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2006年9月 5日 (火)

遍歴しないバルタザール


 「バルタザール」といえば、聖書に出てくる東方の三博士(マギと称される)の一人なのだろうが、私にとっては「アルルの女」に出てくる召使いの名前のイメージがある。

 アルルの女に入れあげる主人公を擁護する召使いの名だ。

 この、曲は有名だが、ストーリーのあまり知られていない歌劇は、後世の名作の例に漏れず初演は不評だった。

 作曲者のビゼーは、あの「カルメン」も「アルルの女」も酷評を受け、不遇のうちにこの世を去った。不幸なことだ。

 アルルの女といえば、気になることがあった。

 洋の東西を問わず、古来より、「白痴がいる家、村には不幸が訪れない」という言い伝えを持つ地域が多い。
 同時に、どうしたわけか、その者が徐々に正気を取り戻すにしたがって、周りに不幸が訪れ始めるというジンクスも同時に伝わっている。

 召使いバルタザールが登場する「アルルの女」も同様で、それがストーリーの骨子でもある。

 なぜ、白痴が魔を退けると考えられたのか?「無垢なるもの」であるがゆえに、その精神的な白さが闇をはらうと思ったのかもしれない。

 それは、そう思うことで、実際に村の役には立たない者を大切にしようとする原初福祉精神の現れだったのだろうが、同様のことが西洋で言われていたというのは、なんだか不思議だが、おそらく日本と同じ理由なのだろう。

 しかしそれならば、なぜ正気に戻ると「悪いこと」が起こると考えられたのだろうか?

 単に、守り部がいなくなった結果、普通程度に「悪いこと」が起こるようになりました、ではいけなかったのか。

 思うに、「無垢なる者」は、ただ魔を避けるのではなく、その多くは村や家に富をもたらしたのではなかろうか?

 無垢なる者の力による富貴かどうかはともかくとして、少なくともそう思える例がいくつかあったのではないか?

 それなら不幸が起こり始めるというのもわかる。

 人々は「無垢なる者」を擁する富貴者は容認したものの、「無垢」でなくなった家族を持つ金持ちは、うらやみ、やっかむ対象にするだろうから。

 そして、人から恨まれる者には、なぜか不幸が起こりやすいものだから。


 余談ながら、小松左京の、この世で一番怖い怪談「牛の首」のように、主人公をたぶらかし、ストーリーを動かす原動力となっている「アルルの女」は最後まで物語には登場せず、その存在が語られるだけだ。

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