幼かった頃に、紙芝居を実際に観た最後の世代カモ)は、本当に静的だった。
 画は平面的で稚拙、しかも動かず、男の語りだけが動的なものだった。

 だが、自転車の荷台にくくりつけられた紙芝居のセットに見入る我々の目には、確かに登場人物は動いて見えた。

 なぜならば、コミックやアニメは、人の心の中で、動きが補間されるからこそアニメートされた(生き生きとした)動きになるのだ。


 しかるに、このCGはひどい。

 画面は確かに動いているのに、心の中で、その人物が動かない。

 というか、なまじ画像が動いているだけに、そしてその動きが、私たちが長年かけて蓄積してきた「動きの文法」と完全にズレているがために、観ていて気持ちが悪くなるのだ。

 良いアニメの動きは、現実の動きのリズムを巧妙に取りだして、それを絶妙に、あるいはちょっと無理に拡張して為されるものだ。だから観ていて気持ちが良いのだ。


 と、文句を言いつつ(独り言で)最後まで観ました。

 するとどうでしょう。

 評価逆転、とまではいかないが、評価が好転しました。

 つまり、自衛隊が行った奇跡ほどではないが、画像レベルの失策を、脚本レベル
で補ってしまったのだ(妙な表現だが)。


 「MS IGLOO  〜大蛇はルウムに消えた〜」

 これは、宇宙空間に於ける大艦巨砲時代の終焉を告げる物語だったのだ。

 大蛇に例えられる「巨大砲」が、艦載機にイメージが重なる「モビルスーツ」の大群に取って代わられる瞬間を描いた作品だ。

 かつて、太平洋戦争で、日本が建造した巨大な戦艦群が、モスキートのような艦載機の大群によって轟沈せしめられたように。

 その意味で、物語のラスト、戦いの帰趨が決した後で、最後の一発を敵艦に撃ち込んで息絶える一徹者の砲術長は、さきの戦争で沈んでいった日本軍の砲兵を表しているのかもしれない。


「MS IGLOO  〜大蛇はルウムに消えた〜」

 画像にガマンしても最後までみるべし。

サイトはこちら。
    http://www.msigloo.net/

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